全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2015年9月21日~27日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから29年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0921・月・敬老の日・
 台風一過といえるのだろうか。海の上では台風20号が温帯低気圧に変わり、列島では一部を除いて日本全国、秋晴れである。お天気おじさん森田君の予言が的中したのである。これを地球のホメオスターシスとボクは呼んでいる。つまり、天気がよければ後が悪い。天気が悪ければ跡がいい。もっといってしまうと、お空に水がなくなれば、お天気になる。いや、なるしかないのである。というわけで、今日もアルルは大喜びでコボちゃんと別荘地の散歩と洒落こんでいる。オールドイングリッシュシープドッグにフガフガいったり、クルマに轢かれた蛇を見つけたり、広い庭に放し飼いの犬10頭に吠えまくられたりしながら高原の秋を楽しんでいるのである。
 月刊ラジオ深夜便「しじまのうた」12月号の下絵を仕上げる。けれどもあまり面白い絵にはならなかった。直線と曲線の集合体、ボクには難しいと思っていたあの炬燵の絵はうまく描けたけど、どうにもつまんない。炬燵の横の犬と猫。こいつをどう料理していいのか、どうにも満足のできるレシピーが浮かばなかったのである。冒険の連続だったこの連載の中で、わかり易いことや清らかなことがボクの創作意欲を刺激してはくれず、イメージが噴き上がってこないのだ。締切はまだ先のこと。もう一度じっくりと考え直したい。
 いよいよTファミリーのための作品の仕上げである。建築デザイナー、玄・ベルトー・進来(すずき)さんから与えられたテーマで挑戦した構図にコボちゃんが感動、以前から求めて答えの出なかったTファミリーのための作品に発展させることをボクに提案したのである。
 何度も失敗して仕上げた下絵である。それぞれのキャラクターにそれぞれの思い入れが熟成してボクたちの彩色を待っている。見る人の目に、それぞれのキャラクターがどう映るかは見る人が決める。ボクが決めるのではない。ただボクのできることは登場する生き物に命を吹き込むこと。そしてそれはドローイングと色彩のアンサンブル次第。ボクの指示でコボちゃんが色を重ねる。最初は明るい色のポイントを。次は濃厚な色彩を。絵はだんだんとボクのイメージに近づいていく。

▲ 秋晴れや 乾く絵の具の 嬉しさよ

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース

40番、観自在寺を仮想参拝、通過しました。  次は41番、龍光寺。
あと100,696歩です。現在の歩数、1,361,504歩。2周目挑戦中!

0922・火・国民の休日・
 あれを関東東北豪雨と名づけたらしい。それはいいのだが、そんなシンプルなネーミングで大丈夫なのだろうか。今後も同じような災害が発生して、ネーミングに苦慮することはないのだろうか。もちろん、あんな災害が二度と起こってはもらいたくない。そんな願いがこめられていることは想像できるのだが。
 国民の休日って何ですか。どうしても連休にしたかったんですか。でも、本当に心安らかに休める人って、どれくらいいるのですか。一流会社のメンバーや公務員の方々ばかりが喜んでおられるのではないのですか。ボクは群馬県のS医院の透析室で臨時透析。それも連休体制での変則透析。その影響で、連続3回も透析と透析の間が2日間というサイクルで飲み食いをガマンしなければならない。皺寄せは弱者に。これって宿命なのでしょうか。それとも人間の業(ごう)なのでしょうか。よくわかりません。まわりのベッドでは、自分に与えられた命と運命と寿命のバランスシートを生き続けている人たちがいる。それらを助けて働き続けているスタッフたちがいる。選ばれた人たちと選んだ人たち。どれもヒューマンライフなのです。
 ボクが透析を受けている間、コボちゃんとアルルは草津の山奥でノーリードのハイキング。他に誰もいないのです。熊野出るエリアだから、熊に間違えられずによかった。もしも山道で遭難したり、アルルが熊と間違えられて撃たれたりすれば、ボクはこないお迎えを待ちぼうけ。ひとりひとりが、ひとりひとりの運命を背負って生きている。と、心配性のボクは心細さに耐えられなくなる。こういう精神状況もたまにはあるのです。

