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全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2018年10月15日~21日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1015・月・新聞週間・神嘗祭・

 今日は世界手洗いの日だという。正しい手洗いの大切さを伝え、世界の子どもたちの命を守ろうと国際衛生年の2008年にユニセフが中心となって定めたのだという。別にユニセフが決めてくれなくても昭和30年代の日本の小学校では生徒たちに積極的な手洗いを勧めていた。ブックタイプの紙石鹸というのが流行して、みんなポケットに入れていた。給食の前など、洗面所にずらり並んで順番を待ち、みんな競って手洗いをしたもんである。けど、紙石鹸の泡立ちはいまいちで、こいつ、本当に紙でできてるんじゃないかと疑ったりもした。で、今もその当時の癖が残っていて、帰宅したときも、これから何かをするぞというタイミングでも、特に絵を描く直前に洗面所に立ってこまめに手洗いをすることを忘れない。おかげでコボちゃんにはアライグマと呼ばれている。

 朝からアルルはボクのベッドでたかいびき。猫のミミコは羽根布団の下から出てこない。空気がひんやりしてるのだ。日本列島各地から秋晴れの噂が聞えてくるのに、ここ関東は曇天続き。数日間で2時間の日照しかないという。お日様が低くなったから部屋の奥まで日差しが届いて、気温が低くなっても暖房費の心配のないこの部屋だけど、曇っていてはお手上げである。ということで、エアコンはしっかりと暖房にセットしました。

 姑息に振る舞った当然の結果として総裁選に勝利して、青息吐息で内閣改造をやらかして、賞味期限切れの加齢臭内閣を立ち上げたところで、ますます鼻息の荒いウソツキしんちゃん。今日も一年坊主の研究発表みたいな舌の回らないスピーチでニュースの出鼻をくじいている。今日は今日で、消費税率のアップを決めたとかで、世の中を騒がしている。どうせ目立ちたがり屋のウソツキしんちゃんのパフォーマンスに決まっていて、いよいよ選挙となれば、これまでと同じように、景気が悪いからとか、株価が下がったからとかのこじつけ口実で、消費税率の据え置きをして、次の選挙の得票を稼ごうという魂胆なのだ。見え見えの姑息な総理の下心。恥ずかしいったらありゃしない。

▲ 肌寒や猫に貸してる腕枕

1016・火・

 1964年というと、オイラが慶應義塾志木高の一年坊主の頃だけど、その年の今日、中国がタクラマカン砂漠で初めての核実験をやらかした。これで中国は世界で5番目の核保有国となってしまった。なんなくてもいいのに、なってしまったのである。で、それ以来、中国の鼻息が荒くなったのかどうかはわからないけど、世界に対する態度が小さくなったとは思えない。それにしてもタクラマカン砂漠である。本当は中国の土地ではないんじゃありませんか。んなところで放射能をばら撒いてもいいものでしょうか。当時のことだから地下核実験ではなかったのだろう。でも、たとえ人的被害があったとしても、中国のことである。内緒にしておこうよね、ということにされてしまうに決まってるのである。
 1981年、昭和56年の今日、北海道夕張市の北炭夕張新鉱でガス吐出事故が発生した。火災が起きたところからその1週間後、59名を坑内に残したまま水を注入するという苦渋の決断を迫られる。この事故で救護隊員を含む93名が死亡したとあるけど、そんなに昔の話ではない。そんなことがあるから日本から炭鉱が消えてしまったのだ。先月の北海道のブラックアウトで最もダメージを受けたのも石炭による火力発電だったはず。日本各地ではまだ石炭の採掘は可能なはず。ロボット技術が飛躍的に進歩する今、安全で効率のよい炭鉱を開発することはできないものだろうか。いつまでも人の国から安い資源ばかり入手するのはいい加減にした方がよいような気がする。

 ラジオで聞いた話かもしれないし、もしくは誰かから聞いた話かもしれない。地下鉄にニッカボッカの若者が乗ってきた。足には地下足袋、背中には道具袋、ノコギリなど、大工道具の木の柄がいくつものぞいている。そしておもむろに車内を睥睨したのである。それを見て息をのんだのが地下鉄車両に乗り合わせていた外国人団体観光客の一行。目を丸くする者、カメラやスマフォを向ける者、中には逃げようとする者もいる。そう。彼らはその若者を忍者と思いこんだのである。ま、もしも自分が外国旅行をしていたら、こんな唐突の驚異の出会いを期待するのも無理はない。アメリカ横断鉄道の旅では乗馬クラブの練習生をインディアンの襲撃と思いこんだり、ロンドンの地下鉄に乗ってきたアタッシュケースを抱えたダークスーツのサラリーマンをゼロゼロセブンと思いこんだり、北欧あたりの遊園地で遭遇した大男をバイキングと間違えたりするのは自由なのである。ま、さすがスコットランドのネス湖で遊んでいる水鳥をネッシーと申告するような、そんなインチキはしないと思うけど。ま、楽しみを期待しての海外旅行である。どんな期待をしても罰は当たらないと思います。

▲ 天高くそろそろ山はまっかっか


1017・水・上弦・貯蓄の日・

 1967年の今日、清王朝(しんこくおうちょう)の最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)が亡くなった。波乱に満ちた生涯はスピルバーグの映画「ラストエンペラー」にも描かれた。実はボクが失明した1986年から住み着いている我らがY軒コーポの管理人さんがこのラストエンペラーの親衛隊であられて、戦時中に少年戦車学校に入学し、そして少年戦車兵として満州に派遣されたボクの父親がその事実を知って驚愕していた。ま、ボクにとっての愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)と父親にとっての愛新覚羅溥儀の存在意義は月とスッポンほどにありがたさの相違があったのだろう。その管理人さんは面白い人物で、元軍隊のエリートらしく律儀なところもあって、あれこれと親切に面倒を見てくれた記憶がある。管理人さんも父親も既に鬼籍の人であるが、もっと戦時中の話を聞いておけばよかったと悔やんでいる。当事者が亡くなれば亡くなるほど本物の歴史が失われてしまうのだ。

 ジメンシグループと聞いて反射的におどろおどろしいイメージを抱く。それが地面師グループだと知ってもその禍禍しさは損なわれない。有名企業のセキスイハウスから55億円も騙し取ったとあらば、頭が良くて根性の悪い人間集団であるのだろう。それよりも納得できないのがKYBという会社名だ。空気の読めない馬鹿の会社。事件を知って反射的にそう思った。この会社は本来はそんな名称ではなかったはずだ。昨今流行のアルファベット名や片仮名言葉に変更したとしても、センスがなさ過ぎる。正に空気の読めない馬鹿としか思えない。建物の安全を支える免震装置のデータを改竄するなんざ、ばれれば大事件。ホテルや病院、オリンピック競技場などの重要建築物も地震で倒れるが、自分の会社も倒れて当然。やっぱりバカなのだ。

▲ 次々に烏飛び立ついわし雲


1018・木・統計の日・

 1967年というとボクが慶應義塾の日吉キャンパスで漫画ばかり描いていた頃のことだけど、この年の今日、ツイギーが来日した。痩せたボディーに小枝みたいな脚をして、ミニスカートをはいていて、これが大流行。豚みたいな脚をしたギャルもミニスカートをはいて街を闊歩。美空ひばりさんでさえミニスカートをはいて太陽が真っ赤だなんて吠えていた。小枝ちゃんてなチョコレートが発売されたのもその頃だったような気がしてる。ま、このミニスカートのブームで男たちは階段をあがる際の目のやり場に困ることになりました。見られたくないなら、そんなもん、はくなよ、ばあか。
 そしてその同じ日の今日、ソ連の宇宙探査機が金星への軟着陸を成功させている。その結果、金星の気温は40度から280度まで分布し、大部分がガスで覆われた惑星であるという観測結果が得られたのである。金星というとアダムスキーの空飛ぶ円盤がやってくる場所ということもいわれた惑星。美しい大気と水に覆われた地球のような惑星であることが期待されていたわけで、観測のデータにはみんな失望した。おまけに大気の大半は二酸化炭素で人も住めない高熱の惑星。これら観測結果が公になってから世間でも炭酸ガスの温室効果なんてことが喧伝され、温室効果なんて言葉が一般的知識になっていく切っ掛けになったような気がしてる。いや、ほんと。まことガッカリしたのです。

 東京の日の出は5時50分、日の入りは17時03分。ずいぶん昼間の長さが短くなりました。

 ここんとこ豊洲市場からあれこれのレポートが聞えてくる。これが所謂、豊洲レポートというやつである。いつになったら落ち着くのか、豊洲と築地の一騎打ち。結局、豊洲は小池百合子の選挙小道具にされただけのような気がしてる。迷惑なのが一般市民。せっかくお金をかけて整備した新しい魚市場なのに、地下に毒のマグマが煮えたぎっているような、そんな気持ちの悪いイメージが定着しちゃったように思えてならないのだ。これからのマグロの刺身が毒漬けになってしまうような、そんな気持ちの悪いイメージを払しょくするのが一般市民の勤めになってしまうのだ。ボクは築地のまんなでよかったと思うのだけど、巨大ネズミや大量ゴキブリの噂を聞くと、仕方がなかったような気もしてる。

▲ ぽちぽちとブログ打ってる長き夜


1019・金・

 未明のラジオ深夜便、朝のニュースは鹿児島県に鶴の初飛来があったというもの。例年並みということで、今年の11月は特別に寒くもないし温かくもないということらしい。TBSラジオのお天気おじさん、森田君によると、シベリアからの鶴たちは北極エリアから噴出される冷たい風に乗ってやってくるということで、鶴の飛来があればシベリア地方の冷気は品切れになることから、しばらくの間は寒気の心配がなくなるらしいのだ。毎年、この鶴の飛来はその秋冬の寒さ予報に利用されているという。この鶴の飛来、来年1月に始まる鶴の北帰行まで続くという。鶴さんたち、安心して羽を休めてくださいな。

 軽井沢を走ればかなり涼しい。コボちゃんによれば紅葉は思ったほどは進んでいないという。一般道に降りればアルルはキョロキョロ、ミミコはにゃーにゃー。景色が変わり、下からの振動が変わって、いよいよ目的地が近いことがわかっているのだ。何と旅慣れた犬猫たちであることか。

 北軽井沢スタジオはストーブがなければ生きていけない室温である。さっきからコボちゃんはカメムシを見つけては外に追い出している。カメムシが暖かなストーブのコードを嬉しそうに這い上がっているというのだ。コボちゃんはゴキブリとモスキートは別にして、決して虫は殺さない。蜘蛛だろうとアリンコだろうと、たとえカマドウマだってハサミムシだって、ティッシュペーパーのパラシュートに乗せて、窓から落下させてやるのだ。もちろんパラシュートは後で回収いたします。決してゴミにはいたしません。

