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全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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Author:emunamae
いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2018年12月24日~30日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1224・月・クリスマスイヴ・

 1878年、明治11年の今日、日本で初めてのチョコレートの広告が新聞に掲載された。広告主は東京の菓子店で当時のチョコレートの漢字表記は「貯古礼糖」、というもの。で、結果はまるで売れなかったらしい。古いとかお礼とか、ま、この文字の並びでは、ぜんぜんおいしそうじゃありません。もっと華やかな甘味とか香りとか、素敵にイメージさせるような語句を考えればよかったのだと思う。江戸時代だったらコピーライターの草分け、平賀源内がいてくれたのにね。

 1957年、昭和32年の今日、NHKでFMの実験放送が開始された。これが日本初のFM電波の発信である。それまでのラジオによるステレオは、ラジオを2台並べて、片方はNHKラジオ、もう片方はNHKラジオ第2で左右のチャンネルとして聴いてみろというもので、試しにやってみようと思ってはいたけれど、そもそも当時、同じようなラジオが2台もあるような家庭がどれだけあったんだろう。もちろんオイラの家にもあるわけなくて、一度だって試したことはありませんでした。けれど、ステレオ放送にはかなりの興味があって、初めて我が家にFMのレシーバーが導入されたのはその3年後、最初のステレオセットが購入されたときで、オイラは小学6年生でした。

 1968年、昭和43年の今日、人間を乗せた宇宙線が初めて月を回る軌道にのった。3人の宇宙飛行士を乗せたアメリカのアポロ8号は初めて月面の様子をテレビによる生中継を実施した。アメリカによる人類へのクリスマスプレゼントとなったわけだが、その最大の目玉は遠い宇宙空間からのまるごとの地球映像だった。台風の白い渦巻き雲を浮かべた青い球体の映像は人類に大いなる衝撃を与え、人々の心に地球市民という概念を定着させていくのであるが、その映像の衝撃性は月面着陸の数倍はあったと思う。タイム誌の表紙に採用されたその美しい写真が今でもこの網膜に焼き付けられている。

 東京の日の出は6時48分、日の入りは16時33分。クリスマスを過ぎれば、お日様も次第に元気になってくれるのだ。

 「きよしこの夜」から今日で200年ということです。そんな今夜、七面鳥の生まれそこないかと思うほど巨大なチキンの丸焼きをコボちゃんと山分けしてホクホクし、アルルカンのクリスマスケーキのジャムが、いつものジャムと違うみたいだねとアルルに意見を求めたら、アルルも同感を示していました。

▲ 二百年きよしこの夜輝いて


1225・火・クリスマス・

 航空機の酔っ払い運転はパイロットだけじゃなかった。どうやら客室乗務員もきこしめしていたらしいのだ。日本航空の客室乗務員の呼気にアルコールが検知された事件で、当人は口内洗浄液の使い過ぎだと主張していたけれど、機内のシャンパンが減っていたことが明らかになった。ま、小瓶とはいえ、目の前に高級銘柄、世界有数のおいしいシャンパンがずらり並んでいて、おまけにバレないというんだったら、そりゃ飲みたくなるわね。もしかしたら利き酒の練習をしていたのかもしれないしね。ま、おいしいシャンパンは悪魔の誘惑です。今夜はクリスマス。昨夜食べ切れなかった巨大チキンローストで、客室乗務員さんのお口には合わないでしょうけど、スペイン産、大安売りのカヴァの洞窟シャンパンでささやかな乾杯をしていたら、猫のミミコがまわりをうろつき、それをテーブルの下でアルルが羨ましそうに見上げていました。大型犬のありがたいのは、テーブルの上をうろつかないことなのです。

▲ 今宵またきよしこの夜肉と酒


1226・水・

 2004年、平成16年の今日、インドネシアのスマトラ島沖を震源とするマグニチュード9.1の巨大地震が起き、大津波が発生した。津波はインド洋に面したアジア各国やアフリカ東部までに達し、日本人42名を含む22万人を超える犠牲者を出した。いわゆるインド洋大津波であるが、東日本大震災以前に、これほどの巨大地震を知らなかったので本当におそれおののいた。こちらは盲導犬アリーナを失ったばかりで心がめげていたのでショックも大きかった。これはかなり後年になって知るのだけれど、オイラが通っていたことのある近所の健康道場のメンバーたちも、スリランカで犠牲になっていたという。
 今世紀になる直前から地球の活動が活発になるとかの都市伝説を聞かされていたが、この地震を最初に、そのほにゃらか予言が、もしかしたら本当のことかもしれないような気がしてきたのだ。そしてその7年後に東日本大震災が発生するのである。

