全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2018年1月8日~14日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。

◆ ウィークリーフレーズ 今週の言葉です


どんどん 忘れていい
本当に必要になれば それはひょっこり 顔を出す

 そうなんです。本当にそうなんですけど、たとえば何か用事があって二階にあがっていったり、二階でなくても、襖ひとつの隣の部屋にいっただけで、その用事を忘れてしまうみたいに、たちまちそのことを、大切でも大切でなくても、忘れてしまうんですよね。これ、決して健忘症ではありません。もちろん認知症でもありません。そんなこと、誰にでも当たり前にあることです。加齢したからでもありません。記憶力抜群の中学生時代でもよくあることなんです。
 尊敬する大先輩の漫画家で詩人、今は天上世界の住人になってしまった作家の東君平さんは、いつも小さな手帳に、何かちまちまとメモをしていました。そしてゴキゲンがいいと、チラリと見せてくれたり、読んでくれたりするのです。そしてボクの失明が逃れられない運命とわかったときは、その手帳片手に、
「エム、これからは詩を書けよ。短い詩を書けよ」
といってくれました。
 失明したボクはいつでも小さな録音機を携えています。失明当時はマイクロカセット。そして今はICボイスレコーダー。そして心に浮かんだことは、どんなくだらないことでも忘れないうちに録音します。もしかしたら、それはとても貴重なヒントかもしれないのです。そしてそれは二度と戻ってこない答えかもしれないのです。何から何まで覚えていることはできません。ただ、心に浮かんだ純粋な閃きだけはメモをする。この能力だけは鍛えておいて損はしないと思います。大丈夫。いつも真面目に考えていれば、インスピレーションの神様はあなたの味方でいてくれますから。さて、これからボクは、また短い悪戯書きを続けることにいたします。君平さん、ありがとう。


0108・月・成人の日・

 東京の日の出は6時51分、日の入りは午後4時44分。東京の予想最低気温は2度、最高気温は11度ということで、まだまだ春は遠いのだ。

 またまたNHKマイ朝ラジオ情報ですいません。1912年、明治45年の今日、上野駅に日本で初めて列車の発車ベルが取り付けられたということです。ホームと待合室に設置されたのはよいのだが、その音量のすさまじさに乗客は思わず両手で耳をふさぐほどだったという。いかにも明治時代である。あの頃はすべてがすべて、お役所仕事だったのである。利用者の福祉は二の次。目的さえ達せられればあとは関係ないのである。そして当時のお役所仕事というのはつまり、侍の哲学に委ねられており、そこのけそこのけ、頭(ず)が高い、の発想なのだ。

 フランスギャルの訃報が届く。乳癌だったという。70歳。ボクらと同じ世代だったのだ。高校3年生のとき、彼女のコンサートにいけばビートルズのチケットが当たるという噂がながれ、無二の親友とサンケイホールにそのコンサートを聴き煮いったことがあった。地味なバンドをバックに太めの金髪少女が真面目に歌う。そんな印象のステージだったが、「夢見るシャンソン人形」がかかったときはちょっと嬉しかった。やはり名曲なのだ。時代を作った歌なのだ。心よりご冥福をお祈りする。

 またまたお休みである。お正月でさんざん休んだのに、重ね重ねのお休みである。本日は成人の日。そしてその成人式のために一世一代の成人式の晴れ着を予約したのに、その貸衣装屋がトンズラしてしまった。トンは「遁走」の遁でズラはずらかるのズラ。つまり逃げてしまったのだ。何たる非道、無責任。その費用、数十万円というのだからあきれる。人生の大きな場面で晴れ着に身を包みたい、包ませたいという当人や親御さんのお気持ちは理解できるけど、それに当て込んだ商いって、あまり褒められないような気がするな。ましてや逃げ出すなんて極悪非道、言語道断横断歩道。さらし首にした方がいい。もちろん胴体はつけてあげておくけどね。あのさ、成人式の晴れ着の風習って、もうやめようよ。そんな大金をかけるのなら、もっと賢いお金の使い方を考えようよ。と、ボクは思います。

 コボちゃんがポルシェを運転する夢を見る。なぜか同じタイプのポルシェを小池百合子が運転していて追いかけっこをするのである。コボちゃんのポルシェは四輪駆動で日比谷公園の藪や市ヶ谷の土手をすいすいと走っていくのである。これってコボちゃんがアウトバックに乗り換えた表象だと思う。ポルシェはコボちゃんの憧れのクルマだけれど、アウトバックもコボちゃんが欲しかったクルマなのだ。でも、何で小池百合子とカーバトルしてたんだろ。夢とはいえ、バカみたい。

▲ お休みはそろそろ飽きたお正月


0109・火・下弦・

 TBSラジオ「おはよう一直線」情報によると白鵬、初場所から張り差しや搗ち上げを封印するといってるが、さてどうだろう。できるかな。注目だね。

 予想最高気温は17度ということで、本当かよと思っていたら午後からいきなり気温が上がる。最高気温は16度。春みたいである。窓を開けると気持ちのいい空気。コボちゃんはアルルと梅ヶ丘まで散歩に出かけていった。ボクは4時から起きてパソコンと格闘してたのでお昼ね。コボちゃんは梅ヶ丘のモスで焼肉ライスバーガーを買ってきてくれる。この焼肉ライスバーガー、ボクの大好物なんだけど、残念ながらモスは豪徳寺駅前からは撤退してしまったんだよね。けれどもこの豪徳寺、最近はいろいろな店舗が進出してきて賑やか。で、その中でも元気なのが世田谷線山下駅前商店街の揚げ物屋さん。その揚げ物屋さんでアルル、魚の切り身をもらう。若くて美人のお姉さんに、
「これ、あげてもいいですか」
といわれ、アルルはキョトン。コボちゃんが
「よし、といってあげないと食べないんです」
というと、お姉さんは
「よし」
アルルは素直に食べました。
「お利口さんなんですね」
 ここのお姉さん、おじいさん連中の人気の的。店先にはおじいさんたちが集まって、何か手伝うことないか、助けることないかと鵜の目鷹の目。ボクは以前からこの店の揚げ物のファンなので、コボちゃんは揚げ物各種をボクに買ってきてくれる。で、晩酌のお供はこの揚げ物各種。おいしくいただきました。それにしても若くてきれいで、そして親切なお姉さんだったら、暇なおじいさん連中でなくともファンになるのは当たり前。よ、商売うまいね。

 豪徳寺の揚げ物を肴にコボちゃんと酒を飲みながらプレクストークで「君たちはどう生きるか」に耳を傾ける。33年ぶりに読んでも、その翌日に再読しても感動する場面は同じ。ボクはコペル君と、そのおじさんのファンなのだ。コボちゃんにもファンになって欲しいと思うのだ。そして吉野源三郎さんの高潔な精神に触れてもらいたいのだ。

▲ お出かけは梅ヶ丘まで春近し


0110・水・110番の日・

 東京の日の出は6時51分、日の入りは16時46分。東京の予想最低気温は3度、最高気温は12度、ということになっている。さて本日は110番の日。この緊急電話に緊急性のない電話がやたらかかってくるらしい。よっぽど暇なのか、それとも話し相手や相談する人間がいないのか。中には、
「110番って何番?」
とかけてくる馬鹿野郎もいるという。お巡りさんも大変です。

 1863年というと日本はまだ江戸末期で明治にもなってないんだけど、その年の今日、ロンドンでは世界で最初の地下鉄が開通している。当時の地下トンネルはアーチ状で、だからロンドン地下鉄の愛称はチューブ、ということになっている。トリビアをひけらかすと、アメリカでは地下鉄をサブウェイ、イギリスでは地下鉄をアンダーグラウンド、といいます。さて、この世界最初の地下鉄、客車を引っ張っていたのは蒸気機関車。煤煙がすごかった。よくぞ皆さん、窒息しなかった。地下鉄に乗るのも命がけ。ボクが初めてロンドンの地下鉄に乗ったのが1972年のこと。もちろんその当時は石炭じゃなく、地下鉄は電気仕掛けで動いていたが、まだトンネル内部には蒸気機関車時代の名残でレンガは真っ黒に煤で汚れていて、開通時代の苦難を想像して震えあがったっけ。今はきれいになったのかな。アーチ状のトンネルというと、東京メトロ、丸ノ内線の赤坂見附駅と国会議事堂前駅の間のトンネルがアーチ状です。ボクはここの風景が好きで、それをヒントにできたのが絵本「おばけちかてつ」だったのです。

 1959年、昭和34年の今日、NHKが関東地方で教育テレビの放送を開始した。この年、ボクは永田町小学校で教室におけるテレビ教育を経験している。教壇の横に設置してある白黒テレビで理科の実験などを見せられたのである。永田町小学校の各教室には既にテレビが設置してあったのだ。戦時腸のモデル校として知られた学校である。もしかしたらNHKとの約束ができていたのかもしれない。そういえばNHKの人気絶頂アナウンサー、高橋圭三さんが全校生徒を対象に講演なんかもしてくれたよな。NHKと関係ないかもしれないけど、三国一郎さんもお話をしてくれたことがあって、それが本当に面白くて今もよく覚えている。当時、三国一郎さんはビールのコマーシャルで売れていたのだけれど、本当はお酒が飲めない人で、ただビールを飲む真似をしていただけなんだが、当時は生放送だったので、時間が余ってしまって、それを埋めるために真似じゃなくて、ゴクゴクゴクと飲み干したところが受けてしまい、それからは飲まないわけにはいかなくなって大変困った、という内容の話だったのだ。その他、子ども番組の公開録音なんかもよくあったし、永田町小学校、やっぱりNHKとは仲良しだったんだろうな、きっと。

 またまた日韓関係がこじれてる。韓国は慰安婦問題で日本が謝ってないといい、日本はとっくに誤った、何度も何度も謝ったといっている。平行線なのだ。賠償金を支払っても、国と国とで合意をしても、何をやっても平行線なのだ。いじめた方は忘れてる。けれど、いじめられた側はいつまで経っても忘れない。だから不可逆的な問題解決に日本はこだわりたかったのだ。それをひっくり返されてはたまらない。というのが安倍政権の言い分だけど、大多数の日本人もそう思っているだろうし、ボクもそう思っている。もしかして韓国という国家も国民も大人になっていないんじゃないのかと疑いたくもなる。昔の話になってしまうが、1988年のソウルオリンピックのときの観衆に国際的に未成熟な反応が感じられて、おいおい、あんまり感情に流されるなよと残念に思ったことがある。今回の文在寅(むんじぇいん)大統領の反応もそれに近いものがあるような気がしてる。そもそも彼の八方美人的な行動パターンは政治家には向いてない。誰にとってもいい顔をしているようでは右も左もなくなってしまう。韓国では国民が法律なのだ。そう分析する評論家もいる。大統領も裁判所も国民の顔色を見て判断するのだから、国際的な約束事が無視されるのは仕方がないのかもしれない。ラテン系日本人、大阪風江戸っ子のエム ナマエはラテン系アジア人種、韓国人とたちまち意気投合してしまう癖がある。特にソウル滞在中はそうだった。相手が商売でそうしていても、本当に友情を感じてしまうのだ。そしてますます韓国が好きになってしまうのだ。だから、もっともっと仲良くできませんかね。

▲派出所で巡査はそっと股火鉢 


0111・木・鏡開き・

 今日はお汁粉を食べる日だそうです。鏡開きのお餅を材料にするそうです。鏡もめでたいし小豆の赤もおめでたい。邪気を払うのだそうです。お汁粉がそういうことだとは知りませんでした。70歳を目前にして情けないことです。

 西の方から寒気が迂回してくる。沖縄でも最高気温が14度。南国に暮らす皆さん、暖房器具の用意は大丈夫なのかしら。東京の予想最高気温が9度。これでも本州ではいちばん温かいのだ。

 TBSラジオ「おはよう一直線」情報だけど、銀座の名物キャバレー「白いバラ」が閉店するという。キャバレーといっても白いバラは高級店。ホステスの教育だって大変で、キャバクラみたいなわけにはいかないのだ。もう、そういう店が続けられる時代ではないのだろうね。実はこの店、ボクが中学生だった頃、母親が経理を担当していたことがあるのだ。キャバレーなどのホステスは夜の蝶と呼ばれていたが、母親は自分のことを夜の蛾だといっていた。ボクはあんまりキャバレーやクラブには縁がなかったし、キャバクラなど、いったこともないけど、新宿の某有名クラブに小学館の編集者に連れていってもらい、そこの美人ホステスに気に入られ、しばらく清いお付き合いをしたことがあった。彼女、新宿西口に「夢の続き」という素敵なお見せを開いて、ずいぶんお世話になりました。失明記念個展のときは和装で現れ、その美しさにギャラリーが驚嘆してたっけ。誰に似ているかと問われたら、迷うことなく答えます。いしだあゆみ。わお。ボクにもそんな時代があったのだ。

