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全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2018年12月24日~30日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1224・月・クリスマスイヴ・

 1878年、明治11年の今日、日本で初めてのチョコレートの広告が新聞に掲載された。広告主は東京の菓子店で当時のチョコレートの漢字表記は「貯古礼糖」、というもの。で、結果はまるで売れなかったらしい。古いとかお礼とか、ま、この文字の並びでは、ぜんぜんおいしそうじゃありません。もっと華やかな甘味とか香りとか、素敵にイメージさせるような語句を考えればよかったのだと思う。江戸時代だったらコピーライターの草分け、平賀源内がいてくれたのにね。

 1957年、昭和32年の今日、NHKでFMの実験放送が開始された。これが日本初のFM電波の発信である。それまでのラジオによるステレオは、ラジオを2台並べて、片方はNHKラジオ、もう片方はNHKラジオ第2で左右のチャンネルとして聴いてみろというもので、試しにやってみようと思って葉いたけれど、そもそも当時、同じようなラジオが2台もあるような家庭がどれだけあったんだろう。もちろんオイラの家にもあるわけなくて、一度だって試したことはありませんでした。けれど、ステレオ放送にはかなりの興味があって、初めて我が家にFMのレシーバーが導入されたのはその3年後、最初のステレオセットが購入されたときで、オイラは小学6年生でした。

 1968年、昭和43年の今日、人間を乗せた宇宙線が初めて月を回る軌道にのった。3人の宇宙飛行士を乗せたアメリカのアポロ8号は初めて月面の様子をテレビによる生中継を実施した。アメリカによる人類へのクリスマスプレゼントとなったわけだが、その最大の目玉は遠い宇宙空間からのまるごとの地球映像だった。台風の白い渦巻き雲を浮かべた青い球体の映像は人類に大いなる衝撃を与え、人々の心に地球市民という概念を定着させていくのであるが、その映像の衝撃性は月面着陸の数倍はあったと思う。タイム誌の表紙に採用されたその美しい写真が今でもこの網膜に焼き付けられている。

 東京の日の出は6時48分、日の入りは16時33分。クリスマスを過ぎれば、お日様も次第に元気になってくれるのだ。

 「きよしこの夜」から今日で200年ということです。そんな今夜、七面鳥の生まれそこないかと思うほど巨大なチキンの丸焼きをコボちゃんと山分けしてホクホクし、アルルカンのクリスマスケーキのジャムが、いつものジャムと違うみたいだねとアルルに意見を求めたら、アルルも同感を示していました。

▲ 二百年きよしこの夜輝いて


1225・火・クリスマス・

 航空機の酔っ払い運転はパイロットだけじゃなかった。どうやら客室乗務員もきこしめしていたらしいのだ。日本航空の客室乗務員の呼気にアルコールが検知された事件で、当人は口内洗浄液の使い過ぎだと主張していたけれど、機内のシャンパンが減っていたことが明らかになった。ま、小瓶とはいえ、目の前に高級銘柄、世界有数のおいしいシャンパンがずらり並んでいて、おまけにバレないというんだったら、そりゃ飲みたくなるわね。もしかしたら利き酒の練習をしていたのかもしれないしね。ま、おいしいシャンパンは悪魔の誘惑です。今夜はクリスマス。昨夜食べ切れなかった巨大チキンローストで、客室乗務員さんのお口には合わないでしょうけど、スペイン産、大安売りのカヴァの洞窟シャンパンでささやかな乾杯をしていたら、猫のミミコがまわりをうろつき、それをテーブルの下でアルルが羨ましそうに見上げていました。大型犬のありがたいのは、テーブルの上をうろつかないことなのです。

▲ 今宵またきよしこの夜肉と酒


1226・水・

 2004年、平成16年の今日、インドネシアのスマトラ島沖を震源とするマグニチュード9.1の巨大地震が起き、大津波が発生した。津波はインド洋に面したアジア各国やアフリカ東部までに達し、日本人42名を含む22万人を超える犠牲者を出した。いわゆるインド洋大津波であるが、東日本大震災以前に、これほどの巨大地震を知らなかったので本当におそれおののいた。こちらは盲導犬アリーナを失ったばかりで心がめげていたのでショックも大きかった。これはかなり後年になって知るのだけれど、オイラが通っていたことのある近所の健康道場のメンバーたちも、スリランカで犠牲になっていたという。
 今世紀になる直前から地球の活動が活発になるとかの都市伝説を聞かされていたが、この地震を最初に、そのほにゃらか予言が、もしかしたら本当のことかもしれないような気がしてきたのだ。そしてその7年後に東日本大震災が発生するのである。

 毎週、全国の音訳ボランティアの皆様のおかげで週刊朝日や週刊文春を楽しませてもらっている。ことにボクは週刊朝日の大ファンである。で、驚いた。本日拝読した週刊朝日、実に猫特集なのである。音訳スタッフのアイディアで猫特集関連のコンテンツ冒頭には猫の鳴き声が配してあるのだが、これが愛らしい。本物の猫かもしれないし、誰かが口真似しているのかもしれない。もしかしたら、江戸や子猫さんあたりが手伝っているのかもしれない。猫関連のコラムやエッセイがいい。内館牧子さん、嵐山光三郎さん、東海林さだおさんたちは、よほど猫がお好きなのだろう。心を動かされる内容だった。投稿コーナーの「犬馬鹿、猫馬鹿、ペット馬鹿」も猫特集。複数の週刊朝日リーダーたちが猫と暮らす感動をプロも顔負けの筆致で描いているのです。楽しませていただきました。

▲ 年の暮れ猫いてくれて温かい


1227・木・

 本日はホームページ管理人、絵夢助人(えむすけびと)さんによる新年ウェルカムメッセージの撮影である。ラジオや雑誌の取材、打ち合わせでいつもお世話になっていて、ホワイトデイのお返しクッキーやクリスマス、盲導犬アリーナの誕生日やアルルの誕生日の特別注文、バタークリームデコレーションケーキを作っていただく、経堂駅前ケーキショップ「アルルカン」での撮影である。ただ、お店は千客万来で、なかなか撮影のタイミングがやってこない。絵夢助人(えむすけびと)さんも苦労されておりました。アルルカンでの撮影も今年で最後。来年は店を閉じるそうなのです。
 撮影が終われば寿矢での恒例望年会。世間では忘年会といってます。カウンターでビールで乾杯して、おいしい料理をいただいて、絵夢助人(えむすけびと)さんの一年間の無料奉仕への心からの感謝を捧げます。ボランティア管理人に対する、エム ナマエのせめてもの気持ちなのです。絵夢助人(えむすけびと)さんがいてくださらなければ、ホームページもブログも、すべてお手上げなのです。エム ナマエがエム ナマエでいられなくなるのです。本当にいつもありがとうございます。
 寿矢からの帰り道、左から右へと火の用心の拍子木の音が移動していく。誰が叩くのだろう。こんな夜だから、おそらく子どもたちではないのだろう。もしも子どもたちだったら
「火の用心、マッチ一本火事のもと」
とかいいながら、歩いてくれるもんね。そこで落語『二番煎じ』を思い出す。あの登場人物たちは
「火の用心、さっしゃりませーい」
と声を競い合いながら深夜の町を徘徊するのだ。その昔、川崎ホールで古今亭新潮の独り会でこの落語をコボちゃんと聴いた帰り道も寒い夜で、思わず猪鍋(いのししなべ)とか桜鍋とか鹿鍋とか、何でもいいから鍋物を食べたくなったことを思い出す。ただ、桜鍋と鹿鍋は一緒にしない方がいいらしい。馬と鹿だもんね。

▲ 火の用心マッチ一本鍋の元


1228・金・御用納め・大納会・

 映画の話である。NHK「マイあさラジオ」によれば、1895年、明治28年の今日、世界で初めての本格的な映画の上映会がパリで開かれたそうである。スクリーンに投影される方式、シネマトグラフを開発したリミエール兄弟が自分たちで撮影した短編映画を上映したのだ。でも、オイラの乏しい知識によれば、これより少し前の1981年、トーマスエジソンによってキネトスコープが発明されている。と、こんなことにこだわるのは、幼い頃に読んだ漫画のエジソン伝記にいたく影響を受けていたからで、電話だって、ベルより早くエジソンが発明したんだと、今も文句をいいたくなる。
 まだ家庭にテレビがなかった頃、月刊漫画雑誌のページの隅っこに印刷されているパラパラ漫画で、パラパラとめくって動かすミニチュア漫画シアターを思い出す。とはいえ、せいぜいがワンアクション、時間にして1秒足らずなのだが。学校でも授業に飽きればノートの片隅にちょっとずつ違うキャラクターのポーズを描いて、自らパラパラ動かして楽しんだものだった。
 と、そんなことを考えていたらTBSラジオの昼の番組、「ジェーンスーの生活は踊る」で、クイーンのフレディ・マーキュリーの曲がかかっていた。今年は映画「ボヘミアンラプソディー」の大ヒットで再び注目されているクイーンであるが、カッコよかったよね。
 映画の話に無理矢理引き戻すけど、スペースオペラ、「フラッシュゴードン」はSF映画としてはお金をかけた割には不出来だったけど、クイーンの音楽がよくて、それで映画館に駆けつけました。今でもクイーンのベスト盤でテーマ曲がかかると、あのときのダサい映像が脳裏に蘇るのだ。ああ、情けない。と、無理矢理な話でした。

▲ 別れ際みかんもらって握りしめ


1229・土・下弦・

 大日本帝国が敗戦してくれた1945年、昭和20年の今日、戦後の深刻な食糧難の中、農業生産を増強し、食料を安定的に確保するための新しい農地調整法が公布された。戦後の農地改革である。で、またまた我田引水であるが、わが母校、慶應義塾志木高は開校当時は農業高校を目指していた。慶應義塾が食糧難解消のため、立ちあがったのである。その証拠に志木高の敷地は3万坪あり、そのほとんどは雑木林と果樹園と畑だった。オイラが入学した1964年当時、農芸という授業があって、週に一度は農芸服に身を包み、鎌などの農具を携えて畑に出ていった。草刈りをしたり、農地を耕したりしていると誰かがモグラを見つけて、直ちに鎌で真っ二つにしてしまったのを、今でも残念に思っている。日本全国から集まった高校生の中には、モグラを見たら直ちに殺せと育てられたやからもいたのだろう。本当はモグラたちは畑の土に空気を送り込んでくれた恩人たちだったのにね。

