全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2018年1月1日~7日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。

◆ ウィークリーフレーズ 今週の言葉です

最低の時代の友人が 最高をわかちあう友となる

 慶應義塾志木高時代、恥ずかしながらも体育会の剣道部に所属していた。頭に白くて洗濯したての手拭を乗せ、汗臭いお面をかぶって、汗臭い道着にお古の防具、汗臭い小手に竹刀を握り、手拭以外はすべて汗臭いという環境で、えいやっとう!ぶんぶんぶんと振り回していたのである。その当時から休みのときはしっかりめかしこんで銀座のみゆき族、という、硬派なんだか軟派なんだかよくわかんないやつがいて、不思議と気が合っていた。そいつは渋谷の有名仏具店の御曹司で、失明後のボクの作品をアレンジしてアクセサリーにしてくれたり、あれやこれやと面倒見がよくて大変に助けられていたのだが、残念ながら20世紀最後の年にこの世を去ってしまった。彼の奥様はSKDの踊り子だった美しい人で、そのお兄さんたちはあの有名なフォークディオ、ブレッドアンドバターである。そういうことでブレバタのサッちんとは親しくしてもらっていて、一緒に歌作りなんかにも挑戦したことがあった。ニューヨーク個展がきっかけで米大陸デビューが決まったとき、サッちんに、
「これからは友だちと親戚が増えてくるよ」
といわれたことがある。有名人だけにリアリティーのある言葉だった。
 これまでに人生のピークを二度ほど味わっている。そして確かにその頃、友だちと親戚には不自由しなかった。ただし、失明して離れていった人たちが二度目の成功のときに図々しくも戻ってくることは、ほんの一部の例外を除いてはなかったような気がしている。ま、世の中には例外的に図々しい人も存在するのです。失明寸前、厳しい状態にあったボクに金を借りにきた画家がいて、厳しいことを知りながら金を借りにくるのだからよほど大変なのだろうとなけなしのお金を都合したことがあって、けれどもボクが何もかも失ったときは顔も出さなかったのに、全盲イラストレーターとして成功してからは展覧会に顔を出す、というような破廉恥な画家もいて、この人は特別に例外だったのです。
 さて、失うものをすべて失ってしまうと人の心がよく見えてくる。そして自分が何者なのかも見えてくる。絶望の谷底で途方に暮れていたとき、手を差し伸べてくれたのが志木高時代からの親友だった。彼が存在しなかったら今の自分は存在しない。父親や母親にとって、障害者になった息子は単なるお荷物でしかないが、親友にとっては健康であっても障害者であっても友人は友人。親友とは少年時代の夢の代名詞なのである。
「生きていてくれればいい」
そしてそういう親友は社会的な成功者であり、彼はボクの社会的復活を全面的にサポートしてくれるだけの力があったのである。そのありがたさをボクは細胞のひとつひとつで噛みしめている。初めての童話で新人賞をもらったとき、全盲アーティストとして表彰されたとき、三越本店での展覧会の初日で、人々が見つめるその中で彼を抱きしめ、その耳元で
「すべてお前のおかげだよ」
といった言葉には1ミクロンの嘘もない。彼という存在、その体重のすべてにはボクの全人生と同じ重さがあるのです。


◆1月・睦月・正月・
0101・月・元旦・

 明けましておめでとうございます。まずは神様とご先祖様にご挨拶。おかげさまで戦争も地震もなく無事に新しい年が明けたのである。明けましておめでとう。そしてコボちゃんに挨拶。それからアルルとミミにもおめでとう。ことしもよろしく付き合ってね。
 山口県の極上蒲鉾を肴に大吟醸で一杯やって、午後は年賀メールのBCC送信。まとめて送ってすいません。今年もよろしくお願いいたします。
 今年が古希、70歳を迎えるエム ナマエ。前半の35年間が目の見えた人生で後半の35年間が失明人生。さて、この見えない人生がいつまで続くのか。それはまったく見えません。人生双六、スリリングです。あはは。

