全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2017年3月13日~19日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0313・月・

 今朝のTBSラジオ「スタンバイ」は7千回の記念的放送だった。ここまでになるには26年と11か月もかかっている。考えてみると、ボクとコボちゃんが結婚してから今月でちょうど27年。てぇことは、ボクらが結婚した翌月にこの番組が始まってるってぇことで、ボクらの暮らしと番組の歴史はほとんど重なってるんでやんす。タケローさんもボクも古くなった訳でござんすよ。放送が開始されたとき、メインキャスターの森本毅郎、タケローさんは50歳と若かった。そのタケローさんが今年77歳で、このボクが68歳。ボクから見ればタケローさんは9歳年上のお兄さん。そのお兄さんのタケローさんのお兄さんは森本哲郎さんといって、旅に関する名エッセイストで、目が見えている頃からボクはその作品を愛読していた。森本兄弟にはお世話になっているのだ。タケローさんがNHKからフリーになったとき、破壊された古いビルディングの塵埃の中から忽然と現れる森本毅郎という、古い殻を破って誕生する真新しい森本毅郎を象徴するショッキングな映像を流したTBSテレビの画面は今もボクの脳裏に鮮明に焼き付けられている。タケローさん、人生においても慶應義塾においても尊敬すべき大先輩で、これからもどれだけ古くなっても番組を続けていただきたいし、ボクもどんなに古くなっても、命ある限り拝聴いたします。

 原発ゼロを前面に押し出して安倍政権との対立軸を鮮明にしたい蓮舫さんだけど、民主党政権時代、国家戦略の圧力に敗けて事故原発の終息宣言をしたのは野田佳彦じゃなかったっけ。となれば、あの人とのタッグでは政権交代はとても無理。そもそも民主党政権を卓袱台返ししたのは野田佳彦。そういう印象を抱く人は少なくないはず。蓮舫さん、どうしてあんなダメ総理経験者に頼るのだろう。義理でもあるのだろうか。義理に縛られては政治はできない。もしもあちこちに義理があるのなら、早く整理整頓した方がいい。それから、いつまでも連合の票集めに頼っていては無党派層の気持ちはつかめない。今の日本で民進党に望まれるのは安倍政権の圧倒的多数に打ち勝つこと、その横暴にブレーキをかけること、ただそれだけ。となれば主義や思想に染まっていない遊泳の民を束ねることにもっと心を砕くべきである。蓮舫さん、蓮舫だけに連合にこだわってないで、早く連合を卒業なさい。

▲ 指先で撫でてあげたい猫柳

0314・火・ホワイトデイ・

 1945年の今日、大阪が大空襲に見舞われ、死亡者数4千人、負傷者8500人、13万6千戸が焼失という悲劇が展開された。そして1970年の今日、その同じ大阪で万国博覧会が開幕されている。アジア初の万博で77か国が参加した光り輝くイベントである。大空襲から四分の一世紀、時の流れに人類の進歩と調和というネオンサインがまぶしく明滅していたことを昨日のことのように覚えている。

 我が国の防衛大臣、やっぱり森友学園の弁護士を引き受けていましたとすっとぼけて謝っても遅いわよ。何たる不誠実さと記憶力の悪さ。寄ってたかってピコピコハンマーで脳天をぶっ叩いてやりたい気分。この人のコモンセンスの欠如はどこからくるのだろうか。教育勅語を重んじているのが不思議でならない。要するに彼女にとって大切なのはことあらば天皇のために命を捧げますという皇国主義のただ一点。教育勅語でお国のために素直に従う小さな国民をどんどん育てて美しい日本にいたしましょうといわれたって、冗談じゃない。国のために大切な子どもたちを死なせてたまるもんか、馬鹿野郎。

