全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2014年2月17日~23日
☆ この日誌は透析患者が病人ではなく、機械が腎臓の仕事をしてくれる以外は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この文面では難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしてありますが、これは視覚障碍者のための音声出力をサポートするためのものです。決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではありませんので、どうかご容赦を。

0217・月・
 朝のラジオから聞こえてきたのは、木曜日にまた雪との、恐怖と旋律の天気予測。やめてけれ、やめてけれ。まだ金曜日の雪が残っていて、そいつに閉じ込められたまま、助けを待っている人々がおられるというのに。この冬は寒い。そんな長期予報、当たらなくてもよかったのに。
 70年代は早川書房の本ばかり読んでいたような気がする。ミステリーではなく、SFである。サピエ図書館のおかげで、当時夢中になっていた先生方の作品を、盲人となった今、再び楽しめるのは貴重というか、奇跡的でありがたいことである。本日読了したのは広瀬正さんの『マイナスゼロ』。ボクが現在、内緒で執筆中の作品と偶然にも同じ舞台の物語で、これは刺激になった。広瀬正さんは期待されつつも早世された作家。とはいえ、こうして作品の中で生き生きと作者の息遣いを感じるとき、人には肉体の命を超える何かが存在することを信じてしまわされるのだ。
 メダル、メダルとねだるなよ。メッキとれれば皆銅メダル。ただのでっかい十円玉。
 どこか遠くでオリンピックをやってるらしい。とれて嬉しい金メダル。落として悲しい金メダル。悲喜こもごものアスリート。マスコミが勝手に騒ぎ、乗せられ集まるパブリックビュウ。取らぬ狸の金メダル。四年に一度の世界大運動会。
 どれだけ才能があっても、どれだけ努力をしても、世界中から金メダルを獲得しようと集まってくる腕自慢の中でトップになることが簡単であるはずがない。世界一。期待するのは勝手だけど、本人以外、誰にもわからないそのプレッシャー。考えてみれば、だからこそ貴重な金銀銅の輝きなのだろうね。結局、ありとあらゆる方向で努力を続けてこそのメダルであって、獲得した本人だけが味わえる「栄光」なんだよね。それを、自分がとったみたいに騒いでいるマスコミや人たちがいると、
「バカでないのかな?」
と思ってしまうのだ。
▲ 夏くれば 忘れてしまう この寒さ

0218・火・
 記録的な積雪で陸の孤島になっていた地域が次第に解放されつつある。とはいえ、人命が失われたり、透析患者がヘリコプターで運ばれたり、各地で大変なことになってしまった。
 軽井沢も雪に閉ざされていると聞いたので、軽井沢朗読館の青木裕子館長にケータイで連絡をとる。あの千ヶ滝の森で幽閉されているのではないかと心配になったからだ。けれども彼女は東京にいらして安堵。それでも中軽井沢図書館の館長として、明日は軽井沢の人となるらしい。きっと新幹線で往復するのだろう、と勝手な推測をする。
 バリ島で行方不明になっていた女性ダイバーのうち、5人が無事に救助された。いくら温かい海とはいえ、2日間も泳いでいたら間違いなく低体温症になっていたことだろう。何が彼女たちを救ったのか。これからの情報に傾聴したい。そう思っていたら、深夜になって最年長の女性の遺体が発見されたという知らせが届いた。全員救助を願っていたので残念でならない。ボクはダイビングの魅力が理解できるので、こうした冒険による死亡事故を仕方のないことだと考えることは可能である。仕事も遊びも命がけ。趣味を極めれば、命と引き換えになる。それもまた節理かもしれない。
 ここにきて、大雪予報についての気象庁の責任問題がテーブルの上に乗せられているらしい。でも、ひとりひとりが考えれば、無駄な危険は回避されて当然で、問題にされるべきは個人の見識と判断ではあるまいか。大雪になることがわかっていてチェーンも装着せずにクルマを運転する馬鹿。大雪の中を満足な準備もなく、無計画に外出する馬鹿。まともに考える能力があるならば、避けられた危険なのである。大雪だけでなく、普段から災害に対する備えはあって然るべき。税金を払いさえすれば、国がすべての面倒を見てくれると思ったら大間違い。過去の歴史から考えても、最終的に国は責任をとってはくれない。だからこそ、個人の判断が個人を救うわけだ。さて、政府はここにきてやっと大雪の対策本部を立ち上げるという。ここにきてやっと、大雪で立ち往生したクルマを撤去できるように法律を改正するという。それって明らかな手遅れでしょう。これまでだって大雪は何度もあって、同じような危機を経験してきたのだから。国会でアベちゃんのマッドマンぶりが明らかになってきて、アベ政権の成立を許した個人の責任を個人が気づくようになったら、もう二度と間違いはしないかというと、それでもすべては人のせいと考える人ばかりなら、やっぱりこの国はおしまいになるしかないのかもしれないね。悲しいけど。
▲ 安全が 保証されれば ぼけてくる

