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全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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Author:emunamae
いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2015年9月14日~20日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから29年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0914・月・
 昔は映画館で予告編と並んで上映されたニュース映画で、繰り返し洪水の場面を見せられた記憶がある。ことに小学5年生のときに目にした伊勢湾台風被害には心が痛み、今も忘れられないでいる。とはいえ、治水技術の進歩した平成の世の中でも、 過去に経験しなかったような大雨は、コンクリートの堤を超え、無敵と思われた堤防をも破る。今回の歴史的大水害では、いまだ行方不明の15人の方々が気の毒で仕方がない。行政による避難指示の有無が問題にされているらしいが、もしも公務員の怠慢により、適切な発令がされていなかったとすれば大問題である。この場合の公務員の責任はいかに問われるべきであろうか。誰も責任をとらないこの日本の行政機構にあっても、競技場やエンブレムの問題ならいざ知らず、災害による人的被害となると、責任回避は許されない。命を絶たれて未来を奪われた人たち。責任を回避して退職金と年金で老後を保証される公務員。この差は誰から見ても不公平極まる。安心と安定の公務員。ますます人気の公務員。大企業の社員と公務員はますます貴族化して、一般庶民との差を開いていく。いいのだろうか。このまま役人貴族を許していけば、日本はいつか中国みたいな社会になってしまう。
 大相撲秋場所の幕が開けた途端、白鵬が連敗をした。まさかの連敗である。おいおい、休場なんかしないでくれよ。ボクにとっての悪役がいなくなってしまうと場所がつまらなくなる。敗けて嬉しいという力士が、ひとりくらいはいてもらいたいのだ。
 秋晴れである。今朝は蝉の声も聞こえない。けれども蚊のご婦人たちは活発である。秋の蚊は生殖活動のラストスパート。元気な赤ちゃんボウフラを産むために、人間の血液を求めて空中散歩。標的を発見したら急降下。ツンと刺してピューと吸い上げ、プイと飛び去る。そして残していくのがこの痒み(かゆみ)。もう、たまりません。蚊取り線香が本当に必要になるのは9月からのことかもしれない。そういえば永井荷風が墨東奇譚の中で、ちょいと洒落た9月の蚊の俳句をいくつも詠んでいたっけ。
 永井荷風『墨東奇譚』 貧しき秋の暮らしの句
◆ そのあたり片付けて吊る蚊帳かな
◆ 家中は秋の西日や溝の縁
◆ 侘び住みや団扇も折れて秋暑し
◆ 蚊帳の穴結び結びて九月かな
◆ 屑篭の中から出でて鳴く蚊かな
◆ 残る蚊を数える壁や雨の染み
というわけである。永井荷風、万歳。
 警察官が寄って集って(よってたかって)猛犬一頭に銃弾13発を浴びせて殺した。3名の警察官であるから、ひとり5発の回転弾倉の中身を、たった2発を残して、すべてぶっ放したことになる。ちなみにリボルバーは6連発。そのうちの1発は抜かれており、暴発を防いでいる。だから警察官の拳銃は5連発となるわけだ。いずれにせよ、なんて下手糞、なんたるへっぴり腰。猛犬は紀州犬。通行人や飼い主を次々に襲った場面での緊急避難であるから仕方がないといえばいえるが、ゴジラが相手じゃあるまいし、38口径1発で仕留められるくらいの腕は鍛えておいていただきたい。でなければ、あの人たちに拳銃なんか預けておられない。よくもまぁ、流れ弾による怪我人が出なかったもんだと、あきれながらも胸を撫で下ろしている。
 本日のTBSラジオのデイキャッチ。気になったことがふたつ。自分はボケていないと思っている荒川強啓の、そこがボケている。記者がジャーナリストの青木理(あおきおさむ)に対して
「青木さんもおっしゃられていたんですけど」
という。おっしゃるという尊敬語を、これまた丁寧語にしておっしゃる。おっしゃられるは初めて聞いた。これって、世間では一般化されているのだろうか。知らないのはボクだけなんだろうか。いきなり不安になってきた。

