全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2016年8月22日~28日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0822・月・

 日本のメダルが41個とは本当にスゴかったと思う。けど、今朝の場合はオリンピックどころじゃないんとちゃうか。台風が接近してんだから。東京にどんどん近づいてくるんだから。んだからNHKさん、その台風のことをもっと詳しく教えてくださらんかね。台風情報をもっとコマメにやってくださらんかね。これから北軽井沢に出かけるかどうか、決心しなきゃならないんだから。台風と競争すべきかどうか、ここが判断の分かれ道なんだから。そうなんです。途中で洪水に見舞われたり土砂崩れに遭遇したくはありませんからね。
 結局、台風9号との競争となる。予想より上陸がどんどん遅くなり、雨中を夢中で走っていたらやがて静かになり、雨にも風にもやられずに軽井沢へ無事到着。軽井沢のスーパーなスーパーマーケット、ツルヤで買い物もできたし、スタジオクラスター北軽井沢分室への荷物の移動も無事完了、パソコンをセットし、スピーカーを配置してレイアウトが落ち着いたらラジオをつけて一休み。そうしたら東京は大騒ぎになっていた。原宿駅構内では倒木があり、山手線が止まっている。早い決断で東京を離脱して正解だったのだ。とはいえ、天災は決して他人事ではない。無事でいられることは運河いいだけで、ただひたすらの感謝であるのだ。

▲ ドライブの後を台風駆けてくる

0823・火・処暑・

 今度のオリンピック、日本に対する声援が大きかったような気がしてる。日系人の多いブラジルだから、という気もするが、相手選ばずの熱狂こそがブラジル人気質、ということもいえるだろう。それにしても頑張ったマラソンのねこひろしさん。日本代表でなく、カンボジア代表ではあったけど、日本にもカンボジアにも恥はかかせなかったような気がする。日本のメディア、もっと中継してあげればよかったのに、NHKラジオでは最後にちょとだけ、彼の頑張りを放送していた。他のメディアではどうだったんだろう。結果、成績はお尻から二番目。でも、ビリッケツじゃないんだよね。ねこさんよりも遅い選手がいたんだし、棄権した選手だっていたんだよね。頑張ったんだよね、ねこさん。よかったね、ねこさん。身長147センチのねこさん。オリンピックに出場したい、参加したい。その一心で邁進してきた彼の数年間の頑張りと、彼を支援していた人たちに、もっとみんなで拍手喝采してもいいような気がしてる。

 本日は午後から群馬県N町での透析である。コボちゃんがハンドルを握り、山のワインディングロードを疾走している。すると道路を横切る一匹の猿。自然豊かな土地であるから、ときどきコボちゃんは道路で生き物を目撃している。立派な角の鹿を目撃したこともあるし、闇に光るふたつの目を発見したこともある。だから猿も珍しくはない。とはいえ、人間とは遠い親戚の猿ということで、何となく気になってしまう。突然やってきて透析室の窓を叩くのではないかと気掛かりにもなってくる。猿というやつは人間に近いだけに図々しく、迷惑をかけることがあるからだ。食べ物を手にして油断していると奪われたりするし、食卓の砂糖壺を持ち去られたり、料理中の食材を盗まれたりもする。とはいえ、この場合の犯人はケニアのサヴァンナモンキーで、その現場は赤道直下のキャンプ地だったんだけど。けれども日本は猿にとっては特別な場所、パラダイス。というのは猿にとっての北限地であるからだ。温泉につかる猿の姿も雪景色に遊ぶ猿という絵柄も、世界的には珍しい。
 猿はときどき都会にも表れて人間を仰天させることがある。ベランダから侵入して住人と鉢合わせすることもある。猿という生き物、自分たちが人類の祖先であることにもしかして気づいているのかもしれない。やたら馴れ馴れしいのである。人間の周囲が餌に豊富であることを熟知しているのである。だから山あいの観光地では猿と闘っている人たちも存在する。彼らは腰にエアピストルを携帯し、肩からは電動式マシンガンを下げて商店街をパトロールする。そうして店先の食べ物に手を出したり、観光客を脅しその持ち物を盗み出そうとする野生の猿たちを撃退するのである。
 ある時期までボクは猿が苦手だった。猿との衝突をいくつか経験しているからだ。デパートの屋上で突然、ふくらはぎに噛みつかれたこともある。小学生のボクが下に観られたのかもしれないし、背後にケージが置いてあり、そのカニクイザルが自由に出入りできるようになっていたことを知らなかったせいである。イラストレーターとなってからは画家の集団旅行で訪れた観光地でニホンザルと睨めっこになったこともある。猿が出没するエリアで食べ物を持って移動することは厳禁なのである。ケニアのサヴァンナではベルベットモンキーの集団に包囲されてホテルのボーイに救出されたこともある。でもナイロビの野生動物孤児院でチンパンジーのセバスチャンに出会って以来、ボクは猿に対するレスペクトを覚えてしまった。ボクと彼は一本のシガレットを交互に味わったマブダチとなったのである。それからは猿とうまくやれるようになっている。雨の日の動物園では檻の中でひとりぽっちになっていた黒くて大きなテナガザルとずっと手をつなぎながら聞えない言葉で語り合ったこともある。相手が誰でもリスペクトする気持ちは通じるのだ。生き物とうまくやるには、これ以外の方法はないような気がしている。
 会津西街道を走っているとき、山葡萄を食べている白猿の親子連れに遭遇したことがある。クルマを止めてコボちゃんと盲導犬アリーナはその様子をじっと観察していたが、彼らは襲いも逃げもしなかった。コボちゃんと盲導犬アリーナに害意のないことが伝わっているのだ。野生動物たちはいつも人間を注意深く観察している。その彼らとうまくやる方法はリスペクト。もしもそれができなければ、お互いの距離を守ることしかない。ま、どんな場合にせよ、人間の側の責任は大きいのだと思う。

▲ 路渡る猿と目が合う夏の山

0824・水・

 朝から天気がよくない。台風の影響である。コボちゃんはアルルとの散歩に躊躇している。でもボクには好都合。カレンダー制作に集中できるからである。今回の滞在では来年度カレンダーの原画13点すべてが仕上がっていなければならない。そして残るはあと5点。下絵の未完成は3点。アイディアの決まってないのはあと2点。マンネリにならないよう苦労しているところなのである。
 昔から季節物(きせつもの)で苦労している。最初の連載が小学館の少女雑誌、「女学生の友」の星占いだった。表紙が水野英子先生の美しいイラストレーションで、裏表紙がボクのカラー版星占いであったのだ。春夏秋冬、十二宮をマンネリにならないよう描き続けるのである。これがなかなかの苦労なのだ。星占いならまだしも、月刊雑誌の表紙や扉絵だとまともに季節感と向き合わなければならない。とはいえ、連載が5年も10年も続けば大概の物は絵にしてしまっている。それをマンネリにしないよう、あれこれと工夫して描くのである。ま、2017年度のエム ナマエオリジナルカレンダーがどれだけマンネリから脱却できたか、もしくはできなかったかは、どうぞお手に取ってご確認ください。ご注文はエム ナマエ公式ウェブサイトで、この秋からの受付です。

▲ 夏の雨ぼくのかく絵に音が降る

0825・木・下弦・

 オリンピックが終わって少しは日常が戻ってきたけど、まだまだメダル獲得最多数の話題が続いている。アスリートの話題が続いている。いつまで続くのだろう。2020年東京オリンピックを成功させるまではオリンピック熱を下げさせまいとしているのだろうか。早く日常に戻して欲しい。いつもおんなじ、いつもとおんなじがいちばんいい。今日もこれ、やっぱりこれがいちばんいい。ボクはあんまり飽きることがないのだ。飽きないことに飽きていないのだ。
 やっといい天気になってきた。ちょっとは夏らしくなってきた。気がつくと外では蝉が鳴いている。でもまだカレンダーの絵は仕上がらない。ここひとつにアイディアが集中しないのだ。いつもおんなじが好きで、飽きないことに飽きない人生にはマンネリの打破が難しいのだ。ううむ。人間が柔らかいんだから、もっと頭も柔らかくしなくちゃね。

▲ 山の蝉そこから僕が見えますか

0826・金・

 終日「おえかき」をしている。マンネリズムと闘いながらスケッチブックと取っ組み合ってる。アイディアは出たけれど、それを絵にするのが難しい。全盲イラストレーターの最初の関門は思いついた絵柄を実現するための手の調教なのである。つまり練習なのである。そのためにはスケッチブックの浪費が必要なのである。という訳で頭をクラクラさせながら下敷きのボール紙に圧力を加えているのである。貫通せよとばかりの筆圧でドローイングを続けているのである。

 今日はトラネコミミコ記念日。10年前の今日、トラネコミミコは我が家にやってきた。だからという訳でもないだろうが、トラネコミミコがいきなり室内を駆け出した。あちらこちらと駆け回る。そして小さいが、激しい羽音が聞こえてきた。大変だ。小鳥が迷いこんだのだ。
「きゃあ、ダメよダメダメ。やめなさい!」
 コボちゃんが反応した。トラネコミミコを抑え、窓を開けて気の毒な山鳥を逃がそうとする。けれども小鳥はパニック。開こうとした窓の隙間に自分から首を突っ込んで一声、ピーと悲鳴を上げたきり、あっけなく死んでしまった。コボちゃんも悲鳴を上げた。可哀想なことをしたと繰り返し嘆いている。繰り返し繰り返し悔やんでいる。何度も経験してきたことだが、本当に小鳥はあっけない。鳥という生き物はあっけない。だから鳥は飼いたくない。そう決めて数十年が経過していたが、キジバトポッポと暮らすことになってしまった。交通事故に遭遇したキジバトを保護して瀕死の状態を回復させたのだが、彼の翼は複雑骨折しており、飛べない鳩となっていたのだ。ボクたちで守ってやるしかなかったのである。鳥は自由に空を飛んで初めて鳥なのであって、鳥の幸せもそこにある。だから子猫のようにじゃれついていた小鳥でも、自分が自由であると気づいた瞬間、飼い主の手からはばたいて飛び去るのである。
 夜になって、おかしな声が聞こえてきた。鳥かとも思うがこんな雨の降る夜に鳴く鳥なんているのだろうかと疑問である。となるとカエル?それとも鹿?でも、どう聞いても鳥の声に聞こえるのだ。それもすぐ近くで鳴いているように聞こえるのだ。いつまでも鳴いている。繰り返し鳴いている。それも決まった間隔をおいて。録音を取ったので、いつか誰かに聞いてもらいたい。このあきらめない様子は、もしかしたら、昼間飛び込んできて死んでしまったあの小鳥の片割れがパートナーを呼んで鳴いているような気もしてくる。そうでないとよいのだが。本当に可哀想なことをしてしまった。
 雨が激しくなってきた。雷鳴も轟いている。屋根を叩く雨音と鳴り響く雷鳴にアルルはパニック。ボクの座っている椅子に体を寄せて振るえている。そしてラジオが不安材料を伝えている。嬬恋、長野原、草津に大雨洪水土砂崩れ警戒警報が発令されたのだ。明日は町で透析である。途中、何もないとよいのだが。

▲ ただ雨の降るばかりかな軽井沢

0827・土・

 未明に起きてテーブルに向かう。スケッチブックを開いてドローイングを繰り返す。鳩のフォルムを様々に繰り返す。来年の表紙は女の子と鳥たち、と決めたのだ。タイトルは- BIRDFULL -で日本語キャプションは愛鳥年間。愛鳥週間でなくて愛鳥年間。来年は酉年なので、そういう洒落なのである。
 目が見えないで絵を描き続けていると、どんどん下手糞になっているような気がしてくる。不安でたまらなくなってくる。だから練習する。腕と手と指を動かしてドローイングを繰り返す。イメージの命ずるままに鉛筆の先端を運び続ける。そうしてもう大丈夫と思えたところで画用紙に向かうのだ。そして、できた。あとはコボちゃんの目覚めを待つだけ。彼女からOKが出れば下絵は完成なのである。

 心配した通りである。昨夜の大雨洪水土砂崩れ警戒警報に次いで、今朝のニュースは長野原までの道路で倒木があったと報じている。となると、これはヤバイぞ。無事に透析を受けられるかどうか。とにかくボクの命は人工透析という医術に支えられ、維持されている。さぁ、群馬県、どう対応してくれるだろう。とにかく頼りにしてまっせ。

