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全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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Author:emunamae
いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2018年2月19日~25日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。

◆ ウィークリーフレーズ 今週の言葉です

自分の満足のために 愛を口実に してはいませんか

 視覚障害者情報総合ネットワークの「サピエ図書館」のおかげで現在、ボクはパソコン内部に黒沢明の音声映画、「羅生門」、「姿三四郎」、「七人の侍」、「まあだだよ」、「隠し砦の三悪人」、「天国と地獄」、「椿三十郎」、「用心棒」と所有しており、繰り返し再生して楽しんでいる。黒沢明の映画はどれも印象的で心に残るが、中でも取り分け心に突き刺さった作品がある。「素晴らしき日曜日」である。残念ながら映画館ではなく、テレビの再放送枠か何か、それも昼間の放映で観たものであったが、ゴールデンタイムの名作劇場で正座して鑑賞したみたいに強く鮮明に印象づけられた。最も記憶に残っている場面が敗戦直後の上野動物園の檻の中。貧しいカップルが日曜日を過ごす物語である。今でも動物園はリーズナブルなデートスポットといえるが、敗戦直後もお金のないカップルの吹き溜まりだったのだ。当時の上野動物園は戦争中の空襲対策に盲従たちを皆殺しにしてしまったばかりで、これという目玉の動物は展示されておらず、ふたりは檻の中のブタやヤギなんかを見て回る。最も心を躍らされたのが日劇前から日比谷公園に向かう展開。この映画はボクが生まれる前の1947年の公開であるが、日劇も日比谷公園も11歳から14歳までのボクの遊び場だったのだ。
 主人公の男は様々なトラブルに巻き込まれ、お金も失い、チンピラに殴られボロボロになってしまう。やがて雨が降り出し、彼女を自分の下宿に誘いこむとその肉体を求めるが、彼女は下宿を飛び出していく。
 ラストシーンでは枯葉の舞う日比谷野外音楽堂で架空のオーケストラに向かって主人公の男がタクトを振る。やがて聞こえない「未完成交響楽」に合わせて風が生まれ、落ち葉がダンスを舞い始める。何とも美しいエンディングだが、ボクには男の欲望がいつまでも切なく心に残っていた。まさに自分の青春と重なるのだ。
 その頃は意識していなくとも、自分の欲望充足のため、どれだけ愛という言葉を利用したことだろう。欲望のためでなく、愛のためなのだと、どれだけ自分を欺いたことだろう。もしくは納得させたことだろう。恋愛ホルモンは世界を絢爛豪華に装飾し、相手を世界一の美女に変えてしまう。若さの頂から引き下がり、ホルモンの分泌が減少し、相手の正しい姿が見えたときは既に手遅れである。
 青春クライマックスの頃、恋人のお宅に遊びにいったときのことである。その家のおばあちゃんは元芸者さんで、男と女のことは何でもご承知。ボクを裏山の公園に誘い出し、
「男は30歳で変わるからねぇ」
と耳元でつぶやいた。もしかしたらボクの愛情の本質を見抜いていたのかもしれない。とはいえ、当時の激しい恋愛ホルモンの噴出は、当時の恋人の記憶を今もこの脳味噌に美しいままに刻み付けている。それは感謝に値する。
 人生が残り少なくなった今、女の人への興味がなくなった、とはいわない。むしろ、ますます心を引かれるようになっているのかもしれない。ただし心の引かれ方が違う。数知れず恋をして、数え切れない経験をしてきて、今は相手が誰であれ、たとえそれが女でなく、男であっても、人との出会いは愉快でたまらない。年齢の重なりが提供してくれる多重的な対象への見方が人生を万華鏡世界に変えてくれているのである。


