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全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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Author:emunamae
いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2015年9月28日~10月4日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから29年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0928・月・満月・
 台風21号が沖縄あたりを苛めている。またまた大型で、風速80メートル級の風が暴れている。どうして沖縄、そんなに苛められるのだろう。安倍政権に苛められ、アメリカに苛められ、中国に苛められ、そして台風が苛める。でかいくせに歩みののろい、このうすのろ台風、沖縄の歴史なんかお構いなし。クルクル目玉はあっても、脳味噌は足らないに違いない。まるでアベちゃんみたいだね。
 前回のブログで日曜日の中秋の名月をスーパームーンと書いてしまったが、どうやら今夜こそが本物の満月、スーパームーンであるらしい。
「あら。月が雲の手前に出てるわ!」
 コボちゃんが興奮している。
「だったらそれ、月じゃないよ。UFOだよ。あのね、たとえ地球が裏返っても、雲の手前に月が出る、なんてことは未来永劫、絶対に起きないんだよ」
「あ、そうかぁ。お月様はずっと遠いのよね」
 無理もない。それほどに月が明るいのである。楕円軌道で地球を周回する月。その月が最も地球に近づいて輝いている。距離が近ければ明るさも増す。その明るさが薄い雲を通過して見上げる人の目に届いているのである。晴天に恵まれた日本列島。明日の朝は、きっとこのスーパームーンの話題で持ち切りとなるだろう。

▲ 特大の 月のぼんぼり 読書かな

0929・火・招き猫の日・
 9月29日は「くるふく」で招き猫の日。豪徳寺が発祥の地とばかり思っていたら、TBSラジオ「おはよう一直線」によると、浅草にも新宿にも吾こそが発祥の地と主張するお寺があるという。ま、顔をくるくると洗って、こっちへこいこいという猫は、路地裏でも商店街でも、街中の目に着く所、どこにでもいそうな気がする。
 ボクには幼い頃から宝物にしている古い焼き物の招き猫がある。これ、祖母が実家から内緒で持ち帰ったボクへの土産物。祖母によれば、当時から100年前のものとされていたスーパー骨董品。鈴も目玉も塗装がぼやけて、表面はひび割れて、まるで招き化け猫である。それでも気持ち悪がることなく、ボクは大切にしてきた。
「そんなきったねえ猫、捨てちまいなよ」
 友人にいわれても大切にしてきた。中学生になっても、高校生になっても、大学生になっても大切にしてきた。引っ越しのときはタオルにくるみ、洋服ダンスの引き出しの奥に保管して運んだ。そのおかげで、このお化けみたいな招き猫は、今も玄・ベルトー・進来(すずき)さんの「ブラックホール」とネーミングされた未来的なデザインの家具のガラスケースに、古生物の化石みたいな顔をして鎮座しているのである。
 ポチがお散歩をしている。いや、外遊をしている。ハラハラである。またまた合衆国のボスを前にして、つまらない約束をしてくるんじゃないか、恥をかいたり、馬鹿をさらしてくるんではないだろうかと気が気ではない。困るのはポチが国外だったら自分の馬鹿がバレテないと信じていることである。であるから、ますます口が滑ってブレーキがかからなくなる。国民のお金を自分のお金と思い込み、大盤振舞をする。じゃんじゃんばら撒く。国内には貧困にあえいでいる人たちが山ほどいるというのに、お金持ちとしか付き合ったことがないから、そんなことは想像もつかない。そんなポチだけど、油断はできないぞ。鬼のいぬ間に、ゲルゲルがポチのポストを狙って、水月会というグループを立ち上げた。水に映る月のように静かで明らかな気持ちで政治に向かう。てな意味をこめたらしいが、
「ちょっとでも風が噴いたら、水に映った月なんて、グチャグチャになっちゃうよ」
とはTBSラジオ「デイキャッチ」の荒川強啓氏、らしくもなく洒落たことをいっていた。

