全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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Author:emunamae
いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2010年2月15日~21日
0215・月・
 5時より起きてルーティーンワーク。キジバトポッポはボクの足元の鳥篭でひっそりとしている。毎日が雪の降るような寒気で、野鳥といえどもサンルームは寒かろう、ということで、朝のポッポはパソコンルームに避難しているのだ。けれども太陽が上り、サンルームが明るくなれば、鳥篭を移動する。すると、目覚めたポッポが豆をついばむのである。
 コボちゃんが活動を開始する。声がかかれば、いつもの儀式でアルルに御飯。これがボクに与えられた役割なのだ。それからボクには熱いブラックコーヒー。ありがたくチョコレートのあれこれをつまむ。
 原稿執筆は寒くてエンジンがかからない。で、月曜日なので、ブログの17文字原稿のまとめ。BGMはドリス・デイ、オリビア・ニュートンジョン、シンディー・ローパーと女性ボーカルばかり。1週間の出来事を2時間ばかりかけて仕上げ、絵夢助人さんに送信する。
 15時半からのデイキャッチをBGMにシャワーと髭剃り、着替え。心躍るニュースや心に届くようなニュースがない。ボクの神経が鈍化しているのだろうか。けれども、シーシェパードの活動だけは許せない。もう何度もここで書いたが、捕鯨反対論者の無知と歴史認識の未熟さをボクは嘆きたい。概して欧米人は正しい歴史認識に欠ける。彼らが世界の中心にいる、という常識はもはや通じない。ボクから観ると、シーシェパードの活動は、沈み行く西洋列強の悪あがきに見えて仕方がない。
 さて、デイキャッチ月曜日担当の経済ジャーナリスト、町田さん、らしくないおかしな発言をしている。シーシェパードの目的はいいが、手段が間違っているとのご意見はボクとしては納得がいかない。町田さんほどのインテリにしては、ずいぶんピンボケ。ご自分だって釣り師を自認してらっしゃるのですから、殺すことと食べることについての見識はおありになるはず。それとも、釣ろうといったってどうにも釣ることのできない鯨には興味がないのかも。でも町田さん、クロマグロは釣りたいとおっしゃっていた。で、シーシェパードは鯨の他に、マグロの捕獲も阻止すると宣言している。このシーシェパード、鯨にせよ鮪にせよ、日本の食文化に対して狼藉を働いているわけで、その目的は活動のアピールによる資金調達。鯨が可哀想という感情に訴えるのは稚拙な手段である。では、牛や豚は可哀想ではないのか。家畜なら、生かすも殺すも思うがままなのか。反捕鯨を資金調達や政治の道具にしている文化否定論者たちに改めて怒りを覚える。日本人は鯨の尊厳を認めてきた。食材としての鯨、文化としての捕鯨に再度スポットライトを投射したい。
 冷たい雨が降る中、コボちゃんと病院へ。アルルは留守番である。
 いつもの透析で、テレビニュースを音声で聴いていたら、知的障害者、精神疾患の受刑者の特集が気になった。ボクはすべての人に刑法が適用されることを疑問に感じている。福祉と防犯には深い関係がある。健康であることは努力の結果ではなく、幸運に恵まれているだけのこと。そのことについての感謝を忘れ、悲運な人生を怠惰の結果として見下げることは許されない。持てる者には、持たざる人についての責任があるのではなかろうか。
 ピストン西沢のミックスDJを楽しんでいたら、K看護師から体調について尋ねられる。で、あれこれと世間話をしてしまった。多忙なスタッフを独占してはならないが、コミュニケーションも大切なのだ。
 TBSラジオにブラザートムが出演。16年ぶりにバブルガムブラザーズのアルバムが出るという。ボクはずっとこのユニットのファンであり、2005年にトムさんの番組に呼ばれたときは嬉しくて舞い上がったものである。トムさん、この人は只者ではない。実はボク、お笑いスター誕生に登場して以来の小柳トムの時代から、このインテリエンターテイナーの大ファンなのである。アルバム、売れるといいよね。タイトルは『他力本願』。
 世の中おもしろ研究所の青き副所長のお声を拝聴したら、21時からは真打競演。今夜はまあまあ、だったかな。さて、アクセスが3月いっぱいで終了する。大変なことである。またひとつ、ラジオの良識が消えていく。放送局、本当に逼迫しているのである。司会者にもコメンテイターにもギャラを支払うことができなくなってきたのであろう。これでは聴取率ナンバーワンが泣いてしまう。TBSラジオは人気番組であった「ストリーム」や「バツラジ」をリスナーの反対を無視して終了させてきた。同じように、我々がどれだけ反対しても、この「アクセス」も消えていくのだろう。まこと残念である。