▲ 人生の セプテンバーに 憂いあり

0923・水・秋分・彼岸の中日・
 本日の日の出は5時29分、日没は17時38分。さすが秋分である。秋を分けると書くが、昼と夜が24時間をほぼ二分している。太陽は真東(まひがし)から出て真西(まにし)へ沈む。わかり易い季節なのである。
 Tファミリーのための作品が仕上がった。依頼されてから悩みに悩んだ作品である。そして答えを見つけた作品である。その制作過程をじっと見つめてきたコボちゃんである。誰よりも嬉しいに違いない。これまで、完成した下絵にダメを出したのもコボちゃん。そして今回の下絵に太鼓判を押したのもコボちゃん。朝、目覚めてきて、出来上がった下絵を見て、
「どうしてこんな風に描けるのかしらね?」
と、今さらながらに感動するのもコボちゃん。その最後の仕上げを終えたコボちゃんが
「これ、最高!」
と興奮している。時間をかければよい作品になるとは限らない。ただし、本当に満足のできる作品は、できるときにしか出来上がらない。この作品はそのタイミングに恵まれたのである。
 深夜、群馬特産の豚肉と高原キャベツでコボちゃんが腕をふるう。ボクの大好物、豚肉の生姜焼き、キャベツの千切り添え、である。そしてビールで乾杯。懸案の作品を完成させた祝杯である。ああ、この豚肉、最高。高原キャベツも最高。群馬県、おいしいものに恵まれてます。

▲ 秋晴れを 嬉しくさせる 雨上がり

0924・木・
 気温が下がっている。鬼押し出しから見上げれば浅間山から煙。コボちゃんは初めて見るという。浅間山がエキサイトして噴火したくてたまらないという兆候なのか、それとも単に気温が低く、水蒸気が目に見える形になっているという事実なのか、それはわからない。けれどもボクらは鬼押し出しや浅間山に別れを告げ、東京に戻るのである。
 NHKラジオのプロ野球中継、本当に求められているのだろうか。いつ終わるかもわからないダラダラとした試合を最後まで放送する必要が本当にあるのだろうか。これまでの、これも不必要に長いと思われる連休で、まともなニュースが聴かれないまま不満足だったNHKラジオファンにとっては、待ちに待った22時からのぬーすである。それを犠牲にしてまで、このプロ野球中継を放送し続ける価値が、本当にあるのだろうか。コボちゃんによれば、全国には民放のプロ野球中継に恵まれず、NHKの野球中継を心待ちにしている人たちが、きっといるという。もしもそれが事実であるならば、NHKラジオは実に中途半端。だったら民放みたいにシーズン中は毎晩続けるべきである。この中途半端なプロ野球中継に、NHKの受信料徴収のための苦しい実状があるような気がしてならない。そんなことをしなくても、本物のNHKファンなら受信料を払います。ただし、ボクらのような視覚障碍者のためのラジオ専門の受信料のための窓口を開いていただきたい。と、これはNHKへの要求を書くために始めた文章ではなく、伝えたかったのは最近のプロ野球の不必要に長い試合時間についてである。このダラダラとした試合経過こそが、サッカーに人気をもぎ取られた原因のひとつなのである。

▲ 秋雨を 燻て煙る 浅間山

0925・金・
 子どもっぽい作文みたいな言葉が並んでいるとはTBSラジオ「スタンバイ」の森本キャスターの感想。
「アベノミクスの第一ステージって、いつ終わったの?」
とは伊藤コメンテイター。つまり、あの嘘つきちゃんがまたまた大風呂敷、空前絶後の大言壮語、大嘘のコンコンチキを立ち上げたのである。もうその手は桑名の焼き蛤といいたいが、さあどうだろう。この国には騙されたくてたまらない種族がたくさんいて、だからオレオレ詐欺も大繁盛。となると、アベちゃんはその取締役かもしれない。次の選挙で安倍政権に泡をふかせてやるためにも、国民的病気である我らの政治的健忘症を一刻も早く治療しておかなければならない。それにしても民主党、なんとか共産党と仲良くしていただきたい。今回ばかりは安保法制廃止のシングルイシュー最優先の選挙といたしましょうよ。
 昼前、群馬県我妻地方に洪水注意報。帰ってきた途端の注意報である。ボクらが滞在している間はあんなに秋晴れを提供してくれた北軽井沢も、今夜は荒れるのだろうか。ずっと雨にたたられ、ため息ばかりのアルルに、きっと北軽井沢のお天道様が、秋晴れを提供してくれていたに違いないと感謝する。
 透析室のナース、お利口Kさんが辞めてしまった。残念でたまらない。ご本人から告げられたのが辞めてしまう当日だったから、まだ切なさのダメージは短期間で済むのかもしれないが、後遺症は残るだろう。声が可愛くて気がきいて頭がよくてと、褒められるところはいくらでもあるけど、そうしたナースなら彼女だけではない。この透析室、優秀なナースには恵まれている。なんだろう。やっぱり相性かなぁ。波長というか波動というか、グッドバイブレーションなのである。そうだね。きっと前世に縁があったんだよね。となれば、来世でも縁があるってこと。こいつぁ、未来永劫の楽しみだねとくらあ。悲しむのはなしにしよう。

