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全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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Author:emunamae
いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2018年10月15日~21日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1015・月・新聞週間・神嘗祭・

 今日は世界手洗いの日だという。正しい手洗いの大切さを伝え、世界の子どもたちの命を守ろうと国際衛生年の2008年にユニセフが中心となって定めたのだという。別にユニセフが決めてくれなくても昭和30年代の日本の小学校では生徒たちに積極的な手洗いを勧めていた。ブックタイプの紙石鹸というのが流行して、みんなポケットに入れていた。給食の前など、洗面所にずらり並んで順番を待ち、みんな競って手洗いをしたもんである。けど、紙石鹸の泡立ちはいまいちで、こいつ、本当に紙でできてるんじゃないかと疑ったりもした。で、今もその当時の癖が残っていて、帰宅したときも、これから何かをするぞというタイミングでも、特に絵を描く直前に洗面所に立ってこまめに手洗いをすることを忘れない。おかげでコボちゃんにはアライグマと呼ばれている。

 朝からアルルはボクのベッドでたかいびき。猫のミミコは羽根布団の下から出てこない。空気がひんやりしてるのだ。日本列島各地から秋晴れの噂が聞えてくるのに、ここ関東は曇天続き。数日間で2時間の日照しかないという。お日様が低くなったから部屋の奥まで日差しが届いて、気温が低くなっても暖房費の心配のないこの部屋だけど、曇っていてはお手上げである。ということで、エアコンはしっかりと暖房にセットしました。

 姑息に振る舞った当然の結果として総裁選に勝利して、青息吐息で内閣改造をやらかして、賞味期限切れの加齢臭内閣を立ち上げたところで、ますます鼻息の荒いウソツキしんちゃん。今日も一年坊主の研究発表みたいな舌の回らないスピーチでニュースの出鼻をくじいている。今日は今日で、消費税率のアップを決めたとかで、世の中を騒がしている。どうせ目立ちたがり屋のウソツキしんちゃんのパフォーマンスに決まっていて、いよいよ選挙となれば、これまでと同じように、景気が悪いからとか、株価が下がったからとかのこじつけ口実で、消費税率の据え置きをして、次の選挙の得票を稼ごうという魂胆なのだ。見え見えの姑息な総理の下心。恥ずかしいったらありゃしない。

▲ 肌寒や猫に貸してる腕枕

1016・火・

 1964年というと、オイラが慶應義塾志木高の一年坊主の頃だけど、その年の今日、中国がタクラマカン砂漠で初めての核実験をやらかした。これで中国は世界で5番目の核保有国となってしまった。なんなくてもいいのに、なってしまったのである。で、それ以来、中国の鼻息が荒くなったのかどうかはわからないけど、世界に対する態度が小さくなったとは思えない。それにしてもタクラマカン砂漠である。本当は中国の土地ではないんじゃありませんか。んなところで放射能をばら撒いてもいいものでしょうか。当時のことだから地下核実験ではなかったのだろう。でも、たとえ人的被害があったとしても、中国のことである。内緒にしておこうよね、ということにされてしまうに決まってるのである。
 1981年、昭和56年の今日、北海道夕張市の北炭夕張新鉱でガス吐出事故が発生した。火災が起きたところからその1週間後、59名を坑内に残したまま水を注入するという苦渋の決断を迫られる。この事故で救護隊員を含む93名が死亡したとあるけど、そんなに昔の話ではない。そんなことがあるから日本から炭鉱が消えてしまったのだ。先月の北海道のブラックアウトで最もダメージを受けたのも石炭による火力発電だったはず。日本各地ではまだ石炭の採掘は可能なはず。ロボット技術が飛躍的に進歩する今、安全で効率のよい炭鉱を開発することはできないものだろうか。いつまでも人の国から安い資源ばかり入手するのはいい加減にした方がよいような気がする。

 ラジオで聞いた話かもしれないし、もしくは誰かから聞いた話かもしれない。地下鉄にニッカボッカの若者が乗ってきた。足には地下足袋、背中には道具袋、ノコギリなど、大工道具の木の柄がいくつものぞいている。そしておもむろに車内を睥睨したのである。それを見て息をのんだのが地下鉄車両に乗り合わせていた外国人団体観光客の一行。目を丸くする者、カメラやスマフォを向ける者、中には逃げようとする者もいる。そう。彼らはその若者を忍者と思いこんだのである。ま、もしも自分が外国旅行をしていたら、こんな唐突の驚異の出会いを期待するのも無理はない。アメリカ横断鉄道の旅では乗馬クラブの練習生をインディアンの襲撃と思いこんだり、ロンドンの地下鉄に乗ってきたアタッシュケースを抱えたダークスーツのサラリーマンをゼロゼロセブンと思いこんだり、北欧あたりの遊園地で遭遇した大男をバイキングと間違えたりするのは自由なのである。ま、さすがスコットランドのネス湖で遊んでいる水鳥をネッシーと申告するような、そんなインチキはしないと思うけど。ま、楽しみを期待しての海外旅行である。どんな期待をしても罰は当たらないと思います。