 夜のNHKラジオニュースである。中国で靴を脱いでホテルに盗みに入った男が、その足のあまりの臭さに逮捕された、という事件である。臭い足跡を追跡していったら、犯人が駐車場に隠れていたのを発見されたのだという。足の臭さで足がついたという、おそらくは笑っていい話であると思う。

▲ もういくつ数えた日々を抱きしめる


1230・日・

 2013年の今日、大滝詠一さんが65歳という若さでお亡くなりになっている。大滝詠一というと、日本を代表するロックアーティストみたいな言われ方をするけれど、ハッピーエンドの音楽はオイラがイラストレーターデビューした1969年当時はビートルズのアビーロードに隠れて、地下深くのアンダーグラウンドから聞こえていた印象がある。ナイアガラレーベルについてはある時期、オイラも聴きかじっていたことがあるけれど、やっぱり大滝詠一を強く意識したのはアルバム「ロングバケーション」以後である。全曲をウォークマンにぶち込んでハワイに飛んでいき、ホノルルの海岸で聴きまくっていたから、今でも曲が流れてくるとハワイの空気を感じてしまう。けれど、アルバム最大のヒット曲はラストナンバーの「さらばシベリア鉄道」であって、決して夏のイメージではないのだ。作詞・松本隆、作曲・大瀧詠一の名曲なのである。
 哀しみの裏側に何があるの?涙さえも氷りつく白い氷原。誰でも心に冬をかくしてると言うけど、あなた以上冷ややかな人はいない。
 今週一週間、NHKラジオの名物番組「昼の憩い」から連日この歌詞が聞えていた。マイトガイ、小林旭(こばやしあきら)が歌い、歌姫、坂本冬美が歌う。もちろん大滝詠一も歌っていた。それもそのはず。本日が大滝詠一さんのご命日であるのだ。

 昼間、師走というのにポカポカと温かい。気がつくと転寝をしている。いけない。これでは予定がちっとも進まない。今日もブログ原稿を頑張るけど、まだまだキャッチアップには遠いのだ。

▲ ドアノブに猫がじゃれつくしめ飾り


◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース

ありがとうございました。
おかげさまで24番、最御崎寺を仮想参拝、通過しました。
次は25番、津照寺。
あと8,711歩です。

現在の歩数、563,689歩。
三度目のバーチャル徘徊です


2018年12月17日~23日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1217・月・

 1957年、昭和32年の今日、アメリカ合衆国がICBM、大陸間弾道弾のミサイルの発射実験に成功した。この4か月前、ソ連もICBMの実験に成功していて冷戦における米ソのミサイル開発競争はますます激化していくのだが、その成果と反映が人工衛星の開発競争となるわけで、軍事と宇宙開発は紙一重なのである。北朝鮮がミサイルを人工衛星打ち上げ実験と主張したのもそういうわけなのだ。てなわけで、戦争が航空機を劇的に進化させたようにミサイル開発が人類を宇宙へ飛躍させる。そして21世紀の今、米国の核戦略システムがインターネットとして人類がその恩恵に浴している。果たして人類、これら戦争による技術開発を終わりよければすべてよし、とまとめられるのだろうか。なんか、できそうでできないような気がしてます。

 東京の日の出は6時44分、日の入りは16時30分。さすが冬至直前である。何たる日の短さよ。ますます春が待ち遠しくなってくる。

 猫のミミコが破れ障子をあけろと騒いでいる。朝の予報だと、今日は曇天で寒いはず。どうしたことかとあけてみると、これが何といい天気。ピッカビカの日差しが部屋の奥まで飛び込んできた。たちまち頭のてっぺんが熱くなって、暖房を切りました。それにしても、また外れ。最近の天気予報、あまり当てにはなりません。けど、悪く外れたわけではないので、そこんとこは許して差し上げます。

 のんびりと午後の日差しを楽しんでいたら、いきなり警察ですと電話があって、特殊詐欺について、あれこれレクチャーを開始する。本当の警察だという証明はどこにもない。思わず、
「本物の警察ですか?」
と尋ねたら、相手も
「本物の警察です」
と解答する。そりゃそうでしょう。そう答える以外に答えようがないでしょう。警察のお気持ちはわかりますけど、なんか、無駄な努力のような気がしてなりません。詐欺グループは警察よりも上手をいっているようで、この電話も逆効果のような気がしてなりません。

▲ 長い夜いきつく先はクリスマス


1218・火・

 1997年、平成9年の今日、東京湾横断道路、東京湾アクアラインが開通した。神奈川県川崎市と千葉県木更津市の間を橋と海底トンネルでつなぐ、15.1キロの自動車専用道路である。ほら、例の新ゴジラが登場した、あのアクアラインのことである。で、年が明けた1998年の6月4日、オイラとコボちゃんと盲導犬アリーナは、朝も早くから起き出して、そのアクアラインに向かったのである。以下はその当日の日記からの引用。21年前の、それもブログのような、誰かに読んでいただくための文章ではないので、どうかその舌足らずを
お許しあれ。

以下、1998年6月4日の日誌より。
 首都高速を経てアクアラインへ。すんなりといく。海底トンネルは快適。車も少なく順調。海ホタルへ直行。アリーナがやけにはしゃいでいる。迷わずに駐車場へ。車を降りたとたん、アリーナが跳ねる。まるでディズニーランドへいったときみたい。とにかくはしゃいでいる。よほどドライブが好きなのだ。ゆうべからこの計画を予測していたらしく、アリーナはボクの部屋で待機していたのだ。
 エスカレーターで最上階へ。そこがレストランと展望台。観光客はまばら。まだ天気は曇り。空の下でアリーナの御飯。風が気持ちいい。どこかでウミネコが鳴いていた。船のエンジン音がする。木製のイルカの彫刻があり、とてもリアル。よく触ってそのディテイを見る。参考になった。他に魚のベンチなど。カジキマグロの彫刻があって、ボクがコボちゃんに『老人と海』の解説をする。みんなよくできていた。
 従業員の盲導犬アリーナを見る目を気にしながらセルフレストランへ。ボクは牛丼とアサリの味噌汁。どれもボリュームたっぷりの豪華版だが、とても安かった。しかし、外国産だと思われる木材を使ったワリバシが臭く、食べ物の味を悪くしていた。最近、こういうケースが多いんだよね。
 食事中に天気がよくなる。どんどん晴れてくる。日差しも強い。木更津への海上ハイウェイをバックに記念写真。人に撮ってもらう。海上ハイウェイはあっという間に終点へ。本当に東京と千葉が近くなった。
 房総半島を南下。ボクはCDを聴きまくり、歌いまくる。こぼちゃんはドライブに専念。アリーナは機嫌よく外を見ている。というより匂いを楽しんでいる。12時過ぎ、レストランへ。アリーナはすんなりと入れてもらえた。オーナーが犬好きだったのだ。ここではクロブタの焼肉定食。これもすごいボリューム。千葉は大食漢ばかりなのか。トラックが多かったから、トラックドライバー向けなのかもしれない。アイスコーヒーを飲む。外は真夏のような暑さ。オーナーと犬の話をする。
 満腹でまたドライブ。鴨川シーワールドへいくことになる。半島を横断。途中の田園がすがすがしい。アリーナはずっとご機嫌でドライブを楽しんでいる。森や林からはいろいろな鳥の声。やはりグイスがいい。携帯電話の電波状態も良好。医歯薬出版の田辺さん、愛育社の伊藤社長と打ち合わせ。
 いよいよシーワールドへ到着。ペットお断りといわれたが、盲導犬だというとスンナリ。まず、イルカショーを見る。アリーナが興奮したのか喜んだのか、ハアハアいいながら横目で見ている。イルカのコーラスが見事。これならボクにも楽しめる。アリーナの喜んだのがアシカショー。特にアシカとペンギンが気にいったらしく、ヒュンヒュンと鼻を鳴らしていた。自分から近寄っていこうとするので、引きとめるのが苦労。アリーナはペンギン、キタゾウアザラシ、トドなどに挨拶して帰る。特にトドのプールでは立ち上がってその正体を確認していた。でも、やはりアリーナの好きなのはペンギンらしい。次にシャチのショー。これはアリーナにその正体がよくわからなかったらしい。特にこわがることもなく見ている。シャチは客の頭にキスをしていた。シャチの子供がいて、それが愛らしいらしい。さすが巨大なシャチ。ジャンプすると、こちらまで水しぶきが飛んでくる。その鼻息もすごかった。けれど、アリーナはアシカほどの興味は示さなかった。三つも連続して海洋哺乳類ショーを見たので、ボクは疲れる。アリーナとベンチで休憩。こぼちゃんは白いイルカ、ベルーガのショーを見にいく。ここ、鴨川シーワールドでは人間と動物がうまくやっている。
 それからアリーナはセイウチとガラス越しのご対面。10センチほどの近さ。アリーナはやはりヒュンヒュンと鼻を鳴らす。セイウチもアリーナをしっかりと見ていたらしい。それから水族館へ。アリーナはラッコを見て、やはり鼻を鳴らす。とにかく可愛いい動物が好きなのだ。でも、マンボウや海ホタルには興味がない。海ホタルとは夜光虫のことなのだ。アクアラインの海ホタルにちなんで展示しているのだ。マンボウはここ鴨川シーワールドが飼育世界記録を保持しているという。でも、飼育されるようになったのが最近なので、残念ながらボクはその生きた姿を見たことがない。見たかったなあ。
 もう5時になっている。アリーナも空腹を訴えている。外に出ると、もう観光客はまるでいない。閉館時間なのだ。駐車場でアリーナに御飯。ここは波音がいい。すぐ側が海岸なのだ。しかし、拡張工事のブルドーザーやバックホウの音がやかましく、これだけが興ざめになっていたな。残念。
 さて、CDを聴きながら海ホタルへ直進。途中、山の中でウグイスを聞く。これほど近くで聞いたのは初めて。そして、その長い谷渡りの声。見事だった。感激だったなあ。千葉はやはりいい。木更津から海ホタルまで、道路はガラガラ。これじゃ採算が合わないよな。要するに通行料金が高過ぎるのだ。ボクは障害者割引で半額でいいから気楽だが。周囲は東京湾。東京の明かりは意外とパッとしたもんじゃなかったらしい。今朝と同じセルフレストランでラーメン。やはり最大公約数的な味。まあ、これが無難。お土産は買わず。フロアマネージャーらしき人物がアリーナを監視してたらしい。なにかいってみろ。かみついてやるぞ。
 海底トンネルから首都高速。居眠りしてたら帰宅。ずっとハンドルを握っていたこぼちゃんはクタクタ。部屋に戻ってすぐに眠る。ボクが目覚めたのは3時過ぎ。それからこの日記を書いた。今は朝の6時前である。楽しい一日だったな。
 と、ここまでが当日の日誌です。ただのメモですからひどい文章です。けど、あの頃はコボちゃんもアリーナもオイラもみんな元気で、あっちこっちを歩き回っていました。なんせ、その秋にはニューヨークで個展を開くのですから。

