全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2016年7月25日~31日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0725・月・

 最近はロシアの国ぐるみドーピングのニュースばかりで不愉快でならない。スポーツの祭典、平和のシンボル、協調の強化剤としてあるべきオリンピックでズルを誘発してはしょうがない。いつからオリンピックはアマチュアからプロスポーツの祭典になってしまったのだろう。いつから拝金主義の競技会になってしまったのだろう。思い返してみれば1984年のロス五輪あたりが怪しいような気がしてる。そうだ。これを世間ではロス疑惑というのだ。嘘です。それにしても思うのは金まみれのオリンピックなんかやめてしまえばよいのにということだ。金銀銅のメダルはいくらで売れるか知らないけれど、どうせ二束三文。金も銀もメッキですから。と思っていたらそうはいかの塩辛、このわた、しょっつる、ニョクマム、ナンプラーと、何のことだかわからない。銀と銅はそれぞれが無垢で、金メダルだけは銀無垢に6グラムの純金をメッキしたものであるという噂を聞いてしまった。となると、金メダルは6万円くらいの価値はあるらしい。でも銅メダルは数百円にしかならないらしいので、ならば売るだけ損である。ともあれ、それぞれのメダルにはそれぞれの金銀銅の価値とは比べ物にならないほどの果実を生み出す潜在能力が秘められている。金メダルひとつで人は生涯を保証されるといってよい。金メダルひとつは千両箱ひとつほどの価値があるのだ。もちろん国家にとっても威信を示す象徴にもなるのだ。面子を維持する小道具にもなるのだ。メダルの数が国の強さを示すバロメーターになるのである。となれば個人と国家がタッグを組んでイリーガルな手段に手を染めることは充分に考えられてよかった。プーチンさん、さすが悪者。こういう恥も外聞もない指導者を相手に領土問題の解決は難しい。仲良しとされている安倍晋三さん、これからが大変です。ま、あの人もかなりな悪者だとは思うけどね。

 本日の北軽井沢、はっきりとしない天気である。けれども日暮れになるとヒグラシが鳴いてくれる。するといきなり空気が涼しくなる。乾いてきたような気さえする。日本人の頭脳は母音主体で物を考えるらしい。その頭脳構造により、日本人は虫の声に情緒を感じるのだ、という説もある。クマゼミに情緒があるかどうかの議論は別として、虫の声に季節の移り変わりを感じられるこの感性は貴重である。ここに俳句や短歌の生まれる土壌がある。七五調の母体は母音を主体とする日本語の開音節(かいおんせつ)にあるらしい。これが子音を主体とするラテン系言語には七五調の生まれる要素はない。話は変わるが、アルファベットの文字の形状は発音するときの唇や舌の形や状態を示している、という説を聞いたことがある。いわれてみれば「O」は母音の「お」を発する口の形、「B」は「び」を発音するときの空気をブレークスルーさせるための上下の唇の閉ざされた形。こう考えるとアルファベットは面白い。「T」などは上顎と舌の連携を考えれば納得の形なのである。という訳でヒグラシの鳴き声から話がずいぶん脱線してしまいました。その日暮らし(ひぐらし)の悪い癖です。ごめんなさい。

▲ 高原の 暮色を染める 蝉の声

0726・火・

 終日の雨である。今日一日、北軽井沢は寒かった。おかげでストーブを焚いている。散歩ができなくてアルルはゴキゲン斜め。そしてボクも気分が重たくて仕方がない。それは身の毛もよだつ陰惨極まる殺人事件が発生したからである。
 今朝いちばんのニュースが障害者施設における大量殺傷事件であったのだ。現時点で死者15名を数えるという。身動きができない重度障害者ばかりをターゲットとした卑怯で非道極まる行為である。けれども犯人は弱者は死んだ方が幸せなのだと嘯いているという。
 この26歳の犯人、元職員の思い込みはどこからきているのだろう。独善、傲慢、驕慢、狭量、偏狭。様々な誘因が考えられるが、考えたくないのが最近の世相との因果関係である。不景気とテロと災害。ワイマール憲法の網の目をくぐり、ヒトラーが独裁者となり世界を戦争の坩堝に叩き込んだ当時の国際情勢に今が酷似しているとの説を聞いたことがあるが、この犯人、自分にヒトラーが降りてきたと豪語しているらしい。今後の事実解明と分析が事件の実態を明らかにしていくだろうが、このような事件を許していては障害者は枕を高くして眠ってはいられない。家族も安心してはいられない。社会は相互信頼に支えられて存続している。事件はそれを根底から覆す絶対的な反社会行為なのである。そして、どんな人間にも他者の命を決めつける権利は与えられてはいない。そしてその相手がどんな状態にあるにせよ、その人を愛する気持ちは当事者にしか理解できない。いわんや、その人の命の価値を勝手に決めつける知恵など、最初から人間に与えられているはずがないのである。
 自分自身も全盲であり、自分で自分を守れない重度障害者のひとりである。真正面から刃物を構えたテロリストに攻撃されても、刺されるまで気のつかない情報不自由者なのである。その恐ろしさを軽減しているのは他者への信頼だけであるのだ。その他者から、あまつさえ障害者を守るべき介護士の立場にあった人間から、生きる価値がないと決めつけられ、惨殺されていった複合障害者の老若男女の無念さと痛みと苦しさがリアルに伝わってきて、ボクは朝から苦しくてたまらないのである。思わず合掌。心から被害に合われた皆様のご冥福をお祈りする。どうか安らかなれと。

