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全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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Author:emunamae
いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2018年12月3日~9日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1203・月・障害者週間・

 またまたNHK「マイあさラジオ」情報である。1946年、昭和21年の今日、NHKラジオで「話の泉」の放送が開始された。日本の放送にクイズ番組が登場したのはこれが初めてのことである。出演者は堀内敬三、サトウハチロー、徳川夢声(とくがわむせい)、渡辺紳一郎と当時の人気者やご意見番が勢揃いしている。残念ながらラジオのチューニング、番組選択のイニシアチブを握っていたのはオイラの祖母、おばあちゃんで、オイラが一緒に聴かされたのは「とんち教室」。この「話の泉」についてはあまり記憶がないのである。で、この番組に大いに影響を受けたのが立川談志師匠。今世紀になってから「新話の泉」を立ち上げた。さすが談志師匠。その話芸でNHKラジオを説得したのである。出演者は山藤章二、毒蝮三太夫、桂文枝(6代目)、嵐山光三郎、松尾貴史と立川ファミリーが勢揃い。このメンバー、みんな大好きだけど、ことにキッチュこと松尾貴史さんがとても紳士で、立川談志50周年記念パーティーのときは、愛聴していたTBSラジオの「ヤングヒポポタマス」について話しかけたところ、実に気持ちよく相手をしてくださって、いろいろと個人的情報をくださったのには感激した。今でもその紳士的態度を忘れることができないでいる。

 長野県の新聞、信濃毎日から電話インタビューを受ける。実に丁寧なる取材だった。長野県上田市における八十二銀行の展覧会が好評なのだと思う。だったらこのミニ展覧会、子どもたちのためにもクリスマスまでやってくれればいいのにね、と思うのです。

 山本周五郎の『日々平安』を読んだら、黒沢映画の『椿三十郎』が観たくてたまらなくなり、オイラの音声映画ライブラリーからプレクストークへ移動させ、透析中にじっくりと鑑賞する。たちまち物語世界に引き込まれる。次から次へと映像が展開して、役者たちの表情までが生き生きと蘇る。そういえばボクはいつ、この映画を最初に観たんだっけ。中学生時代に『用心棒』とか『椿三十郎』などの黒沢監督の活劇映画が話題になっていたことは知っていたが、その当時は黒沢明よりは円谷英二に夢中で、オイラはいつまでもケツの青い、もしくはハナを垂らしたガキだったのだ。じゃ、いつだ。オイラが黒沢明の映画に目覚めたのは。おお、それは高校時代。だとしたら、あっ。思い出した。大学生になったばかり、慶應義塾日吉キャンパスの教室で、映画マニアの有志たちが上映してくれた『椿三十郎』を鑑賞したんだっけ。それから大人になり、VTRを自由に使えるようになってからは、ホームビディオで繰り返し、ハラペコウシが反芻するように、モグモグ、モグモグ、黒沢映画を繰り返し楽しんだのである。ということで、失明した今でも音声映画の刺激さえあれば、それぞれのシーンが記憶の底から噴き上がってくるのも当然であるのです。

▲ 股火鉢叱ってくれたおばあちゃん


1204・火・人権週間・

 まさかの温かさである。曇りの予報だったのでカーテンを引いたままにしておいたのだが、左右に開けば、日差しに顔が熱くなる。思い切り窓を全開にすると、春のような風が室内いっぱいになだれ込んでくる。今年は木枯らし一号がなかったけれど、地球温暖化の影響は師走になって春一番が吹くような事態をもたらしてしまったらしい。ちなみに本日の東京都心は23度。練馬では25度の夏日を記録したとかで、地球温暖化の師走は各地に夏日をもたらしたのである。

 新語流行語大賞の「そだねー」は納得です。妥当です。みんな忘れてしまったと思っていたけれど、安倍政権の悪巧みは忘れてしまっても、これだけは忘れてなかったんだよね。

▲窓開き冬の夏日にご挨拶 


1205・水・

 1900年、明治33年の今日、医師の吉岡彌生(よしおかやよい)が日本で初めて女子の医学校、東京女子医科大学を29歳の若さで創設した。で、実は今日、ボクはその女子医大に電話して、診察予約することになっていて、で、電話したのです。そしたら誰も出てくれない。わはは。どうやら創立記念日だったらしいのです。

 東京都心の朝の気温は17度。TBS界隈では19度あると朝のラジオの生島ひろしさんもいってます。また、この温かさは過去二番目の記録だとTBSラジオ「スタンバイ」の日本全国8時ですよのお天気おじさん、森田君もいってます。まぁ、ホントにあったかいこと。

 1機100億円の、短距離で離陸可能、垂直での着陸性能を誇る最新鋭ステルス戦闘機F35Bを100機購入するとアベちゃんはトランプと約束してるらしい。何と、1兆円の買い物である。自分の小遣いでもないのに、よくやってくれるよ。その戦闘機を搭載するために海上自衛隊最大の護衛艦「いずも」を航空母艦に改装するらしいのだが、その費用が数千億円。で、この「いずも」は多用途軍用母艦とされていて、決して航空母艦とはいいません。ま、武器を防衛装備品と呼ぶくらいだから、これくらいの言い換えはウソツキしんちゃんなら平気なのです。この場合は平気で、防衛装備品とはいいません。

▲ 冬の朝犬と猫との鼻と鼻


1206・木・

 外は冷たい雨模様。いよいよ本格的な冬に向かっているらしい。温かい師走とばかり油断していたが、そんなに冬将軍は甘くない。セーターに冬帽子、手袋にマフラー君、そろそろ出番になりますよ。

 山手線の新しい駅の名前は高輪ゲートウェイてぇんだけど、なんかピンときませんね。南アルプス市とおんなじくらい、ピンときませんね。高輪とか芝浦とか芝浜とか、有力な候補がいくらでもあったのに、公募中の130位という下の方から選ばれてる。だったら公募の意味がなかったんじゃないの。応募した方々に失礼じゃなかったの。世間のコメンテイターたちが異口同音にいってたけど、オイラもまったく同じ意見です。JR内部では様々な都合や忖度があるんだと思うけど、あんまり露骨なことはしていただきたくありません。やっぱ、自然でスムースなネーミングがいちばんだと思います。高輪ゲートウェイは長年親しんだ山手線の駅名としては発音するにもひっかかる。だったらまだ高輪玄関口とか高輪大木戸前とか、他にもあれこれ候補があったとか。もしかして、ゲートウェイに何か利権があるのかな。ちょっと疑っちゃいます。

 外遊から戻ってきたアベちゃん、まだ時差ボケが治ってなくて、
「これから野党のややこしい質問攻めにさらされるんだ」
てな発言で味方の笑いを誘っていたけど、笑わせなさんなよ。その野党のややこしい質問から逃げるために外遊してきたんじゃないのさ。とにかく、ここのところの国会は言語道断、横断歩道。まともな議論を経ない、一方的な立法が続いている。移民を外国人材と言い換えたり、国民の水道業務を外国企業に委ねたり、いいのかな、こんなことで。安倍政権のような数の論理が絶対価値観の集団の暴挙を防ぐためには、民主主義で最も大切にされるべきは有権者のバランス感覚。政治家を選ぶという観点から、政党のバランスをコントロールするという基本的理念をボクらは確率しなきゃならないのです。

 ハロウィンで馬鹿騒ぎをして軽トラをひっくり返した若者のうち 、4名が逮捕された。巷間には防犯カメラ。みんなのポケットにはスマフォ。事件現場から自宅まで、あなたは確実にトレースされるのです。お化けやゾンビに変装しても無駄。今の画像処理システムは騙せません。あああ。名前を公表されたら、そのキャリアはいつまでもネット世界で輝き続けることになるんじゃないのかな。注意1秒、馬鹿一生。

▲ カタカナで車内放送舌をかみ


1207・金・大雪・新月・

 1944年、昭和19年の今日、三重県沖を震源とするマグニチュード7.9の東南海地震が発生した。熊野灘沿岸では高さ5メートルから9メートルの津波を記録、死者行方不明者1223人、1万7千戸あまりの
家屋が全壊している。こういう記録を知る度に埋め立て地で開催される新大阪万博が気になるのだ。

 東京の日の出は6時37分、日の入りは16時28分。夜明けは遅い詩日没は早い。でも、それは当然。もうすぐ冬至なのである。そして本日は暦の上での大雪なのである。じゃぁ、寒いのかというととんでもない。本日の東京の最高気温は16.3度。外を歩いていても汗ばむ陽気。朝から代々木山下医院と慶應義塾病院とお医者さんのハシゴだったんだけど、てくてく歩いて汗をかいて、上着の必要がなかったと後悔する。いやほんと、汗をかきました。
 でも、汗をかいたのは陽気のせいばかりではありません。下高井戸駅のエレベーターで、意地悪ばあさんにどやされて、思わず冷や汗をかかされた。扉が開いて降りようとすると、ひとりのばあさんが、
「早く降りろ!」
と、オイラをどやしつけたのだ。コボちゃんが、
「目が見えないのですいませんね」
といっても、いつまでも睨みつけていたという。ま、世の中には短気な年寄りが増えているとは噂に聞いてはいたけれど、本当のことだったんだね。けど、コボちゃんは、
「きっと認知症の始まりなのよ」
と職業上の優しさを示していた。
 このエレベーター、これまでも様々なエピソードがあって、意地悪ばあさんばかりでなく、意地悪じいさんにもいじめられたことがある。エレベーター
を降りた途端、オイラの目の前に立ちはだかったじいさんが、
「目が見えなかったら、俺だったらとっくに死んでるね」
とせせら笑ったのだ。で、オイラもいってやったね。
「余計なお世話だ、くそじじい」