 帰宅してキジバトポッポをサンルームからパソコンルームに移動する。夕方にやっておけばよかったのに、ずいぶん寒い思いをさせてしまった。電灯を点け、部屋を温かくしたら、夜中なのにキジバトポッポ、豆をついばんでいた。体がほぐれ、食欲が出たのだろう。で、ボクらも牛肉豆腐を肴に吟醸酒を飲む。
 24時半からはラジオ深夜便で藤沢周平作品の『吹く風邪は秋』の第二回朗読。博徒の物語である。
 寝酒はマルメゾンのチョコケーキでピュアモルトウィスキー。このケーキがコボちゃんからのバレンタインであった。
▲ 春を待つ街に氷の雨が降る

0216・火・
 6時に起きて『ありがとうアリーナ』執筆。コボちゃんが休みだから、あれこれと話しかけてきて仕事の邪魔。足元にキジバトポッポがいるので、放屁は部屋の片隅で。
 午後からはルーティーンワーク。夕方からは新しいフロッピーディスクにデータを整理する。外では雪がちらついているらしく、どうにも寒くてやりきれない。
 シーシェパードの神風シップの船長を日本に召喚するとか。けれども、この連中、裁判になれば、自分たちの活動の広報にでもなると考えているのだったら大間違い。むしろ、反捕鯨団体の稚拙な論理や無知を彼ら自身に知らしめ、日本の食文化や捕鯨文化を教育してやろうではないか。といっても、文化を理解できる連中とも思えないが。
 ボクが若かりしイラストレータだった頃、子ども図鑑の仕事を何度となく依頼された。子ども図鑑の絵とは、たとえば鯨の絵を描き、それら部位がいかに活用されていたか、絵解きをするのである。ボクの仕上げたイラストレーションで、今でも覚えているのが豚の絵。豚が靴や上着になったり、歯ブラシや化粧品になったり、それは子どもたちにとっては驚きの事実であると同時に、命が無駄になってはいない、という証明なのであった。すべてを石油製品でカバーしようとする現代、命が建築物や生活用品に変身していることを一般の人や子どもたちはどれだけ認識しているのだろうか。我々の生活環境は命で構成されている。食べ物や木材ばかりでなく、コンクリートもプラスティックも、元は命なのである。周囲を見回して、命以外の素材でできている物を求めるのは困難である。ボクにはガラスか鉄材くらいしか思い当たらない。
 さて、捕鯨に話を戻す。鯨が優れた、また愛らしい生き物であるから殺してはならないという論点からすれば、日本の農家にとって家族であった牛を食べる西洋人は悪魔そのものである。明治の日本人はその悪魔の手に落ちただけの話。ペリーは横浜を捕鯨の基地として求めた。当時の米国の捕鯨とは、鯨から蝋燭や燈油、工業用油の原料としての脳油だけを採取していた。その他の不要部位はすべて海に廃棄していたのである。つまり、米国のやり方は日本の捕鯨とは本質的に対立するご都合主義の、命を冒涜する、文化とは程遠い殺戮であったのだ。そもそも、ペリーが日本近海にマッコウクジラを求めたのは、米国近海のマッコウクジラを絶滅させただけの理由であった。それら歴史をシーシェパードは学んでいるのだろうか。その反省に立脚しているのだろうか。鯨食文化に無縁な国家の集合であるIWCから、日本は早急に脱退し、領海内で独自の捕鯨文化を育むべきである。そしてシーシェパードのような狼藉団体を領海から追い払ってしまえ。概して無知な者ほど、単純な論理や主義、正義に落ちていく。世界は未知に満ちている。異なる論理、異なる文化が存在する。それらはリスペクトの対象であるべき。無知なる者が無知なるが故に、異文化に対して乱暴狼藉を働くことを許してはならない。
 談志家元が4月に高座に復活するという素敵な知らせが届いた。何よりも嬉しいニュースである。ボクのこのエム ナマエのペンネームのヒントをくださったのは立川談志師匠であり、また失明したボクが復活する切欠をくれたのも立川談志の落語である。ボクは談志家元から「家来」の称号を拝受している。そう。弟子なんて高望みはしない。下男でも家来でもいいのだ。ボクは家元を心の底から敬愛している。2002年の三越日本橋本店のエム ナマエ展覧会のオープニングでは、談志家元はボクの師匠としてスピーチをしてくださった。ボクにとって、これほど名誉なことはない。談志家元がいかにステキな人であるかは、これからもこのブログで語っていきたい。
 ささまちさんから驚きのメール。彼女のお庭にハクビシンが出現するというのだ。許可をいただき、ここに彼女のメールを転載する。
---初めは深夜3時ころに現れ、暗くてよく見えなかったのですが、光った目と鼻筋の白いのでハクビシンと思いました。夜行性だから、夜しか現れないと思っていると、なんと昼間、姿を見せたので、写真にも撮ったのですが、やはりハクビシンでした。猫よりちょっと大きく、身体は細長いです。とても可愛い顔です。チンチラネコのメイと窓越しに見つめあい、メイはシッポを振って大興奮。りんごを食べつくして、我が家の奥へ隣家の塀つたいに帰って行きました。以来、毎晩、来ているようです。(時々、昼間にも)毛が抜けて、はげはげなのが痛々しい。皮膚病かもしれません。どこをねぐらにしているのでしょうか?ハクビシンがいることは、うれしいのですが、これから生き延びることができるのか、、、心配です。農大通りでも、娘が見かけたことがあるそうです。---