 毎週、全国の音訳ボランティアの皆様のおかげで週刊朝日や週刊文春を楽しませてもらっている。ことにボクは週刊朝日の大ファンである。で、驚いた。本日拝読した週刊朝日、実に猫特集なのである。音訳スタッフのアイディアで猫特集関連のコンテンツ冒頭には猫の鳴き声が配してあるのだが、これが愛らしい。本物の猫かもしれないし、誰かが口真似しているのかもしれない。もしかしたら、江戸や子猫さんあたりが手伝っているのかもしれない。猫関連のコラムやエッセイがいい。内館牧子さん、嵐山光三郎さん、東海林さだおさんたちは、よほど猫がお好きなのだろう。心を動かされる内容だった。投稿コーナーの「犬馬鹿、猫馬鹿、ペット馬鹿」も猫特集。複数の週刊朝日リーダーたちが猫と暮らす感動をプロも顔負けの筆致で描いているのです。楽しませていただきました。

▲ 年の暮れ猫いてくれて温かい


1227・木・

 本日はホームページ管理人、絵夢助人(えむすけびと)さんによる新年ウェルカムメッセージの撮影である。ラジオや雑誌の取材、打ち合わせでいつもお世話になっていて、ホワイトデイのお返しクッキーやクリスマス、盲導犬アリーナの誕生日やアルルの誕生日の特別注文、バタークリームデコレーションケーキを作っていただく、経堂駅前ケーキショップ「アルルカン」での撮影である。ただ、お店は千客万来で、なかなか撮影のタイミングがやってこない。絵夢助人(えむすけびと)さんも苦労されておりました。アルルカンでの撮影も今年で最後。来年は店を閉じるそうなのです。
 撮影が終われば寿矢での恒例望年会。世間では忘年会といってます。カウンターでビールで乾杯して、おいしい料理をいただいて、絵夢助人(えむすけびと)さんの一年間の無料奉仕への心からの感謝を捧げます。ボランティア管理人に対する、エム ナマエのせめてもの気持ちなのです。絵夢助人(えむすけびと)さんがいてくださらなければ、ホームページもブログも、すべてお手上げなのです。エム ナマエがエム ナマエでいられなくなるのです。本当にいつもありがとうございます。
 寿矢からの帰り道、左から右へと火の用心の拍子木の音が移動していく。誰が叩くのだろう。こんな夜だから、おそらく子どもたちではないのだろう。もしも子どもたちだったら
「火の用心、マッチ一本火事のもと」
とかいいながら、歩いてくれるもんね。そこで落語『二番煎じ』を思い出す。あの登場人物たちは
「火の用心、さっしゃりませーい」
と声を競い合いながら深夜の町を徘徊するのだ。その昔、川崎ホールで古今亭新潮の独り会でこの落語をコボちゃんと聴いた帰り道も寒い夜で、思わず猪鍋(いのししなべ)とか桜鍋とか鹿鍋とか、何でもいいから鍋物を食べたくなったことを思い出す。ただ、桜鍋と鹿鍋は一緒にしない方がいいらしい。馬と鹿だもんね。