 夜である。表紙の下絵も完成し、透析も無事に終わった。群馬県産赤城豚の生姜焼きと嬬恋キャベツの千切りで夕食も済んだ。そしてコボちゃんと小説「泥の川」を橋爪功の朗読CDで読了してもまだ夜は終わらない。だから続いて音声映画「阪急電車」を観る。ボクのパソコンにはお気に入りの音声映画が数十本、ストックされてある。それらを目の見えないボクと同じ立場になってコボちゃんは楽しんでくれるのだ。イタリア産の青かびチーズ、ゴルゴンゾーラを肴にウィスキーをちびりちびりとやりながら。雨にもやられず風にもやられず、この日も無事に暮れていく。ありがたいことである。ひたすら感謝の日々である。

▲ ウィスキーつげば氷が歌い出す

0828・日・

 朝、雨音を背景にカレンダー原画を仕上げている。ビートルズのサージェントペッパーロンリーハートクラブバンドを聴きながらパステルカラーの世界で遊んでいる。するとたちまち1967年の自分に戻ってしまう。慶應義塾フレッシュマンの自分である。その自分が春の雨音に心を濡らしながらレコード盤に針を落とそうとしている。やがてオーケストラのチューニングが聞え、激しいギターのイントロダクション。そしてポールの歌声が幕を開く。ペパーランドの不思議楽団が世界を躍動させる。音楽の力は凄まじい。メロディーと音色がドコデモドアのようにボクをどこへでも連れていく。遠い過去の匂いも記憶も呼び寄せる。ビートルズはボクにとってのタイムマシン。何かを忘れかけたとき、ビートルズは大切なことを目覚めさせる。そうしてボクも蘇るのである。

 カレンダーの原画たち、13枚の仲間たちが全員集合した。彼らは全員勢揃いしてキャリーケースに収まり、クルマの後部座席で揺れている。アルルと並んで揺れている。トラネコミミコはボクの膝で揺れている。今夜の軽井沢は道路が混雑していた。それもそのはず、濃霧で見通しが悪いのだ。日曜ドライバーがどれだけいるか知らないが、この濃霧ではプロドライバーだてまともには走れない。道路をよく知っているコボちゃんだって飛ばせない。このままだと東京にたどり着くのはいつのことになるのやら。おまけに寒くて震えている。湿度が高いせいで窓ガラスが曇るため、暑くもないのに冷房を入れなくてはならないからだ。まだ8月なのにボクは既に寒さに震えているのだ。膝のトラネコミミコもボクの膝から暖を取ろうと必死にしがみついてくる。でも仕方がない。ボクが盲人で、その上この濃霧のため、コボちゃんも盲人になったら、アルルもトラネコミミコもこのクルマごと、地獄へ真っ逆さま、ということになってしまう。この世界、どれだけの運命共同体がこの瞬間を移動していることだろう。誰も見な、無事を祈って何かを運んでいる。自分という人間を、家族という人間を、そして友人という人間を運んでいるのである。ありとあらゆる荷物という荷物を運んでいるのである。億万年の時間単位、回転し続ける銀河の辺境、太陽系の地球という天体、高速で巡回するこの第三惑星の表面を、バクテリアの歩みで移動しているのである。などと考えていたら、すべてが愛しくなってきた。右も左もお隣さんも、これから無事にお家に帰ろうね。

▲ ハンドルを霧が邪魔する峠道

◇ バーチャル東海道五十三次コース 石部に到着、通過しました。
次は草津。あと18,866歩です。現在の歩数、916,134歩。
3周目挑戦中!



2016年8月15日~21日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0815・月・敗戦記念日・

 今日という日は71年目の敗戦記念日である。国が決して使わない敗戦記念という日である。終戦記念日という呼び方で、いつまでも国家が責任回避をしている敗戦の日である。正午の黙祷が終わると天皇陛下のお言葉があり、謹んで敬聴する。列席している安倍晋三はどんな顔をして、どんな気持ちで陛下のお言葉を受け止めているのだろうか。正真正銘の平和主義の象徴と、積極的平和主義とかいうインチキな平和主義の使い手が武道館に並んでいる。そんな構図を見ることのできる個人がこの国にどれだけ存在することだろうか。歴史が遠くなればなるほど、その歴史を改竄しようとする勢力が蔓延る。自分たちの都合のよい歴史に書き換えようとする集まりが形成される。悪性の蔦が蔓延するのである。だから正しく歴史を見つめる必要があるのだ。歴史の当事者たちの言葉に耳を傾ける必要があるのだ。それは世界を構成する個人としての義務であるのだ。心からそう思う。

 敗戦記念の本日から「朗読の時間」は永井荷風の断腸亭日乗。この日記を書くようになった切っ掛けの作品である。断腸亭日乗の朗読CDを入手したのはいつのことだったろう。永井荷風の気高い個人主義の思想と美しい文体が無教養で低脳なボクの精神を刺激してくれたのである。慶應義塾の独立自尊の精神を高揚させてくれたのである。永井荷風はこの日記で戦争に突入しようとする愚かな軍事政府と、それに付和雷同する愚民を厳しく批判していく。物資不足と空襲による疲弊と敗戦までの過程を克明に記録していく。もしもこの文章が官憲の目に触れていたら荷風は直ちに罰せられたことだろう。けれども断腸亭日乗はブログではない。ネットに公開されることもない。荷風はこれら日記を常に携帯して移動する。家を焼かれ、食料不足に追われ、日本各地を転々とする。荷風が全身全霊で守ったおかげで今、ボクたちはこれら日記から学ぶことができるのだ。敗戦記念日から始まるこの期間、「朗読の時間」で断腸亭日乗が紹介される意義は深い。さすがNHKと拍手喝采したい気分である。

▲ 玉音のあの日と同じ夏野空

0816・火・

 台風が接近しているはずなのに蝉たちは元気一杯に鳴いている。そうなのだ。気温が25度に達すると蝉たちは鳴き始めるのだ。蝉の声は夏日であることの証明なのである。それにしてもツクツクボウシ、どうしてそんなに音楽的に鳴いてくれるの。オーシンツクツク、オーシンツクツクと強く弱く調子をつけて鳴き続けて、最後はオイオーイ、オイオーイとエンディングまで盛り上げていく。すごいね、その音楽的センス。芸もなく、ただただ一本調子で声を発するアブラゼミとかミンミンゼミとかにいにいぜみとか、そんな蝉がいたかどうかは知らないけれど、とにかく他の蝉たちとはちょっと違うのだ。やかましいだけのクマゼミとはちょっとだけじゃなく、まるで違うのだ。すごいじゃないか。泣き始めから最後までのあの変化と変調はまさに交響楽、シンフォニー。英才教育を受けることなく音楽学校にも通うことなく、ツクツクボウシたちは最初から芸術の才能をまとってこの世に誕生したのだね。ツクツクボウシは蝉業界のベートーベン。となると、ヒグラシは蝉の世界のモーツァルトかもしれないね。
 ところで蝉というと、巨木に蝉のナナハンライダーを思い出す。競馬の騎手は体重が軽いほど有利。けれどもナナハンライダーは別。身体が小さければ重い車体をコントロールするのが難しくなる。けれどもボクが目撃したそのライダーは競馬の騎手みたいに小さな肉体でナナハンバイクを見事に乗りこなしていたのだ。巨木に蝉となって見事に乗りこなしていたのだ。ボクが呆然と見とれていたらそのライダー、こちらを見て鼻でふふんと笑った。そう。ボクはその当時、50CCのゼロハンライダーであったのだ。鼻で笑われても仕方のない存在だったのだ。

 ここんとこ、メダルメダルと同じ話題ばかりで馬鹿みたい。駄菓子屋とかゲームセンターでメダルをねだる子どもみたいに連呼するラジオ。きっとテレビもそうなんだろな。オリンピックは参加することに意義があります。なんてのは誰でも知っていて誰でも無視してるお題目。でもね、やっぱメダルですよ。誰でもメダルをねだるのですよ。ボクもメダルが嬉しいのですよ。だから期待してなかったリオ五輪にだって次第に興奮してきたのですよ。だからオイラも馬鹿なのです。

 ところで何だ、台風のやつ。こちらは原画渡しの予定があったのに、台風がやってくるということで約束を延期してもらったのだ。原画は北軽井沢でとっくに仕上げてあるのだ。そんな人騒がせをしておいて、台風7号のやつ、ちっともこないじゃないか。ここは反省してもらいたい。

▲ 気がつけばつくつくほうし風立ちぬ

0817・水・

 台風7号のやつ、目覚めたら東京からは既に遠くなっている。ホントに人騒がせなやつである。けれども何事もなく台風一過となってよかったと思っていたら群馬館林で39.6度という猛暑の置き土産。フェーン現象による高温であるらしいが、東京も無茶苦茶な蒸し暑さとなってきた。エアコン26度の設定が北極の涼しさみたいに思えてくる。そう。暑さ寒さって、相対的に感じるものなんだよね。

 ラジオをつければ今日もオリンピック。バドミントンをやっていたが日本人同士の対決でちっとも興味が湧いてこない。すぐに消したが、あとで勝利インタビューが耳に入り、オリンピック村の同室、ルームメイトの闘いだったことを知る。ライバル同士の心理的闘争もあったのではないかとお気の毒なことである。この試合、何とかならなかったのだろうか。とにかく、せっかくのオリンピックなのである。ぜひとも面白くしていただきたい。
 福原愛ちゃんが号泣したという。みんなもらい泣きをしたという。でもボクは熟睡していてちっとも知らなかったのだ。昨夜ラジオをつけたらリオ五輪の卓球中継をやっていた。日本女史が団体戦で銅メダルを争っていたのである。福原愛ちゃんが必死にプレイしている様子を中継していたのである。でも、愛ちゃんの必死さがびしばしと伝わってきて、とても聴いてなんかいられなかった。座ってなんかいられなかった。愛ちゃん、もしかしたら調子がよくなかったのかもしれない。自分のプレイに納得していないような雰囲気があったのだ。敗けたらどうしよう。聴いていてそう思うのだから、本人はもっとそう思っていたに違いない。というわけでじっと聴いていられなくなり、ラジオを消して寝てしまった、という訳である。ごめんなさい。小さい頃からの頑張りが実ることをみんな願っていたのです。だから聴いていられなかったのです。でも、勝利したのですね。よかった、よかった。眠っていて、ほんとうにごめんなさい。
 ソウル五輪以来、韓国女史がアーチェリーで金メダルを取り続けていることをご存じだろうか。その要因がキムチであることを韓国アナリストが分析しているという噂を耳にした。韓国女性の指先は世界でいちばん繊細だそうで、その理由は長年キムチを漬け続けているから、という分析である。だとしたら日本女性はどうなのか。ヌカミソじゃダメなのか。大和撫子は日本昔話の過去からヌカミソを掻き回し続けているのだけれど、掻き回すだけじゃダメなのか。洋弓がダメなら和弓(わきゅう)じゃどうだろう。指先の繊細さなら韓国に負けないはずなんだけどな。と、なんのかんのといっていて、オイラもオリンピックの話題ばっかり。やだね。

▲ この暑さ蝉がゆだって落ちてくる

0818・木・満月・

「やったあ!」
とか、
「よーし!」
 とか、オリンピック中継で聞こえてくるけど、そんなん、解説じゃないじゃん。ダメだよ、ダメ、ダメ。あんたらは応援団や観客じゃないんだから。与えられた仕事を忘れないでやってくれよな。あんたらの仕事は応援じゃなくて伝えることだろう。会場の歓声とアナウンサーの絶叫で、勝ち負け以外の状況がまるでわからない。これで実況放送といえるのだろうか。そんなに興奮しないでくれよな。あんまり騒ぐと世の中の裏側で起きていることがますます見えにくくなってくる。このスポーツ騒乱の影で、まさか悪巧みをしている勢力はいないよね。もしもいるとしたら、このタイミングは絶好のチャンスでしょう。そう。オリンピック以前と以後。戦争法案とか憲法改悪とか選挙とか。オリンピック健忘症にだけはなりたくないよね。

 8月15日、悲惨な事故が発生した。銀座線「青山一丁目」駅で盲導犬使用者がホームから転落して死亡したのである。銀座線は国内で最も古い地下鉄である。地上から近いため、階段は楽でいいのだが、なんせ設備が旧式。おまけに設計の考え方も旧式。そもそも昭和初期にバリアフリーなんて発想そのものがあった訳がない。高齢者や障害者の社会参加なんて頭の隅っこにも浮かんでこなかったのに決まってる。明治憲法の下、人権意識だって希薄だったんだから弱者の権利なんて認めるはずがないのである。老人や障害者は引っこんでろ、迷惑だから出てくんな、と思っていたに相違ないのである。その証拠にホームは狭くて柱だらけ。それも当たり前。トンネルを深く掘れなかったのも、ホームが狭いのもすべて経済が最優先だったからである。当時はもちろん点字ブロックなんて存在そのものも発想もなかったし、今だって点字ブロックの敷設について当事者である視覚障碍者の意見がどれだけ取り入られているかは怪しい限りである。なんせ、ホームドアの設置もまだまだ遠い先の話であるのだから。つまり、今も経済が最優先、ということなのだろう。
 以上のような状況で視覚障碍者に事故の起きない訳がない。視覚障碍者であると同時に失格障害者であるこのボクがこれまで無事にいられたのはボクには常に誰かのサポートがあり、たとえ盲導犬と一緒であっても、人に助けられながら鉄道ホームを歩いてこられたからである。
 それにしてもホームに残された盲導犬は今、どんな気持ちでいるのだろう。自分の守るべきご主人を失って呆然としているのに違いない。11年間も盲導犬使用者だったボクはその盲導犬の呆然自失がリアルに想像できるのだ。自分の誘導の失敗でボクを転倒させたときの盲導犬アリーナの焦りと後悔を実際に体験しているからである。
 ボクが中部盲導犬協会で訓練を受けていた当時、盲導犬使用者の死亡事故は一切発生していなかった。けれども最近、盲導犬使用者の死亡事故が発生するようになってしまった。これには何か理由があるのだろうか。社会のモラルの低下、感情の劣化、ケータイやスマフォの普及と関係のないことを祈るだけである。

▲ 轟くはオリンピックと蝉の声

◇ バーチャル東海道五十三次コース  水口に到着、通過しました。
次は石部。あと25,445歩です。現在の歩数、888,355歩。
3周目挑戦中!