 クライマックスシリーズのヤクルトには勝利できても、ファイナルシリーズのジャイアンツはヒロシマには歯が立たず、1勝もできないまま高橋由伸監督の気の毒な幕引きとなってしまった。高橋由伸君の慶應義塾卒業式には、実はオイラも卒業25周年のご褒美として卒業式に参加させてもらっているのだ。中退なんだから、そんなことができるわけがないんだけど、そこは温情なる慶應義塾。塾員たちがよってたかってオイラを参加させてくれたのである。だからオイラもコボちゃんも盲導犬アリーナも高橋監督と同じ卒業式を味わっていたのである。それにしてもお疲れ様、高橋由伸監督。なんか、ずっと気の毒な監督劇だったみたいな気がしてならない。本当はまだまだ現役を続けていたかったんだよね。そこが読売巨人軍への宮遣いのつらさなんだよね。高橋由伸君、ジャイアンツなんかにいかなきゃよかったのに。本当にお疲れ様でした。

▲ ストーブにカメムシすがる秋の暮れ


1020・土・皇后誕生日・新聞広告の日・

 1970年、昭和45年の今日、日本最初の防衛白書が発表される。経済大国にはなるが軍事大国にはならないとし、専守防衛を訴え、他国に脅威を与える兵器は保持しないとされていたけど、その年は大阪万博の年なんだよね。進歩と調和の年なんだから、そりゃそうでしょう。日本で最初の防衛白書から48年、総理大臣も次々に代わり、今は戦争の匂いを撒き散らしている安倍晋三の政権だから、もうすぐ海上自衛隊は航空母艦まがいの自衛艦を擁するようになるし、巡航ミサイルだって装備するらしい。このまま突き進むことのないよう、みんなで頑張って憲法改悪は阻止しようよね。

 朝、いきなりプレクストークに充電ができなくなって汗がたらーり。なんてもんじゃなく、焦りまくる。バッテリーを取り出し、リセットしても充電できない。あれこれトライしたがらちがあかない。おそらくアダプターの問題だろう。いずれにせよ、週が明けたら東京のラビットに電話して相談しなきゃなんないな。そう覚悟していたらコボちゃんが起きてきて、プレクストークの充電ができなくなったと泣きつくと、
「どれ、貸してみて」
とボクからプレクストークを取り上げて、ちょいちょいといじったら、たちまち元の通り、直ってしまったのである。どうやらコボちゃんは魔法使いでもあるらしい。安堵、安堵、大安心。プレクストークがないとボクは生きていけないのです。

 今年もお世話になった山の透析室である。ボクの血管に慣れてくださった看護婦さんもおられるし、表現者エム ナマエに興味をもってくださる看護婦さんも現れた。今年で4年目の山の透析室であるけれど、最近になってやっと緊張しないで透析を受けることができている。ありがたいことである。
 さて、いよいよ透析を始めるというタイミング、看護婦さんがボクの腕の血管あたりを消毒薬で丁寧に消毒しようとしたら、おかしな叫び声上げ、ガムテープを持ってきて、ボクのパジャマをペタペタとやり始めた。
「あ、とれた!」
 何かと思ったらカメムシだという。北軽井沢のスタジオから連れてきたのか、それともこの山の透析室で養殖していたのか、それはわからない。いずれにせよ、コボちゃんはティッシュペーパーで、ここの看護婦さんはガムテープ。この扱いの差は大きいと思う。悪く思わないでね、気の毒なカメムシさんよ。

 窓の方をしきりに眺めている看護婦さんに尋ねたら、外はきれいな夕焼けだという。今度は帰り道、コボちゃんがしきりに見あげているのはお月様。そう。明日は十三夜なのである。晴れてくれると嬉しいな。

▲ 夕焼けの空が終われば十三夜


1021・日・十三夜・

 1968年の今日、新宿駅騒乱事件が発生した。学生たちが新宿駅構内を占拠したのである。国際反戦デイの集会が暴動に発展したもので、野次馬も加わって投石や放火が繰り返され、新宿駅の機能は完全に失われた。この事態に対して警視庁は騒乱罪を適用した。これ以後、東京の街から歩道の敷石が撤去されてしまうのである。
 当時のボクは慶應義塾の現役学生で、渋谷駅から数分の宮下公園のすぐ近く、児童会館と目と鼻の距離の東京電力の社宅に暮らしていた。建物は内部が変電所で、頑丈な出来になっていて、ボクの窓は4階にあり、学生のデモ隊と機動隊の追いかけっこを上から見下ろして怪我人の出ないことを祈ったりしていた。
 ボクは完全なノンポリで、学生運動なんかまるで信用していなかった。どうせ卒業が近づけば、長髪を短く刈り込んで、ゲバルト学生も真面目な学生にヘアピンカーブのUターン。当たり前のサラリーマン生活に甘んじるに決まっているのだと思っていた。
 宮下公園が学生集会の拠点になっていたおかげで、大学からの登下校の途中、何度も警察の職務質問をされて迷惑をしていた。鞄を開けて見せろというのだ。こいつには困った。ボクの鞄にはときどきモデルガンが偲ばせてあったのだ。でも、このモデルガンは最近のエアガンみたいに弾丸が飛び出すわけでなく、ただ火薬で音と煙が発せられるだけの虚仮脅かしで、単なる趣味以外、何の特別な意味もない。ボクは反体制、反権力ではあるけれど、半暴力でもあったのだ。
 宮下公園から明治通りをいく70年安保のデモ行進を見つめていた当時の恋人がボクにデモ行進に参加するように促した。
「今行動しないと一生後悔することになるわよ」
 その誘い掛けにボクはこう応えていた。
「いや、今行動したら生涯悔やむことになると思う。ボクは漫画家になるのが目的だ。ずっと傍観者でありたいんだ」
 おかげさまでボクは失明した今でも表現者であり続けている。あのデモ行進に参加していたら、あのまま新宿駅に突っ込んで、腕の一本も失っていたかもしれないのだ。

 今夜は十三夜。天気予報は晴れである。きっときれいなお月様が見られるんじゃないのかな。けど、気象予報士さんは嬬恋地方では氷点下を記録したといっている。嬬恋地方といえばこのあたり。そんなに寒かったという覚えはないんだけど、聞いてしまうと悪寒がしてくる。数字は現実に優先するのである。

 ランチはコボちゃん特製担担麺。いつもの竹の子と椎茸と挽肉いっぱいの担担麺である。食後は「秘密のブルブル飛行猫」の推敲に集中する。気がついたら頭が痺れていて、仮眠のつもりで布団に潜ったらたちまち熟睡、真夜中の11時半まで眠ってしまい、目覚めて翌日のニュースを聴くというマヌケを演じてしまった。おかげで遅い夕食は酒のつまみばっかり。ま、おいしかったからよかったけれど。

▲ 目覚めれば浅間の山のもみじかな

2018年10月8日~14日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1008・月・体育の日・寒露・

 NHK「マイあさラジオ」によると今日は「木の日」だそうです。10月8日で漢数字の十と八を組み合わせると漢字の木になるということで1977年に決められたそうなのです。それ以来の毎年のこの日、木材の普及活動を行っているとのことですが、ボクはあんまり聞いたことがありません。きっと耳がよくないのでしょう。これはもっとよく聞こえるようにした方がいいのではないのでしょうか。どうやら我々は易くない外国の木材を騙されて買わされているらしいのです。日本の森林や水資源を大切にする意味でも林業を大切にして森林と共に生きる人々をみんなで盛り立てていく必要がありそうです。植物は地球生物のファンダメンタル。私たち動物は木や草の手の平で遊ばせてもらっているのですから。

 「ひみつのブルブル飛行猫」の推敲に専念したいが、またまた便秘の復活でお尻がつらい。どうも落ち着きません。イラストレーターもドライバーも座ってするオキュペーション。コボちゃんの職場のドライバーさんも、いつもお尻が悲鳴をあげているそうなのです。

 本日はカッちゃんの店でお蕎麦のランチ。お嬢さんのご亭主、韓国籍のジョンさんと初対面。お運びさんが板についてる男性がいるので、誰かと思ったらお婿さんだったのだ。お嬢さん、オーストラリアで知り合ったということで、おふたりとも国際人。でも、本日のボクのお目当てはジョンさんでなく、その胸に抱かれたロングヘアチワワのロメオちゃん。耳がパピオンみたいに大きくて、目がくりくりしてる。で、それさえわかれば目的達成。なんで目的達成化はあとでわかります。お嬢さん、12月にはベビー誕生。きっと可愛い赤ちゃんが生まれることでしょう。おめでとう。

 夕方、夏目漱石の「明暗」を読了する。これで漱石の長編小説をすべて読破したことになる。これすべてサピエ図書館のおかげです。失明当時、全盲になったボクにこんなことができるなんて想像もしていなかったのです。感謝です。

 夜、コボちゃんと酒を酌み交わしながら音声映画、三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ脚本による「12人のやさしい日本人」を鑑賞。ボクは繰り返し楽しんできたけど、コボちゃんには初めてのエクスペリエンス。コボちゃんにすれば、ビジョンレスの映画。けど、よほど面白かったのだと思う。映像がないのに、最後まで付き合ってくれました。これ、何度見ても飽きません。皆様にも保証いたします。

▲ 暖かな蕎麦が食べたい寒露かな


1009・火・新月・世界郵便デイ・

 本日は世界郵便デイ、ということです。1874年、明治7年の今日、世界のどこへでも郵便が届くことを目的とした国際機関、万国郵便連合がスイスのベルンで発足したことを記念して設けられた記念日なんだそうです。国際郵便を利用するようになったのは英語を習い始める中学生になってからでしょうか。切手集めにも興味がありましたから使用済みの外国切手のためのグループもストックブックの片隅に並べてありましたよね。国際郵便のありがたさを具体て火に知ったのはやはり最初の外国旅行でした。ロンドンのケンジントンの郵便局にはずいぶん通って、お世話になりました。そのとき、トラベラーズチェックの入ったハンドバッグを郵便局に忘れていったのですが、しばらくして気が付いて、慌てて戻ったときに、さっきと同じようにそのハンドバッグが持ち去られもせずにボクを待っていたときは、ロンドンの郵便局は優秀だなんて、おかしな感動をしたことが今も忘れられません。あれがロンドンでなく、ローマやナポリだったら瞬間にして消滅していたのだと思います。国際郵便というと、いつもそのことを思い出します。

 1952年、昭和27年の今日、黒沢明監督の映画「生きる」が封切られた。主演の志村喬が演じる余命いふばくもない主人公が夜の公演でブランコをこぎながら歌う「ゴンドラの歌」が多くの観客の心を揺さぶった。この場面はあまりに有名ではあるが、残念なことにボクはスチールでしか見たことがない。結局チャンスに目部まれることなく失明してしまったが、いつかこの名画をサピエ図書館で音声映画化してくれることを望んでいる。日本点字図書館、よろしくお願いいたします。

 北軽井沢を擁する群馬地方は今日もいい天気。このエリアは台風の影響もなく、ずっと天気が安定している。山の透析室へのドライブウェイに設置してある温度計は21度を示していた。
 天気がいいと透析も快調。看護婦さんとの会話も弾む。無事に透析も終了し、病院の外にでると院長先生が気持ちのいい夕暮れの前庭に佇んで山並みに見とれている。でも、もしかしたらたそがれていたのかもしれない。待合室には大きな鐘の音で時を告げる歴史モノの柱時計が鎮座していて、この医院の歴史を物語っている。金色の文字から推測するに、先代がこの医院を開院するとき、出身医大から贈与された記念品らしいのだ。院長、何代目かは知りませんが、いつもこの医院の繁栄を祈りながら力いっぱいにネジを巻いているのだろうか。これからもよろしくお願いいたします。