 あざとさと姑息さの安倍政権が支持率を下げている。ついでに自民党も支持率を下げている。これまでは政権に批判はあっても、自民党という政党は許されてきた。けれども、お人よしの国民も、そろそろ気づき始めたのかもしれないね。まともな議論もされないうちに日本の仕組みがどんどん変えられていく。海外人材を決まり事なしに導入し、国民の健康を左右する水道行政を海外企業に委ね、貴重な生物たちを育んできた美しい沖縄の海に土砂を投入し、護衛艦が空母に改造され、憲法までが改悪されようとしている。平成が幕を閉じようとしている今、国民の目の前で国の土台が崩れ去ろうとしているのだ。これでも平気でいられるのなら、日本国民であることをやめるしかないような気がする。

▲ 子どもたち冬眠ごっここぐまたち


1219・水・

 1971年の今日、ワシントンで開かれていた10か国蔵相会議で1ドルを308円とすることが決まった。戦後続いていた1ドル360円時代が幕を閉じたのである。それにしても、円は360度だから1ドルが360円とはひどい話である。とはいえ、安くなったドルのおかげでその翌年、このオイラも海外へ飛び立つことができたのである。でも、オイラの旅は1日10ドル。それが精一杯だったのです。おかげでみんなに助けてもらいました。

 オイラは憲法改悪絶対反対論者なんだけど、空母についてだけ、ちょっと意見をいわせてもらいます。護衛艦「いずも」と「かが」の空母改造計画が問題になっていますが、専守防衛における防衛能力に敵基地反撃能力はあっていいのだとも思っています。敵基地反撃能力のない防衛体制なんて抑止力にはなりません。憲法第九条はこのままに、防衛能力だけはきっちりと整備したいものです。蜜蜂も最後の一刺しで必ず相手に報います。

▲ 北風や器用な猫の置き土産


1220・木・

 1914年、大正3年というと第一次世界大戦の勃発した年であるけれど、その物騒な年の今日、日本では東京と当時の高島町、今の横浜駅の間で蒸気でなく、電車の運転が始まったという。けれど、日本で初めてのパンタグラフがうまく作動せず、運転は中止されてしまった。結局、電車の運転再開は翌年の5月になったらしい。パンタグラフというと仲良し三人組の山口君が動かしていたOゲージの電気機関車の天井にも立派なパンタグラフが装備されていたが、このパンタグラフ、普段は天井に畳まれていて、てっぺんを押してやるとピョンと飛び出すのだが、このパンタグラフ、形だけのとんでもパンタグラフだったのだ。蒸気が当たり前だった時代、パンタグラフというと、意味もなくわくわくしたんだよね。

 誰が何といおうと、紅毛碧眼がいかに抗議しようと、鯨はおいしいのだ。鯨食の復活を望むのだ。忘れられない遠足のおかずは鯨の大和煮缶詰だった。須の子肉の、あの脂肪のきらきらした美しい肉の缶詰だった。豚のベーコンは貧乏人の食卓には上がらなかったけれど、同じ値段で鯨のベーコンは山ほど買うことができた。そう。ボクらの子ども時代の栄養不足を鯨たちは救ってくれたのだ。上野の科学博物館の入り口では、巨大なクジラの骨格標本がずらり並んで、ボクらを歓迎してくれたのだ。なのに、いつの時代からだか知らないが、すっかり撤去されてしまったのは不愉快極まりない。と、そんなオイラの気持ちに応えてくれたのかどうかは知らないけれど、日本政府が商業捕鯨の再開に向かって国際捕鯨委員会、IWCから脱退することに決めたらしいのだ。そうなのだ。鯨が可愛いとか、鯨がお利口だからという感情的理由だけで捕鯨を反対する連中と、いつまでも不毛な議論を重ねていても仕方がない。だったら、牛は可愛くないのか、豚は馬鹿だから殺してもいいのか。他の生き物を殺すのが嫌ならば、完全生物の植物に生まれ変わるしか他に生きる術はない。鯨も豚も牛も、みんな可愛い。けれども、オイラは生きていたいから食べるのだ。感謝しながら、おいしく食べさせていただくのだ。

▲ 熱燗や鯨ベーコン赤と白


1221・金・

 1991年の今日、ソ連が消滅した。ソ連を構成するほとんどの共和国が連邦にかわる独立国家共同体への参加に合意したもので、ソ連は69年の歴史に幕を閉じたのであるが、心からソ連嫌いのオイラとしては、本当にホッとしました。1978年、パリ滞在中の最大の恐怖の体験はシャンゼリゼ通りのアエロフロートオフィスへのリコンファーム訪問体験だった。航空会社のオフィスなのに、入り口を入ると誰もいないのだ。広いフロアの奥にしつらえた広いテーブルに、平家蟹みたいなおっさんがただひとり、こっちを睨みつけて座っているだけなのだ。そんで、オイラはお客であるはずなのに、ずっと叱られている気分なのだ。平家蟹みたいなおっさんに、ずっと睨まれていなければならなかったのだ。平家蟹は地上ばかりではない。平家蟹は空にも勤務している。コーヒーをもらうにもビクビクのアエロフロートのスチュワーデスさん。あんまり顔を近づけてはいけません。平家蟹で、毛蟹でもないくせに、顔にはびっしりと毛が生えていたのです。でも、いくらソ連が崩壊しても、やっぱ平家蟹たちは今でも立派に暮らしているんだと思います。別に平家蟹に何の怨みもないのですが。ごめんね、平家蟹たち。

 今年もスタジオクラスターの青木岳志さんのご母堂、タケチャンママからおいしい生鱈子の煮物をいただいた。そればかりでなく、スタジオのマダム、ヒロコママから不思議な塩辛をいただいた。この塩辛、涙なしには聞かれない、エピソードがあるのだ。青木岳志さんのご実家のお寺のある柏崎市の塩辛屋さんの、笑えないけれども、ちょっとめでたい話を聞いてしまったのだ。この塩辛屋さん、北朝鮮の日本海における違法操業のおかげで烏賊の塩辛が作れなくなり大ピンチ。苦肉の策で魚卵の特別性の塩辛を販売したところ、それに目を付けた有名パスタレストランがあって、魚卵スパゲッティーを作ったところ、それがグルメサイトで評判になったとか。新鮮な鱈の子を原料に、昔ながらの製造方法で、一年以上も漬け込み仕上げた塩辛だから、湯で上がったスパゲティーとあえて食べれば最高と聞いて、コボちゃんも張り切っているのです。さぁて、いつ作ってもらおうかな。

▲ 風邪の朝祖母が作りし葛湯かな


1222・土・冬至・柚子湯・

 1947年、昭和22年の今日、新しい民法と戸籍法が公布された。封建的な家の制度が廃止され、結婚と離婚の自由、男女平等が保証された。ふたつの法律は10日後の1月1日に施行されたというんだけれど、これも戦争に敗けた国家へのアメリカからのプレゼントなんだろうね。よかったじゃないの。だからさ、現行憲法だって、素直にいただいていればいいのにさ。ずっとうまくやれてきたんだから。

 いよいよクリスマスを家で過ごせなくなりそうなゴーンちゃん。エアコンは効いてないし、贅沢三昧な食事に慣らされた胃袋には粗末に過ぎる三度の飯に悲鳴をあげたゴーンちゃん、保釈を期待するのは当たり前。なのにあっさりと再逮捕。さて、海外のメディアはいかなる反応をするのだろう。楽しみだな。これを機会に、弁護士なしの取り調べや、罪を認めなければ決して出してもらえないような、冤罪を製造し続けてきた、日本の悪しき司法体制に先進国なみの改善が加わることに、期待するのは間違いではないと思います。

 ここんとこ、旅客機の酔っ払い運転が話題になってます。空の交通安全も心配だけれど、2020年から高速道路上の自動運転が許されるようになるらしいと聞いて、ますます心配になってます。オイラもよくは知らないけれど、自動運転、レベルスリーがどんなもんか、皆さんだってよくは知らないと思います。ハイウェイというくらいだから、高速道路は常に安全速度を超えているわけで、そこに手足でクルマをコントロールしているドライバーもいれば、AIに運転を負かせて、スマフォをいじったり読書をしたりのドライバーも加わるわけで、おまけに安心して居眠りをしたり、飲酒をしたりのドライバーも混在している状況だと、オイラみたいな人間も機械も信用できない気の小さな人間は、どんな気持ちでクルマに乗っていたらいいのだろう。考えたら生きた心地もしなくなる。それにしても、いざというときの事故の責任を誰が負うのか、そのあたりの法律整備を、早く決めておいてもらいたい。安倍政権が前のめりなだけに、心配でたまりません。

 またまた謎の蟹屋さんから電話がありました。北海道からの長距離電話ということなのですが、なんとなく世田谷区内の匂いがします。売れ残りの蟹があるから、特別価格で売ってあげるという内容なんですけど、この電話のご当人、これが何度目かの電話であることを、すっかりご失念なさっておられるようなんです。それともオイラをボケ老人とでも思っておられるのかもしれません。で、オイラも応えてあげるのです。
「その手は桑名の焼き蛤!」
 もしかしたら、ボケているのは相手のインチキ蟹屋さんかもしれません。