▲ かゆみさえ なけりゃゆるして やるのだが

0915・火・
 昨日から阿蘇山が騒がしい。久々に大噴火をしたらしいのである。いやいや。あの裁判ウォッチャー芸人、阿蘇山大噴火さんのことではない。本物の、あの世界一のカルデラを誇る、巨大火山のことである。けれどもボクにとっての阿蘇山は憧れの山。というのは、阿蘇山といえば、空の大怪獣ラドン、とくるからである。ラドンが登場するまでの落盤事故のシーンや、炭鉱で蠢く巨大なヤゴ、メガヌロンの、あの雰囲気のある不気味さも忘れられないが、巨大化した翼竜(よくりゅう)ラドンとF86F・セイバー戦闘機の見事な空中戦を描いた円谷英二監督の発想の見事さに心を奪われた。ひっくり返った電車の裏側に走っていた電動モーターのリード線がバレていたことなど、まるで気にならない。それもこれも、すべて特撮映画の要素であって、ボクら怪獣映画ファンは喜んで騙されに映画館に足を運んでいたのである。ラストシーンで自衛隊が阿蘇山に打ち込むミサイル、オネストジョンにより噴火して噴煙と溶岩を吹き出す阿蘇山のミニチュアと本物の阿蘇山の噴火が重なってしまって、どうにもいけない。つまり、ボクにとっての阿蘇山大噴火はリアリズムに欠け、心に緊迫感がわいてこないのだ。すいません、熊本の皆様。
 太陽が斜めになっている。午後の日差しが侵入してきて椅子の肘掛を温め、ボクの左腕が温かい。斜めの日差しは条件反射のようにボクに秋を連想させるのだ。
 参議院の中央公聴会に口述人として参加した、学生グループ、シールズの奥だ代表の発言の冒頭、居眠りしている議員たちへの呼びかけは見事だった。そして安倍政権に対してだけではなく、野党に向けての批判も忘れず、老若男女が国の政治に注目していることで釘を刺した態度は立派。スピーチへの未熟さを指摘したコメンテイターはピンボケも甚だしい。もっと大切なことがあるのではないかな。
 夕方、経堂駅中(えきなか)喫茶店、エクセシールカフェで月刊ラジオ深夜便の新任担当記者と面会をする。落語ファンということで、ついつい落語談義に花を咲かせてしまい、原画引き渡しと引き合わせにきたデスクとのおふたりの貴重な時間を浪費させてしまった。申し訳ない。おふたりを送り出してからプレクストークで三谷幸喜監督の『ザ・マジックアワー』を鑑賞。ステレオイヤフォンでボリュームを上げれば喫茶店の喧騒も遠くに退き、映画の世界に浸りこむ。気が付いたら夕食の時刻。コボちゃんに迎えにきてもらい、すずらん通りの「英」のラーメンに舌鼓を打ってから帰宅する。

▲ 左腕 斜めの日差し 秋の味

0916・水・
 鬼怒川の氾濫で行方不明だった15人のうち、14人が無事で、ひとりが虚偽情報であったことが判明した。これら事態が発生したことの原因のひとつが個人情報保護法の過剰運用。この法律の施行当時から懸念していたのが、行政がこの法律を口実として、もしくは立前として、その怠慢を助長させるのではないかということだった。それでは、それほどまでにして行政が、もしくは団体や組織が個人情報を主語してくれるのかというと、それはとんでもない。衆知のごとく、ありとあらゆる方面から個人情報はダダ漏れである。この上、締りのない行政にマイナンバーの管理を委託することなど、とても考えられない。
 気が付けば蝉の声が聞こえない。秋虫ばかりが鳴いている。美しくはあるけれど、寂しい気持ちはやるせない。今年の秋の入り口は、蝉も人間もちょいと肩を落としてる。
 西では桜島や阿蘇山が頑張っているけれど、ご近所の箱根山は警戒レベルも引き下げられて、関係者も胸を撫で下ろしているのではなかろうか。浅間山の先生も沈思黙考して別荘地の平和な暮らしを見守っていてくださる。金曜日からはまたまた北軽井沢で絵の制作。天の水、大地の火。どうか平安でいてください。

▲ 蝉たちよ 黙りこむには まだ早い

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース  39番、延光寺を仮想参拝、通過しました。
次は40番、観自在寺。あと56,898歩です。現在の歩数、1,303,902歩。2周目挑戦中!