0819・金・

 ニュースによればオバマの核兵器先制不使用宣言に対する安倍晋三の反対表明があったとか。ということはオバマの核兵器に対する考え方に安倍政権は賛成するつもりがないのだ。だったら何でオバマを広島に招待なんかしたんだろう。核兵器使用が大前提の政権がオバマを世界最初で唯一の被爆地に招いたのだろう。それが積極的平和主義というやつなんだろうか。アベちゃん、いってることとやってることがバラバラじゃんか。核兵器なき世界の可能性がいかばかりなものかはちょっとおぼつかないけれども、先生核兵器不使用宣言については米国の反撃能力を考えれば当たり前の話である。核兵器の本質から考えればその使用は報復のみで事足りる。そんなことがわかんないアベちゃんは、かなり賢いのではありませんか。

 ここんところ、NHKラジオ第2の「朗読の時間」を欠かさず聴いている。断腸亭日乗の永井荷風がカッこいいのだ。今朝は浅草、東橋(あずまばし)から自分の使っている金製品を惜し気もなく隅田川へ投げ込んでいる。戦争を推し進める軍国政府の役人の手に渡り、連中の勝手にされるくらいなら捨てた方が増し、との考えなのである。それにしても何たる傲慢、恐るべき不遜、許されざる横暴。軍事政府の理屈にかかれば個人の資産や基本的人権は捕まえたイナゴの頭を捻るより簡単に無視されるのである。これからだってわからない。同じ政権を許し続ければその体制は必ず腐敗する。民主政治を正しく維持できるのは政権交代というバプテスマだけなのである。
 「朗読の時間」が終われば10時からはカルチャーラジオ。そして金曜日のカルチャーラジオが格別に面白い。「化学と人間」は太陽系外の惑星を探す、というシリーズ。講師は東京工業大学地球生命研究所の教授である。今朝はその六でテーマはホットジュピター。これは中新星(ちゅうしんせい)のすぐ近くを軌道とする木星型の惑星のこと。ホットジュピターの存在が確認されるまで、木星型惑星は太陽系がそうであるように中心星(ちゅうしんせい)のはるか彼方を周遊するパターンしか考えられていなかった。それが系外惑星の発見を遅らせたのである。来週はエキセントリックジュピター。これは楕円軌道の木星型惑星。木星型惑星に何らかの天体が衝突し、その軌道を著しく変更させられたものであることが考えられる。このように太陽系外の惑星系には様々なパターンが存在するのである。

 ラジオをつければオリンピック。これを中継するアナウンサー、どの放送もプロレスの実況中継に聞こえてくる。その昔、猪木やタイガーマスクの動きを伝えていた誰かさんの絶叫みたいに聞えてくる。興奮の連続で、勝ち負けだけは伝わってくるけれど、試合の内容は何が何だかよくわからない。どうかもっと落ち着いてもらいたい。なんせこれ、テレビじゃないんですから。
 テレビといえば、ボクは長いことテレビを見ていないので黒人の水泳選手の存在を確認できたことがない。というか、これまで黒人がプールで泳いでいるのを見たことがない。ラジオでは黒人の水泳選手の存在について、誰も触れていないような気がしてる。失明以前のことだからずいぶん昔の話になるが、ケニアのプールで泳いでいたのは白人と日本人だけで、アフリカ人は誰も泳いではいなかった。陸上競技なら人種の壁は問題にならない。けれども同じ水の中で競い合う水泳競技だといきなり人種の壁が現れる。日本には存在しなくても、世界には厳然たる人種の壁が存在するのだ。人種差別の大きな障壁が立ちはだかるのだ。だから条件反射みたいに米国の警察官は黒人を射殺するのだ。果たして今、21世紀のオリンピックで、この人種の壁は取り払われているのだろうか。誰か教えてくれませんか。

 透析は明日の午後に変更しているので今夜は忙しい。駅前喫茶店、エクセシオールで月刊ラジオ深夜便の新任編集長と面会、原画をお渡しして、その足で散髪にいく。思い切り短くして気持ちいい。コボちゃんは図書館で本の発掘。それから合流して光陽楼で食事。餃子とオムレツと豪華版冷やし中華で満腹となり、今夜はゆっくり眠れることだろう。

▲ 店の奥冷やし中華と声かける

0820・土・

 いつもだったら土曜の朝はNHKで「ラジオ文芸館」を楽しむんだけど今朝はパスされる。10時からのNHKのラジオ寄席「真打競演」もパスされた。これみんなオリンピック放送になっちゃった。日本のメダルの数が40個に届くとは驚きだが、アスリートのみんなにとっては大変な4年間だったんだと思う。お疲れ様。結果の出た人、本当によかったと思う。
 それにしてもこのリオ五輪を舛添さんや賭博でつかまった元バドミントン男子選手たちはどんな気持ちで見ていることだろう。いや、観てはいられないかもしれないね。ボクだったら知らないふりをしていると思う。死んだふりをしていると思う。世の中、後悔しても仕切れないことがいくらでもある。そして、そういうときには上手にあきらめる方法を学ぶしかないのである。失明したボクみたいにね。

 うたた寝をしていたら頭上からの爆発音で飛び起きる。落雷ではない。巨大な空中放電である。青天の霹靂でもない。朝から雨が降っているからである。アルルをベッドサイドに呼び寄せてからラジオをつける。するとアナウンサーの絶叫と解説者の咆哮が群衆の歓声を伴って耳に飛び込んできた。桐生がどうとか、ボルトがどうとか叫んでる。日本がトップだ、とも吠えている。ニッポン陸上男子が400メートルリレーで銀メダルを獲得したのだ。その瞬間をライブで聴いてしまったのだ。ほんの一瞬ではあったけど、日本選手がボルトの先を走っていたのだ。追いつかれて追い抜かれたけれど、ボルトのジャマイカに次いでの銀メダルを獲得したのはすごい。ニッポン陸上にこんな底力が秘められていたとは何たる驚き。世界を驚天動地させる偉業なのだ。ニッポン男子陸上短距離の4人の選手がボルトと並んで表彰台に上るのである。これぞ本物の青天の霹靂、ウサインボルト、いや、数億ボルトの空中放電も真っ青な青天の霹靂なのである。ロシアが国家的ドーピング事件を起こしてくれたおかげなのである。さぁ、東京オリンピックではどうなるか。なんて粉をかけるとオリンピックを口実にして儲かりたい連中が喜ぶのだろうな。築地の移転はどうなるのだろうな。ますます建築費が高騰するのだろうな。魚河岸を潰して道路ができてしまうのだろうな。わはは。

 道路といえば、道路がただの一直線である限り、いつまでも交わることはない。けれども道路が複数存在すれば、いつかは交わり、交差点という社会的現象が誕生する。そしてこの無数に道路が走る世の中では三叉路の交差点というのは珍しくないのかもしれないけれど、五叉路(ごさろ)というのはもしかしたらすごく珍しいのかもしれない。そしてその五叉路(ごさろ)の交差点がこの近所に存在するのだ。そしてその交差点にセブンイレブンも存在するのだ。セブンイレブンはちっとも珍しくはない。けれどもこの五叉路(ごさろ)のセブンイレブンはもしかして、ちょっとばかり珍しいのかもしれない。というのは、ここの経営者がふざけてると、我が家では以前から大評判であるからだ。弁当であれ、おにぎりであれ、このセブンイレブンで欲しい商品を購入できることはほとんどない。人気商品であればあるほど入手のチャンスがまったくない。というのは、黙っていても売れる商品は隠しておいて、売れ残っている品物からお客様にお引き取り願いたいと棚に並べておくからである。お客様から選ぶ楽しさと権利を剥奪しているのである。そしてコボちゃんによれば、その犠牲者にされるのが高校生であるらしい。通学の途中、セブンイレブンでランチをゲットしなきゃならない高校生であるらしいのだ。彼らには時間がない。そして選ぶ権利も余裕もない。目の前に並んでいる品物だけが彼らのランチとなるのである。コボちゃんによれば、経営者の狙いはそこにあるらしい。だからコボちゃんは今日も怒りに震えて戻ってくる。今日も何もなかったと帰ってくる。TBSラジオで遠藤やす子アナウンサーがコマーシャルで紹介してる、あのおいしそうな商品など、最初から入手をあきらめている。だからどうしても欲しい商品がある場合、ボクらはクオリスを走らせて世田谷線松原駅のセブンイレブンに遠征する。そこで希望の商品と出会うのである。おい、五叉路(ごさろ)のセブンイレブン、そのうちファミリーマートにもローソンにも敗北してしまうぞ。という訳でこのオヤジ、いや、もしかしたらオバハンかもしれないけれど、この経営者の因業なやり方をいつも許せない気持ちでコボちゃんから聞いているのである。

▲ 稲妻のごとく輝く銀メダル

0821・日・

 そんなはずじゃなかったのに、朝から熱心に傾聴してしまった。コーヒータイムでたまたまラジオをつけたらオリンピックサッカーの決勝戦だったのだ。どちらも負けられないドイツとブラジル。熱戦に次ぐ熱戦で勝負がつかず、どちらも譲らない。結局はPK戦での雌雄決着となる。文字通り手に汗握るPK戦である。ブラジルのキックは正確。そしてドイツのゴールキーパーは鉄の壁。見渡せば会場はブラジルのサポーターだらけで一触即発の雰囲気に満ちている。で、結果はブラジルの勝利。ホントにブラジルが勝ってよかったね。あれで敗けていたらオリンピック会場に血の雨が降ったかもしれないのだ。とにかくネイマールがヒーローになっておめでとう。心からブラジル市民に拍手喝采したい気分です。何せ、皆さんリオ五輪を成功させた納税者たちだもんね。
 さて、日本のオリンピックはおもてなしで裏ばかり。これからどれだけ税金が無駄に使われるかわからないのでご用心。