 今日は1月11日のわんわんわんで犬型ロボット、アイボの新型新発売。子どもに抱かれて
「ワンワンワン!」
 抱いた子どもは
「重たいです」
 このワンちゃんロボットとAIスピーカーが合体したら無敵だろうね。
「おーいアイボ、明日の天気を教えとくれ」
というと飛んできて、
「はい、ご主人様。雨でなければ曇りか晴れでございます。お天気が知りたかったら、下駄に聞いてください。オイラは犬ですから」
てなことになるのである。

▲ 鏡餅汁粉の海に顔を出す


0112・金・

 TBSラジオの気象予報士は今朝が今シーズンの寒さのピークだといっていた。彼女の予想は東京で氷点下2度。NHKラジオでは東京の予想最低気温はマイナス1度だといっていた。ま、いずれにせよ、寒いです。予想最高気温は東京で7度。東京の日の出は6時51分、日の入りは16時48分ということです。夜明けが遅いと寒さも身に染みます。結局、東京都心の今朝の気温は氷点下1.6度という気象庁の発表でした。ああ、春よこい、早くこい。
 そうなのです。昔から今頃は寒いと相場が決まっているのです。ということで今日はスキーの日。1911年、明治44年の今日、オーストリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐が新潟県上越市で日本人にスキーの指導を行ったのが日本におけるスキーの始まりとされているらしいのです。以上、NHKマイ朝ラジオ情報でした。
 ということで、日本各地から大雪のニュースが届いている。雪国新潟では昨夜から雪で電車が動かなくなっている。この電車、雪で発車の遅れたところで、乗客は満員となっている。この事件、新潟県三条市のJR信越線の踏切近くで新潟発長岡行きの普通電車(4両編成)が約600人の乗客を乗せたまま、大雪のため動けなくなったというもの。次の駅までたった300メートルが動けずにいるのだ。電気も暖房もトイレも完備してはいるものの、乗客の中にはセンター試験を控えている受験生もいるということで、近くまで祖母がクルマで駆けつけているらしい。このセンター試験というやつ、もっと早くできないもんかね。落ちるにせよ、受かるにせよ、早く決まれば早く楽になれるのにね。みんな、頭が硬いね。いずれにせよスキーの日に雪で立ち往生は関係者の心境は複雑に違いない。雪が降らなければゲレンデは困るし、大雪になれば電車は動かない。雪国はいろいろと大変です。

 1928年、昭和3年の今日、ラジオで初めて大相撲の実況中継が始まった。立ち合いに時間制限が設けられたので力士たちは大慌て。慣れないために慌てて立つ力士も少なくなかったという。さて、明後日から今年の初場所が始まるけど、白鵬はどうするのかな。張り差しや搗ち上げは本当に封印できるのかな。あの人、根性が悪くて陰険で、なのに他の力士たちを見下ろしているから、平気で約束を破るような気がするな。それとも、すぐに嫌になって、休場しちゃうかもね。

 香川県では養鶏場に大被害が出ている。トリインフルエンザである。
♪ 七草(七種)なずな唐土の鳥(とうどのとり)の渡らぬ先に、七草なずな ♪
 これはボクが二代目三遊亭圓歌の落語で覚えた童歌だけれど、この唐土(もろこし)から渡ってくる鳥というのが大陸からの渡り鳥で、昔から鳥インフルエンザを日本にもたらしていたのではないかとボクは考えている。ネットによると、「唐土の鳥(とうどのとり)というのは、『古事類苑』内の『梅園日記』によると、唐土(=中国)の「鬼車」という夭鳥(鳥の妖怪?)を指すようです。

▲ 大雪や降られて悲し見て綺麗


0113・土・

 1943年、昭和18年の今日、アメリカやイギリスの音楽が国家によって禁止された。太平洋戦争中の措置で、ジャズなどおよそ千曲の生演奏とレコードの鑑賞が禁止された。もしも今、そうなったらボクはどうしよう。今だって毎日ビートルズを聴いているのだ。それにしても敗戦の2年前の土壇場に日本はそんなことをやっていたのだ。ほとんど八つ当たりじゃないか。いくらアメリカに苛められているとはいえ、殴っても殴り返してこない音楽を相手に喧嘩するとはなんたる卑怯者。ところで現在の北朝鮮はどうなのだろう。もちろん日米韓の音楽など、歌ったりしたもんならたちまち銃殺だろうね。

 シットホールって、ケツの穴のことでしょ。それにしても便所のような国とはなんたる暴言、差別的トランプの発言であることか。ピコピコハンマーでぶん殴ってやりたいね。ピコピコとしかいわないけれど。それにしてもオバマの決めたことなら何でも反対とはトランプ、本当はあんた、単なる人種差別主義者で何も考えてない白人至上主義者じゃないのかな。白人はただのアルビノです。白いのが偉いといいたいのなら、白蛇を神様と崇める石器人的発想だと思います。

 週刊文春でオギママが「君たちはどう生きるか」について熱く語っていた。彼もこの作品に感動したことのある人物なのだ。いいね。ますます尊敬するのです。

▲ 寒波より寒い政治はもう沢山


0114・日・

 本日の東京都心の予想最低気温は0度、最高気温は7度。東京の日の出は6時50分、日の入りは16時50分ということです。ここんとこ日の出の時刻がほとんど変わってないような気がする。初日の出が6時51分で、本日は6時50分。日の入りの時刻だけが微妙に遅くなっているだけなのだ。そうなのだ。昼間の時間は単純に伸びたり縮んだりするだけではないのだ。このあたりの仕組み、どうなっているのだろう。地球に聞いた方がいいのか、それともお日様にお尋ねした方がいいのか、ちょっと考えてみよう。なんとなくお月様は知らないような気がしてます。

 1959年、昭和34年の今日、南極の昭和基地でカラフト犬のタローとジローの生存が確認された。その前の年、越冬を断念した第二次観測隊が残してきた15頭のカラフト犬のうちの2頭だった。誰でもがあきらめていた犬たちの命である。このニュースがどれだけボクたちの心を熱くしたことだったろう。この日、2匹の犬は誰よりもスターだったのである。

 大相撲初場所の初日である。そして心配していた通り、稀勢の里が敗けちゃった。この人、ハートのどこかがガラス製なのです。

 J-WAVEに竹俣紅(たけまたべに)さん登場。早稲田の学生で女流棋士初段の才女である。実はこの人、個展にきてくれたことがあるのだ。幼いとき、ボクの絵本「ゆめねこウピタ」を愛読してくれていたという。天才は違うのです。わかってくれるのです。そして驚くことに、彼女はワタナベエンターテイメントに所属するタレントさんなのです。とても美しいのです。心よりご活躍をお祈りするのです

▲ 初場所の初日金星(きんぼし)大バーゲン
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2018年1月1日~7日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。

◆ ウィークリーフレーズ 今週の言葉です

最低の時代の友人が 最高をわかちあう友となる

 慶應義塾志木高時代、恥ずかしながらも体育会の剣道部に所属していた。頭に白くて洗濯したての手拭を乗せ、汗臭いお面をかぶって、汗臭い道着にお古の防具、汗臭い小手に竹刀を握り、手拭以外はすべて汗臭いという環境で、えいやっとう!ぶんぶんぶんと振り回していたのである。その当時から休みのときはしっかりめかしこんで銀座のみゆき族、という、硬派なんだか軟派なんだかよくわかんないやつがいて、不思議と気が合っていた。そいつは渋谷の有名仏具店の御曹司で、失明後のボクの作品をアレンジしてアクセサリーにしてくれたり、あれやこれやと面倒見がよくて大変に助けられていたのだが、残念ながら20世紀最後の年にこの世を去ってしまった。彼の奥様はSKDの踊り子だった美しい人で、そのお兄さんたちはあの有名なフォークディオ、ブレッドアンドバターである。そういうことでブレバタのサッちんとは親しくしてもらっていて、一緒に歌作りなんかにも挑戦したことがあった。ニューヨーク個展がきっかけで米大陸デビューが決まったとき、サッちんに、
「これからは友だちと親戚が増えてくるよ」
といわれたことがある。有名人だけにリアリティーのある言葉だった。
 これまでに人生のピークを二度ほど味わっている。そして確かにその頃、友だちと親戚には不自由しなかった。ただし、失明して離れていった人たちが二度目の成功のときに図々しくも戻ってくることは、ほんの一部の例外を除いてはなかったような気がしている。ま、世の中には例外的に図々しい人も存在するのです。失明寸前、厳しい状態にあったボクに金を借りにきた画家がいて、厳しいことを知りながら金を借りにくるのだからよほど大変なのだろうとなけなしのお金を都合したことがあって、けれどもボクが何もかも失ったときは顔も出さなかったのに、全盲イラストレーターとして成功してからは展覧会に顔を出す、というような破廉恥な画家もいて、この人は特別に例外だったのです。
 さて、失うものをすべて失ってしまうと人の心がよく見えてくる。そして自分が何者なのかも見えてくる。絶望の谷底で途方に暮れていたとき、手を差し伸べてくれたのが志木高時代からの親友だった。彼が存在しなかったら今の自分は存在しない。父親や母親にとって、障害者になった息子は単なるお荷物でしかないが、親友にとっては健康であっても障害者であっても友人は友人。親友とは少年時代の夢の代名詞なのである。
「生きていてくれればいい」
そしてそういう親友は社会的な成功者であり、彼はボクの社会的復活を全面的にサポートしてくれるだけの力があったのである。そのありがたさをボクは細胞のひとつひとつで噛みしめている。初めての童話で新人賞をもらったとき、全盲アーティストとして表彰されたとき、三越本店での展覧会の初日で、人々が見つめるその中で彼を抱きしめ、その耳元で
「すべてお前のおかげだよ」
といった言葉には1ミクロンの嘘もない。彼という存在、その体重のすべてにはボクの全人生と同じ重さがあるのです。


◆1月・睦月・正月・
0101・月・元旦・

 明けましておめでとうございます。まずは神様とご先祖様にご挨拶。おかげさまで戦争も地震もなく無事に新しい年が明けたのである。明けましておめでとう。そしてコボちゃんに挨拶。それからアルルとミミにもおめでとう。ことしもよろしく付き合ってね。
 山口県の極上蒲鉾を肴に大吟醸で一杯やって、午後は年賀メールのBCC送信。まとめて送ってすいません。今年もよろしくお願いいたします。
 今年が古希、70歳を迎えるエム ナマエ。前半の35年間が目の見えた人生で後半の35年間が失明人生。さて、この見えない人生がいつまで続くのか。それはまったく見えません。人生双六、スリリングです。あはは。

 今年は平成30年、そして明治150年です。その元旦、各地の初日の出と日の入りの時刻です。札幌の日の出は7時6分、日の入りは16時10分。仙台の日の出は6時53分、日の入りは16時27分。東京の日の出は6時51分、日の入りは16時38分。大阪の日の出は7時5分、日の入りは16時58分。福岡の日の出は7時23分、日の入りは17時21分。さぁ、初日の出を拝んで、今年もよろしくお願いいたします。

▲ 去年今年(こぞことし)駒を進めてまたひとつ


0102・火・満月・初夢・箱根駅伝・往路・

 東京の日の出は6時51分、日の入りは16時39分。冬至直前、12月20日の日の出が6時46分で、日の入りが16時31分だから少しずつではあるが太陽の勢力が優勢になってきている。嬉しいことである。おおい、春は近いぞ、てのはちと気が早いかな。なんせ最低気温は2度、最高気温は11度なんだから。

 本日はスーパームーンであるとか。「おはよう一直線」で生島ひろしがそんな話題に触れていた。さて、1959年の今日、旧ソビエト連邦、ソ連が世界で初めて月ロケットの発射に成功している。この月ロケットは様々な観測機器を搭載し、月の近くを通過して太陽周回軌道に入り、人類最初の人工惑星となった。これがルナ1号で、ソ連の月探査計画、ルナ計画の始まりである。その後ソ連は1959年10月7日、ルナ3号で月の裏側の撮影に成功している。このときの白黒写真が人類が初めて目にする月の裏側であった。月探査計画で先んじていたソ連がアメリカのアポロ計画に遅れをとる原因とは何だったのだろう。国家の威信に国民の夢が勝利したのだろうか。なんて単純な構図ではないだろうが、考えてみたら面白いかもしれない。

