全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
プロフィール

emunamae

Author:emunamae
いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



リンク

このブログをリンクに追加する



カテゴリ



最新記事



検索フォーム



月別アーカイブ



RSSリンクの表示



QRコード

QRコード



最新トラックバック



2016年5月16日~22日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0516・月・

 朝から肩が痛くて右腕が上がらない。あと3年で古希だから四十肩ではないと思う。だったら六十肩かというと、そうでもないらしい。というのは痛いのは肩の関節ではないからだ。肩の筋肉が痛いのだ。動かすと痛いのだ。じゃ、右手を使い過ぎて腱鞘炎になったかというと、それも定かではない。というのはこの年齢まで右手を酷使してきたのに、一度も腱鞘炎らしき症状に見舞われたことがなかったからだ。で、とにかく痛い。右腕を一定の方向に移動させると肩の筋肉がたちまち悲鳴を上げて、右腕が上げられない。ことにデスクの高さまで上げるのがつらい。だからキーボードに手が届かない。そこで遊んでいる左手に催眠術をかけ、右手があたかも麗しのサブリナの右手であるかのごとく錯覚させ、優しく持ち上げて差し上げる。サブリナの右手がテーブルの上に乗っかったら、後は何とかなる。指の先にあるキーボードに指を乗せ、文字を打ち込んでやればいいのだ。と、こんな苦労をして書いてます、という、これはコマーシャルです。
 それにしても痛いのはつらいことだ。痛いだけだから我慢すればいいじゃない、と痛くないときだったら安易に考えられるのだが、その痛い立場に立てば、痛さに耐えることの難しさに愕然とする。とはいえ、我慢してでもやらなきゃならないこともある。みんなそうやってお仕事をしているのだ。アメリカ大陸横断マラソンをやっていたときの高石友也さんは怪我をしても痛めても、走りながら治すといっていた。そして治るものらしいのだ。大相撲の力士もそうであるらしい。たとえば今場所の照ノ富士(てるのふじ)。相撲を取りながら膝の怪我を治そうとしているのだが、これはうまくいってない。先場所の豪栄道は怪我をしながら最後まで優勝戦線に生き残ったが、誰でもがそううまくいくとは限らない。後半戦に入った大相撲夏場所であるが、照ノ富士には頑張ってもらいたい。
 それにしても白鵬の相撲が美しくない。今場所も美しくない。相手を見下した張り差しも不愉快だが、搗ち上げ(かちあげ)と称したエルボースマッシュは許せない。いくら横綱とはいえ、勝手に土俵をキックボクシングのリングにしてもらいたくはない。言い古されてはいるけれど、横綱を張っている身分は相撲の神様を意味している。勝てば許される立場ではないのだ。それに比べて今場所、最も横綱にふさわしい相撲を取っているのが稀勢の里(きせのさと)。このまま優勝して、どうか本物の横綱になってもらいたい。

 気が付いたら、ゆらゆらと透析ベッドが揺れている。
「地震だ。大きいぞ」
 隣の患者が声を上げている。この人、やたら声が大きい。その大きな声で、いつも看護婦を独り占めにしようとする。この人、看護婦が大好きなのだ。けれども男性の透析スタッフが飛んでくる。機械は無事だと声をかけてくれる。けれども男性スタッフだからあまり嬉しそうではない。ラジオをつけると緊急地震速報が鳴らされていた。21時23分、茨城地方に強い揺れ。震度5弱との発表。東京では震度3。それでもこれだけ揺れるのだから、今の熊本の皆さんが、どれだけ大変なのか、自分のことに置き換えて想像したら身に染みてきた。痛さとか恐怖とか、体験してみないと想像だけじゃわからない。