 さぁ、今日はいよいよ「新ゴジラ」の鑑賞会。視覚障碍者とボランティアたち36名が集ってみんなでゴジラの鑑賞会。企画は鈴木大輔さんとメータンこと美月めぐみさん。映画館で同時解説してくれるのが鈴木大輔さんで、スーパーバイザーがメータンこと美月めぐみさん。ボクはひたすら馬鹿面をさらして家で待機していて、やがて絵夢助人(えむすけびと)さんがベンツで迎えにきてくれて、たちまち彼女の家までドライブ。そこから大江戸線の駅まで歩き、集合場所の「としまえん」駅まで地下鉄電車で一直線。改札口で大輔さんグループに合流、皆さんとご挨拶ができたのである。
 ところが集合場所でぼんやり突っ立っていたら、ドシン!
「あ、失礼」
 視覚障碍者同士の正面衝突である。何と、この愚かなるボクは、盲人失格のボクは、失格障害者であるこの馬鹿なボクは視覚障碍者でありながら点字ブロックの上でボンヤリ突っ立ち、視覚障碍者の通行を妨げていたのである。ああ、恥ずかしい。中途失明とはいいながら、ボクは30年目の盲人なのである。普段、どれだけ甘やかしておけば、これほど馬鹿な盲人になるものなのかと、自分のことながら呆れてしまうのである。ピコピコハンマーで頭をぶっ叩いてやりたくなるほどの愚かなる中途失明者なのである。皆さん、本当にごめんなさい。
 これまでどれだけサピエ図書館の音声映画にお世話になってきたことだろう。けれども本物の映画館で映画を観るのは本当に久しぶり。絵夢助人(えむすけびと)さんにポケットラジオの周波数を合わせていただき、イヤフォンをかけると、おお、聞こえてきた。次々とかかる予告編を大輔さんが同時解説してくれてる。めくるめく移り変わる画面を説明してくれている。そうなると予告編も面白い。それはそれ、立派なエンターテイメントに昇華するのである。そして本編、「新ゴジラ」のはじまりはじまり、となるのである。
 大輔さん、お疲れ様でした。おかげさまで「新ゴジラ」、心から楽しむことができました。そして新ゴジラはふくいちでしたね。東電福島第一原発の化身でしたね。ボクには動きを停止した新ゴジラが政権から無理矢理に冷温停止を宣言され、廃炉の運命にさらされた事故原発に思えたのです。
 さて、フルCGだから新ゴジラはいかなる形にも生まれ変わることができる。作り変えることができる。目玉ギョロギョロのウツボかオタマジャクシの化け物みたいだった新ゴジラの幼生がやがてゴジラの成獣へと成長していく。最初は足だけ、それから手が生えてきて、ゴジラの成体へと進化していく。それがまるで画面を観ているがごとく、脳味噌のスクリーンで展開していったのである。すべて大輔さんのおかげなのである。
 身長50メートルの初代ゴジラは強かった。80ねーとるに巨大化した85年版ゴジラもしぶとかった。でも新ゴジラは滅茶苦茶に強い。これまでになかったくらい強い。理屈抜きに強い。理不尽に強い。物理学や生物学の決まり事を超越して強いのである。命中すればただの1発で人間の五体を飛散させてしまう20ミリ機関砲弾を1分間に6000発も発射可能なバルカン砲の攻撃にも、戦車でさえ悲鳴を上げる30ミリガトリングガンの連射にも新ゴジラはビクともしない。へっちゃらなのである。自衛隊の攻撃ヘリは数万発の弾丸を撃ち込んだ結果、
「残弾なし!」
の悲痛な叫びを上げるのである。
 けれども自衛隊ヘリは安易にこの機関砲攻撃に踏み切った訳ではない。ゴジラ上陸の当初は射線の延長上に人影を見出し、トリガーにかけた指を躊躇させるのである。国際ジャーナリスト及川健二情報によれば作品中の防衛大臣を演技指導したのは元防衛相の小池百合子だったそうだが、この内閣、かなりよく描けていたような気がする。実際にゴジラが東京に上陸すれば、自衛隊を防衛出動させるにあたり、こうした苦悶が想像できるからだ。結局、ますます巨大化し、破壊の化身となって凶暴化するゴジラに対して東宝映画伝統の内角は火器使用を許可する。そして残弾なしの悲痛な叫びを上げるに至るのである。完全生物ゴジラに白旗を掲げるのである。そこで思い出す。完全生物って言葉、どこかで耳にしたことあるぞ。確かエイリアンのことだったよな。でもあのエイリアンのフォルム、ゴジラのオマージュだったよね。ということはお互い様ということなのだ。
 やがて安保条約を口実にアメリカがしゃしゃり出てくる。ステルス爆撃機B2でゴジラに対して貫通式爆弾を投下し、これまでにないダメージを加えるのである。ここまで観てきて想い出したのが失明直前に執筆訓練のために書いたハリウッド版ゴジラのための原作。人間側の裏切りをきっかけに凶暴化するエム ナマエ版ゴジラとの共通点に思いが至ったのである。ボクのゴジラプロットについては拙著「失明地平線」にあるので、どうぞサピエ図書館でご確認ください。といいながら、ちょっとだけよとここにほんの一部を紹介します。
“ 半島を北上する巨獣。赤い満月。焔に包まれる地方都市。木端微塵の建て売り住宅。迷子の幼い主人を死守する雌のドーベルマン。剥き出される歯列。咆哮に飛散する窓ガラス。対戦車ヘリコプター。二十ミリバルカン砲。曳光弾が作るオレンジのアーチ。崩壊する駅前デパート。停電。焔に浮かび上がる巨獣のシルエット。それを映す病院の窓ガラス。逃げ惑う患者たち。誘導する看護婦。非力な重火器。超自然の前に脱走する戦闘員。スクランブル発進の最新鋭主力ジェット戦闘機。ミサイルの雨。流れ弾。火災。紅蓮の竜巻き。炎上する巨獣の通過地点。多摩川を渡る巨大な赤い影。首都に現れた動く超高層ビル。待機する首都防衛軍。サイレンと赤いランプ。避難命令。ペットを胸に逃げ惑う都民。コンピューターシステム、プロジェクト『GOD』の緊急発動…”
てな具合です。サピエ図書館をご利用の皆様はどうぞアクセスしてください。書名は「失明地平線」です。
 さて、大輔さんの解説のおかげで本物の映画館で楽しく映画鑑賞ができました。素敵な音声解説でした。カッこいい大輔さん、本当に感謝です。

 本編の新ゴジラが終了すれば移動して、メータンを中心に中華レストランでお茶会。円卓を囲んで視覚障碍者とボランティアで楽しく自己紹介。驚くべきはみんなゴジラが大好きという事実でした。それぞれのスピーチに納得させられたのです。ボクの右隣は原則子さん、左には中村隆さん。この日をきっかけに知り合うことができて幸せでした。本日の集まりに参加した皆さん、それぞれ背負っているものは違うけど、それぞれの闘いに支えられた意味あるヒューマンライフなのです。
 お茶会なのに会場は中華レストラン。メニューにはずらり中華料理が並んでいた。そこで全員、メニューを睨んで中華料理を注文する。たちまちおいしそうな匂い。ラーメンとか炒飯とか、チンジャオルースーの匂いをさせながら中華料理を食べていた。でもボクと絵夢助人(えむすけびと)さんは指をくわえてガマン。だってこれから寿矢でお寿司での納涼食事会を企画していたからだ。そしてガマンして正解。寿矢で遭遇したのは豪華松茸土瓶蒸し。今朝まで読んでいた東海林さだおのエッセイで、松茸の土瓶蒸しを読んだばかりで、ちょっと早いけど松茸の土瓶蒸しが食べたい気分になっていた。そしたら寿矢にその土瓶蒸しがあるという。出してくれるという。東海林さだおのエッセイで読んだばかりの松茸は薄くてヘナヘナで微かに松茸の香りがして、その他の鶏肉とかの具がゆらゆらと遊んでいる悲しい松茸の土瓶蒸しだったが、寿矢の土瓶蒸しはそれとは偉い違いで、豪華にまるごと松茸を贅沢に切り刻み、その切り身だけがたっぷりと満員電車状態の山手線か、もしくは夏休みのとしまえんプールか、それとも満員御礼の銭湯みたいに芋洗い状態で泳いでいる松茸オンリーの土瓶蒸しだったのである。ゴジラの後の土瓶蒸しは格別。そういう一日となったのである。絵夢助人(えむすけびと)さん、いつも本当にありがとうございます。

▲ 松茸とゴジラが泳ぐ土瓶蒸し



2016年8月8日~14日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0808・月・

 カレンダーの原画制作は順調である。6月の絵を描いている。紫陽花の葉っぱに広がっているカタツムリ団地の絵である。カメの郵便配達の背中に一匹のカタツムリがいて、カメの背中で走っているつもりになっている。そんな絵を描いている。カタツムリの殻をかぶったみたいに背中を曲げて顔を紙に近づけてせっせと手を動かしている。
 今日は8月8日、8並びの日である。8月8日という末広がりの日付のせいだろうか、天皇陛下のお言葉があった。これが戦時中であれば起立して直立不動となり、これ以上はできないというくらい真面目な顔つきをしてかしこまり、全身全霊ををもって敬聴、もしくは謹聴すべきを、ボクは失礼ながら背骨を曲げて「おえかき」作業をしながら拝聴したのである。そして思った。これは今上天皇の人権宣言ではなかろうかと。現行憲法の下で私たち国民は基本的人権を無条件で認められている。けれども天皇陛下は個人としての自由も権利も一切認められてはいない。職業選択の自由も行動の自由も一切認められてはいないのである。小学校の先生になり、小さな子どもたちに囲まれながら海の見える町で暮らしたいとか、今夜は封切館で「新ゴジラ」を観て帰りは駅前のラーメン屋で亭主自慢のメンマをつまみに一杯やりたいとか、いくら願っても生涯叶えられないのである。おまけにこれまでずっと天皇陛下は国民のため、あたかも奴隷のごとく奉仕してこられた。微笑みを絶やすことなく尽くしてこられたのである。そして両陛下のご意思で公務に加え、被災地を訪問され、太平洋戦争の戦地を訪れ、慰問や慰霊をされてきたのである。どれだけお疲れのことだろう。心臓の手術もされた。その直後、東日本大震災の被災地も訪問されている。そろそろお休みになられたらいかがだろう。こう思って当たり前なのである。そうなのだ。私たち国民からそうお伝えすべき時期がきているのだと思う。そして心からお疲れ様と頭を下げるべきなのである。

 スヤスヤと寝息をたてて熟睡していたはずのアルルが突然ブンブンと尻尾を振り始めた。自分のベッドをドラムにして、バタバタと叩いている。夢を見ているのだ。だったらどんな夢だろう。褒められている夢だろうか。それとも散歩にいった先でコボちゃんにソフトクリームをもらっている夢だろうか。アルルの夢の世界。果たしてどんな世界なのだろう。犬の国、犬の理想郷。そこには人間なんか出てはこない。犬のことは犬同士で決めていくのだ。人間に決められるのではなく、職業も行動も犬の意思で決めていくのだ。番犬がいいとか、盲導犬がいいとか、猟犬がいいとか決めていくのだ。でも、だとしたら誰のために働くのだろう。そうだよね。人間の想像力が及ぶ範囲はえらく小さい。犬のお医者さんとか犬の弁護士とか、犬のおまわりさんとか、なかなかいい考えが浮かばないのだ。やだね、人間。

 夜中にロケット花火の音がする。こんな時間にどこのドイツ、フランス、オーストラリア。わぁ、ダサ。という訳で不愉快に思っていると、それに応えるように正体不明の声がする。何かの生き物の声がする。鳥なのか獣なのか、それとも蛙か昆虫か、不思議な声がする。山の中である。人間の力の及ばない山の中である。ムジナかもしれないし、オロチかもしれないし、もしかしたらツチノコかもしれない。とはいえ、その正体が何であれ、人間よりも厄介な存在であるはずはない。だったら安心してウィスキーを傾けていよう。

▲ 真夜中の ロケット花火 非人情

0809・火・長崎原爆の日・

 台風5号の影響で関東地方各地では猛暑日が予測されている。最高気温39度なんてのは空気の温度ではない。お風呂の温度である。そして人間はそんなに長くお風呂に入ってはいられない。東京は38度に迫る猛暑になるという。そんなタイミングで北軽井沢にいられることに感謝する。という訳で朝から絵を描いている。カレンダーの制作は順調である。
 やがて11時2分、長崎では鐘が鳴り、ボクは卓上で黙祷する。そしてアルルは朝の散歩から足を引きずって戻ってきた。突然の痛みである。釘を踏んだのかもしれない。虫に刺されたのかもしれない。スズメバチかもしれないし、ムカデかもしれない。しばらくすると足が腫れてきた。熱はない。傷跡はないが肉球(にくきゅう)の先端、人間でいうと指の付け根あたりを刺されたらしい。草むらを歩いていて突然しゃがんでしまったのである。だとしたらやっぱりムカデ。アルルは体重でいうとボクの半分。その大きさの肉体である。もしもムカデだとしたらそのダメージは小さくはない。とはいえ、とにかくマムシでなくてよかった。もしもマムシだったら今頃、無事ではいられないだろう。
 留守番をさせるアルルが心配でたまらないが、ボクは透析に出かけていく。そして4時間が経過すれば透析が終了する。山間(やまあい)のクリニックの玄関先ではワンちゃんが吠えている。真っ白なトイプードル。声をかけると尻尾を振ってじゃれついてくる。事務長のワンちゃんであるらしい。この事務長、ヘビースモーカー。いつも玄関先でタバコを吸っている。けれどもこの事務長、とても親切な人。それはこのトイプードルを見ればわかる。犬は飼い主の鏡であるのだ。
 さて、ボクらが鏡のアルルはきっちり留守番をしていた。足の腫れはひどくはなっていない。コボちゃんの応急処置の効果があったのかもしれない。