 帰宅してしばらくすると、きむらゆういち絵本講座のレンジャー吉沢さんとジローさんがオイラをクルマで迎えにきてくれる。毎年恒例、きむらゆういち宅における忘年会である。若いのに脳梗塞にかかってしまい、それでも活躍している仲良しの絵本作家や、顔見知りの編集者、いや、顔見知りといっても一方通行の顔見知りなんだけど、親しくおしゃべりしたり、楽しい時間は過ぎるのもはやい。そのうち、今年70歳のきむら君の、今年0歳
の、生まれたばかりの赤ちゃんへの挨拶を許される。すると、オイラの指を握りしめ、とても愛らしいのだ。実に愛らしいのだ。それで、奥さんも若くて愛らしいのだ。ということで、おめでとうございました。来年はきむら君と新しい絵本を出してもらえることになってる出版社の社長さんが意外にも冗談の通じるキャラクターとわかり、意気投合できて、今年も愉快な忘年会となりました。

▲ 冬の朝エレベーターで通せんぼ

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース

ありがとうございます。
おかげさまで23番、薬王寺を仮想参拝、通過しました。
次は24番、最御崎寺。
あと154,070歩です。

現在の歩数、405,330歩。
三度目の正直バーチャルです


1208・土・針供養・太平洋戦争開戦記念日・ジョンレノン命日・

 1941年、昭和16年の今日、旧日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争に突入した。ラジオの知らせに日本国民はどのような思いに至ったのだろう。そのことについて著名人たちが書き残した『朝、目覚めたら戦争が始まっていた』をサピエ図書館でダウンロード、読んでビックリ、驚き桃の木。意外な人が意外にバンザイしていたり、意外な人が心配していたり。ま、あの頃の日本人は戦争に敗けた体験がないんだから、仕方がないといえば、それまでなんだけど。それにしても、新聞の責任は大きいと思います。
 1980年の今日、ジョンレノンが自宅、ダコタハウス前で撃たれた。アルバム『ダブルファンタジー』を発表直後の出来事で、ボクは購入したばかりのそのアルバムに、以後1年間は針を落とすことができなかった。そしてその衝撃は1998年のニューヨーク個展と、そしてジョンレノンと並んでベビーアパレルの総合コレクションで全米デビューすることにつながっていくのである。つながっていくのはそればかりではない。そしてまた、1991年のこの日はソビエト連邦の実質的崩壊の日でもあり、パールハーバーとジョンレノン、そしてソ連崩壊と、12月8日というのは、そういう歴史的な日なのです

 師走は慌ただしい。忘年会にクリスマス、大掃除に買い物に、皆さんも慌ただしいし、オイラも慌ただしい。机に向かってあれこれ。外に出かけてあれこれ。というわけで、日程がイレギュラー。金曜日の透析を忘年会で延期して、今日の昼間にコボちゃんが昼の休みを利用して、オイラを透析室にぶちこみます。ああ、オイラを生かしておくために、コボちゃん、いつもありがとう。

▲ 真珠湾ソ連崩壊ジョンレノン


1209・日・

 お昼から有楽町えきまえで慶應義塾マンガクラブのOB会である。参加者はマンガクラブの創始者で漫画家、恐竜博士としても知られ、TBSラジオの子ども電話相談室の解答者のレギュラーでもあったヒサクニヒコ大先輩を中心に9名。今年はやけに少ないけれど、これくらいの人数だと、テーブルひとつで間に合うし、みんなの顔も見えて話も聞こえる。
 というわけで、今日もコボちゃんのエスコートでお出かけ。北風が吹いていて寒い。今シーズン初めてのトレンチコートがやけに重たくて疲れます。体力がなくなったなぁ。駅の乗り換えの度にお世話になるのはエスカレーターとエレベーター。と、エレベーターの狭い箱の中でコボちゃんとベビーカーの赤ちゃんとの目が合った。けど、たちまち扉が開いて赤ちゃんとは別れなければならない。すると赤ちゃん、
「バイバイ」
と、コボちゃんににっこり笑って手を振った。先日は下高井戸のエレベーターで、
「早くしろ!」
の意地悪ばあさんに不愉快な思いをさせられたけど、今日は可愛い子どものおかげで幸せな思いをさせてもらった。
 マンガクラブが解散して、暗くならないうちに帰宅して、夜の散歩にでたコボちゃんが、階下の焼肉屋を出てきたファミリーの子どもたちにバッタリと遭遇して、アルルが可愛いといわれたそうで、またまた上機嫌。意地悪ばあさんやじいさんの毒気を、世の中の小さな魂たちが消毒してくれるのです。ありがとう。

▲ 忘年会会えて嬉しい諸先輩

2018年11月26日~12月2日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1126・月・ペンの日・いい風呂の日・

 1974年の今日、田中角栄総理大臣が辞意を表明した。金脈問題による政局混乱に対する道義的責任がその理由とされていた。ということで田中角栄で思い出せる話です。
 1972年、オイラが初めてヨーロッパに出発した直後の7月7日が田中角栄総理大臣就任の日だった。けれど、初めての欧州放浪旅行中のオイラに、田中角栄が総理になろうと、ゾウリムシになろうと、そんなこたぁ、オイラの知ったことじゃない。けれど、ロンドンからネス湖までヒッチハイクで旅したり、リバプール駅でジョンレノンの声帯模写でロンドンまでの切符を買ったり、憧れのパリの路上射的場で生まれて初めてルガーP08なんかの本物のピストルによる実弾射撃を体験した後、欧州大陸間急行、TEEでパリからジュネーブへ移動し、ユングフラウヨッホを擁するグリンデルワルドのホテルのカフェバーのテレビで田中角栄の姿が大写しにされているのを見て、ああ、この人が我が国の今の総理大臣なんだな、と改めて田中角栄という人物を認識させてもらったのである。そして忘れられないのが、カフェバーの専属ピアニストがそんなオイラのために彼の知っている日本の曲を次から次へと演奏してくれたことである。
 このホテルでは女性で初めて世界三大北壁を征服したアルピニスト、今井通子(いまいみちこ)さんが滞在しておられて、その昼間、一緒にお茶をするという名誉をいただいたし、ユングフラウヨッホを終点とする山岳登山電車の中で詩人で絵本作家、女優岸田今日子さんの実姉、岸田衿子さんに偶然に初お目見えして同じ絵本作家として意気投合し、それ以来、失明後も長くお付き合いを許されるという幸運にも恵まれた日で気分がよく、これら出来事と田中角栄総理就任は不思議にもめでたく結びついているのである。
 やがてその年、田中角栄は日中国交正常化を果たし、中国における英雄となっていくわけだが、この政治的判断にもボクは拍手を送っていた。ところが突然のロッキード事件である。金権政治問題である。途端にマスコミも世論も田中角栄に対して態度を硬化させた。オイラもえらく腹を立てていた。ところが田中角栄に有罪判決が下り、ご本人がお亡くなりになってから久しい今となって、田中角栄についての評価に方向変換が成されるようになってきた。石原慎太郎の著書「天才・田中角栄」も読みごたえがあったし、現在も週刊文春に連載中、真山仁(まやまじん)氏による巨弾ノンフィクション「ロッキード・角栄はなぜ葬られたのかを興味深く拝読しているところである。出来事から遠く離れてみないと、人はなかなか冷静に物事を判断しないものなのかもしれない。そういう意味ではこの自分も、過去を振り返って顔の赤らむことばかりである。大いに反省したいものです。

 今年は愛犬アルルの肺癌騒ぎで、生きた心地もしない半年間だったけど、アルルにその片肺除去というヘビーなオペに耐えられる体力をつけてもらおうと、コボちゃんはときどきアルルにステーキを焼いて食べさせていたし、今も食べさせている。というわけで、週末もコボちゃんはアルルのためにステーキを焼いていた。すると、アルルだけでなく、猫のミミコも、人間のオイラもステーキの出来上がりにわくわくする。コボちゃんがキッチンに立ってフライパンに牛肉を投じると、その音と匂いに誘われて、猫のミミコもオイラもキッチンに駆けつけることになる。コボちゃんの足元にはアルルと猫のミミコが仲良く並び、コボちゃんを見あげるだけでなく、猫のミミコなんか、ニャーニャーと声を発してやかましくてしょうがない。あんまりミミコが鳴くものだから、とうとうアルルはミミコのために焼いているのだと誤解して、コボちゃんの足元でくるりと方向転換、立ち去ってしまう。アメリカンステーキとかオーストラリアンステーキとか、決してお高いステーキじゃないけれど、こうして肉の塊を中心に犬と猫と人間のオイラのドラマが繰り広げられていくのである。ちゃんちゃん。

▲ 犬と猫ステーキ食って冬籠り


1127・火・

 1959年、昭和34年の今日、日米安保改定阻止を掲げたデモ隊、およそ2万7千人が二度にわたって国会構内に突入した。国会史上初めての騒乱となり、警官隊とデモ隊、合わせて300人以上が負傷した。当時、オイラは永田町小学校の5年生で、あの初冬は伊勢湾台風の爪痕に心を痛めていた頃だった。目と鼻の先でそんな大事件が勃発してるなんて、あんまり意識をしてなかったけど、本格的に安保反対運動が気になり始めたのはその翌年、オイラが6年生になって、教室が屋上よりも高い部屋に移されてからだったと思う。なんせ、全学連のデモ行進が連日のように目の下を通過していくのである。となれば、学生たちのシュプレヒコール、
「安保反対、岸信介、辞めろ」
が耳について離れなくなる。というわけでデモ行進にすっかり洗脳されたオイラは、それ以来反権力が全細胞に染みついて、現在の安倍政権嫌いも、その当時からのDNAなのである。ま、あの人のことが嫌いというのは、ほとんど人間としての生理的反応なんだと思うけどね。そういう人たちには、ぜひとも選挙は棄権なさらないでいただきたい。

 東京の日の出は6時28分、日の入りは16時29分。どんどん昼間が短くなります。そして来月になれば、あっという間の冬至。そしたらまたお日様が復活するのです。

 もしかして大阪方面は2025年の大阪万博で盛り上がってるのかもしれないけれど、今度も1970年万博みたいにうまくいくのかしら。喜んでるのはカジノで稼ぎたい外国資本だけじゃないのかしら。とにかくオイラは南海トラフで予想される巨大地震のことが気になって仕方ないのです。だってこの万博、埋め立て地でやるんでしょ。でっかい津波がやってきたら、火ともパビリオンも、みんな流されちゃうんじゃないかしらね。ついでにカジノも流されちゃえ。

