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エムナマエ個展開催のお知らせ |
-あなたの時間を ありがとう-
昨年、3月6日にエムナマエが突然お別れをいたしましたが 「友人達によるエムナマエ展実行委員会」主催による個展開催が決定いたしました。
開催日時 会期: 2020年3月9日(月曜日)~3月14日(土曜日) 時間:午前11時 ~ 午後6時半(最終日は午後5時まで) 場所: 檜画廊 東京都千代田区神田神保町1-17(すずらん通り) TEL 03-3291-9364
絵夢助人
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最終更新 |
ナマエ氏が突然旅立たれてから2ヶ月が過ぎました。 ブログも平成31年1月6日で止まってしまったままです。
コボちゃん(ナマエ氏の奥様)から許可を頂き、サイト管理人である絵夢助人(えむすけびと)がブログの最終更新をさせていただきます。
2018年12月31日~2019年1月6日のブログ冒頭文 引用 ☆1986年、完全失明をしたボクが人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの両親に、あなたの息子の余命はあと5年と告げたそうです。完全失明して余命が5年とくれば、そりゃ、親は息子をあきらめるかもしれません。けれども、ボクはボクをあきらめることができません。それより、目が見えないまま、新しい人生を進んでいく自分の姿を生き生きとイメージしていたのです。そしてその通り、ボクは今日まで、こうしてちゃんと生きています。青息吐息ながら、物書きとして、全盲イラストレーターとしてちゃんと生きています。お医者は神様ではありませんから、もしもお医者に余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとする意欲を、もっと信頼してあげてください。 引用終わり
この冒頭文が送られてきたのは、2月27日のことでタイムラグがありご本人も気にされていらっしゃいましたが、いつもの通り頂いたデータをコピペしアップしました。 この数日後に急なお別れとなってしまいました。 きっともっと、皆さんに伝えたかったメッセージもあったかと思いますが残念です。
ナマエ氏のことだから、何処かにメッセージがあるのではないかと何度もブログを読み返し気がついたのが、このメッセージでした。 久しぶりに冒頭文を書き換えられており、ご自分の体験を生き生きと表現され、それがラストメッセージとなってしまいました。
もうナマエ氏からの直接の言葉は届くことはありませんが、この最後のメッセージを皆様にお伝えできればと思い、拙い文章ですが更新いたしました。
2009年5月から始まった超個人的ブログは10年目を目前に十七文字完結です。
これからもインターネット中では、エムナマエまだまだ羽ばたき続けますので、思い出した折、ふっと立ち寄ってみて下さい。
ご購読ありがとうございました。2019.5.11
★追悼展覧会のお知らせ★ 2019年9月20日から10月6日 軽井沢ペイネ美術館にて(塩沢湖)原画を展示いたします。 詳しくは、ホームページにて詳細お知らせいたします。
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お知らせ |
平成31年3月6日、突然ですが、エム ナマエは心不全にて、妻(愛称 こぼちゃん)に見守られ旅立ちました。
ここに故人が生前賜りましたご厚誼を深く感謝し、謹んでみなさまにお知らせ申し上げます。 なお、誠に勝手ではございますが、お香典、ご供花等の儀は、辞退させていただきます。
また、今後につきましては、急なので準備が整いしだいホームページにて掲載いたします。
生江きみ枝 平成31年3月12日
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2018年12月31日~2019年1月6日 |