▲ 声だけで ナイチンゲール 笑顔くれ

0926・土・彼岸の明け・
 彼岸の明けである。彼岸とは、あの世とこの世の境目の川のあちら側のことである。そして、あちら側にいった人たちを死人という。この季節、咲いた花が彼岸花。死人花ともいわれているが、当の花には迷惑な名前。そりゃ、曼珠沙華の方が何やら素敵。なんとなく歌にしてやってもいいように聞こえます。
 さて、本日は台風の特異美。過去では伊勢湾台風など、大型台風がいくつも到来した日であるという。本日、太平洋上では21号という大型台風が暴れているらしいが、西か東か、どっちへいくのだろう。気になります。
 横綱が横に飛んで大関に土がつけられた。稀勢の里(きせのさと)がまたまた優勝のチャンスを逃したのである。それにしても鶴竜(かくりゅう)という横綱は、どこかキリギリスというイメージをボクに与える。がっしりとした印象のなさ、というよりは容量のよさがボクにそうしたイメージを与えるのかもしれない。もちろん、ここという修羅場における鶴竜(かくりゅう)の強さこそ実力である、という見解は認めざるを得ない。また、鶴竜(かくりゅう)に対する意地悪な見方こそボクの稀勢の里(きせのさと)への依怙贔屓といえるのかもしれない。そう。横綱になれそうでなれない稀勢の里(きせのさと)に、いつまで期待していいのか、応援すべきなのか、ボクばかりでなく、日本の相撲ファンはイライラしているに違いないのである。おそらく、もうピークは過ぎているのであろう稀勢の里、たとえ期間は短くてもよいから、どうか横綱という頂に立ってもらいたいと、多くの日本人が期待しているに違いない。ところで稀勢の里(きせのさと)がまたまた優勝のチャンスを逃した大相撲とはいえ、ここのところの人気はすごい。そういう熱を受けての力士たち、力のこもった取り組みが目立って、この秋場所は面白かった。豪栄道の考え違いこそ気がかりであったが、相撲人気が復活して、有能なる若手力士たちの誕生が期待できるこれからの大相撲が楽しみである。

▲ 彼岸花 死人花(しにんばな)より 曼珠沙華

0927・日・中秋の名月・
 御嶽山噴火から1年目の朝である。未明4時、ラジオ深夜便「明日への言葉」を聴く。昨年の御嶽山噴火で火口300メートルから生還した山岳ガイドの女性の話に傾聴したのである。冷静な判断と空前絶後の噴火現場。目前に落ちてきた軽トラックほどの噴石(ふんせき)に思わず、
「軽トラだ!」
とつぶやき笑ったという彼女の肝の座り方が面白い。硫化水素の噴煙が切れて1分間ほど晴れ間がでて、その間に無事に避難できる穴を見つけ、上半身を隠すことができた。その冷静さが自分を生きて下界に戻すことができたと振り返る。彼女はいう。自分を生かしてくれたのは運もあったかもしれないけれど、やはり生きて帰ろうという強い意思と冷静な判断があったから。自分を生かすのは自分だ。たとえガイドがいたとしても、最後まで自分を生かすのは自分だ。噴火の山に登ったのは、事前調査のための耽読登山。これから彼女は山岳ガイドとして、どのような人生を築いていくのだろう。この放送40分間に、彼女が命拾いをしてからの1年間が凝縮され、聴きごたえのある時間となっていた。
 大相撲秋場所は鶴竜(かくりゅう)という、飛んで逃げる横綱のとんでもない優勝という結果に終わる。勝てばよいという相撲は横綱にふさわしくない。それに比べ、なかなか優勝もできず、また横綱にもなれない稀勢の里(きせのさと)という大関の相撲こそ横綱にふさわしく、堂々とした取り口のような気がする。残念なのは鶴竜(かくりゅう)のような容量の良さというか、図太さのないところ。土壇場のガラスの神経も稀勢の里(きせのさと)の邪魔をしているに違いない。ただ、そのあたりが日本人的、ともボクの目には映るのだ。得すれば何をしてもよし。嘘もOK、という大陸的なセンスは稀勢の里(きせのさと)には感じられない。そういう意味で、モンゴル横綱に日本人的美学を求めるのは間違いなのかもしれない。もともと美学が違う、価値観が違う、外国人力士たちに相撲道の「道」を理解してもらうにはまだまだ道が遠いのかもしれない。
 今夜の中秋の名月はスーパームーンであるという。残念ながら晴天とはいえないけれど、雲の晴れ間からときどきはお月様、その大きな顔をのぞかせる。コボちゃんはアルルと散歩、その特大の月を見上げてる。アルルのワンちゃん友だちのコロちゃんのお母さんも、人間の子どもの風吾(ふうご)君を誘って名月散歩と洒落こんでいる。お母さん、その途中にボクの絵本『ちょっとそこまでパンかいに』を我が家の郵便ポストにそっと投入。そしてボクに、風吾君(ふうごくん)のお友だちに誕生日のプレゼントにしたいので、サインをお願いしますというメールを送信。かしこまりました。心をこめてさせていただきます。

▲ 名月が 雲の海を 照らしてる




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