 世田谷にタヌキやハクビシンが棲息する地域があると聞いたことはある。けれども、こんな近所にハクビシンが出没しているとは驚きであった。農大通りで目撃されたのなら、小田急線が高架線路になったこととも関係があるかもしれない。この生き物の幸せを祈る。
 キジバトポッポを足元に、マッサージチェアにかかる。ボクがポッポの頭上を越えてマッサージチェアに座っても、ポッポは驚きも慌てもしない。ボクらは完璧に共存しているのだ。
 コボちゃんがとうとう、ボクのブログを見てしまった。そしてつまらない、という。そりゃあつまんなくて当たり前。いつも見ている人間の行動を、再度文章で読んでも面白いはずがないし、ここで語られている論理も、毎日のようにボクが彼女に語っているものである。そうか、それならば、もっともっと奥の手を出して、コボちゃんが引っくり返るようなサイトにしてやろうではないか。驚いて座りションベンすんなよ、とは五代目古今亭志ん生の得意のたんかである。
 アクセスに宮台真司教授が出演されている。面白い。けれども、このアクセスが3月でなくなると思うと、なんとなく夢中になれない。TBSラジオ、なんとかならないのか。ここでTBSラジオが負けて、お金がすべてとは思いたくない。
 つまらないので早く寝る。それにしても、心に引っかかるのはコボちゃんが約束を破ってボクのブログを見てしまったこと。こうなったら油断は禁物。これまでよりも緊張して原稿執筆しなければ。
▲ ラストワン春くる前の白き使者

0217・水・
 5時よりルーティーンワーク。8時になってTBSラジオのスタンバイはモーニングブレイク。コーヒータイムにコボちゃんと聴く。
 お天気キャスターの森田君が桜開花予想と定量分析の関係について熱弁をふるっている。気象庁が50年間続いた桜開花予想を廃止した。そこで民間の気象予報会社が頑張ることになる。大手は三社。森田予報士は、自分の会社、ウェザーマップがそのひとつに数えられていることが嬉しいらしい。ところが、ライバルのウェザーニュースという会社が従来の予報スポットを遥かに越える660箇所で桜開花観察をすると発表をした。そこで話題になるのが、その精度と科学性。気象データの蓄積は定量分析の結果でなくてはならない。これまで、気象庁は桜の地域での基準木を定め、その固体で5輪の花が咲いたときに開花を宣言した。ところがウェザーリポートは1輪で開花とするらしい。1輪の開花であるならば、狂い咲きの危険性もある。これらを新しいデータとして加算していくことは、これまでの蓄積データを混乱させる結果となる。長年にわたる気象庁の観測方法を否定するものであっては、データとしての意味がない。
 このデータと定量分析の関係を、医療現場でもよく理解していない場合がある。ボクも長年にわたって血液データを蓄積している。特に空腹時血糖値などは、同じ条件、同じタイミングでなければならない。ところが、ここで何度も触れているように、お上が決めたおかしな休日のおかげで、血液採取のある月曜日の休日がくる度に、透析開始時刻が早くなり、食後の血糖値と空腹時の血糖値が混在する結果となっている。というわけで、これら血糖値のデータ蓄積には整合性が失われ、ボクにとっては単なる目安にしかなっていないのである。これに対して病院経営者の弁解は、肝心なヘモグロビンA1Cの数値が確保されていれば問題はない、という解答が予想される。ただし、このデータについても、増血ホルモンであるエリスロポイチンの投与がある場合、ヘモグロビンA1Cの数値が減少するので、中止する、という判断がされた前例もあって、どうも検査の基準は定量分析の法則よりも、経済原則が優先されているような気がするのだ。とはいえ、病院経営の厳しさについては同情している。
 我が国の医療予算は、先進国最低のレベルであることを国民はもっと認識しなければならない。保険制度にせよ、医療制度にせよ、それら安全性を向上させるのは、我等国民の納税意識に関わってくる。高い負担と高い福祉とセーフティーネット。このバランスシートはボクらひとりひとりの見識が支えなくてはならない。
 さて、三大気象予報会社のひとつが気象協会。そこの社員だった森田予報士が有名になったのは、ボクの記憶によると、TBSラジオの朝の番組、土居まさるさんとの掛け合いが愉快であったことが由来であろう。