 みんなでお風呂。まず、ボクが肩までつかる。次がコボちゃん。ごしごし洗う。そして最後がアルル。やっぱり肩までつかる。最後だからお湯もぬるくなって、アルルにはちょうどいいのだ。暖まったところでコボちゃんに頭の先から尻尾までワンちゃんシャンプーでごしごし洗ってもらう。シャワーで泡を落としてもらう。ピカピカアルル。けれどまだちょっと湿ってる。そこでエアコンの温風を最大にしてもらってボクのベッドで引っくり返ってる。明日はみんなで初詣だもんね。

 NHKラジオ「天使の初笑い」を聴いている。いつもの「天使の作り笑い」の新年バージョンである。そしたらグラリ、ミシミシ。何やら地面が揺れている。そこはさすがのNHKラジオ。たちまちのうちに地震速報。19時48分、関東地方に地震発生。震源地は東京湾。震源の深さは60キロ、マグニチュードは4.2ということだった。埼玉や千葉で最大震度3で各地の震度は1から2だったという。経験者の証言によると、その経験者とはボクのことだけど、世田谷あたりは震度2ほどの揺れだったと思う。ま、でかく揺れても小さく揺れても地面が揺れるというのはあまり楽しくはないのである。やだね、新年早々。

▲ 初夢や尻尾を振って鼻鳴らす


0103・水・箱根駅伝・復路・

 NHKマイ朝ラジオによると1951年、昭和26年の今日、NHKラジオで第1回紅白歌合戦が放送されたとか。大晦日に放送されるようになったのは2年後の第4回からだという。ボクが生まれてから3年目のこの第1回の紅白、覚えているような、いないような。ま、ませたガキだったから覚えているような気もする。娯楽の少ない時代だから周囲の大人たちが喜んで聴いていたのなら、ボクも聴かされたはずなのだ。3歳のとき、寄席の絵を描いて大人たちを喜ばせたような生意気なガキだったから当時の紅白歌合戦も聴いていたような気がするのだ。落語に講談、浪曲に流行歌にとんち教室。当時、ラジオはお茶の間の主人公だったのである

 昨日と同じようにスタートからゴールまで箱根駅伝に傾聴する。そして青山学院の頑張りが劇的で楽しめた。よほど往路の優勝を逃したのが口惜しかったのだろう。それにしてもすごいね、青山学院の4連覇。簡単にはできないことです。おめでとう。
 さて、復路の8区を走る関東学生連合の慶應義塾のランナーは慶應義塾志木高の卒業生と聞いてみんまり。やっぱり母校の活躍には心が踊ります。箱根駅伝のために強化を図っている慶應義塾競走部。いつかは単独で参加してもらいたい。近頃は慶應義塾の「け」の字もない箱根駅伝だけど、今から半世紀も昔の高校時代、父親に誘われ、家族して箱根まで慶應義塾を応援にいったことがあったよな。雪の積もった山道を学生たちが次々に駆け下りていったっけ。その後ろ姿に
「頑張れ、ケイオー!」
と声をかけて、ああ、オイラも慶應義塾の社中なのだと認識を新たにしたんだっけ。おそらく、父親もその感覚を味わいたかったのだろうね。父親の大学コンプレックスには箱根の山をも動かすものがあったんだと思う。ま、みんな戦争がいけないんだ。父親は大学の代わりに陸軍の戦車学校に入学したんだもんね。ペンの代わりに鉄砲だもんね。試験科目は人殺しだもんね。気の毒だと思います。

 箱根駅伝がゴールした時点でお出かけ。コボちゃんとアルルとでいつもの神社にお礼参りである。この神社、一昨年に失われた鈴はまだ戻っておらず、神様に自分の存在を知っていただくために大声で言上する。そうなんです。あのお賽銭箱の上にぶら下がってる巨大な鈴、神様に気がついていただくための鈴なのです。失礼ながらたとえさせていただくと、ホテルのカウンターに置いてあるベルのようなものなのです。さて、足元にはお風呂に入ったばかりのぴかぴかアルルがきっちりお座り。初詣はあれこれお願いするもんじゃない。昨年一年間、無事に過ごせたことへの感謝のお礼参りであることを我が家のアルルはちゃんと知っているのです。

 今夜もスーパームーンが期待されている。まだまだ東京の空は人に汚されず、美しいのだ。そうコボちゃんに伝えると、
「知ってるよ。昨夜も見たし、今夜も見るもん」
と鼻の先であしらわれた。そしてその通り、透析からの帰り道、コボちゃんは明るく輝く月の周辺に美しく冬の星たちがまたたいてる様子など、詳細に実況中継してくれるのだった。

▲初詣今年もお礼参りかな


0104・木・

 1980年の今日、「野生のエルザ」の作者、ジョイアダムスンがケニアの動物公園の中で遺体で発見された。当初はライオンに濡れ衣が着せられたが、真犯人はアダムスンさんの雇人だったことが判明する。アダムスンさんは我々動物好きの人種にとっては憧れの人物。ライオンと人間の共存を実例をもって示した人であったのだ。映画も制作され、「ボーンフリー」という名曲も生まれている。1980年という年はボクが二度目にケニアを訪れた年。目の前でライオンに吠えられて腰を抜かしたときの旅であるが、そのときには既にアダムスンさんはこの世の人ではなかったのだ。

 ディケンズの荒涼館につかまった。いや、とうとうはまってしまったのだ。面白い面白いと聞いてはいたが、今ひとつその魅力がわからずにいたのが、昨夜のこと、気がついたら19世紀の霧と煤煙の底に沈んだロンドンに飛び込んでいる自分を発見したのである。さぁ、大変。この本、やたら長いのだ。抜け出すには時間がかかりそうだぞと思っていたのが引き続き今日も荒涼館を読んでいる。プレクストークの再生スピードを標準にして、じっくりと時間をかけて読んでいる。不思議だね。心のチャンネルを切り替えるだけで19世紀のロンドンに飛んでいけるのだから。ボクという肉体には同時に吉川英治の平家物語も村上春樹の戦後日本もチャールズディケンズの19世紀も、そして教養書も週刊文春も同時に存在できるのだ。これこそが本の力なのである。わはは。

 昨年の暮れから全盲イラストレーターを福笑いイラストレーターにしようかな、なんて考えている。最近はそうでもなくなったが、以前は全盲という響きに抵抗を感じる人が少なからずおられて、視覚障碍のあるイラストレーターとか、目の不自由な画家とかに言い換えられそうになってしまうこともあった。本当はメクラのイラストレーターがいちばんいいんだけど、それじゃ放送禁止になってしまう。メクラって言葉、わかり易くていいんだけどな。目の見えない事実が差別の材料にされてしまうのは残念なことである。見えていた時代も見えなくなってからもエム ナマエという人間の中身に何も変わりはないのにね。で福笑いイラストレーターはどうかしら、なんてアイディアが閃いたんだけど、立ち止まって考えれば福笑いは目隠しを取り去れば自分の作品を確認できるわけで、そこが全盲イラストレーターとの決定的相違点。ボクは目隠しを取り払っても目は見えないままなのだ。というわけで今も福笑いイラストレーター宣言には躊躇しているのである。

▲ 全盲の画家は今年も福笑い


0105・金・小寒・

 本日の東京の日の出は6時51分、日の入りは16時42分。雪が降るといわれていたがその心配はなくなったみたい。雪が積もると透析の行き帰りが厄介だ。でも、これからは大丈夫。スバルのアウトバックがきてくれて、四輪駆動のオールウェザータイヤで最低車高が20センチで、都会の雪道くらい、スイスイと走っていけるのだ。鬼に金棒なのだ。誰が鬼なのかは知らないけれど。

 1955年の今日、日本で初めてのシネラマが公開された。35ミリ、3代のカメラが撮影した映像を3台の映写機で巨大なスクリーンに映写するというもの。人間の視野いっぱいに広がる、迫力と臨場感あふれる映像空間を再現しようとしたもの。そう。人間という生き物はまこと欲張りな種族なのである。
 最初の公開は帝国劇場、帝劇だったが、その後になってシネラマ上映を専門とするテアトル東京が京橋に開設された。この激情に足を踏み入れた切っ掛けは麹町中学の学校鑑賞会。先生に引率され、学年でシネラマを観にいったのである。「不思議な世界の物語」はグリム兄弟の伝記で、ファンタジーの場面ではゴジラみたいな着ぐるみでなく、わざわざ作った実物大のドラゴンが本物の火を吐く迫力に度肝を抜かれた。まるで品行方正な生徒みたいに中学の団体鑑賞でシネラマの迫力に魅了されてしまったのだ。先生の罠にはまってしまったのだ。次のシネラマ体験も中学の先生に連れていかれたものだった。きっと誰か、シネラママニアの先生がいたのだろう。作品は「西部開拓史」。シネラマで観る西部劇の迫力は凄まじかったけど、女優がフィルムの継ぎ目を外して演技しているのがおかしかった。この女優、縄跳びするみたいに継ぎ目を避けていたのだ。ということで、フィルムの継ぎ目を気にしないで見られるのが70ミリだった。その代表格が「2001年宇宙の旅」だろう。この作品がテアトル東京で公開されたときはSF映画に目がないボクは真っ先に飛んでいった。1968年、まだ人類が月に到達する前、実際の地球丸ごとの映像を手に入れる以前の宇宙旅行映画であるが、その真実に迫る映像美に度肝を抜かれた。真実でないのに決まってるのに度肝を抜かれてしまったのである。この映画館の特徴は巨大スクリーンに向かって座席がせり上がっていることで、最前列など、自分のすべてをスクリーンが囲む形となり、まさに鑑賞者が映画の世界に一体化してしまうところにあった。朝いちばんで劇場に飛び込み、最前列の席に座りこむ。そのワクワク感は今もボクの記憶に鮮やかである。そんなテアトル東京ならではの映画といえば他に「スターウォーズ」や「未知との遭遇」があり、そんな作品がかかるときは必ず京橋まで地下鉄銀座線で駆けつけたものだった。期待が大き過ぎたので地下鉄の中を駆けながら駆けつけたのである。スペクタクルを期待したのが「トラトラトラ」や「地獄の黙示録」などの戦争映画だった。いつかテアトル東京のような映画館が再び現れて、これからの映画ファンを魅了すればよいのにと、目の見えないボクはときどき考えるのである。

 午前11時過ぎのことである。いつもの時刻、いつものように昼寝をしていたらケータイが
「地震です!地震です!」
と騒ぎ出した。こいつはよほどデカイのがくるな、と身構えたんだけど、それらしい揺れはこない。そのうちラジオでは茨城で震度3、震源地は富山県、なんておかしなことを言い出した。これはあとで判明するのだけれど、茨城県と富山県でほぼ同時に発生した地震をコンピューターが区別できず、震度3の揺れを震度5と判断したためらしい。デッカイ地震じゃなくてよかったと胸を撫で下ろしたんだけど、今度は日が暮れて安心して眠ってる真夜中に、本当にグラグラグラ。小さくはない揺れである。途端に猫が飛んできた。コボちゃんも起き出した。ああ、昼間の地震の仕返しだ。飛び起きてラジオをつけたら0時54分、東京都23区で震度4と告げている。震源地は千葉県北西部。震源の深さは80キロ。マグニチュードは4.8と思ったより小さいが、それにしてはやけにしつこく揺れてたな。津波もないということで、そんな程度の地震で津波なんかにこられてたまるもんかと想いながらも、とにかく安心して猫を抱きしめて再び眠りに落ちたのである。ところが、ところが、翌朝のニュースで未明に伊豆で地震があったという。ここんとこやけに日本列島が揺れてて、新年早々地震恐怖症になりそうだ。戌年は犬笑うといって、株が上がるらしいが、地震で犬が泣く、てなことにならないよう願いたい。

▲ 正月の地震は猫が飛んでくる


0106・土・出初式・

 いつものNHKマイ朝ラジオ情報である。1912年の今日、ドイツの地球物理学者、ウェゲナーが大陸移動説を発表した。およそ3億年前、南北アメリカ、ユーラシア、アフリカ、インド、南極の各大陸は巨大なひとつの大陸で、それが次第に分割して移動して今の形になったと唱えたのである。当時としては驚愕の学説ではあるのだが、ジグソーパズルのマニアなら一目瞭然。世界地図を見つめていれば自然に浮かび上がるアイディアかもしれない。ということはジグソーパズルはずいぶん昔からあったのです。小学生低学年のボクでさえ、「世界の不思議」というような児童図書の口絵でその図解を目にした途端に納得したのを覚えている。