▲ また電話暮れの嘘つき蟹屋さん


1223・日・天皇誕生日・満月・

 本日は天皇誕生日です。1933年、昭和8年の今日、皇太子誕生を知らせるサイレンが各地で鳴り響き、奉祝行事が執り行われました。その皇太子殿下が今上天皇に即位された1989年、平成元年から本日が国民の祝日とされました。そしてまた、1958年、昭和33年の今日、東京タワーが開業しています。高さ333メートル、パリのエッフェル塔を抜く、当時世界一高い自立鉄塔だったこの東京タワー、その翌年にご成婚なさる皇太子のお誕生日を祝福する意味で、この日に開業したんでしょうね、きっと。それにしても、今夜のニュースで拝聴した今上天皇のお言葉がわすれられません。明けてやってくる新しい年に、平成という御代を平和のうちに自ら幕を閉じる陛下に心からの感謝を捧げたいと思います。そうなんです。本日は平成最後の天皇誕生日となるのです。

 オイラのベッドで片肺アルルが楽しそうな声をあげ、パタパタと尻尾を振っている。どんな楽しい夢を見ているのだろう。猫のミミコはそのアルルが眠っている頭の上の羽根布団に深く沈みこみ、安心して丸まっている。アルルやミミコがそうして元気でいてくれることがオイラとコボちゃんの幸せであるのです。

▲ 深々と猫沈みこむ羽根布団

2018年12月3日~9日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1203・月・障害者週間・

 またまたNHK「マイあさラジオ」情報である。1946年、昭和21年の今日、NHKラジオで「話の泉」の放送が開始された。日本の放送にクイズ番組が登場したのはこれが初めてのことである。出演者は堀内敬三、サトウハチロー、徳川夢声(とくがわむせい)、渡辺紳一郎と当時の人気者やご意見番が勢揃いしている。残念ながらラジオのチューニング、番組選択のイニシアチブを握っていたのはオイラの祖母、おばあちゃんで、オイラが一緒に聴かされたのは「とんち教室」。この「話の泉」についてはあまり記憶がないのである。で、この番組に大いに影響を受けたのが立川談志師匠。今世紀になってから「新話の泉」を立ち上げた。さすが談志師匠。その話芸でNHKラジオを説得したのである。出演者は山藤章二、毒蝮三太夫、桂文枝(6代目)、嵐山光三郎、松尾貴史と立川ファミリーが勢揃い。このメンバー、みんな大好きだけど、ことにキッチュこと松尾貴史さんがとても紳士で、立川談志50周年記念パーティーのときは、愛聴していたTBSラジオの「ヤングヒポポタマス」について話しかけたところ、実に気持ちよく相手をしてくださって、いろいろと個人的情報をくださったのには感激した。今でもその紳士的態度を忘れることができないでいる。

 長野県の新聞、信濃毎日から電話インタビューを受ける。実に丁寧なる取材だった。長野県上田市における八十二銀行の展覧会が好評なのだと思う。だったらこのミニ展覧会、子どもたちのためにもクリスマスまでやってくれればいいのにね、と思うのです。

 山本周五郎の『日々平安』を読んだら、黒沢映画の『椿三十郎』が観たくてたまらなくなり、オイラの音声映画ライブラリーからプレクストークへ移動させ、透析中にじっくりと鑑賞する。たちまち物語世界に引き込まれる。次から次へと映像が展開して、役者たちの表情までが生き生きと蘇る。そういえばボクはいつ、この映画を最初に観たんだっけ。中学生時代に『用心棒』とか『椿三十郎』などの黒沢監督の活劇映画が話題になっていたことは知っていたが、その当時は黒沢明よりは円谷英二に夢中で、オイラはいつまでもケツの青い、もしくはハナを垂らしたガキだったのだ。じゃ、いつだ。オイラが黒沢明の映画に目覚めたのは。おお、それは高校時代。だとしたら、あっ。思い出した。大学生になったばかり、慶應義塾日吉キャンパスの教室で、映画マニアの有志たちが上映してくれた『椿三十郎』を鑑賞したんだっけ。それから大人になり、VTRを自由に使えるようになってからは、ホームビディオで繰り返し、ハラペコウシが反芻するように、モグモグ、モグモグ、黒沢映画を繰り返し楽しんだのである。ということで、失明した今でも音声映画の刺激さえあれば、それぞれのシーンが記憶の底から噴き上がってくるのも当然であるのです。

▲ 股火鉢叱ってくれたおばあちゃん


1204・火・人権週間・

 まさかの温かさである。曇りの予報だったのでカーテンを引いたままにしておいたのだが、左右に開けば、日差しに顔が熱くなる。思い切り窓を全開にすると、春のような風が室内いっぱいになだれ込んでくる。今年は木枯らし一号がなかったけれど、地球温暖化の影響は師走になって春一番が吹くような事態をもたらしてしまったらしい。ちなみに本日の東京都心は23度。練馬では25度の夏日を記録したとかで、地球温暖化の師走は各地に夏日をもたらしたのである。

 新語流行語大賞の「そだねー」は納得です。妥当です。みんな忘れてしまったと思っていたけれど、安倍政権の悪巧みは忘れてしまっても、これだけは忘れてなかったんだよね。

▲窓開き冬の夏日にご挨拶 


1205・水・

 1900年、明治33年の今日、医師の吉岡彌生(よしおかやよい)が日本で初めて女子の医学校、東京女子医科大学を29歳の若さで創設した。で、実は今日、ボクはその女子医大に電話して、診察予約することになっていて、で、電話したのです。そしたら誰も出てくれない。わはは。どうやら創立記念日だったらしいのです。

 東京都心の朝の気温は17度。TBS界隈では19度あると朝のラジオの生島ひろしさんもいってます。また、この温かさは過去二番目の記録だとTBSラジオ「スタンバイ」の日本全国8時ですよのお天気おじさん、森田君もいってます。まぁ、ホントにあったかいこと。

 1機100億円の、短距離で離陸可能、垂直での着陸性能を誇る最新鋭ステルス戦闘機F35Bを100機購入するとアベちゃんはトランプと約束してるらしい。何と、1兆円の買い物である。自分の小遣いでもないのに、よくやってくれるよ。その戦闘機を搭載するために海上自衛隊最大の護衛艦「いずも」を航空母艦に改装するらしいのだが、その費用が数千億円。で、この「いずも」は多用途軍用母艦とされていて、決して航空母艦とはいいません。ま、武器を防衛装備品と呼ぶくらいだから、これくらいの言い換えはウソツキしんちゃんなら平気なのです。この場合は平気で、防衛装備品とはいいません。

▲ 冬の朝犬と猫との鼻と鼻


1206・木・

 外は冷たい雨模様。いよいよ本格的な冬に向かっているらしい。温かい師走とばかり油断していたが、そんなに冬将軍は甘くない。セーターに冬帽子、手袋にマフラー君、そろそろ出番になりますよ。

 山手線の新しい駅の名前は高輪ゲートウェイてぇんだけど、なんかピンときませんね。南アルプス市とおんなじくらい、ピンときませんね。高輪とか芝浦とか芝浜とか、有力な候補がいくらでもあったのに、公募中の130位という下の方から選ばれてる。だったら公募の意味がなかったんじゃないの。応募した方々に失礼じゃなかったの。世間のコメンテイターたちが異口同音にいってたけど、オイラもまったく同じ意見です。JR内部では様々な都合や忖度があるんだと思うけど、あんまり露骨なことはしていただきたくありません。やっぱ、自然でスムースなネーミングがいちばんだと思います。高輪ゲートウェイは長年親しんだ山手線の駅名としては発音するにもひっかかる。だったらまだ高輪玄関口とか高輪大木戸前とか、他にもあれこれ候補があったとか。もしかして、ゲートウェイに何か利権があるのかな。ちょっと疑っちゃいます。

 外遊から戻ってきたアベちゃん、まだ時差ボケが治ってなくて、
「これから野党のややこしい質問攻めにさらされるんだ」
てな発言で味方の笑いを誘っていたけど、笑わせなさんなよ。その野党のややこしい質問から逃げるために外遊してきたんじゃないのさ。とにかく、ここのところの国会は言語道断、横断歩道。まともな議論を経ない、一方的な立法が続いている。移民を外国人材と言い換えたり、国民の水道業務を外国企業に委ねたり、いいのかな、こんなことで。安倍政権のような数の論理が絶対価値観の集団の暴挙を防ぐためには、民主主義で最も大切にされるべきは有権者のバランス感覚。政治家を選ぶという観点から、政党のバランスをコントロールするという基本的理念をボクらは確率しなきゃならないのです。

 ハロウィンで馬鹿騒ぎをして軽トラをひっくり返した若者のうち 、4名が逮捕された。巷間には防犯カメラ。みんなのポケットにはスマフォ。事件現場から自宅まで、あなたは確実にトレースされるのです。お化けやゾンビに変装しても無駄。今の画像処理システムは騙せません。あああ。名前を公表されたら、そのキャリアはいつまでもネット世界で輝き続けることになるんじゃないのかな。注意1秒、馬鹿一生。

▲ カタカナで車内放送舌をかみ


1207・金・大雪・新月・

 1944年、昭和19年の今日、三重県沖を震源とするマグニチュード7.9の東南海地震が発生した。熊野灘沿岸では高さ5メートルから9メートルの津波を記録、死者行方不明者1223人、1万7千戸あまりの
家屋が全壊している。こういう記録を知る度に埋め立て地で開催される新大阪万博が気になるのだ。

 東京の日の出は6時37分、日の入りは16時28分。夜明けは遅い詩日没は早い。でも、それは当然。もうすぐ冬至なのである。そして本日は暦の上での大雪なのである。じゃぁ、寒いのかというととんでもない。本日の東京の最高気温は16.3度。外を歩いていても汗ばむ陽気。朝から代々木山下医院と慶應義塾病院とお医者さんのハシゴだったんだけど、てくてく歩いて汗をかいて、上着の必要がなかったと後悔する。いやほんと、汗をかきました。
 でも、汗をかいたのは陽気のせいばかりではありません。下高井戸駅のエレベーターで、意地悪ばあさんにどやされて、思わず冷や汗をかかされた。扉が開いて降りようとすると、ひとりのばあさんが、
「早く降りろ!」
と、オイラをどやしつけたのだ。コボちゃんが、
「目が見えないのですいませんね」
といっても、いつまでも睨みつけていたという。ま、世の中には短気な年寄りが増えているとは噂に聞いてはいたけれど、本当のことだったんだね。けど、コボちゃんは、
「きっと認知症の始まりなのよ」
と職業上の優しさを示していた。
 このエレベーター、これまでも様々なエピソードがあって、意地悪ばあさんばかりでなく、意地悪じいさんにもいじめられたことがある。エレベーター
を降りた途端、オイラの目の前に立ちはだかったじいさんが、
「目が見えなかったら、俺だったらとっくに死んでるね」
とせせら笑ったのだ。で、オイラもいってやったね。
「余計なお世話だ、くそじじい」

