全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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Author:emunamae
いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2017年12月11日~17日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。

◆ ウィークリーフレーズ 今週の言葉です

下り坂と 上り坂
どちらも数は 同じだけ

 若かりし頃の話である。父親は自分が楽をしたいからボクを徹底的にしごいた。偉くなって俺を左団扇に暮らさせろと努力の人間に鍛え上げようとした。もちろん父親の偉くなれという意味は高級官僚になれ、ということで、イラストレーターや物書き
のことではない。つまり、今の自分は父親の期待を裏切っているわけで、とはいえ、父親に
「勉強は自分のためにするもんだ」
と繰り返しいわれてきたことがすべて嘘で、自分は父親を楽させるために勉強しているのだと目が覚めて以来、この裏切りは予定の行動ではあるのだが。
 そういう人間ではあったが、この父親、たまにはいいことをいう。宝石のような格言もいう。その中でよくも悪くも最も記憶に残っているのが
「苦あれば楽あり。楽あれば苦あり」
というものだった。ま、こういうことをいうってことは、父親は楽をすることが人生の目的だったということだが。
 さて、上り坂が苦であるならば、下り坂は楽、ということになる。丘の頂上に家を建てた男はお出かけのときは楽で、家へ帰るときは苦ということになり、だんだん家から足が遠くなり、他の家に女を作る、ということになるかどうかはわからない。それは男の趣味の問題である。
 地下鉄に乗っているとき、照明の下に浮かび上がる様々な顔の、どれが上り坂の人で、どれが下り坂の人なのか、観察すれば暇つぶしにはなるかもしれない。でも、人によっては上り坂が好きな人もいて、そういう人たちのことをマゾといったりする。疲れているからといって不幸とは限らないのである。
 さて、この上り坂と下り坂、どちらも数は同じだけ、は受け取る人の好み次第で意味は様々である。そしてその意味合いはその人の生きてきた過程に大きく左右されるのである。上り坂を楽しめる人は下り坂を恐怖するだろうし、下り坂が楽しみな人は、今の上り坂を苦労ととらえるだろう。どっちにしろ人生はプラマイゼロ。プラスだけの人生も、マイナスだけの人生も存在しない。いいも悪いもなく素直に生きていければ、それでいいような気がするのである。


1211・月・

 本日の東京の日の出は6時40分、日の入りは16時28分。予想最低気温は5度、最高気温は16度である。16度というのは温かくて助かるけど、年越しまであとどれだけ寒くなっていくことか。やだな、寒いの。

 1957年、昭和32年、ボクが9歳の年の今日、100円硬貨が誕生した。硬貨として当時の最高額面の発行である。初めて手にしたとき、その銀色の輝きは子どもの自分に無敵の輝きに思えたものだった。なんせ、それまでは穴あきの50円玉が王様だったのだ。といっても、大きな方の50円玉である。ちんけな方の50円玉ではない。100円玉が登場する前は、あの大きな50円玉が文字通りでかいツラをしていたのである。そのデカイ50円玉がぴったり10枚入る透明プラスティックの貯金箱があって、いっぱいになると500円。その500円があれば目玉を光らせてノッシノッシと歩くブリキのロボットも、ピカピカ光線銃も買えたのだ。だから50円玉がもらえるということは、ロボットや光線銃まで一歩だけ近づけた、ということだったのだ。

 昼寝をしようと思ったら、遊歩道で小さな子供の声がする。滅茶苦茶なきんきん声。ソプラノなんてもんじゃない。殺人音波兵器に採用したいくらいの高周波なのである。それが遊歩道を右へ左へいったりきたり。連れているのは誰だろう。誰でもいいけど、あなたにとってはその可愛い声も、こっちにとってはただの迷惑、超雑音。何とか黙らせてはもらえませんかね。

 今夜のラジオ深夜便、「暮らしの頼り」はボクの大好きなレポーター、山形県戸沢村の最上川船下りの船頭、古瀬イツ子(ふるせいつこ)さん。このおばさんの語りが秀逸なのだ。どんなに訛っていて、いってることがわかんなくても、それはラジオ深夜便の山川アンカーが通訳してくれるから安心。なんせ山川さんは喉自慢の司会者だったから、全国の放言に精通しているのである。このおばさん、昭和30年生まれというから、ボクより7歳年下。とはいえ、船頭さんをやるにしてはちと高齢だと思うんだけど、いつもお元気で仕事を楽しんでおられる。春は新緑、夏は青葉、秋は紅葉、冬は雪見船と、最上川の舟下りを報告してくれるのだ。ということで、今夜も楽しませてくれて感謝です。