 1968年の今日、大相撲初場所の番付評でハワイ出身の高見山が外国人力士として初の入幕を果たした。東前頭9枚目となり、大相撲の国際化の幕を切ったのである。めでたいことと喜ぶべきことなのかもしれないけれど、振り返ればそれが本当によかったのかどうか。日本の相撲は相撲。国際的な相撲は相撲オリンピック。その方がわかり易かったんじゃないのかな。相撲とスポーツの決定的違いは相撲は大きいのと小さいのが全力でぶつかり合うところ。体重制限なんか導入したら面白くないのである。プロレスはわくわくするけれど、アマレスは面白くないもんね。

 日本人が初めて南極点に到達したのは1968年のことである。日本の南極探検隊、意外とのろたらしてたのだ。南極探検の記録映画の記憶って、小学生のときで、この1968年てのはボクが成人した年のこと。ということは小学生のボクが昭和基地で待っていると、成人したボクが南極点到達を知らされる、ということになるのかな。ならないのかな。とにかく驚いたのは南極点って、そんなに大変な場所にあるってことなんだ。と思っていたら現在、単独無補給でひとりの日本人男性が100キロのソリを引いて南極点に歩いて向かっているということを少し前に書いたことがある。この人、冒険家の荻田泰永(おぎたやすなが)さん。同じことをまた書いてしまうけど、この荻田さん、これまでも同じように単独無補給、徒歩による北極点到達に何度も挑戦していたのだが、北極の氷は海に浮かんでいて、何度も落っこちているので、北極はあきらめて大陸の上にある南極点を目指したというのだ。この人、海外旅行は北極と南極にしかいったことがないという珍しい人。よほど夏がお嫌いであるらしいから一刻も早く南極点にたどり着けることをお祈りしてます。と、ここまでは既に書いたことだけど、その荻田泰永(おぎたやすなが)さんがとうとう南極点にたどり着いたのだ。よかったね。で、この人物を自分の番組で紹介した久米宏さんが早速南極に衛星電話で語りかけた。そのインタビューでは驚くことばかり。南極点はじっとしてないということ。南極点には既に米国調査隊の立派な建物があること。で、この荻田さんは飛行機に乗って直ちに帰国するということで、南極点と成田空港には直行便があったことにも驚かされたのだけれども、歩いていくのは大変な南極点から一足飛びに帰国された荻田さん、帰国後の1月27日の土曜日、この番組、「久米宏のラジオなんですけど」に登場することになっている。楽しみなことである。

▲ 南極点出たら出たまま初日の出


0107・日・七草・

 1989年、昭和64年の今日、昭和天皇が崩御された。翌日から元号は平成となり、昭和という時代が幕を閉じる。そう。この日はボクら昭和生まれの世代には忘れられない一日となったのだ。ボクはコボちゃんとその最後の数時間を一緒に酒を飲んで過ごした。日付が変わる瞬間、そのボクの何ともいえない気持ちを果たしてコボちゃんが理解してくれていたかどうかは不明である。時報を告げるアナウンサーの声が震えていたっけな。

 名著「君たちはどう生きるか」がベストセラーになっていると聞いて欣喜雀躍、狂喜乱舞している。吉野源三郎原作のこの本。失明直前で苦悩の真っ最中のボクが救われた一冊である。失明を宣告され、その運命から逃れられないと諦観したボクが、その運命を待ち構えていた恵比須時代、NHKFMで流されていたこの書物の朗読を偶然耳にして、それから最後まで聴き通したのである。「君たちはどう生きるか」は失明後のエッセイ「夢宙船コペル号」の執筆にヒントを与えてくれた一冊となっていく。サピエ図書館で検索したところ、ワイド版岩波文庫の「君たちはどう生きるか」がヒットしたので早速ダウンロードして読み始める。ありがたいことにこの原本は1937年刊行のオリジナル版。都電は市電だし、山手線は省線となっている。国鉄でなく、鉄道省の省線なのである。33年ぶりの再読であったが、読み始めた途端、当時の感動がたちまちのうちに蘇る。この書物は1937年、少年少女の健全なる育成を志して刊行された日本少国民文庫を締めくくる一冊で、ファシズムに投じられたヒューマニズムの一石(いっせき)。若い人たちに健全なるコモンセンスとは何かを伝える見事なる文学作品である。この書物が日中戦争の真っ只中、軍国主義の勃興で言論が弾圧されている時期、ヒトラーやムッソリーニによるファシズム全盛の時代に「真実一路」や「路傍の石」の文豪、山本有三によって企画されたことの重要性は大きい。正に今、安倍晋三やトランプのようなまっとうでない政治家、欲望ロボット、野望ロボットが跋扈する時代に、この書物が百万部を突破する意味は大きいと思う。欲望ロボット、拝金主義者が世界の運命をにぎっているこの21世紀に、今後も読者を増やしていくことを心から祈りたい。

▲ 新年や昔の本を読んでます




2017年12月25日~31日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。

◆ ウィークリーフレーズ 今週の言葉です

あなたが愛しただけ 世界もあなたを愛してくれる

 もしもあなたが幸せならば、あなたはそれだけの人なのです。ギブアンドテイク、ということではありませんよ。宇宙はあなたに何の義理もありませんから。


1225・月・クリスマス・

 救世主の誕生日とは何の関係もない話しですが、女性のシャツのボタンが左側なわけを初めて知りました。昔、シャツは高貴な女性の衣装で、自分で着ることはなかったそうです。着せてもらって、そしてボタンもはめてもらってたんです。そして召使はたいてい右利きです。となれば当然、女性のシャツのボタンは左側、ということになるのだそうです。

 今度はクリスマスと縁のある話題である。驚きのクリスマスプレゼントである。熊本の知人から晩白柚(ばんぺいゆ)という巨大な果実が届いたのである。晩白柚。初めて耳にする果物だが、熊本特産の幻の果実といわれる超巨大な果実である。一抱えもあって、サッカーボールか、ドッジボールか、それともピーターパンに出てくる真っ黒で丸い海賊の爆弾じゃないのかと思えるほどのボリュームである。抱えてみると予想にたがわず、やっぱりこれがずっしり、重さは2キロは下らない。これでおいしくて保存性が高いというのだからスゴイ。まさに果実の王様である。驚天動地のクリスマスプレゼント、ありがとうございました。

▲ 鳴き交わし烏も急ぐ師走かな


1226・火・上弦・

 2004年の今日、インドネシアのスマトラ島沖を震源にマグニチュード9.1の巨大地震が発生、大津波が多くの人々の生活を襲った。このインド洋大津波はインド洋に面したアジア各国やアフリカ東部を襲い、日本人42人を含む22万人を超す死者行方不明者の犠牲者を生み出した。実はこの日本人の被害者というのは、その昔、お世話になったことのある健康道場のメンバーも含まれていたらしい。そしてこの年はアリーナが虹の橋を渡った年。悲しみに沈んでいる頃の大惨事だったので、ボクにとっても忘れられない出来事となっている。

 NHKラジオ「天使の作り笑い」で晩白柚(ばんぺいゆ)のことが話題になっていた。驚きの果実を手にした翌日のことだから、その言葉が頭の中でこだまとなって反響した。パチンコでフィーバーしてるときの「蛍の光」みたいに鳴り響いたのだ。ま、話題にするに充分価値のある果物です。

 ヘリコプターの発着機能のある護衛艦「いずも」に空母改装計画があるという。ヘリコプターが飛ばせるといって、空母に改装するのにはかなり無理がある。そう思っていたら、搭載するのはF35B。垂直離着陸機能のあるステルス攻撃機であるという。航続距離は2千キロ。船で運んで飛ばしてやれば、かなり広範囲に対して反撃ができる、というわけだ。ボクは平和主義者だけど、この企画、いいんじゃないかと思ってる。防衛なしの平和は考えられないし、専守防衛だからとて反撃能力が不必要ということはないだろう。それを抑止力とする議論なら、やって構わないと思ってる。どんどんやってください。といっても、勝手な憲法改正議論は論外ですけど。

▲ 長火鉢空母欲しがるおじいさん


1227・水・

 昨日も今日も寒さの話題、大雪の話題ばかりである。北海道留萌では波と風とで灯台がひとつ消えてしまったとか。灯台の明かりが消えたのではない。灯台そのものが消えてしまったのである。停電とはわけが違うのだ。TBSラジオ「スタンバイ」の遠藤泰子アナウンサーからホワイトアウトなんて言葉も飛び出して、背中を冷たい手で撫でられたような気になっている。ホワイトアウト。首から上が吹雪で、首から下が巻き上げられた粉雪というような、どこもかしこも白い世界、という状況なのである。そういえば、ボクも真冬の北海道でそんな光景を目にしたことがあるよな。マイナス15度の雪原で爆走する蒸気機関車を追いかける。腰まで雪に埋まって、真っ黒なデゴイチをムービーカメラのファインダーで追跡する。あのとき、本当は危なかったのかもしれないのだ。好きなことのためには命もいらない。そんな熱い時代があったんだよね。

 1979年の今日、クーデターの発生したアフガニスタンにソ連が侵攻、アフガニスタンにソビエト寄りの新政権が誕生した。世界情勢は一気に緊張。翌年のモスクワオリンピックをアメリカがボイコットすることになる。もちろんアメリカに頭の上がらない日本は同調して、つまらないオリンピックになってしまった。アスリートたちもえらい被害で、もらえるはずの金メダルが取らぬタヌキの金メダルとなってしまったのだ。彼らも国家エゴイズムの被害者なのだ。

 毎週水曜日、透析中にボクはオリジンのカツカレーライスを食べている。揚げたてのトンカツにスパイシーカレー。このコンビネーションが抜群なのだ。毎日だって食べたいのだ。食べられるのだ。そういう事情で透析室のスタッフにあきれられるほど水曜日のお定まりメニューになっているのだ。もちろん揚げたてホヤホヤ、できたてホヤホヤのカツカレーライスが食べられるのは透析室からオリジンまで買いにいってくれて、そしてとんぼ返りしてくれるコボちゃんのおかげである。ありがたいことである。なんだけど、仲良しの透析患者さんからはカレーテロといわれてる。他の患者さんたちはデリバリーのお弁当を食べているのだが、これが高くてまずい。冷たくなったママゴトみたいな惣菜と、保温器で運ばれた御飯。これでできたてホヤホヤのカツカレーライスよりも高い料金を取るのだから腹が立つ。そこでコボちゃんのデリバリー、ということになったのであるが、その分だけ時間がかかるから、みんなが食べ終わったタイミングでボクのスパイシーカレーが匂い立つ、ということになってしまい、患者さんとスタッフたちの余分な食欲を刺激しているらしいのだ。香辛料ブームなのかもしれない。パクチーだけ食べさせるレストランがあると聞いて、日本人はますますオッチョコチョイになっていることを確信する。

▲ いらっしゃい湯気で眼鏡が曇る夜


1228・木・官庁御用納め・

 東京オリンピックを2度もやる必要があるとはとても思えないんだけど、リニア新幹線が本当に必要なのかどうかも疑わしい。トンネルばかりを時速500キロですっ飛んで、人間ダストシュートじゃあるまいし。今だって時速300キロで運ばれてるんだから、急ぐ人は飛行機に乗ればいいじゃない。空からの景色も楽しめるし。とにかく、リニアモーターカーなんか馬鹿みたい。それで儲けるやつらは儲ければいいけど、ボクはちっとも乗りたいとは思いませんね。