 和歌山県白浜町の動物公園アドベンチャーワールドでタイ人の飼育係りがゾウの鼻に接触して死亡した。インドやタイではゾウも家畜。牛や馬と同じように人間と一緒になって仕事を手伝う。トラックやタクシーの運転手がいるようにゾウのオペレーターもやたらいるのである。もしかしたらラリーというこのアジアゾウ、タイから飼育係とペアで来日したのかもしれない。ゾウと飼育係はとても仲良し。この日は飼育係がサービス精神を発揮してやたら熱心にゾウの体を洗っていたのかもしれない。強力な水圧で、それも念入りに洗っていたのかもしれない。そこでゾウさん、いい加減にしといてよ、とばかり鼻を一振り。それが飼育係に当たってしまったのだ。
 つまりこの事故、アジアゾウの体をホースを使って洗っていた途中の出来事なのである。強力な水圧を嫌がってゾウが鼻を振り回した結果なのである。ゾウに殺されることが多いと聞くゾウの飼育係。相手は猫ではない。地上最大の哺乳類、ゾウなのである。甘えられるのも命がけ。ボクもナイロビの動物孤児院でアフリカゾウの子どもとくんずほぐれつ、遊んだことがある。チビゾウといっても頭の高さはボクの胸まである。鼻だって1メートルの長さはある。それが全身で甘え、じゃれついてくるのである。鼻野先でボクの腕をつかまえ、引き倒してくんずほぐれつしようと誘うのである。すごい力。でも可愛い。チビゾウくらい可愛い存在はない。その魅力的な生き物と仲良くできるんだったら命がけでも構わない。今だって、ボクはそう思ってる。

▲ 浮かれ猫記憶を捨てちゃなりません

0315・水・

 寒い。雪という噂もある。春の雪である。
▲ 馬鹿柱牡蠣蛤や春の雪
 これ、久保田万太郎の俳句である。馬鹿は青柳、柱は貝柱、もちろん牡蠣も蛤もおいしい貝類で、ボクの大好きな俳句である。ところでこれは今朝、TBSラジオで耳にしたばかりの情報なのだが、名残雪という言葉は辞書には見当たらないそうである。では何があるのかというと、名残の雪というフレーズ。辞書にはない名残雪という言葉がポピュラーになったのは歌の力である。伊勢正三作詞、「名残雪」の波及力なのである。春一番という気象関係者にしか行き渡らないような専門用語が一般的になったのもキャンディーズの影響力。いや、歌唱力。ちなみに以上は気象予報士の元祖、お天気おじさんの森田正光さんの受け売りなのである。

 満足に自分を守れないような人物が国を守る要所である防衛大臣とは聞いてあきれる。そう思っていたらそのご当人、稲田朋美さんをいじめている声がラジオから流れてきた。嬉しいことに誰かがいじめてくれているのだ。ボクの代わりに責めてくれているのだ。辞めたらどうかと迫ってくれているのである。それもボクのよく知っている声なのである。民進党の杉尾秀哉議員。実はボクたち、20年も以前からの仲良し。某有名女子大の付属高校の学園祭に招かれて、講演をしたりサイン会をしていたら、横でじっと見守っている人がいて、それが杉尾さん。学園の父兄だったのである。もちろんボクらは初対面。けれどもどこかで耳にしたお声だと思っていたら、TBSテレビの「ニュースの森」のメインキャスター。ならばボクも荒川狂鶏氏が司会者だった頃に出演したことがある。ということでたちまち気が合って、公私ともにお付き合いが始まって、それからも「ニュースの森」に何度も出していただいて、もちろん個展の度にきていただいた。当時のボクには盲導犬アリーナがいて、彼にも愛犬のゴールデンレトリバーがいたりして、犬の話題でも大盛り上がり。それ以後、すべての展覧会にご来場いただいている。一昨年の個展でもお会いしているんだけれど、そのときは参院選に出馬するなんて聞いてなかった。で、ボクの知らないうちに長野県で当選していて、知らないうちに国会で稲田朋美防衛大臣を攻撃している。辞めろと迫っている。代議士の意味する通り、ボクの代わりにダメな防衛大臣をいじめてくれているのである。どうせなら、泣かしちゃえ、泣かしちゃえ。ああ、人生は面白い。

▲ 駅までは抜けられません春の雪

◇ バーチャル『奥の細道』コース  黒羽に到着、通過しました。
次は雲厳寺。あと、27,786歩です。現在の歩数、380,214歩。
3周目を徘徊中でーす。

0316・木・

 朝、顔を洗うとき、水がこれまでほど冷たくなくて、ほのかに春を感じてる。オランダの選挙結果で、保守が極右をかろうじて食い止めて、心の春を感じてる。サウジの王様が日本にやってきて、わざわざ持参した電動タラップで飛行機から降りてきて、王様の頭の中に春を感じてる。大相撲大阪場所では横綱の白鵬が休場して、文字通り春場所になったなと新横綱の稀勢の里に代わって春を感じてる。NHKのラジオ深夜便では春の新編成の時期となり、アンカーやレポーターが次々に交代して、入れ換わって、メンバーチェンジしている。嬉しかったり悲しかったり、春は複雑。季節の変わり目には身体だけでなく、心のバランスにも気を付けましょう。

