全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2013年11月18日~24日
☆ この日誌は透析患者が病人ではなく、機械が腎臓の仕事をしてくれる以外は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この文面では難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしてありますが、これは視覚障碍者のための音声出力をサポートするためのものです。決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではありませんので、どうかご容赦を。

1118・月・
 本日から東電福島第一原発4号機にプールされている核燃料の移動が始まるという。先日、会津方面にドライブをした際、帰り道でこの作業に影響されないか心配したものだったが、実際の作業がこれほど遅れているとは思わなかった。これら一連の廃炉作業への不信感はボクら市民には払拭しきれないものがある。そもそも、心臓の凍るような危険な作業の結果が、千五百体もある核燃料を隣の建物へ移すだけ。本質的な解決策には程遠いのである。使用済み核燃料の行先も未定のまま原発再起動をもくろむ現政権と行政官僚の無能さと無責任さと愚昧さにはあきれるばかり。原子力行政の過去と現在に恥じるものがあるならば、未来における正しい展望をどうして持てないのだろうか。人類と地球の未来に何か仕事をしたいと想うなら、お役所仕事はいい加減にやめてもらいたい。原爆を知ってから今日まで、ボクは原子力が怖くてならなかった。たとえ平和利用と聞いても、決して安心することはなかった。核兵器にも原発にもずっと反対だった。何度か原発に関する仕事へのオファーがあったが、即座に断ってきた。人類は永久に原子力とは仲良くなれない。人類の科学は原子力については無力のままで終わるのではないだろうか。人間という生き物は放射能に対してあまりに無力なのだ。為政者たちはその事実に改めて注目すべきなのである。
 『グレートギャツビー』を読んでいたらデリカテッセンという言葉が出てきて驚く。ボクはこれを「デリカ鉄扇」という日本の食品企業とばかり思いこんでいたからだ。調べて、これがドイツ語で調理済み惣菜のことと知り、納得。またまた自分の勉強不足を思い知らされた。
▲ 真っ黒い 町を見下ろす 冬の月

1119・火・
 ニュースを聴くのがつらい。みんなの党まで抵抗勢力とはならず、特定秘密保護法案の後押しをしようとしている。みんなの党ばかりではない。野党の役割を演じない野党はそのまま政党や議員の身分にしがみつき、与党に組み入れてもらえばいい。こうなると共産党しか応援する政党がなくなるわけだが、ボクが望むのは政権交代。となると、もっと大きなムーヴメントに期待したい。勇気ある人々よ、立ち上がれ。既成の政党や行政官僚を超越する目覚まし時計の発動を心待ちにしている。
 空気が乾燥しているらしい。デイキャッチを聴いていたら、荒川強啓氏がスタジオの湿度が20パーセントしかないと騒いでいる。いよいよ本格的な冬なのか。火の用心の声が聞こえてきそうである。そうなると、落語は『二番煎じ』の世界だな。
