全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2015年11月30日~12月6日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから29年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

1130・月・
 TBSラジオの「スタンバイ」は今週からしばらく森本嶽朗さんは腰の手術のためにお休みとなる。つまんない。腕時計のアラームをセットして、毎朝楽しみにしてるのに、ああつまんない。森本さん、全快と完全復帰を心からお待ちしています。
 水木しげる先生ご逝去のニュースが飛びこんでくる。93歳であったという。妖怪を人間扱いする水木しげるは漫画界の宮沢賢治かもしれないと誰かがいっていた。目に見えない世界を明らかにする。左手を犠牲にしながら九死に一生を得た戦争体験が水木しげるをそうさせたのかもしれないし、生まれたときから本人に与えられていた使命なのかもしれない。ボクは中学生時代に貸本屋で鬼太郎の出産シーンを見て水木しげるの存在を知った。漫画専門誌ガロでその恐怖世界に引き込まれ、虜にさせられた。高校生時代、シュールリアリズムを目指した自分であったから、その不可思議世界と絵画的超絶技巧に魅了されたのだと思う。水木しげるが妖怪を次々とビジュアル化していったのは、それから先のことである。とある写真専門誌で水木しげるがとある妖怪のモデルにしたと思われる写真を発見したとき、先生の人知れずの努力の姿を見た気がした。93歳まで現役で漫画連載を続けてきた水木しげる。手塚治虫に並ぶ漫画界の英雄である。今頃、雲の上で鉄腕アトムと鬼太郎が肩を組んで下界を見下ろしているかもしれない。
 このブログを振り返ると、実に様々に水木しげる世界について触れてきている。ここにその一例をコピペする。
 南方の戦争といえば、南太平洋の戦場で左腕を失った水木しげる先生のご著書を引き続き拝読している。鬼太郎(きたろう)を貸本屋の漫画で読んだときは墓場で腐敗しかけた両親の遺体から鬼太郎が生まれ、溶け出した父親の目玉が片目の鬼太郎の眼窩に潜り込んでいく、という実に気持ち悪い場面でおののいたのが鬼太郎との最初の出会いだった。けれども水木漫画の精緻な画風と怪奇な雰囲気に魅せられ、中学生の頃は猛烈ファンになっていた。少年週刊誌への鬼太郎連載はその後の連載開始だったと思う。貸本屋時代のタイトルは『墓場の鬼太郎』だったのが『ゲゲゲの鬼太郎』と改題されたと聞く。けれども水木漫画の白眉は「ガロ」に発表した一連の作品である。そして当時、水木先生を手伝っていた漫画家つげ義春が作品を発表し、話題になったのも漫画雑誌「ガロ」だった。と、漫画の薀蓄話になると終わらなくなるので、こんくらいでやめておきます。わはは。
 デイキャッチの青木理コメンテイターがツイッターは世間の馬鹿発見機と語っておられたが、ここ最近のツイッターによる無謀発言を考えると実にうまい表現である。さすがはジャーナリズムの塚原朴伝、ここは一本とられましたな。うわははは。

▲ 今頃は 妖怪世界 歓迎会

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース  59番、国分寺を仮想参拝、通過しました。
次は60番、横峰寺。あと60,949歩です。現在の歩数、1,942,851歩。
2周目挑戦中!

◆ 12月・師走
1201・火・カレー南蛮の日・
 コボちゃんと朝のコーヒータイムをしていると突然、窓の外が白熱した。体中を何かが通過していく。ボクはコーヒーカップを持つ手を止め、コボちゃんに聞く。
「いちばん近い原発って、どこだっけ?」
 コボちゃんが答える前に胸が苦しくなってくる。
「ね、何が起きたかわかるよね。これまで本当にありがとう」
 そういうと、ボクらは手を取り合った。と、ごめんなさい。ここまでは夢の話です。
 けれども朝からこんな夢なのは、風邪のせいではない。核戦争と原発事故。日頃からボクが考えてるのは、放射能は人類の放つ最悪の毒だということ。テトラドキシンとトリカブトとイタチの最後っ屁がスクラム組んでもかなわない。そのせいなのである。
 今日からいよいよ師走という本日はカレー南蛮の日であるという。カレー南蛮もカレー丼も冬にふさわしい食べ物である。熱くて辛くて実に体が温まる。カレー南蛮は日本の蕎麦屋さんのすごい発明といえるのかもしれないし、インドのカレー粉が世界共通、万能の調味料だという証明であるともいえる。12月1日はカレー南蛮の日。サラダ記念日と一緒に覚えておきましょう。
 朝のニュース「スタンバイ」はやっぱり森本さんでないとつまんない。どうしてもそう感じてしまう。TBSラジオの男性アナウンサー、名前を憶えてないけど、ごめんなさい。
 水木ショックの翌日である。驚くほど沢山の人が水木漫画について語っている。けれども残念なのは、その多くが鬼太郎アニメにしか触れないことだ。アニメでは水木漫画の発する不可思議世界の恐怖は表現できない。厳密にいえば、鬼太郎アニメは水木先生の作品ではないのである。それからラジオに出演なさっている論客の面々、水木しげるの文章の美しさにもっと言及して欲しかった。ここでも書いてきたことだが、水木しげるのエッセイは実に奥深い。そこには水木哲学が満載されている。一度ぜひ、読んでいただきたい。
 咳止め薬の副作用か、骨が鉛になったみたいに体全体が重い。咳を止めれば悪いものが外に出ていかない。けれども咳き込めば苦しい。呼吸困難になるし、ものが考えられなくなる。ここがつらいところである。つまり早い話、風邪なんか引かなければいいのである。