 ここでいきなり土居まさるさんの話題になる。彼は文化放送で人気番組を担当していた。土井さんのキャラクターに見せられた高校生のボクは聴取者参加番組に出かけていった。そして最前列に陣取ったボクは、かの雄弁なるパーソナリティー、土居まさる氏と対決、駄洒落のバトルを展開し、氏から「面白いやつ」と褒められたことがあった。それ以来、ボクは土居まさるをますます好きになっていくのだが、氏の人気は鰻上り。日曜日の昼のテレビと土居まさる、そして白いギターと振れば、懐かしさに涙する諸氏も多くおられるだろう。土居まさるは、やがてTBSラジオの、現在のスタンバイの先輩格の番組を担当することになる。そこに登場したのが若き気象予報士の森田君であり、土居さんから、天気の悪いのは予報士の責任であるかのごとくに苛められ、それに対して苦しい言い訳をする森田君の面白さが聴取者に受けたことから、メディアにおける気象予報士のステイタスを上昇させる結果となっていく。これがラジオにおける気象予報士の出世物語へのボクの理解である。やがて森田君は気象協会を辞職し、ウェザーマップという会社の創設者となっていくわけである。この、ボクの好きだった土井まさるというパーソナリティーがご逝去されてから久しい。
 調布在住の視覚障害者の画家、長谷川清子さんに電話をする。彼女に直接インタビューをして、現在展示中の彼女の作品をできるだけ多くの人に見てもらえる算段をしたいのであった。
 パソコンに向かっているうちにデイキャッチの時間。パーソナリティーの強啓さん、出演者の芸人さんを君呼ばわりするのは耳障り。阿蘇山大噴火という芸名もすごいが、大噴火クン、はないでしょう。ボクは荒川強啓というパーソナリティーに、TBSラジオの夜の番組「夜は友だち」以来、20年以上注目している。それは強啓という人物がユニークであるからだ。そして、何故に彼がユニークであるか、その分析を今後展開していきたい。ここに、彼が若いスタッフや芸人さんを、無意識でクン呼ばわりする精神性を解析できるかもしれない。とはいえ、ボクが荒川強啓というキャラを嫌いなわけではない。むしろ愛しているのであって、そのあたりをもっと掘り下げてみたい。その阿蘇山大噴火の出演しているデイキャッチをBGMにシャワーと髭剃り、着替え。
 いつもの透析からの帰り、車の窓に降り出した雪がぶつかってくる。なかなかの勢い。もしかして、明日は積もるかもしれない。
 帰宅してアクセスのテーマはトゥイッター。おかしなことに、バトルトークへの参加リスナーはトゥイッターの未経験者ばかり。出演者はその将来性を広報し、リスナーはその危険性を指摘する。ということは、こののトゥイッターという仕組みの経験者は、すべてそれをOKとするのだろうか。
 実はボクもトゥイッターへのご招待をいただいた。面白いことは予測できる。ただ、ミクシーと同じ理由でボクは参加しないことに決めた。理由は簡単。これ以上、残された人生の時間を浪費したくないのである。ボクが決めた、ボクのやりたいことは他にいくらでもあるのだ。
 ピュアモルトウィスキーを片手に、マルメゾンのチョコケーキとピラミッドのチョコレートを味わう。ウィスキーとチョコ。このカップルに乾杯。
▲ つぶやきが壁を貫き乱れ飛ぶ

0218・木・
 朝寝坊で起きると、外は雪。真っ白に積もっていると、カーテンを開いたコボちゃんがいっている。昨夜から頻尿になっているアルルのお腹が冷えるのではないかと心配になる。
 いつものように日記を書こうとするが、ボクのブログはつまらないといったコボちゃんの言葉が頭の中でリフレインする。けれども、ボクが昨日の起きてから眠るまでの一日を克明に記しているのは記憶の鍛錬のためなのである。読み物としてはつまらないかもしれないが、それはボクと共に暮らしている人間だからこそで、不特定な人たちから見たら、それらがいかに映るかは予測不可能なこと。他人の暮らしを見てみたいとは一般的な感情である。エム ナマエは無名ではあるが、ちっとは珍しいキャラクター。その日常に興味を覚える人だっているはず。まあ、ブログの冒頭にある通り、記憶の鍛錬で始めたこの日記、初志貫徹を貫きたい。
 JR中央線の高円寺駅ホームで転落事件が発生した。20歳の女性が線路に落ちたのを目撃した24歳の男性、自分も線路に降りると、彼女を線路の真ん中に寝かせ、自分は避難所に逃げ込んだ。そこへ電車が入線してくる。ふたりが無傷だったのは奇跡であった。この男性は虐待に遭遇した青少年の更生施設の職員で、見て見ぬふりはできなかったと語った。その上で、この奇跡は、非常ボタンを押してくれたホームの乗客や、急ブレーキをかけてくれた運転手のおかげであると感謝している姿が心に残った。
 さて、そのことでケンちゃんから電話。彼は土曜日のサタズバレポートで、このホームからの転落事故を防止するホームドアについて取材を重ねているところだった。そして、ケンちゃんはボクにも、ホームからの転落について何か経験があるかと聞いてきたのだ。ところが、腰抜け盲人のボクは、ひとりで街を歩いたことがない。だから、感謝すべきことではあるが、ほとんど危険を感じないで済んでいるのである。ケンちゃんの役に立てないダメな視覚障害者のボクであった。
 視覚障害者といえば、昨日の電話でインタビューした長谷川清子さんについてホームページ記事としてまとめてみた。これまでのこと、彼女からのメール、そして情報のあれこれを記事として記したのである。ボクには見られない彼女の絵の数々。ここにその文面を転載するので、京王線沿線、調布付近の皆様、どうかボクの代わりにご覧ください。よろしくお願いいたします。