 帰宅してしばらくすると、きむらゆういち絵本講座のレンジャー吉沢さんとジローさんがオイラをクルマで迎えにきてくれる。毎年恒例、きむらゆういち宅における忘年会である。若いのに脳梗塞にかかってしまい、それでも活躍している仲良しの絵本作家や、顔見知りの編集者、いや、顔見知りといっても一方通行の顔見知りなんだけど、親しくおしゃべりしたり、楽しい時間は過ぎるのもはやい。そのうち、今年70歳のきむら君の、今年0歳
の、生まれたばかりの赤ちゃんへの挨拶を許される。すると、オイラの指を握りしめ、とても愛らしいのだ。実に愛らしいのだ。それで、奥さんも若くて愛らしいのだ。ということで、おめでとうございました。来年はきむら君と新しい絵本を出してもらえることになってる出版社の社長さんが意外にも冗談の通じるキャラクターとわかり、意気投合できて、今年も愉快な忘年会となりました。

▲ 冬の朝エレベーターで通せんぼ

◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース

ありがとうございます。
おかげさまで23番、薬王寺を仮想参拝、通過しました。
次は24番、最御崎寺。
あと154,070歩です。

現在の歩数、405,330歩。
三度目の正直バーチャルです


1208・土・針供養・太平洋戦争開戦記念日・ジョンレノン命日・

 1941年、昭和16年の今日、旧日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争に突入した。ラジオの知らせに日本国民はどのような思いに至ったのだろう。そのことについて著名人たちが書き残した『朝、目覚めたら戦争が始まっていた』をサピエ図書館でダウンロード、読んでビックリ、驚き桃の木。意外な人が意外にバンザイしていたり、意外な人が心配していたり。ま、あの頃の日本人は戦争に敗けた体験がないんだから、仕方がないといえば、それまでなんだけど。それにしても、新聞の責任は大きいと思います。
 1980年の今日、ジョンレノンが自宅、ダコタハウス前で撃たれた。アルバム『ダブルファンタジー』を発表直後の出来事で、ボクは購入したばかりのそのアルバムに、以後1年間は針を落とすことができなかった。そしてその衝撃は1998年のニューヨーク個展と、そしてジョンレノンと並んでベビーアパレルの総合コレクションで全米デビューすることにつながっていくのである。つながっていくのはそればかりではない。そしてまた、1991年のこの日はソビエト連邦の実質的崩壊の日でもあり、パールハーバーとジョンレノン、そしてソ連崩壊と、12月8日というのは、そういう歴史的な日なのです

 師走は慌ただしい。忘年会にクリスマス、大掃除に買い物に、皆さんも慌ただしいし、オイラも慌ただしい。机に向かってあれこれ。外に出かけてあれこれ。というわけで、日程がイレギュラー。金曜日の透析を忘年会で延期して、今日の昼間にコボちゃんが昼の休みを利用して、オイラを透析室にぶちこみます。ああ、オイラを生かしておくために、コボちゃん、いつもありがとう。

▲ 真珠湾ソ連崩壊ジョンレノン


1209・日・

 お昼から有楽町えきまえで慶應義塾マンガクラブのOB会である。参加者はマンガクラブの創始者で漫画家、恐竜博士としても知られ、TBSラジオの子ども電話相談室の解答者のレギュラーでもあったヒサクニヒコ大先輩を中心に9名。今年はやけに少ないけれど、これくらいの人数だと、テーブルひとつで間に合うし、みんなの顔も見えて話も聞こえる。
 というわけで、今日もコボちゃんのエスコートでお出かけ。北風が吹いていて寒い。今シーズン初めてのトレンチコートがやけに重たくて疲れます。体力がなくなったなぁ。駅の乗り換えの度にお世話になるのはエスカレーターとエレベーター。と、エレベーターの狭い箱の中でコボちゃんとベビーカーの赤ちゃんとの目が合った。けど、たちまち扉が開いて赤ちゃんとは別れなければならない。すると赤ちゃん、
「バイバイ」
と、コボちゃんににっこり笑って手を振った。先日は下高井戸のエレベーターで、
「早くしろ!」
の意地悪ばあさんに不愉快な思いをさせられたけど、今日は可愛い子どものおかげで幸せな思いをさせてもらった。
 マンガクラブが解散して、暗くならないうちに帰宅して、夜の散歩にでたコボちゃんが、階下の焼肉屋を出てきたファミリーの子どもたちにバッタリと遭遇して、アルルが可愛いといわれたそうで、またまた上機嫌。意地悪ばあさんやじいさんの毒気を、世の中の小さな魂たちが消毒してくれるのです。ありがとう。

▲ 忘年会会えて嬉しい諸先輩

2018年10月8日~14日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1008・月・体育の日・寒露・

 NHK「マイあさラジオ」によると今日は「木の日」だそうです。10月8日で漢数字の十と八を組み合わせると漢字の木になるということで1977年に決められたそうなのです。それ以来の毎年のこの日、木材の普及活動を行っているとのことですが、ボクはあんまり聞いたことがありません。きっと耳がよくないのでしょう。これはもっとよく聞こえるようにした方がいいのではないのでしょうか。どうやら我々は易くない外国の木材を騙されて買わされているらしいのです。日本の森林や水資源を大切にする意味でも林業を大切にして森林と共に生きる人々をみんなで盛り立てていく必要がありそうです。植物は地球生物のファンダメンタル。私たち動物は木や草の手の平で遊ばせてもらっているのですから。

 「ひみつのブルブル飛行猫」の推敲に専念したいが、またまた便秘の復活でお尻がつらい。どうも落ち着きません。イラストレーターもドライバーも座ってするオキュペーション。コボちゃんの職場のドライバーさんも、いつもお尻が悲鳴をあげているそうなのです。

 本日はカッちゃんの店でお蕎麦のランチ。お嬢さんのご亭主、韓国籍のジョンさんと初対面。お運びさんが板についてる男性がいるので、誰かと思ったらお婿さんだったのだ。お嬢さん、オーストラリアで知り合ったということで、おふたりとも国際人。でも、本日のボクのお目当てはジョンさんでなく、その胸に抱かれたロングヘアチワワのロメオちゃん。耳がパピオンみたいに大きくて、目がくりくりしてる。で、それさえわかれば目的達成。なんで目的達成化はあとでわかります。お嬢さん、12月にはベビー誕生。きっと可愛い赤ちゃんが生まれることでしょう。おめでとう。

 夕方、夏目漱石の「明暗」を読了する。これで漱石の長編小説をすべて読破したことになる。これすべてサピエ図書館のおかげです。失明当時、全盲になったボクにこんなことができるなんて想像もしていなかったのです。感謝です。

 夜、コボちゃんと酒を酌み交わしながら音声映画、三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ脚本による「12人のやさしい日本人」を鑑賞。ボクは繰り返し楽しんできたけど、コボちゃんには初めてのエクスペリエンス。コボちゃんにすれば、ビジョンレスの映画。けど、よほど面白かったのだと思う。映像がないのに、最後まで付き合ってくれました。これ、何度見ても飽きません。皆様にも保証いたします。

▲ 暖かな蕎麦が食べたい寒露かな


1009・火・新月・世界郵便デイ・

 本日は世界郵便デイ、ということです。1874年、明治7年の今日、世界のどこへでも郵便が届くことを目的とした国際機関、万国郵便連合がスイスのベルンで発足したことを記念して設けられた記念日なんだそうです。国際郵便を利用するようになったのは英語を習い始める中学生になってからでしょうか。切手集めにも興味がありましたから使用済みの外国切手のためのグループもストックブックの片隅に並べてありましたよね。国際郵便のありがたさを具体て火に知ったのはやはり最初の外国旅行でした。ロンドンのケンジントンの郵便局にはずいぶん通って、お世話になりました。そのとき、トラベラーズチェックの入ったハンドバッグを郵便局に忘れていったのですが、しばらくして気が付いて、慌てて戻ったときに、さっきと同じようにそのハンドバッグが持ち去られもせずにボクを待っていたときは、ロンドンの郵便局は優秀だなんて、おかしな感動をしたことが今も忘れられません。あれがロンドンでなく、ローマやナポリだったら瞬間にして消滅していたのだと思います。国際郵便というと、いつもそのことを思い出します。

 1952年、昭和27年の今日、黒沢明監督の映画「生きる」が封切られた。主演の志村喬が演じる余命いふばくもない主人公が夜の公演でブランコをこぎながら歌う「ゴンドラの歌」が多くの観客の心を揺さぶった。この場面はあまりに有名ではあるが、残念なことにボクはスチールでしか見たことがない。結局チャンスに目部まれることなく失明してしまったが、いつかこの名画をサピエ図書館で音声映画化してくれることを望んでいる。日本点字図書館、よろしくお願いいたします。

 北軽井沢を擁する群馬地方は今日もいい天気。このエリアは台風の影響もなく、ずっと天気が安定している。山の透析室へのドライブウェイに設置してある温度計は21度を示していた。
 天気がいいと透析も快調。看護婦さんとの会話も弾む。無事に透析も終了し、病院の外にでると院長先生が気持ちのいい夕暮れの前庭に佇んで山並みに見とれている。でも、もしかしたらたそがれていたのかもしれない。待合室には大きな鐘の音で時を告げる歴史モノの柱時計が鎮座していて、この医院の歴史を物語っている。金色の文字から推測するに、先代がこの医院を開院するとき、出身医大から贈与された記念品らしいのだ。院長、何代目かは知りませんが、いつもこの医院の繁栄を祈りながら力いっぱいにネジを巻いているのだろうか。これからもよろしくお願いいたします。

