全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2018年2月12日~18日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。

◆ ウィークリーフレーズ 今週の言葉です

その口癖 やめてみませんか
明日が変わるかもしれませんよ

 年を取ると独り言が多くなるという。そういえば自分も最近、独り言が増えたような気がしてる。気がつくと言葉が出ているのだ。相手がいなくても何かつぶやいている。よっこいしょ、どっこらしょ、という掛け声レベルでなく、いちいち自分のやってることを文章で解説してるのだ。やおら立ち上がり、足を一歩踏み出す前に、今からこういって、ああいって、そして洗面所で俺は顔を洗うのだ。てなことを口走っているのだ。いちいち口にしてやらないと次にすべきことを忘れてしまうのだ。脳細胞にあることを言葉にしてやらないと安心できないようになっているのだ。年を取って最大の恐怖は認知症。その恐怖と闘うためにはどんな苦労も厭わないのである。
 街を眺めていて、独り言を撒き散らしながら歩いている少年や若者はあまり見当たらないと思う。もしもぶつぶつと口の中で、もしくは大声で周囲を不安にさせながら話し続けている若者を見かけたら、それはきっと落語家志望の青年である。たまに私の暮らす窓の下、遊歩道をひとりつぶやきながら歩いていく老人がいる。そういう人は相手がいなくても気にしないのだ。けれど、そういう人は街角で待ち伏せて、相手かまわず声をかけて、無駄話に巻き込む有閑オバタリアンよりは世の中に流す害毒がはるかに少ないような気がする。どうしてああいう有閑オバタリアンたちは、街角の、それも三叉路とかT字路の曲がり角にたむろして立ち話をするのだろう。それも排尿時の犬みたいに電信柱に寄り添って話しこんでいるのだ。片足を上げてないだけ見過ごせるとはいえ、クルマのドライバーにとっては迷惑千万、直ちにやめていただきたい。ブラインドコーナーで周囲が目に入らないほど自分たちの話にのめり込んでいる。危ないですよとクラクションを鳴らしてやると、ギロリと睨みつけるだけで、たちまち話に戻っていく。そうしたオバタリアンたちは核ミサイルが飛んでこようと、津波が襲ってこようと、テレビやラジオが地球滅亡の日ですよと絶叫していても、自分たちの話は放棄しないのである。子どもの自慢話と亭主の悪口と、近所の噂話の前ではアインシュタインの相対性理論もパスカルの法則も福沢諭吉の「学問のすすめ」も敵ではない。そういう有閑オバタリアンは無理矢理に相手を見つけて話しかけているらしい。それでもいないときには電信柱に話しかけてる。よほど電信柱が好きな生き物なのだ。その昔、そういぬ場面を見かけることがあったけど、この場合は独り言とはいわないし、会話ともいわない。趣味であり、癖であり、ときとしてそれは体質と判定される。さて、口癖の話である。
「どうせ俺なんか」
とか、
「生まれてこなきゃよかった」
とか、
「悪いのはいつも俺なんだ」
とか、比較的ご近所から、よくそういう声が聞こえてきたことがある。その声は、やっても無駄だとか、世の中そんなに甘くないとか、どうせ駄目だよとか、そんなこともいっていた。観察していると、その人はそれを口にすることで、どうやら自分が楽になれるらしいのだ。やりもしないで、無駄かどうかもわからないのに、最初から無駄と決めつけて、その場から逃げようとしているのだ。生まれてこなきゃよかったような自分を認めてくれるほど、世の中は甘くないと決めつけ、頭から布団をかぶって寝てしまうのだ。あああ、勿体ない。やめればいいのに、そんな口癖。せっかく目の前には無限の可能性が翼を広げて待ってくれてるというのに、地平線の彼方まで道は続いているというのに、楽しいことがいくらでも転がっているというのに、そしてどこかに素敵な人が待ってくれているかもしれないのに、つまらない口癖で自分を縛るのはやめた方がいいと思う。甘くないのは世の中ではなく、どうやらその人の中に巣食っているその人自身という最大の敵であるらしいのだ。