 とあるアンソロジーのおかげでフィッツジェラルドの『ベンジャミンバトンの数奇な人生』に遭遇した。この作家に引かれた最初の作品である。このことは以前にも書いたことがある。その後、村上春樹氏の作品中にフィッツジェラルドを語るくだりがあり、そのことが切っ掛けとなり、サピエ図書館で彼の作品を発見する。早速ダウンロードしたのが『偉大なギャツビー』と『冬の夢』であった。正確にいうと、春樹先生の翻訳による『グレートギャツビー』と『冬の夢』だった。春樹先生の翻訳文体のせいだろうか、作品はボクに部外者というか、初心者故の緊張を強いたが、その世界に潜り込めた瞬間から楽しむことができた。『グレートギャツビー』に関しては、読了した段階で、最初から読み返したくらい気に入ってしまった。春樹先生が創作において『グレートギャツビー』や『冬の夢』にインスパイアーされたという手ごたえも感じられた。とはいえ、翻訳文体には不慣れな自分であって、見えない垣根が作品世界のビジュアル化を邪魔してくれるのだ。もしかしてそれは翻訳者の問題かもしれない、春樹先生には申し訳ないのだが、と思い当り、今夜からは別の翻訳者による『偉大なギャツビー』の再読に挑戦を開始した。その感想はいずれまたご報告させていただく。
 ひとつの風景が見えていて、それがボクを誘っている。果たして作品になってくれるかはわからないが、どうやらボクの好きな世界であるらしいのだ。
▲ 木枯らしや マッチ一本 火の用心

1120・水・
 本日の日の出は6時21分、日没は16時32分、月齢は16。つまり、いざよいの月ということらしい。冬の月は寒いからこそ美しい。のんべんだらりと緩んだ夜に美しさは似合わない。これが天然自然の摂理。と、そんな大袈裟なもんでもないよな。あはは。
 TBSラジオ「スタンバイ」で日本が世界ランキング5位のベルギーを破ったことを知る。もちろんサッカーの試合のことである。これで日本の順位もあがるかな。この試合がワールドカップまでの最後のゲーム。となると、勝利したことの意義は大きいのだ。と、サッカーは、とにかく勝てばよいのだと思っている、インチキファンのボクがいうことでもないのだ。
 今季最初の乾燥注意報が発令される。ただ空気が乾いているだけじゃない。紙も木材も乾いていて、発火点が下がっていますよ、という警告である。注意一秒、怪我一生。あ、違った。飛び出すな、クルマはすぐに止まれない。あ、違った。前に出ろ。お前のはそんなに長くない。あ、これも違った。誰か助けてくれ。
 世界中からケチンボといわれ、中国がフィリピンへの支援金を1千万円からいきなりの二けたアップ。それでも北欧の家具メーカーや米国の清涼飲料メーカーの寄付金と団栗の背比べ。ボクはナショナリストではないけれど、最近の中国と韓国、やることがちと子どもじみてるとは思わないか。日本が大人とはいえないが、少なくとも国際感覚では予備校以上インターン未満のレベルには達していると思うのだが。
 福岡伸一先生のご著書『遺伝子はダメなあなたを愛してる』を一気に読破。ボクはこの手の自然科学系列の書物には免疫がなく、本を閉じることができなくなってしまう。それはプレクストークによる音訳読書でも同じ。さて、ひとつ利口になったのは、蛍の発光はルシフェリンという蛋白質をルシフェラーゼという酵素が酸化させて光らせるということ。このルシフェリンの語源は堕落天使のルシファー。彼も光を求めていたのだ。さて、イラストレーターやイラストレーションの語源はイルミネーションに同じ。やはり光つながり。イラストレーションは対象事物に意識の光りを照射して、その反映を描写するところからいう。つまり、イラストなどとお気軽にいってもらいたくないのだ。
「私たちのミクロな内側に潜むリトルピープル、DNA」
 福岡伸一先生のあとがきを読んで驚愕。リトルピープルという単語が出現したのだ。この暗号、村上春樹の『1Q84』の鍵となっている言葉である。春樹先生がリトルピープルを遺伝子の符号として使用したかどうかは不明だが、ちょびっとばかりドキリとさせられる言葉ではある。もしかして福岡伸一先生、村上春樹の猛烈ファンであるかもしれないな。