 今年は平成30年、そして明治150年です。その元旦、各地の初日の出と日の入りの時刻です。札幌の日の出は7時6分、日の入りは16時10分。仙台の日の出は6時53分、日の入りは16時27分。東京の日の出は6時51分、日の入りは16時38分。大阪の日の出は7時5分、日の入りは16時58分。福岡の日の出は7時23分、日の入りは17時21分。さぁ、初日の出を拝んで、今年もよろしくお願いいたします。

▲ 去年今年(こぞことし)駒を進めてまたひとつ


0102・火・満月・初夢・箱根駅伝・往路・

 東京の日の出は6時51分、日の入りは16時39分。冬至直前、12月20日の日の出が6時46分で、日の入りが16時31分だから少しずつではあるが太陽の勢力が優勢になってきている。嬉しいことである。おおい、春は近いぞ、てのはちと気が早いかな。なんせ最低気温は2度、最高気温は11度なんだから。

 本日はスーパームーンであるとか。「おはよう一直線」で生島ひろしがそんな話題に触れていた。さて、1959年の今日、旧ソビエト連邦、ソ連が世界で初めて月ロケットの発射に成功している。この月ロケットは様々な観測機器を搭載し、月の近くを通過して太陽周回軌道に入り、人類最初の人工惑星となった。これがルナ1号で、ソ連の月探査計画、ルナ計画の始まりである。その後ソ連は1959年10月7日、ルナ3号で月の裏側の撮影に成功している。このときの白黒写真が人類が初めて目にする月の裏側であった。月探査計画で先んじていたソ連がアメリカのアポロ計画に遅れをとる原因とは何だったのだろう。国家の威信に国民の夢が勝利したのだろうか。なんて単純な構図ではないだろうが、考えてみたら面白いかもしれない。

 みんなでお風呂。まず、ボクが肩までつかる。次がコボちゃん。ごしごし洗う。そして最後がアルル。やっぱり肩までつかる。最後だからお湯もぬるくなって、アルルにはちょうどいいのだ。暖まったところでコボちゃんに頭の先から尻尾までワンちゃんシャンプーでごしごし洗ってもらう。シャワーで泡を落としてもらう。ピカピカアルル。けれどまだちょっと湿ってる。そこでエアコンの温風を最大にしてもらってボクのベッドで引っくり返ってる。明日はみんなで初詣だもんね。

 NHKラジオ「天使の初笑い」を聴いている。いつもの「天使の作り笑い」の新年バージョンである。そしたらグラリ、ミシミシ。何やら地面が揺れている。そこはさすがのNHKラジオ。たちまちのうちに地震速報。19時48分、関東地方に地震発生。震源地は東京湾。震源の深さは60キロ、マグニチュードは4.2ということだった。埼玉や千葉で最大震度3で各地の震度は1から2だったという。経験者の証言によると、その経験者とはボクのことだけど、世田谷あたりは震度2ほどの揺れだったと思う。ま、でかく揺れても小さく揺れても地面が揺れるというのはあまり楽しくはないのである。やだね、新年早々。

▲ 初夢や尻尾を振って鼻鳴らす


0103・水・箱根駅伝・復路・

 NHKマイ朝ラジオによると1951年、昭和26年の今日、NHKラジオで第1回紅白歌合戦が放送されたとか。大晦日に放送されるようになったのは2年後の第4回からだという。ボクが生まれてから3年目のこの第1回の紅白、覚えているような、いないような。ま、ませたガキだったから覚えているような気もする。娯楽の少ない時代だから周囲の大人たちが喜んで聴いていたのなら、ボクも聴かされたはずなのだ。3歳のとき、寄席の絵を描いて大人たちを喜ばせたような生意気なガキだったから当時の紅白歌合戦も聴いていたような気がするのだ。落語に講談、浪曲に流行歌にとんち教室。当時、ラジオはお茶の間の主人公だったのである