0219・水・雨水・
 暦は雨水(うすい)。雪が雨に変わる頃、という意味であるという。そういうわけでもないだろうが、雪の予報が雨となり、今夜から明日への積雪の心配がなくなって安堵している。
 本日の東京、日の出は6時24分、日の入りは17時26分。やはり日の入りの時刻が遅くなると春の接近をリアルに感じてしまう。月齢は19で、満月を過ぎて、月はどんどん痩せていく。月曜日の夜空を見上げたコボちゃんと月齢予測をしたばかり。地球人はこの月という、痩せたり太ったり、または真ん丸になったり消えてしまったりする衛星のおかげで、情緒という分野ではかなりな得をしたといえるだろう。
 寒くてめげてる。毎朝、起きたら必ず冷水で洗顔をして
「ああ、気持ちいい!」
なんて絶叫して喜んでいたのだが、三日前からひよって、温水での洗顔で安んじている。そして、そんな自分に失望している。先日、17文字で書いたような記憶があるが、毎年夏になると、
「ああ、寒い方がいい」
とか、
「 これから本当に冬がきてくれるのかしら」
などという声が聞こえてくるが、それってただの健忘症で、本当に冬が苦手なボクは、どんなに暑い夏であろうと、暑いだけで嬉しくて仕方がないのだ。冬にない喜びとはすなわち、窓を開放できる幸せである。朝の結露したガラス窓に触れる度にボクは夏に憧れる。そして、夏本番が訪れ、それがどれほど酷暑の夏であっても、寒い方がいいなんて、死んでも思わないのである。
 そもそもお天気について、人は無責任に語り過ぎる。今年の夏はおかしいとか、今年は異常気象だとか、これこそ地球温暖化の影響ですね、とか。その度にボクはその人の記憶力を疑う。先日、マイクルクライトンの『恐怖の存在』を読んだばかりだが、この中で地球温暖化説を疑問視するデータを作者が並べていた。ボクが炭酸ガスの温室効果を意識させられたのは70年代後半のNHK特集『シリーズ惑星』がきっかけだった。金星(きんせい)表面の数百度という高温は分厚い炭酸ガスの大気層による温室効果がもたらしたと知らされたからだ。そういう意識を持つと、たとえば宮沢賢治の昭和初期に作品『グスコーブドリの伝記』で、この炭酸ガスの温室効果でききんのイーハトーボを救うというエピソードにも改めて宮沢賢治の先見性に驚かされるのだ。と、激しく脱線する前に話題を戻す。作品「恐怖の存在』に登場するマッドマンの社会学者がこう語っている。
「マスコミは恐怖をあおる。地球温暖化説が勢いをもつのは、ベルリンの壁崩壊後の東西緊張が消失してからだ」
 この社会学者は一見、まるで重要人物ではないような登場の仕方をして、巻頭の登場人物一覧にも記されてはいないのだが、作品の中で最も重大な発言をしているのだ。この『恐怖の存在』をボクはお勧めしたい。読んだ後は、必ず地球温暖化について、眉に唾して聞くことになるだろう。ま、かなり多くのお天気関係者が疑問視していることは事実で、あのお天気おじさんの森田君も、以前はかなり力説していたところである。そうなんだよね。ずっと以前、地球は氷河期に向かっているというのが定説だったんだよね。ほら、人はお天気の話題について、すぐに忘れてしまうではないか。
▲ 霜柱 梅は咲いたと スピーカー