 狭い上にオンボロな仕事部屋で、傍らの愛犬と愛猫、アルルとミミコの存在を感じながら、彼らをモデルにした童話「秘密のブルブル飛行猫」の執筆に集中している。実はこの童話、毎日新聞大阪版に3回に分けて連載したもので、本当は推敲と表現しなければならないところなんだけど、ますます没頭してきて、筆を加えるというより、まるで新しい作品を書き進めているような気分になってきた。最初は軽く加筆修正と思っていたのが、いつの間にかの大仕事になってしまったのだ。ま、この時期にこの作品を単行本にすることを決心したのはアルルの肺癌が切っ掛けであることに間違いはないのだけれど、これを書いているこの瞬間、何よりも嬉しいのはモデルのアルルとミミコが元気でいてくれることである。

▲ ドアノブに下げた焼き芋置き土産


1128・水・税関記念日・

 朝から外出である。おかげさまで温かい。あと少しで師走なんて、嘘みたい。代々木の山下医院で副甲状腺のエコー検査を終えると、一度帰宅して、今度はアルルを連れて川崎の日本動物高度医療センターへ。高木先生による定期健診である。アルル、高木先生にリードを取られると、いそいそとついていく。オイラは4階の待合室で待望のシーフードカップヌードルで遅いランチ。コボちゃんと待っている間にアルルのレントゲン検査も血液検査も終了。結果、アルルの健康状態は良好ということで、そのアルルが表紙になったり、女の子なのにキャプテンアルルとして登場する来年のカレンダーを高木先制に受け取っていただいた。
 赤堤に戻ったら透析まで時間がある。そこで面倒だから家に帰らずいつもの駐車場で午後の太陽光線を浴びながらジョンウィンダムの「トリフィド時代」に耽溺する。で、透析が始まっても夢中で読み続けることになる。その昔、この小説を映画化した『人類SOS』が面白くて、何度も観ていたのだが、全体の統一感がなくて、もっとこの作品を理解したいと長年にわたって気になっていたところ、とうとうサピエ図書館にその原作がアップされたのだ。ジョンウィンダムの作品はこれまでも愛読してきたが、『トリフィド時代』は彼の出世作。かなり深刻なる人類滅亡物語なのに、申し訳ない。何故かわくわくして読んでしまうのだ。ちなみにトリフィドというのは食人植物のことである。

 透析から戻ると国際ジャーナリスト、及川健二君から以下のようなメールが届いていた。

勝谷誠彦(かつやまさひこ)さんが亡くなりました。57歳でした。
お酒を飲み過ぎたみたいですね。

 ショックだった。勝谷(かつや)さんには彼のテレビ番組で取材を受けたことがある。美人アシスタントをはじめ、数人の撮影クルーを引き連れて我が家を取材してくれたのだ。ボクは彼の目の前で彼のリクエストに従い、ダックスフンドと歩くバニーガール姿の美人アシスタントのイメージ画を描いたのである。お互い、ザックバラン気質ということで意気投合し、それ以来、様々な場面で挨拶をすることになる。もちろん彼の出演するラジオにはいつも傾聴していた。及川健二君ともジャーナリスト仲間ということで、彼のパーティーでもご一緒したことがある。そういうとき、勝谷さんは必ず飛んできてくださり、丁寧に挨拶をしてくださった。いつでもどんな場面でも尊敬できる正義漢だった。心よりご冥福をお祈りする。

▲ 菊いちりん小春日和の訃報かな


1129・木・

 1947年の今日、パレスチナをアラブとユダヤのふたつの国家に分割し、聖地エルサレムを国際管理とする案が国連総会で採択された。それ以来、トラブルは多発しても、イスラエルとパレスチナはお互いの聖地を挟んでそれなりのガマンでやってきたのを、ここんとこのトランプの鶴の一声ならず、アホウドリの一声で卓袱台返しされてしまった。トランプは自分の周囲5メートルのことしか目に入らないし、おまけに人の話は聞かない、本は一切目にしないので、自分の決断の未来がまるで見えていない。自らの馬鹿を知らない馬鹿ほどコワイものはないのである。本当にこの人に核ミサイルの発射ボタンを預けておいといていいものだろうか。どうか、あの人のツイッターと一緒に、ぜひとも取り上げていただきたいものである。

 ほんじつはどこにもいく予定なしということで、童話「秘密のブルブル・飛行猫』のリライトに専念する。無責任かもしれないが、年単位の時間が経過すると、自分の作品でも修正したい箇所がいくらでも出てきて、どれだけ集中しても時間が足りなくなってしまうのだ。ただ、ありがたいのは、忘れていただけに、自分の作品を楽しめることである。

▲ 冬の空遠いサイレン気にかかる


1130・金・下弦・

 1963年、昭和38年のこの日、新宿駅西口と荻窪の間を走る都電杉並線の運転が最後となった。廃線の理由は自動車の増加と地下鉄開通による利用者の減少ということで、杉並線が撤去される都電の第一号となったわけだが、オイラは残念で仕方がない。自動車を運転しない人間にとって、都電で都会を走り回るということは、道を覚える最短の手段であったのだ。道だけじゃない。あの街のどの交差点に何の店があって、その界隈がどんな顔をしているか、移動するだけでデータ収集が可能だったのだ。そもそも路面電車だから時間の無駄がない。地下鉄なんて、いくらエレベーターやエスカレーターを完備しても、時間の無駄に変わりはない。そこでボクが興味をそそられるのが最近話題のLRTやスマートレールである。線路がなくても走れるならば、それ以上に魅力的なこともない。どうかもう一度、この東京を隅から隅まで変幻自在、自由に走り回る小さな電車の時代が再来することを心から祈るのである。そうなってくれれば、繰り返し繰り返し都電に乗る夢を見ることもなくなるような気がするのである。

 39年ぶりに木枯らし一号の発表がないということです。今日までに木枯らしが吹かなければ、今年は木枯らしなしの年となるらしいのです。となると暖冬なのか、それとも寒い冬となるのか、そのあたりは微妙と聞いてます。木枯らしが吹かないということは北極圏内に冷気が蓄積されるということで、たとえ師走が温かくても、年が明けて豪雪という事態もあり得るわけで、ここは油断ができません。ま、都会の人間としては、どうか交通マヒを引き起こす大雪だけは勘弁していただきたく、そこは冬将軍様、よろしくおねげえ、いたしますだ。

▲ 木枯らしやせめて一声鳴いとくれ


◆ 12月・師走・
1201・土・鉄の記念日・映画の日・世界エイズデイ・歳末助け合い運動・

 1873年、明治6年の今日、郵便葉書が発行されたとのこと。また1949年、昭和24年の今日、お年玉つき年賀葉書が初めて発行されたとも聞いている。師走の最初の日というのは、何か発行するのに都合がいいのかもしれないね。葉書だけじゃない。1958年、昭和33年の今日、初めて1万円札がお目見えした。それまでのお札は100円札と500円札、そして5千円札に加えての発行だった。図柄は聖徳太子で、1万円札の代名詞は長く聖徳太子とされていた。このお札、とても貫禄があって、お札まで何だか重たいような気がしてた。幼い頃の十円札なんて、お金という感じがしなかったもんね。
 一万円札というと、初めての欧州放浪のとき、懐に入れておいたこの1枚のお札が、旅の最後まで心のお守りになってくれた。不思議なもので、それさえあれば、何でもできるような気がしたものだった。今は我らが福沢諭吉先制が一万円の代名詞とされているが、あの頃から考えると、ずいぶん軽くなったよね。ま、幼年時代の十円札ほどではありませんけど。

 いよいよ師走です。平成最後の師走です。平成も今年も始まったら終わるのが決まりです。では、師走の始まり、毎月恒例、日の出、日の入りの時刻です。
 札幌の日の出は6時46分、日の入りは16時1分。仙台の日の出は6時34分、日の入りは16時17分。東京の日の出は6時32分、日の入りは16時28分。大阪の日の出は6時46分、日の入りは16時47分。福岡の日の出は7時4分、日の入りは17時10分、ということです。あああ、とうとう今年も終わっちゃうよぉ。

 サピエ図書館に2019年度版『声のカレンダー』があっぷされたので、それを参考に来年度のスケジュール表を制作しています。日の出や日没、月の満ち欠け、行事や祝日と、あれこれ書き込んでいきます。そして、お世話になった方々のご命日も。その人のご命日を決して忘れないようにと、丁寧に書き込んでいきます。師走になれば毎年の恒例になっていますが、今年も書き込むご命日が増えてしまったようです。心からご冥福をお祈りいたします。お世話になりました。

▲ 早いですこちら今年も師走です

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございます。22番、平等寺を仮想参拝、通過しました。
次は23番、薬王寺。あと42,347歩です。
現在の歩数、362,653歩。三度目の正直嘘つき徘徊です。


1202・日・

 本日は日本人宇宙飛行記念日です。1990年の今日、TBS記者、秋山豊寛氏を乗せたソユーズ11号が打ち上げられたからです。その当時、ボクは全盲イラストレーターとして世の中に出たばっかりで、そんなボクを、その後、親友となっていくTBSアナウンサー、下村健一氏が何度も取材してくれていて、ある夜、ふたりで寿司屋のカウンターに並んで寿司をつまんでいたら、店のラジオが宇宙からTBS記者が戻ってくると伝えている。で、同じTBSだから当然その話になるわけで、そうしたら下村氏が、もしも自分に耳鼻科的不都合さえなければ、秋山さんじゃなくって、自分が宇宙を飛んでいたのかもしれないというエピソードを披露してくれたのである。彼は最終選考でそいつが原因で落とされてしまったのだ。ということで、この記念日のことは死ぬまで忘れないことになっているのです