0212・月・振り替え休日・

 予想最低気温は0度、最高気温は10度ということで本日はこの連休で最も寒くて晴れた日となる。けれど日本海側はまたまた大雪の心配がされているらしい。何も被害のないことを祈っている。
 東京の日の出は6時31分、日の入りは17時19分と春まだ遠き昼の長さである。で、眠くてたまらない。昼の長さとはあんまり関係ないと思うけど。そして慌ただしくてたまらない。部外者には関係ないと思われるかもしれないけれど、振り替え休日の今日は透析が午後の早い時間から始まるのです。ウチの透析室、スタッフはみんな優秀で親切なんだけど、経営者の根性がちょいとばかしいじましくて、休日出金の人件費を削りたいため、患者に負担を要求するのだ。早くこさせて早く帰宅させる。患者に休日を満喫させてやらないのだ。うちの患者さんたち、みんな従順で反抗しない。けど、おかしいよね。この病院、透析室を始めた以上、そのことは覚悟しておくべきだったし、透析スタッフたちも、その職業を選ぶときは、医療に休みなしを認識しておくべきだったのである。そして私たち透析患者はこの道を望んだわけではなく、運命が私たちを選んでしまったのである。わあい、話しが飛んだぞ。

▲ T字路の雀のお宿浅き春


0213・火・

 真夜中からピョンチャンオリンピック一色である。やっぱりメダルの威力は凄まじい。おかげでラジオはとっても元気になってます。風邪とか寒さとか北朝鮮とか、今度のオリンピック、あんまり期待されてなかったけど、我が国のアスリートにメダルさえ輝けば、日本人はすぐに夢中になれるのです。もちろんオイラも素直に嬉しくなれるのです。ま、とにかくジャンプの高梨沙羅さん、本当におめでとうございます。悲願を達成した若くて美しいお嬢さんというんだから、日本中が祝福するのは当たり前。目の見えてないオイラだって、ハラハラしながら心で応援してたんです。ホント、だよ。オリンピックに反抗的なオイラも心からよかったと思うのであります。おめでとう。

 万歳。オリンピックのことではありません。サピエ図書館に音声映画「新ゴジラ」がアップされたんです。一昨年、メータンこと美月めぐみさんの呼びかけで実現した豊島園の映画館における視覚障碍者の集団「新ゴジラ」鑑賞会で観て以来、ずっとこのときを待望していたんです。もちろん火急的速やかにダウンロードしましたとも。当たり前じゃないすか。そしてその返す刀で頭から再生しましたとも。当たり前じゃないすか。そしてエンドロールのBGMに流れる伊福部昭いふくべあきら)巨匠のゴジラ音楽メドレーに涙したのであります。当たり前じゃないすか。そしてまたまた嬉しいことに「小さな恋のメロディー」もアップされていたのです。ゴジラもメロディーも以前から欲しくてたまらなかったコンテンツ。この「小さな恋のメロディー」はボクのロンドン滞在の記憶と重なる作品。ことに主人公の少年少女のカップルがランデブーするあの墓地の場面は、ボクがロンドンで最初に訪れた墓地を思い出させてくれるのだ。日本からロンドンに飛んで、最初に歩き回ったのがロンドン市内の古い墓地だったなんて、変わった趣味をしてるでしょ。でもね、予約してあったアールスコートのインド人のホテルから、当時のガールフレンドと落ち合う約束をしていたビッグベンまで、歩いていくにはその墓地が近道だったのです。この際、あんまり関係ないけど。ということで目の見えているときに繰り返し観たこの映画、今も目に焼き付いているのだ。台詞と音楽さえあれば、目の前に自動的に映画が展開されるのだ。オイラ、失明してもサピエ図書館のおかげで心から映画を楽しませてもらっているのです。感謝、なのだ。

▲ 図書館にゴジラ到来おらが春


0214・水・バレンタインデイ・

 NHKマイ朝ラジオ情報によると1920年、大正9年の今日、第一回の箱根駅伝が開催された。当時の東京高等師範、今の筑波大学と早稲田、慶應義塾、明治の4校が出場し、東京高等師範が総合優勝をしたという。箱根駅伝は1955年から正月の開催となったが、箱根駅伝の歴史はそろそろ100年。ますます盛り上がっていきそうな予感がする。楽しみだなぁ。