 夜、吉川英治版「宮本武蔵」の朗読をBGMに飲んでいる。つまみは1本80グラムのフランクフルトソーセージ。これを3本たいらげる。調布市立図書館のボランティアスタッフの朗読が素晴らしいから食欲がわいてくる。コボちゃんもわいてくる。ボランティアの朗読にいつも厳しいコボちゃんであるが、この朗読には感服している。ふたりで江戸初期の世界に耽溺していたら遠くでロケット花火。またまたである。かと思ったら、今度はジェット戦闘機の轟音。スクランブルであろうか、アフターバーナーをふかしてるような爆音を発して軽井沢の空をすっ飛んでいく。それを雷鳴と思ってボクにしっかりと寄り添っているアルルが愛おしくてならない。足は腫れているけど、ひどいことにならなくてよかった。感謝である。

▲ 九度八分 お風呂じゃないよ 気温だよ

0810・水・

 気の毒だよ、そんなの。日本柔道でこの種目だけメダルが取れなかったなんて、そんなにプレッシャーかけてどうすんのさ。誰だって必死になってやってるに決まってるじゃんか。柔道が日本のお家芸なんて昔の話なんだよ。大相撲だって横綱はみんな外国人。柔道も相撲も国際的になったつうことで、もっと喜べばいいじゃん。
 それにしても意外や意外。リオ五輪が盛り上がっている。どこかの国の大臣が強盗に襲われたらしいが、今のところ設備の不具合などは報告されてない。とにかく南米最初のオリンピック、現地での応援の激しさがラジオを通じて伝わってくる。やかましくてアナウンサーの声も途切れ途切れに聞こえてくるけど、盛り上がってることだけは確実なのだ。それはそれで素敵なんだけど、アナウンサーと解説者の応援絶叫、バッカじゃなかろか。おまけにスポーツ関係者のら抜き言葉にもあきれてしまう。脳味噌まで筋肉と思われても仕方がない。なるほどオリンピック放送、なんたる格調の高さ、さすがは文武両道、とはいかんもんかね。

 一昨日あたりからアマガエルの声が聞こえるようになってきた。そのうち大合唱に発展していくことだろう。この大量のアマガエルは何を摂取して生命活動と暮らしを維持しているのだろう。成長していくのだろう。アマガエルは草食ではない。肉食である。昆虫を食べて命を維持し、その肉体を形成しているのである。蚊や蠅、羽虫などを捕獲し、食らっているのである。何たる大量の虫たち、大量のアマガエルたち。そして夕べは鷺らしき声が耳に届いたが、あの鷺は沼の魚を捕獲を目的に飛んできたのか、それともこの大量のアマガエルを捕食しにきたのだろうか。でも、アマガエルには毒があると聞いたことがあるので、ご用心。お腹をこわしても知らないよ。この北軽井沢の野原にもケニアのサヴァンナや南米のアマゾンみたいな弱肉強食の世界がある。あの可憐なアマガエルの運命も、その円環の中に置かれているのである。

▲ 金メダル 世界でたった ひとつだけ

0811・木・※山の日・上弦・

 朝のNHKラジオ、寝不足に注意しながらペルセウス座流星群をご覧ください、なんて余計なお世話だ。夜中に起きて流星観測をしようなんて連中、最初から寝不足は覚悟しているのだ。猛暑日の続く昨今、こまめに水分補給をしてくださいも痒いところに手が届き過ぎる嫌いがあるが、最近は熱中症で倒れる人が続出してるので、これは親切だと思う。人間、加齢すると自分が暑いのか寒いのかわからなくなってしまうのだ。

 山の日だからという訳ではないだろうが、トラネコミミコが朝から山に散歩に出ている。けれども呼べば戻ってくる。テリトリーの広くない猫という生き物のことである。保護者の声が届く範囲でしか行動できないのだろう。

 帰省ラッシュで下りの高速道路が混雑していて事故を複数目撃する。緊急自動車が交通渋滞を掻き分けて進んでくるのを目撃する。もちろん目撃したのはコボちゃんだけれど。それにしても帰省ラッシュのピークになることは誰でも容易に予想できるはずなのに、何で山の日なんて休日を制定したのだろう。お盆休みに付加したサービスホリデイということなのかもしれないけど、これって何のための陰謀なのだろう。とにかく道路は渋滞、レストハウスは満員、駐車場は満車。高速道路は上りも下りものろのろ運転。これって現政権の人気取り政策と官僚の楽したい下心見え見え方針の結果であるような気がするのはボクのヤブニラミのせいだろうか。ひねくれているせいだろうか。アベちゃんのおじいちゃん政権の時代からボクは政治と国家不信が習性になってしまっているのです。ごめんね。
 世田谷へ入って懐かしの赤堤道路を走っているとコボちゃんが突然ブレーキを踏んだ。急ブレーキとはいえないまでも、咄嗟の動きである。猫が道路を横断した、というのである。けれどもその猫、やたらに身体が細く、尻尾も細く、ふわふわとなびいているというのである。聞けば真っ黒であったともいうのである。それってもしかして、脱走したフェレット。家畜化したヨーロッパケナガイタチ、あのフェレットであるかもしれない。ウサギ狩りにも使われるし、実験動物としても利用されている、あのフェレットである。やたら輸入され、一般家庭でもペットとして飼育されてもいる。ずいぶん前のことになるが、友人の落合福嗣君も何匹も飼っていて、我が家にも連れてきたことがあった。イタチと思うと気持ち悪いが、想わなければ柔らかくて毛並みが良く、気持ちのいい生き物である。赤堤道路を横断した黒井フェレット、コボちゃんが見ている間に再び横断、往復した。都会のコンクリートジャングルで道路という危険な金属のワニや魚が行き交う川の向こう岸にどんな用事があったか知らないけれど、どうか元気に生きていってくれ。そして人間の退屈な都会暮らしに違った色を見せてくれ。そんなことを思っていると膝のトラネコミミコが窓の外を見て興奮している。どうやら我が家に到着したらしいのだ。

▲ 山の日は 海と山との 合言葉

0812・金・

 日航ジャンボが御巣鷹山の山麓に激突してから今日で31年。ボクはあの日の日没の不吉な紅色(くれないいろ)を忘れることができない。当日、ボクは恵比寿の喫茶店ポエムで小説ゴジラを書いていた。失明を目前にして、見えない目でいかに作文をするかの特訓中であったのだ。友人の映画プロデューサー、御影マサの進めで、ハリウッド版ゴジラの脚本のための下書きをしていたのである。拙著「失明地平線」にも記したことであるが、作品中でゴジラが三浦半島に上陸を開始する、正にそのタイミングで日航ジャンボが同じ三浦半島付近で行方不明になっている、との情報が飛びこんだのである。思わず喫茶店ポエムのガラス窓の外に目をやると、空は真っ赤な夕焼け。不吉な赤が東京の空気を染めていたのである。やがて悲劇が伝えられる。多くの死がその関係者の数だけ悲しみを増殖させていく。そしてボクにとっての最大の悲しみは坂本九さんの死であった。小学生時代から大ファンで、その九さんに絵を買っていただいたことは生涯忘れられない出来事となっている。その翌日、真夏の空の下、恵比寿の商店街を「上を向いて歩こう」を小さく口遊み(くちぐさみ)ながら、道路の点字ブロックの黄色を目当てに、とぼとぼと歩いたことを昨日のことのように想い出すのである。

 体操、水泳、柔道、卓球とニッポン、次々にメダルを獲得している。やっぱり素直に喜んでしまう。興奮してしまう。たまたまつけたラジオから流れてくるサッカーの試合なども負けたりすると本気で落胆する。あんなに期待してなかったリオ五輪なのに、オリンピックの魔力はすごい。その証拠に反対デモまでしていたブラジル市民が嘘みたいにエキサイトしてるじゃないか。アナウンサーの声が聞き取れないほど絶叫し指笛を吹き鳴らし、エキサイトしてるじゃないか。地球の裏側、この日本の山の中でもエキサイトしてしまうじゃないか。何とかしてくれや。
 日本男子で最初のメダルを獲得した卓球の水谷選手、まことにお見事である。そしてもっとお見事なのはそのコメントがら抜き言葉ではなかったこと。この偉業と正しい日本語は立派に関係があると思う。つまり、覚悟のある人なのである。スポーツ関係者はお手本とすべきだと思う。

▲ アスリート メダルねだられ とりとられ

◇ バーチャル東海道五十三次コース  土山に到着、通過しました。
次は水口。あと21,457歩です。現在の歩数、866,143歩。
3周目挑戦中!

0813・土・

 ここんとこジェネリックで悩んでいる。後発医薬品で苦労している。ボクは盲目で常備薬のすべてを自分でコントロールしているのだけど、それらが後発医薬品に換えられてしまった結果、シートや薬の形状が変わってしまい、把握しにくくなってしまったのである。しまってしまってしまったのである。しまったと口惜しがってしまったのである。ドクターによってはジェネリックを否定する方もおられるくらいで、効き目についても100パーセント信用できるかどうかもわからない。薬を間違えたり薬の効き目が違ったりして、もしも何かあったらドケチな厚労省に責任をとってもらうつもりである。自分たちの給料は日本が沈没しようとも引き下げないのに、それ以外の引き下げの理由は畳の目にはまりこんだゴキブリの目玉やフローリングの隙間で暮らしているダニの家族を捜すよりも素早く見つけてくる。目の見えている民であればそれが役人であり、それが国家であることをよく知っている。けれども大半の国民は島国暮らしが長くなった影響で目が見えにくくなっているのだ。どうかテレビより読書でご自分の想像力とリテラシーを養育してください。

 土曜の朝はNHKで「ラジオ文芸館」。でもオリンピックがまだ終わらない。10時からのNHKラジオはラジオ寄席、「真打競演」。でもまだまだオリンピックはたけなわ。おまけに高校野球も真っ盛りときているからいつものプログラムは望めない。午後1時からはTBSラジオで久米宏さんの独白エッセイ12分間。これをBGMに大特急でパジャマに着替え、アルルに
「いってきます!」
と声をかけ、ドアから飛び出す。今日はイレギュラーの透析なのである。
「ただいま!」
 透析が終わって玄関ドアを開けば黒犬の顔の下に猫の顔。ハイブリッド生物ではありません。アルルとミミ、犬と猫の姉妹がふたりしてボクを出迎えてくれているのです。

 吉川英治の「宮本武蔵」を感動のうちに読了する。何より朗読が素晴らしかった。コボちゃんも引き込まれて傾聴していた。朗読上手を自認している彼女のことだから、手放しで賞賛することは本当に珍しいのである。けど納得。ボクも3年間を通じての音訳読書で、これほどの朗読上手に出会ったのは初めてのことかもしれない。調布市立図書館のヨーコさん、お見事でした。感謝いたします。

▲ 寝てられん 五輪高校 プロ野球

0814・日・

 気がつけば立秋を過ぎている。気がつけば遊歩道でツクツクボウシが鳴いている。この蝉は晩夏のシンボルだ。夏休みがそろそろ終わりになるぞ、という警鐘だ。そして夏休みとは何の関係もなく、宿題も出されてもいないのに、とっくに前期高齢者になっているボクの焦燥感も不思議に誘う鳴き声だ。過ぎゆく夏は寂しい。涼しくなるのも寂しい。暑がり屋さんには嬉しいかもしれないが、寒さの苦手なボクは朝夕の風邪に涼しさを感じるだけでメランコリーな気分になってしまう。夏に逆戻りしたくなってしまう。ボクみたいな寒がりやは蝉が鳴いてくれてる間だけ、幸せを感じていられるのだ。

 陸上短距離100メートルの実況は10秒以下を競う競技だから耳に優しくていい。アナウンサーがどんなに頑張れを連呼しようと、解説者が応援絶叫をしようと、10秒で終わってしまう。ま、聞く方もしゃべる方も楽でいい、ということでもあるのだが。

 尖閣諸島でギリシャ船籍の貨物船と衝突して沈没した中国漁船の乗組員を救ったということで、中国政府は感謝の気持ちを表明しているとのことだが、あまり面白くないのが中国国民。中国海警局の船舶が多数出動していたのに漁民のひとりも救うことができなかったからである。要するに中国海警曲と日本海保の実力の差が明らかになった訳で面白くないのは当たり前。噂によれば実力の差はそれだけではないらしい。中国海軍と日本海上自衛隊の差も未だ縮まってはいないとのこと。その現実を目前に突きつけられたのだから中国の面子は丸潰れ。それにしても笑ってしまうのはこの出来事の直後、中国はリオ五輪における日本体操選手の活躍を口を極めて褒めちぎっていたことである。いやはや現金なこと。ま、これも中国の素顔。一度心を許せばどこまでも親しくなれる国民性の現れであるのかもしれないのだ。