☆1986年、完全失明をしたボクが人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの両親に、あなたの息子の余命はあと5年と告げたそうです。完全失明して余命が5年とくれば、そりゃ、親は息子をあきらめるかもしれません。けれども、ボクはボクをあきらめることができません。それより、目が見えないまま、新しい人生を進んでいく自分の姿を生き生きとイメージしていたのです。そしてその通り、ボクは今日まで、こうしてちゃんと生きています。青息吐息ながら、物書きとして、全盲イラストレーターとしてちゃんと生きています。お医者は神様ではありませんから、もしもお医者に余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとする意欲を、もっと信頼してあげてください。ちなみに総理大臣も神様ではなく、ただのオッチョコチョイですから、森羅万象をお任せするわけにはいきません。 さて、この日誌はボクの毎日のリアルな記録ですが、透析患者が単なる病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけの、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしている事実を知っていただくためのものでもあります。それから難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名のしてあることがありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。また、ボクは決して嘘つきではありませんが、もしもエンターテイメントで嘘をつく場合は、嘘はどこまでも嘘らしく書いてありますので、どうかご安心ください。
1231・月・大晦日・除夜の鐘・年越し・
1927年、昭和2年の今日、ラジオでの初めての除夜の鐘が放送された。このときは上野の寛永寺から東京管内に向けての生中継だったが、その2年後からは浅草の浅草寺の鐘の音が全国に中継されたという。やっぱ、日本人にとってこの除夜の鐘というイベントは欠かせないものなんだと思う。年が明けるというイメージは、紅白歌合戦が終わってテレビ画面に鳴り響く鐘の音と重なるのです。
NHK「マイあさラジオ」の今朝の音楽は「蛍の光」。ああ、今年も終わるのだと思わず感傷的になってしまう。これは日本人としてのほとんど脊髄反射的な反応なんだけど、日本にやってきた外国人の多くが、ことにヨーロッパ系の外国人が、このスコットランド民謡がかかると、どの店からも追い出されてしまうのには納得がいかないと訴えているらしいのだが、実にお気の毒なことである。ま、卒業式も紅白歌合戦も、みんなこれで幕が閉じるんだもんね。ま、今年も本当にお疲れ様。お世話になりました。
胸騒ぎの腰つき。これ、オイラはずっと、胸騒ぎ残し月、と思い込んでいた。平成最後の紅白歌合戦のラスト、いちばんおいしいとこはサザンの「勝手にシンドバッド」を熱唱する桑田佳祐とユーミンに持っていかれた。地上最強、さすがは桑田君。自分の役割をよくわきまえているんだよね。桑田佳祐に火っ掻き回されてオイラの血圧は上がりっぱなしでこの年は暮れていくのです。
▲ ユーミンと桑田で鳴らす除夜の鐘
■ 2019年
◆ 1月・睦月・ 0101・火・元旦・
トランプという法螺吹き大統領とアベちゃんという嘘つき総理大臣がやたらベタベタしていた2018年という年が奇跡的にも平和のうちに暮れてくれ、本当に明けましておめでたいんだけれども、ゆうべの飲み過ぎ食べ過ぎで、お腹の調子が悪く、血圧も高いのです。ま、アルコール摂取は一時的に血圧を低下はさせるけど、翌朝は必ず血圧を上昇させるのは常識なんだよね。そんなこと、プロの病人としては知っていて当たり前なんだけど、病気の歩く大博覧会としては、実に困ったもんです。情けなくも朝のおめざのオロナミンCも胃袋へスムースに落ちてくれず、全国的には素晴らしい初日の出が拝めたということらしいんだけど、オイラの元旦気分は最低だったのです。ううん、桑田君とユーミン、怨みますぞ。
今年もNHK「マイあさラジオ」の受け売りが展開されますが、よろしくお願いいたします。ということで、1918年、大正7年の今日、警視庁が初めてオートバイによる交通取り締まりを始めた。自動車の数とともに増加する交通事故対策として導入されたもので、当時は白バイでなく、赤いオートバイで赤バイと呼ばれていたらしいけど、そういわれても消防庁のバイクみたいで、なかなかピンとはきませんよね。