▲ 初雪や女船頭最上川


1212・火・

 NHKマイ朝ラジオによると1956年の今日、国連安全保障理事会が全会一致で日本の国連への加盟を決定したという。敗戦から11年、日本は80番目の加盟国になれたわけで、敵国だった日本がやっと仲間に入れてもらえたのだ。やっぱさ、戦争なんか始めるもんじゃないよね。
 1963年の今日、映画監督の小津安二郎さんが60歳でお亡くなりになられている。「麦秋」や「東京物語」などの数々の名作を生み出した監督の墓碑には「無」の一文字が刻まれているという。黒澤作品みたいにチャンバラはないし、ゴジラみたいな怪獣も出てこないし、やたら地味な作品だったから、目の見えていた頃の自分にはとても興味の持てそうもない作品で、残念ながら馬鹿な自分は小津作品を目にすることがなかったのである。けれど今はサピエ図書館の音声映画で小津作品を知ることになり、その世界に夢中になっている。何よりも戦争直後の誰もが貧しかった昭和レトロの世界に魅了されているのである。原節子(はらせつこ)の古きよき戦後言葉もまた懐かしい。近所のおばさんたち、みんなこのしゃべり方だったんだよね。もしも今、こんなしゃべり方をされたらじれったくてひっぱたいちゃうかもしれない。悪いけど。

 日馬富士や白鵬など、モンゴル人横綱の振る舞いに世間の耳目が集まっている。そこで過剰なるマスコミの反応についてTBSラジオデイキャッチが元大関の小錦に出演依頼をした。小錦八十吉(こにしきやそきち)。1963年、ハワイ生まれ。大関に昇進した最初の外国人力士である。横綱昇進のチャンスにも恵まれたが残念ながら認められることはなかった。そこで外国人力士にとっての品格とは何かで議論伯仲。品格を問題にされ、横綱になれなかった小錦ご本人は
「太り過ぎだったからね」
と笑っておられたが、レギュラーの小西コメンテイターに品格を言葉で説明してくれと迫ってもいた。もちろん、それは小錦と小西がちょっと名前が似ているからではなく、小西コメンテイターが同時通訳者であるからだろう。けれども小西コメンテイターがいくら英語に堪能でも横綱の品格について小錦にうまく説明できるとは思えない。そこには外国人と日本人の間を隔てる深くて大きな川が横たわっているからだ。言葉では越すに越せない深くて暗い川があるからだ。大相撲に外国人が参加することに異議を唱えるつもりはない。ボクはハワイからやってきた高見山も小錦も心から応援していたし、横綱になれなくて口惜しくてたまらなかった小錦に心から同情もしていた。小錦のファンとして、ボクも口惜しかったのである。なんせ、小錦はボクが顔を知っている最後の力士だったのだ。けれども白鵬や日馬富士に代表されるモンゴル人力士の勝てばよい、強ければよいという相撲観には賛成できないし、認めたくもない。そんな相撲に土俵の美学はないのである。横綱の本当の強さとは遅れて立ち上がり、自分より格下の相手を受け止め、それでもなお負けない強さでなければならない。横綱貴乃花はその本物の横綱相撲で22回の優勝記録を樹立している。その実績は白鵬の40階優勝の事実をはるかに超える偉業なのである。白鵬の、相手の出鼻をくじくようなはりさし、かちあげ、エルボーパンチ、ましてやネコダマシなんて、横綱のやることではないのだ。そこが貴乃花親方の許せないところに違いないのだ。今後、モンゴル人力士たちにその点を指導していけるような相撲協会であってもらいたいと思う。白鵬が今度また、初場所ではりさしやかちあげをやるようだったら、みんなでブーイングしてやればいい。別にモンゴル人力士だから許せないというのでは、もちろんない。ボクはモンゴル出身の照ノ富士も逸ノ城も応援してるし、貴乃花部屋の貴ノ岩も好みの力士なのである。

▲ この夜もまた小津映画見たくなる


1213・水・煤払い・

 1974年というと、ボクの最初の結婚の翌年のことであるが、その年の今日、この年のGNP、国民総生産が戦後初めてマイナスとなる見通しであることが判明した。いわゆる石油ショックで物価が急上昇したことが原因とされている。世間からトイレットペーパーが消えたのもその頃の出来事である。そしてその頃はボクもトイレットペーパーを求めてスーパーマーケットを走り回ったり、パチンコでタバコ代を稼いだり、いろいろと大変だったけど、ボクが売れないイラストレーターで低所得であったことと、マイナス成長はまるで関係がないと思う。当たり前だけど。