▲ ラジオでは 蝶の噂が 風に舞う

0517・火・

 昨日からの予報の通り、雨が勢いよく降っている。そして雨の音は気持ちがいい。雨の音が聞こえてくると、ボクは小学校5年生までを過ごした社宅の縁側からの風景を反射的に思い浮かべてしまう。この社宅は高田馬場の駅からそう遠くない変電所の敷地内に建てられていた。建てられていたとはいえ、その建てられたのはおそらく戦前のことだろう。かなり古い木造住宅だった。地震がくれば大きく揺らぎ、今にも崩れそうで、祖母がボクらを庭に避難させた。屋根は瓦葺だが雨漏りがひどく、畳が濡れると慌てて洗面器やバケツを並べることもあった。トイレはもちろん汲み取り式。その汲み取り口が面した庭には大きめの風呂桶を鎮められるくらいの池があって、その奥には父親が池を作った際に余った土で築山が盛り上げられていた。正面奥には板塀があり、新聞受けが配置されていて、ボクの文章を最初に活字にしてくれた毎日小学生新聞が放り込まれたこともある。右手には柿の木があり、一年おきに何とか食べられる程度の、甘いのか甘くないのか、ありがたいのかありがたくないのか、判断に苦慮する柿の実をつけてくれた。そして柿の木の下には父親手作りの犬小屋がひっそりとたたずみ、クロという名前の犬が暮らしていた。
 小学校に上がって初めて描いたのは、その庭で傘を差しながら踊る自分の姿だった。早稲田通りに面した近所の映画館、パール座で観てきたばかりのミュージカル映画「雨に歌えば」のジーンケリーを気取って踊っているのである。画面には空から落ちてくる様々な大きさの雨粒。その下で傘を振り回し、片足を大きく跳ね上げて踊る自分の姿。このときの雨粒の表現は今でもエム ナマエの絵に大きく影響を与えている。そしてこの絵でボクは先生方から天才の折り紙をつけられ、それを本気にした両親によって、つまらない絵画塾に通わされ、絵画アカデミズムに対する最初の反感を植え付けられるのである。
 この木造社宅から内幸町の鉄筋コンクリートの社宅に引っ越すとき、ボクは父親にうまくいいくるめられ、クロと悲しい別れをすることになる。その意味も知らず、代々木の動物愛護協会に預けたのだ。
「いい人にもらわれるといいですね」
 その言葉の本当の意味を理解できるようになったのは、ずっと先のことだったように記憶している。父親と母親はいつもうまくいいくるめ、ボクから愛猫や愛犬、愛鶏などの生き物を奪っていった。いいくるめれば何でも奪える。両親は本気でそう考えていた。それも事後承諾で構わない。そうやって躾けられてきたから、これだけ反抗的に生きているのに、親に対しては無抵抗な人間にされてしまった。そのことをボクは絶対に忘れない。雨の降る庭で犬小屋からこちらをうかがう飼い犬の気配。雨の音はあの庭の平和な思い出も悲しい記憶も瞬間にして現在へ引き寄せてくれるのだ。

▲ 新緑と 土の香りと 雨の音

0518・水・

 朝から右肩が痛くて腕が上がらない。そして眠くてたまらない。どうしよう。このままだと無駄に時間が過ぎてしまう。そうだ。気分転換に爪を切ろう。それに爪がそろっていればキーボードの誤操作もなくなるし。そうだ。丁寧に爪を切ってやろう。そしてフットケアの世界的権威、新城孝道先生お薦めのアイテムで鑢をかけよう。指先には優しいけれど、爪は容赦なく削ってしまう、あの優れたスマートアイテムで爪を手入れしてやろう。といってもこのアイテム、百円ショップで売っている。新城先生もそこで買ってきてクリニックで分けてくれるのだ。新城先生、いつも患者のことを真っ先に考えてくださる。さすがオイラの命の恩人である。
 さて、爪切りのとき、必ず見えてくる風景がある。爪切りを構えると理由もなく突然、自分はバイクにまたがり、信号待ちをしているのだ。世田谷通りを曲がり、区役所に向かっている。いや、そうではなく、区役所で用事を済ませ、世田谷通りに出ようとしているのかもしれない。いずれにせよ、自分は信号待ちをしているのだ。青に変わればクラッチを合わせ、いつでもスタート。そういう場面を見ているのだ。けれども、いくら考えてもわけがわからない。この場面と爪切りとどういう関係があるのか、皆目見当がつかない。爪切りをする度にいつも不思議に思うのである。