0917・木・
 雨の音を聞きながら、ぼんやりとしている。遊歩道に雨の落ちるのを漠然と感じている。遠い日、同じように庭先に落ちる雨の音を聞きながらぼんやりとしていた子どもの日があったことを思い出す。長い時間が過ぎていったが、何も成長していない自分に気がつき、愕然とする。遠い日と今の間がスッポリと抜けているのだ。人間の心にかけた柱時計は不思議な時の刻み方をする。
 国会中継を聴いている。のろのろとしゃべるミズホ議員に山本議員。牛歩戦術ではなくて、牛タン戦術、つまり牛のベロ大作戦であるらしい。民主主義とは数である。こう信じ切っている、もしくはそれを武器としている安倍政権に対して、今の野党に残されている方法はこれくらいしかないのである。これも安倍晋三のアベノミクスという嘘に騙された国民の責任。きちんと考えれば、圧倒的多数を手に入れた安倍政権が何をするかは簡単に予想がついたはずなのだ。そんなことを考えていたら、あっという間の強行採決。喧騒で何も聞き取れない間の強行採決。ふざけんな、安倍政権。この口惜しさと情けなさを、次の選挙まで、決して忘れないぞ、忘れないぞ。
 チリ沖でマグニチュード8.3の巨大地震が発生、5メートルの津波が海岸を襲っているという第一報。明日の早朝には日本にも津波の到着が予想されるので、太平洋岸は緊張してなくてはならない。日本は自国の地震や噴火ばかりでなく、太平洋のあちら側の地震にも気を遣わなくてはならないから大変なのである。

▲ 参院選まで この口惜しさを 忘れんぞ

0918・金・
 遠い雷鳴の中、5時に出発して北軽井沢に向かっている。そして津波も日本へ向かっている。迷惑な話である。NHKラジオの津波情報は同じ内容の繰り返し。でも、それがお仕事なのです。お疲れ様。
 NHKラジオでは、はるばるチリからやってくる津波情報が最優先とされているが、民放の情報番組では電話出演者が
「そのドライバーさんが止まっていただいてですね、それで無事だったんです」
てなことをいっている。でも、この場合は、
「止まってくださって」
ではないだろうか。最近やたらに「いただいて」という言葉が飛び交っているが、そうやたらにいただきたがっても困る。主語と述語、目的の関係が的確に把握されていないから、もしくは文法そのものに無関心だから、というよりは語りが訓練されていないから、可能も受動も丁寧語もゴチャゴチャになって、妙な日本語が世の中に氾濫するのは聞き苦しくてたまらない。とはいえ、言葉を知らない人たちの繁殖が継続しているので、こうしたことも話題にのぼらないのでしょう。ますますコミュニケーションがややこしくなる。
 TBSラジオ、ゆうゆうワイドを聞きながら北軽井沢に到着。昨日の強行採決場面で、グリーンのスーツを着た女性議員が肉弾戦で大活躍をしていたらしいのだが、今朝の悠里さんの話によると、その昔、悠里さんがアナウンサー指導をしたことのある女性らしいのだ。となると、その人はボクのアメリカンビジネスの弁護士をしたのと同一人物であるはずだ。最近、議員としての噂を耳にしていなかったが、縦と横のボリュームを活用して、国会の肉弾戦要員として活躍しているのだな、と判明。思わず納得する。
 今朝はラッキー。横川で高崎のとりめし弁当をゲットしたのである。ここ最近、いつも売り切れで、そのピンチヒッターとして横川の釜飯弁当を寝酒の肴にしていたのだが、今朝はゴキゲン。開店したばかりのテナントをのぞいたのがよかったのだ。とりめし弁当を肴にしてビールを飲んで、猫のミミを湯たんぽにして、高原の昼寝と洒落こもう。

