全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2017年 8月14日~20日
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☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。


0814・月・

 1945年の今日、御前会議でポツダム宣言の受諾が決められた。米英、中国による日本に対する無条件降伏を迫る条約を昭和天皇の見守る中、受諾することを決定したのである。そしてその翌日、日本国民は昭和天皇のアナウンスにより、その事実を知らされることになる。これが敗戦記念日。公式には終戦記念日と呼ばれているが、事実は敗戦記念日。日本は停戦を勝利と書き換えるような北朝鮮じゃないんだから、事実は事実として認めるべきなのである。とはいえ、今でも歴史を書き換えたくてたまらない人たちが政府の中枢にいるんだから、あんまり安心はできないのだ。

 スケッチブックに向かいながら、高校野球のラジオ中継を聞き流していたんだけれど、だんだんむかついてきた。不愉快になってきた。このアナウンサー、ゲームを実況中継することに精一杯で、それ以外のことにはまるで気持ちが向いてない。プレイをどんなに精緻に描いても、選手たちの名前をどんなに正しく発音しても、どことどことが対戦してるのかわからないと、どっちを応援していいのかわからない。そう。世の中、判官びいきの人もいれば都道府県にこだわる人もいる。それぞれ「ひいき」というものがある。本当は応援していてもいなくても、取りあえずどちらかを応援するモードでないと、高校野球を聴いていても、あんまり面白くはないのである。あれれ。BGMのつもりが、いつの間にか高校野球に引き込まれていたじゃないか。で、むかついているうちにゲームは終了。この試合、鹿児島の神村学園と京都の京都成章のゲームだったんだけど、試合中は学校名を連呼するだけで、いつまで経ってもどこの代表だか教えてくれない。片や「神村」、こなた「京都成章」を連呼するだけ。こなたの「京都成章」は頭に京都とついているので、京都の代表だな、ということは誰にもわかる。けれども片やの「神村」がどこの「神村」だかわからないし、そもそも「神村」なんだか「上村」なんだかもわからない。ここがラジオのウィークポイント。そこへアナウンサーがテレビ中継が専門だったりすると、聴いている側が情報的に画面のサポートをまるで得られていないということに思いが至らない。というわけで、ゲームが終了した時点で初めてこのゲームは鹿児島と京都の対戦であったことが判明したのである。あああ。ここまで、どれだけイライラしてスケッチブックに向かわなければならなかったことか。ところが続く試合を担当したアナウンサーは実に気が利いていて、校名の頭に必ず出身都道府県名を加えてくれる。で、やっと安心して高校野球中継をBGMに「おえかき」に集中できたのである。ちゃんちゃん。

 ボクが透析を受けている間、コボちゃんは新宿へと画材の買い出し。帰りは伊勢丹のデパチカ見物。そしてまさか、見物だけで終わるはずがない。今年の秋刀魚か去年の秋刀魚か知らないけれど、ボクの大好物、秋刀魚の南蛮漬けと、伊勢丹お勧めの豪華幕の内弁当を買ってきてくれた。聞けば、半額セールだったという。この秋刀魚の南蛮漬けでコボちゃんと乾杯。夜中に盛り上がる。けれども豪華幕の内弁当よ、お前にだけは一言いいたいことがある。白いご飯に勝手に「ゆかり」なんかかけさせるな。せっかくの白飯がまずくなる。ボクは赤紫蘇が好きでないのだ。この世でいちばんのご馳走は白い御飯と信じているのだ。そもそも白飯に「ゆかり」をかけるなんぞ、古米であることを誤魔化すためのズルじゃないのかね。伊勢丹の豪華丸の内弁当なら、そんなズルはやらない方がいいと思います。

▲ 迎え火やあの敗戦を忘れない


0815・火・下弦・敗戦記念日・月遅れお盆・

 グアムにミサイルをぶっ放すの放さないの、金正恩とトランプの口げんかはエスカレートするばかり。そんな真っ最中、安倍晋三は高度数百キロを飛来する北朝鮮のミサイルを本気で撃ち落とすつもりなのか、国民の生命と安全を確保するんだと鼻息が荒くなっている。けれど聞くところによると自衛隊の迎撃ミサイル、パックスリーの射程は20キロ。それってまるでB29をパチンコで撃ち落とせると思っている幼児みたいな発送。この敗戦記念日というタイミングにもう少し金正恩とトランプの間に入って両者をなだめるような気の利いた言葉を投げかけることはできないのだろうか。ま、安倍晋三も金正恩やトランプに負けないくらいお坊ちゃまで、戦争の好きな血筋なんだよね。安倍晋三、国民という常識ある大人たちが民主主義の力で何とかせにゃあかん、と思う。とにかくこの日、武道館における今上天皇のお声に傾聴したい。この日本で陛下ほど平和を望んでおられる方はおられないのである。