 昨日と同じようにスタートからゴールまで箱根駅伝に傾聴する。そして青山学院の頑張りが劇的で楽しめた。よほど往路の優勝を逃したのが口惜しかったのだろう。それにしてもすごいね、青山学院の4連覇。簡単にはできないことです。おめでとう。
 さて、復路の8区を走る関東学生連合の慶應義塾のランナーは慶應義塾志木高の卒業生と聞いてみんまり。やっぱり母校の活躍には心が踊ります。箱根駅伝のために強化を図っている慶應義塾競走部。いつかは単独で参加してもらいたい。近頃は慶應義塾の「け」の字もない箱根駅伝だけど、今から半世紀も昔の高校時代、父親に誘われ、家族して箱根まで慶應義塾を応援にいったことがあったよな。雪の積もった山道を学生たちが次々に駆け下りていったっけ。その後ろ姿に
「頑張れ、ケイオー!」
と声をかけて、ああ、オイラも慶應義塾の社中なのだと認識を新たにしたんだっけ。おそらく、父親もその感覚を味わいたかったのだろうね。父親の大学コンプレックスには箱根の山をも動かすものがあったんだと思う。ま、みんな戦争がいけないんだ。父親は大学の代わりに陸軍の戦車学校に入学したんだもんね。ペンの代わりに鉄砲だもんね。試験科目は人殺しだもんね。気の毒だと思います。

 箱根駅伝がゴールした時点でお出かけ。コボちゃんとアルルとでいつもの神社にお礼参りである。この神社、一昨年に失われた鈴はまだ戻っておらず、神様に自分の存在を知っていただくために大声で言上する。そうなんです。あのお賽銭箱の上にぶら下がってる巨大な鈴、神様に気がついていただくための鈴なのです。失礼ながらたとえさせていただくと、ホテルのカウンターに置いてあるベルのようなものなのです。さて、足元にはお風呂に入ったばかりのぴかぴかアルルがきっちりお座り。初詣はあれこれお願いするもんじゃない。昨年一年間、無事に過ごせたことへの感謝のお礼参りであることを我が家のアルルはちゃんと知っているのです。

 今夜もスーパームーンが期待されている。まだまだ東京の空は人に汚されず、美しいのだ。そうコボちゃんに伝えると、
「知ってるよ。昨夜も見たし、今夜も見るもん」
と鼻の先であしらわれた。そしてその通り、透析からの帰り道、コボちゃんは明るく輝く月の周辺に美しく冬の星たちがまたたいてる様子など、詳細に実況中継してくれるのだった。

▲初詣今年もお礼参りかな


0104・木・

 1980年の今日、「野生のエルザ」の作者、ジョイアダムスンがケニアの動物公園の中で遺体で発見された。当初はライオンに濡れ衣が着せられたが、真犯人はアダムスンさんの雇人だったことが判明する。アダムスンさんは我々動物好きの人種にとっては憧れの人物。ライオンと人間の共存を実例をもって示した人であったのだ。映画も制作され、「ボーンフリー」という名曲も生まれている。1980年という年はボクが二度目にケニアを訪れた年。目の前でライオンに吠えられて腰を抜かしたときの旅であるが、そのときには既にアダムスンさんはこの世の人ではなかったのだ。

 ディケンズの荒涼館につかまった。いや、とうとうはまってしまったのだ。面白い面白いと聞いてはいたが、今ひとつその魅力がわからずにいたのが、昨夜のこと、気がついたら19世紀の霧と煤煙の底に沈んだロンドンに飛び込んでいる自分を発見したのである。さぁ、大変。この本、やたら長いのだ。抜け出すには時間がかかりそうだぞと思っていたのが引き続き今日も荒涼館を読んでいる。プレクストークの再生スピードを標準にして、じっくりと時間をかけて読んでいる。不思議だね。心のチャンネルを切り替えるだけで19世紀のロンドンに飛んでいけるのだから。ボクという肉体には同時に吉川英治の平家物語も村上春樹の戦後日本もチャールズディケンズの19世紀も、そして教養書も週刊文春も同時に存在できるのだ。これこそが本の力なのである。わはは。