▲ またきたよ 告げる渡りの 小鳥たち

0519・木・

 天皇皇后両陛下が地震多発中の熊本を訪問なされた。頭の下がる思いである。両陛下はもちろん、この国で皇室の皆様ほど憲法の精神を深く理解し、実践なされている方々はおられないと思う。それに比べて我が国の首相の情けないことったら。益城で震度7の激震発生直後は即、熊本に直行すると宣言しておいて、それが本震でなくて前震であり、熊本地方が連続地震に見舞われてからは、話は知らないうちに尻切れトンボ、それどころか頭も尻尾もなくなって、トンボだかカトンボだかガガンボだかわからなくなっている。昨日の党首討論でも嫌なやつぶりを遺憾なく発揮していたが安倍晋三、両陛下の爪の垢を頂戴し、煎じて煮込んで煮着けて煮染めて、三日三晩煮詰めたところで常備薬として携行すればよい。そうすれば、自らを立法府の長などと名乗る増上慢的発作は抑えられるかもしれない。三権分立誤理解亢進症を軽減できるかもしれない。
 さて、最近とても気になっているのが熊本地震で注目され始めた地震考古学である。地震のメカニズムを歴史から学ぼうとする新しいアプローチである。この傾向、東日本大震災以来の想定外発言を抑止するには極めて有効であるような気がする。そしてこの地震考古学によると四百年前、東日本大震災と同じような地震の6年後、熊本の阿蘇一帯で連続地震が発生し、大分方面に広がってからは中央構造線に沿って広島、愛媛、小田原へと広がっていったという。そんなことを考えていたら今夜、愛媛で震度3を記録したとニュースが伝えられた。不安がっても仕方がないが、巨大地震は日本列島の宿命である。覚悟していようといまいと、巨大地震はやってくる。津波もやってくる。そのことは歴史が証明しているのだ。

▲ うるさいは 五月の蠅と 猫が啼く

◇ バーチャル東海道五十三次コー  浜松に到着、通過しました。
次は舞坂。あと19,441歩です。現在の歩数、513,359歩。
3周目挑戦中!

0520・金・小満・

 我が家の女探偵と真っ黒な探偵犬によると、現東京都知事のご自宅はこの界隈にあるらしく、実につましいお暮しであるという。けれどもあの人は東京都知事じゃなくて東京ケチジ、なんて噂も飛んでいる。公私混同することを意味するますぞえる、なんて新しい動詞もますます一般化しつつある。人の金だと思って税金を私物化したり無駄遣いを続けているといつかお灸を据えられる。能力とは関係なく据えられる。結果とは関係なく据えられる。自分たちが
「この人でいい」
と判断した相手がケチでセコくて情けないズルをしていたなんて、それも血税や政治資金を家族のリクリエーションや個人の見栄や欲望の充足に当てていた、なんて無遠慮で不格好で卑しくてサモしくて浅ましくて惨めな裏切りが明らかになったとき、納税者に許される仕返しはお灸を据えることしかないのかもしれないが、やり直し選挙で無駄な経費を、それも何十億円という箆棒(べらぼう)な税金を無駄遣いすることは本末転倒であるような気がする。ここは侃侃諤諤、喧喧囂囂、甲論乙駁、狂瀾怒濤の議論を経て、奇想天外、青天の霹靂、急転直下、一件落着といきたいところである。そして本音をいえば、大阪や宮崎からおかしな元知事たちに駆けつけてもらいたくはないのである。

 寒い。15度くらいかな。ボクは最低気温が25度じゃないと生きていけないのだ。で、そのせいではないと思うが、ここぞというときに稀勢の里が白鵬に勝てない。あと5センチ、あと1センチ踏み越えれば勝てると思うのだが、ここはまた来場所に期待したい。