▲ 鼻水が 髭剃り跡を 斜滑降

 1202・水・
 風邪に悩ませられながら昨日から読み始めたダンブラウンの『ダビンチコード』の上下巻を一気に読破する。というよりは読まずにはいられなかった。1972年のパリの夏、何度も何度も訪れて隅から隅まで歩き尽くしたルーブル美術館。そこから展開する物語だからたまらない。ちなみに、この小説に現れるモナリザは防弾ガラスの彼方に展示されているが、ボクが最初に目撃したモナリザには、そんな無粋な遮蔽物は存在しなかった。当時は、この小説に描かれるガラスのピラミッドも存在しなかった。聖女を意味する五芒星(ごぼうせい)と、男女の交わりをシンボルする六芒星(ろくぼうせい)。マグだらのマリア。聖杯伝説。宗教象徴学者を主人公とした点も面白い。ヘッケラー・アンド・コッホという拳銃が出てくるところも銃器マニアのボクの興味を引きつける。というわけで一気に読まされてしまったのである。ああ、面白かった。
 雨の夜である。ヘッドフォンを装着し、わくわくしながら羽根布団に潜りこむ。これから音声映画『未知との遭遇』の世界に旅するのだ。最初からどんどん絵が見えてくる。この人生で繰り返し聴いてきたジョンウィリアムスの音楽に胸が熱くなる。これまで世間が抱いてきたイメージを一新させた、あの様々に色を変えるクリスマツツリーみたいなUFOのフォルム。ボクも中学生のときに目撃したことのある赤い火の玉みたいな小型円盤。この接近遭遇から主人公たちは未知の存在に心を奪われてしまう。本当のことを知りたい。この主人公たちの熱い心に、どれだけ胸を震わせながら共感してきたことだろう。実際にUFOが存在するか否かが問題なのではない。その人の心にUFOは飛来する。たとえば、この映画を作ったスティーブンスピルバーグの心にも。1977年以来、何度も味わってきたこの感動を、再び味あわせてくれた視覚障害者情報総合ネットワークの「サピエ図書館」に心から感謝する。

▲ 風邪引きや ティッシュの残り あとわずか

1203・木・下弦・
 朝いちばんのニュースが飛び込んできた。つい先日、医療施設が銃撃を受けたばかりの米国カルフォルニアで障害者支援施設が銃撃されたという。14名が死亡。犯人は直ちに射殺されたという。被害者も加害者も銃があるから殺されないで済むところが殺されてしまう。街や家庭の銃器類はイスラミックステーツのテロよりもはるかに恐ろしい。
 午後のニュースを聞こうと思ってNHKラジオにステイチューンしていたら、何やらかまびすしい。それも女の声。どうやら午後のメインキャスターらしいのだ。日曜日の午後もあまり上品でない女性タレントの声が気になっているが、ウィークデイの午後も、やたらかまびすしいNHKラジオ。落ち着いて傾聴できるのは「ラジオ深夜便」と「まいあさラジオ」とNHKラジオ第2くらいなものになってしまった。嘘だと思ったら午後のTBSラジオと聞き比べていただきたい。民放の方が上品かもしれない。今よりも少しはまともな自分になりたいと思って傾聴するNHKなのに、最近は期待外れのことが多くなったような気がしてならない。NHKのお偉いさんたち、何をそう浮ついているのだろう。
「再発防止に全力で取り組みます」
 どうして素直に
「心を入れ替えます。悪うございました」
と言えないのだろう。お役所も企業も責任をたらい回しにすることしか考えない。そして責任を追及しなければ同じ間違いを繰り返す。そして被害者は浮かばれない。
 マイナンバー関連の詐欺が多発している。だったらマイナンバーの配達をクロネコさんに頼めばよかったのに。心密かにこう思っている人は少なくないはずである。ボクは正直に告白すると、日本郵便よりもクロネコさんの方を信頼している。顔が見えるのだ。日本郵便の不親切さは他からも聞こえてくる。こういう現実からも日本郵便の株、あんまり期待しない方がよいような気がする。
 太陽の気配を感じられないのでカーテンも開けず終日を過ごす。風邪が抜けたせいで頭がスッキリしている。夜更けの焼酎のお湯割りもうまく感じられる。さぁ、ガンバルぞ。