 普天間第二小学校の校庭に米軍ヘリの窓枠が落下した。生徒たちが活動している、その現場に危険物が落下したのである。許してはならない出来事なのである。そしてこの小学校、ボクが全校生徒に向けてお話しさせてもらった小学校なのである。2003年3月5日にボクは善行生徒に向けてお話したり、大きな黒板に絵をかいたり、講堂代わりの体育館に盲導犬アリーナを走り回らせたりして全校生徒との楽しい時間を共有したことがあるのだ。けれどもその間も上空を米軍の攻撃ヘリがいったりきたりする音が聞こえていた。そこでボクは黒板に羽根のはえたエレファント、エアファントの絵をかき、
「この飛行物体は爆弾を落としたりはしません。ウンコは落とすかもしれませんが」
なんて下らないギャグを飛ばしてみんなに馬鹿にされていたのである。あの頃の子どもたちも大きくなってしまったんだろうな。ボクは米軍基地の町に何年も暮らしたことがあって、その騒音被害をリアルに体験している。アメリカ兵とも親しくなって、いつも一緒に飲み歩いていた。米軍基地の重要性を認めるならば、そのリスクはすべての国民が分け合うべきだとボクは考えている。アメリカに国を守ってもらいたいなら、みんな喜んで自分の町に米軍基地を迎えるべきなのである。万歳、アメリカ軍。バンザイ、自衛隊。自分で鉄砲をかつぐつもりがないんなら、仕方ないじゃありませんか。

 してやったり。加計学園にソンタクロースがやってきた。サンタクロースじゃない。ソンタクロースである。こんな愉快なことをいってるのはTBSラジオ・デイキャッチの時事川柳の常連投稿者、まきしまようこさん。この人、このコーナーのお馴染みさんで、とてもクレバーな女性。これまでも何度もチャンピオンになっている。ソンタクロースとか自動忖度機とか、今年は忖度がらみで色々な言葉が生まれました。クリスマスなんかなければよいと考える母子家庭のお母さんが多くおられると聞くが、ソンタクロースでいいから、そういう家庭に忖度でないプレゼントを配り歩いてもらいたいものである。

▲ いつの日かアメリカ軍を煤払い


1214・木・

 1911年、明治44年の今日、ノルウェーの探検家アムンゼンが人類で初めて南極点に到達した。同じ時期に南極点に向かっていたイギリスのスコットよりおよそ1か月早い到達だった。話しは前後するが、この前の年、1910年の今日、日本人の操縦により初のテスト飛行が行われている。東京の代々木練兵場(れんぺいじょう)で日本の日野熊蔵陸軍大尉がドイツ製の飛行機を操縦したもので、まぁ、よくぞ飛んだというか、よくぞ飛べたものだと思う。どれだけ練習したのか知らないけれど、どれだけ高く飛んだのか知らないけれど、よくやったよな、と思う。南極点に達することも、機械で空を飛ぶことも、当時としては偉業だったわけで、それがこの時代、20世紀の始めということなのだ。と、20世紀生まれのボクは感慨深く思うのである。ちゃんちゃん。