▲ そんなにさ とちじとっちめ なさんなよ

0521・土・

 目的地を直前に都営地下鉄が新宿駅で足止めを食っている。サミット直前の新宿駅である。まさかソフトターゲットを目標にした事件発生なんかじゃないよね。テロルも怖いけど都営地下鉄の怠慢もコワイ。さっきもやる気のない車掌の車内放送で到着駅が聞き取れず、ハラハラしていたところである。モタモタ地下鉄が新宿三丁目に到着したら今度は地上に出るまでが苦労。地下鉄という公共機関は若くて健康な人間だけを対象としているらしい。都知事は黒塗り公用車でスイスイと別荘通いだが納税者は地下鉄の階段で気息奄々、青息吐息で虫の息、死ぬ思いをしている。そりゃ記者会見で苛めてやりたくもなるわさ。
 案内されて最前列の座席に座ると、主人公のドジ損青年が美少女相手にヌード撮影をしたということでロリコンの疑いをかけられている。劇団娯楽天国公演『不思議の国のルイスキャロル』は既に始まっていた。ルイスキャロルの本名はチャールスドジソン。数学者で論理学者で写真家である。不思議の国のアリスのモデルとなったアリスリデルの写真はあまりに有名である。
 言葉遊びの素晴らしさ。台詞回しの絶妙さ。脚本の完成度。不思議の国と鏡の国のアリスと出会った経験のある人間にとって、この芝居はたまらない。『不思議の国のルイスキャロル』は期待と想像をはるかに超える芝居だった。あふれるアイディア、柔らかな発想。数学者で論理学者のルイスキャロルの作品をここまで舞台に昇華させるとはさすが、おぐらまさゆき座長の脳味噌の技。27年前、彼が23歳の、若さと才能と柔軟さバリバリピカピカの時代の脚本であるのだ。
 若い若いと思っていたおぐら座長だけど、彼も既に50歳。エム ナマエがじじいになるわけである。とほほ。
 おぐら座長は上智大学哲学科の出身。1988年以来、この劇団娯楽天国を牽引してきた天才脚本家で演出家で看板役者である。なのに片目をどこかに置き忘れたまま拾われたエム ナマエの愛猫キロンを膝の上に乗せ、「三国志」を前編、それぞれの登場人物になり切ってエム ナマエのために朗読してくれた優しい男でもある。長い付き合いのうちには、エム ナマエに脚本を書かせてくれたこともある。そのほとんどは座長に書き直されてしまったのではあるが。とほほ。
 1978年、故船崎克彦を団長とする英国周遊「不思議の国のアリスツアー」は不思議な顔ぶれだった。絵本作家のきむらゆういち氏、もっとも当時はまだ作家のタマゴで、工芸作家として大活躍中ではあったのだが、そしてその前年、ケニア旅行でボクと一緒だった小学館の編集者、炭釜氏、絵本画家の奈良坂智子さん、童話作家を目指していた小林芙紗子さんも同行していた。企画が不人気でなかなか人が集まらず、寄せ集めメンバーという印象は否めなかったが、グループを案内してくれた英国ルイスキャロル協会の副会長や、英国在住のインタープリーター、木村征二郎氏の魅力もあって、思い出深い旅となった。キャロルゆかりの教会やラグビースクール、ルイスキャロル博物館を訪れたり、BBCに出演したり、ロンドンではルイスキャロルアソシエーションに参加させてもらったり、オックスフォードでは鏡の国で登場するアリスの店で買い物をしたり、映画館ではこのツアー
のためにディズニーの「不思議の国のアリス」をわざわざ上映してもらったり、その最初のシーンである運河のほとりに案内されたり、豪華絢爛のアリスツアーであったのだ。けれどもどういうわけか、キャロルとは関係のないビートルズのリバプールが終点で、その途中、ストラトフォードのエイボンではシェイクスピアの生家まで訪れたりした、正に不思議の国の旅であったのだ。
 芝居が終わると、たちまち座長に噛みつかれた。
「なんで遅れてきはるんです。エムさんに最初からきちんと見てもらいたかったのに」
 本当にごめんなさい。でも、この芝居にかける座長の情熱は千パーセント受け取りました。本当に感動いたしました。ありがとう。
 帰り道、点字ブロックでつまずきそうになる。地面からの盛り上がりが大き過ぎるのだ。わかり易いようにとの配慮なのだろうが、盲人の感覚は鋭敏だ。それよりも、脚力の落ちている老人の心配をした方がいい。もっとメクラの足の裏にある目玉をを信用していただきたい。もっとも、盲人も長く生きていれば老人になってしまうのだが。と、コボちゃんに同意を求めるとコボちゃんは、
「月がきれい」
と空を見上げていた。