  0220・木・
 アベ政権が勝手に憲法解釈をしようとしている。国民にも意見を聞かず、国会の議論にもかけず、閣議だけで集団的自衛権の行使ができるよう、憲法解釈を変更しようとしているのだ。民主主義の暴走のブレーキとして存在する憲法の意義を知らないのだろうか、このおっさんたち。ちゃんと勉強しておいで。たくさん投票してもらったからといって、お山の大将になる脳天気が出現することを想定して憲法が存在するのではないのかな。だってさ、頭のいい人たちばかりが当選するとは限らないからだ。そして、まさにそういう事態が発生しているわけだ。なのに、どうしてアベちゃんや、その周辺の勝手な振る舞いをボクらは許しているのだろう。マスコミはもっと激しく非難しないのだろう。困った。96条を改悪したくてたまらないアベちゃんは99条をよんだことがないらしい。アベ内角のお歴々も読んだことがないらしい。さあ、黙っていると、本当にヤバイことになってしまうぞ。
 東電福島第一原発で汚染水がダダ漏れになってるのに、あちこちで原発再稼働をしようとしている人たちがいる。バカじゃないの。頭が狂っているのじゃないの。この件に関しては、官邸も霞が関もマトモではないらしい。原発事故が発生する以前の安全神話と同類の、新しい安全ファンタジーを、霞が関は再びボクらに提供しようとしているみたいだ。
▲ ともだちで かってにきめる くにのこと

0221・金・
 あの大雪から1週間が過ぎているというのに、まだ雪で孤立している村落があるという。今回の大雪で亡くなられた人の数が24名と知って愕然とする。これが関東地方でなければ、おそらくこんな被害にはならなかったのだろう。つまり備えが不足していたのである。つまりは、こんな被害を想定していないのである。つまりは、そんな準備を考えずに生きていける環境なのである。それはきっといいことなのだろう。災害について考えてみると、昨年のフィリピンのレイテ島における高潮(たかしお)被害を思い出す。あの場合も、過去の経験から、あれほどの災害を想定してはいなかったのだろう。
 今回の大雪被害で知らされたことは、過去の観察記録の積み重ねの貧弱さである。こんな頼りない資料を規準にして、異常気象とか地球温暖化と騒いでいるのは誰だろう。明治時代からいくら記録を続けようとも、地球さんは46億年前からお天気ごっこをやってきている。その気の遠くなる歴史の最後の最後のどん詰まりで慌てて気象観測をやってみても、それで地球さんが温かくなっているなんて、どの責任感覚でいうのだろう。人間の脆弱な物差しで地球さんの健康診断なんてやめた方がいいのではないのだろうか。
 とはいえ、今回の大雪で間違いなく診断できるのは、アベちゃんのコモンセンスの幼稚さ。大雪当日は、支持者の皆様と天麩羅を食べていたとのアベちゃん。あの日、命がけで雪かきをしていたお年寄り。高速道路で大雪に阻止されて、クルマで凍死したドライバー。屋根から落ちてきた雪で亡くなったおばあちゃん。透析を受けるため、吹雪みたいな横殴りの雪で顔面凍結しながら病院まで歩いて往復したエム ナマエ。そういう人々の苦労なんか考えたことはないだろな。天麩羅を食べることが悪いわけではないけれど、世襲政治も全面的に悪とはいわないけれど、苦労している人よりは、確実に知恵はついてないのです。やっぱりね。
▲ 自分だけ 映してくれぬ 鏡あり