元旦といえば、お正月のついたち。となれば毎月恒例の全国日の出日の入りの時刻です。札幌の日の出は7時6分、日の入りは16時10分。仙台の日の出は6時53分、日の入りは16時27分。東京の日の出は6時50分、日の入りは16時38分。大阪の日の出は7時5分、日の入りは16時58分。福岡の日の出は7時23分、日の入りは17時21分、ということです。本年もなにとぞよろしくお願いいたします。
夜になったら気分回復。肺癌で片肺になった愛犬アルルが元気にしていることの年賀メールも送信できたし、となれば気分爽快、天下泰平、アホなオイラは得意満面、泰然自若となれるのです。すると、いくつか、年賀メールに熱い返信が届いて、ありがたいことである。今年も頑張れるぞと思わせていただけるのです。
▲ 元旦や今年もいるぞ犬と猫
0102・水・初荷・初夢・書初め・
1959年、昭和34年というとオイラが11歳になろうとしている年なんだけど、その年の今日、ソ連が世界で初めての月ろけっっとを打ち上げた。月の近くを通過した後、太陽を周回する軌道に入り、ソ連はその月ロケットを人類最初の人工惑星となったと喧伝してたけど、その意味するところは事実上の行方不明。今頃、どこを飛んでいることやら。
箱根駅伝往路は波乱含みで展開。青山学園が苦戦して、またまた連覇、ということにはならないかもしれない。トップは東洋大学。さぁて、明日の復路はどうなるのか。
おかげさまでこの新年もコボちゃんとアルルとの初詣を許された。神様に昨年のお礼を言上し、境内のお稲荷さんにもお礼を申し上げる。神社が賑わっていたのは不景気が理由なのか、それとも平成が無事に幕を閉じようとしている、そのことのお礼参りなのか。ここに集っている子どもと若者に、そのあたりを取材したい気持ちになるが、もちろんそんなことができるわけがない。人は集まっても神社は昨年も不景気が続いたらしく、台風で破壊されたまんまのガランガランのスズがまだ戻っていない。代わりにおみくじを販売していて、引いてみたら中吉だった。
初詣の次の目的地は透析室。今年最初の人工透析である。看護師と透析技師とバイトのドクター、フロアの面々と、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
▲ おかげさま犬と並んで初もうで
◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございました。 25番、津照寺を仮想参拝、通過しました。 次は26番、金剛頂寺。 あと7,576歩です。
現在の歩数、575,024歩。 3周目の仮想徘徊です。
0103・木・
1951年、昭和26年の今日、NHKラジオで第一回の紅白歌合戦が放送された。大晦日に放送されるようになったのはその2年後の第四回から。このイベントの記録は2015年に「紅白が生まれた日」というタイトルで、その放送の様子がNHKテレビドラマとして再現されている。このドラマ、サピエ図書館の音声映画にもリストアップされていて、オイラもお勧めである。オイラが3歳になろうとしている頃のエピソードで、覚えているわけないんだけれど、なんか既視感があって、不思議な感動をしたんだよね。
箱根駅伝、往路を見たら、やっぱ復路の結果を無視するわけにはいかないでしょう。とにかく、この中継を聴かないうちは、何にも手がつかないのです。というわけで、青山学院、よくぞ東洋大学を追い越した。けど、2着は残念。やっぱ、5連覇は難しいよね。来年は頑張ってください。とにかく学生ランナーの皆様、毎年のお正月を盛り上げてくれてありがとう。明けて早々のランニングで、高校時代、家族そろって慶應義塾を応援に、箱根に出かけていったことをいつも思い出しています。これで慶應義塾が参加できれば、もういうことはないんだけどね。
▲ 駅伝がゴールしたなら始めます
0104・金・官庁仕事始め・
窓からの日差しが温かい。仕事机で日向ぼっこをしながらアルルの安眠しているオイラのベッドの片隅に両脚を乗せて転寝をしていたら夢を見た。それもお風呂の夢である。オイラが大きなお風呂でゆらゆらしていたら、そのうち誰かが外からのぞいているので不愉快になり、オイラはお湯に潜って潜水泳法。ぐんぐんとお湯を突っ切っていくうちに、いつの間にかオイラはオリンピックで金メダルを獲得しているのだ。てなわけ、ないのです。たとえ夢でも、オイラにはそんな夢、見させてはくれません。とほほ。