 まさかと思っていたら、ポケモンモンスターは駅構内にまで現れるという。ただでさえ危険なのに、視覚障碍者はどうしたらよいのだ。高齢者や身体障害者の安全はどう保証されるのだ。障害者無視も甚だしい。ゲームの企画者は何を考えているのだろう。経済効果優先主義もここまで進めば金のためには命も要らぬ、ということになるが、この場合の命は他人の命、ということになる。金さえあれば幸せと信じて他者の安全と命を軽く見ていれば、やがては自分の安全も命も軽く扱われる社会が育っていく。世界中が拝金主義に横溢され、一億総活躍社会などと馬鹿げた主張をする馬鹿げた政治家も現れてくる。その政治家を支持する有権者も育成され、街にあふれるポケモンプレイヤーに変身していくのである。彼らの台頭は弱者無視という点では障害者施設の大量殺りくの犯人と根っこは同じかもしれないのだ。
 ボクは猛烈なるゲームプレイヤーであった。内外のゲームセンターで衆目を集めるゲームプレイヤーであった。失明しても音声によるシューティングゲームに明け暮れる熱狂のゲームプレイヤーであった。その生来のゲームプレイヤーが、今後の日常社会でポケモン狩りのプレイヤーたちがいかなるトラブルを発生していくのか、心配をしているのである。そうなのだ。仮想現実もいい加減にせい、と叫びたい気分であるのだ。

▲ 真夏日に 身の毛もよだつ トップ記事

0727・水・下弦・

 今日もぐずぐず天気で朝から雨がパラついている。とても夏休みの雰囲気ではない。という訳で、ボクも一生懸命「おえかき」をしている。来年度のカレンダー制作に集中力を傾注しているのだ。8月のタイトルは-RAINDROPS-。日本語キャプションは雨粒のパーカッション。パーマネントグリーンのアマガエルのトリオが夕立の中で仲良く演奏をしている。ウクレレとコントラバスとサックスの三人組。いや、三匹組。そしてパーカッションは天からの雨粒たち。北軽井沢では本物のアマガエルたちはまだ鳴いてくれてはいないけど、絵の世界では頑張っている訳だ。

 本日は東京へ移動である。コボちゃんはお世話になったスタジオクラスター北軽井沢分室を心をこめて掃除してる。ボクはやなせたかし先生の「手の平を太陽に」を思い切りの大声で歌ってる。昨日、あんな事件があったから、命の大切さを山の生き物たちに聞かせてやりたかったのだ。山にきている人間たちに聞かせてやりたかったのだ。だからといって世界中から犯罪がなくなるとは思えないけど、祈る気持ちと願う心をこめて、たとえどうってことがないにせよ、とにかく聞かせてやりたかったのだ。胸がモヤモヤして、思い切りの大声で聞かせてやりたかったのだ。死んだ人たちの無念さに代わり、生き残っている命たちに聞かせてやりたかったのだ。