▲ くわくわと烏が歌う春の空

0317・金・彼岸入り・

 リーマンパスタ、というものが流行っているらしい。リーマンスパゲッティーともいうらしいが、リーマンショックとは関係がないという。リーマンはリーマンでもサラリーマンのリーマンなのである。聞けば、新橋あたりでサラリーマンのランチとしてもてはやされているという。情報源は週刊朝日の人気エッセイ、東海林さだおの「あれも食いたいこれも食いたい」。人生においても漫画においても、そして文筆においても大先輩の東海林さだお先生だが、スパゲッティー体験ではボクとあまり大差がない。そう。先生の学生時代もボクの学生時代もスパゲッティーといえばナポリタン、ちょっと背伸びしてもミートソースくらいにしかお目にかかれなかったのだ。食べるにせよ作るにせよ、スパゲッティーはくたくたに茹でられたものしか知らなかったのである。
 さて、このナポリタンについて、である。ボクらが学生時代、新宿駅前の三平食道あたりで注文すると、カウンターのあちらのお兄さんが冷蔵庫から、既に茹で上げられてくたくたになってるスパゲッティーを取り出し、刻んだタマネギとハムを加えて片手でフライパンを構えると、ガス台の上でチャッチャッと振り回し、手早く炒め、トマトケチャップで味を整えて出来上がり、というのがナポリタンのすべてで、これ以上でも以下でもなかった。洒落た喫茶店だとこれにタバスコがついてくる。このタバスコ、ちょっと見るとトマトケチャップのミニチュアみたい。トマト味が足りなければ足してくださいといわんばかりの風情だけれど、そのつもりで振りかけたら口の仲が火事になる。このタバスコの赤い色はトマトではなく、レッドペッパーの赤なのだ。これでせっかくのお昼御飯を食べられなくしちゃった人も、きっとどこかにおられるはずである。
 実はボク、青春時代を渋谷で過ごした。児童会館の裏側に住んでいて、渋谷駅前から青山通りまで、毎日毎日、喫茶店をハシゴしてその日暮らしをしていた。ところがある日、青山通りは仁丹ビルの隣の「ミラ」という喫茶店のマダムに気に入られ、そこで働くことになってしまった。最初はウェイターだったのを、厨房の兄貴がボクの器用さに注目して調理の手伝いをさせられて、そのうち完全に厨房を任せられてしまった。実はその兄貴、健康を害していて、田舎に帰ってしまったのである。ボクの作るナポリタンは、その田舎でラーメン屋をやっていた兄貴の指導でちょっとだけ変わっていた。トマトケチャップだけでなく、トンカツソースやバターで一味加えていたのである。でもそのおかげで、喫茶店の上に事務所のあった某有名芸能プロダクションの歌手やタレントがボクの料理を気に入ってくれたのだった。やがてボクは赤坂の本格的イタリアンレストランのキッチンでスパゲッティーだけでなく、ラビオリやラザニア、カッペリーニ、カネロニやリングイネなどのパスタの存在を学ぶだけでなく、本格的ピザを作るお手伝いをするようになるのだが、話しが長くなるのでやめておく。アルデンテ、なんて専門用語が一般的になったのは80年代になってからのこと。けれども初めてのイタリア旅行で芯のあるスパゲッティーを出されても驚くことのなかったのは以上のような経験をしていたからである。本格的であろうと、リーマンパスタであろうと、ボクは銀シャリと同じくらいスパゲッティーが好きなのである。
 蛇足をひとつだけ。喫茶店やレストランのアルバイトで稼いだお金が最初の個展の軍資金となり、そこからイラストレーターへの路が開けていくのである。