 NHKラジオ第2の「朗読の時間」が刺激となり、山本周五郎の短編集、「艶書」を読んでみる。するとやっぱり面白くて、以前からの山本周五郎ファンがますます猛烈ファンとなり、今度は作品「日々平安」をサピエ図書館から探り当て、何しろ単行本の表題となってないので、いちいちの目次から見つけるのは大変なんです、これも読破する。実はこの作品、黒沢映画「椿三十郎」の原作で、以前から読んでみたいと思っていたのだ。すると今度は映画が見たくなる。意外なことに、原作は浪人が偶然に出会った両家の息子を利用して職にあずかろうとするもので、原作には剣の達人、桑畑三十郎や椿三十郎というような強いおっさんは一切出てこない。黒沢明はただでさえ味わい深い原作を派手なチャンバラシーンを加えることで、誰にでも納得できる大衆娯楽作品に仕上げていたのである。となれば、「赤ひげ」はどうなのだ。ということで、またまたサピエ図書館から山本周五郎「赤ひげ診療譚」をダウンロード。これからじっくり、映画と比較しながら拝読するところです。

▲ 商店街師走たちまちクリスマス


2018年11月19日~25日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1119・月・農協法公布記念日・鉄道電化の日・

 1956年、昭和31年の今日、東海道線の全線が電化されたおかげで、東京大阪間が特急で7時間半で結ばれた。ということは、それまでの特急つばめは蒸気機関車C-62が引っ張っていたということだと思う。だったら、何時間かかっても、ボクはやっぱり蒸気機関車に引っ張ってもらいたかったな。

 長野県上田市における無言館提供 エム ナマエ ミニ展覧会のお知らせをホームページの管理人、絵夢助人(えむすけびと)さんに送信する。

ぼくらの銀行、ぼくらの美術館
第18回 
全盲の画家 エムナマエ展
場所:八十二銀行 塩田支店ロビー
   長野県上田市本郷590?1
日にち:11月26日(月)~12月7日(金)
主催:八十二銀行塩田支店
協力:信濃デッサン館/無言館

 ニッサンのカルロスゴーン会長が逮捕された。もともと好きなおっさんじゃなかったけど、蓋をあければやりたい放題の悪玉さんだったんじゃないのさ。お金だけじゃなく、ニッサンの技術をルノーに移転させたり。知らない間にルノーの性能がニッサンを上回っていたとは事情通から聞くまで、オイラはまるで知らなかったな。ま、オイラはフランスもルノーも嫌いじゃなくて、シャンゼリゼのルノー経営の喫茶店なんか、店内がずらい並んだルノーの運転席みたいで、いつもコーヒー一杯で時間を稼ぎ、ニッポンへの手紙なんか書いていたよな。ま、それとニッサンとゴーンとは、何の関係もないけどね。

▲ 首にしたやつのサラリー俺のもの

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございました。
おかげさまで20番、鶴林寺を仮想参拝、通過することができました。次は21番、太龍寺。あと18,042歩です。
現在の歩数、306,158歩。三度目のバーチャルなお参りです。


1120・火・世界子どもの日・

 1936年、昭和11年の今日というと、真珠湾攻撃のほぼ5年前の出来事である。その日、秋田県の尾去沢鉱山で、金銀銅や錫などの金属精錬の滓を貯めていた、高さ60メートルの鉱滓ダムが決壊した。降雨により、鉱滓は泥流となり下流の住宅を押し流し、374人が死亡した。今なら振り返って考察することも可能であるが、戦争の準備のため、無計画な発掘が原因となったことは明らかだと思う。当時の憲法は個人が国のための犠牲になることを防いではくれなかったのだ。じゃ、今が大丈夫かというと、それも安心できないんだけどね。ま、用心深く国のやることを見守っていきましょうよ。

 札幌から初雪の知らせが届いた。観測史上最も遅い初雪であるらしい。平年より23日遅く、128年前の明治23年と並んで観測史上、最も遅い初雪の観測であるらしい。ま、ボクとしては、このまま温かい冬であってくれればいいと願っていたのだけれど、冬の神様は、やっぱり冬の方針は変えないおつもりなのだろう。

 九州場所、あんまり盛り上がってはいないようです。けど、貴景勝、滅茶苦茶に強いです。親方をいじめてくれた相撲協会への怒りがあの人を強くしているのです。このまま優勝して、貴乃花一門の意地を見せてもらいたいので、最後まで応援するつもりです。

▲ はっけよい親方見てよ強いでしょ


1121・水・

 NHK「マイあさラジオ」でも「今日は何の日」で触れているが、本日は立川談志師匠のご命日である。75歳だった。NHK「マイあさラジオ」では風変りだったとか、型破りだったとか紹介されているが、それは表面だけのこと。実はシャイで心優しい人で、ボクはあんなに優しい人を他に知らない。実はここんとこ、談志師匠の落語CDばかり聴いている。やはり聴けば聴くほど名人の芸であり、風格だと思う。人の心を捕えて放さないものがあるのだ。人はそれを「花」と呼ぶが、ボクはそれが他者への愛と優しさだと知っている。本当はとても熱いお人柄だったのだ。ま、わかんない人には永久にわかんないんだけどね。

 汗をかくくらいの上天気である。慶應義塾病院で心臓のエコー検査を終えると今度は麻布のおくつクリニック。定期健診である。でも、その前に腹ごしらえ。地下鉄乗換の恵比寿の駅ビルのチャイニーズレストランでしっかりランチをして、それから恵比寿駅前のマクドナルドで時間調整のためのコーヒータイム。で、二階にあがろうとしたら混雑していて階段しかない。困っていたら、よく気の利くウェイトレスさんがいて、ボクらのコーヒーを抱えて、外部のエレベーターまで誘導してくれる。こんなこと、マクドナルドでは初めて。ぜひとも表彰状を差し上げたい。

 手根管症候群内視鏡手術の世界的権威、おくつ先生に右手の手根管症候群のオペをお願いする。3年前の左手のオペも大成功。ほとんど死にかけていた左手の感覚が完全に復活していて、その完全復活を右手にも期待しているのだ。実は1年前から右手の痺れも頻繁になり、蚊に刺されたわけでもないのに妙に痒かったり、突然痛みが走ったりして、キーボードに対して30分も指を動かしていると右手から先がどこかへ飛んでいってしまうような気がしてたのだ。ということで、来年すぐのオペである。おそらく、先生は、
「見えない目で、どうやって絵を描くの?」
てなことをお尋ねになりながら、ちょいちょいちょいと内視鏡の先からオペレーションするのである。傷口はたったの1センチ。左手の傷口は、もう誰が見てもわかりません。

 透析からの帰り道、駐車場でアウトバックを降りた途端、ポツンときた。雨だ。あんなに晴れていたのに、である。けれどもこれが予報通り。雨の爆撃に撃たれながら、パジャマ姿で小走りで帰宅。温かいと油断して、着替えをサボってしまったのだ。とほほ。

▲ 外れたらいいのにやはり時雨かな


1122・木・小雪・

 ここのところ毎日、ゴーンのニュースばかりでつまんない。どんどん出てくるゴーンのずる賢さ。どれだけもらえば気が済むのか。お釈迦様は悪魔の誘惑に対して、人の欲望はエベレストを金塊に換えても満足はしないと応えたらしいが、ゴーンの姿はその証明であるといえるだろう。
 さて、長年にわたって小学館のドル箱だった学年誌の元編集長、立山誠浩さんはオイラの大の仲良し。ときどき仲間の近況報告を配信してくださり、エム ナマエもずいぶんお世話になっているのだが、そのお知らせメールの冒頭がいつもお洒落で愉快なコラム。必ず笑わせてくれるのだ。で、今回も爆笑ものだったので、立山さんにお許しをいただき、ここに転載させていただきます。

 ローマの政治家・シーザー(前100頃~前44)は無類の珈琲好きであった。
 とりわけ、ブルーマウンテン(通称ブルマン)に目がなかった。
 ローマの全権を掌握した前44年以降、シーザーはローマに持ち込まれるブルマンをすべてわがものにした。
 旧友で腹心のブルータス(前85~前43)も、無類の珈琲好きであった。
 前44年、シーザー邸を訪れたブルータスは、これまでの友誼に訴えて、一杯のブルマンを所望した。
 シーザーは、無言で杯をふたつ用意し、ひとつにはブルマンを、もうひとつには別の珈琲を注いだ。
 ブルマンの杯を持ったシーザーは、
「いいか、最高軍司令官であり終身独裁官である私は、ブルマン」
 そして、別の珈琲が入ったもうひとつの杯を突き付けて、
「ブルータス、お前、モカ」
 元老院登院途上でシーザーが暗殺されたのは、この出来事の直後であった。
 暗殺団のなかにブルータスの姿を認めたシーザーは、一杯のブルマンをケチったことを大いに後悔したが、時すでに遅し。
いまわの瞬間、彼の口から洩れたのは、非業の最期を引き寄せた自らの失言であった。
いかに辣腕の傑物も、権力を独占すると腐敗するという、ありがた~い教訓である。
判ったか? カルロス・ゴーン。

 午後7時開演、劇団「娯楽天国」の芝居にいく。もちろんコボちゃんのエスコートである。下北沢駅前劇場で娯楽天国30回記念公演「お父さんの休日」である。
 下北沢の駅も駅前もずいぶん様子が変わり、駅前劇場が見つからずにうろうろする。そしたら娯楽のスタッフがボクらを見つけ、エスコートしてくれた。それでも遅刻。座席は舞台の真ん前で、舞台に顎を乗せられそうな近さだから恥ずかしいったらありゃしない。でも笑った。この芝居、今回は再演で、筋書きは知っているけど、やはりポイントで笑わせられる。以前も確か、下北沢の劇場だったよね。若い女優の金金声で耳が痛くなったけど、ベテラン女優の演技にほろり。拍手喝采のカーテンコール。芝居が終わったら看板女優のマロこと高畠和子さんがそっと一言、
「ありがとう」
と囁いた。こちらこそ、いつもありがとう。いつかまた、脚本をやらせてね。

 帰り道、ぐんぐん気温が下がってくる。坐骨神経痛も出てくる。だから、オリジンのお見せの中がやけに温かい。おかずバージョンの肉野菜炒めのダブルサイズをほかほか抱えて帰宅して、それを肴に娯楽天国30周年に祝杯したのです。おめでとう。長い付き合いだよね。