▲ あの蝉が 最後だったね 秋の風

0930・水・
 お天気おじさんの森田君によれば、風速80メートルは時速300キロの新幹線のぞみの屋根にしがみついている状況に匹敵するという。台風21号の通り道で、この風にさらされた人の話によれば、ただただ恐ろしく、頭から布団をかぶって、ひたすら恐怖に耐えることしかできなかったという。人類の恐怖をあおる地球温暖化説を素直に信じることはできないが、気象現象がますます凶暴化していることは認めざるを得ない。今後の自然災害について、これまで経験したことのない豪雨とか、想定外の津波とか、予測不能の台風被害とか、テレビや週刊誌が好んで使いそうなフレーズが電光掲示板みたいに頭の上を通過していく。地上であれ、地下であれ、万全の安全地帯はどこにもない。ことにボクのような障害者は、ひたすら自分の幸運を祈るだけ。やっぱり、頭から布団をかぶって災難の通り過ぎるのを待つしかないのだろうか。
 いきなりの株の下落である。原因は中国経済の先行き不安。嘘つき国家が世界の株主を不安の奈落に蹴落とした(けおとした)。とまぁ、そんな大げさなことでもなかろうが、嘘を基盤とした国家体制や経済構造に投資をすればギャンブルも同然。リスクが高いのは当然であろう。
 困ったもんだと思っていたら、日本の新幹線を売り込んでいたインドネシア高速鉄道との契約を中国のパクリ新幹線がかっさらっていった。噂によれば、日本の測量データをインドネシアが横流ししたらしい。設計も測量もパクリだから、いくらでも安売りができる。リスクを考えないから、口から出任せのダンピングも可能。これじゃ日本が勝つわきゃない。とにもかくにも無責任工事だから、いずれトラブルてんこ盛りであろうが、インドネシア、そのとき慌てて日本に泣きついても、もう知らない。
 5秒でわかる嘘に投資すればどうなるか、結果は明白なのだが、そこは欲望先行だから目も濁るし判断も鈍る。ボクも経験があるが、見た目に欺かれ、女の嘘をまるごと信じてとんでもなく苦労したことがある。家の中に嘘が住んではたまらない。虚言癖がひとりでもいると関係のすべてがおかしくなる。中国のような5秒でわかる嘘でも世界経済や国際関係が不安定になるのだから、嘘のたくみな女がひとり、人間関係を渡り歩けば、まことは嘘に、嘘はまことに化けてしまい、まことらしい嘘というやつは魅力たっぷりなもんだから、みんな進んで騙されて、真っ赤な嘘が大道を闊歩する。そう。女は男の焼き餅にとりつく。焼き餅焼きでは女に劣らない男社会において、嫉妬心をあおる女の嘘は必殺兵器となり、メガトン級の効果をもたらすのである。同じ理屈にするのは乱暴かもしれないが、拝金主義の国際関係において、中国の存在は嘘つき女の世渡りに見えて仕方がない。

▲ 気の早い 九月の背中 見ておじゃる

◆ 10月 神無月
1001・木・都民の日・北海道狩猟解禁・共同募金・
 来年のカレンダーが刷り上がる。スタジオクラスターの青木ご夫妻が早速100本を運びこんでくださった。美しい色である。ぜひ、このカレンダーに皆様の壁を飾っていただきたい。
 祖父母を殺してしまった高校生。進路の悩みがあったというが、たとえ善意にせよ、孫の人生を操れると思ったところに誤りの原点がある。人生の主人公はその人自身。本人を脇役にして親や祖父母が主人公になれるわけがない。そこを間違えるから悲劇が発生し、加害者が悲劇の人生を生きていく、最大の被害者となってしまうのである。
 温帯低気圧が発達しながら日本海を西から東へ移動中。北海道に達する頃には950ヘクトパスカル、瞬間最大風速が45メートルになるという。こういうやつを爆弾低気圧という。不要不急の外出は控えるようにと呼びかけるNHK、与えられた義務を忠実に遂行している。これを受信料のためと受け取っては、ひねくれ者といわれても仕方がない。転ばぬ先の杖をこまめに提供してくれているのには感謝なのだが、同じ情報の繰り返しはどうにもつまらない。けれどもボクとコボちゃんは予定していた未明のドライブを延期して鉄筋コンクリートの我が家に待機中である。
 それにしてもNHKや気象庁がどれだけ頑張っても自然災害による被害者は発生する。意地悪な見方をすれば、天気予報にもニュースにも耳を貸さない精神的カタツムリ、つまり、不注意というナメクジが無関心の殻を背負っているようなパーソナリティーばかりが死んでいるような気がしてならないのだが、これは偏見だろうか。自然災害の前で個人の力はゼロに等しい。用水路や畑の様子を見にいっても千パーセント無駄、ひとつ間違えれば死んでしまう。できるだけそういう立場にならないよう、ボクらはNHKや気象庁のアドバイスには素直に耳を傾ける。そんな習慣が身についているのは、幼い時代の教育をNHKラジオに委ねた古い世代であるからだろうか。けれども今という時代ではどれだけ迎合してもへつらってもNHKが若者の心を虜にすることはできない。3Dの映像に加えて動く座席から匂いの出てくる4Dなんて化け物みたいな劇場エンターテイメントが出現し、バラエティーに富んだアミューズメントがエレクトリカルな蜘蛛が張り巡らせた網目のごとく無限に広がっている現在、ラジオも地上波テレビも大衆の心を引きとめておくには限界がある。すべては自己責任。アンテナをどこに向けるかで未来の運命が決まってしまう。