 本日はT氏親子との望年会(ぼうねんかい)。親子といっても還暦過ぎと30歳を過ぎたご長男である。お父上とのお付き合いはかれこれ四分の一世紀。糖尿病患者のための専門誌で表紙を描かせてもらったり、その月刊誌で連載ノンフィクションやエッセイを書かせていただいたり、糖尿病協会や学会の主催の講演会やイベントで一緒に全国を走り回って糖尿病に関する啓蒙活動に貢献してきた相棒で、ボクが最も尊敬する人物のおひとりである。このご長男、一緒にニューヨークへいったときはまだ中学生だった。ボクのニューヨーク個展に母親に連れられて参加してくれたのだ。個展の飾りつけのときなど、あれこれアドバイスなんかもしてくれたっけ。それからずっと変わらずT氏ご一家とは家族の付き合い。この望年会(ぼうねんかい)も恒例になりつつあるのです。
 さて、約束の時間までギリギリのタイミングで千円カットに飛びこんで髪を切る。バッサリと切ってもらう。するとカットのおねえさんに、
「この髪の毛の多いところ、もっと切ってもいいですか」
なんて嬉しいことを聞かれて有頂天。半世紀ぶりに刈り上げなんてことを経験する。うん、スッキリ。これで夏まで大丈夫。と思ったらコボちゃんから、
「わっ、おかしな髪の毛!」
とけなされる。だって仕方ないじゃん。髪の毛の多いところ、なんておだてられたんだもん。で、間に合った。T氏親子と経堂駅改札口で無事に合流できたのだ。
 さて、クルクル寿司へ一直線。この回転奉仕式店舗、前から一度いってみたかったのだ。ところが着席したはいいけれど、タッチパネルの注文の容量がわからず、最初の握りが出るまで30分もかかってしまう。ああ、腹減った。と思ったら長男は既にしっかり食べている。タッチパネルなんか無視して、クルクル回ってくるのを次から次へと食べてりゃ、それでよかったんだ。手続きにこだわると目的が達成できないという、ああ、教訓になりました。こんなクルクル店舗はイヤだ。クルクル回るお寿司より、やっぱり腰の落ち着いている食い物がいいよな。ということになって馴染の焼き鳥屋、「鳥銀」に河岸(かし)を変える。やっぱり、
「おばさん、砂肝焼いて」
と声をかけて、熱い砂肝の串焼きが出てくるところがいい。アルバイトのおねえちゃんはオタオタしてたけど、うるさい音楽もかかってないし、うるさいガキどもも騒いでないし、やっぱややこしいデジタルメソッドでない、昭和レトロの本格焼き鳥はいいよね。釜飯も旨かった。お焦げも旨かった。鳥銀のおじさんおばさんも、お元気でよかった。盲導犬アリーナをウェルカムしてくれた心優しい焼き鳥夫婦。あの頃は盲導犬を歓迎してくれる店なんか、ほとんどなかったんだよね。ありがとうございました。というところで、みんな満腹、大満足。クルクル寿司で注文にもたついて遅くなってしまったから今夜のカラオケはおあずけ。また今度にいたしましょう。

▲ 釜飯やお焦げ親子で奪い合い


1215・金・

 寒くて朝からアルルをボクのベッドに寝せてやる。エアコンの暖房設定も25度にあげてやる。この寒さ、11月16日からずっと続いているそうな。で、お昼ちょっと前、天井で一生懸命働いているエアコンがミシリと小さな音をたてた。エアコンの運転には関係のない音である。あ、くるな。そう思った瞬間、小さく、グラリ。間違いない。地震である。こういうときは反射的にNHKラジオにチューニング。すると、某有名作家の先生がスマートにしゃべってる。あれ、間違ったかな。そう思ってラジオを離れようと思ったら、そこへ地震速報が割り込んできた。地底100キロの震源だから、震度2で、かなり広範囲に揺れたらしい。東京のあちらこちら、埼玉でも栃木でも、千葉でも神奈川でも、山梨でも静岡でも、震度1では関東甲信でも伊豆諸島でも揺れたと報告されている。震源地は東京湾。震源の深さは100キロ。マグニチュードは4.4とされている。江戸っ子のナマズさん、これ以上暴れずに、どうか静かにしていてください。

▲ 山茶花や男ばかりの俳句会
 これはNHKラジオへの投稿俳句。無断拝借ごめんなさい。どうも男ばかりは男から好かれないらしい。TBSラジオ、金曜日の「たまむすび」、男と男の放送で、片一方が玉袋筋太郎で片一方がマッチョ系のアナウンサーで、なんだかちょいとエンガチョで、悪いと思いつつ、耳に届いた瞬間に、ほとんど反射的に消してしまうんですよね。ごめんなさい。

 今夜もアラームをセットして深夜24時半からのJ-WAVE、金沢雅美のSomewhere in Asiaを聴く。番組のナビゲーター、マスコットガールのヤーメイが、このヤーメイというキャラクター、シンガポール生まれの女優、金沢雅美さんが演じているのだけれども、シンガポールの友人や親戚がみんな雪が見たいと憧れているといっている。ユキダルマを作ったり、スキーをしたいといっている。と、ヤーメイがナビゲートするのである。シンガポールのクリスマスって、どんなクリスマスなのだろう。お日様カンカンのクリスマス。きっとみんなホワイトクリスマスに憧れているんだろうな。ボクはハワイとグワムで常夏のクリスマスを経験しているけれど、冷房の中で眺めるクリスマスツリーって、いくらピカピカ光ってくれても、身体のどこからもジングルベルが聞えてこないんだよね。つまんないよお。

