全盲のイラストレーター ◆エム ナマエ◆ の超個人的十七文字ブログです
ボクは中途失明した画家。週に三度の人工透析で生かされています。なのに、今でも 画家で作家。ボクは思います。人生、何があっても大丈夫。
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いつも日記をつけてます。失明したら頭脳がノート。
だから、記憶力のトレーニングのためにも、前日の出来事を振り返り、コツコツ日記をつけてます。



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2016年7月25日~31日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0725・月・

 最近はロシアの国ぐるみドーピングのニュースばかりで不愉快でならない。スポーツの祭典、平和のシンボル、協調の強化剤としてあるべきオリンピックでズルを誘発してはしょうがない。いつからオリンピックはアマチュアからプロスポーツの祭典になってしまったのだろう。いつから拝金主義の競技会になってしまったのだろう。思い返してみれば1984年のロス五輪あたりが怪しいような気がしてる。そうだ。これを世間ではロス疑惑というのだ。嘘です。それにしても思うのは金まみれのオリンピックなんかやめてしまえばよいのにということだ。金銀銅のメダルはいくらで売れるか知らないけれど、どうせ二束三文。金も銀もメッキですから。と思っていたらそうはいかの塩辛、このわた、しょっつる、ニョクマム、ナンプラーと、何のことだかわからない。銀と銅はそれぞれが無垢で、金メダルだけは銀無垢に6グラムの純金をメッキしたものであるという噂を聞いてしまった。となると、金メダルは6万円くらいの価値はあるらしい。でも銅メダルは数百円にしかならないらしいので、ならば売るだけ損である。ともあれ、それぞれのメダルにはそれぞれの金銀銅の価値とは比べ物にならないほどの果実を生み出す潜在能力が秘められている。金メダルひとつで人は生涯を保証されるといってよい。金メダルひとつは千両箱ひとつほどの価値があるのだ。もちろん国家にとっても威信を示す象徴にもなるのだ。面子を維持する小道具にもなるのだ。メダルの数が国の強さを示すバロメーターになるのである。となれば個人と国家がタッグを組んでイリーガルな手段に手を染めることは充分に考えられてよかった。プーチンさん、さすが悪者。こういう恥も外聞もない指導者を相手に領土問題の解決は難しい。仲良しとされている安倍晋三さん、これからが大変です。ま、あの人もかなりな悪者だとは思うけどね。

 本日の北軽井沢、はっきりとしない天気である。けれども日暮れになるとヒグラシが鳴いてくれる。するといきなり空気が涼しくなる。乾いてきたような気さえする。日本人の頭脳は母音主体で物を考えるらしい。その頭脳構造により、日本人は虫の声に情緒を感じるのだ、という説もある。クマゼミに情緒があるかどうかの議論は別として、虫の声に季節の移り変わりを感じられるこの感性は貴重である。ここに俳句や短歌の生まれる土壌がある。七五調の母体は母音を主体とする日本語の開音節(かいおんせつ)にあるらしい。これが子音を主体とするラテン系言語には七五調の生まれる要素はない。話は変わるが、アルファベットの文字の形状は発音するときの唇や舌の形や状態を示している、という説を聞いたことがある。いわれてみれば「O」は母音の「お」を発する口の形、「B」は「び」を発音するときの空気をブレークスルーさせるための上下の唇の閉ざされた形。こう考えるとアルファベットは面白い。「T」などは上顎と舌の連携を考えれば納得の形なのである。という訳でヒグラシの鳴き声から話がずいぶん脱線してしまいました。その日暮らし(ひぐらし)の悪い癖です。ごめんなさい。

▲ 高原の 暮色を染める 蝉の声

0726・火・

 終日の雨である。今日一日、北軽井沢は寒かった。おかげでストーブを焚いている。散歩ができなくてアルルはゴキゲン斜め。そしてボクも気分が重たくて仕方がない。それは身の毛もよだつ陰惨極まる殺人事件が発生したからである。
 今朝いちばんのニュースが障害者施設における大量殺傷事件であったのだ。現時点で死者15名を数えるという。身動きができない重度障害者ばかりをターゲットとした卑怯で非道極まる行為である。けれども犯人は弱者は死んだ方が幸せなのだと嘯いているという。
 この26歳の犯人、元職員の思い込みはどこからきているのだろう。独善、傲慢、驕慢、狭量、偏狭。様々な誘因が考えられるが、考えたくないのが最近の世相との因果関係である。不景気とテロと災害。ワイマール憲法の網の目をくぐり、ヒトラーが独裁者となり世界を戦争の坩堝に叩き込んだ当時の国際情勢に今が酷似しているとの説を聞いたことがあるが、この犯人、自分にヒトラーが降りてきたと豪語しているらしい。今後の事実解明と分析が事件の実態を明らかにしていくだろうが、このような事件を許していては障害者は枕を高くして眠ってはいられない。家族も安心してはいられない。社会は相互信頼に支えられて存続している。事件はそれを根底から覆す絶対的な反社会行為なのである。そして、どんな人間にも他者の命を決めつける権利は与えられてはいない。そしてその相手がどんな状態にあるにせよ、その人を愛する気持ちは当事者にしか理解できない。いわんや、その人の命の価値を勝手に決めつける知恵など、最初から人間に与えられているはずがないのである。
 自分自身も全盲であり、自分で自分を守れない重度障害者のひとりである。真正面から刃物を構えたテロリストに攻撃されても、刺されるまで気のつかない情報不自由者なのである。その恐ろしさを軽減しているのは他者への信頼だけであるのだ。その他者から、あまつさえ障害者を守るべき介護士の立場にあった人間から、生きる価値がないと決めつけられ、惨殺されていった複合障害者の老若男女の無念さと痛みと苦しさがリアルに伝わってきて、ボクは朝から苦しくてたまらないのである。思わず合掌。心から被害に合われた皆様のご冥福をお祈りする。どうか安らかなれと。