0219・月・雨水・

 1907年、明治40年の今日、日本で初めて自動車の運転免許証が発行された。当時の警視庁管内の自動車の登録台数は16台で免許証はすべて木製だったという。つまり木のお札なのである。まるで関所の手形みたいだね。法定速度は時速13キロに定められていたらしい。その頃に駕籠があったかどうかは知らないけれど、馬車や人力車の中で、自動車だけがそんなにスピードは出せないよね。いずれにせよ、当時の自動車が便利な乗り物であったとは、とても思えない。
 1972年の今日、連合赤軍のメンバー5人が長野県軽井沢町の浅間山荘に管理人の妻を人質に取って立てこもる。浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)の勃発である。その頃、ボクは小学館の編集部に御用聞きみたいに毎日のように通っていた頃で、学年誌の編集部の大型テレビで、編集者たちとその実況中継に注目したことを覚えている。この中継、当時の最高視聴率を記録したはずである。このときの映像で流された機動隊が食べるカップヌードルが評判となり、これが切っ掛けで爆発的に売れ始めたという都市伝説があるが、それは本当のことだと思う。

 アメリカの高校で突撃銃、アサルトライフルが乱射され、たくさんの死傷者が出た。そんな自動ライフルが護身用であるはずがない。アメリカは個人の過剰防衛を容認している。それって憲法違反じゃないのかしら。銃規制に後ろ向きなトランプは何もする気配がない。武器によって確立した国家、アメリカ。この国の好景気は軍需産業によってもたらされている。命の犠牲による反映ってどうだろう。歓迎されてよいはずがないと思うのだが、それでもまだ金を欲しがるって、考えるだけで吐き気がする。

▲ 浅き春猫の欠伸も生半可


0220・火・

 出版予定の単行本、「たんかのようなもの」の構成に集中する。ほぼ完成。あとはまえがきとイラストレーションを仕上げるだけ。楽しい本にしたいと思う。

 雪が懸念されてるけど、コボちゃんは昼間は区役所にいかねばならない。障害者の亭主を持つと、あれこれ用事が多いのである。午後は八丁堀で医学の研修。看護師や臨床工学士なんて資格があると、あれこれ学ばなければならないのである。そして夜は成城学園でバレンタインチョコレートの購入。ここらあたりでゴディバを手に入れようとすると、電車に乗らなければならないのである。そしてボクのリクエストはどこかで高級海苔巻煎餅を買ってきてくれることと、経堂駅前スーパー、オーエックスでマグロの握り寿司を持ち帰ること。もちろん万引きではありません。ああ、雪でなくてよかった。

▲ リクエスト春のマグロの握り寿司


0221・水・

 1911年、明治44年の今日、日米間の新しい通商航海条約の調印が取り交わされた。日本は関税自主権を完全に回復、開国以来の不平等条約を解消したのである。その同じ日、夏目漱石が文部省が授与しようとした文学博士号を蹴っ飛ばした。辞退したのである。事前に何の白瀬もない一方的な授与に対する夏目漱石の反発である。漱石さん、権威主義に頭にきたのだ。つまり、憤りを感じたというのが理由であったらしい。やあい、明治政府、ざまあ見ろ。
 1942年の今日、戦争真っ盛りの日本国において食糧管理法が公布された。太平洋戦争中の食糧事情悪化に伴い国家が米などの主食を生産者から買い上げ、国民に安定的に供給することが目的とされている。つまり国による食べ物の再分配である。それじゃ税金と同じ理屈で、戦争中は主食は文字通りの年貢となっていたのである。

 金子兜太先生ご逝去の訃報が届く。98歳。あと1年で白寿になられる年齢であったのだ。
▲ 湾曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン
 金子兜太先生は季語定形の約束を破るような過激で前衛的な俳句で知られた俳人だが、それ以前は銀行マンであったのだ。その後は俳句の指導者として尊敬され、たくさんのお弟子に囲まれた幸せな晩年だと拝察する。一度だけだが、お会いしたことがあるのだ。お弟子さんたちにもお会いしたことがあるのだ。2013年のゴールデンウィーク、無言館成人式で最前列のプレゼンター席に並んで座り、俳句について教えをいただいたことを忘れない。気さくで素敵な先生だった。ご冥福を心よりお祈りする。