『中途視覚障害者、長谷川清子作品展-アトリエ-長谷川清子-エビローグ』
2010年2月中
調布市総合福祉センター内 社会福祉法人 調布市社会 社会福祉協議会
 以下は長谷川清子さんからの文面です。
 京王線で調布南口に降りると、降りてから右手に小さい公園が有ります。その前にある小さなレストランの隣です。土曜日と日曜日は社会福祉協議会、福祉センターは休みです。でも、外からはいつでも見ることができます。
 お電話でうかがったのは、作品展示スペースは、この建物1階のガラス窓であるということ。ですから、9時~5時以外でも、土日や休日でも、外の通りから見られるらしいのです。お近くを通りかかったら、ぜひどうぞ。そして、その感想などお聞かせいただければ幸甚です。
 天気予報が大当たり。雪は消え、お日様が顔を出す。キジバトポッポが鳥篭でのぼせないよう、レースのカーテンを引いてやる。
 気象庁、降雪から晴天まで、そのタイミングを正確に予報している。これで早く春がくれば、気象庁に文句なし。
 フォーラルコミュニケーションズの江口プロデューサーと来月の撮影についての打ち合わせ。保団連から正式に講演の依頼がある。どれも、ありがたく拝受する。
 昨日の朝、役者の藤田まことさんが亡くなっていたとのニュース。享年76歳とのこと。思い出すのはテレビ黎明期の「てなもんや三度笠」と「当たり前田のクラッカー」の科白。白木みのるとのやったりとったりが目の前に浮かびでる。歌のうまい人でもあった。ボクが表紙を描いてるラジオ深夜便の年鑑でも、付録のCDで藤田まことさんが深夜便の歌を歌っていたが、その声の甘さには驚かされた。ミュージカルの舞台で大活躍するはずである。ボクは昔からあまり連続テレビドラマを見なかったので、これといった思い出は少ないが、惜しい人を失ったという感慨はある。これはコボちゃんとも分かち合った感情であるが、時代を象徴する有名人が次々と別世界へ旅立って、どんどんボクらの時代が遠くなっていく。
 そのコボちゃん、自分が目撃したのもハクビシンではなかったと語る。当初は逃亡したフェレットではないかと考えていたらしいのだが、ここのところのハクビシン目撃情報に、その考えを払拭することにしたらしい。世田谷にはまだまだ緑が残されている。そうした野生の生き物の棲息が許される環境なのであろう。この環境を貧しい税制が破壊していくことに危機を感じる。人間よ、どこへいくのだ。
 今夜もピュアモルトウィスキーとチョコレートのコンビネーションを楽しんだ。落語は五代目古今亭志ん生。枝雀の大阪弁の洪水に流された後だから、志ん生の語り口がボクを江戸の昔に戻してくれるのだ。
▲ クラッカー口に運んで三度笠

0219・金・
 ネコドモを別宅へ。キジバトポッポを窓辺に解放してからコボちゃんは出勤。ボクは部屋のしきりを解放して筋力運動。BGMが大沢悠里のゆうゆうワイド。お色気大賞で笑いながらだから、ときどき力が抜けてしまう。
 お腹を冷やさないよう、腹巻代わりのTシャツを着たアルル、ボクのベッドで丸くなる。このTシャツの絵柄はフラワーライオン。もちろんボクのイラストレーションである。
 青木裕子アナウンサーから電話。5月1日からの軽井沢朗読館の柿落としについての打ち合わせをする。ゴールデンウィークはこの館、エム ナマエの絵で飾られる。名誉なことである。展示の壁面について、全体を把握している深尾教授に尋ねることにする。メールをすると、早速に教授から返信。作品点数までカウントしてくれる。さすがの頭脳明晰転載博士。持つべきものは友達である。
 A社と絵本執筆依頼の再確認。この絵本に関して止まっていたエンジンに油をさしてやる。ボクのコンセプトを軌道修正。暗礁に乗り上げていたポンコツ船を救助してやることにする。これと平行して、E社から依頼の絵本テキストも形にしなくてはならない。このポンコツ船も昨年から暗礁に乗り上げたままなのである。
 子どもの受難がニュースになっている。件数は過去最大であるとか。気になるのが親が子どもを売っている、というヘッドライン。具体的にはどういうことだろう。この日本で、と考えると想像がつかない。原因は貧しさばかりではないような気がする。宮台先生だったら、このあたりをいかに分析し、また解説してくださるのだろう。
 さて、ひとつ気になるのが児童ポルノの問題。幼い児童の裸の写真や絵は愛らしいものである。そのすべてを性愛の対象と考えるのはいかがなものか。コモンセンスの境界線に城壁を構築し、あまりにガードし過ぎると、実にゆとりのない社会になってしまう。塀ではなく、エアカーテンくらいがちょうどいい。みんなで語り合いながら良識ある社会を構築したい。