 オイラがベッドにあがると、それまで羽根布団の上で丸くなってたミミコが、待ってましたとばかりにオイラにしがみつく。ありがとう。オイラも待っていたのです。お互い、生きた湯たんぽになろうよね。今夜もとっても寒いのです。

▲ 飼い猫としがみつき合う冬布団


1123・金・勤労感謝の日・満月・

 NHKラジオ「昼の憩い」でピアノマンの佐山雅弘(さやままさひろ)さんの音楽がかかっている。11月14日に64歳で亡くなられていたのである。そしてポンタボックスの音楽もかかっている。佐山雅弘さん、ポンタボックスのメンバーでもあったのだ。そんなこともつゆ知らず、オイラは佐山さんとも村上ポンタさんともお付き合いさせていただいたのである。佐山さんと初めてお会いしたのはおおたか静流さんとコラボされたとき。オイラとも楽しく会話が弾んで、ピアノの隣に座っていたオイラとコボちゃんのために、ガーシュインのラプソディーインブルーを全曲弾いてくださったのである。もちろん無料である。傍らには盲導犬アリーナ。それからは佐山さんのコンサートには可能な限り出かけていくようにしていたけれど、最近はずいぶんご無沙汰で、この訃報はショックだった。音楽をこよなく愛したジャズマンで、オイラは心から尊敬していたのである。村上ポンタさんはある時期、長谷川きよしさんと積極的にコラボしていた時期があって、その頃の顔見知りである。けれど誰にでもなつく盲導犬アリーナがポンタさんにだけは決して近寄ろうとはしなかった。ポンタさん、独特の雰囲気があったけど、特に犬に対するバリヤーを張っていたのかもしれない。それにしても佐山さんがポンタさんのユニットにおられたとは、オイラはジャズにはまったくの無知、いや、ジャズだから、音痴なのかもしれない。素敵なジャズマンだった佐山雅弘さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 今夜は満月である。そして、それを狙ったわけではないが、今夜は絵門組の望年会である。毎年恒例、寿矢の掘り炬燵ルームにおける望年会である。女優、絵門ゆう子さんが亡くなられて12年。今年もゆかりのメンバーが集まっての望年会である。絵門さんの朗読インストラクター、日本一の朗読家、軽井沢朗読館館長の青木裕子さん。絵門さんの元マネージャー、秋山佳江さん。絵門さんの絵本「うさぎのユック」のイラストレーター、山中翔之郎さん。そして絵門さんのご亭主、三門健一郎さん。そしてオイラ、というメンバーである。いつもだったらこの顔ぶれに絵門さんの元税理士の望月税理士が加わるのだが、今夜は関係者にご不幸があり、心ならずも不参加なのである。
 で、以下はその望月税理士からのメールである。もちろんお許しをいただいての転載である。ちなみに望月税理士は希代の日食フリークで、皆既日食とあらば、東西南北、表裏、地球であらばどこにだって飛んでいく人物であるのです。

 ところで、昨夜は綺麗な月夜でした。日食仲間から、以下の様なメールが届きましたので、雑学としてお知らせしますね。(昨日のメールです)
 明日は満月。
 満月の瞬間は明日14:38ですが、より真ん丸に近いのは今夜から明朝にかけてのお月様になりますかね?
 さて、突然ですが…
 「この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」
 平安時代に、藤原道長が自身の隆盛を満月になぞらえて詠んだとして知られる「望月(もちづき)の歌」ですが、藤原実資(さねすけ)が書いた1018年10月16日の日記の中に、この日に詠まれたものだという記述が残っているそうです。
 これを新暦にすると11月の満月のことになり、今夜のお月様は、道長が詠んだ望月からちょうど千年後の満月になるとのこと!
 千年の時空を超えて、平安の栄華に思いを馳せるか…
 それとも、 満ちた月はいつかは欠けてゆくもの
 …としみじみ眺めるか。
 っていう話です。話のネタにして下さい。

ということで、体型だけが満月になっていく…望月1号でした。

 絵門組望年会は清く正しく盛り上がり、その望月税理士からのメールを心に抱きながら、みんなで件(くだん)の満月を振り仰ぎ、経堂駅でお開きとなるのでした。

▲ 寒月を仰いで契るまた来年

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございます。
おかげさまで21番、太龍寺を仮想参拝、通過しました。
次は22番、平等寺。あと37,069歩です。現在の歩数、324,531歩。
3周目のバーチャルです。


1124・土・東京天文台設置記念日・

 本日は早い午後の変更透析である。昨日の予定の透析を今日の午後に変更して、絵門組の望年会に参加したのです。
 さて、中途半端な時間帯なので、久米宏さんの「ラジオなんですけど」を最初から最後まで聴くことがならず、途中でラジオから離れなきゃならない。ということでせめて透析中は大相撲に傾聴し、余った時間を音声解説つきのDVD版「半沢直樹」のテレビシリーズに回そうと考えてた。けど、透析室では大相撲中継のラジオの電波が鉄筋コンクリートに邪魔されて雑音がひどい。おかげでレースのカーテン越しに見る相撲みたいで、やたら集中力を消耗させられた。おそらくそのせいだと思う。いつもだったら除水中にどんどん低くなる血圧が、下がるどころか上昇してきて、透析終了後の血圧があきれるほどに高くて途方に暮れた。帰宅してもまだ高いので、そこで秘密兵器の深呼吸。しばらく心を落ち着けていたら、いつもの値に下がってくれて一安心。呼吸は大切です。これはオイラの考えだけど、呼吸ひとつで治る病気はいくらでもありそうです。それにしても雑音と健康の関係は見過ごせません。音響環境には細心の注意を払いたいと思います。

▲ 繰り下げで中途半端な冬の夜


1125・日・

 1890年、明治23年の今日、日本で最初の議会、第一階帝国議会が招集された。当時は貴族院と衆議院の二院制で内閣総理大臣が山形有朋だった。この4日後に開院式が行われたということである。明治23年というと、キリンレモンの発案者、オイラの最初の奥様の祖父がお生まれになった年で、ボクの時代的指針、というか、時代観の物差しとなっている。ちなみにオイラは昭和23年の生まれである。

 1947年というとオイラが生まれる前の年だけど、その年の今日、第一階の共同募金運動が始まった。全国規模での展開はこれが初めてで1か月で当時の6億円、今の金額にしておよそ1500億円という巨額が寄せられた。このムーブメント、翌年から赤い羽根共同募金となるわけだが、これらのお金、巨額なだけに、その使い道が気になって仕方がないのです。本当に大丈夫なのかなぁ。

 大相撲九州場所は貴景勝の初優勝で幕が閉じられた。これ、相撲協会への怒りの優勝だとボクは思ってる。貴景勝の一直線な相撲に怒りのようなエネルギーを感じてしまったのだ。その初日に黒星をつけた相手、稀勢の里のこれからがきになる。ひとり横綱を意識した瞬間に相撲に勝てなくなるくらいのガラスのハートだったら、今後の横綱はもう無理かもしれませんね。それよりも新しい力士たちのため、道を開けることを考えた方がよさそうです。ボクは今場所の新十両、友風(ともかぜ)が気になってます。この新十両、関取になっても尊敬する先輩力士、嘉風(よしかぜ)の付き人を喜んで務めている、という好男子。相撲っぷりもまっすぐで、とうとう今場所は新十両で十両優勝を成し遂げた。来年から、この力士、友風勇太(ともかぜゆうた)。尾車部屋で出身地は川崎。ボクは熱烈応援していくつもりです。みんなもどうぞ、応援してあげてね。

▲ 湯豆腐や新十両をめてたがる

2018年11月12日~18日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1112・月・

 NHK「マイあさラジオ」によると、今日は洋服記念日なんだそうです。1872年、明治5年の旧暦の11月12日、政府の高官が着用する礼服は洋服とするとの太政官布告例が発令されたということで、これにちなんで東京都洋服商工共同組合が昭和4年に制定した、ということですが、本当にいろんな記念日があるものですよね。

 1948年、昭和23年の今日、東京裁判で太平洋戦争のA級戦犯25人の被告に有罪判決が下された。東条英機元総理大臣ら7人に絞首刑、16人に終身刑、2人に禁固刑が言い渡された。このとき、アベちゃんのおじいちゃんはどんな刑を言い渡されたんだっけ。調べてみたら見えてくるものがあるはず。それとも記録から削除されてしまってるかもしれないね。わかんないけど。

 無言館の館主、窪島誠一郎先生から電話があって、ラジオ深夜便アーカイブスを聴いてくださった、ということです。深夜に自分と同じようなインチキ野郎が怪気炎を飛ばしているとおっしゃる。ということは、どうやらオイラのしゃべくりは、窪島先生には好評のようでした。あはは。

 昼間、集中して机に向かい過ぎたせいか、透析中はしんどかった。あんまり真面目じゃいけません。リラックスして適当に。日本一の無責任男、スーダラ節の植木等方式が理想なのかもしれません。とはいえ、植木等とか加藤茶とか、あの方たちの真面目さは、映画撮影現場で目撃したオイラがいつでも証人になってあげます。

▲ あの蜻蛉今はどうしているだろう


1113・火・

 1981年、昭和56年の今日、沖縄本島北部で新種の鳥、ヤンバルクイナが発見されたことが明らかになった。この鳥、山原(やんばる)地域だけに棲息するクイナ科の野鳥で、飛ぶことができず、後に国の天然記念物に指定されていく。飛ぶことのできない鳥というと、駝鳥やエミュー、もしくはキーウィなんかがイメージされるけど、実はオイラ、ヤンバルクイナって鳥のことはよく知らないのです。ま、1981年まで発見されなかったんだから、要するに目立たない鳥、ということでしょう。で、話しは相変わらずの我田引水なんですけど、学生時代に渋谷東横デパートの屋上動物園で飼育されていたエミューと仲良くしてもらっていて、このエミュー、ボクを見つけると歩き寄ってきて、何かくれと睫毛バチバチの大きな目玉でオイラにウィンクするのです。可愛かったな。で、オイラが初めて英国にいったとき、オイラのペンネームを紙に書くと、英国人はエミューと発音してました。それ以来、エミューとは親戚みたいな気がしてます。あはは。