▲ 常夏や暑くてサンタ苦労する


1216・土・

 NHKマイ朝ラジオ情報によると1890年、明治23年の今日、日本で初めて電話交換業務が開始されたという。当時の電話加入数は東京で155、横浜で42という数字だった。となると、かける相手が限定されてるわけで、そういうのを便利というんだろうか。交換手さんも、番号でいうより、名前でいってください、なんてリクエストしちゃうかも。でもやだね。誰かさんと誰かさんは、毎晩のように長電話してますよ、なんてバレちゃうしね。今夜も電話したいけど、ガマンしようかな。それとも黙っていって、泊まってしまおかな。内緒だよ。なんてね。この当時の電話加入者、みんな早く電話に入ってよ、とイライラしてたんだろうな。ところで電話交換業務が始まる前って、みんなどうやって電話をつないでいたんだろ。自分で歩いてって、線をつないだりしたのかも。不思議だね。

 毎週土曜日、朝の楽しみは10時からのNHKラジオ寄席「真打競演」。今朝は松鶴家千とせしょかくやちとせ)師匠の登場。思わず、
「待ってました!」
と声をかけてしまう。この師匠、ボクの知っている限り、1974年から、
「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ?」
のワンフレーズで通してきているけど、何十回、何百回聴いても飽きることなく笑ってしまうのだ。この1974年という年、ボクが小田急経堂アパートという建物で仕事を始めた年で、同じ建物に大先輩のイラストレーター、近藤芳弘さんがいらして、その近藤さんと松鶴家千とせ師匠がよく似ていて、しっかりと心に刻みつけられてしまったのだ。
「ヘェヘェヘェ?イ!、シャバダバダディ?!、イェーイ!。俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けで、父さんは胸やけで、母さんは霜やけだった」
と歌いかけてくる歌声はなかなかのもので、ジャズ歌手を志望したことがあるというのも納得である。1938年生まれというから、ボクよりも10歳上のお兄さん。新しい芸もネタも積極的に導入して、精進を重ねている。その生き様の土台にはかなりなインテリジェンスを感じてしまう。やっぱ、この世でいちばん賢いのは芸人さんたちだと思わされてしまうんだよね。これからも期待してます。どうかいつまでもお元気で。

▲ 寒烏かあかあ鳴いて前のめり


1217・日・

 1903年、明治36年の今日、アメリカのライト兄弟が人類初の飛行に成功する。自作のガソリンエンジン飛行機により、この日の4度目の挑戦で滞空時間59秒、飛行距離260メートルを記録した。この成功から66年して人類はその飛行距離を月まで延ばしたんだから驚異である。この進歩ぶりだと、AIが人間の形をして友だちになってくれる日も近いのだと思うな、やっぱ。

 朝からアイディアが出なくて困っている。月刊ラジオ深夜便「しじまのことば」のいつものイラストレーションである。いつものイラストレーションではあるが、テーマは毎回違うのだ。二度と同じ詩人は登場しないのだ。だからもちろん同じ手も通用しない。そうか。うまくいかないのは明日が新月だからかもしれないぞ。なんてね。狼男じゃあるまいし、月の満ち欠けで強くなったり弱くなったり、頭がよくなったり悪くなったり、毛がはえてきたり抜けたりしてたまるもんか。髪の毛は薄くなる一方だけど。とほほ。と苦しんでいるうちに考えがまとまってきた。要するに全盲のボクの画力では火鉢の表現が難しいのだ。陶器の火鉢を描いても、それがなかなか火鉢に見えないのだ。へたするとでかい茶碗に見えたりしてしまうのだ。そこで浮かんできたのが長火鉢。これだったらわかってもらえるだろう。それから茶碗と急須も難しい。いっそコーヒーポットにしてしまおう。火鉢に焼け残ったパン、という情景だから、ここは西洋風で統一してしまおう。長火鉢にコーヒーポットで、ちっとも統一的ではないけれど、面白さはあるかもしれない。そういえば東君平さんの書斎には長火鉢があって、君平さん、そこで仕事をしていたっけ。
 さて、練習開始。何度も描いてみて、手が覚えたところで本番突入。うん。木曜日の締切までには何とかなりそうだ。満月にはまだまだ遠いけど。うおおお、わんわん。

▲ 年の瀬の書斎に欲しい長火鉢



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