▲ マフラーで コーヒー飲んでる 秋の雨

1204・金・
 よせばいいのにイギリスが空爆を開始したらしい。テロに対抗する姿勢を見せているのだろうが、当局は本当にそれで効果ありとお考えなのだろうか。繰り返し書いてきているけれど、空爆がテロリストの拠点に致命的なダメージを与えられるとは到底思えない。むしろ無関係の市民を殺害することによる弊害の方がはるかに恐ろしい。それこそが報復の連鎖を生み出す元凶となっている。どうやら欧米諸国のリーダーは「そもそも論」が苦手であるらしい。考えてみれば当然で、欧州の歴史を振り返れば十字軍をはじめとする罪悪を数え上げれば無限大。とりあえず現状において暴れられるだけ暴れておいて、過去に蓋をするしかないのである。
 1959年、永田町小学校に転校したその日、音楽室でボクは叱られた。音楽教諭から指をさされ、
「おい、ナマエ!?」
と声をかけられ、
「はい!」
と応えると、
「おい、ナマエ!?」
と再び声をかけられる。
「はい!!」
と繰り返すと、
「はいじゃない。名前をいえといってるんだ」
と叱られる。
「ボクはナマエという名前なんです。だから返事をしているんです」
「なんだと。貴様は先生をからかう気なのか」
と顔を真っ赤にしたので、クラスメイトが
「本当にこの子、ナマエという名前なんです」
と説明するので音楽室中が大笑い。ボクの劇的音楽室デビューとなったのである。
 この音楽教諭こそが大津三郎先生。名曲「花のまわりで」の作曲者と知られる名物教諭である。こんな出会いだったがボクはこの先生のユニークな音楽教育が好きだったし、ボクのボーイソプラノな歌声を褒めていただいたので嬉しかったし、カッパというニックネームそのままの容貌だったこのユニークな先生のことを忘れられず、67歳になった今でもよく思い出していた。先日ふとそんな気になって「大津三郎」をググってみた。YOUTUBEでは名曲「花のまわりで」をいくつものアレンジで紹介していた。懐かしさで胸を熱くしていると、こんな記事がハートにヒットした。
「宮沢賢治が大津三郎の門を叩く」
 えっ!えっ?えっ!?まさか?まさか!まさか!?そうなのだ。宮沢賢治は当時NHK交響楽団のチェロ奏者だった大津三郎先生にチェロの指導を受けていたのである。つまり、ボクの音楽教諭は、あの金星楽団のチェロ奏者、ゴーシュの生みの親だったのである。

▲ 郭公と 河童がチェロを 教えてる

1205・土・
 お昼からの外出だけど電車の混雑がひどい。週末なのに通勤ラッシュ並み。さすがは師走である。でも、天気がいいだけの影響かもしれないね。
 下落合のいつもの劇場で娯楽天国の芝居を観る。そして今日も超満員。ますますの人気である。座長の小倉と看板女優のマロとは長いお付き合いだが、ますます彼らを誇らしく思う。一本の脚本を書くこと、その演出をすること、その舞台の主役を演じること。どれも至難の業なのに、それをひとり、もしくは夫婦で20年も続けている。これを尊敬、もしくは評価しないで何をする。というわけで、今日も感激のうちに観劇。なんて、つまらんダジャレ。それにしても菊之丞シリーズがこれでおしまいとは残念。そして主人公を殺してしまったのはもっと残念。と劇団員に伝えたら、
「もしかして死んでないかもしれないし、もしかして最後じゃないかもしれませんよね」
と謎の言葉をつぶやいていた。
 ここ西武新宿線下落合駅は懐かしい場所。ボクの最初の小学校、戸塚第三小学校の最寄駅なのである。そればかりではない。この沿線の風景は赤ん坊の自分が目撃した原風景なのである。そこから一駅、高田馬場駅で山手線に乗り換えてひたすら一直線、品川駅で下車して、病み上がりの足で坂道を登り切るとそこが高輪プリンスホテル。親友夫婦との待ち合わせの場所である。
 久しぶりの鉄板焼きレストラン「かつら」でのステーキディナー。本来だったらサーロインの200グラムもペロリ、平らげるところなのだが、病み上がり故に和牛のフィレットステーキ100グラムを注文。親友からも
「どうしたんだ、ナマエ。お前がヒレ肉なんて聞いたこともないぞ」
とボクの胃袋を心配してくれて、申し訳ない。でもご安心。ペロリと平らげました。
 親友の奥さんはマスターしたばかりのスマフォで日本庭園の5メートルのクリスマスツリーを激写。娘さんにシャメールしてました。