▲ 虹渡る俳句の白寿待たずして


0222・木・

 本日は2月22日で、2が並んでにゃんにゃんにゃんで猫の日ということだが、忍者の日、という説もある。どちらにせよ、ボクは好きである。猫には憧れてもなれないが、忍者なら努力すればなれる。あ、なれないか。

 俳優の大杉漣(おおすぎれん)さんが亡くなった。突然のことである。ボクはこの人に一度だけお会いしたことがある。大杉漣さんは親友のイラストレーター、石原均、キンさんのサッカー仲間だったのだ。キンさんがゴールキーパーで大杉漣さんがどのポジションだったかはうかがうことができなかったが、2009年にボクら有志が開催した石原均遺作展には来場してくださり、ボクのような人間とも言葉を交わす、気さくなお人柄で感動したことがある。ご冥福を心よりお祈りする。この年になると人のご冥福ばかりをお祈りするようになる。どんどん死が近くなる。でもそれは悪いことではない。年を取れば賢くなれるが、また先も短くなる。それは生きることでの約束事で、抵抗しても無駄なのである。

 夜、キンさんのことを想いだしたせいか、東君平さんの夢を見る。石原均さんは君平さんが生前からボクに紹介したいといっていた人物なのである。キンさんはあの世へいってから、ときどき会いにきてくれるけど、君平さんは夢にしか出てきてくれない。君平さんがあちらへいってからもう32年。君平さんはボクの失明の年に彼岸へ渡ったのである。

▲ 春寒く猫はお日様渇望症


0223・金・上弦・

 1929年、昭和4年の今日、説教強盗が逮捕された。この説教強盗、盗みに入り、押し入った先々で用心のために犬を飼えとかもっと戸締りをしろとか、あれこれ防犯の心得を説教するというオッチョコチョイな人間で、3年間でおよそ100件の強盗や窃盗を重ねていたもので、世間の話題になっていた。逮捕されるまでは泥棒に入られた方が笑い者にされ、逮捕されてからは犯人が笑い者になったかどうかは知らないが、説教強盗はそれから先は聞いたことがないので、あんまり流行らなかったのだろう。説教なんかしてれば、人相も特徴も覚えられてしまうよね。馬鹿みたい。

 ジェームスPホーガンの「星を継ぐ者」を読んでいる。30年ぶりである。失明して間もない頃、親しくしてもらっていたサンマーク出版の編集者、佐藤宏さんが自ら朗読、録音したカセットテープの束をプレゼントしてくれたのだ。これが大変面白く、繰り返し読んでいたのが、全盲イラストレーターになってからは忙しく、荷物も増えて、カセットテープは行方不明になるし、カセットデッキも壊れてしまい、記憶の彼方へ飛んでいってしまったのがつい最近、続編の「ガニメデの優しい巨人」がサピエ図書館にアップされ、突如としてそのシリーズ最初の作品「星を継ぐ者」を想いだし、サピエ図書館を検索したらヒットしたのである。あああ、すっかり忘れていて、申し訳のないことをした。30年間という年月がこの作品をボクの中でどう変化させたかは予測がつかないが、とにかく佐藤さんとサピエ図書館に感謝の念を抱きつつ、ありがたくも拝読しているのである。

 透析からの帰り道、コボちゃんが夜空を見上げて、黄色いスイカが浮かんでいるとつぶやいた。何かと思えば上弦の月。つまり半月。きっちりと斬られたスイカの形だ。コボちゃんがスイカに見立てたのは正しいのだ。なんてことを考えているうちに我が家の駐車場。スバル・アウトバックのラジオからはカーリング女子の実況中継が流れている。評判になっている北海道弁のあのチームと韓国チームとの対戦である。勝った方が銀メダルという熱戦である。あの女の子たち、そこまで頑張ってきたのである。偶然に聴いたとはいえ、ここは最後まで応援しないと日本男子とはいえない。と、ナショナリストのハートが騒ぐ。と、韓国チームに敗けていた日本チームが追いついてエクストラエンドというやつで、最後の勝負。思わずポケットのラジオのスウィチ、オン。ハラハラしながらよろよろ歩き、やっとオンボロマンションまでたどり着き、階段をあがっていって、あと一段で家のドア、というところで敗けちゃって、足を踏み外しそうになる。なんだよ。これじゃ明日の銅メダル決定戦、聴かなきゃならんでしょ。困りましたね。