0222・土・
 いつもの土曜日です。朝のコーヒータイムのBGMはNHKの「ラジオ文芸館」。今朝は宮沢賢治の童話『ふたごのほし』。いやはや、聴いていて鼻の下とか脇の下とか背中とかがむず痒くてたまらなかった。天下のNHKラジオ、それもラジオ文芸館が本当にこれをOKとして放送したのかと思うと、若干とはいえ危機感を覚えてしまう。まさかこれ、なんとか委員会とか、もしくは最近話題の会長さんの影響ではないですよね。謹んで申し上げるとですね、学芸会ではないのですから、朗読者ご本人が酔ってしまってはいけません。たとえば、落語家が自分の語りに笑いながら語ったとしたら、それこそ笑い者。そんなヘマをやらかしてはなりませんのですよ。うん、うん。それとも、もしかしたら自分に酔っているということと、一生懸命に演じることと混同されてるのかもしれないですよね。ただ、朗読は単純に演じればいいものではないらしいのです。その証拠に、俳優さんの朗読が必ずしもベストではないとお感じですよね、もしかして。この『ふたごのほし』という作品は、今回の朗読者の方が感じておられるよりは、はるかに朗読困難なものかもしれません。次にこれを朗読する機会があったなら、もう少し落ち着いてされるといいかもしれません。それから、いい指導者に恵まれることをお祈りいたします。もしかしたら、軽井沢朗読館で合宿されるといいかもしれませんよね。あれれ。オイラ、なんでですます調で綴ってるんだろ。
 玄米茶フレイバーティー、というものが存在する。確か、哲学者のヘーゲルの言葉だと思ったけども、存在にこそ合理性があるそうだから、この玄米茶フレイバーティーにも
「うまい」
と人を納得させたり感心させたりする見事な存在価値があるわけだ。だったら単純に玄米茶を飲めばいいのだけれど、この玄米茶フレイバーティーの正体は紅茶。そうなのです、紅茶なのです。キノコではありません。失礼、紅茶キノコをご存じない方には、このギャグが1万パーセント通じない。ごめんなさい。さて、玄米茶のフレイバーは、蒸した玄米を炒ることによって生じる。でもね、紅茶の葉っぱから焙煎した玄米が出て着たら驚くよね、きっと。
 深夜、NHKラジオ第2の「朗読の時間」再放送、『赤毛のアン』総集編を聴きながらコボちゃんと酒を飲むのではなく、彩色をする。最近あまりしていなかった創作上の冒険をしているのだ。その理由は月刊ラジオ深夜便の新連載。編集長がエム ナマエに試行錯誤を問いかける新しいイラストレーションの領域なのだ。と書くと、かなり大袈裟だなぁ。あはは。さぁ、これが成功するかどうかはわからないが、ドキドキしながらする「おえかきごっこ」はスリリングで面白い。やっぱ、全盲のイラストレーターにもマンネリがあるのかもしれないね。あったら許してくださいね。
▲ 泣き虫の 日陰に残る 雪達磨

0223・日・
 本日の東京の日の出は6時19分、日の入りは17時30分、月齢は23.2であるそうな。NHKラジオの日曜朝の長寿番組「季節の野鳥」によれば、山や野原の鳥さんたちは外気温ではなく、日照時間で季節を感知するのだという。ということは、毎日の日の出と日の入りの時刻を気にしているボクは、もしかしたら鳥類ということか。となると、オイラの祖先は恐竜かもしれないな。つまんないこと、いってます。バカじゃないの、と疑っては悪いのだ。
 野球のないときのお楽しみは夜のTBSラジオ「爛漫寄席」。今夜は桂文朝(文鳥)師匠。文鳥ではない、の特集。お声が拝聴できなくなって久しいと思っていたが、2005年に逝去されたとのこと。まだお若かったのではなかったろうか。惜しいことである。テレビの大喜利(おおぎり)番組なんかではなく、本格的落語番組でよく高座をされていたように記憶している。上品で本格的、姿も美しい噺家であった。今でも熱心に語るお顔が脳裏に浮かんでくる。有線放送の落語チャンネルからも、ときどき流れてくるのがありがたい、耳に心地よいお声である。
 本日名古屋駅前で起きた事件。ひとりの運転者が不特定多数の歩行者を殺すつもりでクルマを歩道に乗り上げ、暴走させて13人の負傷者を発生させた。ボクらが歩道を歩くとき、そうした狂ったドライバーが存在しないことを想定して歩いている。ドライバーも、車道を歩行者が歩いていないことを前提にクルマを走らせている。地球のどんな場所にいっても、このルールは守られている。ただ、本当に運の悪い、ほんの一握りの気の毒な人たちが、こうした例外に遭遇するわけだ。けれども、ボクは30代の真ん中で失明を宣告されるようなマヌケだから、こうした不運にも、普通の人よりは遭遇し易いのではないかと思い、たとえそこが歩道であろうが、横断歩道であろうが、疑心暗鬼で歩くことにしている。そして、こうした狂ったドライバーが
「人を殺すつもりで走らせた」
などといっているのを耳にすると、あああ、やっぱりね、と背中を戦慄させるのである。でもね、ほとんどの人たちは信頼のできる真面目な人たちなのですよね。
 久しぶりに名作の挿絵のイラストレーションにトライした。朝日小学生新聞掲載のグリム童話の『ラプンツェル』だ。その昔、集英社からこのタイトルの童話集のイラストレーションと装丁を担当したことがあり、今でもその絵を心に浮かべることができる。ボクにしては珍しい、ちょっとリアルな鉛筆画だった。そして、それを思い出せるからといって、今のボク、つまり全盲のイラストレーターが軽々と同じ絵をかけるかというと、もちろんとんでもない。そういうわけで、冷や汗を流しながら、この2月最後の日曜日の大半をおえかきデスクで過ごしたのである。
▲ どこまでも 花鳥風月 ごうしちご



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