 帰路のドライブでプレクストークにロードした東海林さだお大先生の「ゆくぞ冷麺探検隊」の音訳読書をしている。ハンドルを握っているコボちゃんも耳を傾けている。そしてこの痛快エッセイにボクらの敬愛するヒサクニヒコ大先輩が登場したのである。東海林さだお大先生はヒサさんに誘われてケニアを旅したのであった。ヒサさんはボクの所属していた慶應義塾マンガクラブの創始者で、プロの表現者として常にボクを牽引してくださった偉大なマンガ家である。そして、その経験において格段の差はあれども、アフリカ仲間でもあるのだ。そこに共通しているのが児童文学者の寺村輝夫先生であり、ケニア在住の獣医、神部俊平氏であるのだが、このあたりの話になると長い脱線になりそうなので別の機会に譲ることにして話をすすめるが、とにもかくにもヒサさんの登場により、長いドライブ中、ボクもコボちゃんも退屈しないで済んだのである。
 けれどもトラネコミミコは読書をしない。なのでときどき邪魔をする。あたいの相手をしろと邪魔をする。お腹が減ったと邪魔をする。そしてボクに叱られると、静かに寝ているアルルの鼻先で丸くなり、アルルのため息を誘うのであった。やれやれ。疲れたらサービスエリアで一休み。けれども駐車スペースは長距離トラックの満員御礼。隣で巨大エンジンが轟音を発して安眠は許されない。これまた、やれやれ、である。やっと東京にたどり着けば、途端に地震のニュース。またまた、やれやれ、である。我が家の前にクオリスを停車すれば、トラネコミミコが真っ先に階段を駆け上がり、玄関ドアの前で吠えている。これが本日ラストの、やれやれであったのだ。

▲ 聞きたいな 山の蛙の 大合唱

◇ バーチャル東海道五十三次コース 庄野に到着、通過しました。
次は亀山。あと15,168歩です。現在の歩数、807,232歩。
3周目挑戦中!

0728・木・

 最近、茨城や千葉が揺れているらしい。東日本大震災の余震という説もあるが、東京にいると、どうしてこんなに地震が気になるのだろう。スタジオクラスター北軽井沢分室は浅間山の麓にあって、浅間山は元気な活火山。もっと地震が気になるはずなのだが、ボクはちっとも気にならない、気にしない。いくら地面が揺れても、山鳴りがしたり、山頂から爆発音が聞こえてきたり、天から噴石が落ちてきたり、溶岩が流れてこない限り、ボクは落ち着いていられるのである。当たり前だけど。

 涼しい北軽井沢より戻った身の上にとって、東京の真夏日に届かないこの天候は夏らしくなくてあまり愉快とはいえない。梅雨明けはまだ期待できそうもないのである。梅雨明けにもならず、真夏日にも届かない今朝の東京でも蝉たちが鳴いてくれている。パッとしないとはいえ、必死な蝉たちの鳴き声である。子孫繁栄のための切実な蝉の悲鳴である。鳴いて鳴いて東京の温度を上昇させ、せめて夏日から真夏日へと昇進せよと喉を枯らして、いや、全身を振るわせて鳴いているのである。その一生懸命に鳴いている蝉たちを思うと愛しさが込み上げてきた。そして愛しさが込み上げてきた途端、突如として気象庁の梅雨明け宣言。あれれ、今日は真夏日にならないはずだったんじゃないの。思っているうちにどんどこ気温が上がってきた。なんだなんだ、馬鹿野郎。暑いじゃないか、馬鹿野郎。人間は勝手な生き物なんだぞ、馬鹿野郎。

 盲導犬アリーナと歩いていたときの出来事である。目の前からやってきた数人の男たちの会話が耳に飛び込んできた。
「おい、見ろよ。賢い犬じゃないか」
「よせよ。あんなの、ただの条件反射だよ」
 人間の場合は学習するとされるのに、犬が何かを学んで行動するとき、人はそれを条件反射とする。これは単なる偏見によるものではなかろうか。もしくはそれを傲慢と考えてもよい。つまり驕り高ぶりであり、人間以外の生き物に対する無礼であり、高慢で不遜な態度であり、自らに対する慢心であるといえる。もしも仕事を終えて電車を降りて駅前に出たサラリーマンが駅前の焼き鳥の匂いに誘われ、思わず暖簾をくぐるのを条件反射といわれたらどうだろう。土用の丑の日にデパチカをうろついているオバサンが鰻の匂いに誘惑され、思わず財布の紐を緩めるのを条件反射と決めつけられたら愉快に思うだろうか。若き独身男性がビールを飲んで、ワインを飲んで、それでも足りずウィスキーをがぶ飲みしているうちに目の前のポテトサラダクラスの女性が和牛特大サーロインステーキに匹敵する、これ以上はないという絶世の美女に思えてくるのを条件反射と定義されたら嬉しいだろうか。地面をいく蟻の動きでも、野原を空中移動する蜂の飛行でも、すべての行動パターンは生命の誕生以来、天然自然とのやりとりによって獲得した生き物の知恵なのである。その知恵を人間だけが独占していいはずがない。人間、誰でも加齢すればわかる日がくる。若き日の尊大さは無知によるものであったことを。つまり、労働する盲導犬を見て、その行動が条件反射に見える人間は無知蒙昧、ということなのである。