▲ 歴史ある柱の時計山の秋


1010・水・目の愛護デイ・釣りの日・盲導犬アリーナ命日・

 未明、NHKラジオ深夜便の須磨佳津江さんの声が寝惚けたボクに活気と安心を与えてくれる。美しい声、優しい心遣い。日本中どこへいっても聴くことのできるこの放送の果たす役目は限りなく大きいのだと思う。この番組に長く係わらせてもらっていうことに感謝している。

 1964年の今日、東京オリンピックが開幕した。開会式のこの日、東京の青空に航空自衛隊のブルーインパルスが描いた巨大な五輪が今もこの目に焼き付いている。感動の五輪だった。15日間の大会で金メダルを16個、銀メダルを5個、銅メダルを8個獲得した日本はとても頑張ったのだといえるのだろう。ことに女子バレーボールの金メダルは全国のお茶の間を興奮の坩堝に巻き込んだ。お茶の間のテレビではなく、ボクは本物の体育館で体操男子の競技を目撃、目の前で日の丸の上がるのを見て歓声を上げたものである。その開会式の10月10日、1999年までこの日が体育の日だったのに、ハッピーマンデイとかいっちゃって、バカなシステムでせっかくの晴れの特異日をシャッフルしちゃって、自民党政権にはあきれるしかないのです。

 夕方である。ここは北軽井沢より無事に到着した多摩川べりにある日本動物高度医療センターの4階の待合室である。自販機のコーヒーが新しくなっていた。香り豊かなコーヒーということでボタンを押したら出てきたコーヒーは何だか甘い。この甘さみたいなのが香り豊かということなのかと考えてたら、コボちゃんが、
「あっ。ブラックのボタンを押すのを忘れた」
だって。じゃ、あの甘さは香りが高いんじゃなくって、ただの砂糖とミルクだったんじゃないか。ところで、待ち時間がやけに長いんじゃないかな。もしかしたらアルルのどこかに何かよくないものが発見されたのかも。心配していたら、
「ナマエアルルちゃん」
呼び出しのアナウンス。ボクらは階下の診察室まで飛んでいく。
「レントゲンでは何も病変は見つかりませんでした。エコー検査もしましたが、腹水も胸水もありません。このまま様子を観察していくということでよろしいかと思います」
 と、担当の高木先生。よかった。抗癌剤治療は順調らしい。おまけにエコーでもチェックしてくれていたのだ。問題は体重増加だけ。ま、ちょっとステーキの食べ過ぎかもしれない。それにしても何もなくてよかった。本当によかった。考えれば今日は盲導犬アリーナの命日。きっと雲の上からアリーナがアルルを守ってくれているのに違いない。
 駐車場のアウトバックに戻ると猫のミミコは車内で落ち着いている。ひとりでお利口に待っていられたのだ。そこへアルルがジャンプ。後部座席で仲良く並んで伏せをする。ほんじゃOK、レッツゴー!
 帰り道、経堂のオリジンで肉野菜炒めを注文。この野菜炒め、7種類の野菜を使ってとってもヘルシー。豚肉も旨いのです。実はボク、コボちゃんの料理の次にオリジンのファンなのです。というわけで、我が家での酒盛りはカヴァのシャンパンで乾杯といきたいと思います。

▲ 我が感謝高く無限な秋の空


1011・木・

 1945年、昭和20年の今日、GHQ、連合国軍総司令部が初めて検閲した映画「そよ風」が封切られた。サトウハチロー作詞、並木路子が歌った挿入歌「リンゴの唄」が敗戦で打ちひしがれた日本人の心に響いて大ヒットした。ボクは昭和23年の生まれだけど、そのボクの幼少時の記憶としてもこの歌声とメロディーが深く心に焼き付けられている。よほど繰り返しで聴かされたのだろう。どれだけのロングランヒットだったのかと驚かされる。目まぐるしく流行歌が移り変わる現在から見れば考えられないことである。この並木路子も登場する2015年NHK制作の映画「紅白が生まれた日」はつい最近サピエ図書館にアップされているので視覚障碍者はその特権としてご覧になるといいだろう。敗戦当時のことに多少でも興味のおありの方々にはきっと楽しめる作品だと思います。もちろん出てくる歌手や役者さんたちは本物ではありませんけれど、懐かしい面々ばかりです。

 星新一のショートショートはその生涯で一千作品を超えるそうだが、サピエ図書館にアップされているそれらショートショートのすべてを読破しようと頑張っている。ただし、星新一はSFブームの牽引車ということになってるが、その作品すべてが空想科学的とは限らない。空想科学少年だったボクにとってそこがちょっとつらいところ。ここしばらく星新一作品から離れていた理由のひとつがそれである。慶應義塾のマンガクラブのメンバーになったばかりの頃、大学漫画早慶戦というようなテレビ番組が企画されて、ボクも作品で参加したことがある。ボクの作品は毛生え薬をネタにしたSF的なものだったが、審査員の星新一がボクの作品を高く評価してくださって、ああ、さすがSF作家だなぁ、なんて感動したことがありましたっけ。で、その義理としても全作品読破に挑んでいるわけだけど、少し疲れました。ここいらあたりで小松左京の本格的ハードSF小説を味わって、ちょっと頭を切り替えようかと思います。ちなみに、その毛生え薬をテーマにした漫画ですけど、世界文化社からの月刊絵本「ピカリング博士」として生まれ変わっております。

▲ 力尽き猫の虜や秋の虫


1012・金・

 1983年、昭和58年の今日、ロッキード裁判で田中角栄に実刑判決が下された。東京地裁は総理大臣経験者に受託収賄の罪などで懲役4年、追徴金5億円を言い渡したのである。これをボクが気の毒と感じたのか、それともザマミロと思ったのかはほとんど記憶にない。それは当時のボクの田中角栄に対する評価が劣悪だったせいではなく、それは当時のボクが失明宣告を受けての入院中であり、毎日のように眼球注射を受けたり、目玉へのレーザー照射を受けていたせいだと思う。で、今から考えると、田中角栄はアメリカに撃ち落とされたんだと思います。アメリカを無視して中国と握手した田中角栄は猛烈にカッコよかったんだけどね。当時のボクから見ても英雄でした。

 スタジオクラスターのマダム、ヒロコママが来年度カレンダーの校正刷りを持ってきてくださった。そしてその数十倍の量と重さでボクのランチとおやつと夜食と酒の肴を差し入れてくださいました。おかげでボクは本日のランチとして竹の皮風の紙に包まれた天むす6個と、まい泉(まいせん)のロースカツ丼をいただき、透析中の夕食はオリジンのカツカレーライスでしたけど、ボクは毎食トンカツでもOKなのです、あ、失礼、そして透析から戻ってのコボちゃんとの晩酌の酒の肴がまい泉のヒレカツと崎陽軒の焼売、ということになったのです。そしてこれは単なる予測ですけど、来週あたり、ボクのドライウェイトは大幅に修正されそうです。

▲ ヒレカツや庭の蟋蟀ロースカツ


1013・土・

 2013年、5年前の今日、恩師、やなせたかし先生が身罷った。94歳だった。やなせたかし先生と立川談志師匠は、相手がどんな高いところにおられても、その胸に飛び込めば必ず受け止めてくれる、ということをボクに教えてくださった大切なお師匠たちである。漫画は絵で描くポエム。漫画は笑いです。このふたつのメッセージからヒントを得たエム ナマエのペンネームは、このおふたりからの賜物である。単なるイニシャルではないのである。高校生のとき、やなせ先生のご著書「まんが入門」で「漫画は絵で描くポエム」という言葉に触発され、漫画家を目指すようになる。実際の先制にお会いしたのは大学2年生のとき。サイン会で自費出版のミニ絵本をお渡ししたのがご縁で、それ以来、先生のお宅を出入りすることを許され、やがてお仕事をいただくようになる。全盲イラストレーターとして復活したときは本当に喜んでくださり、いろいろな形でのサポートやバックアップをいただいた。2002年の日本橋三越本店のエム ナマエ展覧会のオープニングパーティーではふたりのお師匠、やなせたかし先生と立川談志師匠が、NHKテレビ「まんが学校」以来、数十年ぶりで初めてふたりお揃いとなり、スピーチをしてくださったのには感動した。90歳を超えてもどんどん新しいことに挑戦していくやなせたかし先制。殺しても死なないと思っていたその先生の訃報を耳にしたときの衝撃は大きかった。四谷のやなせスタジオに駆けつけたとき、先生は既に骨壺の人となっていた。やなせたかしがいなければエム ナマエも生まれていなかった。今も毎日、心からの感謝の祈りを捧げているのである。立川談志師匠とのエピソードはまた今度にさせていただきます。

 夜のNHKラジオニュースで驚いた。オイラも70歳のジジイだけど、71歳のジイサンが熊退治をやらかしたというのである。今朝のこと、埼玉県は秩父あたりの雲取山で山歩きをしていた山小屋勤務の71歳のジイサンが木登りをしている子熊を見つけて眺めていたら、突然その母熊に襲われてしまった、というのだ。でも、山仕事の人だったら、子熊の傍には母熊がいるのは常識なはず。そこはマヌケだったと思う。でもこのジイサン、そこからがすごい。その母熊の背中をつかんで山の斜面に投げ落としたというのである。そりゃ母熊も子熊を守るのに必死だから再び斜面を駆け上がり、ジイサンに襲いかかったがこのジイサン、根性があるのです。またまた母熊は投げ落とされてしまったのです。この母熊、ジイサンに噛みついてやればよかったのに、やけに気の優しい熊さんなのです。で、71歳のジイサンは自力で下山し、現在は病院でひっかかれた両手を治療中ということでこの勝負、ジイサンの冷静さの勝利なんだと思います。足柄山の金太郎みたいなジイサンのお話でした。めでたし、めでたし。

 昼間はやけに眠たかったけど、夜も更けたらやたら元気。NHKラジオ第2の「朗読の時間」再放送、永井荷風の「フランス物語」をBGMに、出版当時はたちまち発禁になって、1968年にやっとまともに出版されたという禁断の書物「フランス物語」を肴に、コボちゃんと酒盛りをする。もうひとつの肴がヒロコママの差し入れの崎陽軒のレトルトバージョンの焼売。それとまい泉の千切りキャベツの山盛り。それにフレンチドレッシングをたっぷりかけて、バリバリと咀嚼しながら焼酎のお湯割りで流し込んだのでした。まい泉の千切りキャベツ、とってもおいしかった。この千切りキャベツ、ヒレカツの脇役なんだけど、主人公の風格がありました。念のためのご報告です。

▲ あんぱんを食べて飛んだよ秋の空


1014・日・鉄道の日・

 本日は鉄道の日であります。1872年の今日、新橋横浜間に日本で最初の鉄道が開通した。これを記念して大正11年に鉄道記念日が制定され、1994年からは鉄道の日となったのであります。汽笛一斉新橋を。鉄道唱歌でも歌われているその日なのであります。