 夜、朝からお出かけだったコボちゃんがオリジンの肉野菜炒め・おかずバージョン・ダブルサイズをお土産に戻ってきた。本日は看護学校仲良し三人組の秋の恒例、日帰りツアーだったのだ。で、メンバーはこの日のプランに毎年脳西郷を酷使している。で、今年のプランナーはコボちゃん。クルマを出すのもドライバーもコボちゃん。そして結局の結論は、犬猫ともども、エム ナマエファミリーが通い慣れた軽井沢で、みんなでお食事ということになったらしい。軽井沢との往復だったら、お手の物。送り出すボクだって安心していられる。ボクらの北軽井沢と違って旧軽井沢は歴史の宝庫。三人組はレンタサイクルで走り回る。旧三笠ホテルは歴史的建造物。国の重要文化財、ということになっている。ネットによれば、三笠ホテルという名称は、敷地前方の愛宕山が奈良県の三笠山に似ていることから、有島生馬、里見弴、山本直光によってつけられたらしいのだ。おお、歴史的。でも、歴史の1ページを飾る三笠ホテルよりも、ボクはジョンとヨーコの愛したという。万平ホテルに興味がある。実はボク、その昔、この喫茶店のチーフとジョンレノンミュージアム公式追悼コンサートでビートルズナンバーを歌ったことがあったのだ。で、コボちゃんはそこでジョンレノンが好きだったというアップルパイを食したらしいのだ。ボクも好物のアップルパイ。で、コボちゃんがボクのためにテイクアウトをお願いしたら、宿泊客じゃないからと、丁寧に断られたとか。残念。そこでアップルパイが肉野菜炒めに化けてしまった、という顛末なのである。ま、留守番のご褒美としては、ボクはどちらでもいいのです。

▲ 霜月や三笠万平軽井沢

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございます。
おかげさまで18番、恩山寺を仮想参拝、通過することができました。
次は19番、立江寺。あと8,272歩です。
現在の歩数、265,128歩。三度目の嘘の正直です。


1114・水・

 サピエ図書館にアクセスができない。ID番号が違うを繰り返すのだが、番号は間違ってはいない。そこで視覚障碍者のためのデジタルサポートユニット「ラビット」に電話して、いつもお世話になっている木下さんのサポートを受ける。あれこれの指示をいただき、無事開通。こういうとき音声出力はありがたい。こちらが指示通りにアクションしていることが電話でしっかり伝わるからである。というわけで、マイブックのプログラム更新が無事完了。ありがとうございました。

 外は快晴である。冬の日差しが部屋の奥まで差し込んできて、ポカポカと温かい。アルルとミミコはボクのベッドで大の字になって、いや、犬と猫だからDの字かEの字になって寝ている。アルルが大の字で、その頭のあたりにミミコが丸くなっていて、犬の字になってたら愉快なんだけどね。でも残念ながら、こっちの思うようにはなかなかならないのです。

 透析前に造影剤を使用したCT検査を受けました。つまり、それまでは禁飲禁食だったのでお腹がすいているのです。だから、透析が始まればコボちゃんの買ってきてくれたオリジンのカツカレーライスのおいしかったこと。透析ベッドの上で、揚げ立てほやほやトンカツのベッドになってるカレーライスを、ペロリと平らげたのでありました。ご馳走様。

▲ 犬と猫冬の陽浴びて丸くなる


1115・木・上弦・七五三・

 今日は昆布の日だという。子どもたちの健康を祝う七五三に栄養豊かな昆布を食べてもらおうと、日本昆布協会が定めたというのである。そしておまけに今日は着物の日でもあるという。和服を着る機会が多い七五三ということで、その日に着物の良さを知ってもらおうと全日本着物振興会が提唱したものであるそうな。七五三(しちごさん)、貢献してますなぁ。
 というわけで、昆布と七五三はとっても関係があるのです。子どもたちに栄養をつけ、元気になってもらおうという意図があるのです。昆布って、そんなに栄養があるのかと考えてみたら、みんなの大好きな雲丹は昆布の根元に棲息して、昆布をかじりながら暮らしているんです。ま、昆布とカツオは和食の根本。グルタミン酸とイノシン酸の関係で、これはイタリア料理のトマトとチーズの関係に当たるのです。

 またまた安倍晋三がわざわざシンガポールにまで出かけていって、プーチンとふたりだけの秘密会議をやらかしている。北の島を返してもらうという安倍晋三のお手柄のために税金を無駄使いさせて許されるものだろうか。安倍晋三が何を考えようとプーチンは日本という国家を島が質草のセブン銀行くらいにしか思っていないのである。いずれにせよ、温室育ちの安倍晋三が怪物プーチンと対等に闘えるはずがなく、我々国民は安倍晋三がプーチンと仲良しごっこをする度にハラハラドキドキするのである。

 オイラには見えないけれど、本日は文句のつけようのない快晴であるという。朝から晩までピッカピカの晴れだという。ということは放射冷却で地上の熱が奪われたということでしょう。聞けば、今朝の嬬恋地方はマイナス2.8度だったとか。北軽井沢スタジオの水道も凍ってしまったかもしれません。あのあたり、関東ではいちばん寒いエリアなのです。皆さん、どうしておられるでしょう。

 つい最近、ラジオでキャロルの曲を耳にしたような気がしていたが、今日もNHKラジオの「昼の憩い」でキャロルの曲がかかっていた。これがめっちゃ、カッコよくて心が踊った。思わず耳も心も奪われてしまった。これぞロックンロール、なのだ。今もオイラが欲しているロックンロール、なのだ。初めてキャロルを聴いたのは1972年の春だった。文春漫画賞のパーティーの二次会で赤塚不二夫さんにキャロルというすごいバンドがいるから聴いておけ、と命じられ、レコードショップに走ったのが切っ掛けだった。レコードジャケットから革ジャン姿の暴走族みたいな四人の若者がこっちを睨みつけている。とっても優良青少年とは思えないグループだが、レコードに針を落とせばリズム安堵ブルースでロックンロール。もうたまりません。たちまちノックダウンさせられてしまいました。それからのキャロル旋風はすごかった。ビートルズがリバプールのダウンタウンから生まれた奇跡も不思議だったが、キャロルみたいな連中が日本の風土から生まれた奇跡も驚異だった。今日の「昼の憩い」はそのことを思い出させてくれたのである。ありがとう、伝統のラジオプログラムよ。

▲ 昆布食べ和服着ている七五三

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース

ありがとうございます。
おかげさまで19番、立江寺を仮想参拝、通過しました。
次は20番、鶴林寺。あと30,293歩です。
現在の歩数、274,307歩。三度目のバーチャル徘徊です。


1116・金・

 NHK「マイあさラジオ」情報によると1876年、明治9年の今日、日本で初めての官立幼稚園が開園したらしいのだが、東京女子師範学校付属幼稚園には高級官僚の子どもなど、およそ50人が入園したとのこと。つまり、平民の子どもたちは相手にされていないのだ。でもな、家庭の経済的環境が子どもの教育に大いに影響するのは今も変わりがないと思う。

 1930年、昭和5年の今日、川崎市の紡績工場で、高さおよそ40メートルの煙突によじ登り、ストライキを応援する煙突男が登場した。男は労働争議が解決するまでの5日間、煙突の上に居座り続けたというけど、おしっこやうんこはどうしたんだろう。この事件、よく知られてはいるけれど、そのあたりのことはあんまり聞いたことがない。ネットで調べてもよくわからない。ただ、この煙突紳士、ひもじさのせいか、それとも寒かった影響か、もしくはおしっこやうんこを必要以上にガマンしたせいか、気の毒なことにあまり長生きはされなかったと聞いている。ご本人としては世の中の労働者に貢献したい一心で行動を起こしたのだろう。つまり、なかなかの人物なのである。ご冥福をお祈りする。

 夕方、コボちゃんが無言館へエム ナマエの額装作品を発送してくれた。お疲れ様。これで無事に長野県におけるエム ナマエのミニ展覧会が実現するのである。

▲ 部屋の奥届く日差しにかじけ猫


1117・土・将棋の日・

 今日は将棋の日であるとか。江戸時代、将棋好きの八代将軍徳川吉宗が毎年旧暦の11月17日に将軍の前で対局させる、いわゆるお城将棋が行われていたとされることから昭和50年、1975年に日本将棋連盟が定めたらしいのだ。で、ボクは将棋のことは皆目わからない。できます将棋は「回り将棋」と「はさみ将棋」、「お金将棋」と「軍人将棋」。それと、チェスならできるんだけどね。オイラ、漢字が苦手だからさ。

 1869年の今日、地中海と紅海を結ぶスエズ運河が開通した。着工から10年、全長165.2キロの運河の完成で、ロンドンからインドのボンベイ、今のムンバイまでの移動距離が半分近くに短縮されたという。そう。それまでは大変だったのだ。人はいつも明るい未来に向かって働き続けるのだ。ボクらも頑張らなくちゃね。

 東京の日の出は6時18分、日の入りは16時33分。これからどんどん日差しが部屋の奥まで入り込んでくるのです。

 やたらくしゃみが出る。外気温が下がってきたらしい。リビングでは換気のため、開けてある窓があるらしい。だとしたら暖房を入れても無駄。厚着をするしかない。でも、猫のミミコは厚着ができない。ということで、ひたすら膝に乗りたがってます。