 昨年の暮れから全盲イラストレーターを福笑いイラストレーターにしようかな、なんて考えている。最近はそうでもなくなったが、以前は全盲という響きに抵抗を感じる人が少なからずおられて、視覚障碍のあるイラストレーターとか、目の不自由な画家とかに言い換えられそうになってしまうこともあった。本当はメクラのイラストレーターがいちばんいいんだけど、それじゃ放送禁止になってしまう。メクラって言葉、わかり易くていいんだけどな。目の見えない事実が差別の材料にされてしまうのは残念なことである。見えていた時代も見えなくなってからもエム ナマエという人間の中身に何も変わりはないのにね。で福笑いイラストレーターはどうかしら、なんてアイディアが閃いたんだけど、立ち止まって考えれば福笑いは目隠しを取り去れば自分の作品を確認できるわけで、そこが全盲イラストレーターとの決定的相違点。ボクは目隠しを取り払っても目は見えないままなのだ。というわけで今も福笑いイラストレーター宣言には躊躇しているのである。

▲ 全盲の画家は今年も福笑い


0105・金・小寒・

 本日の東京の日の出は6時51分、日の入りは16時42分。雪が降るといわれていたがその心配はなくなったみたい。雪が積もると透析の行き帰りが厄介だ。でも、これからは大丈夫。スバルのアウトバックがきてくれて、四輪駆動のオールウェザータイヤで最低車高が20センチで、都会の雪道くらい、スイスイと走っていけるのだ。鬼に金棒なのだ。誰が鬼なのかは知らないけれど。

 1955年の今日、日本で初めてのシネラマが公開された。35ミリ、3代のカメラが撮影した映像を3台の映写機で巨大なスクリーンに映写するというもの。人間の視野いっぱいに広がる、迫力と臨場感あふれる映像空間を再現しようとしたもの。そう。人間という生き物はまこと欲張りな種族なのである。
 最初の公開は帝国劇場、帝劇だったが、その後になってシネラマ上映を専門とするテアトル東京が京橋に開設された。この激情に足を踏み入れた切っ掛けは麹町中学の学校鑑賞会。先生に引率され、学年でシネラマを観にいったのである。「不思議な世界の物語」はグリム兄弟の伝記で、ファンタジーの場面ではゴジラみたいな着ぐるみでなく、わざわざ作った実物大のドラゴンが本物の火を吐く迫力に度肝を抜かれた。まるで品行方正な生徒みたいに中学の団体鑑賞でシネラマの迫力に魅了されてしまったのだ。先生の罠にはまってしまったのだ。次のシネラマ体験も中学の先生に連れていかれたものだった。きっと誰か、シネラママニアの先生がいたのだろう。作品は「西部開拓史」。シネラマで観る西部劇の迫力は凄まじかったけど、女優がフィルムの継ぎ目を外して演技しているのがおかしかった。この女優、縄跳びするみたいに継ぎ目を避けていたのだ。ということで、フィルムの継ぎ目を気にしないで見られるのが70ミリだった。その代表格が「2001年宇宙の旅」だろう。この作品がテアトル東京で公開されたときはSF映画に目がないボクは真っ先に飛んでいった。1968年、まだ人類が月に到達する前、実際の地球丸ごとの映像を手に入れる以前の宇宙旅行映画であるが、その真実に迫る映像美に度肝を抜かれた。真実でないのに決まってるのに度肝を抜かれてしまったのである。この映画館の特徴は巨大スクリーンに向かって座席がせり上がっていることで、最前列など、自分のすべてをスクリーンが囲む形となり、まさに鑑賞者が映画の世界に一体化してしまうところにあった。朝いちばんで劇場に飛び込み、最前列の席に座りこむ。そのワクワク感は今もボクの記憶に鮮やかである。そんなテアトル東京ならではの映画といえば他に「スターウォーズ」や「未知との遭遇」があり、そんな作品がかかるときは必ず京橋まで地下鉄銀座線で駆けつけたものだった。期待が大き過ぎたので地下鉄の中を駆けながら駆けつけたのである。スペクタクルを期待したのが「トラトラトラ」や「地獄の黙示録」などの戦争映画だった。いつかテアトル東京のような映画館が再び現れて、これからの映画ファンを魅了すればよいのにと、目の見えないボクはときどき考えるのである。