 バレンタインデイということでサピエ図書館から「チョコレート工場の秘密」をダウンロードする。TBSラジオの「おはよう一直線」の「今日の1ページ」で檀れい(だんれい)さんがこの本を読みながらチョコレートを食べることをお勧めになっていたのだ。ところでチョコレートのゴディバが、
「義理チョコはやめましょう」
と新聞広告を出したそうだが、そりゃゴディバだからいえること。不思議でも何でもないのだ。だってゴディバで義理チョコする人はいないと思うから。さて、今日という日は一年中でいちばん男が自前でチョコレートを買いにくい日であるという。そうまでして男の見栄を張りたいと思われるからと、伊集院光さんはご自分の番組で語っておられた。卓見であると思う。

 NHKラジオ「昼の憩い」にかかったのが「ハイサイおじさん」。それも「川は流れる」の仲宗根美樹(なかそねみき)が歌うハイサイおじさん。うわお、懐かしい。このお姉さん、大好きだったなぁ。そしてデュエットするのが熊倉一雄(くまくらかずお)。なんたる組み合わせ。驚いたけど、すごく調子がよくて、一流というのは何をやらせても一流なんだなと思わせてくれた。NHKの選曲、お見事です。これも一流です。

 透析中はサピエ図書館からダウンロードしたばかりの音声映画「新ゴジラ」を堪能した。映画館で聞き取れなかった部分を巻き戻ししながらストーリーを味わったのだ。新しいゴジラは猛烈に凶暴な性格を与えられているコンセプトなんだけど、自衛隊やアメリカ軍の集中砲火を浴びたとき、あのいつもの声で吠えられると、ボクのゴジラが理不尽に呵責されているようで反射的に同情しちゃうんだよね。やっぱゴジラはオイラのアイドルなんです。小学校に上がる以前からの長い付き合いだしね。ラストの伊福部昭のゴジラ音楽もたまらない。メドレーが流れると、まるでパブロフの犬みたいに尻尾を振って踊り狂いたくなってしまう。わお。間違いなくボクの血管にはゴジラの血が流れているのだ。

▲ 黒猫さんドア叩いてるバレンタイン


0215・木・涅槃会・

 1981年の今日、地下鉄丸ノ内線のかつての西銀座駅の階段出口の真正面にそびえていた、あの日劇が48年の歴史に幕を閉じた。レビューの殿堂、ウェスタンカーニバルの拠点、そして映画の封切館として親しまれていた娯楽の殿堂、あの日劇である。内幸町の東電社宅に暮らしていたボクは、毎日この独特な形の建物を勉強部屋の窓から眺めていた。当時、日劇の円形の屋上に沿って設置された東芝のネオンサインがボクの勉強部屋に様々な光を投げかけていた。このネオンサイン、設置当時は東洋一の規模と喧伝されていたのである。忘れられないのが1961年のモスラのアドバルーン。夏の空高く、羽を広げて飛ぶモスラの勇姿を、夏休みのボクは窓から見上げていたのである。そしてもちろん、その映画「モスラ」は日劇「夏の踊り」と並んで公開され、ボクはその日劇で巨大芋虫君、モスラと対面したのである。その頃から日劇はボクの遊び場で、裏側には安くて旨い食道もあったし、正面を回ればミュージックホールの入り口もあって、その奥に赤色にペイントして客を誘惑するエレベーターのドアが見えていた。ウィンドウには半裸のアンジェラ浅岡のポートレートなんかが飾ってあって、ボクはドキドキはしていたが、とうとう閉館まで、そのエロスの殿堂に脚を踏み入れることはなかったのだ。ああ、口惜しい。

 オリンピックなんか冗談じゃないと思ってたんだけど、気がつくとメダルの数を数えている。これってほとんど条件反射。ナショナリストだから日本が敗ければ口惜しいし面白くない。なのに勝てば話は別と、やっぱり単純に嬉しいのである。で、少しはオリンピックというヘッドラインにぴくぴくと両耳が反応するようになってきた。でもヤバイ。銀じゃなくて、どうして金が取れなかったの、と頭が欲深いことを考え初めている。いいじゃないの。お前なんか、メダルどころか、オリンピックに出ることさえ、赤ん坊がゾウの背中に乗って虎狩りに実績を残すことや、日本海溝に落とした恋人の指輪を拾ってくるよりもはるかに実現の可能性が低いのだぞ。口惜しかったらオリンピックに出てみろよ。