 なんか、相撲が面白くありません。とっても残念です。

▲ 糖衣錠つまめぬ指の夜寒かな


1118・日・狩猟解禁・北海道以外・

 1950年、昭和25年の今日、旧国鉄の京都駅が全焼したとNHK「マイあさラジオ」が教えてくれた。当時の京都駅は1914年、大正3年に建てられた木造建築だったそうで、アイロンの電源の切り忘れが原因だったというから勿体ないことをしたもんだ。古都の京都のことだから、どんなに素敵な建物だったのか、鉄道ファンのオイラとしては、一度はこの目で見ておきたかったよな。京都駅というと、梅小路蒸気機関車館を思い出す。新幹線から見ていると、京都駅から大阪に向かってすぐ、右側の窓に梅小路機関区の転車台が見えてきて、その転車台を中心に整備したのが梅小路機関車館だった。目玉はC62の2号機で、特急つばめ号を牽引してきた日本最大級の旅客蒸気機関車だった。今は京都交通博物館とか呼ばれているらしい。きっとずいぶん変わってしまったのだろうね。会館当時の出版物コーナーにはエム ナマエの絵本「きかんしゃ」も展示してあって、鉄道ファンのオイラとしては名誉に思い、大感動をさせてもらったな。テキストは詩人の中野重治先生で出版は国土社だった。出版当時は中野重治先生はご存命で、オイラの拙い絵をとても喜んでくださったという。ありがたいことである。

 朝、遊歩道でチョンワガラスが鳴いている。しきりに何か話しかけてる。かと思うと、カカカと警告音を発している。相手は誰なのだろう。君さえよければ、ボクがいつでも相手をしてあげるのに。

 舟崎克彦(ふなざきよしひこ)氏の晩年の作品、「月光の小判」を読んでいる。人物は俗物だったけど、作品は素晴らしい。本当に素晴らしい。この印象は親しくお付き合いをしていた当時も、そして作者が亡くなられた今も変わらない。とはいえ、今のこのボクの作品へ対する尊敬の念を伝えられないのが残念でならない。これからサピエ図書館で見つけた「ぽっぺん先生帰らずの沼」を拝読するつもりである。出会った頃の気持ちに戻り、しっかりと精読させていただこう。

▲ 日向ぼこ小春日和の猫いいな


2018年11月5日~11日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1105・月・雑誌広告の日・津波防災の日・世界津波デイ・

 今日は津波防災の日です。2011年の東日本大震災を受けて日本政府が津波防災の日として定め、後に国際社会が津波の危険性を共有し、被害を軽減させようという日本の提案が国連で採択され、2016年から国連が定める世界津波デイとなった、というのです。今や津波は国際語。誰でも知っている言葉となりました。とはいえ、失明を宣告された目で見たテレビ映像、1983年の日本海中部地震津波の実際の津波の映像を目にするまでは、その本当の恐ろしさは理解できていませんでした。それまでは普通の波より、かなり大きな波。そのような安易な理解だったのです。けれども海面全体が膨れ上がって海が襲い掛かり、人や自動車が沖へ運ばれていく映像を見たとき、自分の間違いに気がついたのでした。東日本大震災ではスマフォの普及で、様々な映像を世界中の人々が共有したのだと思います。文明の発達が人々の自然理解を促進させていくのです。

▲ 枯葉舞いラジオが遠く歌ってる


1106・火・

 1973年、昭和48年の今日、石油危機の影響で東京銀座などの広告塔のネオンの一部が消されてしまった。電力業界が節電を呼びかけたもので、広告主の大手電機メーカーなどがこれに応じた。この年というのは貧乏イラストレーターのオイラが食べていけるかどうかまるで先の見えない結婚をした年で、結婚した途端に世の中からトイレットペーパーが消えたりして、石油と落とし紙とどんな関係があるんだよ、バカヤローと、トイレットペーパーの大きな買物袋を抱えながら怒り狂っていた頃だったけど、ネオンまで消えてしまって貧乏イラストレーターはますます暗い気分になってました。確か、深夜放送も自粛されたんじゃなかったかしら。ドルショックにオイルショック、ま、いろいろあったけど、みんな何とかやってきたよね。これからも頑張ろうね。

 ざんざか雨降り。気持ちのいいくらいの雨降り。雨の音でわくわくするなんて、本当に久しぶり。ボクはこういう日には新宿の漫画喫茶店コムで開かれていた永島慎二原画展のことを思い出す。漫画喫茶といっても今の漫画喫茶とはまったくの別物。ボクらが学生漫画家だった頃の漫画青年が集う喫茶店、本物の漫画青年たちのサロンだったのである。そして何故か、ボクがこの喫茶店にいこうとすると雨が降ったのである。春の雨、秋の雨。漫画喫茶には雨のアトモスフェアがやけに似合っていたのです。

 サピエ図書館でダウンロードした志駕晃(しがあきら)の「スマフォを落としただけなのに」を読み始める。作者は先週土曜日の「久米宏のラジオなんですけど」に出演した、元ニッポン放送のディレクターで、人物が面白かったので読む気になって読み始めたのだが、これが本当に面白い。予想よりもずっと面白い。今週は東海林さだおの分厚い自薦アンソロジー「なんてったってショージ君」を読み耽っていたんだけど、ここはひとつ、ショージ君に一休みしてもらって、この新参者を一気に読破しそうな雰囲気である。ミステリーというやつは、あんまり好きじゃないんだけれど、この作品には夢中になるかもしれない。ま、映画化もされていることだし、期待できるんじゃないかしら。

 わくわくわく。明日はアメリカ中間選挙の結果がわかる。権力というおもちゃをもらってはしゃいでいる子どもみたいなバカトランプがこのまま無事でいられるわけがない。アメリカ人がそれほど馬鹿であるはずがない。と、そう思えるのも今日だけとは思いたくない。

▲ 秋の雨明日は中間選挙です

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
おかげさまで17番、井戸寺を仮想参拝、通過することができました。
次は18番、恩山寺。あと36,231歩です。

現在の歩数、228,169歩。三度目の嘘の徘徊です。


1107・水・立冬・

 1936年、昭和11年の今日、帝国議会議事堂、今の国会議事堂が完成した。落成式には貴族院や衆議院の議員、政府関係者など2800人が参加した、ということです。小学5年生のときボクが転校した永田町小学校の徽章は国会議事堂でした。ボクが地下鉄で学校に通った最寄りの地下鉄駅は国会議事堂前駅でした。地下鉄を降りてエスカレーターで上がっていくと出口が開け、そこを右折すると国会議事堂が巨大戦艦みたいに堂々と横たわっていたのです。そしてボクは毎朝、その巨大さを確かめながら議事堂の前をゆっくり移動して小学校へ歩を進めていくのです。新宿区の高田馬場から千代田区へ引っ越して、国の象徴である国会議事堂が生活の風景となる学校生活は、小さな自分にとっての大きな変化であったことは間違いありません。6年生のときの担任には、ずいぶん意地悪をされましたけど、生徒同士は仲が良く、先月もその6年4組のメンバー5人と親しく会話をしてきたばかりです。彼らとの最大の思い出は学校の屋上から見下ろした国会議事堂へと進軍する全学連のデモ隊でしょう。東大の女子学生がデモ隊と機動隊の衝突に巻き込まれて亡くなったり、通学中の小学生が安保反対の署名をさせられたり、この生徒というのはボクの弟なのですが、と様々な事件がありました。東宝映画「世界大戦争」では核戦争で燃え落ちる国会議事堂のシルエットが象徴的に描かれていましたが、中でどんな醜い攻防があるにせよ、国会議事堂は国の象徴なのです。建物だけでなく、中身も大切にしたいですね。

 東京の日の出は6時08分、日の入りは16時41分。ずいぶん昼間が短くなったけど、温かい立冬となりました。窓からの日差しが温かく、気がつくとうとうとしてしまいます。猫のミミコも窓枠の狭い隙間に身を委ね、喜んで日向ぼこをしています。

 NHKラジオの昼のニュースでアメリカ中間選挙で民主党が下院の過半数を確保したという速報が流された。耳にした途端、思わずボクは
「よかった、よかった、よかった」
を連発していた。これで少なくともトランプの好き勝手は許されなくなる。アメリカ市民は世界の呼びかけに反応してくれたのだと思う。トランプの馬鹿を許さないという気概を見せてくれたのだと思う。民主主義は個人の欲望を充足させるための手段であってはならないのです。

▲ 早足で学校までの冬の朝


1108・木・新月・世界都市計画の日・

 1956年、昭和31年の今日、砕氷船に改造された南極観測船「宗谷」が東京晴海桟橋から出港した。第一次南極観測隊員53人を乗せ、翌年1月に南極の東オングル島に到着、昭和基地の設営を開始した。当時の南極観測熱には目覚ましいものがあって、この記録映画は小学校単位で映画館で見せられた。35ミリ、総天然色の映像は鮮明で美しく、氷を砕いて進む砕氷船「宗谷」の勇姿に低学年だったボクは大いに感激、模型店へ走って木星のソリッドモデルを買って組み立てて、見事に失敗してガッカリしたりした。タローとジローのエピソードも忘れることができないが、犬橇の話はまた今度。どんどん話が長くなってしまいます。

 1995年、平成7年の今日、文部省の国語審議会が見れる、食べれるなどの所謂ら抜き言葉について、共通語としては誤った使い方で、公に使うことは認めないとする中間報告をまとめた。ということだが、うんうん、まとめた方がいい。どんどんまとめた方がいい。野球解説でも相撲解説でも、ら抜き言葉が氾濫してるけど、その言葉づかいは日本語を正しく理解している側には、たまらなく醜いものだと明らかに指摘してあげた方がいい。作家の内館牧子さんもご著書「金を積まれても使いたくない日本語」で、このら抜き言葉でいかに日本語が崩壊しつつあるかを具体的に示されている。どんな高邁なことをいわれても、ら抜き言葉じゃ説得力がないもんね。言葉は人格と密接につながるのです。