 午前11時過ぎのことである。いつもの時刻、いつものように昼寝をしていたらケータイが
「地震です!地震です!」
と騒ぎ出した。こいつはよほどデカイのがくるな、と身構えたんだけど、それらしい揺れはこない。そのうちラジオでは茨城で震度3、震源地は富山県、なんておかしなことを言い出した。これはあとで判明するのだけれど、茨城県と富山県でほぼ同時に発生した地震をコンピューターが区別できず、震度3の揺れを震度5と判断したためらしい。デッカイ地震じゃなくてよかったと胸を撫で下ろしたんだけど、今度は日が暮れて安心して眠ってる真夜中に、本当にグラグラグラ。小さくはない揺れである。途端に猫が飛んできた。コボちゃんも起き出した。ああ、昼間の地震の仕返しだ。飛び起きてラジオをつけたら0時54分、東京都23区で震度4と告げている。震源地は千葉県北西部。震源の深さは80キロ。マグニチュードは4.8と思ったより小さいが、それにしてはやけにしつこく揺れてたな。津波もないということで、そんな程度の地震で津波なんかにこられてたまるもんかと想いながらも、とにかく安心して猫を抱きしめて再び眠りに落ちたのである。ところが、ところが、翌朝のニュースで未明に伊豆で地震があったという。ここんとこやけに日本列島が揺れてて、新年早々地震恐怖症になりそうだ。戌年は犬笑うといって、株が上がるらしいが、地震で犬が泣く、てなことにならないよう願いたい。

▲ 正月の地震は猫が飛んでくる


0106・土・出初式・

 いつものNHKマイ朝ラジオ情報である。1912年の今日、ドイツの地球物理学者、ウェゲナーが大陸移動説を発表した。およそ3億年前、南北アメリカ、ユーラシア、アフリカ、インド、南極の各大陸は巨大なひとつの大陸で、それが次第に分割して移動して今の形になったと唱えたのである。当時としては驚愕の学説ではあるのだが、ジグソーパズルのマニアなら一目瞭然。世界地図を見つめていれば自然に浮かび上がるアイディアかもしれない。ということはジグソーパズルはずいぶん昔からあったのです。小学生低学年のボクでさえ、「世界の不思議」というような児童図書の口絵でその図解を目にした途端に納得したのを覚えている。

 1968年の今日、大相撲初場所の番付評でハワイ出身の高見山が外国人力士として初の入幕を果たした。東前頭9枚目となり、大相撲の国際化の幕を切ったのである。めでたいことと喜ぶべきことなのかもしれないけれど、振り返ればそれが本当によかったのかどうか。日本の相撲は相撲。国際的な相撲は相撲オリンピック。その方がわかり易かったんじゃないのかな。相撲とスポーツの決定的違いは相撲は大きいのと小さいのが全力でぶつかり合うところ。体重制限なんか導入したら面白くないのである。プロレスはわくわくするけれど、アマレスは面白くないもんね。