 NHKラジオ、今週の「昼の憩い」の音楽は宝くじの歌。次から次へと宝くじの歌がかかっている。様々な歌手やユニットが宝くじへの夢とあきらめを歌っていく。こんなに宝くじの歌があったんだ。さすがNHKの音楽スタッフ、アーカイブス。RCサクセションもよかったけど、ブルースバンドの憂歌団(ゆうかだん)が秀逸。とにかくカッコいいのだ。歌も演奏も抜群なのだ。面白いのだ。どんな選曲になるか予想もつかないのでこの「昼の憩い」は聞き逃せない。「昼の憩い」といえば、全国リスナーからの投稿がこれまた愉快。若い頃は、こんな田舎の話のどこが面白いのかと馬鹿にしていたのが、人間はその年齢にならねばわからぬことばかりで、ジジイいになって本当に喜んでいるのである。本日の投稿は心やさしきカントリーボーイ、ジョギングおじさんから。野原の路を走っていたら4匹の瓜坊、イノシシの赤ちゃんたちと遭遇したという。朝のジョギングでの出来事である。トコトコ、トコトコ、実に可愛らしい。瓜坊たち、驚いて3匹は逃げたが1匹だけはそのままトコトコ、別の方向へ逃げ出した。おいおい、そっちは違うよ。お母さんもそっちにはいないと思うよ。そこでジョギングおじさん、とことこ走る瓜坊を追いかけ追い越し、先回りして通せんぼ。方向転換をさせた。そこで迷子の瓜坊、兄弟のいる方向へやっと戻っていった。というエピソードである。コボちゃんも北軽井沢で瓜坊を目撃しているけれど、本当に可愛いといっている。姿も形も違う生き物ではあるけれど、同じ哺乳類、脊椎動物同士、仲良くやっていけるはずなんだよね。

▲ フリーター御用納めも仕事する


1229・金・大納会・

 本日のトップニュースは帰省ラッシュのこと。そうなるといよいよ年の瀬である。アメ横の買物ラッシュのニュースもそろそろだろう。コボちゃんも年末のお休みで、ボクの羽根布団を屋上で干してくれたので、今夜はふかふかお日様の香りに包まれて眠れるんだい。わーいわい。

 前回、水曜日の透析からの帰り道、右の手袋がポケットからなくなっているのを発見、ガッカリしてた。お気に入りの革手袋だったのだ。買えば1万円は下らない品物だったのだ。もらったんだけど。値段が高いからじゃなく、ずっと愛用していたので落胆してるのだ。今日も病院のどこかか、それともアウトバックの座席にでも落ちていないか捜してみても見つからない。そしたらラッキー。ヘッドライトに浮かび上がった駐車場に捨てられた子猫か、もしくは忘れられた革手袋らしき影が孤独に丸まっているのをコボちゃんが発見、手袋であることを確認した。どんな風に落としたのか皆目見当がつかないんだけど、アウトバックの下に泣きもわめきもせず、黙って転がっていたらしく、そのまんま放置されていたのだ。透析にいってる間も転がっていたので、誰かの目にとまったことは間違いない。要するに片方だけの手袋はそれがどれだけ高級品であろうと、拾って持ち帰るほどの魅力に歯欠けている、ということなのだ。というわけで、左の手袋はまたまた相棒とコンビを組んで仕事に復帰したのである。

▲ 手袋や別れて出会い再デビュー


1230・土・

 土曜日の朝はNHKの「ラジオ文芸館」で始まるはずだったんだけど、今朝は鉄道特別番組で始まった。というのは1927年、昭和2年の今日、東京の 上野浅草間に日本最初の地下鉄が開通、早朝から多くの市民が押しかけ、この日だけで10万人が利用したという、その日から今日がちょうど90年目の朝であるからだ。内幸町の社宅で暮らした永田町小学校と麹町中学時代、地下鉄銀座線は新橋と赤坂見附間を通学でお世話になった懐かしい黄色い車体である。駅のホームに滑り込む直前、車内が暗くなる瞬間があって、その時間と空間が好きだった。ほんの一秒か二秒だけ蛍光灯の冷たい光が黄色い非常灯の明かりに変わり、 この世とあの世の扉が開いて、乗っている乗客の本当の姿が見えてくるのだ。耳の先端がぐんぐん伸びて、閉じられていた血走った目玉が開き、隠してある巨大な牙がむき出され、鋭い爪が光り出す。そんな気がしたのだ。けれども、あの素敵な瞬間はもう存在しないという。あれは昭和2年の貴重な遺産だったのだ。

▲ もういくつ鳴くと正月烏の子


1231・日・大晦日・除夜の鐘・

 朝の8時から東京では初雪がちらつく。散歩に出たコボちゃんはアルルの背中に白い物がちらばっているのを発見。フケかと思ってよく見るがそうではない。黒井背中に白い物だから目立つのだ。でも、それが雪だと気が付くのには少し時間がかかったらしい。それくらい唐突な雪だったのだ。大晦日の初雪というのは130年ぶりのことだという。ま、早くやんで、明日の東京都民の初詣や初日の出を邪魔してくれなければいいのだと思う。

 リンゴスターがナイトの称号を授かった。これまでの活動や功績を評価されてのことである。ビートルズとして、ドラマーとして、歌手として、そして俳優としてリンゴスターは天才的な才能を発揮してきている。ただ、彼の周囲があまりに偉大で、なかなかそれらが目につかなかっただけのことなのだ。一度でいいから、「ハードデイズナイト」や「ヘルプ」での彼の演技に注目してもらいたい。その非凡さに笑い、そして感動することだろう。それに歌だって悪くない。声だって美しいのだ。ドラムスだって、滅茶苦茶カッコいいのだ。ただ、ジョンやポールの素晴らしさが目立ち過ぎて、ただただリンゴは気の毒だったのだ。リンゴ、よかったね。

 大晦日の今日、東京の日の出は6時50分、日の入りは16時38分。最低気温は1度、最高気温は6度となっている。このまま紅白も無事終了し、朝鮮半島で戦争もなく、そして日本列島に巨大地震の発生のないまま、何事もなく新しい年を迎えたいものである。

 透析が終わり、ケータイを確認するとT氏親子から留守電にメッセージ。これから親子で 黒澤映画を観るという。今夜の出し物は「赤ひげ」で、若き日の二木てるみさんが楽しみだという。もちろん田辺さんは二木てるみさんがボクの仲良しであることをご存じなのである。

 1927年、昭和2年の今日、ラジオで初めての除夜の鐘が放送された。東京上野の寛永寺から東京管内向けの放送だったが、その2年後の大晦日には浅草の浅草寺の鐘の音が初めて全国に中継された。これが「ゆく年くる年」の始まりになるのかどうかはわからないが、素敵な企画だったと思う。
 さて、1953年の今日、NHK紅白歌合戦が始めてテレビで放送された。それまではラジオの正月番組だったのが、それからは年末の恒例番組として定着していくのである。このとき、我が家にテレビはなかったと思う。今夜はその紅白歌合戦なんだけど、今も我が家には地デジテレビがないのである。さて、ひろみ君もセーコちゃんもキーが落ちたし、声も落ちたし、なんかアイドルの化石みたいで気の毒な感じがしたなぁ。安心して聴いていられたのはきよしのズンドコ。ああいうシンプルな人がいいよね。安室奈美恵さん、皆さん見られてよかったよね。またまたひけらかしになっちゃうけど、実はボク、安室奈美恵のステージ衣装の余り切れでなくて、余り革で作ったポーチにプレクストークのためのステレオイヤフォンを入れて持ち歩いているのです。同じ建物のお隣さんが安室奈美恵のステージ衣装を縫製していたのです。これと同じ革で安室奈美恵の肉体を包んでいるのかと思うと、それなりの興奮を覚えたわけではありませんよ。声も好きだし、歌もお上手だとは思うけど、いくら紅白の最後に登場しても、どうも彼女が偉大な歌手であることにピンとこないのです。ボクは高橋真梨子がよかったな。彼女、ますます歌が素敵になってます。コボちゃんと結婚する前、一緒にコンサートにいったけど、あの頃とちっとも声が変わってないのです。見た目は知らないけれども、です。我が家の場合は地デジ以来、ずっとラジオでの紅白鑑賞です。だからボクはもちろん、コボちゃんも新しい人たちの顔は知りません。豪華なステージ衣装やカラフルダンスが見られない分、損してるのかもしれないけど、歌合戦なんだから、気にしないもん。あはは。

▲ 除夜の鐘黒澤映画親子酒




2017年12月18日~24日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。

◆ ウィークリーフレーズ 今週の言葉です

できるだけ 荷物は軽く
歩くのは 自分なのですから

 若い頃、手にしたい物は何でも手に入れられる気がしていた。努力すれば何でもできるようになれる気がしていた。けれども未来という時間が制限あるものとなった今、諦めねばならぬことばかり。大切なのは選ぶことだったのだ。
 学生時代、ヨーロッパ放浪の旅を目前にして、ボクは鵜の目鷹の目でデパートメントストアをうろついていた。これがあれば、あれができる。あれがあれば、これができる。そんな気がして何でも手に入れようとしていた。革製の水筒、サンダル。フォークとスプーンのついた万能ナイフ。ズームレンズつきのアサヒペンタックス。スライドフィルムを36本。オレンジ色のサファリジャケット。使い捨ての紙パンツが30枚。でもなぁ、どれも考えていたようには使えなかったよな。空想してたほどには必要なかったよな。みんな荷物になっただけで、旅の役には立ってくれなかったのだ。そんなことよりお金を節約すべきだったのだ。目的地はヨーロッパ。お金さえあれば、必要なものは現地で調達できるのだし、本当に何が必要なのかは現地でわかるはずなのだ。
 暮らしの中で、今は捨てることに一生懸命になっている。物がなければないほど、部屋は広く使える。そしてどんなに便利な道具も、どんなに高価な家具も、あの世には持っていけるわけじゃない。今のうちに本当に必要な人にバトンタッチした方がいいような気がするのだ。


1218・月・新月・

 本日の東京の日の出は6時45分。日の入りは16時30分。予想最低気温は1度、最高気温は9度ということになっている。ちなみに水戸では予想最低気温がマイナス2度、最高気温が9度。宇都宮がマイナス3度で予想最高気温が7度。いつもお世話になっている北軽井沢の所属する群馬県の前橋では予想最低気温がマイナス4度で最高気温が8度。元祖軽井沢の長野県の予想最低気温がマイナス5度で最高気温4度ということで、今年の師走は特別に寒いみたいです。以上、NHKラジオ情報を参考にしましたが、観測結果は東京の都心でマイナス0.2度ということでした。これって東京、今シーズン最初の氷点下ってことかな。寒いよぉ。

 これもNHKマイ朝ラジオ情報だけど、1914年、大正3年の今日、東京駅の開業式が執り行われたという。営業はその2日後で、東海道線の起点がそれまでの新橋駅から東京駅に変わった、ということだ。小学生のとき、初めて東京駅の構内に立ったとき、その大きさに驚いたものだったが、考えてみれば、歴史的価値のある建造物なんだよね。鉄道発展の証人みたいな存在なのだ。で、鉄道から道路の話に変わるけど、1997年、平成9年の今日、東京湾を横断する自動車専用道路、アクアラインが開通した。川崎市と千葉県木更津の間を橋と海底トンネルで結ぶ全長15キロのハイウェイである。その橋とトンネルをつないでいるのが海上施設の海ほたる。想像するだけで未来な感じのする建造物である。オッチョコチョイなボクはコボちゃんと盲導犬アリーナに引っ張られ、早速出かけていった。当初の通行料金はやたら高かった。そこを障害者割引で半額サービスという特権を利用させてもらったのだ。通行料が高いので海ほたるはガラガラ。貸し切りみたいな特権階級的な気分を満喫できたのである。ごめんなさい。今は森田健作君が値下げをしたとかで、かなり混雑してるという。今年で開通20年。森田健作県知事はあまり好かないけど、皆さん、千葉県発展のため、どんどん利用してあげてくださいな。千葉県、冬も温かい素敵な土地ですよ。

 長崎被爆者の訴えが拒絶された。被爆者認定を訴えていたところを敗訴したのである。考えればおかしな裁判だ。国が始めた戦争でアメリカが原爆を落っことして、それで被爆してしまったのに、国はその責任を認めないというのだ。爆心地から距離を測り、ここからここまでは被爆者、そこから外は関係ない。そういう線引きをしているのである。爆風とか放射能とかが、そういうお役所仕事をすると考えているのだ。馬鹿みたい。戦争を起こした張本人たちやその子孫は柔らかな絹の座布団にそっくり返ってるのに実際に戦争被害を受けた市民は塗炭の苦しみを舐めている。なのに、ほんの一部のスケープゴートは別にして戦争責任者たちは何も責任をとってないのだ。平成も終わろうとしているこの時代、戦争をやたらしたがる政権を応援するのは勝手だが、彼らは何も保障してはくれない。そこは忘れない方がいいと思う。