▲ ガラス戸を 嵐のこぶし どやしつけ

1002・金・
 日本海を爆弾低気圧が移動している。ボクらは温暖前線と寒冷前線の挟み撃ちにされている。けれども静か。雨もなければ風も吹かない。どうしよう。クルマには荷物も積みこんだ。出るなら今だ。そう判断してコボちゃんが猫のミミを抱え込む。
「ウワーオ!」
 不満たらたらの絶叫が階段を降りていく。ボクはリュックを背負い、後に続く。鍵をかけた途端、階下から風と水しぶき。ついに寒冷前線がやってきたのである。
 雷鳴が轟く中、クルマに乗り込む。屋根を激しく雨音が叩く。風が唸って過ぎていく。
「おかげで道はガラガラよ」
 慎重に運転してもクルマは距離を稼ぐ。あっという間に都内を通過。関越道に入ったときは、空は晴れて風は静か。悪戯小僧の寒冷前線も、そう急ぎ足じゃ、何もできなかったのに違いない。
 秋晴れの下、浅間山から薄く煙が立ち上る。紅葉の始まった軽井沢高原がボクらをやさしく迎えてくれる。冷たく澄んだ空気は森の朝の香り。緑と紅葉の見事なブレンドのナイスフレイバーなのである。
 建物の中にいたら、空から爆音が落ちてきた。
「まさか!」
 コボちゃんがボクを振り返る。
「噴火じゃないわよね?!」
「わからない」
 階段を駆け下り、コボちゃんが外へ飛び出す。けれども浅間山に異変なし。
「飛行機だったみたい。音が遠くへ飛んでっちゃった」
 噴火と間違えるくらいの爆音である。旅客機でなく、戦闘機だったのだろう。噴火もぶっそうだが、戦争はもっとぶっそう。そのぶっそうな空気をあの人がアメリカから運んできた頃かもしれない。
 高崎のとりめしを肴にして晩酌を楽しみながら東京ヤクルト優勝の瞬間を味わった。今年は猛烈にヨコハマとヒロシマを応援したのだが、いつの間にか東京ヤクルトがトップに躍り出ていて驚いた。毎朝お世話になっているヤクルトである。ヨコハマがダメでヒロシマがCSギリギリでも、東京ヤクルトが優勝ならばOK。文句はない。監督人事が話題のシーズン最終章、優勝できなかった巨人軍のあの人は、さぁどうなることでしょう。もしも江川君が監督になるのなら、来年から少しは応援してあげられるかもね。

▲ 嵐去り 紅葉急ぐ 朝の木々

1003・土・
 長野原でボクが臨時透析を受けている間、コボちゃんはアルルと浅間牧場でお散歩。それを嬉々として報告する。牧場といっても牛の姿は見えず、人もいない。そこでアルルはノーリードでコボちゃんと歩く。広くて目の前に浅間山がそびえていて、うっすらと煙がたなびいて、牛がいなくとも牧場の雰囲気を充分に楽しめたという。
「その牧場でね、昔、映画を撮ったらしくて、記念碑が立ってるのよ。でもタイトル、忘れちゃった」
「それ、『カルメン故郷に帰る』、ていうんじゃない!?」
「なんでそんなこと知ってんのよ?!」
「それはね」
といってボクは秘密を打ち明ける。
 以下は8月18日のブログ原稿である。

 何故か夢の中で日本最初のカラー映画を制作した人物との係わりを思い出し、『カルメン故郷に帰る』というタイトルを夢を見ながら思い出す。目覚めてからネット検索をかけたら正解。そしてこの映画、北軽井沢に深く関係ありとわかる。この偶然性、何か意味があるのだろうか。不思議でならない。