 日本人が初めて南極点に到達したのは1968年のことである。日本の南極探検隊、意外とのろたらしてたのだ。南極探検の記録映画の記憶って、小学生のときで、この1968年てのはボクが成人した年のこと。ということは小学生のボクが昭和基地で待っていると、成人したボクが南極点到達を知らされる、ということになるのかな。ならないのかな。とにかく驚いたのは南極点って、そんなに大変な場所にあるってことなんだ。と思っていたら現在、単独無補給でひとりの日本人男性が100キロのソリを引いて南極点に歩いて向かっているということを少し前に書いたことがある。この人、冒険家の荻田泰永(おぎたやすなが)さん。同じことをまた書いてしまうけど、この荻田さん、これまでも同じように単独無補給、徒歩による北極点到達に何度も挑戦していたのだが、北極の氷は海に浮かんでいて、何度も落っこちているので、北極はあきらめて大陸の上にある南極点を目指したというのだ。この人、海外旅行は北極と南極にしかいったことがないという珍しい人。よほど夏がお嫌いであるらしいから一刻も早く南極点にたどり着けることをお祈りしてます。と、ここまでは既に書いたことだけど、その荻田泰永(おぎたやすなが)さんがとうとう南極点にたどり着いたのだ。よかったね。で、この人物を自分の番組で紹介した久米宏さんが早速南極に衛星電話で語りかけた。そのインタビューでは驚くことばかり。南極点はじっとしてないということ。南極点には既に米国調査隊の立派な建物があること。で、この荻田さんは飛行機に乗って直ちに帰国するということで、南極点と成田空港には直行便があったことにも驚かされたのだけれども、歩いていくのは大変な南極点から一足飛びに帰国された荻田さん、帰国後の1月27日の土曜日、この番組、「久米宏のラジオなんですけど」に登場することになっている。楽しみなことである。

▲ 南極点出たら出たまま初日の出


0107・日・七草・

 1989年、昭和64年の今日、昭和天皇が崩御された。翌日から元号は平成となり、昭和という時代が幕を閉じる。そう。この日はボクら昭和生まれの世代には忘れられない一日となったのだ。ボクはコボちゃんとその最後の数時間を一緒に酒を飲んで過ごした。日付が変わる瞬間、そのボクの何ともいえない気持ちを果たしてコボちゃんが理解してくれていたかどうかは不明である。時報を告げるアナウンサーの声が震えていたっけな。

 名著「君たちはどう生きるか」がベストセラーになっていると聞いて欣喜雀躍、狂喜乱舞している。吉野源三郎原作のこの本。失明直前で苦悩の真っ最中のボクが救われた一冊である。失明を宣告され、その運命から逃れられないと諦観したボクが、その運命を待ち構えていた恵比須時代、NHKFMで流されていたこの書物の朗読を偶然耳にして、それから最後まで聴き通したのである。「君たちはどう生きるか」は失明後のエッセイ「夢宙船コペル号」の執筆にヒントを与えてくれた一冊となっていく。サピエ図書館で検索したところ、ワイド版岩波文庫の「君たちはどう生きるか」がヒットしたので早速ダウンロードして読み始める。ありがたいことにこの原本は1937年刊行のオリジナル版。都電は市電だし、山手線は省線となっている。国鉄でなく、鉄道省の省線なのである。33年ぶりの再読であったが、読み始めた途端、当時の感動がたちまちのうちに蘇る。この書物は1937年、少年少女の健全なる育成を志して刊行された日本少国民文庫を締めくくる一冊で、ファシズムに投じられたヒューマニズムの一石(いっせき)。若い人たちに健全なるコモンセンスとは何かを伝える見事なる文学作品である。この書物が日中戦争の真っ只中、軍国主義の勃興で言論が弾圧されている時期、ヒトラーやムッソリーニによるファシズム全盛の時代に「真実一路」や「路傍の石」の文豪、山本有三によって企画されたことの重要性は大きい。正に今、安倍晋三やトランプのようなまっとうでない政治家、欲望ロボット、野望ロボットが跋扈する時代に、この書物が百万部を突破する意味は大きいと思う。欲望ロボット、拝金主義者が世界の運命をにぎっているこの21世紀に、今後も読者を増やしていくことを心から祈りたい。

▲ 新年や昔の本を読んでます




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