▲ 秋晴れが 雨を蹴飛ばし 笑ってる

0919・土・
 眠っているうちに安保法案が決められてしまったらしい。午前4時のNHKラジオでは採決といっているが、強行採決ではなかったのだろうか。ここはTBSラジオで聞いてないのでわからない。「スタンバイ」の森本キャスターはどんな論調で伝えるのだろうか。こういうときだけはスマフォが欲しいと思う。本日未明のことだから満州事変の特異日、9月18日の決議だけは避けられたみたいだが、そのあたりは安倍晋三の個人的こだわりだから国際情勢とは関係ない。いや、もしかしたらこのあたりを中国が注目しているのかもしれない。安倍晋三、おじいさんの亡霊にとりつかれている。
 朝5時のNHKラジオによると、台風20号が小笠原諸島をいじめているらしい。あのあたり、実は東京都。関東地方であるのだが、もういい加減栃木茨城あたりの、正真正銘の関東地方いじめはやめてもらいたい。広い世界にはきっと、水が欲しくてたまらない人たちがおられるはず。そのあたり、天然自然は、お役所みたいに平等を立前とはしてないから予測がつかない。もっともそうなれば、天気予報なんかも要らなくなるし、気象庁の職員はみんな失業する。
 長野原での朝の臨時透析で週刊文春の特集記事、あの元少年Aの不愉快な投稿を読む。こいつ、社会復帰訓練を受けたはずなのに、匿名記事なんかで何を得意がっているのだ。みんながいう通り、やっぱり出すべきではなかったみたい。口直しに音声映画『奇跡の林檎』を観る。木村秋則さんをすごいと思う。ひとつことを続ければ、いつか答えが見つかる。その真理探究のための必死の努力に改めて尊敬の念を深くする。そして、その木村秋則さんの作った奇跡の無農薬林檎の清らかな味を思い出す。帰宅後、思わず『いのちの林檎』の制作者のおひとり、ビックリバンの馬場民子さんに電話をして、その感動を伝えた。そうしたら馬場さん、視覚障碍者のための『いのちの林檎」の音声ガイドを執筆中。これをぜひサピエ図書館にかけて欲しいと思った。ちなみにドキュメンタリー映画『いのちの林檎』のタイトル文字はエム ナマエの手書きレタリングである。
 ボクを迎えにきたコボちゃんが興奮している。透析の終わるのを待っている間、天空の湖を発見したというのだ。アルルと山のドライブウェイをくねくねと登っていったら山のてっぺんに清く美しい湖が開けた、というのだ。アルルは岸辺に駆け寄り、水に没した木の枝を口で引き抜き、コボちゃんを遊びに誘ったという。シルバーウィーク、秋晴れの群馬県。散策すれば、まだまだ名所がありそうだ。でも、この天空の湖の名称は内緒。当分の間、幻の湖としておきたい。ところで湖と沼の違いを知っているだろうか。ブルーコメッツが湖。水木しげるが沼。これ、立川談志師匠のネタです。

▲ 秋晴れを 鏡のごとく 映すなり

0920・日・動物愛護週間・
 秋晴れが続いている。黙りこくっていた蝉たちもおずおずと鳴き始めた。あの雨の間、いったいどうしていたのだろう。蝉たちにとっての婚活シーズンはラストチャンス。ラストスパートといけるよう、晴天が続くことを祈っている。
 動物愛護週間である。昨夜からコボちゃんと酒を飲みながら猫の本とか犬の本の音訳読書をしている。これだと一緒に読んでいけるから効率的。猫の本は猫専門の獣医が書いたもの。犬の本は愛犬家のアメリカ人の心理学者の書いたもの。どちらも納得のことばかり。
 昨年の秋、会津地方にドライブしたとき、美しい紅葉にアルルがしきりに反応していたのを見たコボちゃんが
「犬が色がわからないなんて、きっと嘘よ」
といっていたが、この本によると、どうやら犬は色がわかるらしい。残念ながら赤は灰色にしか見えないというのだが、青や黄色はわかるという。となれば、紅葉した黄色な葉や、新緑や青空はわかっている、ということだ。犬の視力についてもコボちゃんは独自の意見をもっている。アルルを見ていると、遠くまで大変よく見えていて、犬の視力は低いという俗説は体験的にいって、嘘だというのである。ところがこの本によれば犬の視力は人間の0.3しかないらしい。どうやら犬の視力を人間の視力と比較するには規準が違い過ぎて無理がある、ということでボクは理解した。そう。犬と人間の目は、そもそも役割と構造が違っている。犬は本を読まないし、人間は暗闇で狩りをしない。犬の目の瞳孔の大きさを考えれば納得できるはず。犬と猫談義を始めるときりがないのでここいらあたりでやめます。
 月刊ラジオ深夜便「しじまのうた」はもう師走。12月号のイラストレーションと取り組んでいる。与えられたポエムは犬と猫のいる家族にとっての除夜の鐘。偶然とはいえ、ここでも犬と猫である。人間の暮らしにとっての犬と猫。お互いがお互いを必要とし、お互いを見つめ合いながら進化してきた。そんな歴史のある関係である。おしっこやウンコをするからといって、どうか嫌わないでいただきたい。ね。あなただってするでしょう。

▲ ため息の ごとくつぶやく 秋の蝉




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