▲ 遊歩道急ぎ足いく師走かな


1219・火・

 1968年の今日、日本人が初めて南極点に到達した。南極の昭和基地から出発した探検隊が、およそ2500キロの道のりを83日かけて踏破したもの。日本の南極探検隊、もっと早く南極点に到達してるものとばかり思っていたな。南極探検の記録映画の記憶って、小学生のときで、この1968年てのはボクが成人した年のことなんだよね。ということは南極点って、そんなに大変な場所にあるってことなんだ。すごいことなんだ。アムンゼンとかスコットとか、本当に偉大な人たちだったんだ。と思っていたら現在、単独無補給でひとりの日本人男性が100キロのソリを引いて南極点に歩いて向かっているという。この人、冒険家の荻田泰永さん。これまでも同じように単独無補給、徒歩による北極点到達に何度も挑戦している勇者なのだが、北極の氷は海に浮かんでいて、何度も落っこちているので、北極はあきらめて大陸の上にある南極点を目指したという。この人、海外旅行は北極と南極にしかいったことがないという珍しい人。一刻も早く南極点にたどり着けることをお祈りしてます。

「きゃーっ!シャンシャン、可愛い!!」
 ほとんど絶叫である。アホらしいとは思うけど、わかるような気もする。あの可愛さを目にしたら、誰だって虜になるに決まってる。本日はパンダの赤ちゃん、シャンシャン一般公開の初日である。46倍という難関を突破してゲットした観覧権利を、どうぞ心行くまで満喫してください。ボクもコボちゃんと、そのうちいきますから。でも、ネットでライブ映像が公開されてるから、目の見える人たちは、しばらくはそれでガマンしてくださいな。本物でない点だけガマンすれば、じっくりと見られるじゃありませんか。

 米軍ヘリが普天間第二小学校の校庭に窓枠を落っことしたばっかりなのに、この事故と同じタイプのヘリコプターの運転がたちまちのうちに再開された。これって、もしかしたら戦争が近いのではないのかな。そんな心配をさせるくらい、最近の米軍はバタバタしている印象です。

「クリスマスなんかこない方がいい」
 シングルマザーの3割がそう思っていると聞く。我が子に、
「うちにはね、サンタクロースなんかこないのよ」
と告げる気持ちを考えるとたまらない。なのに役所はソンタクロースだらけ。国はますます生活保護の規準を引き下げ、貧乏人を締め上げる。なのに、様々な理屈を捏ねて重箱の隅からでも税金をかすめ取る。税金徴収の親玉って、森友学園に土地を安く売却して、その証拠種類を捨てちゃったやつじゃなかったっけ。ずるいやつらや嘘のうまいやつ。や寄らば大樹の陰。長い物には巻かれろ。そういう人たちしか安穏に暮らせない。そんな世の中でいいのだろうか。ふざけんな、馬鹿野郎。

▲ バイトでもいいからサンタつれてこい


1220・水・

 昨日の出来事である。山陽新幹線岡山駅で小型犬が新幹線ホームで逃げ出して列車を止めちゃった。このワンちゃん、キャリーケージから逃亡して線路に落ちて逃げ出した。それを駅員が追跡して大阪方面へ4キロいったところで発見したが再び逃げられて行方不明にしてしまう。仕方がないから山陽新幹線は今朝は通常運転されるという。このワンちゃん、よっぽど新幹線が怖かったんだろな。
 その昔、盲導犬アリーナが新幹線ホームで待機していたとき、その目の前を猛烈なスピードで、まるで超音速ですっ飛んでる胴長(どうなが)のドラゴンみたいに新幹線が走り抜けたとき、アリーナが固まって、しばらくは動けなかったことがある。ワンちゃんもビビる新幹線だが、ここんとこ、この新幹線、安全神話も崩壊寸前で、国民みんながビビってる。
「異臭はするが異常はない」
という報告に東京の輸送指令が運転続行を判断したのには驚き桃の木山椒の木。異臭というのは異常があるから発生したのに決まってるじゃんか。異常発生した過剰な熱で油が焼けたに決まってるじゃんか。台車は破断寸前だったという。作り方が悪いのか、それとも材料がお粗末なのか、それとも維持管理が正しくないのか。とにかく原因を徹底的に追及してもらいたいと思う。でないと怖くて乗ってられません。ボクは最近あんまり乗ってないけど。

▲ 新幹線そんなに急いじゃ寒かろう


1221・木・

 満月にはまだ遠いけど、狼男の全力疾走で「しじまのうた」のイラストレーションを完成させる。コボちゃんも狼女のフルパワーで彩色をサポートする。間に合った。待ち合わせ場所の経堂駅中喫茶店、エクセシオールにいくと担当の女性編集者の他に男性がふたりボクを待っていた。月刊ラジオ深夜便の編集長とデスクである。うわ、やだな。来月の締切が年度末だから、もしかしたら13年続いてる連載の卒業かな。クビになるのかな。そう思ってドキドキしてたら編集長が、
「4月から好きなことを書いてくれませんか」
といってくれた。なんとなんと、新連載の依頼である。エッセイ執筆の依頼である。思わず涙が出そうになる。嬉しかったのだ。ずっとエッセイの連載が欲しかったのだ。頭が雑だから、雑文にはピッタリなのだ。もちろん絵もかかせてくれる。嬉しいなぁ。力いっぱいやらせてもらいます。

 姑息な総理大臣をのさばらせているということは日本人が姑息になってしまったということではありませんか。安全性に問題のあるエレベーターが1万台。これ、あの有名メーカー、日立の昇降機のことなんです。皆さん、日立のこと、信頼してましたよね。なんせ、この国を防衛する戦車を作るメーカーですもんね。それから安全神話の代名詞だった新幹線の台車に亀裂が発見され、それも破断寸前の状態で見つかったのも衝撃でした。おまけに異常があるのがわかっているのに運輸司令部は運転続行を判断していたというんですから不安はますます膨張するばかり。次々に発覚する自動車メーカーの不祥事。三菱マテリアルの製品データ捏造。日本企業のこの姑息さはどうしたことでしょう。でも仕方ありません。なんせ、国の頂上に姑息さの代名詞みたいな総理大臣をのさばらせているんですから。一度でいいから国会中継を覗いてみてください。たちまちそれがわかります。

▲ どこまでもあとつけてくる冬の鳩


1222・金・冬至・

 いよいよ冬至である。一年間で最も昼間の短い一日である。そしてこれをピークに明日からは次第に昼間が勢力を挽回してくる。お日様がそのイニシアティブを主張しにかかることになる。そしてそれを祝うのが太陽復活祭であり、その進化した形がクリスマスなのである。誰でも太陽がなければ生きていけないし、イエスキリストの存在なしで生きていけない人たちもいるのである。とにかく、明日から春に向かってスタートなのだ。レッツゴー。

 コボちゃん公認、麗しの第二夫人、猫姫様よりまたまた楽しいメールが届く。ご本人のご許可をいただけたのでここに転載いたします。カモメの話なんだけど、カモメにはいろいろと思い出があります。雀と同じように人の暮らしに近い生き物だと思います。学生時代、釣り船に乗っていて、ボクの生き餌にカモメが食いつき、そのまま空中へ舞い上がったことがありました。そのカモメ、鳥なのに釣られてしまったのです。糸をたぐり寄せてカモメを捕え、クチバシから釣り針を外してやるのですが、これがほとんど格闘。鋭いクチバシでつつかれて、こっちも傷だらけ。足でその翼を踏みつけて、やっと釣り針を外してやったのですが、それを見ていた船頭さん、手荒いことをするなとばかり、ボクに厳しい目を向けていましたっけ。そうなんです。漁師さんたちにとってはカモメは商売仲間。魚群を知らせてくれるパイロットなんですよね。と、ボクのトリビアはここまでにして、以下は第二夫人のメールです。そのまんまの転載です。

題名: かもーん、かもめ

師走ですね。
毎日が慌ただしく、実感ないままの年の暮れです。
先日、やっと「騎士団長殺し」読みました。
面白かったけど、疲労困憊の時節だったゆえ、再読出来ず残念です。
わたくしは読むのが速いのて、いつも、お気に入りはすぐ再読するの。牛の反芻のようなもんです。
「騎士団~」は大好きな「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」にちょっと似ています。
さて、最近、かもめに残り物のパンなどを徹夜明けのハイテンションなノリでばら蒔きに行ってきました。
もう、もう、すごいよ。
かもめ!!
最初は足元を地味に歩いている鳩ぽっぽに、おすそわけしてたのだけど、3分もしないうちに、かもめの集団がカツアゲに襲来しました。
至近距離でボバリングしながら、「食わせろよ!!早く、しやがれ」と叫ぶギャングたち。
なんか、「メアリー.ポピンズ」を思い出してしまいました。
ありゃ、かもめじゃないけどさ。
まあ、かもめはお行儀悪いですわ。
にゃんて、人間に言われたくないよね。
地球に対して、お行儀悪いどころか、狼藉を働いてるのは、こちらだもの。
では、では。猫ジャンキーより。

メールはここまでです。猫ジャンキーと書いているのは、自分で自分を猫姫とは書けないからでしょう。いつも愉快なメールをありがとうございます。

▲ 北風に負けるな鴎ホバリング


1223・土・※天皇誕生日・

 1958年の今日、東京タワーが開業された。高さ333メートルでパリのエッフェル塔を抜く、当時世界で最も高い自立鉄塔であった。でも今はスカイツリーにも負けちゃって、電波のお仕事も取られちゃって、もしかしてあんまし元気ないかも。でもね、スカイツリーよりも東京タワーの電波の方がずっと上品でしたよ。そんな噂も聞こえてきます。背が高ければいいってもんじゃない。ラジオ君がそういってます。

 クリスマスイヴイヴである。そして今夜はきむらゆういち絵本講座の特別授業とクリスマスパーティー。いつものように絵本講座のレンジャー吉沢とジローさんコンビがクルマで迎えにきてくれる。このジローさん、お若いのに坂上次郎のギャグ、
「飛びます、飛びます」
を知っているというのだ。さすがコント55号。すごい威力です。
 本日の絵本講座の特別レクチャーの講師は上野明雄さん。評論家の野上暁氏である。彼は小学館の学習雑誌「小学一年生」、あのピッカピッカの一年生の編集長だった人で、ボクもきむらゆういちもさんざんお世話になっている。今回のレクチャーもきむらゆういちの誘いを受けての参加である。じつはこの特別レクチャー、昨年の講師はエム ナマエでした。わはは。
 会場になってるきむらゆういち宅に到着すると、絵本講座の専任講師、宮本えつよしさんがしきりに料理の指図をしている。特別授業が終わればクリスマスパーティーになだれ込むのだ。この人、絵本制作だけでなく、料理も得意だったのだ。
 上野さんのレクチャーはボクにとっては退屈なものだった。なぜならば、このレクチャー、主役はモニターに映し出される映像だから。ま、絵本の授業だから、それも仕方ないかもめ。あ、ちゃうちゃう。かもね。
 パーティーになると絵本作家の篠崎三朗(しのざきみつお)先生が飛んできてくださる。篠崎先生は1937年生まれの、ボクより11歳もお兄さん。どんなパーティーでもいつも真っ先に声をかけてくださる。篠崎先生は世界的絵本作家の杉田豊先生のお弟子さんで、ボクも学生時代から親しくさせてもらっている。となると、お付き合いはもう50年に近いということになる。わぁ、お互いずいぶん長いこと絵描きをやってるよな。
 絵本講座生の面々が次から次へと自作絵本の朗読をする。レンジャー吉沢のモグラの発明家、モグトル博士の物語には笑った。段ボールのロボット、スーパーヒロシ君と、ペットボトルのロボット、ウルトラヒロシ君の爆笑絵本なのである。文字通り、ボクは馬鹿笑い。爆笑させてもらいました。
 次から次へと絵本講座の生徒さんたち、といってもそれなりの年齢のお嬢さんたちがボクのところにやってきてあれこれおしゃべりをしていく。なぜか22歳の絵本講座生、アリサちゃんが最後まで話し相手をしてくれて面倒も見てくれる。きむらゆういちと絵本の打ち合わせはできなかったけど、そんなもん、電話ですればいいのだ。ということで、おいしいコーヒーをいただいてから、再びレンジャー吉沢の運転するクルマで無事帰宅。ありがとう。今夜も愉快な集まりでした。