 透析から戻ってきて酒を飲みながら、コボちゃんが借りてきたDVDで『ミクロの決死圏』を一緒に観る。ボクの記憶だと、1966年に公開されたSF巨編だが、原作は手塚治虫先生。鉄腕アトムにあったエピソードにハリウッドが着目したもの。けれども結局、手塚先生の名前はクレジットにも出ていなかった。ハリウッドちゃんはいけない子なのだ。ミクロになって人体を探検する。このアイディアでウルトラセブンも松坂慶子の体内を飛び回り、宇宙人をやっつけている。これはアーカイブスを観ればわかる。さて、ボクが『ミクロの決死圏』の映像を隅から隅まで克明に覚えているのにコボちゃんがあきれている。そう。高校三年生のときの映画でも、たとえテレビで再放送をやったとはいえ、ボクの映像記憶は揺るがない。そう。ボクは生まれついての映像人間なのだ。人造人間ではないのだ。
▲ 木枯らしや 家の中まで かあらから

1121・木・
 本日は立川談志師匠ご命日。家元がお亡くなりになったのは東日本大震災の年だった。あれから2年。ボクのお師匠は漫画家のやなせたかし先生と落語家の立川談志師匠である。これはボクが最大に誇りにしていたこと。そういう自分が65歳と高齢者になった今、このおふたりが天に昇られてしまったことは順手というか、道理であって、悲しむべきことではないのかもしれないが、やはり猛烈に寂しいことは仕方がない。ボクはふたりのお師匠から声をかけていただくのが最高の幸せだった。このおふたりがボクのために並んでパーティーに列席してくださったことは永遠の栄光であった。今夜、コボちゃんとふたり、談志家元に献杯を捧げるつもり。そしてもちろん、この秋に昇天されたやなせ先生にも。
 先週の木曜日に大相撲見物をしたポールマッカートニー、大相撲に懸賞金をかけるという。力士と土俵の周囲をぐるぐると回る垂れ幕の意味を知り、興味を抱いたらしい。いかにもポールらしいアクションである。垂れ幕には新しいアルバムの宣伝をするというが、本当はそんな必要のあるはずもなく、ポールの、この遊び心が創作意欲の源泉であるに違いないのだ。
 福岡伸一先生の本で思い出したのがステラー海牛。ウミウシではない。カイギュウである。つまり海の牛。海洋性哺乳類なのだ。体長7メートル。体重10トン。巨大なジュゴンを連想させる生き物が千島列島の海岸に生息していた。ところが18世紀にステラーという難破したロシアのおっさん、実は博物学者で探検隊のメンバーが、これを発見したと騒いだおかげでヨーロッパから食肉業者や毛皮業者が殺到、ステラー海牛(すてらーかいぎゅう)を乱獲、たった27年で絶滅させてしまった。ステラーはこの海牛だけでなく、ラッコやアザラシについても研究成果を発表し、それが北太平洋の海洋性哺乳類の激減を促したとボクは考えている。欧米人は今頃になって鯨類をはじめ、海洋性哺乳類の保護を訴って(うたって)いるが、その虐殺と乱獲を遂行したのは他ならぬ彼らのご先祖たちなのだ。福岡先生はこの海牛の話題から展開して、日本の野生動物の保護を訴えている。中でも熊。あの魅力ある大型哺乳類をこの地上から消し去ってはならない。ここは日本人の知恵の働かせどころ。彼らとうまくやっていきたいものである。ボクら都会の人間も彼らの邪魔をしないでおこう。たとえば軽井沢などで、ボクとコボちゃん、そしてアルルは森を歩くとき、ラジオやカウベルで大きな音をたてて移動する。熊さんたちは、それで人間という世界で最も凶悪凶暴な生き物の所在を確かめられるのである。
 日付が変わる前、有線放送の落語チャンネルをかけながら、談志家元に祈りと感謝を捧げ、献杯をする。寝る前は談志家元の朗読を聴く。談志家元に最後にお目にかかったとき、家元は病気と闘っておられた。その家元がボクの耳元でこう伝えてくださったのである。
「あのな、俺にできることがあったら、何でもいってくれよ。どんなことでもさせてもらうから」