 今夜は缶ビール500ミリリットル片手に吉野家の牛丼特盛をペロリ、ということになった。もちろんこれはテイクアウト。特盛とは肉の大盛りよりも肉が大量に白米を覆い尽くしている、ということで、その大量の肉たちをナマタマゴにつけて「すきやきごっこ」をしながら、ビールぐびぐび、ということになった。とてもさっきまで透析を受けていた人間の所作とは思えないのである。北軽井沢では和牛ステーキ200グラムを一気に平らげ、群馬特産赤城豚の生姜焼き150グラムを千切りキャベツにからませ、胃袋に送り込んだばかりで、どうやら最近のボクはライオンに生まれ変わってしまったらしい。どういう訳か、やたらに肉が旨くて仕方ないのである。幼い頃からボクは肉が大好きで、肉屋の店頭で生肉を眺めてヨダレを垂らしていたところから、
「お前はライオンの生まれ変わりか」
と親からあきれられていたのだが、その習性が高齢者になって突如として蘇ったらしいのだ。困ったもんなのだ。

▲ あとちょっと 角を曲がれば 梅雨明けだ

0729・金・

 東京都民が、
「わあいわい、梅雨明けだ、梅雨明けだ」
とはしゃいでいるのが聞こえてしまったのだろうか。朝から蝉たちが元気よく歌い出した。一気に夏の雰囲気である。よおし。しっかり汗をかいてやろうじゃないか。来週はもう8月。そして今年の8月は猛烈に暑いという。よし。今から発汗訓練だ。と、艦上戦闘機みたいなことをいってたら、そりゃ航空母艦のことでしょうと頭の中で声がする。ならば発艦訓練だ。だとしたら発艦より着艦(ちゃっかん)の方が難しいんだぞ。下手すりゃ海にドボンだぞ。そうなりゃ発汗よりは冷却効果がありそうだ。と馬鹿なエム ナマエがもっと馬鹿なエム ナマエと馬鹿な言い争いをしています。

 聞けば「ポケモンゴー」は運動不足や出不精の解消に役立つというが、それって屁理屈としか思えない。世間のやつらはポケモンがいなければ歩くこともできないのかよ。だったらポケモンでなくてバカモンだ、と誰かの声が聞こえてくる。この仮想現実ゲーム、経済効果のためのオペレーション最優先で、フライ檻ティーにおいて弱者が取り残されている。弱者が被害者になる可能性を100パーセント排除できないまでも、その可能性対する配慮が少しでもあるべきで、そこが考えられていない点が甚だ疑問である。新商品を企む側も誘われる側も常に便利さや快適さ、面白さが先取りされていて、その結果、人間本来の想像力や感性がどんどん劣化しているように思えてならない。それと同時に屁理屈を考える能力は逆に進化しているみたいだけどね。

 東京の上空が羽田着国際線の通り道になるという。300メートルの低空をピーク時には1時間に44本通過するという。そのピークは午後3時から7時まで。これすべて2020年東京オリンピックが口実となっている。予算も然り、騒音も然り、これから先、ボクらはどれだけオリンピックの犠牲になればよいのだろう。誰だか知らないけど、あんまりいい気になるなよな、馬鹿野郎。
 こうなりゃ航空機の話題ついでのトピックだ。ジャンボが生産中止となる噂が耳に飛び込んできた。1970年就航のこのジャンボ、正式にはジャンボジェット機、ボーイング747という。この機体にボクが最初に乗ったのは1972年、コペンハーゲンから羽だまでの路線だった。大学生協がチャーターした特別機で、ファーストクラスや展望室に出入り自由で、ボクはアンカレッジから羽田までの時間、ファーストクラス最前列の座席を陣取って機首に最も近い窓を独占していた。そこから見える光景は、ボクをまるでパイロットの気分にさせてくれた。地球の自転に逆行し、細い三日月を頂く夜に、沈む夕日を追いかけて、空は次第に紅に染まり、明るさを増していく。やがて機体は羽だの午後に着陸するのである。こうしてボクの初めての海外渡航は完成した。その経験以来、ボクはこの巨大な飛行機に絶大なる信頼をおくようになっていた。今でもボクは搭乗した機体がジャンボであることを知ると無条件で安心してしまう。もしもジャンボにサヨナラしなければならないとしたら、とても切ないのだ。泣いちゃうのだ。