 1974年の今日、長嶋茂雄が現役を引退した。記録よりも記憶。チャンスに強いバッティングでファンを魅了してプロ野球人気を一気に引き上げた存在はミスタージャイアンツ、と呼ぶよりはミスターベースボールと称すべき存在だと思います。ナガシマ以前の野球人気は早慶戦に支えられていたのですよ、ほんまの話。さてこの日、後楽園球場のグリーンの人工芝の中央にセットされたマイクロフォンの前で、巨人軍は永久に不滅ですと絶句し、片腕で目頭を押さえていた引退挨拶を今も昨日のことのように覚えている。そう。あれは昭和のひとつの歴史でした。今はアンチジャイアンツのボクでも、ナガシマは永遠の憧れの対象なのです。鯖は魚にブルーだから野球はひとつのベースボールなのです。わっかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ。

 大ショック。いつもの時刻に文化放送に回したら、安倍晋三よりも滑舌の悪い早口の女の子の声がして、違うプログラムになっている。ボクが北軽井沢でタヌキやイノシシと遊んでいる間に志の輔ラジオがなくなってしまったと思い、死にたいくらいガッカリしていたけど、ネットで調べたら放送時間が変わっただけと判明、胸を撫で下ろす。放送開始が中途半端な6時20分から7時ジャストとなり、放送時間も延長されたのだ。そうだよな。それだけの価値のあるプログラムだと思います。万歳。

 クライマックスシリーズのファーストステージでジャイアンツがヤクルトに勝利して、ひどいことにノーヒットノーランで勝利して、ファイナルステージへの参加権を獲得してしまった。リーグ優勝3連覇の広島への挑戦権を獲得してしまったのだ。生涯終身ナガシマファンではあるけれど、アンチジャイアンツのボクはまったくもって面白くない。最悪の結果とならないことを全身全霊で祈ってる。ボクはハラタツノリではありませんから、全知全能では祈りませんけれど。わっかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ。

▲ ナガシマの引退記念勝つ巨人

2018年10月1日~7日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


1001・月・都民の日・北海道狩猟解禁・共同募金・

 1920年、大正9年の今日、第1回の国勢調査が実施された。後にこの調査による人口は5千5百96万3千53人と発表された。今からほぼ100年前の人口である。今は少子化で人工減少が懸念されているけれど、それでもほぼ倍数の人間が日本国内で棲息しているわけだ。億という人数が維持できなければこの国は衰退する。安倍政権はそのあたりを危惧しているらしく、LGBTの人たちを非生産的だなんて決めつけている議員なんかを繁殖させている。ま、アベちゃんは明治政府を追従した、産めよ増やせよの精神がお好きなんだろうと思う。けれど、少ない人口で豊かな国家を作り上げることは可能であるはず。競走をあおるより共存を大切にする道があっていいはず。狭い国土である。少ない人間で豊かな国土を回復させて、豊かな精神生活を営む哲学なんて明治憲法を理想とするアベちゃんにはとても発想できないんだろうね。と、ボクはどんなネタでも安倍晋三の悪口へと導きたいのです。

 1964年、昭和39年の今日、東海道新幹線が開業した。5年半の歳月をかけ、3800億円の工事費を投じ、その年の10月10日開幕の東京オリンピックに滑り込みセーフ、間に合わせたのであるが、ボクは開業のときのテレビ中継を見て、何故か乗らないぞと決心してしまう。生まれて初めての関西への旅も新幹線でなく、スカイメイトで飛行機の旅を選んだ。そしてこれがボクにとっての生まれて初めての空の旅となったのである。清水の舞台から飛び降りる覚悟の、生まれて初めての新幹線の旅は万博の年の広島旅行のときだったと思う。それからは抵抗なく利用させてもらってるけど。なんであんなに嫌ったのかね。新幹線の形がイモムシに似ていたせいか、それとも小松崎茂先生デザインの地球防衛軍のアルファー号ペーター号のパクリと思ったせいかもしれない。確かめてくださいな。とってもよく似たデザインなんですから。

 毎月恒例、10月最初の日の全国の日の出と日の入りの時刻です。これで季節の移り変わりがわかります。札幌の日の出は5時31分、日の入りは17時17分。仙台の日の出は5時32分、日の入りは17時20分。東京の日の出は5時35分、日の入りは17時26分。大阪の日の出は5時52分、日の入りは17時43分。福岡の日の出は6時12分、日の入りは18時4分。ということで、お疲れ様でした。

 台風一過の朝である。まだ青い木の葉が道路一面に散らされたままになってる遊歩道を、アルルと散歩に出たコボちゃんが直径40センチの栗の木が倒れているのに遭遇。その下を通行人が背をかがめて注意深く通っていったという。今度の週末台風24号、それなりの被害を世田谷に与えていったということなのだ。我が家の窓ガラス、無事でいてくれてありがとう。さて、今日はアルルの抗癌剤投与があります。これも無事に終わってくれれば感謝なんですけど。

 ところが、その午後のことである。抗癌剤投与の終わったアルルが行方不明になってしまったのである。いや、もしかしたら盗まれたのかもしれない。ボクは呆然としながら建物の前でケータイの110番を回していた。
 2時15分のことだった。ボクは階段の下でアルルを待っていた。抗癌剤投与を終えたアルルを勤務の休憩時間を利用してコボちゃんが連れてくるのだ。コボちゃんはその足で職場に戻っていかねばならない。そして今度はボクがアルルを連れて階段を上がっていく番だ。抗癌剤投与はアルルの体力を著しく奪う。まずボクが階段を上がり、そしていつものようにアルルがそのあとをついてくる。いつもボクとアルルはこうして仲良く階段を上がっていくのである。もちろんリードは外していく。リードを引っ張ってはボクが階段を上がれないからだ。ところがいきなりアルルの気配が消えてしまった。ボクはすぐに逆戻り。以前にもこういうことがあって、親切な人がアルルを保護してくれたことがあったのだ。やはり下にアルルがいない。大声でアルルの名前を呼ぶと3丁目の交差点あたりから、
「黒いワンちゃんですか」
と女性の声がする。そうだと答え、連れてくるようにお願いするとアルルは首輪をつかまれ、やってきた。これも以前と同じである。ボクがアルルにリードをつけようとすると、その女性が上まで連れてきてくれるとおっしゃる。そこでリードをお渡ししてお願いすることにした。これも以前と同じで、ボクは世間には親切な人がまだまだおられると感謝の気持ちを強くした。先に3階まで上がってその女性とアルルが上がってくるのを待っている。ところが、いつまで経っても上がってくる気配がない。しばらくすると知らない男性がいきなりアルルのリードを持って上がってきて、
「犬が逃げました。今、つかまえてきますから、これを持って待っていてください。大丈夫です。早く部屋に上がって、安心して待っていてください。大丈夫ですから」
そういってボクにアルルのリードを押し付けたまま、現れたときと同じように煙のようにいなくなった。そしてそれっきり、さっきの女性もこの男性も二度と戻ってこなかったのである。大変だ。アルルが消えてしまった。ボクはこの事態を職場のコボちゃんに連絡し、そうして警察に通報したのである。
 たちまち若くて親切な警察官が駆けつける。丁寧に事情聴取をしてくれて各方面に手配してくれる。動物愛護相談センターにも通報する。コボちゃんも職場を早退して自転車で探し回る。近所の人も心配して声をかけてくださる。誰もアルルが賢い犬で、逃げてしまうなんて考えられないのだ。結局、アルルが発見されないまま、ボクが透析にいく時刻になってしまった。ボクとコボちゃんは心配なままアウトバックで透析室に向かったのである。
 透析中、ボクは生きた心地もしなかった。もしもアルルが盗まれたのなら、盗まれた先でどんな扱いを受けているのだろう。アルルはとことん人間を信用している。誰のことでもこころから安心してついていってしまう。ただの一度でもひどい目に合わされたことがないのである。今頃どこにいるのだろう。真っ黒な大型犬である。交通事故でもあれば発見されていないはずがない。となると、どこかに匿われている可能性が高いのだ。もう、それしか考えられないのだ。誰かと一緒にいるのなら、その人間がよい人であることを祈るしかない。ボクは黒沢明監督の映画「天国と地獄」を思い出していた。我が子を誘拐された主人公の気持ちが痛いほど身に染みたからである。栄養失調のカタツムリの歩みのように透析の時間が流れていく。悪いことばかりが脳裏を過る。そして地獄の秒と分と時間が通り過ぎ、コボちゃんが迎えにきた。
「アルル、我が家に戻っているよ」
 この一言で全身の力が抜けてしまった。瞬間にして生きた心地が爪先から髪の毛の末端まで戻ってきた。アルルはお腹をこわしていたという。トイレをしたかったのだという。それでひとり、遊歩道に向かったのである。その姿を、以前もアルルを保護してくれたのと同じ女性が発見してご自宅へ誘導してくれた。で、そのまんまご自宅で保護していたらご主人がご帰宅となり、もしも以前と同じワンちゃんなら飼い主が心配しているはずだから早く知らせた方がいい、ということになり、我が家のドアをノックした。という経過なのだという。そうなのだ。アルルは下痢になっていて、早くトイレにいきたいのをボクが対応してやれなかったのだ。ということで一件落着、大安心。それからボクの口から出てくる言葉はただ、よかった、よかった。神様、ありがとう、であったのだ。そう。天に感謝する毎日ではあるけれど、今夜ほど天に感謝したことはない。
 これまで人の親切に救われ生かされてきた。けれども、今度のことでわかったのは、世の中には無責任な人たちもいる、ということだ。こちらは目が見えない。相手が誰だかわからない。この午後の男女ふたりも親切そうで無責任なカップル。ボクは永久に相手が誰だかわからないままに終わるのだ。結局、親切に対応してくれたのは警察と動物愛護相談センターと顔の見える近所の方々。本当にありがとうございました。これからはメクラメッポウ、人を信用するのはやめたいと思います。

▲ 愛犬と共に過ごせる長き夜


1002・火・下弦・

 1985年というとボクが失明寸前の見えない目で国際ゴジラの原作シナリオを夢中で書いていた年だけど、というか、タイガーズファンにとっては日本一の年だけど、その年の今日、関越自動車道の前橋湯沢間の工事が完成して全線開通したという。これで東京と新潟が3時間半でつながったわけだ。失明したボクがボクを拾ってくれた看護婦のコボちゃんの運転で北軽井沢まで気軽にいけているのもこの関越道のおかげなのである。ということは本日は記念すべき日、ということになる。シャンパンでもあけましょうかね。

 秋晴れの気持ちのいい午後である。カラスも気持ちよさそうに鳴いている。昨夜遅くアルルの無事を知ったボクは今日は朝から忙しい。昨日お世話になった警察や動物愛護相談センターにアルルが無事に発見され、戻ってきていることをご報告、お礼を申し上げる。それから騒ぎの最中に偶然電話をくださって、結果的にご心配をおかけすることになってしまった愛育出版の伊東社長にもアルルの無事をお知らせする。アルルは愛育出版で出版の決まった「ひみつのブルブル・飛行猫」の主人公なのである。ブルブルの相棒、アルアルはアルルなのである。肺癌で死なれたり行方不明になられたりしたら困るのである。そのお守りのためにも出版を決めたのだから、どうかアルル、元気でいてください。