 これを聞いたとき、ボクはこの師匠に出会えて本当によかったと想えたのだ。
▲ いわせてよ 立川談志 日本一

1122・金・
 目覚めると同時に体が揺れてる感じ。壁が小さくつぶやいた。地震かとも思ったが、それよりは自らの地震過敏症を疑ってみる。ラジオをつける。すると第一声が4時58分に福島県で地震発生。震源は福島沖、地下50キロ、マグニチュード4.4と聞こえてきた。ボクはたちまち東電福島第一原発が気になった。あそこの共用プールには6千体の核燃料棒が貯蔵されているのだ。そいつらを不完全な技術で動かしている最中なのだ。なのになのに、政府も霞が関も東電も原発再起動をもくろんでいる。馬鹿じゃないの。これは疑わない方が頭が壊れている。
 そのままNHKラジオをつけていると、本日が「いい夫婦の日」であって、ふうふう食べるということで「鍋の日」であることも知る。よく考えますこと。おほほ。
 個人情報保護法案から始まり、特定秘密保護法案で完成する秘密保護体制の未来にあるものを考える。それは秘密とされている事案を違反した疑いで逮捕され、裁判にかけられ、そして罰せられること。本人は自分の罪状も知らず、裁判官も被告の罪状を知らず、判事も弁護士も何も知らない。知っているのは国家だけ。これって、今の中国一党独裁体制よりヤバイのではないか。このゼンマイの狂いはいつから始まったのだろう。個人の秘密という広い入口が国家の秘密という水戸黄門の印籠で閉ざされ、ボクらは雁字搦めにされていくのだ。
 秋田県の道路工事で斜面が崩壊し、何人もの工事関係者が生き埋めになった。この事態についてのデイキャッチのコメンテイター、宮台真司教授の言葉に注目する。地球温暖化で日本の気候は一変し、今後は天候のみならず、道路工事の規準も変わらざるを得ないのではないか、というもの。確かに今年の台風連続襲来は日本の国土を泥水に変えてしまおうという勢いだったのだ。
 ポールマッカートニーの公演にキャロラインケネディーが来場したという。立ち上がり、ヒットソングを口ずさんでいたという。お仕事ばかりでなく、きちんと東京就任を活用しているキャロラインもお見事だが、ポールも見事。銀座通りを夫婦ふたりだけ、ボディーガードもつけずに歩いていたというのだから。日本は世界でいちばん安全な国。そういう神話を大切にしていきたい。
 キャロラインケネディーといえば東京駅から皇居までの馬車行進が大人気であったらしい。米国の仮想王室、キャロラインケネディーさんが大使に任命され、お姫様ならぬウルトラセレブの馬車行進だから無理もない。キャロラインといえば、ボクらは1963年の11月23日を忘れることができない。その朝、日本国民は世界最初の衛星中継の画像を心待ちにしていた。ところが、届いた映像は悲劇の知らせ、ケネディー暗殺の事件だった。その後、残されたジャクリーン夫人に寄り添うキャロライン嬢の姿がボクらの網膜に焼き付けられることになる。それからもうひとつ、ボクの心に残っている映像は、その前の晩の11月22日の深夜放送のテレビで観たリンカーン暗殺の映画である。このとき初めて、ボクは偶然の一致という認識以上の、シンクロニシティーという現象をリアルに体験したのである。このことで翌朝の衝撃が一層大きく感じられ、永久に忘れられない出来事となってしまった。
▲ チャルメラの 聞こえて欲しい 冬の夜

1123・土・小雪・勤労感謝の日・
 本日の日の出は6時24分、日没は16時30分、月齢は19.6。冬至までまだ日数があるのに、この昼間の短さはどうだろう。冬至がくるまでに太陽がなくなってしまわないといいのだが。