▲ 天高くそろそろ山はまっかっか


1017・水・上弦・貯蓄の日・

 1967年の今日、清王朝(しんこくおうちょう)の最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)が亡くなった。波乱に満ちた生涯はスピルバーグの映画「ラストエンペラー」にも描かれた。実はボクが失明した1986年から住み着いている我らがYコーポの管理人さんがこのラストエンペラーの親衛隊であられて、戦時中に少年戦車学校に入学し、そして少年戦車兵として満州に派遣されたボクの父親がその事実を知って驚愕していた。ま、ボクにとっての愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)と父親にとっての愛新覚羅溥儀の存在意義は月とスッポンほどにありがたさの相違があったのだろう。その管理人さんは面白い人物で、元軍隊のエリートらしく律儀なところもあって、あれこれと親切に面倒を見てくれた記憶がある。管理人さんも父親も既に鬼籍の人であるが、もっと戦時中の話を聞いておけばよかったと悔やんでいる。当事者が亡くなれば亡くなるほど本物の歴史が失われてしまうのだ。

 ジメンシグループと聞いて反射的におどろおどろしいイメージを抱く。それが地面師グループだと知ってもその禍禍しさは損なわれない。有名企業のセキスイハウスから55億円も騙し取ったとあらば、頭が良くて根性の悪い人間集団であるのだろう。それよりも納得できないのがKYBという会社名だ。空気の読めない馬鹿の会社。事件を知って反射的にそう思った。この会社は本来はそんな名称ではなかったはずだ。昨今流行のアルファベット名や片仮名言葉に変更したとしても、センスがなさ過ぎる。正に空気の読めない馬鹿としか思えない。建物の安全を支える免震装置のデータを改竄するなんざ、ばれれば大事件。ホテルや病院、オリンピック競技場などの重要建築物も地震で倒れるが、自分の会社も倒れて当然。やっぱりバカなのだ。

▲ 次々に烏飛び立ついわし雲


1018・木・統計の日・

 1967年というとボクが慶應義塾の日吉キャンパスで漫画ばかり描いていた頃のことだけど、この年の今日、ツイギーが来日した。痩せたボディーに小枝みたいな脚をして、ミニスカートをはいていて、これが大流行。豚みたいな脚をしたギャルもミニスカートをはいて街を闊歩。美空ひばりさんでさえミニスカートをはいて太陽が真っ赤だなんて吠えていた。小枝ちゃんてなチョコレートが発売されたのもその頃だったような気がしてる。ま、このミニスカートのブームで男たちは階段をあがる際の目のやり場に困ることになりました。見られたくないなら、そんなもん、はくなよ、ばあか。
 そしてその同じ日の今日、ソ連の宇宙探査機が金星への軟着陸を成功させている。その結果、金星の気温は40度から280度まで分布し、大部分がガスで覆われた惑星であるという観測結果が得られたのである。金星というとアダムスキーの空飛ぶ円盤がやってくる場所ということもいわれた惑星。美しい大気と水に覆われた地球のような惑星であることが期待されていたわけで、観測のデータにはみんな失望した。おまけに大気の大半は二酸化炭素で人も住めない高熱の惑星。これら観測結果が公になってから世間でも炭酸ガスの温室効果なんてことが喧伝され、温室効果なんて言葉が一般的知識になっていく切っ掛けになったような気がしてる。いや、ほんと。まことガッカリしたのです。

 東京の日の出は5時50分、日の入りは17時03分。ずいぶん昼間の長さが短くなりました。

 ここんとこ豊洲市場からあれこれのレポートが聞えてくる。これが所謂、豊洲レポートというやつである。いつになったら落ち着くのか、豊洲と築地の一騎打ち。結局、豊洲は小池百合子の選挙小道具にされただけのような気がしてる。迷惑なのが一般市民。せっかくお金をかけて整備した新しい魚市場なのに、地下に毒のマグマが煮えたぎっているような、そんな気持ちの悪いイメージが定着しちゃったように思えてならないのだ。これからのマグロの刺身が毒漬けになってしまうような、そんな気持ちの悪いイメージを払しょくするのが一般市民の勤めになってしまうのだ。ボクは築地のまんなでよかったと思うのだけど、巨大ネズミや大量ゴキブリの噂を聞くと、仕方がなかったような気もしてる。