 姑息な総理の誰が誰だかわからない内閣改造は閉店セール内閣とか在庫一掃内閣とか呼ばれているけど、TBSラジオ、月曜デイキャッチャー、青木理(あおきおさむ)コメンテイターの称する、加齢臭内閣とか賞味期限切れ内閣が妥当のような気がする。アベちゃんは全員野球内閣とかいってるけどね。やっぱり決め球は内角攻めかな。
と、オイラもつまらんことをいっている。いいんだ、いいんだ。どうせオイラは無責任でいられる賞味期限切れ全盲イラストレーターなんだから。

▲ 加齢臭香る内閣暮れる秋


1003・水・アルル14歳の誕生日・

 1964年の今日、日本武道館が開館した。1週間後に始まった東京五輪では初めて正式競技に採用された柔道の会場として使用されることになる。と、そういうわけだけど、ボクにしてみればやっぱ、武道館の本番は2年後のビートルズ公演だと思うな。柔道には申し訳ないけど、あのときの武道館は刺激的でした。で、またまた我田引水になるけれど、ボクも武道館の舞台に立ったことがあります。霊的ご縁のある宗教団体に講演といって担ぎ出され、結果的にヨイショとなる発言をしただけなんだけど。でも、1万人の熱烈拍手を受ける体験はできました。悪くなかったです。

 噂によると埼玉県飯能市にムーミンを題材にしたテーマパークが誕生するらしい。称して、ムーミンバレーパーク。つまり、ムーミン谷公園である。ムーミンはもちろん、スナフキンにも会えるんだろうね、たぶん。けれどもボクにとってのムーミンはテレビで放映された虫プロ制作のムーミン。岸田今日子さんが声を担当したあのムーミン。ムーミンパパの声もよかったな。このおふたりの役者さん、ボクもお会いしたことあります。もしもあのムーミンに会えるのならコボちゃんといってみたいかも。

 本日のデイキャッチ時事川柳、安倍晋三の全員野球内閣に対する一句には笑いました。
▲ 野球でもオウンゴールのあるメンバー

 透析から戻ってアルルに乾杯。14歳の誕生日、おめでとう。片肺になっても行方不明になっても、いつだって尻尾をパタパタ。いつも元気でにこにこ笑う、そんな短足ブラックラブはいつもにんなの人気者。どうか来年の今日も、無事に15歳の誕生日を迎えてね。と、アルルはコボちゃん特製のオーストラリアンビーフステーキをペロリとたいらげたのでありました。

 ピロピロリン!
深夜0時15分、緊急地震速報にたたき起こされる。地震だ、地震だ、大変だ。慌てて目覚めて揺れに備えていたら、茨城で震度4が最大震度。世田谷はまるで揺れませんでした。なんだ、そんなら起こすなよ、と怒っちゃいけません。地震が小さかったことに感謝しなさい。そう自らに言い聞かせてまた眠るのでした。

▲ よかったね胡桃割り割り誕生日


◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございます。おかげさまで10番、切幡寺を仮想参拝、通過しました。
次は11番、藤井寺。あと331歩です。

現在の歩数、64,469歩。三度目の徘徊中。


1004・木・

 1957年、昭和32年の今日、インドのネール首相が初来日して上野動物園を訪問した。8年前に日本の子どもたちに贈ったインドゾウのインディらに再会するためである。当時、我が家のお茶の間には父親の何か月文化のサラリーで購入したばかりのテレビがあって、その画面で特徴ある帽子をおかぶりになったネール首相の御尊顔おとくと拝見した記憶がある。インドゾウのインデイラにも会ったことがあるしね。そしてその同じ日、ソビエトが世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功していて、その人工衛星はおよそ95分で地球を1周してしまうことにも驚いた。それからは夜になるとみんなで夜空を見上げ、移動する光の点を見つけるのに必死だったことを覚えている。でも、このたったひとつの人工衛星が未来のインターネットを誕生させることの切っ掛けになるなんて、予想もしなかったんだけどね。そんじゃ本日はウェブ記念日でもあるわけだ。

 週末台風の影響だと思うけど、関東各地で塩害被害が続出している。電線から火花が出たりして、家庭や職場で停電したり、電車が止まったりして大混乱。碍子や電線に付着した塩分が絶縁効果を阻害するのである。そういえば台風がくると父親はいつも忙しそうだった。塩害が報告されると変電所勤務だった父親は慌ただしく出金していったのである。停電するとみんな平気で文句をいうけれど、電機は無数の人々によって支えられているのです。どれもこれも、すべて手作業なのだと思います。電気がきてること、当たり前だと葉思わないでね。昔は定期便みたいに停電があって、蝋燭は常備品だったのですよ。なんて、元東電貴族のエム ナマエが東電擁護に走っています。

▲ 台風の土産は青き火花かな


◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース

ありがとうございます。
おかげさまで11番、藤井寺
を仮想参拝、通過しました。
次は12番、焼山寺。
あと83,830歩です。

現在の歩数、68,570歩。
三度目の徘徊中です。


1005・金・時刻表記念日・

 1962年、昭和37年の今日、ザ・ビートルズがシングル・ラブミードゥーでレコードデビュー。ボクがこの曲を耳にするのは1964年、慶應義塾志木高1年生のクリスマス。自分へのプレゼントとして銀座ハンターで購入したファーストアルバム「ミートザビートルズ」に針を落としたときだった。シーラグズユウとか抱きしめたいとか、知っている曲はあったんだけど、心を打たれたのがこのデビュー曲。シンプルなんだけど、魅力の底なし沼みたいな感じがして、この曲以来、ボクはビートルズに逮捕されてしまったのです。そして判決は終身刑。もう脱獄不可能です。

 1969年の今日、アポロ11号が持ち帰った月の石の一部が東京に持ち込まれた。NASAからの委託を受けた東京大学が研究材料にしたらしいけど、その結果はどうだったか、あんまり覚えていません。ボクが記憶しているのは翌年に開催された大阪万博のアメリカ館で、ずらり並んだ行列の目的が月の石見物だったこと。あまりの長蛇の列にあきれて、とうとうボクは月の石を拝むことができなかったけど、写真で見たらただの石。隣の庭にいくらでもありそうなただの石。行列しなくてよかったと思いましたよ。


 さて、本日は北軽井沢への移動である。5日の金曜日だったけど、高速道路はスムースで、たちまち中軽井沢のツルヤスーパーに無事到着。駐車場でコボちゃんが買い物に出ようとしたら、観光客らしい女の子がクルマの中の猫のミミコに気がついたらしく、凝視しているのを発見。小型犬でなく、リードをつけられたトラネコが小型犬がするみたいに、自動車の窓から外を見物しているのだ。そりゃ珍しいと思いますよ。さて、北軽井沢まではいい天気。道端の松茸の旗が目立ちます。もしも松茸の匂いがしたら、そりゃ松茸スプレーに違いありません。

▲ 道端の松茸の旗軽井沢


1006・土・国際文通週間・国際協力の日・

 軽井沢朗読館の館長、青木裕子さんからお電話があって、面白い話を聞かせてくださる。ときどき青木さんとおしゃべりしないとボクの元気は在庫切れになってしまうのです。青木さん、いつもありがとうございます。

 山の透析室に出かけようと思って玄関でもたもたしてたらノックの音。ここんとこ星新一みたいだけど許してね。で、それは関東保安協会の人だったんだけど、それから配電盤やブレーカーをチェックしてくれました。で、配電盤の裏に小さなネズミの死骸が転がっているのを発見。小さいからノネズミなんだろう。干からびていたところを見ると外から入ってきて餓死したんだと思う。それを見たコボちゃん、思わず悲鳴をあげていた。けれども勇気をもって死骸を紙でくるみ、高原に埋めにいった。お疲れ様。おそらくお墓を立ててあげる余裕はなかったと思う。とにかく透析室には遅刻できないのです。

 おかげさまで今度の週末台風25号の影響はほとんどなかったけど、そのおかげで関東地方はフェーン現象だそうでやけに温かい。ボクが透析を受けている間、コボちゃんはアルルとプリンスランドでソフトクリームをシェアしてたらしい。片肺のアルル、元気になってくれて嬉しい。

 ここんとこ、山の透析室では若い看護婦さんからの質問攻めにあっている。ネットでエム ナマエを調べたらしく、へんなジイサンと思ってくれたらしいのだ。透析室にはエム ナマエのカレンダーも飾ってくれているらしいし、おしゃべりすれば信頼関係も生まれるし、いいことだと思います。この傾向、毎回ボクがしている枕カバーのタオルのデザインがボクの絵であることがわかってからです。都会では賞味期限切れの全盲イラストレーターでも、ここではまだ賞味期限は有効らしいのです。ありがたいことです。

▲ 団栗でおはじきしたい山の秋


1007・日・

 アルルの行方不明に始まった今週は不調の連続。デスクワークやドライブで座り続けのお尻の痛みもそうだけど、最大の苦悩は便秘。コボちゃんは下剤の使用を勧めるけど、そこは薬に頼りたくない。薬を使わなければ身体が何とかしてくれるのだ。その信念で辛抱していたら今朝のこと、やっと開通してくれた。安倍晋三の決まり文句、岩盤規制じゃないけれど、岩盤宿便が狭い出口からやっと去っていってくれたのである。安堵。これで少しは生きた心地を味わえる。万歳。それにしても苦しかったなぁ。

 夏目漱石の未完の絶筆「明暗」に引き込まれてきた。正直をいうと、やっと引き込まれてきた。なかなか作品世界に馴染めなかったのである。未完ということも気持ちに引っ掛かっていた。もしも面白くて、夢中にさせられたところで放り出されるのではないか、という不安もあったのだ。だから小説と自分との間の空気の層がいつまでも邪魔になっていたのである。けれどやっぱりそこは夏目漱石。読み進めていくうちに登場人物たちが生き生きと自分たちの芝居に目覚めてきて、いよいよ舞台が賑やかになってきた。役者の顔も見えてきた。ここまできて、それで芝居小屋から弾き出されるのなら仕方がない。絶筆の最後まで読ませてもらおうじゃないか。ボクにとって、この作品が最後の夏目漱石の長編小説になるのだから。

 台風25号、おかげさまで群馬県はちっとも被害はありませんでした。なのに台風一過といっていいのかわかんないけど、やたらにいい天気。関東地方は暑くて夏みたい。噂によれば東京は真夏日になったらしい。このお天気を利用してコボちゃんはスタジオ周辺のシダ退治。なんせ人類のはるかなる大先輩、喧嘩して勝てる相手じゃないのに無駄な戦いを挑んでる。コボちゃんは石炭が過去のシダ類の贈答品であることを知らないのである。ところでコボちゃんにいわせると、北軽井沢の森は山のキノコでモリモリ。キノコたくさん。食べられるのも食べられないのもキノコもりもりでキノコのホクトも真っ青になってます。今年の夏は暑くて雨がざんざか。それでキノコが元気でいるらしい。これで松茸もたくさん採れるといいんだけど。ただ、キノコ採りに夢中になって遭難者の出るのが心配です。そうそう。山は団栗もいっぱいとコボちゃんがいってました。これで今年の冬は熊さんたちも安心です。よかったね。