 透析中、北野武監督作品「HANA-BI」を観る。音声映画だから、という影響もあるだろうが、どこにも魅力を見つけられなかった。国際的に評価されたということで大いなる期待をもって鑑賞したのであるが、大いなる期待外れであった。必然性のない暴力場面にも違和感があるし、キャラクターの台詞回しにもリアリティーを感じない。そもそも役者さんたちの演技から熱さや一生懸命さが伝わってこなくて、誰も彼もが嫌々映画に出ているのではないかという印象さえ与えていて、その原因が脚本のまずさにあるのではないかという懸念さえ生じさせている。昨年観た北野武監督作品「竜三と七人の子分たち」もつまらなかったが、この作品はそれ以上に得るところがなかった。どうもボクは北野武監督のツボにははまりにくい体質のようだ。ようするに彼の個性が好きになれないのである。

▲ 梅雨明けと 聞こえたのかい 蝉たちよ

0730・土・土用の丑・

 週刊朝日と週刊文春による永六輔追悼記事に思わず胸が熱くなる。泣きそうになる。思春期の頃はずっと永さんのテレビを見てきた。「夢で会いましょう」、「若い季節」。そして大人になってからはずっとラジオを聴いてきた。「誰かとどこかで」、「永六輔、その新世界」。パーキンソンのキーパーソンと晩年、永さんは自分を称していたという。最後までユーモアの人だった。46年間続いた「誰かとどこかで」も「土曜ワイドラジオ東京」もその大半をボクは聴いてきたと思う。学ばせてもらってきたと思う。笑わせてもらってきたと思う。これから思い切り寂しくなると思う。

 ふと思った。安倍政権の一億総活躍社会と相模原19人刺殺事件とは井戸の底でつながってはいないだろうかと。トランプの主張と歴史の中のヒトラーとデジタル信号でつながってはいないだろうかと。社会に弱者は必要ない。税金の無駄遣い。経済効率最優先。プライオリティーは生産性。その空気が歪んだ人格と犯罪を作り出してはいないだろうかと。ふと、そんな気がしたのである。

 本日、吉川英治の「宮本武蔵」を読み始める。読み始めた途端、面白くてやめられなくなる。少年時代、中邨錦之助や三船敏郎の主演でさんざん見せられてきたドラマである。武蔵も小次郎も昔からの知己みたいな気さえしてくる。全7巻と大変な長編であるが、どうも一気に読破してしまいそうな予感がする。それに朗読がいいのだ。声も美しいのだ。女性や子どもの登場人物など、まるでドラマを聴いているみたいなのだ。調布市立図書館のヨーコさん、ありがとう。感謝してます。

 土用の丑の日に鰻とは生まれて初めてのことだと思う。とうとうこのボクが絶滅危惧種の絶滅を手伝うような振る舞いをしてしまったのである。売れ残りの鰻弁当をリクエストしてしまったのである。でも、土用の丑の日というセールスチャンスのために命を奪われ、平賀源内を恨むことなくその肉体を切り裂かれ、骨を抜かれ、炭火で焼かれ、たれをつけて香り高く焼き上げられてしまった絶滅危惧種たちの魂を救うためには、その肉体が腐敗の段階に至る前に、このボクが犠牲的精神を発揮して後ろめたさややましさや後ろ暗さと闘いながら半額セールを待って購入しなければならず、コボちゃんがそのミッションパッシブルの実行に及んだのであった。そして電子レンジでチンをして、山椒の粉を散布して、おいしくおいしくおいしくご馳走になったのである。ボクの胃袋の鰻さん、迷わず成仏してください。アーメン。

▲ 丑の日に どうか成仏 してイール

◇ バーチャル東海道五十三次コース 亀山に到着、通過しました。
次は関。あと11,074歩です。現在の歩数、823,126歩。
3周目挑戦中!