▲ 火の用心マッチ一本鍋の元


1228・金・御用納め・大納会・

 映画の話である。NHK「マイあさラジオ」によれば、1895年、明治28年の今日、世界で初めての本格的な映画の上映会がパリで開かれたそうである。スクリーンに投影される方式、シネマトグラフを開発したリミエール兄弟が自分たちで撮影した短編映画を上映したのだ。でも、オイラの乏しい知識によれば、これより少し前の1981年、トーマスエジソンによってキネトスコープが発明されている。と、こんなことにこだわるのは、幼い頃に読んだ漫画のエジソン伝記にいたく影響を受けていたからで、電話だって、ベルより早くエジソンが発明したんだと、今も文句をいいたくなる。
 まだ家庭にテレビがなかった頃、月刊漫画雑誌のページの隅っこに印刷されているパラパラ漫画で、パラパラとめくって動かすミニチュア漫画シアターを思い出す。とはいえ、せいぜいがワンアクション、時間にして1秒足らずなのだが。学校でも授業に飽きればノートの片隅にちょっとずつ違うキャラクターのポーズを描いて、自らパラパラ動かして楽しんだものだった。
 と、そんなことを考えていたらTBSラジオの昼の番組、「ジェーンスーの生活は踊る」で、クイーンのフレディ・マーキュリーの曲がかかっていた。今年は映画「ボヘミアンラプソディー」の大ヒットで再び注目されているクイーンであるが、カッコよかったよね。
 映画の話に無理矢理引き戻すけど、スペースオペラ、「フラッシュゴードン」はSF映画としてはお金をかけた割には不出来だったけど、クイーンの音楽がよくて、それで映画館に駆けつけました。今でもクイーンのベスト盤でテーマ曲がかかると、あのときのダサい映像が脳裏に蘇るのだ。ああ、情けない。と、無理矢理な話でした。

▲ 別れ際みかんもらって握りしめ


1229・土・下弦・

 大日本帝国が敗戦してくれた1945年、昭和20年の今日、戦後の深刻な食糧難の中、農業生産を増強し、食料を安定的に確保するための新しい農地調整法が公布された。戦後の農地改革である。で、またまた我田引水であるが、わが母校、慶應義塾志木高は開校当時は農業高校を目指していた。慶應義塾が食糧難解消のため、立ちあがったのである。その証拠に志木高の敷地は3万坪あり、そのほとんどは雑木林と果樹園と畑だった。オイラが入学した1964年当時、農芸という授業があって、週に一度は農芸服に身を包み、鎌などの農具を携えて畑に出ていった。草刈りをしたり、農地を耕したりしていると誰かがモグラを見つけて、直ちに鎌で真っ二つにしてしまったのを、今でも残念に思っている。日本全国から集まった高校生の中には、モグラを見たら直ちに殺せと育てられたやからもいたのだろう。本当はモグラたちは畑の土に空気を送り込んでくれた恩人たちだったのにね。

 夜のNHKラジオニュースである。中国で靴を脱いでホテルに盗みに入った男が、その足のあまりの臭さに逮捕された、という事件である。臭い足跡を追跡していったら、犯人が駐車場に隠れていたのを発見されたのだという。足の臭さで足がついたという、おそらくは笑っていい話であると思う。

▲ もういくつ数えた日々を抱きしめる


1230・日・

 2013年の今日、大滝詠一さんが65歳という若さでお亡くなりになっている。大滝詠一というと、日本を代表するロックアーティストみたいな言われ方をするけれど、ハッピーエンドの音楽はオイラがイラストレーターデビューした1969年当時はビートルズのアビーロードに隠れて、地下深くのアンダーグラウンドから聞こえていた印象がある。ナイアガラレーベルについてはある時期、オイラも聴きかじっていたことがあるけれど、やっぱり大滝詠一を強く意識したのはアルバム「ロングバケーション」以後である。全曲をウォークマンにぶち込んでハワイに飛んでいき、ホノルルの海岸で聴きまくっていたから、今でも曲が流れてくるとハワイの空気を感じてしまう。けれど、アルバム最大のヒット曲はラストナンバーの「さらばシベリア鉄道」であって、決して夏のイメージではないのだ。作詞・松本隆、作曲・大瀧詠一の名曲なのである。
 哀しみの裏側に何があるの?涙さえも氷りつく白い氷原。誰でも心に冬をかくしてると言うけど、あなた以上冷ややかな人はいない。
 今週一週間、NHKラジオの名物番組「昼の憩い」から連日この歌詞が聞えていた。マイトガイ、小林旭(こばやしあきら)が歌い、歌姫、坂本冬美が歌う。もちろん大滝詠一も歌っていた。それもそのはず。本日が大滝詠一さんのご命日であるのだ。

 昼間、師走というのにポカポカと温かい。気がつくと転寝をしている。いけない。これでは予定がちっとも進まない。今日もブログ原稿を頑張るけど、まだまだキャッチアップには遠いのだ。

▲ ドアノブに猫がじゃれつくしめ飾り


◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース

ありがとうございました。
おかげさまで24番、最御崎寺を仮想参拝、通過しました。
次は25番、津照寺。
あと8,711歩です。

現在の歩数、563,689歩。
三度目のバーチャル徘徊です




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