▲ 年忘れ股の間の缶ビール


1224・日・クリスマスイヴ・

 1968年の今日、アポロ8号が月の周回軌道に入り、月面の生中継を実行した。人類は月の裏側をリアルな映像で目にするわけだが、月の裏側はソ連の月探査船ルナ3号が1959年10月に撮影に成功しており、それぞれ特徴ある地形にはソ連の天文学者たちが勝手にロシアンネームの地名を命名してしまっているので、この出来事の偉大さはそこではないのだ。真の偉大さは宇宙飛行士を乗せた宇宙線が人類史上初めて地球周回軌道を脱出したことにあるのだ。そのことにより、人類はその誕生後、初めて地球まるごとの映像、地球儀でない、本物の地球の姿を手に入れたのである。漆黒の宇宙に浮かぶ青い宝石。陸地の形や海の石蓴や大洋に浮かぶ渦巻く白い雲たち。それはこれまで、どんな空想科学映画も描くことのできなかった本物の地球の姿なのである。月面からの地球の出を目にしたときの感動をボクは今も忘れることができない。この地球まるごとの映像こそ、人類への最大のクリスマスプレゼントとなったのである。この瞬間、地球ごと人類を考えるという地球教が幕を開けたのである。

 百田尚樹の「カエルの楽園」を読了。爆笑しながらなんとか読み終える。といっても、これはギャグ小説ではない。寓話小説なのである。作者が熱血漢であることは容易に想像がつく。この人の作品では「海賊とよばれた男」を大変面白く読んだことがあり、作家としての評価はボクの中では決して低くはない。ただ、普段の言動があまり愉快ではなく、「海賊とよばれた男」以来は一度も読む気になれなかったところが、この作品の評判を偶然耳にして、ちょっとばかり読む気になったのだ。ボクの好きなカエルたち。アマガエルやツチガエルが登場人物たち、という点にも注目した。水上勉の「ブンナよ木からおりてこい」を読んだのは確か昨年のことだったけど、あの主人公のブンナもツチガエルだったよな。ツチガエルは別名イボガエルといって、我々に馴染の存在である。そしてこのイボガエルが平和に暮らしている国家が「カエルの楽園」ではJapanの裏返し、ナパージュとなっているのだ。そしてこの平和な楽園が隣の薄気味悪い沼に住む凶悪で巨大なウシガエルに襲撃されるという寓話なのである。もうこれだけでこれが日本と中国のメタファーであることは誰にでもわかってしまう。一読すれば、登場人物から設定まで、どれが何を意味するかは新聞を読んだことのない中学生にでもピンとくるという仕組みで、寓話に化けた洗脳所、赤いキツネと緑のタヌキ。どこかにアベちゃんぎつねが見え隠れしてて、寓話というほどのこともないところが笑わせてくれるのである。とはいえ、これを警告書と受け取る人も少なくはないと思う。今の極東を考えれば中国や北朝鮮を安全な国家とはだれも考えないし、自衛隊を必要ないと考える日本人は誰もいないだろう。ただ、だからといって憲法を改悪していいことにはなってこない。専守防衛の自衛隊でも平和憲法の日本国は守れるはずなのです。巡航ミサイルや水力離着陸攻撃機搭載空母での敵地反撃能力を保持しても、平和憲法の下で我が国は守れるはずなのです。現行憲法の理念はそんなに薄っぺらではありませんよ、ネトウヨの皆さん。さぁ、ことしも平和にクリスマスを送りましょう。

▲ この年もこのままそっとクリスマス




2017年12月11日~17日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。

◆ ウィークリーフレーズ 今週の言葉です

下り坂と 上り坂
どちらも数は 同じだけ

 若かりし頃の話である。父親は自分が楽をしたいからボクを徹底的にしごいた。偉くなって俺を左団扇に暮らさせろと努力の人間に鍛え上げようとした。もちろん父親の偉くなれという意味は高級官僚になれ、ということで、イラストレーターや物書き
のことではない。つまり、今の自分は父親の期待を裏切っているわけで、とはいえ、父親に
「勉強は自分のためにするもんだ」
と繰り返しいわれてきたことがすべて嘘で、自分は父親を楽させるために勉強しているのだと目が覚めて以来、この裏切りは予定の行動ではあるのだが。
 そういう人間ではあったが、この父親、たまにはいいことをいう。宝石のような格言もいう。その中でよくも悪くも最も記憶に残っているのが
「苦あれば楽あり。楽あれば苦あり」
というものだった。ま、こういうことをいうってことは、父親は楽をすることが人生の目的だったということだが。
 さて、上り坂が苦であるならば、下り坂は楽、ということになる。丘の頂上に家を建てた男はお出かけのときは楽で、家へ帰るときは苦ということになり、だんだん家から足が遠くなり、他の家に女を作る、ということになるかどうかはわからない。それは男の趣味の問題である。
 地下鉄に乗っているとき、照明の下に浮かび上がる様々な顔の、どれが上り坂の人で、どれが下り坂の人なのか、観察すれば暇つぶしにはなるかもしれない。でも、人によっては上り坂が好きな人もいて、そういう人たちのことをマゾといったりする。疲れているからといって不幸とは限らないのである。
 さて、この上り坂と下り坂、どちらも数は同じだけ、は受け取る人の好み次第で意味は様々である。そしてその意味合いはその人の生きてきた過程に大きく左右されるのである。上り坂を楽しめる人は下り坂を恐怖するだろうし、下り坂が楽しみな人は、今の上り坂を苦労ととらえるだろう。どっちにしろ人生はプラマイゼロ。プラスだけの人生も、マイナスだけの人生も存在しない。いいも悪いもなく素直に生きていければ、それでいいような気がするのである。


1211・月・

 本日の東京の日の出は6時40分、日の入りは16時28分。予想最低気温は5度、最高気温は16度である。16度というのは温かくて助かるけど、年越しまであとどれだけ寒くなっていくことか。やだな、寒いの。

 1957年、昭和32年、ボクが9歳の年の今日、100円硬貨が誕生した。硬貨として当時の最高額面の発行である。初めて手にしたとき、その銀色の輝きは子どもの自分に無敵の輝きに思えたものだった。なんせ、それまでは穴あきの50円玉が王様だったのだ。といっても、大きな方の50円玉である。ちんけな方の50円玉ではない。100円玉が登場する前は、あの大きな50円玉が文字通りでかいツラをしていたのである。そのデカイ50円玉がぴったり10枚入る透明プラスティックの貯金箱があって、いっぱいになると500円。その500円があれば目玉を光らせてノッシノッシと歩くブリキのロボットも、ピカピカ光線銃も買えたのだ。だから50円玉がもらえるということは、ロボットや光線銃まで一歩だけ近づけた、ということだったのだ。

 昼寝をしようと思ったら、遊歩道で小さな子供の声がする。滅茶苦茶なきんきん声。ソプラノなんてもんじゃない。殺人音波兵器に採用したいくらいの高周波なのである。それが遊歩道を右へ左へいったりきたり。連れているのは誰だろう。誰でもいいけど、あなたにとってはその可愛い声も、こっちにとってはただの迷惑、超雑音。何とか黙らせてはもらえませんかね。

 今夜のラジオ深夜便、「暮らしの頼り」はボクの大好きなレポーター、山形県戸沢村の最上川船下りの船頭、古瀬イツ子(ふるせいつこ)さん。このおばさんの語りが秀逸なのだ。どんなに訛っていて、いってることがわかんなくても、それはラジオ深夜便の山川アンカーが通訳してくれるから安心。なんせ山川さんは喉自慢の司会者だったから、全国の放言に精通しているのである。このおばさん、昭和30年生まれというから、ボクより7歳年下。とはいえ、船頭さんをやるにしてはちと高齢だと思うんだけど、いつもお元気で仕事を楽しんでおられる。春は新緑、夏は青葉、秋は紅葉、冬は雪見船と、最上川の舟下りを報告してくれるのだ。ということで、今夜も楽しませてくれて感謝です。

▲ 初雪や女船頭最上川


1212・火・

 NHKマイ朝ラジオによると1956年の今日、国連安全保障理事会が全会一致で日本の国連への加盟を決定したという。敗戦から11年、日本は80番目の加盟国になれたわけで、敵国だった日本がやっと仲間に入れてもらえたのだ。やっぱさ、戦争なんか始めるもんじゃないよね。
 1963年の今日、映画監督の小津安二郎さんが60歳でお亡くなりになられている。「麦秋」や「東京物語」などの数々の名作を生み出した監督の墓碑には「無」の一文字が刻まれているという。黒澤作品みたいにチャンバラはないし、ゴジラみたいな怪獣も出てこないし、やたら地味な作品だったから、目の見えていた頃の自分にはとても興味の持てそうもない作品で、残念ながら馬鹿な自分は小津作品を目にすることがなかったのである。けれど今はサピエ図書館の音声映画で小津作品を知ることになり、その世界に夢中になっている。何よりも戦争直後の誰もが貧しかった昭和レトロの世界に魅了されているのである。原節子(はらせつこ)の古きよき戦後言葉もまた懐かしい。近所のおばさんたち、みんなこのしゃべり方だったんだよね。もしも今、こんなしゃべり方をされたらじれったくてひっぱたいちゃうかもしれない。悪いけど。

 日馬富士や白鵬など、モンゴル人横綱の振る舞いに世間の耳目が集まっている。そこで過剰なるマスコミの反応についてTBSラジオデイキャッチが元大関の小錦に出演依頼をした。小錦八十吉(こにしきやそきち)。1963年、ハワイ生まれ。大関に昇進した最初の外国人力士である。横綱昇進のチャンスにも恵まれたが残念ながら認められることはなかった。そこで外国人力士にとっての品格とは何かで議論伯仲。品格を問題にされ、横綱になれなかった小錦ご本人は
「太り過ぎだったからね」
と笑っておられたが、レギュラーの小西コメンテイターに品格を言葉で説明してくれと迫ってもいた。もちろん、それは小錦と小西がちょっと名前が似ているからではなく、小西コメンテイターが同時通訳者であるからだろう。けれども小西コメンテイターがいくら英語に堪能でも横綱の品格について小錦にうまく説明できるとは思えない。そこには外国人と日本人の間を隔てる深くて大きな川が横たわっているからだ。言葉では越すに越せない深くて暗い川があるからだ。大相撲に外国人が参加することに異議を唱えるつもりはない。ボクはハワイからやってきた高見山も小錦も心から応援していたし、横綱になれなくて口惜しくてたまらなかった小錦に心から同情もしていた。小錦のファンとして、ボクも口惜しかったのである。なんせ、小錦はボクが顔を知っている最後の力士だったのだ。けれども白鵬や日馬富士に代表されるモンゴル人力士の勝てばよい、強ければよいという相撲観には賛成できないし、認めたくもない。そんな相撲に土俵の美学はないのである。横綱の本当の強さとは遅れて立ち上がり、自分より格下の相手を受け止め、それでもなお負けない強さでなければならない。横綱貴乃花はその本物の横綱相撲で22回の優勝記録を樹立している。その実績は白鵬の40階優勝の事実をはるかに超える偉業なのである。白鵬の、相手の出鼻をくじくようなはりさし、かちあげ、エルボーパンチ、ましてやネコダマシなんて、横綱のやることではないのだ。そこが貴乃花親方の許せないところに違いないのだ。今後、モンゴル人力士たちにその点を指導していけるような相撲協会であってもらいたいと思う。白鵬が今度また、初場所ではりさしやかちあげをやるようだったら、みんなでブーイングしてやればいい。別にモンゴル人力士だから許せないというのでは、もちろんない。ボクはモンゴル出身の照ノ富士も逸ノ城も応援してるし、貴乃花部屋の貴ノ岩も好みの力士なのである。

▲ この夜もまた小津映画見たくなる


1213・水・煤払い・

 1974年というと、ボクの最初の結婚の翌年のことであるが、その年の今日、この年のGNP、国民総生産が戦後初めてマイナスとなる見通しであることが判明した。いわゆる石油ショックで物価が急上昇したことが原因とされている。世間からトイレットペーパーが消えたのもその頃の出来事である。そしてその頃はボクもトイレットペーパーを求めてスーパーマーケットを走り回ったり、パチンコでタバコ代を稼いだり、いろいろと大変だったけど、ボクが売れないイラストレーターで低所得であったことと、マイナス成長はまるで関係がないと思う。当たり前だけど。