0731・日・

 都知事選挙の開票速報、投票締め切り直後に選挙結果を知る必要はないと思う。出口調査なんかやめてくれよ、NHK。せっかくの選挙気分がしぼんでしまうじゃないか。もしかして、自分が応援している候補者が当選するかもしれないというはかない期待が、ますますはかなくなってしまうじゃないか。結果を早く知ることが大切なのでなく、どんなプロセスを経てその結果に至るかが肝心なのだ。そこまでにたどり着くまでの山や谷のジェットコースターがスリリングなのだ。喜びや悲しみがドラマティックなのだ。なのに、何ですか、NHK。何ですか、このつまらん結果。要するに国民も都民も自民党の手練手管にはちょろいということじゃないですか。この国の善男善女はいつまでも反自民勢力を抑え込む悪巧みを見破れない、ということじゃないですか。と、心を暗くしていたら、もっと心に衝撃を与える知らせが飛び込んできた。あの偉大なる横綱、千代の富士の九重親方が61歳でご逝去されていたのだ。さすがのウルフも膵臓癌には勝てなかったのだ。初代若乃花と千代の富士ほど魅力的な相撲取りはいなかった。その姿を心に浮かべながら、心からご冥福をお祈りするのである。合掌。

▲ やすやすと 小池にはまる みやこびと



★ 毎度お騒がせ、エム ナマエです。
 実は7月16日発売の月刊ラジオ深夜便8月号の巻頭カラーページに4ページにわたり、愛妻コボちゃんと愛犬アルルと登場しております。 
月刊ラジオ深夜便はリスナー200万人の人気プログラム、NHK、ラジオ深夜便の月刊誌です。
どうか書店で立ち読みしてください。 
まだ間に合うと思います。 
そしてついでに、毎月担当させていただいている「しじまのことば」のイラストレーションものぞいてください。

そして、もし気に入ったらご購入ください。
 編集長にそういえといわれていますので、よろしくお願いいたします。
 
 エム ナマエ 拝 ☆



『ラジオ深夜便』25年展のお知らせです
★ リスナー200万人の人気番組「ラジオ深夜便」のマスコット ゆめぞう君の原画が展示されます

2005年以来、ラジオ深夜便のマスコット「ゆめぞう君」のイラストレーションを担当させてもらってます。今回はその原画展示のお知らせです。
平成2年に始まった「ラジオ深夜便」は、早くも今年、放送開始25年を迎えます。
NHKスタジオパークギャラリーでも、楽しみながら番組の世界を振り返る「『ラジオ深夜便』25年」展を開催することになりました。25年の歩みをたどる年表パネルのほか、歴代アンカーのポートレートや「深夜便から生まれた仲間たち」と称して、番組から派生した書籍やCD、グッズなども提示する予定です。

エム ナマエの描いた「ゆめぞう君」の原画も展示されます。
出展は1作品だけですが、ラジオ深夜便にご興味のあられる方はぜひともお出かけください。よろしくお願いいたします。

■ 『ラジオ深夜便』25年展

◆ 主催 NHK 共催 NHKサービスセンター
◆ 会期  2015年 平成27年2月24日(火)~4月2日(木) 
  ※3月2日(月)~6日(金)は休館日
◆ 会場 NHKスタジオパークギャラリー

◆ 展示構成
第1章「ようこそ!〈深夜便〉の世界へ」
・現役および歴代アンカー紹介
・歴代アンカーの懐かしの声(音声試聴)
・現役アンカーによる「私の宝物」

第2章「〈ラジオ深夜便〉25年のあゆみ」

第3章「〈深夜便〉から生まれた仲間たち」
・月刊「ラジオ深夜便」創刊号
・「ゆめぞう君」原画
・「深夜便のうた」CDジャケット
・「誕生日の花にまつわる短歌」パネル  など

個展のお知らせ 2014
■ エム ナマエ個展2014 -おかげさまで元気です-

久しぶり、神保町は檜画廊での個展です。
描き下ろしカレンダー2015はもちろん
月刊ラジオ深夜便「しじまのことば」の原画やオリジナル作品、楽しい絵たち29点のデビューです。

期間: 10月13日(月)~10月18日(土)
時間: 11時~18時半 ( 最終日は16時半まで)

オープニングパーティーは10月14日・火・17時から。 月曜日ではありませんのでご注意を。
作者は14日(火)、16日(木)、18日(土)に会場におります。 よろしくお願いいたします。
会場では、できたてホヤホヤのカレンダー2015を販売いたします。
また一部の作品は特別価格で即売もいたします。
ボクがいうのも妙ですが、あり得ない価格です。
でも、ひとつひとつは心をこめたオリジナル。 ちょっと別れるのがつらいのです。

〒101-0051 千代田区神田神保町1-17 檜画廊
℡ 03-3291-9364 地下鉄「神保町」 JR「御茶ノ水」下車

新年のご挨拶
youtubeにエムナマエ2014年、新年のご挨拶ビデオをアップいたしました。
是非、ご視聴ください。

平成26年1月1日





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