▲ はるざむやカップラーメンまいどあり


0216・金・新月・旧正月・確定申告・

 1945年、昭和20年の今日、アメリカ軍の艦載機が関東地方などを空襲する。のべ1200機が関東各地や静岡県の軍需工場や飛行場などを票的にしたものだったが、まだ一般市民に向けて攻撃はされなかった。けれどもその翌月の3月10日、300機の巨大爆撃機B29が東京の下町を焼夷弾による無差別の絨毯爆撃で10万人を焼死させ、下町一帯を焦土と化したのである。やがて同じように日本全土が焼夷弾空爆の対象になっていく。この日の艦載機来襲はその幕開けに過ぎなかったのだ。

 本年の芥川賞作品「おらおらでひとりいぐも」を読んでいる。作者はこれまでの二番目、63歳の高齢受賞者、若竹千佐子さん。TBSラジオの「久米宏のラジオなんですけど」で何度も紹介されていて、作者ご本人も出演されていて、素敵な方であることはしっていたんだけど、岩手弁が主体のこの文学作品、音訳ではどうなのかしらと思っていたところ、サピエ図書館にアップされていたので、とにかく試聴してみた。そしたら実に美しいお声の女性が格調高く岩手弁と標準語を見事に使い分けて朗読されているのである。たちまちボクのハートはその女性の魅力にノックダウン。吉川英治の「宮本武蔵」の音訳ボランティアも秀逸だったが、この女性はそれに匹敵するかもしれない。それにしても美しい岩手弁で音訳者は岩手県の人かもしれないなと思っていたらやっぱり、岩手県立視聴覚障害者情報センターの制作だった。専業主婦がいきなりの芥川賞、みたいな扱いをマスコミからされてるみたいだが、作品を拝読する限り、この作家はキングギドラ級の掘り出し物だと思う。次の作品が楽しみである。

▲ 美しき岩手の言葉春隣


0217・土・

 今日も音声映画「新ゴジラ」を観ている。既視感に襲われながら楽しんでいる。というのは1985年、失明を目前にしたボクがハリウッドゴジラのために書いたシナリオに酷似した場面がいくつも登場するからだ。思うに、ゴジラマニアの考えることには共通点がある、ということだろう。ボクの書いたゴジラシナリオのプロットは拙著「失明地平線」で公開しているので、嘘と思ったら読んでみてください。サピエ図書館にアップされていますから。おそらくゴジラマニアの共通体験が展開されることでしょう。それにしても伊福部昭の音楽って 何手いいんでしょう。無条件に条件反射してしまいます。あは。これって矛盾に満ちた表現ですよね。それにしてもゴジラが米軍のステルス爆撃機に攻撃され、悲鳴をあげるとき、こっちまでどこかが痛いような気がしてくるから不思議。新しいゴジラをどんなに怖そうにメイクアップしても、東京を焼きつくし、人々を殺しまくっても、そんな悪役のゴジラに同省している。やっぱりゴジラはオイラのアイドルなんです。と、気がつけば同じことばかり書いている。ホントにオイラはゴジラバカ。

▲ 春ゴジラあんまりいじめちゃいやだわよ


0218・日・

 1950年、昭和25年の今日、第一回の札幌雪祭りが行われている。地元の中学校や高校の生徒たちが大通り公園に6個の雪像を設置したのがきっかけとなったそうで、今の規模から考えると嘘のような話である。今では自衛隊まで動員して巨大な雪像を並べて世界中の観光客集めているんだから驚き桃の木山椒の木である。その頃の中学生と高校生の生徒たち全員に金メダルをあげたいね。

 冬季オリンピックで日本選手が次々に金メダルを獲得している。スピードスケートの小平奈緒(こだいらなお)さんの獲得シーンを偶然に耳にしてしまった。なんせ、ラジオをつけるとオリンピックをやっているのだから仕方がない。昨日だって羽生結弦(はきゅうゆづる)選手の金メダル獲得の瞬間を聴いてしまったし。フィギアスケートなんかボクには面白くも何ともないんだけど、他に何もやってないんだから仕方ない。それにしてもたまげるのがオリンピックの本番で実力を発揮する選手たちの平常心。さすが数多くの修羅場を経験してきた人たちである。小平菜穂さんと銀メダルの韓国選手との友情場面も泣かせる。ボクは泣かなかったけどね。頂点に至るまでのアスリートたちの人生ドラマを考えると、オイラって、あんまり努力をしてないよね。それにしても困ったな。なんか、オリンピックが面白くなりつつあるのだ。

▲ 氷上に春到来の金メダル



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