 ザンザカと音をたてて雨が落ちていたかと思ったら、今度は晴れ間が出たらしい。頭の上でいきなり蝉が鳴きだした。その声のでかいのなんの。最初はどこかのサイレン機械が故障して、騒音を発生させたのかと思ったほど。あんな小さな身体のどこからそんな音が出るのかと脅威に思うほどの声である。考えてみれば夏の間、窓の外のすぐ傍で蝉に鳴かれるなんてことは滅多にあるもんじゃない。この蝉、何手種類なんだろう。いろんな蝉がいるけれど、その種類について考えることなんてほとんどない。ああ、蝉が鳴いてるなとか、蝉時雨が落ちてくるなとか、蝉という単位でまとめて受け取るだけで、蝉単体で受け取るなんてこと、あんまりないのである。それにしても、何と不思議な声だろう。とても生き物の声とは思えない。まるでマシーンである。なのに今、ボクはこの蝉に激しく愛おしさ(いとおしさ)を感じている。たまらなく懐かしさも感じている。地面の下で歳月を費やし、そこから這い出して殻を脱ぎ捨て、この夏のために鳴いている、この蝉に燃える命を感じているのである。蝉さん、ありがとう。

▲ 武道館敗戦の日や秋の蝉


0816・水・

 1943年の今日、東京都が上野動物園に対して猛獣を処分するよう命令する。戦時下の東京へ空襲の可能性が高まってきた、ということで猛獣の脱走を恐れたのである。ゾウ、ライオン、ヒョウ、トラ、クマなど27頭が殺された。これを童話にしたのが土家由岐雄(つちやゆきお)のかわいそうなゾウ」であり、毎年敗戦記念日に評論家の秋山ちえ子さんがその童話をラジオで朗読してくれていた。この朗読、秋山さんがお亡くなりになるまで、最期まで続けられた。今、この朗読がラジオから聞こえてこないことを心から残念に思う。誰か引き継いでもらえないものだろうか。伊集院光さんあたり、やってみませんか。意外とよいかも。

 ここんとこ、ボクがやたら注目している役者さん、小日向文代(こひなたふみよ)がTBSラジオの伊集院光(いじゅういんひかる)の朝の番組に出演、本当にいい人なのだと納得させられる。この役者さんを好きになったのは三谷幸喜監督作品のおかげ。「ザ・マジックアワー」や「清州会議」の好演でボクのハートに火を点けたのである。 そして最近ではいすずのトラックのラジオCMでの、往年の名優、あの藤村俊二さんを彷彿とさせるとぼけた語り口調と歌声がますますボクのハートに火を点けたのである。この人、意外と若くない。どちらかというとボクに近い年齢のおっさん。そして苦労人。つい昨日もプレクストークで三谷幸喜監督の「素敵な金縛り」で小日向さんの好演ぶりを拝聴したばかり。今朝のラジオでますます好感を抱いてしまいました。

 今日までの東京は8月になってから毎日雨が降っている。まるきり、お日様が顔を出してくれないのだ。これじゃ農家はたまらない。作物たちもたまらない。そのうち野菜も高騰し、家庭の主婦も音(ね)をあげる。もちろん主夫も悲鳴をあげる。こんなことって、1977年以来のことだとラジオがいってたが、そんなことあったっけと振り返ってみたら、その年の8月はボクは寺村輝夫先生に連れられて東君平さんや和歌山静子さんらとケニアを旅していたので、まるで記憶がないのだ。そして帰りの飛行機の中で白人の乗客がエルビスプレスリーが亡くなったという一面記事の新聞を広げているのを目撃し、愕然としたのである。そう。1977年の今日、エルビスプレスリーが42歳で亡くなっている。来月になれば69歳になる今の自分が振り返ると、あまりの若さに改めて愕然とするのである。