透析中の夕食の話である。お節料理にはいい加減に飽きてきた。なのに、楽しみにしていたオリジンのカツカレーが売り切れていて、コボちゃんが買ってきてくれたのは肉野菜炒め弁当。ということで、今夜の肉野菜炒めの野菜、心なしか、パリパリして口の中に刺さるような気がした。まずくはないんだけど、口惜しいのです。
▲ トースター今日で四日目磯辺巻
◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございました。 おかげさまで26番、金剛頂寺を仮想参拝、無事に通過しました。 次は27番、神峯寺。 あと64,140歩です。
現在の歩数、583,660歩。 ぐるぐる回って三度目の嘘つきです。
0105・土・
1993年、平成5年の今日、フランスで再処理した日本の使用済み核燃料が初めて日本に到着した。1トンのプルトニウムを運んだ輸送船の航路や日程が一切公開されず、沿岸国や環境保護団体から批判の声があがったが、当然の話である。プルトニウムは猛毒なうえ、核爆弾の材料となる物質なのである。北朝鮮なんか、地下で製造している濃縮ウランなんかより、本当はこのプルトニウムが欲しくてたまらないのだ。輸送ルートが知られたら、ほっかむりをして包丁片手に強奪にくるかもしれないのだ。そもそも原発というのはアメリカが原子爆弾を製造するために仕立てた設備であって、電力はその副産物。原子力発電所の平和利用という喧伝は大量殺戮のエクスキューズに過ぎないのである。けれどもこの日本、核兵器製造の予定もないのに、そんなにプルトニウムを貯蓄してどうする気なのか。人の国に再処理を依頼して、その廃棄物を自分の国では処分もできず、打つ手もないのに放射性物質が余剰となっていく。日本がトイレのないマンションといわれる、これが所以なのである。
毎週土曜日の午後は久米宏の「ラジオなんですけど」を愛聴しているんだけれど、本日は大滝詠一の未発表の音源「熱き心に」を初公開している。小林旭(こばやしあきら)のバージョンしか聴いたことがないので、とても新鮮な感じがする。どっちがいいか、なんて野暮はいわないけれど、大滝詠一の個人スタジオには、こうした未発表の貴重な音源が唸っているのかもしれない。どんどん公開していただきたい。
▲ 黒豆に熱き焼酎注いでる
0106・日・小寒・新月・部分日食・
1912年、明治45年の今日、ドイツの地球物理学者、ウェゲナーが大陸移動説を発表した。およそ3億年前、南北アメリカ、ユーラシア、アフリカ、インド南極の各大陸がひとつにまとまっていて、次第に分裂移動して現在の形に至ったという説である。世界地図を目の付け所を変えて観察すれば一目瞭然。世界地図を巨大なジグソーパズルとして眺めるような発想の転換があれば、子供でも考えられるのだが、常識に拘束されている大人たちには簡単なことではない。幼い頃、世界の謎、というような書物で初めてこの説を前にした自分は、疑うことなく、この大陸移動説に納得し、地球物理学というカテゴリーに大いに興味を抱いたのである。
2001年、平成13年の今日、中央省庁を12の省庁とひとつの府に再編成する新体制がスタートした。大蔵省は財務省、建設省や運輸省は国土交通省に統合されてしまったんだけど、この新省庁体制になってから、ボクら国民はますます誤魔化され易くなったような気がしてならない。大蔵省という唱え方には重みがあるけど、財務省という言語に歴史は感じられない。そして、財務大臣に重みがないのはみんなが感じる通りなのです。あの人、大蔵大臣という肩書きだったら、もうちっと真面目にやるのかもしれません。いずれにせよ省庁再編成以来、お役人のインチキがますますエスカレートしているような気がするのは錯覚ではないと思う。昨年来の官僚の忖度や嘘つきレポート、公文書改竄など、ますますその実体が明らかになっていることに、多くの国民は同意するに違いないのです。
天気予報は晴れなのに、ガラス窓からの日差しがなくて寒くて仕方がない。アルルもミミコも暖房の効いているオイラの部屋でぬくぬくしている。なのに世の中は晴れているらしく、全国で部分日食が目撃されたらしい。東京では30パーセント。北海道では40パーセント。冬の新潟でも観察され、新潟の皆さんは感激されておられた様子。日食観察眼鏡、売れたんだろうな、きっと。