▲ 歴史ある柱の時計山の秋


1010・水・目の愛護デイ・釣りの日・盲導犬アリーナ命日・

 未明、NHKラジオ深夜便の須磨佳津江さんの声が寝惚けたボクに活気と安心を与えてくれる。美しい声、優しい心遣い。日本中どこへいっても聴くことのできるこの放送の果たす役目は限りなく大きいのだと思う。この番組に長く係わらせてもらっていうことに感謝している。

 1964年の今日、東京オリンピックが開幕した。開会式のこの日、東京の青空に航空自衛隊のブルーインパルスが描いた巨大な五輪が今もこの目に焼き付いている。感動の五輪だった。15日間の大会で金メダルを16個、銀メダルを5個、銅メダルを8個獲得した日本はとても頑張ったのだといえるのだろう。ことに女子バレーボールの金メダルは全国のお茶の間を興奮の坩堝に巻き込んだ。お茶の間のテレビではなく、ボクは本物の体育館で体操男子の競技を目撃、目の前で日の丸の上がるのを見て歓声を上げたものである。その開会式の10月10日、1999年までこの日が体育の日だったのに、ハッピーマンデイとかいっちゃって、バカなシステムでせっかくの晴れの特異日をシャッフルしちゃって、自民党政権にはあきれるしかないのです。

 夕方である。ここは北軽井沢より無事に到着した多摩川べりにある日本動物高度医療センターの4階の待合室である。自販機のコーヒーが新しくなっていた。香り豊かなコーヒーということでボタンを押したら出てきたコーヒーは何だか甘い。この甘さみたいなのが香り豊かということなのかと考えてたら、コボちゃんが、
「あっ。ブラックのボタンを押すのを忘れた」
だって。じゃ、あの甘さは香りが高いんじゃなくって、ただの砂糖とミルクだったんじゃないか。ところで、待ち時間がやけに長いんじゃないかな。もしかしたらアルルのどこかに何かよくないものが発見されたのかも。心配していたら、
「ナマエアルルちゃん」
呼び出しのアナウンス。ボクらは階下の診察室まで飛んでいく。
「レントゲンでは何も病変は見つかりませんでした。エコー検査もしましたが、腹水も胸水もありません。このまま様子を観察していくということでよろしいかと思います」
 と、担当の高木先生。よかった。抗癌剤治療は順調らしい。おまけにエコーでもチェックしてくれていたのだ。問題は体重増加だけ。ま、ちょっとステーキの食べ過ぎかもしれない。それにしても何もなくてよかった。本当によかった。考えれば今日は盲導犬アリーナの命日。きっと雲の上からアリーナがアルルを守ってくれているのに違いない。
 駐車場のアウトバックに戻ると猫のミミコは車内で落ち着いている。ひとりでお利口に待っていられたのだ。そこへアルルがジャンプ。後部座席で仲良く並んで伏せをする。ほんじゃOK、レッツゴー!
 帰り道、経堂のオリジンで肉野菜炒めを注文。この野菜炒め、7種類の野菜を使ってとってもヘルシー。豚肉も旨いのです。実はボク、コボちゃんの料理の次にオリジンのファンなのです。というわけで、我が家での酒盛りはカヴァのシャンパンで乾杯といきたいと思います。

▲ 我が感謝高く無限な秋の空


1011・木・

 1945年、昭和20年の今日、GHQ、連合国軍総司令部が初めて検閲した映画「そよ風」が封切られた。サトウハチロー作詞、並木路子が歌った挿入歌「リンゴの唄」が敗戦で打ちひしがれた日本人の心に響いて大ヒットした。ボクは昭和23年の生まれだけど、そのボクの幼少時の記憶としてもこの歌声とメロディーが深く心に焼き付けられている。よほど繰り返しで聴かされたのだろう。どれだけのロングランヒットだったのかと驚かされる。目まぐるしく流行歌が移り変わる現在から見れば考えられないことである。この並木路子も登場する2015年NHK制作の映画「紅白が生まれた日」はつい最近サピエ図書館にアップされているので視覚障碍者はその特権としてご覧になるといいだろう。敗戦当時のことに多少でも興味のおありの方々にはきっと楽しめる作品だと思います。もちろん出てくる歌手や役者さんたちは本物ではありませんけれど、懐かしい面々ばかりです。

 星新一のショートショートはその生涯で一千作品を超えるそうだが、サピエ図書館にアップされているそれらショートショートのすべてを読破しようと頑張っている。ただし、星新一はSFブームの牽引車ということになってるが、その作品すべてが空想科学的とは限らない。空想科学少年だったボクにとってそこがちょっとつらいところ。ここしばらく星新一作品から離れていた理由のひとつがそれである。慶應義塾のマンガクラブのメンバーになったばかりの頃、大学漫画早慶戦というようなテレビ番組が企画されて、ボクも作品で参加したことがある。ボクの作品は毛生え薬をネタにしたSF的なものだったが、審査員の星新一がボクの作品を高く評価してくださって、ああ、さすがSF作家だなぁ、なんて感動したことがありましたっけ。で、その義理としても全作品読破に挑んでいるわけだけど、少し疲れました。ここいらあたりで小松左京の本格的ハードSF小説を味わって、ちょっと頭を切り替えようかと思います。ちなみに、その毛生え薬をテーマにした漫画ですけど、世界文化社からの月刊絵本「ピカリング博士」として生まれ変わっております。

▲ 力尽き猫の虜や秋の虫


1012・金・

 1983年、昭和58年の今日、ロッキード裁判で田中角栄に実刑判決が下された。東京地裁は総理大臣経験者に受託収賄の罪などで懲役4年、追徴金5億円を言い渡したのである。これをボクが気の毒と感じたのか、それともザマミロと思ったのかはほとんど記憶にない。それは当時のボクの田中角栄に対する評価が劣悪だったせいではなく、それは当時のボクが失明宣告を受けての入院中であり、毎日のように眼球注射を受けたり、目玉へのレーザー照射を受けていたせいだと思う。で、今から考えると、田中角栄はアメリカに撃ち落とされたんだと思います。アメリカを無視して中国と握手した田中角栄は猛烈にカッコよかったんだけどね。当時のボクから見ても英雄でした。

 スタジオクラスターのマダム、ヒロコママが来年度カレンダーの校正刷りを持ってきてくださった。そしてその数十倍の量と重さでボクのランチとおやつと夜食と酒の肴を差し入れてくださいました。おかげでボクは本日のランチとして竹の皮風の紙に包まれた天むす6個と、まい泉(まいせん)のロースカツ丼をいただき、透析中の夕食はオリジンのカツカレーライスでしたけど、ボクは毎食トンカツでもOKなのです、あ、失礼、そして透析から戻ってのコボちゃんとの晩酌の酒の肴がまい泉のヒレカツと崎陽軒の焼売、ということになったのです。そしてこれは単なる予測ですけど、来週あたり、ボクのドライウェイトは大幅に修正されそうです。

▲ ヒレカツや庭の蟋蟀ロースカツ


1013・土・

 2013年、5年前の今日、恩師、やなせたかし先生が身罷った。94歳だった。やなせたかし先生と立川談志師匠は、相手がどんな高いところにおられても、その胸に飛び込めば必ず受け止めてくれる、ということをボクに教えてくださった大切なお師匠たちである。漫画は絵で描くポエム。漫画は笑いです。このふたつのメッセージからヒントを得たエム ナマエのペンネームは、このおふたりからの賜物である。単なるイニシャルではないのである。高校生のとき、やなせ先生のご著書「まんが入門」で「漫画は絵で描くポエム」という言葉に触発され、漫画家を目指すようになる。実際の先制にお会いしたのは大学2年生のとき。サイン会で自費出版のミニ絵本をお渡ししたのがご縁で、それ以来、先生のお宅を出入りすることを許され、やがてお仕事をいただくようになる。全盲イラストレーターとして復活したときは本当に喜んでくださり、いろいろな形でのサポートやバックアップをいただいた。2002年の日本橋三越本店のエム ナマエ展覧会のオープニングパーティーではふたりのお師匠、やなせたかし先生と立川談志師匠が、NHKテレビ「まんが学校」以来、数十年ぶりで初めてふたりお揃いとなり、スピーチをしてくださったのには感動した。90歳を超えてもどんどん新しいことに挑戦していくやなせたかし先制。殺しても死なないと思っていたその先生の訃報を耳にしたときの衝撃は大きかった。四谷のやなせスタジオに駆けつけたとき、先生は既に骨壺の人となっていた。やなせたかしがいなければエム ナマエも生まれていなかった。今も毎日、心からの感謝の祈りを捧げているのである。立川談志師匠とのエピソードはまた今度にさせていただきます。

 夜のNHKラジオニュースで驚いた。オイラも70歳のジジイだけど、71歳のジイサンが熊退治をやらかしたというのである。今朝のこと、埼玉県は秩父あたりの雲取山で山歩きをしていた山小屋勤務の71歳のジイサンが木登りをしている子熊を見つけて眺めていたら、突然その母熊に襲われてしまった、というのだ。でも、山仕事の人だったら、子熊の傍には母熊がいるのは常識なはず。そこはマヌケだったと思う。でもこのジイサン、そこからがすごい。その母熊の背中をつかんで山の斜面に投げ落としたというのである。そりゃ母熊も子熊を守るのに必死だから再び斜面を駆け上がり、ジイサンに襲いかかったがこのジイサン、根性があるのです。またまた母熊は投げ落とされてしまったのです。この母熊、ジイサンに噛みついてやればよかったのに、やけに気の優しい熊さんなのです。で、71歳のジイサンは自力で下山し、現在は病院でひっかかれた両手を治療中ということでこの勝負、ジイサンの冷静さの勝利なんだと思います。足柄山の金太郎みたいなジイサンのお話でした。めでたし、めでたし。