 本日のデイキャッチ、やっと強啓さん、阿蘇山大噴火さん、とさんづけでこの芸人さんに呼びかけた。これまでこの人、どうして普通にやれなかったのだろう。このパーソナリティーのこだわりとコンプレックスをいつかマジメに考えてみたい。デイキャッチは人気番組である。強啓さんの発言には大きな責任がかかっている。たとえば助詞の使い方。受動の形で始まった文章が能動で終わる、というようなおかしな日本語は、いい加減やめた方がいい。人気パーソナリティーに対して、おそらくは誰も注意できないのだろう。それとも、若いディレクター諸氏も、その日本語の誤謬に気づいていないのかもしれない。
 いつもの透析。今夜のピストンさん、ミックスDJがめっちゃカッコよかった。そこへ透析スタッフから声がかかる。SHI看護師から患者さんのMさんがボクのイラストTシャツをご希望であるとの伝言だった。4月にWWFから生物多様性会議のためのチャリティーTシャツが発売されることを伝えた。Mさん、お元気のご様子。良かった。彼女も旭川医大で血行再建のオペを受けたのである。
 20時5分からは青木裕子アナウンサーのオールディーズ。ゲストはボクもお会いしたことのある和布デザイナーの岡宗小弓さん。彼女のデザイナーとしてのスタートラインが、なんと阪神淡路大震災。ここで初めて青木裕子アナウンサーが、震災の神戸に、自分でゆがいたほうれん草の束をリュックに背負い、組み立て式自転車を電車で神戸に運び込み、組み立て上げて走り回り、そして神戸の永田地区で炊き出しをしているグループに仲間入りして、野菜不足に悩む神戸被災者にほうれん草を配った、という逸話を語った。青木アナウンサーとは16年間のお付き合いになる。けれども、一度もこうした話を聞いたことがなかったのである。普段だったら自慢話と誤解される話であっても、大震災を切欠に、ひとつの人生が切り替わるという今夜のゲストには、ふさわしい話題であったと感動する。青木裕子、やはり只者ではない。
 21時5分からの歌謡ドラマはキジバトのストーリー。物語はよいのだが、キジバトはあんな風には鳴かない。効果音さん、もっとよく勉強してください。キジバトはポッポッポではなくて、デデデッポウ、です。また、さえずり以外では、プープーと笛みたいに鳴くのです。嘘だと思ったら、我が家のキジバト、愛犬アルルの妹のポッポに聞いてください。
 透析後のレントゲンで、パジャマを脱いだら、ICレコーダーが行方不明になってしまう。コボちゃんは見ていない、というので、ボクはパニック。このICレコーダーはボクの分身みたいなもので、大切なメモの宝庫。結局、着替えたときに、ポケットからコボちゃんのバッグへ転げ落ちたことが判明。胸を撫で下ろす。
 昼間、筋力運動に頑張ったせいか、やたらと眠く、帰宅したらベッドへ一直線。落語の助も借りず、そのまま眠りに落ちていく。もちろん暖房はオフ。とはいえ、そろそろ寒さも終わりにしていただきたい。
▲ ライオンのTシャツを着て眠る犬
▲ 日も伸びた寒さもこれで打ち止めに

0220・土・
 起きてまずパソコンに向かう。朝7時からは下村健一のサタズバレポートで、ケンちゃんはホームドアについて語る。あれだけの短期間で、よくぞこれだけの充実した取材とバランスの取れたコメントができるものと、改めて下村健一という人物と、そのスタッフに敬意を払う。
 都市環境のバリアフリーについては、これまでも視覚障害者の果たした役割が大きい。ことにホームの危険性について、視覚障害者は自らの命を犠牲にして知らしめてきたのだ。ホームの点字ブロックも、これからのホームドアの整備も、その背後にある犠牲の数々を忘れてはならない。いや、ホームの環境ばかりではない。ボクのような中途失明者の行く先を明るく照らしてくれるのも、勇気ある先輩諸氏の掲げてくれる光なのだ。
 コーヒータイム。ここでいただくブラックコーヒーもフルーツもサラダもケーキも、すべていただいた物ばかり。そうなんです。人は助けられて生きる存在。
 コボちゃんが角川からの招待状を読んでくれる。当日の透析スケジュールを変更して参加することに決める。
 もうひとつ、コボちゃんが読んでくれたのがスーパーのチラシ。駅弁大会をやっているのだ。で、コボちゃんはアルルを連れて食糧確保の旅に出た。
 パソコンに向かっていると、コボちゃん帰宅。収穫は銀座スエヒロのステーキ弁当。値段が値段なので、大いに期待して食べるが、日光の手前の味である。つまり、イマイチ。
 パカパカ行進曲をイヤフォンで聴きながら外出。電車を乗り継いで御徒町へ。目的地はもちろんアメ横。
 残り少なくなって気になっていたトワレの数々を購入。横丁にずらり並んだ小さなお店のおじさんおばさんは皆さん親切だし、細かく相談にのってくれるし、気持ちがいい。一般的に輸入化粧品のトワレの定価は100CCで1万円。ところが、アメ横ではその半値。アメ横だから、ついでにお菓子も購入。大好物というか、ほとんど中毒になっているフリスクも、1個140円とは格安。こんなに安いのなら、最初からアメ横にくればよかったと、コボちゃん。けれども、ボクの足をアメ横に向かわせたのはこの不景気なのである。
 その昔、貧乏学生やイラストレータだったボクが最も愛したエリアがアメ横や秋葉原、浅草や上野だった。ボクは今の不景気攻撃に、ふと懐かしきアメ横を思い出したのである。