▲ 外に出て 蝉のシャワーを 浴びている



2016年8月1日~7日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0801・月・花火の日・

 恒例、日本各地の日の出と日の入りの時刻です。昼間の長さと暑さの関係は必ずしも一致しません。それは北半球という巨大な入れ物が熱し易くもなく、また冷め易くもないからです。では、札幌から。日の出は4時25分、日の入りは18時56分。仙台の日の出は4時39分、日の入りは18時46分。東京の日の出は4時49分、日の入りは18時45分。大阪の日の出は5時8分、日の入りは19時00分。福岡の日の出は5時31分、日の入りは19時18分、ということです。

 天災政治家かモンスターか。東京都民はとうとう小池百合子の厚化粧の中身を見抜けなかった。それにしても善戦した上杉隆さん、お見事。
 以前、細川の殿様と小泉ジュンちゃんコンビが都知事選で頑張っていたときに上杉さん、ジャーナリストとしておふたりに密着していたことがあった。もしかして上杉さん、その当時から立候補を 考えておられたのかもしれない。その頃、国際ジャーナリストの及川健二さんが企画した ニューヨーク在住のジャーナリスト、北丸雄二さんを囲む会があって、ごく少数の集まりであったにも関わらず、上杉隆さんも参加してくださって、ボクもご一緒することになった。上杉さん、意外や意外、サービス満点の人で、取材したばかりの都知事選における小泉ジュンちゃんの奮闘ぶりを本人そっくりの声音で再現して、会場を大いに盛り上げてくれたことがあった。もちろん上杉さん、小泉ジュンちゃんをコケにするつもりなんてない。原発全面廃止を主張する小泉ジュンちゃんに尊敬をこめて報告するのである。上杉さんは東電福島第一原発の事故以来、福島を拠点にジャーナリズム活動を継続してこられたのだ。それ以来、ボクはこの人物に注目していた。上杉さん、この前線に気を良くしてもらい、またの機会を狙っていただきたい。でも、次の機会が都知事選挙でなくてもいいような気はしている

▲ 飛べるかな 化粧落とした 渡り鳥

0802・火・

 あの血も凍る事件から1週間。障害者たちが枕を高くして眠れなくなってから1週間。この事件が与える今後の影響を懸念する。同調する愚か者が現れないことを心から祈っている。マスコミは何から何まで馬鹿がつくほど丁寧に報告するけれど、受け取る側は常に自らの中心に太い鉄骨製の冷静さと精神的背骨を通しておきたいものである。

 北軽井沢の朝は鳥の声で目覚める。世田谷の朝は馬鹿な犬の声で目覚める。近所に猛烈、馬鹿な犬がいるのだ。あきれるくらい馬鹿なのだ。この犬、通りかかるものなら人間であれ、犬であれ、自動車であれ、猛然と吠えかかる。今にも噛みつきそうに吠えかかる。動くものなら何でもいい。大人であれ、子どもであれ、吠えかかる。ポストマンであれ、宅配便であれ、吠えかかる。大型犬であれ、小型犬であれ、吠えかかる。要するに馬鹿なのである。欲求不満なのである。喧嘩したくてたまらないのである。だから朝からうるさくてたまらない。迷惑しているのである。けれども笑ってしまうのはこの犬、飼い主の奥さんそっくりに吠えかかり、噛みつくこと。たまたまこの奥さんがご亭主に噛みついている現場に遭遇したことがあるので、犬の噛みつき方が奥さんそっくりであることをボクはよく知っているのである。子どもを見れば飼い主、いや、親がわかるというが、犬を見ても親、いや、飼い主がわかる。人懐こい犬の飼い主は社交的だし、すぐに歯を見せる好戦的な犬の飼い主は人嫌いが多いような気がする。会話のなくなったご夫婦や、孤独に飽きた独身者でペットの飼育を考えておられる人がいたとしたら、犬は鏡になるからご用心。秘密主義を堅持したいなら、ペットは猫にした方がよい。

▲ 七日間 過ぎても震え 止まらない

◇ バーチャル東海道五十三次コース

関に到着、通過しました。次は坂下。あと11,201歩です。
現在の歩数、834,799歩。3周目挑戦中!

0803・水・新月・

 ものすごい音がして目覚める。気がつくと窓の外が滝になっている。これじゃ昼寝などしていられない。怖いほどの豪雨というけれど、最近はこういうのを夕立と呼ばなくなった。ゲリラ豪雨というのである。名称が変わるだけでイメージも変わる。夕立だったら風情があるが、ゲリラ豪雨じゃ嬉しくない。すっかり被害者になった気分にさせられてしまう。ネーミングは大切です。

 とうとう石破茂さんが内角を脱出するらしい。それにしてもこの内閣、一億総活躍大尽とか働き方改革大臣とか、わけのわからない大臣が次々に誕生している。アベちゃん、彼らに何をさせる気なのだろう。それってそもそも、厚労省の仕事ではないのか。以前、自民党政権が誤魔化しみたいに省庁統合して見かけには役所の仕事を小さくしたのに、安倍政権がせっかく整理整頓したつもりの卓上のパイを引っ掻き回してチャラにしてしまった。サラリーマン時代、同僚からワガママ人間というレッテルを貼られたことのあるアベちゃん、やっぱり噂は本当だったのだ。

▲ 温暖化 雨もゲリラに してしまう

0804・木・

 そらいろめがね。ちょっと素敵なラジオネーム。ふと耳に飛び込んで、いつまでも頭の中で飛んでいた。

「答えられないと撃つぞ!」
と学生にモデルガンの銃口を向けて威嚇し、キャンパス内で殺傷能力のあるエアマシンガンをぶっ放し、模造等を振り回す大学教授が首になったというのは当たり前のことであるが、農業用エアガンというのがあって、電動式で害獣や害鳥駆除を目的としてネット通販で購入が可能であるというのは当たり前のことだろうか。この電動式エアマシンガンで失明させられたラブラドールレトリバーを記憶しているが、ナントカに刃物で、万人に危険物を購入できるチャンスを与えるということは、つまりそういうことなのである。誰でもが常識人だという保証はない。ああ、コワ。

 2015年の中国映画「妻への家路」、ひどい映画だった。救いのない物語だった。国家や体制に反逆すると、こういう目に合うのだという脅迫映画、という感じがした。これまでに体験した中国映画はどれも面白かったのに、習近平体制はこんな映画しか作らせないのかもしれない。本当だとしたらコワい話である。
 吉川英治の宮本武蔵を夢中で読んでいる。戦前の小説でその昔、我が家の物置に全巻揃って並んでいるのを目撃して、理屈っぽい剣豪小説とばかり思って敬遠していたのだが、純粋な魂を描く青春小説だったのだ。もしかしたらあの重厚な徳川夢声(とくがわむせい)の朗読が悪影響したのかもしれない。思い込みや偏見、間違った先入観はあまりよい結果はもたらさない。ああ、もっと早く読んでおくべきだった。
 先日亡くなった大橋巨泉さんのご著書を読んでいる。肉体は滅びてもその言葉は生きている。精神は活動し続けている。これが文字の力である。そしてその文字の力を視覚障碍者に解放してくれたサピエ図書館に心から感謝している。

▲ ありがたく カレーライスで 汗をかき

◇ バーチャル東海道五十三次コース

坂下に到着、通過しました。次は土山。あと19,501歩です。
現在の歩数、846,099歩。3周目挑戦中!

0805・金・

 朝の5時過ぎから道路が混雑している。夏休み真っ盛りの週末である。お盆も近づく週末である。だから混雑するのは当たり前。おまけに貧乏人のボクまでが避暑に出かけていく。蒸し暑いと肌と紙がべたついて、おえかき作業がはかどらないと涼しい場所へと移動するのだ。贅沢にも移動するのだ。奥さんの運転で、犬も猫も連れて民族大移動、とは大袈裟で、せいぜい家族小移動と洒落こむのである。やれやれ。
 本日の東京は猛暑日になるらしい。けれども関越道を飛ばして3時間、軽井沢なら涼しいとばかり思っていたら、とんでもない。軽井沢にも夏がきていたのである。けれども、やっぱり風だけは涼しい。だから納得。ボクのような貧乏人も、アベノミクス大好きなお金持ちも、みんな軽井沢が好きなのである。
 軽井沢の町に入れば、いつものツルヤスーパー駐車場。広い売り場をたっぷり時間をかけてコボちゃんはお買いもの。その間、ボクは犬と猫との子守りをする。トラネコミミコは膝の上から開いた窓の外を眺めている。すると買い物客がクルマの中をのぞいて
「あら、ワンちゃんのお留守番。まぁ、猫ちゃんもいるのね」
とつぶやく。猫とのドライブを羨ましく思う人は少なくない。犬と猫は仲が悪い。猫はクルマに酔う。そんな固定観念を払拭できない人は意外に多いのだ。
 スタジオクラスター北軽井沢分室に到着する。コボちゃんが荷物の移動をしている間、熊除けと思ってラジオをつけたらサッカーをやっていた。相手はナイジェリア。あっという間に点を重ねられている。日本メディアの前評判ほど不確かなものはない。誰だ、大言壮語していたやつは。
 停電かと思ったらブレーカーが上がったまんま。落雷があったのだ。冷蔵庫の内部が温まっている。けれども冷凍庫は無事だった。となると、電気が止まってからそれほどの時間が経過してないのかもしれない。いずれにせよ、中の食べ物は匂いを確かめてから口に入れることにしよう。
 可哀想なここの蜘蛛たち。ティッシュでつままれてポイポイと窓の外に捨てられている。せっかく屋内に蜘蛛の巣をせっせと建築したのに、これから山の中で蜘蛛の巣設営をしなくてはならない。でもコボちゃんは決して殺したりはしないので、殺虫剤とかスリッパとかで殺戮されるゴキブリに生まれなくてよかったね、蜘蛛さんたち。

 着いて早速下絵の練習をしている。セロ弾き蟋蟀の練習をしている。月刊ラジオ深夜便「しじまのうた」の今月の主人公は蟋蟀なのである。糸車を回している蟋蟀なのである。けれどもボクは糸車の構造がよくわからない。そこでカザルスみたいなセロ弾き名人の蟋蟀の出演を思いついたのだ。けれどもこの絵、あまり簡単ではない。セロ弾き蟋蟀の形がボクの手に刷り込まれるまで、何度も何度も描いて納得するまで練習するのである。でなかったら全盲のボクが絵なんか描けるはずがないのである。

▲ 都会から 暑さ連れての 軽井沢

0806・土・広島平和記念日・

 目覚めてセロ弾き蟋蟀の絵を描く。蟋蟀は落ち葉の色と形のセロを弾いていることにする。月刊ラジオ深夜便「しじまのうた」のために浮かんだ絵だったが、あまりに気に入ったので来年度カレンダーの11月にも採用、掲載することにした。梟を角に乗せたヤギ博士と同様、ボクのキャラクターに仲間入りさせることにする。

 土曜日である。いつものNHKラジオだったらこの朝は「ラジオ文芸館」なのだが、今朝は広島から平和式典の中継である。リオ五輪の開会式も始まっているはずなのだが、さすがはNHK。ここはやっぱり広島なのである。

 そとに出ると、周囲はイノシシの掘った跡だらけ。腐葉土なのでミミズが豊富に存在するのだ。地球のミルクと呼ばれているミミズがいるのだ。それはイノシシにとっても御馳走なのである。
 昼になるとものすごい暑さ。アルルはエアコンを入れてくれと死にそうにあえいでいる。けどね、このスタジオクラスター北軽井沢分室には冷房の設備なんかないんだよ。こんなに暑くなることなんて滅多にないんだよ。そう説得するんだけど、アルルは納得しない。世田谷ならば、あえぎさえすればエアコンの涼しい風が流れてくるはずなのである。