 普天間第二小学校の校庭に米軍ヘリの窓枠が落下した。生徒たちが活動している、その現場に危険物が落下したのである。許してはならない出来事なのである。そしてこの小学校、ボクが全校生徒に向けてお話しさせてもらった小学校なのである。2003年3月5日にボクは善行生徒に向けてお話したり、大きな黒板に絵をかいたり、講堂代わりの体育館に盲導犬アリーナを走り回らせたりして全校生徒との楽しい時間を共有したことがあるのだ。けれどもその間も上空を米軍の攻撃ヘリがいったりきたりする音が聞こえていた。そこでボクは黒板に羽根のはえたエレファント、エアファントの絵をかき、
「この飛行物体は爆弾を落としたりはしません。ウンコは落とすかもしれませんが」
なんて下らないギャグを飛ばしてみんなに馬鹿にされていたのである。あの頃の子どもたちも大きくなってしまったんだろうな。ボクは米軍基地の町に何年も暮らしたことがあって、その騒音被害をリアルに体験している。アメリカ兵とも親しくなって、いつも一緒に飲み歩いていた。米軍基地の重要性を認めるならば、そのリスクはすべての国民が分け合うべきだとボクは考えている。アメリカに国を守ってもらいたいなら、みんな喜んで自分の町に米軍基地を迎えるべきなのである。万歳、アメリカ軍。バンザイ、自衛隊。自分で鉄砲をかつぐつもりがないんなら、仕方ないじゃありませんか。

 してやったり。加計学園にソンタクロースがやってきた。サンタクロースじゃない。ソンタクロースである。こんな愉快なことをいってるのはTBSラジオ・デイキャッチの時事川柳の常連投稿者、まきしまようこさん。この人、このコーナーのお馴染みさんで、とてもクレバーな女性。これまでも何度もチャンピオンになっている。ソンタクロースとか自動忖度機とか、今年は忖度がらみで色々な言葉が生まれました。クリスマスなんかなければよいと考える母子家庭のお母さんが多くおられると聞くが、ソンタクロースでいいから、そういう家庭に忖度でないプレゼントを配り歩いてもらいたいものである。

▲ いつの日かアメリカ軍を煤払い


1214・木・

 1911年、明治44年の今日、ノルウェーの探検家アムンゼンが人類で初めて南極点に到達した。同じ時期に南極点に向かっていたイギリスのスコットよりおよそ1か月早い到達だった。話しは前後するが、この前の年、1910年の今日、日本人の操縦により初のテスト飛行が行われている。東京の代々木練兵場(れんぺいじょう)で日本の日野熊蔵陸軍大尉がドイツ製の飛行機を操縦したもので、まぁ、よくぞ飛んだというか、よくぞ飛べたものだと思う。どれだけ練習したのか知らないけれど、どれだけ高く飛んだのか知らないけれど、よくやったよな、と思う。南極点に達することも、機械で空を飛ぶことも、当時としては偉業だったわけで、それがこの時代、20世紀の始めということなのだ。と、20世紀生まれのボクは感慨深く思うのである。ちゃんちゃん。

 本日はT氏親子との望年会(ぼうねんかい)。親子といっても還暦過ぎと30歳を過ぎたご長男である。お父上とのお付き合いはかれこれ四分の一世紀。糖尿病患者のための専門誌で表紙を描かせてもらったり、その月刊誌で連載ノンフィクションやエッセイを書かせていただいたり、糖尿病協会や学会の主催の講演会やイベントで一緒に全国を走り回って糖尿病に関する啓蒙活動に貢献してきた相棒で、ボクが最も尊敬する人物のおひとりである。このご長男、一緒にニューヨークへいったときはまだ中学生だった。ボクのニューヨーク個展に母親に連れられて参加してくれたのだ。個展の飾りつけのときなど、あれこれアドバイスなんかもしてくれたっけ。それからずっと変わらずT氏ご一家とは家族の付き合い。この望年会(ぼうねんかい)も恒例になりつつあるのです。
 さて、約束の時間までギリギリのタイミングで千円カットに飛びこんで髪を切る。バッサリと切ってもらう。するとカットのおねえさんに、
「この髪の毛の多いところ、もっと切ってもいいですか」
なんて嬉しいことを聞かれて有頂天。半世紀ぶりに刈り上げなんてことを経験する。うん、スッキリ。これで夏まで大丈夫。と思ったらコボちゃんから、
「わっ、おかしな髪の毛!」
とけなされる。だって仕方ないじゃん。髪の毛の多いところ、なんておだてられたんだもん。で、間に合った。T氏親子と経堂駅改札口で無事に合流できたのだ。
 さて、クルクル寿司へ一直線。この回転奉仕式店舗、前から一度いってみたかったのだ。ところが着席したはいいけれど、タッチパネルの注文の容量がわからず、最初の握りが出るまで30分もかかってしまう。ああ、腹減った。と思ったら長男は既にしっかり食べている。タッチパネルなんか無視して、クルクル回ってくるのを次から次へと食べてりゃ、それでよかったんだ。手続きにこだわると目的が達成できないという、ああ、教訓になりました。こんなクルクル店舗はイヤだ。クルクル回るお寿司より、やっぱり腰の落ち着いている食い物がいいよな。ということになって馴染の焼き鳥屋、「鳥銀」に河岸(かし)を変える。やっぱり、
「おばさん、砂肝焼いて」
と声をかけて、熱い砂肝の串焼きが出てくるところがいい。アルバイトのおねえちゃんはオタオタしてたけど、うるさい音楽もかかってないし、うるさいガキどもも騒いでないし、やっぱややこしいデジタルメソッドでない、昭和レトロの本格焼き鳥はいいよね。釜飯も旨かった。お焦げも旨かった。鳥銀のおじさんおばさんも、お元気でよかった。盲導犬アリーナをウェルカムしてくれた心優しい焼き鳥夫婦。あの頃は盲導犬を歓迎してくれる店なんか、ほとんどなかったんだよね。ありがとうございました。というところで、みんな満腹、大満足。クルクル寿司で注文にもたついて遅くなってしまったから今夜のカラオケはおあずけ。また今度にいたしましょう。

▲ 釜飯やお焦げ親子で奪い合い


1215・金・

 寒くて朝からアルルをボクのベッドに寝せてやる。エアコンの暖房設定も25度にあげてやる。この寒さ、11月16日からずっと続いているそうな。で、お昼ちょっと前、天井で一生懸命働いているエアコンがミシリと小さな音をたてた。エアコンの運転には関係のない音である。あ、くるな。そう思った瞬間、小さく、グラリ。間違いない。地震である。こういうときは反射的にNHKラジオにチューニング。すると、某有名作家の先生がスマートにしゃべってる。あれ、間違ったかな。そう思ってラジオを離れようと思ったら、そこへ地震速報が割り込んできた。地底100キロの震源だから、震度2で、かなり広範囲に揺れたらしい。東京のあちらこちら、埼玉でも栃木でも、千葉でも神奈川でも、山梨でも静岡でも、震度1では関東甲信でも伊豆諸島でも揺れたと報告されている。震源地は東京湾。震源の深さは100キロ。マグニチュードは4.4とされている。江戸っ子のナマズさん、これ以上暴れずに、どうか静かにしていてください。

▲ 山茶花や男ばかりの俳句会
 これはNHKラジオへの投稿俳句。無断拝借ごめんなさい。どうも男ばかりは男から好かれないらしい。TBSラジオ、金曜日の「たまむすび」、男と男の放送で、片一方が玉袋筋太郎で片一方がマッチョ系のアナウンサーで、なんだかちょいとエンガチョで、悪いと思いつつ、耳に届いた瞬間に、ほとんど反射的に消してしまうんですよね。ごめんなさい。

 今夜もアラームをセットして深夜24時半からのJ-WAVE、金沢雅美のSomewhere in Asiaを聴く。番組のナビゲーター、マスコットガールのヤーメイが、このヤーメイというキャラクター、シンガポール生まれの女優、金沢雅美さんが演じているのだけれども、シンガポールの友人や親戚がみんな雪が見たいと憧れているといっている。ユキダルマを作ったり、スキーをしたいといっている。と、ヤーメイがナビゲートするのである。シンガポールのクリスマスって、どんなクリスマスなのだろう。お日様カンカンのクリスマス。きっとみんなホワイトクリスマスに憧れているんだろうな。ボクはハワイとグワムで常夏のクリスマスを経験しているけれど、冷房の中で眺めるクリスマスツリーって、いくらピカピカ光ってくれても、身体のどこからもジングルベルが聞えてこないんだよね。つまんないよお。

▲ 常夏や暑くてサンタ苦労する


1216・土・

 NHKマイ朝ラジオ情報によると1890年、明治23年の今日、日本で初めて電話交換業務が開始されたという。当時の電話加入数は東京で155、横浜で42という数字だった。となると、かける相手が限定されてるわけで、そういうのを便利というんだろうか。交換手さんも、番号でいうより、名前でいってください、なんてリクエストしちゃうかも。でもやだね。誰かさんと誰かさんは、毎晩のように長電話してますよ、なんてバレちゃうしね。今夜も電話したいけど、ガマンしようかな。それとも黙っていって、泊まってしまおかな。内緒だよ。なんてね。この当時の電話加入者、みんな早く電話に入ってよ、とイライラしてたんだろうな。ところで電話交換業務が始まる前って、みんなどうやって電話をつないでいたんだろ。自分で歩いてって、線をつないだりしたのかも。不思議だね。

 毎週土曜日、朝の楽しみは10時からのNHKラジオ寄席「真打競演」。今朝は松鶴家千とせしょかくやちとせ)師匠の登場。思わず、
「待ってました!」
と声をかけてしまう。この師匠、ボクの知っている限り、1974年から、
「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ?」
のワンフレーズで通してきているけど、何十回、何百回聴いても飽きることなく笑ってしまうのだ。この1974年という年、ボクが小田急経堂アパートという建物で仕事を始めた年で、同じ建物に大先輩のイラストレーター、近藤芳弘さんがいらして、その近藤さんと松鶴家千とせ師匠がよく似ていて、しっかりと心に刻みつけられてしまったのだ。
「ヘェヘェヘェ?イ!、シャバダバダディ?!、イェーイ!。俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けで、父さんは胸やけで、母さんは霜やけだった」
と歌いかけてくる歌声はなかなかのもので、ジャズ歌手を志望したことがあるというのも納得である。1938年生まれというから、ボクよりも10歳上のお兄さん。新しい芸もネタも積極的に導入して、精進を重ねている。その生き様の土台にはかなりなインテリジェンスを感じてしまう。やっぱ、この世でいちばん賢いのは芸人さんたちだと思わされてしまうんだよね。これからも期待してます。どうかいつまでもお元気で。

▲ 寒烏かあかあ鳴いて前のめり


1217・日・

 1903年、明治36年の今日、アメリカのライト兄弟が人類初の飛行に成功する。自作のガソリンエンジン飛行機により、この日の4度目の挑戦で滞空時間59秒、飛行距離260メートルを記録した。この成功から66年して人類はその飛行距離を月まで延ばしたんだから驚異である。この進歩ぶりだと、AIが人間の形をして友だちになってくれる日も近いのだと思うな、やっぱ。

 朝からアイディアが出なくて困っている。月刊ラジオ深夜便「しじまのことば」のいつものイラストレーションである。いつものイラストレーションではあるが、テーマは毎回違うのだ。二度と同じ詩人は登場しないのだ。だからもちろん同じ手も通用しない。そうか。うまくいかないのは明日が新月だからかもしれないぞ。なんてね。狼男じゃあるまいし、月の満ち欠けで強くなったり弱くなったり、頭がよくなったり悪くなったり、毛がはえてきたり抜けたりしてたまるもんか。髪の毛は薄くなる一方だけど。とほほ。と苦しんでいるうちに考えがまとまってきた。要するに全盲のボクの画力では火鉢の表現が難しいのだ。陶器の火鉢を描いても、それがなかなか火鉢に見えないのだ。へたするとでかい茶碗に見えたりしてしまうのだ。そこで浮かんできたのが長火鉢。これだったらわかってもらえるだろう。それから茶碗と急須も難しい。いっそコーヒーポットにしてしまおう。火鉢に焼け残ったパン、という情景だから、ここは西洋風で統一してしまおう。長火鉢にコーヒーポットで、ちっとも統一的ではないけれど、面白さはあるかもしれない。そういえば東君平さんの書斎には長火鉢があって、君平さん、そこで仕事をしていたっけ。
 さて、練習開始。何度も描いてみて、手が覚えたところで本番突入。うん。木曜日の締切までには何とかなりそうだ。満月にはまだまだ遠いけど。うおおお、わんわん。

▲ 年の瀬の書斎に欲しい長火鉢





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