▲ 食べなよと群れて誘うは毒キノコ


2018年9月24日~30日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


0924・月・十五夜・

 またまたNHK「マイあさラジオ」情報である。1965年の今日、国鉄がコンピューターによる制御で指定券を予約発売するみどりの窓口を開設した。便利になったかどうかは別にして、そのおかげでボクらは立川志の輔の新作落語「みどりの窓口」を楽しむことができるのだ。この新作落語、名作です。志の輔は古典落語もいいけれど、新作がこれまたいい。誰が考えるのか知らないけれど、登場人物たちが、いかにも近くにいそうな人たちばかり。みんな平成のはっつぁん、くまさんなのですよ。

 北軽井沢の朝はコボちゃんが眠っている間に「おえかき」をする。静かで集中できるのだ。おかげで来年度のカレンダーで最後まで悩んでいた9月の絵柄が浮かんできた。月刊ラジオ深夜便「しじまのおもちゃ箱」12月号の導入部分で触れた、幼い頃の自分が月に住んでいるというウサギの姿が見たくて、父親の双眼鏡で満月を見上げていたというエピソードから思いついて、ゾウの天文学者にお願いしてウサギの子が天体望遠鏡で月を見せてもらうという構図を思いついたのである。ちょっと苦しいけれど、9月としてはそんなに悪くはないでしょ。カレンダーや月刊誌の表紙で3月とか9月とか、中途半端な季節だから、いつも考えるのに苦労するのです。で、念のために触れますが、いくら幼いボクがバカだったからとはいえ、本当に月にウサギがいたとは思ってませんでした。ただ、月の表面に見えるというウサギの模様が見たかっただけなのです。

 コボちゃんがアルルを連れて目の前の人造湖、神原湖(かむばらこ)にいってみると久しぶり、鴨の親子連れを目撃したという。両親とおぼしき親鴨と子鴨が五羽。コボちゃんが音をたてると子鴨たちは一斉に水に潜ってしまった。敵が現れたらそうしろと親鴨に教えられているのだろう。今年は鴨たちの姿を見ないと思っていたけど、きっと水草の影で子育てに専念していたのだろう。先日はイノシシの親子連れが七匹。本日は鴨の親子連れが七羽。ラッキーセブンですなぁ。せっかくの十五夜のお月様は天気が悪くて見られなかったけど、この親子でガマンしますか。

▲ 秋日や鴨の親子の人造湖


◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございます。おかげさまで6番、安楽寺を仮想参拝、通過しました。
次は7番、十楽寺。あと3,351歩です。

現在の歩数、34,649歩。三度目の徘徊です。


0925・火・満月・

 万歳。この朝、カレンダー原画の13点すべてが完成した。最後まで残っていた9月の「月のウサギを見てみたい」と10月の「飛行船のオールを漕いでるキャプテンアルル」の2点がボクの色指定でコボちゃんの手によって彩色され、完成したのだ。来年度のカレンダー、新しいものもあればいつもの顔ぶれもある。学生イラストレーターの頃から季節や暦をテーマにした仕事をずいぶんしてきたけれど、この歳になってもアイディアに苦労する。仕事というものはいくつになっても慣れることがないのだと思う。とにかく、今年も無事にカレンダーができて、心から安堵している。コボちゃんに感謝である。

 カエルが嬉しそうに鳴くはずだ。朝から晩まで雨なのだ。けれど、こんな雨ばかりの毎日で、いつ稲刈りをしたのだろう。山の透析室にいく途中の色づいた稲はすべて刈り取られていた。天然自然を相手にする職業を心から尊敬してしまう。雨だの風だのいってられないのだ。そして世界中の人たちが仕事をして、そのおかげで御飯を焚いたり魚を焼いたり、酒を飲んだりできるのだ。どれひとつとっても、みんな誰かの仕事なのである。

 透析が終わると迎えにきたコボちゃんが貴乃花が引退したといっている。引退したから親方をしてるんじゃないかと思ったら、その親方を退職したらしいのだ。まっすぐな人だから、相撲協会にいられなくなったのだろう。大切な弟子をモンゴル力士たちにボコボコにされて、それで黙っていられる親方なんているもんか。白鵬が何十回優勝しようとも、貴乃花の一度の優勝に匹敵するものではない。貴乃花の相撲は美しいのだ。勝てばよいという白鵬のハリサシ、カチアゲ相撲とは根っこから違うのだ。貴乃花、これからも相撲に携わっていくという。どうか相撲道が正しい道筋を外れないよう、陰となり、日向となり、見守っていていただきたいと思う。

▲ 雨の中すっかり稲が刈られてる


0926・水・彼岸明け・

 今日は大型台風が日本を襲った特異日であるという。昭和29年の洞爺丸台風。昭和33年の鴨川台風。昭和34年の伊勢湾台風。これらの台風が各地に大きな被害をもたらした。ということでラジオからは各地での慰霊祭のニュースが流れてくる。伊勢湾台風はボクが小学5年生のときだった。あのときテレビで目にした水の下の名古屋を今もなまなまと思い出す。
 戦争で焼け残った古い木造社宅に暮していた頃、台風というと父親が大工道具を出してきて釘と木切れで扉やガラス窓を補強していたけど、それでも激しい風で屋根が飛ばされそうでコワイ思いをした。今は台風が来襲する度に鉄筋コンクリートに感謝している。

 スタジオクラスターのマダム、ヒロコママによると、NHKで樹木希林さんの追悼番組をやっていたらしく、その中で無言館の成人式に触れていて、エム ナマエも映っていたとおっしゃっる。全員の記念写真のシーンも紹介されていて、じゃ、アルルも映っていたはずだと尋ねたら、それには気がつかなかったそうである。この番組、医歯薬出版の田辺さんも、愛育出版の伊藤社長ご夫妻も見ておられた。無言館の成人式に毎年のようにエム ナマエが呼ばれていることをご存じない方々は、なんで樹木希林さんとエム ナマエが一緒なのか、おわかりいただけなかったと思う。

 ざんざか雨の東京へ北軽井沢から戻ってきた。家に着いてもクルマを降りられず、自分の家を目の前にして扉を開けてもらえない猫のミミコは機嫌が悪い。いくら猫のミミコの頭がからっぽでも、いくら土砂降りであたりがよく見えなくても、目の前の建物が自分の家だと知っているのだ。

 マツダスタジオでヤクルトを完封して広島カープがリーグ優勝三連覇を遂げた。DeNAにストップをかけられたままになってたけど、マツダスタジオで優勝できて、広島市内でビールかけができて、本当によかったと思う。おめでとう。こういうニュースを聞くと1975年の広島カープ初めての優勝の年を思い出す。広島生まれの最初の奥さんの義理もあったし、広島への熱い思いもあって、ボクは今もカープファンであるのです。

▲ 恨めしく猫が見てます秋の雨


◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございます。おかげさまで7番、十楽寺を仮想参拝、通過しました。
次は8番 熊谷寺。あと6,880歩です。

現在の歩数、39,320歩。三度目の徘徊中です。


0927・木・

 1945年、敗戦の年の今日、昭和天皇と連合国軍総司令部のマッカーサー最高司令官の間で一回目の会見が執り行われた。日本国民の神様がレーバンのサングラスをかけたでかいアメリカ人の横に立たされ、言葉にはしないまでも、はい、私たちは敗けましたと認めたのである。それ以来我が国はアメリカには頭が上がらない、歯が立たない。今日もアベちゃんが、わざわざニューヨークまで出かけていって、あの小学5年生の頭脳レベルのトランプにしてやられてる。国連でアメリカ第一主義の演説をやらかすようなアホなトランプに手玉にとられているのである。アメリカの大統領が馬鹿で、いくら世界中の顰蹙を買おうと日本には関係ないと思ったら大間違い。その馬鹿のトランプにすり寄りへつらいしている日本の総理大臣の存在を知られれば、やはり世界の笑い者。困るんです、アベちゃん。いわれるままにアメリカの武器を購入して国民の血税をばら撒くことが外交だなんて思われては。どうか余計なことはしないでね。お友だちの好きなアベちゃんだけど、あっちはアベちゃんをお友だちだなんて思ってはくれません。手下の猿と思ってくれるのがせいぜいなのです。

 東京は本日で17日間の連続の雨であるという。北軽井沢でも雨ばかり。もう、うんざりである。いくら秋雨前線とはいえ、少しは遠慮していただきたい。人間にもお天道様にも遠慮は必要です。

 長い間、牛丼を愛している。ことに吉野家の牛丼を愛している。年若いイラストレーターは新宿で夜明かしをして、始発の電車を待つ間、ガード下の吉野家で牛丼をかっこむ幸せを愛していた。ときどきは小田急線新宿駅のホームの横で、吉野家以外の、いとこんにゃくとか焼き豆腐とか、何やらゴチャゴチャと牛肉以外の具の入った牛丼に浮気をして後悔したこともあったが、今は吉野家の牛丼だけを愛している。ことに特盛の牛丼を熱愛している。本日はイレギュラーの夕食を伴わない透析だったので、帰り道に牛丼特盛をコボちゃんにリクエスト、買ってきてくれた。ついでにスーパーでナマタマゴをふたつも買ってきてくれた。これで帰宅すれば焼酎のお湯割りでスキヤキごっこができる。幸せなひとときを過ごすことができるのである。アメリカの牛はステーキにするとおいしくないのに、どうして牛丼にすると旨いのだろう。やっぱ、そこが吉野家のスキルなんだよね。

▲ 牛丼や深まる秋をいつくしむ


0928・金・

 東京の日の出は5時33分、日の入りは17時30分。ますます昼間が短くなってきた。けれども晴れていて、低くなったお日様からの光線が窓ガラスを通じてボクの左半身を温めてくれている。猫のミミコは早速窓枠に飛び上がり、日向ぼっこを始めてる。秋や冬だけじゃない。猫のミミコは真夏でもベランダで日向ぼっこをする。可愛いけれど、やっぱりバカなのだ。そしてバカなほど可愛いのである。この猫のミミコをモデルにした毎日新聞連載童話が「ひみつのブルブル」シリーズである。これを愛育出版からの単行本にするための推敲作業が進んでいる。皆様に読んでいただける日も遠くはないと思います。

 TBSラジオ「スタンバイ」で初めて耳にしたフレーズ、「遣り甲斐搾取」(やりがいさくしゅ)。オリンピックで莫大に稼いでいる企業や大人たちがいる中で、どうして学生たちが自腹を切手ボランティアをしなきゃなんないのさ。やめとけ、やめとけ。ボランティアとおだてられて納得できない奉仕なんか、やめておけ。欲望渦巻く東京五輪2020、ボランティアが集まらなくて、中止になればいいと思う。くたばれ既得権益者のためのオリンピック。バカヤロー!