▲ 見上げれば青空染めて秋茜


0817・木・

 軽井沢の路は混雑している。久しぶりにお日様が顔を出したから。そういうわけでもないと思う。やっぱり軽井沢なのである。ゴルフ場では若い人たちが普段着でゴルフを楽しんでいる。ゴルフウェアなんて約束事に若い人たちは惑わされないのだ。レンタルのゴルフクラブでお金をかけず、休暇を楽しむ術を心得ているのである。だから晴れてよかったね。

 天気が悪いのにアルルはコボちゃんをサンランドまで引っ張っていく。黒雲が湧いて遠雷が轟いているのに足は止まらない。ぐいぐいと引っ張っていく。そして待望のソフトクリームを胃袋に納めたのである。ところが北軽井沢スタジオに戻ってきてすぐ、頭の上で雷が鳴りだすとたちまちボクの足元に救いを求めて飛んでくる。アルルはボクが天候をコントロールする力があるとでも思い込んでいるのだ。その証拠に世の中が耐え難いほど暑くなると、やっぱりボクの足元にやってきて、これ見よがしにハァハァと喘いで見せて、ボクに冷房のスウィッチを入れさせるのである。

 北軽井沢の夜である。北軽井沢スタジオの屋根で雨がパラパラとパーカッションをして遊んでる。鰻の蒲焼と筋子と蛸ぶつをつまみつつ、アイラスコッチのボウモアをちびちびやりながらコボちゃんと映画「ジョーズ」を観る。物語世界に没頭する。スピルバーグの脚本がいいのは勿論、檀鼓太郎の音声解説がいいのだ。夢中にさせてくれるのだ。そして音声解説が何であるかをよく理解してくれてる檀鼓太郎は音楽が大きくなればナレーションする自分の声も大きくするという工夫も凝らしてくれる。原稿を美しい声で正しく読みさえすればよいと思いこんでる、音声解説にありがちな落とし穴にはまらないのである。おかげで東京から北軽井沢への移動でくたびれたボクやコボちゃんのこの夜を檀鼓太郎のナレーションがすっかりリラックスさせてくれたのである。そして傍らではそれぞれ自分たちにあてがわれた布団やクッションで、やっぱり移動でくたびれ果ててるイヌやネコドモがしっかりと寝息をたてているのである。檀鼓太郎さん、ありがとう。

▲ 雨音は秋の気配の山の夜


0818・金・

 未明、イノシシのクシャミで目を覚ましたコボちゃんがアルルとしっかり雨に濡れて朝の散歩から戻ってきた。今日も天気が悪い。天気予報は当たらないし、ちっとも夏らしくないし、こんなんじゃ北軽井沢にいる意味がない。こんなんじゃ避暑にならないのだ。寒いのだ。「おえかき」をするにもストーブが必要なのだ。でないと、手がかじかんで動かなくなってしまうのだ。今年の夏、怨んでやるぞ。

 午後になって少しは温かくなり、冷えた頭もウォームアップ、回り始めた脳味噌の中で構図もまとまってきた。1月のタイトルは放浪者。棒に包みをぶら下げた旅人さんが、マルチーズを連れて旅路をいく。そんな絵である。2月はハッピーバレンタイン。冬眠中のカエルの家にリスさんが大きなハートのチョコレートを抱えてやってきた。ストーブのポットはスチームでホイッスルを鳴らしている。10月は親友の建築工学博士、深尾精一君がモデルの絵。本の積まれた部屋の片隅でミミズク博士が片手で家の模型を持ち上げて、テーブルの上の都市計画の模型に配置しようとしている。模型の家には窓の明かり。部屋の中なのに、模型の街の家々は月の明かりに照らされている。タイトルは「月明かり」。7月は閃光花火。線香花火じゃないんです。キツネの子がバチバチと閃光を発する花火で遊んでいる絵です。でも、このキツネの子の表情が妙にうまくいかず、コボちゃんからなかなかOKがもらえず、紙の無駄遣いをしてしまう。ボクがモタモタしている間にコボちゃんはボクの色指定の通り、放浪者の彩色を仕上げてしまった。2018年度のカレンダー、順調に仕上がってます。