▲ シャメールで イルミネーション クリスマス

1206・日・
 絵夢助人(えむすけびと)さんの運転で芸大に向かっている。操るはお利口ベンツ君。「芸大へ!」
と声をかければ合点承知。カーナビは直ちに命令を実行するし、信号停止ではいつの間にかエンジンが停止して、走らせようとすれば回り出す。
「わぁ、すごい」
と思っていたら、いやに背中が温かい。電動リクライニングということだけで驚いていた座席だが、身体を温めてもくれるらしいのだ。
 師走の街をひた走り、お利口ベンツ君はたちまち目的地。昨年のワークショップでお世話になった副学長の松下功先生にお願いしてあった駐車場でお利口ベンツ君には休んでもらい、定刻に音楽学部第六ホールに入室。既に会場はほぼ満員であった。
 昨年、シンポジウムとワークショップでいろいろとお世話いただいた髙橋幸代先生が司会をなさりながら演奏会がスタートする。特別養護学校の生徒さんと髙橋幸代先生とのピアノのコラボは、たったひとつの音に全身全霊を打ち込む精神と、芸大という学びの庭で修練された指先がそれに和そうとする意識の共同作業であり、フィルハーモニーの精神を具現する最も小さな典型でもあると感じた。思いは皆同じなのであろう。会場は感動で満たされているのにピアノ以外、発せられる音は皆無であった。そして静寂を打ち破る満場の拍手。と、拙文はここまで。これがいかなる演奏会であったかは、以下のメールでおわかりいただけると思う。

エムナマエ様

こちらこそ、いらしていただき、どうもありがとうございました。
初めての司会に加えて演奏もあって緊張していたところ、ナマエさんにお会いできてとても嬉しかったです。

また、とても嬉しく温かいメールを本当にありがとうございます。
特別支援学校の久実さんの動きや呼吸、ベートーベンの音の世界に入り込みたい!という彼女の熱意だけに集中して演奏するという、私にとっても初めての体験で、ひとつになれる喜びを物凄く感じました。
退場した後、彼女は号泣しながら笑っていました。やり遂げて嬉しかったそうです。
また、お客様の温かい眼差し、息を詰めて聴いてくださっている空気も、生徒さんたちの背中を押してくれたことと思います。
心より感謝申し上げます。

ナマエさんの「めかくしおえかき」やシンポジウムでのお話は、未だに語り草になっております。
本当に素敵なワークショップでしたし、奥様との出会いのお話も心に深く残っております。
またこのような機会があればと思っております。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

高橋幸代

 このシンポジウムにご招待いただいたヴァイリニスト、川畠成道さんがパガニーニを演奏する。その超絶技巧が会場にまた別の感動をもたらしている。改めて音楽の力を感じる。背中を丸めて机に向かい、小さな絵をせこせこ描いている立場から見ると、会場を満たす聴衆を自分の世界に引き込む演奏家を心から羨望してしまうのだ。やはり音楽の力は偉大である。
 演奏とシンポジウムが終わると、絵夢助人(えむすけびと)さんが銀杏の落葉も美しい芸大キャンパスを背景にエム ナマエホームページのための撮影をしてくださる。
「銀杏の落ち葉が滑りますから気をつけてください」
「はい。そうでなくても運動不足で足元がフラフラしてますから」
 ひどい風邪からの病み上がりで声も出ず、頭も回らない最低の状態だったが、なんとか撮影はクリア。絵夢助人(えむすけびと)さんのエディットで、なんとか鑑賞に耐えるものに仕上げていただけると思う。映像はエム ナマエ公式ウェブサイトのニューイヤー、ウェルカムメッセージにアクセスしていただけばご覧になれます。2016年が明けたらどうぞよろしく。

▲ 芸大の 銀杏の道を 滑りいく




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