 今日は朝から忙しい。前の晩はコボちゃんと夜更かしをして、午前1時からラジオ深夜便のエム ナマエ「特選・明日への言葉」のアーカイブス放送を聴く。前回の放送では居眠りをしていたコボちゃんだが、今回はしっかりと聴いていて、インタビュー役の遠田恵子アナウンサーを絶賛したりする。どうも気まぐれでいけません。で、朝はいつもの早起き。ルーティーンワークはいつもの通りだけれども、午前中、朝御飯抜きで病院にいって腹部エコーの検査を受ける。透析患者はあれやこれやと、やたらリスクがあるのです。で、禁飲禁食から解放され、家に戻ってヤクルトを飲んだり、ヨーグルトを食べたり、ミルクを飲んだりの朝の儀式を済ますと、最近お気に入りのシーフードカップヌードルで超特急のランチ。で、午後はエム ナマエの人生を論文にして博士号を取得しようと意欲的で積極的で真面目で、ちょっと珍しいご趣味であられる奇特な妙齢のご婦人のインタビューを受けるために待ち合わせの経堂駅へと急ぐ。これまで何度も取材を受けているのだが、そろそろ完成に向かっているらしいが、ボクには学術論文のことはよくわからないので、ご質問に素直に答えるしかできない。けれども無駄なおしゃべりの多いオイラは、やたら時間を無駄にして、午後2時に始まったインタビューが終わるのは午後5時という不始末。遠路はるばるおいでくださった質問者の大切な時間を浪費させてしまった。ご婦人はこれから岡山にお帰りになるのだが、その前にお食事ということで、鳥銀で焼き鳥と釜飯ディナー。ビールを飲んでいい気持ちになって鳥銀を出たら、目の前にコボちゃん。時間を読んで迎えにきてくれたのだが、何たるグッドタイミング。千鳥足でアルルとミミコの待っている我が家へ向かうのでありました。

▲ 焼き鳥はたれでなけりゃと冬の夜


1109・金・太陽暦採用記念日・119番の日・

 11月9日の今日は119番の日です。消防や救急の電話番号にちなんで1987年に消防庁が制定したとNHK「マイあさラジオ」がいってましたからきっと本当のことだと思います。それよりも驚きなのは今日が太陽暦採用記念日であるということです。それまでの我が国は太陰暦だったのですねぇ。月の満ち欠けに従って暦が進んでいく。だから閏月(うるうづき)なんてものが設定され、1年が13か月のこともあったんですねぇ。それに目を付けたのが明治政府。13か月目のお給料をチャラにして、1872年、明治5年の今日、太陽太陰暦を強引に太陽暦に変換してしまったんです。これにより、明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日となってしまいました。それで困ったのが俳句関係者。以後、カレンダーと季語の間に齟齬が生じてしまったんです。とボクは思ってますけど。
 さて、今でも太陰暦に頼っている業界があるという。それが漁業関係者。お魚たちは新月や満月、潮の加減でライフサイクルを繰り返しているのです。月夜の蟹はやせている。昔からそういわれてますけど、もしかしたら蟹の脱皮が月の満ち欠けと深く関係しているのかもしれないね。その昔、経堂駅前にトラック一杯にハナサキガニを積み込んでやってきたオヤジがいて、あまりの安さに何匹も買ってしまったのだが、これが実に月夜のヤセガニ。殻ばっかりで、中身がまるでありませんでした。それ以来、ボクはどうもハナサキガニが苦手なんです。そりゃそうでしょう。あの蟹、殻がやたらトゲだらけで、痛い思いをして殻をむいたのに中身がなかったなんて、そりゃあんまりですよね。

 1965年、昭和40年の今日、ニューヨーク州を中心とした広いエリアが大規模停電に見舞われた。ニューヨーク大停電と記憶されてはいるが、そのエリアはカナダにまで及び、停電の中心はナイアガラから2キロの発電所ということになっている。夕方のラッシュアワー時の、およそ12時間の大停電である。都市機能は麻痺し、多くの市民が地下鉄やエレベーターに閉じ込められて半狂乱、搬送先の病院もパニックとなり、大混乱となった。この大混乱に火を注いだのがUFO騒ぎである。大停電の直前にナイアガラの発電所に数十の謎の発光物体が飛来し、多数の人間がそれを目撃、撮影したという情報が流れたのだ。スピルバーグの映画「未知との遭遇」でもUFOの出現により、広範囲に停電する市街地や、コントロール不能になるトラックが描かれているが、UFOと電磁現象には深く関係があるとされている。この大停電でUFOの攻撃を恐れた多くの市民が教会に逃げ込んだ、というのも仕方ないかもしれない。事件当時のボクは高校生で、当時のボクの脳味噌にはニューヨーク大停電とUFO飛来は一組の事件として強く焼き付けられているのである。

 エム ナマエのラジオ深夜便アーカイブスを聴いてくださったのだろう。エム ナマエ公式ウェブサイトのボランティア管理人、絵夢助人(えむすけびと)さんに今年と来年のカレンダーの注文があったという。ありがたいことだと思っていたら、スタジオクラスターの青木岳志代表からお電話があり、カレンダーが刷り上がってきたとおっしゃる。このカレンダー、一度刷り上がってはいたのだけれど、表紙が1月で、12月が表紙という間抜けな出来上がりで、すべてやり直しになってしまい、今日まで遅れてしまったそうなのである。で、万歳。このエム ナマエオリジナルカレンダー、しばらくするとエム ナマエ公式ウェブサイトで発売されますので皆様、なにとぞよろしくお願いいたします。

▲ 目覚めれば祖母の湯たんぽ抱いている


1110・土・

 1968年というとオイラが大学2年生、生意気盛りの頃である。その年の今日、GSのコンサートで観客が失神するというハプニングが起こった。日比谷公会堂で開催されたオックスのコンサートで興奮したとされるファンの少女30人が次々に失神、15人が病院にかつぎこまれた、という出来事である。で、その前の前の年、ビートルズ公演を体験していた当時のボクは大笑い。そもそもオックスの音楽なんて芸能プロダクションがでっちあげた未熟な音楽グループそのもので、演奏している本人たちだって、あの煮え切れない演奏で、とても興奮するとも思えない。ましてやファンも興奮するとは思えない。ところがこのオックスというグループ、ステージで失神するというパフォーマンスで売り出したもんだから、親衛隊の女の子たちもお付き合いで失神せざるを得なかった。ひとりが大袈裟に倒れれば、それを見たもうひとりが、あたしも、あたしもで、敗けるもんかと失神をする。たちまち会場には集団心理が働いて、失神が大量生産されていく。出動した救急車も病院も大迷惑。あなたはヒステリーです、なんていおうもんなら女の子たちに顔も手足もバリバリにされてしまう。ま、この事件は単なる集団ヒステリーだったというのがボクの印象で、その証拠にこのオックスというグループ、失神騒ぎだけを人々の記憶に残し、音楽業界からオナラのように消滅していったのである。で、この事件の唯一の救いは出来事が失神であって、湿疹でなかった点だ。集団湿疹だったら保健所が黙っていませんから。

 スタジオクラスターからヒロコママがカレンダーを持ってきてくださる。あれこれ差し入れも。オイラのためのランチの差し入れのまい泉のロースカツドンということなんだけど、コボちゃんとの晩酌のための肴も買ってきてくれて、これが高級中華料理店の料理がどっさりで、とても食べ切れないと思っていると、次に出てきたのが比内地鶏のとろたま親子丼と唐揚げで、と、次々に料理とお菓子がテーブルの上に並んでいく。ヒロコママ、ありがとう。これでしばらく我が家は食糧難に悩むことはないでしょう。

 冷蔵庫を開き、オーストラリアビーフの塊を取り出すと、コボちゃんがガスレンジの上でフライパンを振り回す。すると、アルルとミミコが仲良く並んでステーキが焼き上がるのを待っている。オスワリして、夫婦茶碗みたいに並んで待っている。やがて焼き上がったステーキはコボちゃんが細かく切り分けてそれぞれのお皿に並べてやる。このステーキ、もちろんニンニクも潮も胡椒も使わない、アルルとミミコのためのステーキなのだ。アルルが肺癌と闘えるようにと食べ始めたビーフステーキ。ミミコもその魅力にとりつかれてしまい、アルルのお肉はあたしのお肉。いつの間にかそういうことになってしまったのだ。で、最近はアルルのためのポークソテーまでミミコは自分のお肉と思い込み、ペロペロと豚の脂までなめている。そこで困るのがボク。テーブルの上で、ボクのために焼いたステーキやポークソテーを落ち着いて食べられなくなってしまったのだ。食べてる先からビーフであろうとポークであろうと、ペロペロ、ペロペロ、猫のミミコがなめてくるのだ。イヌはテーブルにあがれないけど、ネコはテーブルも自分の世界。ネコはスリーDの生き物なのでした。

▲ デパチカの料理並べて冬籠り


1111・日・世界平和記念日・介護の日・煙突の日・ポッキーの日・電池の日・

 本日は介護の日、煙突の日、ポッキーの日、電池の日と、11月11日の1が並んだ形にちなんで、あれこれと記念日が制定されてるが、本日が世界平和記念日であることをわすれてはならないと思う。そう。本日は第一次世界大戦停戦記念日、11月11日記念日なのである。ちょうど100年前の1918年、大正7年の今日、第一次世界大戦が終結した。ドイツとアメリカ合衆国が停戦協定に調印し、4年あまり続いた第一次世界大戦が終結したのである。史上初めての世界規模の大戦は4年3か月に及び、1千万人以上が犠牲になった。戦場となったヨーロッパの各国では、この日を祝日としているのだ。この日を忘れず、世界大戦を再び起こさないようにとの祈りで設けられたのだ。今は第二次世界大戦から73年。忘れてはならないことばかりである。

 大相撲九州場所が始まった。平成最後の九州場所である。そしてひとり横綱の稀勢の里は、この平成最後の九州場所をひとりで盛り上げなくてはならないのだ。ガラスのハートの横綱に、その大役が果たせるだろうか。心配してたら、小結の貴景勝にあっさりと敗けちゃった。やっぱりね。けど、大丈夫かなぁ。心配だなぁ。

 志駕晃の「スマフォを落としただけなのに」を読了。プレクストークで聴いていたら、横でコボちゃんも耳を傾けている。やっぱり面白いのだ。コボちゃんみたいなミステリーファンにも面白いのだ。映画化がされるらしいが、ヒロインを大切に扱っていただきたいと思います。

▲ 窓越しに猫が欲しがる寒雀



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