 昼間はやけに眠たかったけど、夜も更けたらやたら元気。NHKラジオ第2の「朗読の時間」再放送、永井荷風の「フランス物語」をBGMに、出版当時はたちまち発禁になって、1968年にやっとまともに出版されたという禁断の書物「フランス物語」を肴に、コボちゃんと酒盛りをする。もうひとつの肴がヒロコママの差し入れの崎陽軒のレトルトバージョンの焼売。それとまい泉の千切りキャベツの山盛り。それにフレンチドレッシングをたっぷりかけて、バリバリと咀嚼しながら焼酎のお湯割りで流し込んだのでした。まい泉の千切りキャベツ、とってもおいしかった。この千切りキャベツ、ヒレカツの脇役なんだけど、主人公の風格がありました。念のためのご報告です。

▲ あんぱんを食べて飛んだよ秋の空


1014・日・鉄道の日・

 本日は鉄道の日であります。1872年の今日、新橋横浜間に日本で最初の鉄道が開通した。これを記念して大正11年に鉄道記念日が制定され、1994年からは鉄道の日となったのであります。汽笛一斉新橋を。鉄道唱歌でも歌われているその日なのであります。

 1974年の今日、長嶋茂雄が現役を引退した。記録よりも記憶。チャンスに強いバッティングでファンを魅了してプロ野球人気を一気に引き上げた存在はミスタージャイアンツ、と呼ぶよりはミスターベースボールと称すべき存在だと思います。ナガシマ以前の野球人気は早慶戦に支えられていたのですよ、ほんまの話。さてこの日、後楽園球場のグリーンの人工芝の中央にセットされたマイクロフォンの前で、巨人軍は永久に不滅ですと絶句し、片腕で目頭を押さえていた引退挨拶を今も昨日のことのように覚えている。そう。あれは昭和のひとつの歴史でした。今はアンチジャイアンツのボクでも、ナガシマは永遠の憧れの対象なのです。鯖は魚にブルーだから野球はひとつのベースボールなのです。わっかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ。

 大ショック。いつもの時刻に文化放送に回したら、安倍晋三よりも滑舌の悪い早口の女の子の声がして、違うプログラムになっている。ボクが北軽井沢でタヌキやイノシシと遊んでいる間に志の輔ラジオがなくなってしまったと思い、死にたいくらいガッカリしていたけど、ネットで調べたら放送時間が変わっただけと判明、胸を撫で下ろす。放送開始が中途半端な6時20分から7時ジャストとなり、放送時間も延長されたのだ。そうだよな。それだけの価値のあるプログラムだと思います。万歳。

 クライマックスシリーズのファーストステージでジャイアンツがヤクルトに勝利して、ひどいことにノーヒットノーランで勝利して、ファイナルステージへの参加権を獲得してしまった。リーグ優勝3連覇の広島への挑戦権を獲得してしまったのだ。生涯終身ナガシマファンではあるけれど、アンチジャイアンツのボクはまったくもって面白くない。最悪の結果とならないことを全身全霊で祈ってる。ボクはハラタツノリではありませんから、全知全能では祈りませんけれど。わっかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ。

▲ ナガシマの引退記念勝つ巨人

2018年7月16日~22日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


0716・月・海の日・閻魔参り・藪入り・お盆の送り火・

 7月16日は駅弁記念日だとミス「おはよう一直線」の檀れいさんがいっている。宇都宮駅で竹の皮に包まれたおにぎりと沢庵を販売したのが駅弁の始まりだといっている。果たして海苔は巻いてあったのだろうか。巻いてないと指に御飯粒がついて面倒臭いよね。でも、海苔は高級品だから、となると高くなってしまうよね。どうだったんだろう。ちょっと気になるよね。

 1945年、昭和20年の今日、米国ニューメキシコ州アラモゴードでアメリカが世界で初めての核実験をやらかした。そしてこの年の8月、広島と長崎にその原子爆弾を落っことした。砂漠の砂の上でなく、人間の頭の上で爆発させたのだ。砂漠での核実験でも危険の要素は数え切れなくあるのに、人の暮らしの上での核実験は言語道断歩道橋、許せない。広島長崎への原爆投下で、アメリカ軍はどれだけの人体実験の資料を獲得したことだろう。広島長崎への原爆投下はソ連への威嚇行為であると同時に放射能に関する人体実験だったのだ。白人社会にとって有色人種の命は限りなく軽い。レイシストのトランプが鼻息を荒くしているこの時代、これは覚えておいた方がいいだろう。

 1972年、昭和47年の今日、大相撲名古屋場所でハワイ出身の高見山が初優勝を遂げた。外国人力士による初めての優勝である。ボクは高見山という力士が好きだったので、とても嬉しかったはずなのにまるで記憶にないということは、ボクが日本にいなかった、ということになる。このとき、ボクはバックパッカーとしてヒッチハイクをしながらロンドンからネス湖を目指していたのです。本気でネッシーに会えると思って旅を続けていたのです。純粋で純情だったのです。いくらハンサムな高見山でもネッシーとは勝負になりません

 目覚めたら5時のニュースをやっている。ワールドカップでフランスが優勝したことを知る。前評判の通りです。それにしてもベルギーの3位はよかったね。ベルギーにとって日本戦が刺激になったといってるらしいが、同じマンションのベルギー人、ニコラも喜んでいることだろう。ニコラは犬仲間で、飼い犬のフレブル、フレンチブルドッグでハレンチブルドッグではありません、のレオポルド君とアルルは大の仲良しなのです。で、ボクもベルギーの首都ブリュッセルを幾度か訪れたとき、有名な小便小僧のあまりの小ささに驚いたり、にわか恋人との別れの食事をするタイミングだったりで、ベルギーにはいろいろな思い出があり、とても好きな国なのです。ちなみにニコラはフランスエリアのベルギー人。ときどきボクもインチキフランス語を使わせてもらいます。通じるのが不思議です。

 列島酷暑である。そしてアンハッピーマンデイである。ハッピーマンデイをいいことに病院は月曜日の透析を休日扱いにして採血検査をパスしたり、勤務体制を休日扱いにして経費節減に情熱を燃やす。おかげで午後の早い時間から透析室に入室を迫られ、患者の苦労が倍増する。単独行動ができないボクのため、コボちゃんは勤務先から飛んできて、昼休みを犠牲にしてボクを病院に連れていく。こういうとき、勤務先が歩いて3分、ということだけがありがたい。

▲ 木陰から日傘開いて歩き出す


0717・火・

 1971年、昭和4年の今日、登山家の今井通子さんが女性では世界で初めてアルプスの三大北壁を征服した。マッターホルン、アイガーに続き、グランドジョラスの登頂に成功したのである。実はボク、その翌年の1972年、スイスはアイガー北壁を望むグリンデルワルドの美しいホテルのレストランで今井通子さんとお茶を飲んだことがある。そのとき偶然一緒に旅をしていた看護師さんが登山マニアで、今井さんに声をおかけしたところ、それじゃお茶しながらおしゃべりしましょうよ、というとになったのである。この年の欧州放浪はは不思議な旅で、同じ日に乗った登山列車の車内で詩人で絵本作家の岸田衿子さん、この方、岸田今日子さんのお姉さんで、いきなり親しくなって、その後も長くお付き合い、いただくことになったりした。同じくスイス、チューリッヒでは大学マンガクラブの同輩、ローマはトレビの泉で高校剣道部の先輩、パリのシャンゼリゼでは高校の同級生、同じくシャンゼリゼのカフェではベルリンフィルのメンバーにシャンパンで誕生日を祝ってもらう、というように素敵な偶然と出会いが次々に発生する不思議な旅だったのである。本当は思い出せばもっともっと列挙できるのですが、このくらいでやめておきます。1972年の夏はボクの人生の大きな夏休みだったのです。

 TBSラジオ「おはよう一直線」情報によると本日は東京の日だそうです。慶応4年の今日、江戸が東京と改名されたことを記念する日です。当初、「東京」をどう発音するかが話題となり、素直にとうきょうと読む人もいれば、いやとうけいだと主張する向きもいたらしいのですが、さすがトンキンと読むトンチンカンはいなかった、ということです。普通に考えれば、東の京都という意味でとうきょうでいいのでしょう。

 デイキャッチ、荒川狂鶏、あんたそんなに偉いのか。自分の名前がついた番組だからといって、そんなに偉そうでいいと思っているのか。国会担当の沢田記者を沢田君、沢田君と呼ぶのはおやめなさいな。かなり聞きづらい。以前、国会担当が国会王子の異名をとるTBS政治部の武田一顯(たけだかずあき)記者だった頃はそんな言い方してなかったよね。裁判芸人の阿蘇山大噴火氏を阿蘇山君と呼んでいたことも不愉快だった。けれども相手によってはやけに卑屈になったりして、荒川狂鶏という人物、とってもチンケな人柄なのに、TBSでどうしてそんな力を保持しているのだろう。彼がTBSに登場した頃から不思議でならないのです。

 夕方からコボちゃんと猛暑のお出かけである。親しくさせてもらっている田辺さんとその息子たち、といってもアラサーの子どもたち、田辺兄弟と経堂駅での待ち合せ。おしゃべりと楽しい食事に誘われたのである。選ばれた店はオリジナル中華レストラン、経堂西通り商店街、「彩雲瑞」(さいうんすい)。以前よりもはるかにおいしくなっていて、感動。ここ、お勧めです。前はまずかったのに、おいしくなった、おいしくなったと騒いでいたら、コボちゃんに叱られた。どうもボクは口が軽くていけません。でも、本当においしかったのです。

▲ 乾杯のビールみるみるみんな汗


0718・水・

 1970年、昭和45年の今日、日本で初めての光化学スモッグの発生が東京都杉並区で確認された。高校のグラウンドで運動をしていた生徒たちが突然目の痛みや頭痛を訴えて病院に運ばれたもので、これが光化学スモッグと判定されたわけだ。幸いなことにボクは光化学スモッグを実感したことがないのだが、当時はよっぽど東京の大気の状態が悪かったのだろう。この時代、ボクは渋谷の代々木オリンピック公園を見下ろすコンクリートの社宅に暮らしていて、当時は学生イラストレーターになったばかりで、忙しくてあまり外出してなかったのがよかったのかもしれない。光化学スモッグとかPM2.5とか、もしくはサリンとかお化けとか、目に見えなくて包まれたらアウト、てな代物はあまりゾッとしません。お化けはゾッとしますけど。