▲ 春めいて月も見ているカーリング


0224・土・

 土曜の楽しみはNHKの「ラジオ文芸館」。今朝は恩田陸の「カタツムリ注意報」。恩田陸という作家を注目するようにさせてくれた作品の再放送である。街を家よりもデカイカタツムリがうろつき回るという、実に不思議な空気に満たされた世界観で、コボちゃんもたちまち引き込まれる。けれどコボちゃんは途中で出金せねばならず、ボクが録音で後半を聴かせてあげることになる。いってらっしゃい。

 午後8時からの冬季オリンピック、女子カーリング3位決定戦を最初から最後まで聴いてしまう。
「そだねー」
「そだねー」
を最後まで聴いてしまう。そして勝ててよかった。そだねーチーム。久しぶり、オリンピックを一生懸命に応援しながら聴いて愉快だった。銅メダルが決定して彼女たちが感涙にむせんでいるのが聞えてきて、ボクも思わず涙ぐんでしまった。彼女たちのチームワークは人を引き付けるものがあったと思う。銅メダル、心からおめでとう。
 ということでおえかきしながらのカーリング中継の傾聴だった。この競技、ビートルズ映画の「ヘルプ」で見たのが最初。高校生のときだった。それから実際のストーンを見たのは蓼科高原の高級リゾートホテル、ビラ蓼科(たてしな)。このホテルのマネージャーが大学生イラストレーターだったボクに展覧会を依頼してきたのだ。生まれて初めての高級ホテルでボクは立派な部屋をあてがわれて興奮、当時のガールフレンド、事実上の婚約者で最初の奥さんと何泊もさせてもらい、有頂天だった。感激したのは常客の坂本九さんがボクの絵を買ってくれたこと。ボクは死ぬほどの坂本九のファンだったのだ。このホテル、今でもローランサン美術館で有名。昔のご縁でコボちゃんと結婚してからもご招待を受けたことがあり、そのときの支配人が当時のボクの絵を買ってくれて、今も所蔵していて、会食のとき、コボちゃんにそれを見せていた。学生時代の稚拙な作品だったはず。ちと恥ずかしい。

▲ 通りゃんせブラシで清めお石様


0225・日・

 東京の予想最低気温が2度、最高気温が8度ということで、昨日が温かかっただけにガッカリ。おまけに雨や雪まで降るという。日の出は6時17分、日の入りは17時32分。まだまだ昼間が夜に敗けていて、春はまだまだ遠いのだ。

 1992年の今日、東大の入学試験の国語で映画「男はつらいよ」を題材にした問題が出た。主人公の寅さんの台詞についての感想を160文字で述べよという問題である。日本人なら誰でもこの映画を観ている、という前提で出されたのだろうが、たとえばボクのように一度もこの映画を観たことのない人間もいるし、そもそも東大を受験するような学生は映画館に入る暇もなく受験勉強をしていただろうし、そもそも映画を観るような金のない人間だっているはずである。受験生も世間知らずだが、試験問題を考える先生たちも世間知らずなのである、おそらく。

 終わった終わった、やっと終わったオリンピック。これで普通の生活に戻れる。安心してラジオを聴いていられる。NHKラジオでは冬季オリンピックの閉会式だけど、ボクはTBSラジオの「爛漫寄席」を聴いていた。バイバイ、オリンピック。

 日曜日の夜9時、ボクはときどきNHKラジオ第2で文化講演会を聴く。今夜は姜尚中(かんさんじゅん)さんの講演で「見抜く力」。夏目漱石の「ガラス戸の中」をテキストに作家と時代についての考察を展開する。これを書いているとき、夏目漱石は死を覚悟していた。そして実際、間もなく亡くなったのである。

▲ 嘘の春まだ開けられぬガラス窓




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