 アメ横を歩きながら思い当たることがある。ボクの夢にいつも出てくる不思議なマーケット。その原風景がこのアメ横であったのだ。歩いているうちに、ボクは今の自分が現実のものなのか、それとも夢の中の存在なのか曖昧な気分になっていく。すると、頭の上でお寺の鐘。読経の声も聞こえてくる。ますます夢見心地になってしまうが、腕時計の時報がボクを夢から引き離した。
 時間がない。電車を乗り継ぎ、御茶ノ水へ。居並ぶギターショップがロックを流す坂を下って駿河台下。檜画廊のあるすずらん通りをまっしぐら。とにかく空腹を満たすため、中華料理店のYに飛び込む。時間があれば、Sという中華レストランに入りたかったのだが、これが間違いのもと。注文した焼き蕎麦は、ボクのイメージした物とは大違い。つるつる、ではなく、もそもそと口に運び、お茶で喉に流し込む。これで一人前1400円はないだろう。こんなんだったら、立ち食いのカレーか蕎麦がよかったと大後悔する。
 19時半開演、第2回「柳家一琴蔵出しの会」は神田神保町らくごカフェにて。すずらん通りの中華料理店Yを出て、古書店街へ。神田神保町の古書センタービル5Fとあるが、なかなか目的地に到達できず、時間ぎりぎりの入場となる。
 らくごカフェのマスター、この人が落語家ではないの、という雰囲気のある人物。かなりのマニアと見た。本当は喫茶店のマスターではなくって、寄席の席亭になりたかったのだろう。
 と、出囃子とともに一琴師匠、高座に上がって拍手も上がる。今夜のテーマは三代目三木助師匠を偲んで。最初の根多は「ざこ八」。もともとは関西根多なのだろうか。ボクはこの演題の名称だけは聞いたことはあっても、実際の高座は始めてであった。正直な感想は、何度も聴きたい根多ではない、ということだった。読後感というのか、後味が好きではない。また、普段は高座にかけない、マニアにしか受けない最後の最後の落ちまで、一琴師匠は演じたのである。けれども、それが一琴師匠の精進の結果。落語の後味はよくないが、師匠のサービス精神には感謝したい。とにかく、そうは聴けない根多であったのだ。
 中入りでブラックコーヒーを味わう。マシーンで入れているのだが、それなりのこくがあった。
 次の演目、「御神酒徳利」はボクの大好きな根多。いろいろな師匠のCDを所有している。ところが、一琴の御神酒徳利、すごくよかった。三木助の形を知らなかったせいか、とても新鮮に聞こえたのである。それよりも、ボクは柳家一琴という咄家、あの名人、小三治師匠のお弟子で、二つ目時代から注目していたこの一琴という咄家を応援していて、本当によかったと改めて思った。咄家はボクの憧れの職業である。どうして憧れか、というと、頭の悪いボクには、とても勤まらない家業であるからだ。では、画家はというと、そう、決して憧れではない。その証拠に、このボクにでも可能であるからだ。てなことをいうと、他の絵かきからナマタマゴをぶつけられる。そうなれば、ボクはエムナマタマゴ。
 地下鉄と京王線で下高井戸経由、我が家へ帰宅。歩いている途中からイヤフォンではNHKラジオ。22時15分、NHKラジオではラジオ文芸館。医師と患者を隔てる物、結ぶ絆をテーマに、なかなかの作品。この作家、本物の医師ではなかろうか。読後感のある、見事な作品だった。
 ラジオ深夜便をBGMに北海道の烏賊飯を肴に吟醸酒で一杯。期待外れだった焼きそばの口直しである。
 志ん生の「らくだ」をBGMにベッドに潜る。眠って起きれば、志の輔ラジオ。ボクは落語さえあれば、何もいらない。あれれ、本当にそうかなあ。いろいろと趣味があるからなあ。
▲ アメ横のおじさんおばさんありがとう

0221・日・
 目覚めてすぐの朝6時、文化放送では志の輔ラジオ『落語でデート』。今朝のデートの相手はエドハルミ。この芸人さん、吉本興業所属なのであるが、れっきとした江戸っ子。役者として20年の下積み経験の後、吉本興業で芸人修行をしてブレイク。若くはないが、賢い女性である。志の輔は日曜日となると、ひとりの女性の人生を引っ張り出す。エドハルミの芸をボクは知らないが、その名前と活躍だけは知っていた。この女性、かなり面白い。どこかできちんとした舞台を見てみたい。
 ところで、今朝の落語は春風亭柳昇師匠の「日照権」。いつ聴いても笑える。ラジオやテレビ放送でも実際の高座でも、何度も何度も拝聴した、最も好きなお師匠のおひとりだった。
 BGMをウェザーリポートに切り替えてパソコンに向かう。しばらく夢中でキーボードを叩いていたが、いきなりの眠気。コボちゃんはアルルを抱えて眠り続けている様子。声をかけず、そっとしておいたが、この動く気配のない日曜日の雰囲気に包まれて、ボクも眠ることにする。
 志ん生の落語をBGMにうとうとしていたら、電話。近しい知人が午後に訪ねたいという。けれども、怠惰な日曜日に徹する決心をした直後。コボちゃんも一週間の疲れで起きる気配もないので、次の機会にしてもらうことにする。