▲ あの月と 連れて帰ろう 桜ん坊

0522・日・満月・

 今日は満月だったんだ。やっぱりね。昨夜の帰り道、コボちゃんが月がきれいといってたのは、そういうわけだったんだ。
 さて、今更ながら、わざわざいうことでもないけれど、地球に月があってよかったと思う。地球はあの昔馴染みの月を長らくひとつだけでやっている。でも、ひとつとはいえ、贅沢はいえない。このひとつの月が丸くなったり三日月になったり、ほとんど影だけになったり、ときには太陽からの光を地球に遮られ、徹夜続きの赤い目玉みたいになったりして、これを月食というんだけれど、あれやこれやとパフォーマンスしながら、地球をグルグルと回って見せてくれている。だから地球、この月ひとつで満足しておけよ。なのにどうだ。あの火星のやつ、図体は小さいくせにフォボスとダイモスと、ふたつの月を抱えている。木星などはイオ、ガニメデ、エウロパ、カリストと400年前にガリレオがせっかく四つも月を見つけてやったのに、ボイジャーが近所を通過したときなど、見つかるわ、見つかるわ、次から次と見つかって、今や何個だか、ネットで調べないとわからない。女王様のダイアモンドや王貞治のホームランやイチローのヒットじゃないんだから、数さえ揃えば褒められるわけじゃない。たったひとつの月の満ち欠けで風流を語る地球人の無欲さを火星人も木星人も見習うべき、である。たとえ火星人がミジンコでも、木星人がアンモニアのおしっこをするクラゲであっても、である。

 そろそろ30度に達するのではなかろうか。窓の外はすっかり真夏の雰囲気である。そしてそよ風が気持ちいい。湿度が低いのである。なのにカラスたちがうるさくてたまらない。ハシボソだかハシブトだかわからないけれど、とにかく悪声で近所迷惑なカラスがいるのである。あのカラス、親の顔が見てみたいけど、どうせハシボソガラスに決まってると勝手に決めつけていたら、このサッチモみたいにひび割れた声のカラスが、サッチモファンの方、ごめんなさい、実はハシブトガラスの集団と呼応して鳴いていることが判明したのである。まさか、ハシボソとハシブトのハーフではないよね。カラス問題で疑心暗鬼でいたところ、先日の、あのアシカみたいな声が犬ではなく、カラスであるということも判明してしまった。悪声カラスと一緒に鳴いていたのだ。そして、ボクの古い友人、あのチョンワガラスまで釣られて鳴いていたのである。そうか。世田谷のカラスたち、特に経堂のカラスたちは個性的で独特でユニークなのだ。カアカアと素直にカラスらしく鳴いているやつなんか、一羽もいないのである。そしてこの生物学的現象とエム ナマエが経堂を愛している、という事実と相関関係にあることを証明する方法はまだ発見されていないけれど、エム ナマエとカラスの脳味噌が同じ程度であるという証明にはなるかもしれない。

▲ よき青葉 今日も合コン カラスたち




FC2 Blog Ranking