▲ ぽちぽちとブログ打ってる長き夜


1019・金・

 未明のラジオ深夜便、朝のニュースは鹿児島県に鶴の初飛来があったというもの。例年並みということで、今年の11月は特別に寒くもないし温かくもないということらしい。TBSラジオのお天気おじさん、森田君によると、シベリアからの鶴たちは北極エリアから噴出される冷たい風に乗ってやってくるということで、鶴の飛来があればシベリア地方の冷気は品切れになることから、しばらくの間は寒気の心配がなくなるらしいのだ。毎年、この鶴の飛来はその秋冬の寒さ予報に利用されているという。この鶴の飛来、来年1月に始まる鶴の北帰行まで続くという。鶴さんたち、安心して羽を休めてくださいな。

 軽井沢を走ればかなり涼しい。コボちゃんによれば紅葉は思ったほどは進んでいないという。一般道に降りればアルルはキョロキョロ、ミミコはにゃーにゃー。景色が変わり、下からの振動が変わって、いよいよ目的地が近いことがわかっているのだ。何と旅慣れた犬猫たちであることか。

 北軽井沢スタジオはストーブがなければ生きていけない室温である。さっきからコボちゃんはカメムシを見つけては外に追い出している。カメムシが暖かなストーブのコードを嬉しそうに這い上がっているというのだ。コボちゃんはゴキブリとモスキートは別にして、決して虫は殺さない。蜘蛛だろうとアリンコだろうと、たとえカマドウマだってハサミムシだって、ティッシュペーパーのパラシュートに乗せて、窓から落下させてやるのだ。もちろんパラシュートは後で回収いたします。決してゴミにはいたしません。

 クライマックスシリーズのヤクルトには勝利できても、ファイナルシリーズのジャイアンツはヒロシマには歯が立たず、1勝もできないまま高橋由伸監督の気の毒な幕引きとなってしまった。高橋由伸君の慶應義塾卒業式には、実はオイラも卒業25周年のご褒美として卒業式に参加させてもらっているのだ。中退なんだから、そんなことができるわけがないんだけど、そこは温情なる慶應義塾。塾員たちがよってたかってオイラを参加させてくれたのである。だからオイラもコボちゃんも盲導犬アリーナも高橋監督と同じ卒業式を味わっていたのである。それにしてもお疲れ様、高橋由伸監督。なんか、ずっと気の毒な監督劇だったみたいな気がしてならない。本当はまだまだ現役を続けていたかったんだよね。そこが読売巨人軍への宮遣いのつらさなんだよね。高橋由伸君、ジャイアンツなんかにいかなきゃよかったのに。本当にお疲れ様でした。

▲ ストーブにカメムシすがる秋の暮れ


1020・土・皇后誕生日・新聞広告の日・

 1970年、昭和45年の今日、日本最初の防衛白書が発表される。経済大国にはなるが軍事大国にはならないとし、専守防衛を訴え、他国に脅威を与える兵器は保持しないとされていたけど、その年は大阪万博の年なんだよね。進歩と調和の年なんだから、そりゃそうでしょう。日本で最初の防衛白書から48年、総理大臣も次々に代わり、今は戦争の匂いを撒き散らしている安倍晋三の政権だから、もうすぐ海上自衛隊は航空母艦まがいの自衛艦を擁するようになるし、巡航ミサイルだって装備するらしい。このまま突き進むことのないよう、みんなで頑張って憲法改悪は阻止しようよね。

 朝、いきなりプレクストークに充電ができなくなって汗がたらーり。なんてもんじゃなく、焦りまくる。バッテリーを取り出し、リセットしても充電できない。あれこれトライしたがらちがあかない。おそらくアダプターの問題だろう。いずれにせよ、週が明けたら東京のラビットに電話して相談しなきゃなんないな。そう覚悟していたらコボちゃんが起きてきて、プレクストークの充電ができなくなったと泣きつくと、
「どれ、貸してみて」
とボクからプレクストークを取り上げて、ちょいちょいといじったら、たちまち元の通り、直ってしまったのである。どうやらコボちゃんは魔法使いでもあるらしい。安堵、安堵、大安心。プレクストークがないとボクは生きていけないのです。