 結局、昼過ぎまで眠り続ける。目覚めたらコボちゃんとアルルがいない。NHKラジオをつければ、オリンピック中継と入れ替えとばかり思っていた素人喉自慢をやっている。京都からの生放送らしいが、出場者は皆さんお上手。国民的レベルで日本人の音楽性が向上している。一億総芸能人である。
 頭の上で足音がする。リフォームは終わったはずなのに、何をやってんだ、と思ったら、顧客が部屋を見て歩いているのだ。この部屋、昨年の12月まではボクが使っていた。だから、頭上の足音に悩まされることはなかった。その以前、8年前までのテナントさんはイラストレータで静かな人だった。この405号室だが、スケルトンリフォームとやらをしたらしい。床も引っ剥がしていたが、安物のフローリングか何かにしたのだろう。静かに歩いてくれる人が購入することを祈る。それにしても、この業者は非常識。商売にさえなれば、住民の迷惑など考えない。彼らに伝えたいのは、法律ばかりを観方につけても、ビジネスの成功はあり得ない、ということ。
 キジバトポッポは昨日から窓辺で歩き回っている。日差しが気持ちいい。ボクも左半身を太陽にあぶりながら、パソコンに向かっていたら、ケータイからヒグラシの声。コボちゃんからの電話である。
 ずっと食べたいといっていた仙台の牛タン麦飯弁当を売っているという。迷わず購入を依頼する。メールに返信をして、原稿をあれこれいじっていたら、コボちゃん帰宅。早速に弁当を使う。紐を引っ張ると熱くなる仕掛け。石灰と水の反応を利用したもの。麦飯は旨かったが、牛タンは仙台でのものとは違い、薄い割には堅かった。
 腹ごなしに散歩をする。晴れていた空に雲。日差しがなくなって寒い中、ひたすら歩いて身体を温める。世田谷線沿いに歩いていくと、シグナルの音。ゆったりと2両連結の電車が通り過ぎていく。豪徳寺の商店街をいくが、コボちゃんの財布の紐を緩めるような誘惑はなかったらしい。いろいろなワンちゃんに出会い、顔見知りと挨拶をしながら帰宅。
 原稿執筆の続き。たちまち時間が過ぎていく。腕時計のアラームが鳴ったので、ミニコンポのスウィチ・オン。日曜日の20時からはTBSラジオの爛漫寄席。出演メンバーはNHKの真打競演と競合するが、柳家権太楼師匠が面白かった。根多は「疝気の虫」。この演題は演者が自由自在にやるケースが多い。特に最近の権太楼師匠、アレンジに優れている。もしかしたら、江戸の枝雀を目指しているのかもしれない。「疝気の虫」という演題は、立川談志師匠が高座50周年記念の高座にもかけておられた。この「疝気の虫」でも、家元は熱狂ライブ。ボクは目の前の、唾がかかる座席で拝聴していたのだが、その迫力に圧倒されたものであった。いよいよ、その談志家元が復活するわけだから、本当に楽しみである。とはいえ、ボクなんかにチケットゲットのチャンスはないだろう。ここ最近、志の輔も家元も、本物の高座を拝聴できる機会に恵まれていない。
 またまた落語の話題だが、ボクが敬愛するふたつの巨星、小三治師匠も談志家元も、柳家小さんのお弟子である。敬愛する一琴師匠も小三治のお弟子であって、結局ボクは柳家の流れが好きなのであろう。とはいえ、古今亭も桂も、春風亭も三遊亭も好きなのだから、落語だったら何でもいいのである。
 この一文を読んでくださっている誰かさん、どうぞ一度でいいから寄席という時空間を経験していただきたい。ボクは生まれて間もなく落語の洗礼を受けた。ラジオの時代であったからだ。そして3歳で味わった本物の寄席。ボクはそこでの感動を絵にして、それがボクにとっての最初のイラストレーションになったのである。それ以来、イラストレーションと落語はずっとボクにとっての最大の楽しみ。連れ合いといってもいいくらい。死ぬまで楽しめるエンターテイメントとして、ボクはみんなに落語をお勧めしたい。
 21時からの文化講演会は演者もテーマも日光の手前、つまり、イマイチだったので、ラジオを消してしまう。BGMをウェザーリポート、天気予報ではありません、ジャズのユニットです、にしてパソコンに集中する。
 一段落したので、NHKラジオ、新日曜名作座をおそるおそる聴いてみる。けれどもやっぱりいけません。西田竹下コンビに進歩が見られない。テクニックの問題ではなく、了見の問題なのだ。このふたり、特に江戸っ子を演じるのは無理。どこを切り取っても、江戸っ子の匂いがしない。少しは落語でも勉強した方がいい。
 ラジオ深夜便では、宇田川アナウンサーが俳人と歳時記をやっている。それらラジオをBGMに、コボちゃんと吟醸酒をやったりとったり。落語は人生最後まで楽しめる趣味であると書いたが、発句もまた同じ。ボクもきちんと勉強しなくてはいけない。この文章も自称17文字原稿とはしているが、情けない17文字の連続である。
 志ん生を子守唄にベッドに潜る。キジバトポッポは鳥篭に戻り、ボクのパソコンデスクの下で眠っている。
▲ 梅祭り客を降ろして世田谷線



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