ミミコがやってくれた。羽根布団一面に未消化の朝御飯を噴霧してくれたのだ。さあ大変、大掃除。するとミミコのやつ、迷惑をかけたのがわかったのか、オイラの膝に乗って胡麻をすろうとするから、あっちへいけと邪険にすると、いつもはいかない椅子の背中にかけてある革ジャンとセーターの隙間に挟まって、うじうじと声も発せず、行方不明となって、人間をさんざん心配させてくれて、ひどい復讐なんかするのです。
▲ 初春や猫の粗相の後始末
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2018年12月24日~30日 |
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。
1224・月・クリスマスイヴ・
1878年、明治11年の今日、日本で初めてのチョコレートの広告が新聞に掲載された。広告主は東京の菓子店で当時のチョコレートの漢字表記は「貯古礼糖」、というもの。で、結果はまるで売れなかったらしい。古いとかお礼とか、ま、この文字の並びでは、ぜんぜんおいしそうじゃありません。もっと華やかな甘味とか香りとか、素敵にイメージさせるような語句を考えればよかったのだと思う。江戸時代だったらコピーライターの草分け、平賀源内がいてくれたのにね。
1957年、昭和32年の今日、NHKでFMの実験放送が開始された。これが日本初のFM電波の発信である。それまでのラジオによるステレオは、ラジオを2台並べて、片方はNHKラジオ、もう片方はNHKラジオ第2で左右のチャンネルとして聴いてみろというもので、試しにやってみようと思ってはいたけれど、そもそも当時、同じようなラジオが2台もあるような家庭がどれだけあったんだろう。もちろんオイラの家にもあるわけなくて、一度だって試したことはありませんでした。けれど、ステレオ放送にはかなりの興味があって、初めて我が家にFMのレシーバーが導入されたのはその3年後、最初のステレオセットが購入されたときで、オイラは小学6年生でした。
1968年、昭和43年の今日、人間を乗せた宇宙線が初めて月を回る軌道にのった。3人の宇宙飛行士を乗せたアメリカのアポロ8号は初めて月面の様子をテレビによる生中継を実施した。アメリカによる人類へのクリスマスプレゼントとなったわけだが、その最大の目玉は遠い宇宙空間からのまるごとの地球映像だった。台風の白い渦巻き雲を浮かべた青い球体の映像は人類に大いなる衝撃を与え、人々の心に地球市民という概念を定着させていくのであるが、その映像の衝撃性は月面着陸の数倍はあったと思う。タイム誌の表紙に採用されたその美しい写真が今でもこの網膜に焼き付けられている。
東京の日の出は6時48分、日の入りは16時33分。クリスマスを過ぎれば、お日様も次第に元気になってくれるのだ。
「きよしこの夜」から今日で200年ということです。そんな今夜、七面鳥の生まれそこないかと思うほど巨大なチキンの丸焼きをコボちゃんと山分けしてホクホクし、アルルカンのクリスマスケーキのジャムが、いつものジャムと違うみたいだねとアルルに意見を求めたら、アルルも同感を示していました。
▲ 二百年きよしこの夜輝いて
1225・火・クリスマス・
航空機の酔っ払い運転はパイロットだけじゃなかった。どうやら客室乗務員もきこしめしていたらしいのだ。日本航空の客室乗務員の呼気にアルコールが検知された事件で、当人は口内洗浄液の使い過ぎだと主張していたけれど、機内のシャンパンが減っていたことが明らかになった。ま、小瓶とはいえ、目の前に高級銘柄、世界有数のおいしいシャンパンがずらり並んでいて、おまけにバレないというんだったら、そりゃ飲みたくなるわね。もしかしたら利き酒の練習をしていたのかもしれないしね。ま、おいしいシャンパンは悪魔の誘惑です。今夜はクリスマス。昨夜食べ切れなかった巨大チキンローストで、客室乗務員さんのお口には合わないでしょうけど、スペイン産、大安売りのカヴァの洞窟シャンパンでささやかな乾杯をしていたら、猫のミミコがまわりをうろつき、それをテーブルの下でアルルが羨ましそうに見上げていました。大型犬のありがたいのは、テーブルの上をうろつかないことなのです。
▲ 今宵またきよしこの夜肉と酒
1226・水・