 というわけである。コボちゃんと話しているうちに、もっといろいろなことを思い出す。その人物がS田さんという人だったこと。おまけに顔も浮かんできた。この人、メイクアップの専門家で、それまでカラー映画のメイクアップの経験のなかったところでスタッフとして参加していたこと。学生だったボクが西銀座デパートで開いていた個展に通りかかり、ボクの色彩感覚に目をとめてくださったこと。それからお付き合いが始まった。資生堂で仕事をしておられ、開発したばかりの化粧品などいただいたこと。それを夢の中で想い出したのである。シンクロニシティーというのだろうか。世の中には不思議なタイミングがある。コボちゃんとアルルが浅間牧場を訪れたことも妙な偶然といえるのかもしれない。それとも、地面や空気の中に出来事の記憶が封じ込められていて、それらが人間の意識を操作するのだろうか。
 盲導犬使用者と盲導犬が轢き殺された。被害者は全盲のマッサージ師。盲導犬は引退直前で、当日は誕生日だったという。盲導犬になれなかったアルルの誕生日前夜祭にこんな悲しいニュースを聞かされるとは思いもしなかった。犯人は2トントラックのドライバー。資材置き場にバックで侵入している際に起こした事件である。このドライバー、バックの警告音のスウィッチを切ったままに放置していたという。ドライバーとしての安全意識の欠損が悲劇を生み出した。ボクが盲導犬アリーナと暮らしていた当時、盲導犬使用者の死亡事故はゼロだった。視覚障碍者は絶対的な交通弱者である。その視覚障碍者を安全に誘導するのが盲導犬の役目。白杖よりもドライバーの目を引く盲導犬の存在が盲人の安全を保管してくれていたのだ。そんな盲導犬と使用者の命を奪ったドライバー。たとえ法律が彼を許しても、社会は許さないような気がする。

▲ いわし雲 まきばの浅間 煙たつ

1004・日・
 朝いちばんで月刊ラジオ深夜便「しじまのうた」イラストレーションの下絵を仕上げる。わかり易いことがいいとは限らない。具体的であることがイメージを触発するとは限らない。誰でも知っていることや、どこにでもあることをイラストレートすることの難しさ。それで悩んで、なんとか妥協点を見つけて、そして仕上げた下絵である。でも、炬燵だけはうまく描けるようになったみたい。
 アルルの誕生日である。朝のコーヒータイムは浅間牧場近辺のケーキショップで見つけたモンブランでハッピーバースデイ。おいしそうにモンブランを平らげるアルル。長野や群馬は栗の名産地。そんな味がしただろうか。アルル11歳のバースデイの朝である
 大人とは裏切られた青年の姿である。 太宰治
 というわけで太宰治を読んでいる。立川談志の新釈落語話を読んでいたら、いきなり太宰の新釈御伽草子を読みたくなったのである。太宰の文章は美しい。その自虐性をユーモアと呼んでいいのかどうかはわからないが、少なくとも同じように自意識過剰の自分の苦笑いだけは誘ってくれる。こんな美しい文章を書く人がどうして自殺なんかしたのだろう。死ぬ勇気のない自分などには想像もつかない心境があったのだろうが、その彼に付き合った女性たちの気持はもっと理解できない。そして、そういう気持ちを想像できないボクだから、いつまで経ってもよい文章が書けないのだろう。
 人間ピラミッドというやつがある。それで子どもたちが怪我をしているという。といっても遊びやゲームではない。学校が子どもたちに強制している組体操というやつだ。ボクも経験がある。デブだったボクはいつも下支え。体操マットに両手両膝をつき、上からの重みにひたすら耐える。馬鹿らしい。人間ピラミッドの頂点に立つやつは痩せてチビッコばかりと相場は決まっている。健康優良児にその役目が巡ってくることは金輪際あり得ない。冗談じゃない。こんな下支えをして、いくら頑張っても、完成した人間ピラミッドを自分で見ることもできない。北朝鮮のマスゲームに素直に感動するような父兄参観者だけがパラパラと拍手を送ってくれるくらいが精々で、くたびれるだけ。何も儲からない。でも、頂点に立っているやつは気持ちいいのだろうな、きっと。いずれにせよ、そんな気分を味わえることは未来永劫、ボクには訪れない。ええい、くそ。デブなオイラはいつか、脳味噌でピラミッドの頂点に立ってやる。と思ったかどうかは秘密。いやいや、嘘嘘、大嘘。思ったとしたら、今ごろこんなところでウロウロはしていない。さて、最近の組体操は10段に達するという。だとすると、頂点は5メートルくらいにはなるだろう。落下すれば確実に怪我をする高さである。やめちまえ、やめちまえ。教師と親の自尊心を満足させるために子どもたちを犠牲にする組体操なんかやめちまえ。大義名分の前で、いつも子供は犠牲者にさせられる。そんなにやりたかったら校長先生よ、あんたが先頭に立ってやってみな。

▲ 秋深し 薄い布団を 引き寄せて




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