▲ 春愁やフォークにからむナポリタン

0318・土・

 またまたNHKマイ朝ラジオの受け売りです。まずは1946年の今日、日本最初の女性警察官を警視庁が採用した。採用者63名に対して志願者は25倍もあったというからスチュワーデスと間違えられたのかもしれない。以前はこれ、婦人警官といってたよな。その言い方が懐かしい。1965年の今日は、ソ連の宇宙飛行士が人類初、世界最初の宇宙遊泳を決行している。けれども後日公表された映像はプールでの水中撮影だったなんて噂が流れて、その信憑性が問われたなんてことにはNHKは触れてくれないのだ。あはは。そして本命は1967年の今日、岡山市内の交差点で日本最初の点字ブロックが敷設されたという出来事。実は点字ブロック、日本の発明品なのである。その後、世界中に普及したことは自慢してもいいのである。それから目玉がもうひとつ。1984年の今日、江崎グリコの社長が謎の犯人グループに自宅から拉致された。このブログでも話題にしたばかりの小説「罪の声」の主題、グリコ森永事件の発端である。2000年2月に事件は謎に包まれたまま時効に達したことはあまりに有名である。

 夕刻、コボちゃんがとあるスーパーマーケットから電話をかけてきた。鯨の竜田揚げがあるというのだ。うわお、懐かしい。買ってきてもらって早速酒の肴とかぶりつく。あれれ、柔らかいぞ。豚肉よりも柔らかいぞ。大袈裟だけど、マシマロみたいに柔らかいぞ。あんまり柔らかいと鯨のような気がしない。と、固い部分が歯にあたる。くちゃくちゃ、くちゃくちゃ、噛んでみる。うん、これだ。これが鯨の血管だ。学校給食の定番は動脈硬化の鯨たち。その血管が最高のご馳走だったのである。鯨さん、ありがとう。

▲ 春の昼眠る電話と猫のひげ

0319・日・

 今朝の日の出は5時46分、日の入りは17時52分。少しは日が長くなってきた。おかげで甲府盆地ではすみれが咲いて、鳥取県では鶯の初鳴きが観測されている。朝のラジオでも鶯の便りが紹介されていた。でもわからないよ。もしかして通りがかりの人が吹いている口笛だったりして。江戸家猫八さんみたいに鶯がお手本にしたくなるような指笛の名人だっているんだからね。

 NHKマイ朝ラジオの話題ばかりで恐縮だが、今朝の生き物いろいろは蛙合戦。ヒキガエルの図体は大きいけれど、蛙合戦はアマガエルよりも静かなんだと講師の先生がおっしゃってる。それで我が家の池で展開されていたはずの蛙合戦も、まるで気がつかずにいたのだ。それで翌朝になると池の表面が蛙の卵で覆われていてビックリ仰天したのだ。それら卵がすべてオタマジャクシになるのだから水面は真っ黒けのケ。オタマジャクシの佃煮状態になってしまう。一度の産卵で多いときは数千個。それが何匹もやってくるのだから聞け万国の労働者、オタマジャクシの声が聞こえてくるようだ。社宅の庭に作った金魚やメダカたちの小さな池が、オタマジャクシの天国となるはずだったのを地獄に変えるのが悪戯小僧だったボク。無数にいるのをいいことに血祭三昧。それでも悪戯小僧の閻魔大王の手から逃れ、オタマジャクシから無事に蛙の形になるとき、その大きさはたったの5ミリで、アマガエルのそれよりも小さいという。5ミリくらいの小さなヒキガエルが池から四方八方へと旅立つ姿はあまりに可愛くて、見送るときは閻魔大王の悪戯小僧も蛙の父親になった気分。小さな蛙たち、どうか大きくなって帰ってきてね。カエルだけに帰ってきてね。と、悪戯小僧の閻魔大王は少しは反省しているのである。

 選抜高校野球が始まった。ちょっとでも耳にすると結果が気になって、ついつい傾聴してしまうんだよね。まずいんだよね。

 横綱になると本人も変わるし周囲の目も変わる。とにかく稀勢の里が強いのです。猛烈に強いのです。このままだと全勝優勝する勢い。お師匠の隆の里に並ぶ記録、新横綱の全勝優勝というどでかいことをやらかすかもしれないのだ。大関時代は期待してると肩透かしをもらったけれど、横綱になってからの稀勢の里は違うのだ。期待しても、口に出してもきっと平気なのである。

▲ 鶯や猫八さんは雲の上

◇ バーチャル『奥の細道』コース  雲厳寺に到着、通過しました。
次は那須。あと、106,765歩です。
那須高原はアルパカ牧場で売出し中。アルパカに会えたら会ってきます。
と、ある馬鹿がいってます。とほほ。

現在の歩数、409,235歩。3周目をうろちょろしてます。



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