 透析から戻ってきて、アルルと仲良く階段を上がっていく。もうすぐ14歳のアルル。体力も衰えたし肺癌で抗癌剤治療もしていて階段を上がるのも重労働。そして古希を迎え、病気の歩く博覧会のエム ナマエも階段を上がるのは重労働。そんな犬と人間が励まし合って上がっていく。でも、これもひとつの幸せの分配の形。心からそう思う。アルル、どうかいつまでも生きていてね。

▲ 暮れる秋共に生きよう愛犬よ


◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
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次は9番、法輪寺。あと5,275歩です。

現在の歩数、46,525歩。三度目の徘徊中です。


0929・土・

 猛烈と噂の高い台風24号が沖縄から日本列島に接近中。昼から雨の予報が出てるけど、屋根があるから石でもなけりゃ、どんな土砂降りでも耐えられるけど、風速50メートルの風が吹いたらわからない。とにかくドキドキの猛烈台風である。

 1972年、昭和47年の今日、日本と中国の国交が正常化された。田中角栄総理大臣と中国の周恩来首相が北京で日中共同声明に調印しての日中国交回復である。その2年後の今日、日本と中国を結ぶ定期航空路線が羽田北京間に開通され、両国間の交流を一段と促進させた。ボクが初めて中国を訪れたのは1980年の初秋、ナイロビからカラチ経由、ヒマラヤ超えでの北京訪問だったが、ビザを取得したのがケニアはナイロビの中国大使館。当時、日本からは団体旅行以外の中国訪問は認められていなかったのを、ナイロビで個人旅行の資格を得ようというのだ。メンバーはボクと当時の奥さん、そして中学時代のマドンナとそのパートナーの4人。そういうわけだから北京空港では日本語の達者な中国青年が向かえてくれて、クルマを飛ばしてホテルまで案内してくれた。そこから先は英語も通じない世界だったけど、団体の日本人ツーリストたちがウロウロする中、万里の長城までタクシーを飛ばして運ちゃんに英語を教えたり、一度の夕食が当時の中国人の月給に匹敵する北京ダックのレストランで生まれて初めてというような豪華な食事をしたり、ホテルのレストランの無愛想を絵に描いたようなウェイトレスと仲良くするのに必死に知恵を絞ったり、まるで自由な個人旅行を楽しんだのである。それ以来、ボクは中国に好印象を抱いていて、今や三国志マニアでもある。2002年にはコボちゃんと上海にも滞在して、親切な中国人たちのおかげで愉快な思い出がたくさんある。で、これすべて田中角栄のおっさんのおかげなのである。あの頃は自民党にも偉大な政治家がおられたのですなぁ

 スタジオクラスターのヒロコママが来年度カレンダー原画13点を受け取るためにご足労くださる。ボクがお渡しするのは紙の原画が13点でキャリアケースに入れても軽々なのに、ヒロコママはそれより重たく大きな荷物をボクに引き渡す。中身はボクのランチのマイセンのロースカツドンと明日のボクのランチのヒレカツドン。そして今夜のコボちゃんとの酒盛りのためのマイセンのヒレカツサンドと海老カツサンドと崎陽軒の焼売をツーパック。そして毎日のおやつにするためのハラダのラスクをひと箱。ヒロコママ、膝は人工関節なのに、ボクがやっと上がれる階段を、これだけの大荷物を抱えて訪問してくださるのだ。地上には人の形の仏様や神様が本当におられて、心を打たれることがあるけれど、ヒロコママは間違いなくそのおひとりなのである。合掌。

▲ ありがたさ運んでくれて秋茜


0930・日・

 台風24号接近のため、ラジオのプログラムが滅茶苦茶になっている。NHKマイ朝ラジオの「生き物いろいろ」はパスされちゃったし、日曜日お昼のお楽しみ、「素人喉自慢」も飛ばされちゃった。やい、台風のやつ。人の家の屋根を飛ばすだけでなく、好きな番組まで飛ばすのはひどいじゃないか。

 嵐の前の静けさをたたえる午後8時過ぎ、ラジオが沖縄県知事選挙の速報を伝えてくれた。沖縄県知事選挙で辺野古移設に反対する前衆院議員、玉城デニー氏、58歳が、政権与党の自民党と公明党が推した前宜野湾市長、佐喜眞淳氏、54歳をはるかに引き離して初当選を実現した。この結末、薩長連合を前面に押し出して自民党総裁選挙を展開した安倍晋三に対する反感も後押しをしたような気がしてる。アベちゃん、薩摩藩が沖縄に何をしてきたのか、よくわかってないみたい。薩長連合が日本を未開国家から脱皮させたような誤解をしているらしい。沖縄県民は安倍晋三のバカを見抜けない内地の人間よりは歴史や人を見る力があるということだ。

 夜はGパンをはいたままで眠る。何かあったらすぐに逃げられるからだ。で、それで正解。あとで聞いた話だけど、東京都内の風は過去三番目の風速だったという。で、その通りコワかった。窓ガラスが今にも破られそうで、分厚い遮光カーテンが引いてあっても、障子が立ててあっても安心できない。アルルはベッドの下からボクに救いを求めてきて、そのまま離れない。コボちゃんと猫のミミコまでやってきた。犬も猫も人間も、不安を感じて当たり前の風なのだ。灯台ひとつ、この世から抹殺してしまうような風なのだ。奄美海上保安庁によると、消えていたのは名瀬湾に突き出た西防波堤の灯台。前日の後8時ごろは存在を確認していたのに本日、午前9時ごろ、台風の被害調査に出た海保職員が、コンクリート製の基礎部分を残して灯台が消えているのを発見したのである。この灯台、強化プラスティックで中身はからっぽ。とはいえ、強度はそれなりに計算されているはずで、猛烈台風は想定外ということになる。この想定外の嵐、これからどれだけ日本列島を襲ってくるのだろう。桑原桑原も救いのまじないにはならないような気がしてる。

▲ 台風の風に怯えて黒い犬


◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
ありがとうございます。9番、法輪寺を仮想参拝、通過しました。
次は10番 切幡寺。あと10,054歩です。

現在の歩数、52,346歩。三度目の徘徊です。

2018年9月17日~23日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから31年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたりしたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。
 さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌のほとんどはリアルな出来事ですが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はどうぞご理解ください。


0917・月・敬老の日・上弦・

 1945年、昭和20年の今日から翌日にかけて枕崎台風が西日本に上陸、敗戦直後で気象情報に乏しく防災体制も不十分だったため死者行方不明者が3756人に達するなど各地で大きな被害が出た。これも無謀な戦争と衆愚による犠牲者と考えるべきなのだろう。今も衆愚が選んだ愚かな権力者によって無謀なる戦争が次々と仕掛けられようとしている。人間はどうして歴史から学ぼうとしないのだろうか。力で奪えば力で奪われる。そんなこと、考えなくてもわかるだろ。バーカ。

 1964年の今日、日本で初めての本格的モノレール、東京モノレール羽田線が営業運転を開始した。10月10日開会式の東京オリンピックに備えて開通したものである。開通当時は飛行機による旅なんて考えられる身分ではなかったが、大学生になってスカイメイトのメンバーとなり、羽田空港を利用するようになってからは飛行機に乗ることと同じように、モノレールからの眺望が楽しみになっていた。ボクらにとってモノレールは夢の乗り物。道路ひとつ隔てた分園までの短距離であっても上野動物園の懸垂式モノレールには長蛇の列ができていたし、駅から向ケ丘遊園地までのモノレールでも自動車たちを下に眺めながらの空中旅行は心ときめくものだった。東海道線大船駅から横浜ドリームランドまでのモノレールは技術上の欠陥があったとかで短期間で営業停止になってしまった。ボクが訪れたときはコンクリートのレールだけで、とうとうボクはその電車に乗ることは叶わなかった。当時、高校生だったボクの目に、田園地帯にコンクリートの虚ろな高架線が延びている風景が寂しげに映っていた。

 東京の日の出は5時25分、日の入りは17時45分。だんだん昼間が短くなっていく。蝉も聞こえなくなり、ちょっと寂しい気分です。でも、遊歩道でチョンワガラスが鳴いていて、この声を聞くと嬉しくなる。気がついたら朝に夕にこの声を聞いていて、ずいぶん長い付き合いだもんね。このチョンワガラス、器用なカラスで、ときどきバルタン星人(ばるたんせいじん)に化けたりもする。カラスは都の暮らしのアクセント。どうかあんまり苛めないでくださいな。

 未明、藝大、松下功副学長の訃報が届く。障がいとアーツでお世話になった松下先生が急逝されたのである。以下は先生の秘書さんからの文面である。

 東京藝術大学副学長・演奏藝術センター教授(作曲家)の松下功先生が、9月16日(日)午前11時32分、急性大動脈乖離のためご逝去されました。心から哀悼の意を表すとともに謹んでお知らせ申し上げます。

 バイオリニスト川畠成道さんと松下先生のご縁で憧れの芸大キャンパスでワークショップを開いたりレクチャーをさせていただいたり、いろいろな思い出ができた。松下先生は日本を代表する現代音楽の作曲家で、芸大副学長というお役目と同時に音楽家としての活動も目覚ましく、ボクは舞台でオーケストラを指揮する先生を忘れることができない。そのことを秘書さんにお伝えすると、以下のような返信をいただいた。

 先生にお会いしてまいりましたが、安らかな寝顔で、今にも起き出していらっしゃいそうで、余計に信じられぬ思いです。
オーケストラの練習の指揮をされている最中に倒れられ、突然逝ってしまわれました。
エムナマエさんをはじめ、素晴らしい方々との出会いに感謝しながら、先生が情熱を注がれた「障がいとアーツ」を微力ながら支えてまいりたいと存じます。
あたたかなメールを本当にありがとうございました。

 素敵な芸術家、松下先生のご冥福を心からお祈りする。いろいろとありがとうございました。

▲ 枝の柿赤く熟して落ちにけり


0918・火・

 2009年の今日、日本の無人宇宙輸送船HTV、コウノトリが国際宇宙ステーションとのドッキングに成功した。NASAのスペースシャトルが引退した後の物資の重要な輸送手段として国際的に注目される中、初めての役目を無事に果たしたのである。コウノトリというと何といってもボクはディズニー映画「ダンボ」の冒頭の場面を思い出す。コウノトリの
一団が赤ちゃんをくるんだ包みをクチバシにぶら下げて空を飛んでいく。その中の一際大きい包みがダンボ、ゾウの赤ちゃんなのである。だから重たいのは当たり前。そしてコウノトリはお母さんゾウのもとへやっとこさ、無事にダンボを届けるのである。コウノトリが宇宙運搬船の的確なニックネームであるかどうかはわからないが、伝えたいイメージは理解できるような気がする。そしていつか、このコウノトリが生きた人間を乗せて宇宙に飛び立つ未来がやってくることを楽しみにしている。

 パソコンに向かうと、たちまち睡魔に襲われる。眠くて眠くてたまらない。どうしてこんなに眠いのだろう。これは最近、夜によく眠れていない影響かもしれない。眠るにもエネルギーが必要なのだ。要するにもう若くはないということなのである。ああ、何も考えずに熟睡できる若さが羨ましい。

 大相撲秋場所で 稀勢の里が遠藤を負かして勝ち越した。これで希望がつながった。栃ノ心と御嶽海が気になる。このふたり、果たして大関でいられるのか、大関になれるのか。豪栄道と高安が快調で、優勝を期待する向きもある。モンゴルの横綱たちは負け知らずで可愛くない。やっぱり遠藤みたいなハラハラドキドキの力士が魅力的なんだと思うな。もうボクは古希なんだから、とっくに巨人大鵬玉子焼きは卒業しているのです。

 ゴルフがいけないんじゃない。友情がいけないんじゃない。公私混同の政権運営がいけないといってるんだよ安倍晋三。鍵穴から覗いたような世界観で政治をやられたらたまらない。安倍晋三やトランプの頭の中はどうなっているのだろう。常識の通じない人間がトップに座ると世の中が空回りする。キャパシティーが小さい分、融通がきかず自分の決めたことに束縛される。でも、国民まで束縛されるのは真っ平ごめん。早く辞めてくださいな。