 午後から透析ということで熱いシャワーを浴びてくる。二階へ上がってきてラジオをつけると激しいサンバのリズム。リオ五輪の開会式の録音である。いや、もしかしたらライブかもしれないぞ。初めからほとんど興味がないし、普段のリズムが壊されるからオリンピック中継はどちらかといえば嫌いなのだが、どうもこのリズムを耳にしてしまうと思わず体が動いてしまう。ブラジル市民の熱狂に染まってしまう。1964年の東京五輪の記憶が蘇ってしまう。澄みきった青空に航空自衛隊ブルーインパルスの描き出した巨大な五輪を思い出してしまう。亜細亜最初の五輪であった。そして2016年、リオ五輪は南米最初の五輪である。瞬間、ブラジル市民の狂喜乱舞に心臓をひとつかみされたような気分になった。やばいな。もしかしてオリンピック風邪に感染したかもしれないぞ。

▲ 裏側で サンバのリズム リオ五輪

0807・日・立秋・

 立秋である。そして高原の風は乾いていて気持ちがいい。窓を全開にしてひとりきり、広いスタジオで絵を描いている。最近、キンさんは現れない。このスタジオに住み着いている友人の霊魂である。ここには彼の魂が心残りにしているはずの彼の分身ともいえる作品群が存在しているのだ。でも、現れなくなったということは彼の魂が完全にこの世を離れた、ということかもしれない。ボクがひとりきりで仕事をしているときなど、ときどき背後からのぞいているのを感じることがあったのだが、ボクは彼の存在が嫌でなかったので、ちょっと寂しいような気もしている。恐怖は自分の中から発生する。会いたいという気持ちがあれば、実体でも霊魂でも怖がる理由はない。霊魂が悪さをするというのは、それをされる理由を抱える人間側の妄想であるのだ。
 それにしても散歩が長い。コボちゃんとアルルは出かけたきり。きっと今頃プリンスランドで濃厚ソフトクリームを人間と犬同士、シェアしているのだろう。それとも別荘友だちとのおしゃべりに忙しいのかもしれない。とにかくここはドローイングに集中できてありがたいと思い、このひとりきりの時間を無駄にしないよう心がけるのだ。
 と思っていたら遠くからカウベルの音が近づいてくる。すると今まで熟睡していたトラネコミミコがチリリンと鈴を鳴らして目を覚ます。階段の上り口まで走っていって出迎えの準備をする。ドアの開く音がしてコボちゃんとアルルのお帰り。今日もヒグラシが鳴いている。もうそんな時間になっていたのだ。そして本日の土産話はリスの目撃談。果たしてどんなリスだったのだろう。

 オリンピック中継では重量上げをやっている。ついつい力が入ってしまう。関係ないはずなのに始まるとメダルの数が気になり出す。オリンピックとは不思議なもの。ついつい自分の中のナショナリズムが元気になってくる。困ったものである。

▲ 金銀銅 こだわるわけじゃ ないけれど



2016年7月25日~31日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0725・月・

 最近はロシアの国ぐるみドーピングのニュースばかりで不愉快でならない。スポーツの祭典、平和のシンボル、協調の強化剤としてあるべきオリンピックでズルを誘発してはしょうがない。いつからオリンピックはアマチュアからプロスポーツの祭典になってしまったのだろう。いつから拝金主義の競技会になってしまったのだろう。思い返してみれば1984年のロス五輪あたりが怪しいような気がしてる。そうだ。これを世間ではロス疑惑というのだ。嘘です。それにしても思うのは金まみれのオリンピックなんかやめてしまえばよいのにということだ。金銀銅のメダルはいくらで売れるか知らないけれど、どうせ二束三文。金も銀もメッキですから。と思っていたらそうはいかの塩辛、このわた、しょっつる、ニョクマム、ナンプラーと、何のことだかわからない。銀と銅はそれぞれが無垢で、金メダルだけは銀無垢に6グラムの純金をメッキしたものであるという噂を聞いてしまった。となると、金メダルは6万円くらいの価値はあるらしい。でも銅メダルは数百円にしかならないらしいので、ならば売るだけ損である。ともあれ、それぞれのメダルにはそれぞれの金銀銅の価値とは比べ物にならないほどの果実を生み出す潜在能力が秘められている。金メダルひとつで人は生涯を保証されるといってよい。金メダルひとつは千両箱ひとつほどの価値があるのだ。もちろん国家にとっても威信を示す象徴にもなるのだ。面子を維持する小道具にもなるのだ。メダルの数が国の強さを示すバロメーターになるのである。となれば個人と国家がタッグを組んでイリーガルな手段に手を染めることは充分に考えられてよかった。プーチンさん、さすが悪者。こういう恥も外聞もない指導者を相手に領土問題の解決は難しい。仲良しとされている安倍晋三さん、これからが大変です。ま、あの人もかなりな悪者だとは思うけどね。

 本日の北軽井沢、はっきりとしない天気である。けれども日暮れになるとヒグラシが鳴いてくれる。するといきなり空気が涼しくなる。乾いてきたような気さえする。日本人の頭脳は母音主体で物を考えるらしい。その頭脳構造により、日本人は虫の声に情緒を感じるのだ、という説もある。クマゼミに情緒があるかどうかの議論は別として、虫の声に季節の移り変わりを感じられるこの感性は貴重である。ここに俳句や短歌の生まれる土壌がある。七五調の母体は母音を主体とする日本語の開音節(かいおんせつ)にあるらしい。これが子音を主体とするラテン系言語には七五調の生まれる要素はない。話は変わるが、アルファベットの文字の形状は発音するときの唇や舌の形や状態を示している、という説を聞いたことがある。いわれてみれば「O」は母音の「お」を発する口の形、「B」は「び」を発音するときの空気をブレークスルーさせるための上下の唇の閉ざされた形。こう考えるとアルファベットは面白い。「T」などは上顎と舌の連携を考えれば納得の形なのである。という訳でヒグラシの鳴き声から話がずいぶん脱線してしまいました。その日暮らし(ひぐらし)の悪い癖です。ごめんなさい。

▲ 高原の 暮色を染める 蝉の声

0726・火・

 終日の雨である。今日一日、北軽井沢は寒かった。おかげでストーブを焚いている。散歩ができなくてアルルはゴキゲン斜め。そしてボクも気分が重たくて仕方がない。それは身の毛もよだつ陰惨極まる殺人事件が発生したからである。
 今朝いちばんのニュースが障害者施設における大量殺傷事件であったのだ。現時点で死者15名を数えるという。身動きができない重度障害者ばかりをターゲットとした卑怯で非道極まる行為である。けれども犯人は弱者は死んだ方が幸せなのだと嘯いているという。
 この26歳の犯人、元職員の思い込みはどこからきているのだろう。独善、傲慢、驕慢、狭量、偏狭。様々な誘因が考えられるが、考えたくないのが最近の世相との因果関係である。不景気とテロと災害。ワイマール憲法の網の目をくぐり、ヒトラーが独裁者となり世界を戦争の坩堝に叩き込んだ当時の国際情勢に今が酷似しているとの説を聞いたことがあるが、この犯人、自分にヒトラーが降りてきたと豪語しているらしい。今後の事実解明と分析が事件の実態を明らかにしていくだろうが、このような事件を許していては障害者は枕を高くして眠ってはいられない。家族も安心してはいられない。社会は相互信頼に支えられて存続している。事件はそれを根底から覆す絶対的な反社会行為なのである。そして、どんな人間にも他者の命を決めつける権利は与えられてはいない。そしてその相手がどんな状態にあるにせよ、その人を愛する気持ちは当事者にしか理解できない。いわんや、その人の命の価値を勝手に決めつける知恵など、最初から人間に与えられているはずがないのである。
 自分自身も全盲であり、自分で自分を守れない重度障害者のひとりである。真正面から刃物を構えたテロリストに攻撃されても、刺されるまで気のつかない情報不自由者なのである。その恐ろしさを軽減しているのは他者への信頼だけであるのだ。その他者から、あまつさえ障害者を守るべき介護士の立場にあった人間から、生きる価値がないと決めつけられ、惨殺されていった複合障害者の老若男女の無念さと痛みと苦しさがリアルに伝わってきて、ボクは朝から苦しくてたまらないのである。思わず合掌。心から被害に合われた皆様のご冥福をお祈りする。どうか安らかなれと。

 まさかと思っていたら、ポケモンモンスターは駅構内にまで現れるという。ただでさえ危険なのに、視覚障碍者はどうしたらよいのだ。高齢者や身体障害者の安全はどう保証されるのだ。障害者無視も甚だしい。ゲームの企画者は何を考えているのだろう。経済効果優先主義もここまで進めば金のためには命も要らぬ、ということになるが、この場合の命は他人の命、ということになる。金さえあれば幸せと信じて他者の安全と命を軽く見ていれば、やがては自分の安全も命も軽く扱われる社会が育っていく。世界中が拝金主義に横溢され、一億総活躍社会などと馬鹿げた主張をする馬鹿げた政治家も現れてくる。その政治家を支持する有権者も育成され、街にあふれるポケモンプレイヤーに変身していくのである。彼らの台頭は弱者無視という点では障害者施設の大量殺りくの犯人と根っこは同じかもしれないのだ。
 ボクは猛烈なるゲームプレイヤーであった。内外のゲームセンターで衆目を集めるゲームプレイヤーであった。失明しても音声によるシューティングゲームに明け暮れる熱狂のゲームプレイヤーであった。その生来のゲームプレイヤーが、今後の日常社会でポケモン狩りのプレイヤーたちがいかなるトラブルを発生していくのか、心配をしているのである。そうなのだ。仮想現実もいい加減にせい、と叫びたい気分であるのだ。

▲ 真夏日に 身の毛もよだつ トップ記事

0727・水・下弦・

 今日もぐずぐず天気で朝から雨がパラついている。とても夏休みの雰囲気ではない。という訳で、ボクも一生懸命「おえかき」をしている。来年度のカレンダー制作に集中力を傾注しているのだ。8月のタイトルは-RAINDROPS-。日本語キャプションは雨粒のパーカッション。パーマネントグリーンのアマガエルのトリオが夕立の中で仲良く演奏をしている。ウクレレとコントラバスとサックスの三人組。いや、三匹組。そしてパーカッションは天からの雨粒たち。北軽井沢では本物のアマガエルたちはまだ鳴いてくれてはいないけど、絵の世界では頑張っている訳だ。

 本日は東京へ移動である。コボちゃんはお世話になったスタジオクラスター北軽井沢分室を心をこめて掃除してる。ボクはやなせたかし先生の「手の平を太陽に」を思い切りの大声で歌ってる。昨日、あんな事件があったから、命の大切さを山の生き物たちに聞かせてやりたかったのだ。山にきている人間たちに聞かせてやりたかったのだ。だからといって世界中から犯罪がなくなるとは思えないけど、祈る気持ちと願う心をこめて、たとえどうってことがないにせよ、とにかく聞かせてやりたかったのだ。胸がモヤモヤして、思い切りの大声で聞かせてやりたかったのだ。死んだ人たちの無念さに代わり、生き残っている命たちに聞かせてやりたかったのだ。

 帰路のドライブでプレクストークにロードした東海林さだお大先生の「ゆくぞ冷麺探検隊」の音訳読書をしている。ハンドルを握っているコボちゃんも耳を傾けている。そしてこの痛快エッセイにボクらの敬愛するヒサクニヒコ大先輩が登場したのである。東海林さだお大先生はヒサさんに誘われてケニアを旅したのであった。ヒサさんはボクの所属していた慶應義塾マンガクラブの創始者で、プロの表現者として常にボクを牽引してくださった偉大なマンガ家である。そして、その経験において格段の差はあれども、アフリカ仲間でもあるのだ。そこに共通しているのが児童文学者の寺村輝夫先生であり、ケニア在住の獣医、神部俊平氏であるのだが、このあたりの話になると長い脱線になりそうなので別の機会に譲ることにして話をすすめるが、とにもかくにもヒサさんの登場により、長いドライブ中、ボクもコボちゃんも退屈しないで済んだのである。
 けれどもトラネコミミコは読書をしない。なのでときどき邪魔をする。あたいの相手をしろと邪魔をする。お腹が減ったと邪魔をする。そしてボクに叱られると、静かに寝ているアルルの鼻先で丸くなり、アルルのため息を誘うのであった。やれやれ。疲れたらサービスエリアで一休み。けれども駐車スペースは長距離トラックの満員御礼。隣で巨大エンジンが轟音を発して安眠は許されない。これまた、やれやれ、である。やっと東京にたどり着けば、途端に地震のニュース。またまた、やれやれ、である。我が家の前にクオリスを停車すれば、トラネコミミコが真っ先に階段を駆け上がり、玄関ドアの前で吠えている。これが本日ラストの、やれやれであったのだ。

▲ 聞きたいな 山の蛙の 大合唱

◇ バーチャル東海道五十三次コース 庄野に到着、通過しました。
次は亀山。あと15,168歩です。現在の歩数、807,232歩。
3周目挑戦中!