 ラジオ文芸館を聴いてからお散歩に出る。ワンちゃん集会には久しぶり。コーギーのメイちゃんがアルルに飛びつき、ボクの膝に飛び乗ってくる。かと思うと、ボクの目の前で地面に伸びてウナギの真似。そこで頭から尻尾まで丁寧に撫でてやる。メイちゃんは飼い主さんとよく似ている。彼女も明るく社交的なお人柄なのだ。ワンちゃんは飼い主さんの鏡なのだ。
 豪徳寺の花壇にアルルと座っていると、頭の上から愉快なカラスの鳴き声が落ちてくる。ひとりで何通りもの鳴き声と鳴き方を披露する。遊んでいるのか得意がっているのか、人間の反応を楽しんでいるに違いない。
 帰り道、ユリの木の大きな落ち葉が歩くのを邪魔して、ガサゴソと乾いた音をたてている。ボクが歩くとガサゴソゴソ。アルルが歩くとガシャゴショガシャ。遠くからガサゴソと、落ち葉の音が近づいてくるのは、歩いてくる人がいるからだ。落ち葉の季節は昔の忍者たちは仕事ができなかったに違いない。
 中国や韓国の反応も子どもっぽいが、もっと子どもっぽいのが北朝鮮。ほとんど戦争ごっこといっていい過激な挑発と宣伝文句。本気で脳味噌の中身を疑ってしまう。これら宣伝文句を本気で受け取る向きがいるとは思えない。腹を立てた方が負け。そう思っていれば韓国の軍隊も冷静でいられるだろう。
 我が家の老婆ネコ、ナンナンの食欲がなくなってしまった。ナンナンは推定20歳のウルトラベテラン猫。1997年の春、盲導犬アリーナになついた野良猫がナンナン。鳴き声から我が家の飼い猫となる前から、この名前で呼ばれていた。当時から貫禄があったので、ボクが勝手に推定年齢を20歳と決めているのだ。ニックネームは忍者猫。その素早さとジャンプ力は今も変わらないが、骨と皮に痩せてしまって、かなり心配な状態になっている。盲導犬アリーナの生き証人として、もっと長生きをしてもらいたいと、コボちゃんと一緒に見守っている。不思議なのがデブネコミミ。ナンナンの食欲がなくなってから、デブネコミミも食べるのを遠慮しているのだ。
 大相撲は大関稀勢の里(きせのさと)が横綱白鵬(はくほう)を打ち破り、二横綱に土をつけて面白くなった。日馬富士(はるまふじ)が勝利したので、稀勢の里(きせのさと)が優勝する可能性はなくなったが、来場所の活躍が期待できる。とにかく、稀勢の里(きせのさと)が早い段階から負けたりすると、場所がつまらなくなるので、大相撲人気のためにも頑張っていただきたい。
 NHKラジオ第二「朗読の時間」は、今週から杉村理加さんが担当。源氏物語の山下智子さんの情報によると、おふたりはラジオドラマで共演したことがあるとか。いい朗読だと思っているので、再登場が嬉しい。朗読の中で『支那の夜』を歌っておられたのが美しく、いいなと思っていたら、杉村さんは歌手としても活動されていることを思い出す。これらはすべて山下智子さんによる情報である。この朗読で1920年当時の上海を仕切っていた「租界」という領域のあったことを知る。魔都(まと)と呼ばれた上海は怪しいけれど魅力にあふれた世界であったに違いない。
 子どもっぽいでは済まなくなってきた。中国がますます困ったさんになってきたのだ。この世界的困ったさんに対して日本はこれ以上はないというくらい慎重に振る舞っていただきたい。挑発に乗っては、こちら側も子どもの対応になってしまう。外交は常に大人が勝利している。でもなぁ、ボクの認識によると、中国は世界でも有数の大人国家であったはずなのだが。いずれにせよ、今回の中国の防空識別圏の設定について、アメリカは黙っていないだろう。こういうときだけ頼りにするのもズルいかもしれないが、ここはアメリカの出番でしょう。そのための安保なんだし、そのために日本はいつもペコペコしているのだから。
▲ けちらかし 波をけたてて 落ち葉道

1124・日・