▲ いのししの声で目覚める軽井沢


0819・土・

 階下のスタジオで角が1センチ、全長が17センチの巨大なナメクジが壁に貼りついているのをコボちゃんが発見。茶色の斑点まであったという。自分の目を信じられないコボちゃんは巻き尺を持ち出し、実際に長さを測定したのだから、17センチは間違いない。そしていくら巨大だからといって、そのナメクジが大切にされるわけではない。壁にピッタリと貼りついているのを杉の木の枝でそっとはがされ、そのまま木の枝に乗せられて外まで連行される。ホットしたのもつかの間、今度は3センチのスズメバチが部屋の中を飛び回っている。猫のミミコが見つけたら、ちょっかいを出して刺されるかもしれない。んなことになったら小さな猫の肉体がアナフェラキシーショックを起こすかもしれない。虫取り網を持ち出し、そいつで優しく捕獲して、窓の外に解放して差し上げる。おかげでスズメバチ君、何の悪さもせずに自分の家に戻ってくれた。ところが今日は訪問者の多い午後で、今度は頭の上をヒラヒラ、ヒラヒラと舞うものがいる。最初は大きなクロアゲハだと思ったという。でも、よく見ると黒よりも茶色という感じ。鳥だったら大変。たちまち猫のミミコの餌食になってしまう。ところがこのアゲハだか鳥だかの謎の生物、窓と網戸の間に潜り込んでしまった。で、網戸を開けてやろうと近づいたら何と、大きな耳があるではないか。それが窓と網戸の隙間をヨチヨチと歩いているのである。それは体長10センチのコウモリ君だった。コウモリという生き物を間近に見るのは初めてのコボちゃん、そのあまりの可愛さにたちまち親近感を覚えてしまった。だったらなおさら猫のミミコにやられたら可哀想。遊び相手が欲しくてたまらない猫のミミコは寝室に閉じ込められてしまう。何が起きたのかと猫のミミコは大声で抗議する。その間にコウモリ君は窓と網戸の隙間から這い出してヒラヒラヒラ。階下へ飛んでいき、いつの間にか姿を消していた。このことでコボちゃん、すっかりコウモリファンになってしまったのである。ちなみに、ボクもコウモリファン。彼らとはお近づきになりたいと以前から思っていたのである。

▲ 舞いこんだ秋の蝙蝠ご転宅


0820・日・

 小説「学校の怪談」を聴きながら来年のカレンダーの下絵を描いている。広い北軽井沢スタジオはボクと猫のミミコ以外、誰もいない。コボちゃんとアルルは散歩に出たっきり、まだ戻ってきていない。怪談はますますコワくなる。いきなり階下で何かの音がする。空気が急に冷たくなる。もしも頭の上でこないだのコウモリ君が飛び回りでもしたら、きっと腰が抜けるだろう。こういうとき、大型犬のアルルなら少しは頼りになるけれど、猫のミミコは何の役にも立ちゃしない。この北軽井沢スタジオ、実はスタジオクラスター仲間のキンさんの霊魂が宿っているのだ。キンさんはスタジオクラスターの青木岳志さんと一緒にニューヨークのボクをサポートするために飛んできてくれた大切な仲間のおひとりなのである。ところがこのキンさん、2008年に別の世界へ飛び立ってしまった。ここにはそのキンさんが残していった貴重な作品が大事に保管されているのだ。だからもちろん、その仕事にこめられたキンさんの魂も遊んでいる。ひとりで仕事をしているときなど、
「エムさん、何してんの?」
とパソコンの画面を後ろから覗き込んできたりする。そんなキンさんの気配を現実のものとして感じることがあるのだ。でも、霊魂の存在を感じるのはここだけじゃない。家で仕事してるときは幼馴染の霊魂がときどき遊びにくる。昨年、彼がこの世から旅立つときは、ちょいとした手痛い挨拶をしていってくれたものである。やっぱり幼馴染なのである。出られたら悪い気はしないのである。彼らはちっともコワくない。本物の霊魂とか幽霊とかは、決して恐怖を感じさせたり危害を与えたりはしないのだ。恐怖を与えるのは作り話の幽霊。怪談の中のお化けや幽霊たちだけ、なのである。

▲ 幽霊とおえかきしてる秋の暮れ






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