2004年、平成16年の今日、インドネシアのスマトラ島沖を震源とするマグニチュード9.1の巨大地震が起き、大津波が発生した。津波はインド洋に面したアジア各国やアフリカ東部までに達し、日本人42名を含む22万人を超える犠牲者を出した。いわゆるインド洋大津波であるが、東日本大震災以前に、これほどの巨大地震を知らなかったので本当におそれおののいた。こちらは盲導犬アリーナを失ったばかりで心がめげていたのでショックも大きかった。これはかなり後年になって知るのだけれど、オイラが通っていたことのある近所の健康道場のメンバーたちも、スリランカで犠牲になっていたという。 今世紀になる直前から地球の活動が活発になるとかの都市伝説を聞かされていたが、この地震を最初に、そのほにゃらか予言が、もしかしたら本当のことかもしれないような気がしてきたのだ。そしてその7年後に東日本大震災が発生するのである。
毎週、全国の音訳ボランティアの皆様のおかげで週刊朝日や週刊文春を楽しませてもらっている。ことにボクは週刊朝日の大ファンである。で、驚いた。本日拝読した週刊朝日、実に猫特集なのである。音訳スタッフのアイディアで猫特集関連のコンテンツ冒頭には猫の鳴き声が配してあるのだが、これが愛らしい。本物の猫かもしれないし、誰かが口真似しているのかもしれない。もしかしたら、江戸や子猫さんあたりが手伝っているのかもしれない。猫関連のコラムやエッセイがいい。内館牧子さん、嵐山光三郎さん、東海林さだおさんたちは、よほど猫がお好きなのだろう。心を動かされる内容だった。投稿コーナーの「犬馬鹿、猫馬鹿、ペット馬鹿」も猫特集。複数の週刊朝日リーダーたちが猫と暮らす感動をプロも顔負けの筆致で描いているのです。楽しませていただきました。
▲ 年の暮れ猫いてくれて温かい
1227・木・
本日はホームページ管理人、絵夢助人(えむすけびと)さんによる新年ウェルカムメッセージの撮影である。ラジオや雑誌の取材、打ち合わせでいつもお世話になっていて、ホワイトデイのお返しクッキーやクリスマス、盲導犬アリーナの誕生日やアルルの誕生日の特別注文、バタークリームデコレーションケーキを作っていただく、経堂駅前ケーキショップ「アルルカン」での撮影である。ただ、お店は千客万来で、なかなか撮影のタイミングがやってこない。絵夢助人(えむすけびと)さんも苦労されておりました。アルルカンでの撮影も今年で最後。来年は店を閉じるそうなのです。 撮影が終われば寿矢での恒例望年会。世間では忘年会といってます。カウンターでビールで乾杯して、おいしい料理をいただいて、絵夢助人(えむすけびと)さんの一年間の無料奉仕への心からの感謝を捧げます。ボランティア管理人に対する、エム ナマエのせめてもの気持ちなのです。絵夢助人(えむすけびと)さんがいてくださらなければ、ホームページもブログも、すべてお手上げなのです。エム ナマエがエム ナマエでいられなくなるのです。本当にいつもありがとうございます。 寿矢からの帰り道、左から右へと火の用心の拍子木の音が移動していく。誰が叩くのだろう。こんな夜だから、おそらく子どもたちではないのだろう。もしも子どもたちだったら 「火の用心、マッチ一本火事のもと」 とかいいながら、歩いてくれるもんね。そこで落語『二番煎じ』を思い出す。あの登場人物たちは 「火の用心、さっしゃりませーい」 と声を競い合いながら深夜の町を徘徊するのだ。その昔、川崎ホールで古今亭新潮の独り会でこの落語をコボちゃんと聴いた帰り道も寒い夜で、思わず猪鍋(いのししなべ)とか桜鍋とか鹿鍋とか、何でもいいから鍋物を食べたくなったことを思い出す。ただ、桜鍋と鹿鍋は一緒にしない方がいいらしい。馬と鹿だもんね。
▲ 火の用心マッチ一本鍋の元
1228・金・御用納め・大納会・
映画の話である。NHK「マイあさラジオ」によれば、1895年、明治28年の今日、世界で初めての本格的な映画の上映会がパリで開かれたそうである。スクリーンに投影される方式、シネマトグラフを開発したリミエール兄弟が自分たちで撮影した短編映画を上映したのだ。でも、オイラの乏しい知識によれば、これより少し前の1981年、トーマスエジソンによってキネトスコープが発明されている。と、こんなことにこだわるのは、幼い頃に読んだ漫画のエジソン伝記にいたく影響を受けていたからで、電話だって、ベルより早くエジソンが発明したんだと、今も文句をいいたくなる。 まだ家庭にテレビがなかった頃、月刊漫画雑誌のページの隅っこに印刷されているパラパラ漫画で、パラパラとめくって動かすミニチュア漫画シアターを思い出す。