0728・木・

 最近、茨城や千葉が揺れているらしい。東日本大震災の余震という説もあるが、東京にいると、どうしてこんなに地震が気になるのだろう。スタジオクラスター北軽井沢分室は浅間山の麓にあって、浅間山は元気な活火山。もっと地震が気になるはずなのだが、ボクはちっとも気にならない、気にしない。いくら地面が揺れても、山鳴りがしたり、山頂から爆発音が聞こえてきたり、天から噴石が落ちてきたり、溶岩が流れてこない限り、ボクは落ち着いていられるのである。当たり前だけど。

 涼しい北軽井沢より戻った身の上にとって、東京の真夏日に届かないこの天候は夏らしくなくてあまり愉快とはいえない。梅雨明けはまだ期待できそうもないのである。梅雨明けにもならず、真夏日にも届かない今朝の東京でも蝉たちが鳴いてくれている。パッとしないとはいえ、必死な蝉たちの鳴き声である。子孫繁栄のための切実な蝉の悲鳴である。鳴いて鳴いて東京の温度を上昇させ、せめて夏日から真夏日へと昇進せよと喉を枯らして、いや、全身を振るわせて鳴いているのである。その一生懸命に鳴いている蝉たちを思うと愛しさが込み上げてきた。そして愛しさが込み上げてきた途端、突如として気象庁の梅雨明け宣言。あれれ、今日は真夏日にならないはずだったんじゃないの。思っているうちにどんどこ気温が上がってきた。なんだなんだ、馬鹿野郎。暑いじゃないか、馬鹿野郎。人間は勝手な生き物なんだぞ、馬鹿野郎。

 盲導犬アリーナと歩いていたときの出来事である。目の前からやってきた数人の男たちの会話が耳に飛び込んできた。
「おい、見ろよ。賢い犬じゃないか」
「よせよ。あんなの、ただの条件反射だよ」
 人間の場合は学習するとされるのに、犬が何かを学んで行動するとき、人はそれを条件反射とする。これは単なる偏見によるものではなかろうか。もしくはそれを傲慢と考えてもよい。つまり驕り高ぶりであり、人間以外の生き物に対する無礼であり、高慢で不遜な態度であり、自らに対する慢心であるといえる。もしも仕事を終えて電車を降りて駅前に出たサラリーマンが駅前の焼き鳥の匂いに誘われ、思わず暖簾をくぐるのを条件反射といわれたらどうだろう。土用の丑の日にデパチカをうろついているオバサンが鰻の匂いに誘惑され、思わず財布の紐を緩めるのを条件反射と決めつけられたら愉快に思うだろうか。若き独身男性がビールを飲んで、ワインを飲んで、それでも足りずウィスキーをがぶ飲みしているうちに目の前のポテトサラダクラスの女性が和牛特大サーロインステーキに匹敵する、これ以上はないという絶世の美女に思えてくるのを条件反射と定義されたら嬉しいだろうか。地面をいく蟻の動きでも、野原を空中移動する蜂の飛行でも、すべての行動パターンは生命の誕生以来、天然自然とのやりとりによって獲得した生き物の知恵なのである。その知恵を人間だけが独占していいはずがない。人間、誰でも加齢すればわかる日がくる。若き日の尊大さは無知によるものであったことを。つまり、労働する盲導犬を見て、その行動が条件反射に見える人間は無知蒙昧、ということなのである。

 今夜は缶ビール500ミリリットル片手に吉野家の牛丼特盛をペロリ、ということになった。もちろんこれはテイクアウト。特盛とは肉の大盛りよりも肉が大量に白米を覆い尽くしている、ということで、その大量の肉たちをナマタマゴにつけて「すきやきごっこ」をしながら、ビールぐびぐび、ということになった。とてもさっきまで透析を受けていた人間の所作とは思えないのである。北軽井沢では和牛ステーキ200グラムを一気に平らげ、群馬特産赤城豚の生姜焼き150グラムを千切りキャベツにからませ、胃袋に送り込んだばかりで、どうやら最近のボクはライオンに生まれ変わってしまったらしい。どういう訳か、やたらに肉が旨くて仕方ないのである。幼い頃からボクは肉が大好きで、肉屋の店頭で生肉を眺めてヨダレを垂らしていたところから、
「お前はライオンの生まれ変わりか」
と親からあきれられていたのだが、その習性が高齢者になって突如として蘇ったらしいのだ。困ったもんなのだ。

▲ あとちょっと 角を曲がれば 梅雨明けだ

0729・金・

 東京都民が、
「わあいわい、梅雨明けだ、梅雨明けだ」
とはしゃいでいるのが聞こえてしまったのだろうか。朝から蝉たちが元気よく歌い出した。一気に夏の雰囲気である。よおし。しっかり汗をかいてやろうじゃないか。来週はもう8月。そして今年の8月は猛烈に暑いという。よし。今から発汗訓練だ。と、艦上戦闘機みたいなことをいってたら、そりゃ航空母艦のことでしょうと頭の中で声がする。ならば発艦訓練だ。だとしたら発艦より着艦(ちゃっかん)の方が難しいんだぞ。下手すりゃ海にドボンだぞ。そうなりゃ発汗よりは冷却効果がありそうだ。と馬鹿なエム ナマエがもっと馬鹿なエム ナマエと馬鹿な言い争いをしています。

 聞けば「ポケモンゴー」は運動不足や出不精の解消に役立つというが、それって屁理屈としか思えない。世間のやつらはポケモンがいなければ歩くこともできないのかよ。だったらポケモンでなくてバカモンだ、と誰かの声が聞こえてくる。この仮想現実ゲーム、経済効果のためのオペレーション最優先で、フライ檻ティーにおいて弱者が取り残されている。弱者が被害者になる可能性を100パーセント排除できないまでも、その可能性対する配慮が少しでもあるべきで、そこが考えられていない点が甚だ疑問である。新商品を企む側も誘われる側も常に便利さや快適さ、面白さが先取りされていて、その結果、人間本来の想像力や感性がどんどん劣化しているように思えてならない。それと同時に屁理屈を考える能力は逆に進化しているみたいだけどね。

 東京の上空が羽田着国際線の通り道になるという。300メートルの低空をピーク時には1時間に44本通過するという。そのピークは午後3時から7時まで。これすべて2020年東京オリンピックが口実となっている。予算も然り、騒音も然り、これから先、ボクらはどれだけオリンピックの犠牲になればよいのだろう。誰だか知らないけど、あんまりいい気になるなよな、馬鹿野郎。
 こうなりゃ航空機の話題ついでのトピックだ。ジャンボが生産中止となる噂が耳に飛び込んできた。1970年就航のこのジャンボ、正式にはジャンボジェット機、ボーイング747という。この機体にボクが最初に乗ったのは1972年、コペンハーゲンから羽だまでの路線だった。大学生協がチャーターした特別機で、ファーストクラスや展望室に出入り自由で、ボクはアンカレッジから羽田までの時間、ファーストクラス最前列の座席を陣取って機首に最も近い窓を独占していた。そこから見える光景は、ボクをまるでパイロットの気分にさせてくれた。地球の自転に逆行し、細い三日月を頂く夜に、沈む夕日を追いかけて、空は次第に紅に染まり、明るさを増していく。やがて機体は羽だの午後に着陸するのである。こうしてボクの初めての海外渡航は完成した。その経験以来、ボクはこの巨大な飛行機に絶大なる信頼をおくようになっていた。今でもボクは搭乗した機体がジャンボであることを知ると無条件で安心してしまう。もしもジャンボにサヨナラしなければならないとしたら、とても切ないのだ。泣いちゃうのだ。

 透析中、北野武監督作品「HANA-BI」を観る。音声映画だから、という影響もあるだろうが、どこにも魅力を見つけられなかった。国際的に評価されたということで大いなる期待をもって鑑賞したのであるが、大いなる期待外れであった。必然性のない暴力場面にも違和感があるし、キャラクターの台詞回しにもリアリティーを感じない。そもそも役者さんたちの演技から熱さや一生懸命さが伝わってこなくて、誰も彼もが嫌々映画に出ているのではないかという印象さえ与えていて、その原因が脚本のまずさにあるのではないかという懸念さえ生じさせている。昨年観た北野武監督作品「竜三と七人の子分たち」もつまらなかったが、この作品はそれ以上に得るところがなかった。どうもボクは北野武監督のツボにははまりにくい体質のようだ。ようするに彼の個性が好きになれないのである。

▲ 梅雨明けと 聞こえたのかい 蝉たちよ

0730・土・土用の丑・

 週刊朝日と週刊文春による永六輔追悼記事に思わず胸が熱くなる。泣きそうになる。思春期の頃はずっと永さんのテレビを見てきた。「夢で会いましょう」、「若い季節」。そして大人になってからはずっとラジオを聴いてきた。「誰かとどこかで」、「永六輔、その新世界」。パーキンソンのキーパーソンと晩年、永さんは自分を称していたという。最後までユーモアの人だった。46年間続いた「誰かとどこかで」も「土曜ワイドラジオ東京」もその大半をボクは聴いてきたと思う。学ばせてもらってきたと思う。笑わせてもらってきたと思う。これから思い切り寂しくなると思う。

 ふと思った。安倍政権の一億総活躍社会と相模原19人刺殺事件とは井戸の底でつながってはいないだろうかと。トランプの主張と歴史の中のヒトラーとデジタル信号でつながってはいないだろうかと。社会に弱者は必要ない。税金の無駄遣い。経済効率最優先。プライオリティーは生産性。その空気が歪んだ人格と犯罪を作り出してはいないだろうかと。ふと、そんな気がしたのである。

 本日、吉川英治の「宮本武蔵」を読み始める。読み始めた途端、面白くてやめられなくなる。少年時代、中邨錦之助や三船敏郎の主演でさんざん見せられてきたドラマである。武蔵も小次郎も昔からの知己みたいな気さえしてくる。全7巻と大変な長編であるが、どうも一気に読破してしまいそうな予感がする。それに朗読がいいのだ。声も美しいのだ。女性や子どもの登場人物など、まるでドラマを聴いているみたいなのだ。調布市立図書館のヨーコさん、ありがとう。感謝してます。

 土用の丑の日に鰻とは生まれて初めてのことだと思う。とうとうこのボクが絶滅危惧種の絶滅を手伝うような振る舞いをしてしまったのである。売れ残りの鰻弁当をリクエストしてしまったのである。でも、土用の丑の日というセールスチャンスのために命を奪われ、平賀源内を恨むことなくその肉体を切り裂かれ、骨を抜かれ、炭火で焼かれ、たれをつけて香り高く焼き上げられてしまった絶滅危惧種たちの魂を救うためには、その肉体が腐敗の段階に至る前に、このボクが犠牲的精神を発揮して後ろめたさややましさや後ろ暗さと闘いながら半額セールを待って購入しなければならず、コボちゃんがそのミッションパッシブルの実行に及んだのであった。そして電子レンジでチンをして、山椒の粉を散布して、おいしくおいしくおいしくご馳走になったのである。ボクの胃袋の鰻さん、迷わず成仏してください。アーメン。

▲ 丑の日に どうか成仏 してイール

◇ バーチャル東海道五十三次コース 亀山に到着、通過しました。
次は関。あと11,074歩です。現在の歩数、823,126歩。
3周目挑戦中!

0731・日・

 都知事選挙の開票速報、投票締め切り直後に選挙結果を知る必要はないと思う。出口調査なんかやめてくれよ、NHK。せっかくの選挙気分がしぼんでしまうじゃないか。もしかして、自分が応援している候補者が当選するかもしれないというはかない期待が、ますますはかなくなってしまうじゃないか。結果を早く知ることが大切なのでなく、どんなプロセスを経てその結果に至るかが肝心なのだ。そこまでにたどり着くまでの山や谷のジェットコースターがスリリングなのだ。喜びや悲しみがドラマティックなのだ。なのに、何ですか、NHK。何ですか、このつまらん結果。要するに国民も都民も自民党の手練手管にはちょろいということじゃないですか。この国の善男善女はいつまでも反自民勢力を抑え込む悪巧みを見破れない、ということじゃないですか。と、心を暗くしていたら、もっと心に衝撃を与える知らせが飛び込んできた。あの偉大なる横綱、千代の富士の九重親方が61歳でご逝去されていたのだ。さすがのウルフも膵臓癌には勝てなかったのだ。初代若乃花と千代の富士ほど魅力的な相撲取りはいなかった。その姿を心に浮かべながら、心からご冥福をお祈りするのである。合掌。

▲ やすやすと 小池にはまる みやこびと





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