 夏休みのよき思い出のひとつが高校3年生の美術部、夏休みの合宿で榛名山を訪れたことである。ユースホステルで過ごしたのだが、そこで合宿をしていた群馬医大のクラシックギター部の素敵なお姉さん、藤井H子さんと知り合って文通をしたり、影響を受けてギターを覚えたり、人形劇団プークの山根宏章さんという天才役者さんと知り合って、やがては人形劇団ポポロのお手伝いをさせていただくようになったり、人生登り始めの素敵なハプニングの発信地である。この榛名山の中腹にあるのが伊香保温泉。この伊香保ってどんな意味があるのだろうと思っていたらNHKマイ朝ラジオでご当地の人が解説していた。伊香保の語源はアイヌ語のイカホップで、たぎるお湯という意味であるらしい。江戸はアイヌ語の平らな所、富士はアイヌ語の高い所を示す言葉だと聞いたことがあるけど、もしかしたら記憶違いかもしれない。いずれにせよ日本列島はアイヌの暮す土地で、それをボクらヤマト民族が奪ったのである。

 京都で40度まであと少しとか岐阜で38度を超えたとか、暑さについての恐怖の話題があれこれ伝えられているけど、そんな暑さの中で電気が止まったとか、エアコンが壊れたとかになったらどうしよう。この酷暑列島で熱中症で命を奪われる人の数が鰻登りとなっている。冬は凍死、夏は熱中症。そしてちょうどいい春と秋はどんどん短くなっていく。快適と便利さを引き換えにして地球はどんどん暮らしにくくなっていく。

 お天気おじさんの森田正道(もりたまさみち)君が、この暑さを千年猛暑と呼ぼうと提案している。この猛暑、平安鎌倉以来の暑さであるというのだ。古い樹木の年輪調査によると、歴史上その頃がいちばん暑かったというのだ。けど、もっと古い樹木を調べればそれ以上暑い時代のこともわかるはずなんだけど、そんなに古い樹木、どこにもないもんね。森田君によると今夜はスーパー熱帯夜になるらしい。このままどんどん暑さがエスカレートすれば猛暑日なんて言葉では間に合わなくなり、酷暑日とか獄暑日とか、新しい基準が生まれるかもしれない。この地球、もう我々の知っている地球ではなくなりつつある。

▲ この頃は暑さ以外の話なし


0719・木・

 1980年の今日、モスクワオリンピックが開幕された。社会主義圏最初の開催だったがソ連によるアフガニスタン侵攻にアメリカがボイコットを宣言、日本も同調した。これにより多数のアスリートが出場をあきらめなければならない事態となった。アメリカに右へ倣えは安倍政権だけの得意技ではないのだ。

 ここは日本動物高度医療センターの四階のいつもの待合室。ボクとコボちゃんはアルルの診察が終わるのを待っている。アルルは獣医の高木先生にリードで導かれ、うきうきと歩いていった。先生を心から信頼しているのだ。
 さっきから小さな音でテレビがかかっている。いい年をしたおじさんおばさんが井戸端会議をやっている。馬鹿みたい。ひからびたオレンジを無理矢理ジューサーに突っ込んで、なけなしの果汁を搾り取り、それを悪い水でどんどん希釈するような、そんな議論をやっている。つまらん事件ばかりなのである。この暑さだもん。人間だって事件を起こすような気力を奪われている。元気なのは天然自然、暑さだけ。

▲ 氷水飲むよりいっそかぶりたい


0720・金・上弦・

 1969年の今日、アメリカのアポロ11号が人類史上初めて月面着陸に成功した。猿から進化した人類の代表として初めて月面に降り立ったアームストロング船長は、これは人間の小さな一歩に過ぎないが、人類にとっては大きな飛躍である、と地球にメッセージした。この年はボクの最初の個展「空」を開催した年。ボクは学生で高校時代の美術部の相棒、吉川清君の家に泊まっていて、アポロが月面を離れる瞬間の月面からの生中継を一緒にウォッチした記憶がある。もちろんこの生中継はリモートコントロールによるものである。撮影者を月面に置き去りにしたわけではない。でも、わかっていても心配したよね。

 ここは北軽井沢。暑さを避けての北軽井沢である。アルル静養のための北軽井沢である。で、もちろん猫のミミコも一緒である。自発的に朝の散歩に出たミミコ、ときどき声を上げてクラスター北軽井沢スタジオで朝寝坊をしてるボクに、お前もこいと呼んでいる。やがて太陽が高く昇ればウグイスがいい声で鳴き始める。それに対抗してミンミンゼミも勢いよく声を上げる。やけにでかい声である。あれ、本当に声って呼んでいいのかしらね。

 午後になるとラジオが雷雲の発する電波を捕えてガリガリとつぶやくようになる。そのうち遠雷が聞えてきて本物の雷雲が近づいてくる。冷たい風が吹いて涼しくなるのはありがたいが、雷が近くに落ちればアルルはパニック。数年前のように家から逃げ出して行方不明になるかもしれない。そこでコボちゃんが風通しのために開けておいた一階の扉を閉めて歩く。大きな別荘スタジオはありがたいが、こういうときが苦労なのだ。やがてヒグラシが鳴きはじめ、もう雷の心配がなくなってありがたい。

 夜10時、ニュースを聴こうとNHKラジオをつけたら安倍晋三が記者会見なんかやっている。声を聞きたくないので直ちに消してしまう。確か今日は国会最後の日。賭博法案か何か、また強行採決をやらかして、言い訳をしているのだろう。この人、いつも言い訳ばかりしている。ラジオを消してしまったのでパソコンの中の音声映画「ルドルフといっぱいあってな」をコボちゃんと一緒に観る。このアニメーション、以前から北軽井沢スタジオでコボちゃんと一緒に楽しみたかったのである。コボちゃん、この映画、とても喜んでくれて、ああ、よかった。

▲ ぶつぶつと雷予報ラジオかな


0721・土・土用の入り・土用の丑・

 2011年の今日、最後のスペースシャトル、アトランティス号がフロリダ州のケネディー宇宙センターに着陸した。それまで日本人7人を含む各国の宇宙飛行士350人が乗り組み、世界の宇宙開発を先導してきたスペースシャトルが、その30年の歴史を閉じたのである。ああ、勿体ない。お金がかかり過ぎたのかなぁ。惜しいなぁ。ジャンボジェットが開発当時のスペースシャトルを背中に乗せて、親子亀スタイルで空を飛んでいたのが懐かしい。最初の打ち上げのときはボクも目が見えていて、ずいぶん興奮したのを覚えている。プラモデルも作ったよな。絵本にも登場してもらったな。失明してからも描かせてもらったな。そのフォルム、今もしっかりと頭に刻まれているのです。スペースシャトル君、いつも連れて歩きたいよな、とっても可愛くて素敵な形です。

 群馬県伊勢崎で38度を超えたと聞こえてきた。そこがどれくらい遠いのか知らないけれど、同じ群馬県のここ北軽井沢でも殺人的な猛暑となっている。そして午後から温泉街の草津に近い、とはいえやはり同じ群馬県の山の透析室で透析を受け手いた。とにかくこんな暑いの初めて。冷房がまるで効いてない感じ。仕方ないからダイアライザーから戻す血液の温度を下げてもらった。もう、それしかないのである。
 いつもだったら北軽井沢は涼しい。朝と夜はもちろん、いつも涼しい。夏なのにストーブが必要なほど涼しい。ま、そういうのを寒い、というんだけどね。でも今年の北軽井沢、朝夕以外はただただ暑く、そのこと以外、何も考えられなくなる。涼しいのは夕方からのヒグラシの声だけ。ヒグラシさん、ありがとう。
 で、土用の丑の日ということで、ヒグラシの声と鰻の蒲焼を肴に一杯やってたら、いきなりコボちゃんが蝉の話題。ヒグラシさんだかどうだかはわからないのだけれども、木から落ちて倒れていた蝉さんをコボちゃんが発見。もしかしたら熱中症かと思い、樹液を吸ってもらおうと木の幹にすがらせてあげようとしたら、オシッコをかけられて飛んでいった。というのである。
「セミって本当にオシッコをかけるのね!」
 そういって感動するコボちゃんだったけど、オシッコは黄色かったといっている。

▲ この猛暑鰻食っても間に合わぬ


0722・日・

 午後3時半、上方演芸会を聴こうとNHKラジオをつけると大相撲が始まっていた。本日は千秋楽で、いつもより早いのだった。御嶽海の優勝が決まっていて、あまり熱い取り組みは期待できないのに客席は異様な熱気に包まれている。それもそのはず。千秋楽の今日の名古屋は39.5度と文字通り殺人的な暑さに見舞われているのだ。冷房が効かなくなったらもう大変。取り組みも観客も熱くならない方が見の為なのである。そんな愛知県体育館には申し訳ないけれど、ここ北軽井沢高原ではヒグラシが鳴き始め、別荘村に涼しさを送ってくれている。今年は山が乾いているせいかヒグラシもミンミンゼミもやけに声が美しい。

「あんた、ここで何をしてんの。あんたのおうちは外でしょう!」
 コボちゃんが話しかけているのはカマドウマの赤ちゃん。このカマドウマ、大きく成長するとちっとも可愛くない。コオロギみたいに美しい声で鳴くわけでもなく、でかい図体でただ無駄に餌を消費している。何を食べているかは知らないけれど。というわけでこのカマドウマのベイビー、コボちゃんが蜘蛛さんたちにしてあげてるのと同じようにティッシュのパラシュートに包まれて、やんわりと窓の外へ放り出されたのである。

 最近、きむらゆういちとのご縁で知り合いにさせていただいた直木賞作家の辻村深月さんの作品にはまっている。今夜も「冷たい校舎の時は止まる」のラスト部分をコボちゃんと一緒に聴いている。この作品、上中下の全3巻の大長編。その下巻のラスト部分だけでコボちゃんはすっかり魅了させられてしまったのだ。見上げた筆力である。そしてこの作品、辻村深月さんのデビュー作、24歳の筆である。サピエ図書館のプレクストークによる音訳図書の再生だと、このように同じ本を同時に楽しむことができるのだ。でもこれって、厳密にいうと著作権違反なんだけどね。目の見えるコボちゃんはサピエ図書館の恩恵に与ってはならないのです。

▲ カマドウマまたつかまってさようなら



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