▲ 横綱も褌担ぎも秋刀魚食う


0919・水・

 1958年、昭和33年の今日というとボクは10歳になったばかりだけど、長嶋茂雄にとってはルーキーイヤー。その日、長嶋茂雄選手が1塁ベースを踏み忘れてホームランを1本損したという珍事件が発生した。舞台は後楽園球場。相手は広島。せっかくの勝ち越し28号ホームランを広島チームの一塁手のアピールによってベース踏み忘れが発覚し、ホームランはピッチャーゴロとしてアウトとなった。この出来事以来、ナガシマは球界のギャグの王様として君臨していくことになる。赤ちゃんだった長嶋一茂を球場に置き去りにして帰宅した話はあまりにも有名である。ナガシマさん、また元気になって、新しいギャグを量産してください。巨人軍は嫌いになりましたけど、ナガシマさんは永遠に不滅です。

 オリジンのスパイシーカツカレーライスが復活して嬉しくてたまらない。今日も透析室での夕食はスパイシーカツカレーライスをコボちゃんにリクエスト。すると看護婦さんが気の毒そうにカレーの容器を運んできた。そしてスパイシーカレーは健在だけど、オリジンのキッチンにトンカツのタネが切れていて、ただのスパイシーカレーライスになってしまったというコボちゃんの伝言を伝えたのである。トンカツ抜きのカツカレーライスはスパイシーであろうとそうでなかろうと、牛肉抜きのビーフカレーライスよりも情けない。ところでペヤングのソース焼きそばにウルトラ劇辛が登場したのをご存じだろうか。この焼きそば、辛いというよりは痛いらしい。ま、トンカツレスのカツカレーライスも痛いけどね。

▲ カツくわえ秋の烏が飛んでいく


◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
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次は5番、地蔵寺。あと2,089歩です。
現在の歩数、22,111歩。三度目の徘徊です


0920・木・彼岸入り・空の日・動物愛護週間・

 1945年、敗戦の年の今日、教科書の墨塗りが始まる。文部省の通達で教科書に書かれていた軍国主義的な記述を墨で塗りつぶすなどして削除したもので、無計画な戦争で国民に甚大なる迷惑を与えた明治憲法下の大日本帝国のお粗末さを端的に露呈した行為といえるだろう。国民が失った命や財産、権利や幸せやプライドは墨を塗っただけでは取り戻せない。

 1957年、昭和32年の今日、糸川英夫博士らが開発した日本で初めての国産観測用ロケット、カッパー4C型の打ち上げが成功した。飛行時間は3分間。目標高度4万5千メートルに達し、宇宙空間を飛び交う放射線や宇宙線を観測したという。その3年後の昭和35年6月から晴美国際貿易センターで開催された宇宙大博覧会の開場にその実物大模型が展示されていたことを思い出す。この博覧会、巨大な丸天上の下には大型ロケットの発射台のセットが組まれ、サイレンが鳴り響くと、おそらくドライアイスだったと思うけど、液体燃料の白い煙がたなびくロケットから燃料補給車が赤色灯を回転させながら静かに退き、やがてカウントダウンと共に轟音を発してロケットが大空に舞い上がる、ふりをするパフォーマンスが展開されるのだった。それでも観衆はポカンと口を開けてそのハリボテのロケットを熱心に見上げていたのである。米ソの人工衛星競争もたけなわのその時代、大人も子供も夢は宇宙に向けられていたのである

 子どもの頃の宇宙への憧れに想いを馳せていたら、突如として来年度カレンダーの10月のアイディアが浮かび出た。8月の星屑宅急便の空飛ぶ貨物船のキャプテンアルルが、魚の形の気球に下げられたボートに乗ってオールを漕いでいる構図である。絵柄をあれこれ思い描いていたら、気球よりは飛行船の方がいいような気がしてくる。そしてそれは魚の形にしてやろう。うん。これは楽しいに違いない。オールを漕いでるキャプテンアルルは盲目のボクにはかなり難しいけれど、たくさん練習すればきっと描けるに違いない。おお、ファイト満々、やる気になってきたぞ。

▲ 青空はどこへいったか秋の雨


◇ バーチャル『四国八十八カ所』コース
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次は6番、安楽寺。あと9,185歩です。
現在の歩数、25,215歩。三度目の徘徊です。


0921・金・

 早朝の北軽井沢への移動である。アウトバックの助手席に座っていると彼方から猫のミミコがイヤーヨイヤーヨと騒いでいるのが聞えてくる。部屋の隅の隅、本人としては絶対に見つからないと信じていた隠れ場所からコボちゃんに引きずり出され、リードをつけられて無理矢理抱かれ、階段を連れ降ろされている声である。けれどもクルマに乗せられればたちまちあきらめ、ボクの膝でリラックス。高速道路を120キロで走っても、丸くなって眠っている。そうなんです。そろそろ猫のミミコだって、揃えた前足に頭を乗せて、ただひたすら静かに待機しているアルルのように、ドライブにも慣れてもらいたいのです。

 東京から北軽井沢まで、ずっと雨が降っていた。でも中軽井沢周辺ではゴルフ場の駐車場には高級外車が勢揃いして文句もいわずに雨に濡れていた。そのご主人様たちはカッパを頭からかぶってのゴルフざんまい。安倍晋三が国民はゴルフに偏見を抱いてると陶片僕(とうへんぼく)なコメントを述べていたけど、ざんざか雨の下でのゴルフざんまいを見てしまうと、そりゃ偏見も育つでしょうよ、と思ってしまう。肌寒い秋の高原で雨に濡れそぼ理、小さな白いボールを追いかけて、耳かきの親玉で引っ叩く、その遊びのどこが健康にいいのか、どう考えても理解できません。

 取れたて新鮮、黒豆の枝豆でビールをやってるうちに夜も更けて、パソコンに入っている音声映画「警部補古畑任三郎(ふるはたにんざぶろう)」の第2話、動く死体を再生する。2003年のテレビシリーズで、旬も過ぎて薹が立ってはいるけれど、これが面白かった。第1話はアキナちゃんの下手糞な演技を見せられたコボちゃんはあんまり期待してなかったみたいだけど、さすがは田村正和と堺正章の演技のぶつかり合い。これは見応え、聴き応えがありました。田村正和は名優、坂東妻三郎のご子息で、堺正章は名喜劇役者、堺駿二のご長男。サラブレッドの両者が演技を競うのだから、これが面白くないわけがない。というわけでゴキゲンなコボちゃんはメバチマグロの短冊を刺身に切り分け、鰻の蒲焼を温め直し、長野県特産の吟醸酒を開封して、北軽井沢の夜は贅沢に更けていくのでありました。

▲ 大粒の雨に芒もしょげている


0922・土・

 1968年というとボクが慶應義塾の2年生で、生まれて初めてのミニ絵本を自費出版した年のことだけど、その年の今日、エジプトのナイル川でアブシンデル大神殿の移転工事が完成した。アスワンハイダムの建設で神殿が水没する危機に直面したため、ユネスコが遺産の救済キャンペーンを展開し、大規模な工事を実施したのである。当時、アブシンデル大神殿の写真を見たボクも、これは水没させてはならないぞと強く思っていたので、移転工事の成功は心から嬉しい出来事だった。このムーブメントが後(のち)の世界遺産条約につながっていくわけで、そういう意味でも大きな事件だったのだ。

 北軽井沢の朝は来年度カレンダー10月の、空中ボートのオールを漕ぐキャプテンアルルの下絵の練習に集中する。1枚できるとコボちゃんに見てもらい、アドバイスを受ける。オールを漕ぐ腕の位置が不自然でないか確かめる。これを何度も繰り返し、自信ができたら本番。でも、それは明日のことになりそうです。

 お昼になったらお日様が出て一気に気温が上昇。山の透析室に向かう道路の温度計は28度を示している。病院の駐車場では蝉が鳴いていた。看護婦さんはこれを名残の蝉とお洒落なことをいってくれる。空が晴れて温かければ、誰でも幸せな気分になれるのだ。

 透析中に筒井康隆の「幻想の未来」を読了する。1971年の初版だから古い作品ではあるけれど、実に印象深い小説で、ボクは欧州放浪から帰ってきたばかりの頃に読んだこの作品が切っ掛けで筒井康隆の熱烈なるファンにされてしまう。以前から読み直したいと望んでいたのを、つい先日、サピエ図書館にアップされたのを発見して、プレクストークにダウンロードしてあったのだ。ボクにとっての三大文豪は夏目漱石、小松左京、筒井康隆。これはどうにも動かせない。もちろん宮沢賢治は床の間に飾ってありますけれど。

 透析終了後、仲良しのY看護婦さんと古い映画の話で盛り上がる。けれど驚いた。古希になったばかりのボクが東映の映画館で観慣れてきた映画俳優、月形龍之介(つきがたりゅうのすけ)や東千代の助(あずまちよのすけ)がカッこよかったという話をするのである。この役者さんたちはボクが小学校低学年の頃に夢中になったわけで、となるとY看護婦さんもかなりの年配者、ということになる。もっとずっと若いと思っていた。けれど、さすがは鞍馬天狗の名優、嵐寛寿郎(あらしかんじゅうろう)はご存じなかった。

 帰り道は月がきれいだった。今夜は花火大会があるらしい。アルルが怖がらなければよいのだが。と思っていたら、アルルがボクの夕食の食べかけのステーキまで狙っていて、遠くの花火大会までには気持ちが向いていないらしく、とうとう気がつかないでいてくれた。

▲ お日様が照れば啼きます秋の蝉


0923・日・秋分の日・秋分・彼岸中日・

 1943年、昭和18年の今日、政府は徴兵の男子を確保する目的で事務補助や車掌、理髪師など、17の職種について男子の就業を禁止したという。これに伴い男子に代わる労働力として25歳未満の未婚女子を中心に編成した女子勤労挺身隊を動員することになる。戦時下の労働力確保の方策を定める苦肉の策である。こんなことをしてまで戦争に勝てるなんて、国家は本当に信じていたのだろうか。本土決戦で死なばもろとも。そう考えていたに違いないのだ。自分たちの誤りを認める勇気がなくて、国民を犠牲にすることを優先させたのである。あなおそろしや。

 繰り返しの練習の成果である。おかげさまでカレンダー10月の下絵はうまくいった。キャプテンアルルにオールを漕がせ、魚の飛行船に吊り下げられたボートを前進させることに成功したのだ。そこでコボちゃんがご褒美に特製担担麺を作ってくれることになった。この担担麺、赤堤通りにあった中華料理店「王味」(わんみー)の担担麺をコピーしたもの。たっぷりの挽肉と竹の子と椎茸の微塵切りを胡麻油でさっと炒めてスープの胡麻の風味とコラボレーション、抜群のおいしさだったのだ。で、今は「王味」が廃業してからはコボちゃんの得意料理となり、ときどきボクがリクエストする。ただし、かなり面倒臭いから、たまにしかリクエストできないのだ。本日は幸運なことに材料がすべて揃っていたのである。ああ、滅茶苦茶旨かった。またリクエストしようっと。

▲ 秋の夜家内特製担担麺




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