とはいえ、せいぜいがワンアクション、時間にして1秒足らずなのだが。学校でも授業に飽きればノートの片隅にちょっとずつ違うキャラクターのポーズを描いて、自らパラパラ動かして楽しんだものだった。 と、そんなことを考えていたらTBSラジオの昼の番組、「ジェーンスーの生活は踊る」で、クイーンのフレディ・マーキュリーの曲がかかっていた。今年は映画「ボヘミアンラプソディー」の大ヒットで再び注目されているクイーンであるが、カッコよかったよね。 映画の話に無理矢理引き戻すけど、スペースオペラ、「フラッシュゴードン」はSF映画としてはお金をかけた割には不出来だったけど、クイーンの音楽がよくて、それで映画館に駆けつけました。今でもクイーンのベスト盤でテーマ曲がかかると、あのときのダサい映像が脳裏に蘇るのだ。ああ、情けない。と、無理矢理な話でした。
▲ 別れ際みかんもらって握りしめ
1229・土・下弦・
大日本帝国が敗戦してくれた1945年、昭和20年の今日、戦後の深刻な食糧難の中、農業生産を増強し、食料を安定的に確保するための新しい農地調整法が公布された。戦後の農地改革である。で、またまた我田引水であるが、わが母校、慶應義塾志木高は開校当時は農業高校を目指していた。慶應義塾が食糧難解消のため、立ちあがったのである。その証拠に志木高の敷地は3万坪あり、そのほとんどは雑木林と果樹園と畑だった。オイラが入学した1964年当時、農芸という授業があって、週に一度は農芸服に身を包み、鎌などの農具を携えて畑に出ていった。草刈りをしたり、農地を耕したりしていると誰かがモグラを見つけて、直ちに鎌で真っ二つにしてしまったのを、今でも残念に思っている。日本全国から集まった高校生の中には、モグラを見たら直ちに殺せと育てられたやからもいたのだろう。本当はモグラたちは畑の土に空気を送り込んでくれた恩人たちだったのにね。
夜のNHKラジオニュースである。中国で靴を脱いでホテルに盗みに入った男が、その足のあまりの臭さに逮捕された、という事件である。臭い足跡を追跡していったら、犯人が駐車場に隠れていたのを発見されたのだという。足の臭さで足がついたという、おそらくは笑っていい話であると思う。
▲ もういくつ数えた日々を抱きしめる
1230・日・
2013年の今日、大滝詠一さんが65歳という若さでお亡くなりになっている。大滝詠一というと、日本を代表するロックアーティストみたいな言われ方をするけれど、ハッピーエンドの音楽はオイラがイラストレーターデビューした1969年当時はビートルズのアビーロードに隠れて、地下深くのアンダーグラウンドから聞こえていた印象がある。ナイアガラレーベルについてはある時期、オイラも聴きかじっていたことがあるけれど、やっぱり大滝詠一を強く意識したのはアルバム「ロングバケーション」以後である。全曲をウォークマンにぶち込んでハワイに飛んでいき、ホノルルの海岸で聴きまくっていたから、今でも曲が流れてくるとハワイの空気を感じてしまう。けれど、アルバム最大のヒット曲はラストナンバーの「さらばシベリア鉄道」であって、決して夏のイメージではないのだ。作詞・松本隆、作曲・大瀧詠一の名曲なのである。 哀しみの裏側に何があるの?涙さえも氷りつく白い氷原。誰でも心に冬をかくしてると言うけど、あなた以上冷ややかな人はいない。 今週一週間、NHKラジオの名物番組「昼の憩い」から連日この歌詞が聞えていた。マイトガイ、小林旭(こばやしあきら)が歌い、歌姫、坂本冬美が歌う。もちろん大滝詠一も歌っていた。それもそのはず。本日が大滝詠一さんのご命日であるのだ。
昼間、師走というのにポカポカと温かい。気がつくと転寝をしている。いけない。これでは予定がちっとも進まない。今日もブログ原稿を頑張るけど、まだまだキャッチアップには遠いのだ。
▲ ドアノブに猫がじゃれつくしめ飾り
◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございました。 おかげさまで24番、最御崎寺を仮想参拝、通過しました。 次は25番、津照寺。 あと8,711歩です。
現在の歩数、563,689歩。 三度目のバーチャル徘徊です
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