 今年もお世話になった山の透析室である。ボクの血管に慣れてくださった看護婦さんもおられるし、表現者エム ナマエに興味をもってくださる看護婦さんも現れた。今年で4年目の山の透析室であるけれど、最近になってやっと緊張しないで透析を受けることができている。ありがたいことである。
 さて、いよいよ透析を始めるというタイミング、看護婦さんがボクの腕の血管あたりを消毒薬で丁寧に消毒しようとしたら、おかしな叫び声上げ、ガムテープを持ってきて、ボクのパジャマをペタペタとやり始めた。
「あ、とれた!」
 何かと思ったらカメムシだという。北軽井沢のスタジオから連れてきたのか、それともこの山の透析室で養殖していたのか、それはわからない。いずれにせよ、コボちゃんはティッシュペーパーで、ここの看護婦さんはガムテープ。この扱いの差は大きいと思う。悪く思わないでね、気の毒なカメムシさんよ。

 窓の方をしきりに眺めている看護婦さんに尋ねたら、外はきれいな夕焼けだという。今度は帰り道、コボちゃんがしきりに見あげているのはお月様。そう。明日は十三夜なのである。晴れてくれると嬉しいな。

▲ 夕焼けの空が終われば十三夜


1021・日・十三夜・

 1968年の今日、新宿駅騒乱事件が発生した。学生たちが新宿駅構内を占拠したのである。国際反戦デイの集会が暴動に発展したもので、野次馬も加わって投石や放火が繰り返され、新宿駅の機能は完全に失われた。この事態に対して警視庁は騒乱罪を適用した。これ以後、東京の街から歩道の敷石が撤去されてしまうのである。
 当時のボクは慶應義塾の現役学生で、渋谷駅から数分の宮下公園のすぐ近く、児童会館と目と鼻の距離の東京電力の社宅に暮らしていた。建物は内部が変電所で、頑丈な出来になっていて、ボクの窓は4階にあり、学生のデモ隊と機動隊の追いかけっこを上から見下ろして怪我人の出ないことを祈ったりしていた。
 ボクは完全なノンポリで、学生運動なんかまるで信用していなかった。どうせ卒業が近づけば、長髪を短く刈り込んで、ゲバルト学生も真面目な学生にヘアピンカーブのUターン。当たり前のサラリーマン生活に甘んじるに決まっているのだと思っていた。
 宮下公園が学生集会の拠点になっていたおかげで、大学からの登下校の途中、何度も警察の職務質問をされて迷惑をしていた。鞄を開けて見せろというのだ。こいつには困った。ボクの鞄にはときどきモデルガンが偲ばせてあったのだ。でも、このモデルガンは最近のエアガンみたいに弾丸が飛び出すわけでなく、ただ火薬で音と煙が発せられるだけの虚仮脅かしで、単なる趣味以外、何の特別な意味もない。ボクは反体制、反権力ではあるけれど、半暴力でもあったのだ。
 宮下公園から明治通りをいく70年安保のデモ行進を見つめていた当時の恋人がボクにデモ行進に参加するように促した。
「今行動しないと一生後悔することになるわよ」
 その誘い掛けにボクはこう応えていた。
「いや、今行動したら生涯悔やむことになると思う。ボクは漫画家になるのが目的だ。ずっと傍観者でありたいんだ」
 おかげさまでボクは失明した今でも表現者であり続けている。あのデモ行進に参加していたら、あのまま新宿駅に突っ込んで、腕の一本も失っていたかもしれないのだ。

 今夜は十三夜。天気予報は晴れである。きっときれいなお月様が見られるんじゃないのかな。けど、気象予報士さんは嬬恋地方では氷点下を記録したといっている。嬬恋地方といえばこのあたり。そんなに寒かったという覚えはないんだけど、聞いてしまうと悪寒がしてくる。数字は現実に優先するのである。

 ランチはコボちゃん特製担担麺。いつもの竹の子と椎茸と挽肉いっぱいの担担麺である。食後は「秘密のブルブル飛行猫」の推敲に集中する。気がついたら頭が痺れていて、仮眠のつもりで布団に潜ったらたちまち熟睡、真夜中の11時半まで眠ってしまい、目覚めて翌日のニュースを聴くというマヌケを演じてしまった。おかげで遅い夕食は酒のつまみばっかり。ま、おいしかったからよかったけれど。

▲ 目覚めれば浅間の山のもみじかな

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