 日曜日の朝はいつも必ず文化放送の志の輔(しのすけ)ラジオ「落語でデート」を聴いているのだが、毎週毎週よくそこれだけ次々と女性タレントが出てくるものだと感心する。ボクなんぞのテレビぜんぜん見ません人間にとっては、ますます知らないタレントさんばかり。今朝もボクには聞いたこともないお名前のアイドルさん。けれどもユーミンの舞台デザインを担当するなりの大活躍をされている人らしいのである。推定年齢もなかなかのもので、可愛いキャラクターでありながら、しっかりと大人の面も見せてくれる。志の輔(しのすけ)師匠は、毎週そんな彼女たちをうまい具合に料理して初対面の彼女たちの魅力を最大限に引き出している。見事なものである。
 コボちゃんとアルルと、今朝も朝の散歩に出る。バカなことばかりいって不真面目に歩いていたらコケた。ダラシなく転んで膝を打った。情けない。痛くはなかったし、Gパンの膝も擦れていなかったが、生身の膝は無事ではないな、と思っていたが、家に戻って調べてみたら血だらけ、しっかり傷ついていた。おおお。歳はとりたくないよなぁ。
 久しぶり、NHKラジオの伝統番組「上方演芸会」を聴こうと思って張り切ってラジオのスウィッチを入れたら、聞こえてきたのは大相撲九州場所の実況中継。千秋楽なのである。稀勢の里(きせのさと)の勝敗は気になるし、両横綱の優勝決定戦も気になるので、少しばかり賑やかなBGMとしてつけておいた。緊張に負けず、稀勢の里(きせのさと)は千秋楽に土はつかず。さて、横綱同士の取り組みはと集中したら、立って2秒の勝負。無敵の白鵬(はくほう)の足が出ていたのだ。それを知らずに両横綱、夢中で勝負を続けていたら行司に止められた、という間抜けな取り組みとなってしまい、今年の最後の土俵も終わる。この無敵の白鵬(はくほう)、昨日の取り組みで稀勢の里(きせのさと)に敗れたときは会場から湧き上がる「万歳」の連呼に何を思ったろう。どんなにひとり横綱を死守して大相撲を盛り立てても国籍の壁は破れない。エジプトの力士、大砂嵐が頑張ったりして、国際化した大相撲も悪くはないのだが、日本人の心はまだまだ小さいのだ。日本人の横綱が欲しくて仕方がないのだ。
 TBSラジオの伝統番組「爛漫寄席」は三代目三遊亭金馬(さんゆうていきんば)師匠の特集。ボクがラジオを聴き始めた時代から、この師匠はラジオのスーパースターだった。十八番の『居酒屋』など、子どもの頃から何度聴いたかわからない。今夜の出し物『死神』も『居酒屋』と同じく、古典落語から引き出した新しいテイストて満ちていて、新しい空気に飢えていた戦後の人々に受け入れられた事実をうかがい知ることができる。聴き尽くしたと思っていた金馬師匠だが、この『死神』は初めて。落語の蔵の奥の深さを思い知る。
 アメリカとイランのネゴシエーションが決着し、イランへの経済封鎖が緩和されるらしい。核兵器の開発をあきらめることが条件ということだが、世界はアンバランスで不平等。イスラエルのワガママが認められ、イランはどうして苛められる(いじめられる)のか。そのことを我々はどうして当たり前のこととして傍観できるのか。流れ込んでくる情報の滝。それを丸ごと鵜呑みにしていては本当の世界の姿は見えてこない。どれだけ多くの情報を入手しても判断のバランスシートが狂っていては、にんな無駄になってしまうのだ。
 家族全員がナンナンの様態を気にかけている。ボクやコボちゃんはもちろん、アルルもデブネコミミも神妙にして、お気に入りの椅子の上を死に場所と決めたナンナンへ敬意を表し、そっと見守っている。お転婆のアルルも、そっと顔を寄せてナンナンの寝息をうかがっている。我が家に暮らして17年。盲導犬アリーナとボクに救いを求めてやってきた忍者猫だったが、その生涯が幸せで、静かに幕を閉じることを願ってやまない。
▲ 日当たりを 求めて歩く 朝の道




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