 まさかと思っていたら、ポケモンモンスターは駅構内にまで現れるという。ただでさえ危険なのに、視覚障碍者はどうしたらよいのだ。高齢者や身体障害者の安全はどう保証されるのだ。障害者無視も甚だしい。ゲームの企画者は何を考えているのだろう。経済効果優先主義もここまで進めば金のためには命も要らぬ、ということになるが、この場合の命は他人の命、ということになる。金さえあれば幸せと信じて他者の安全と命を軽く見ていれば、やがては自分の安全も命も軽く扱われる社会が育っていく。世界中が拝金主義に横溢され、一億総活躍社会などと馬鹿げた主張をする馬鹿げた政治家も現れてくる。その政治家を支持する有権者も育成され、街にあふれるポケモンプレイヤーに変身していくのである。彼らの台頭は弱者無視という点では障害者施設の大量殺りくの犯人と根っこは同じかもしれないのだ。
 ボクは猛烈なるゲームプレイヤーであった。内外のゲームセンターで衆目を集めるゲームプレイヤーであった。失明しても音声によるシューティングゲームに明け暮れる熱狂のゲームプレイヤーであった。その生来のゲームプレイヤーが、今後の日常社会でポケモン狩りのプレイヤーたちがいかなるトラブルを発生していくのか、心配をしているのである。そうなのだ。仮想現実もいい加減にせい、と叫びたい気分であるのだ。

▲ 真夏日に 身の毛もよだつ トップ記事

0727・水・下弦・

 今日もぐずぐず天気で朝から雨がパラついている。とても夏休みの雰囲気ではない。という訳で、ボクも一生懸命「おえかき」をしている。来年度のカレンダー制作に集中力を傾注しているのだ。8月のタイトルは-RAINDROPS-。日本語キャプションは雨粒のパーカッション。パーマネントグリーンのアマガエルのトリオが夕立の中で仲良く演奏をしている。ウクレレとコントラバスとサックスの三人組。いや、三匹組。そしてパーカッションは天からの雨粒たち。北軽井沢では本物のアマガエルたちはまだ鳴いてくれてはいないけど、絵の世界では頑張っている訳だ。

 本日は東京へ移動である。コボちゃんはお世話になったスタジオクラスター北軽井沢分室を心をこめて掃除してる。ボクはやなせたかし先生の「手の平を太陽に」を思い切りの大声で歌ってる。昨日、あんな事件があったから、命の大切さを山の生き物たちに聞かせてやりたかったのだ。山にきている人間たちに聞かせてやりたかったのだ。だからといって世界中から犯罪がなくなるとは思えないけど、祈る気持ちと願う心をこめて、たとえどうってことがないにせよ、とにかく聞かせてやりたかったのだ。胸がモヤモヤして、思い切りの大声で聞かせてやりたかったのだ。死んだ人たちの無念さに代わり、生き残っている命たちに聞かせてやりたかったのだ。

 帰路のドライブでプレクストークにロードした東海林さだお大先生の「ゆくぞ冷麺探検隊」の音訳読書をしている。ハンドルを握っているコボちゃんも耳を傾けている。そしてこの痛快エッセイにボクらの敬愛するヒサクニヒコ大先輩が登場したのである。東海林さだお大先生はヒサさんに誘われてケニアを旅したのであった。ヒサさんはボクの所属していた慶應義塾マンガクラブの創始者で、プロの表現者として常にボクを牽引してくださった偉大なマンガ家である。そして、その経験において格段の差はあれども、アフリカ仲間でもあるのだ。そこに共通しているのが児童文学者の寺村輝夫先生であり、ケニア在住の獣医、神部俊平氏であるのだが、このあたりの話になると長い脱線になりそうなので別の機会に譲ることにして話をすすめるが、とにもかくにもヒサさんの登場により、長いドライブ中、ボクもコボちゃんも退屈しないで済んだのである。
 けれどもトラネコミミコは読書をしない。なのでときどき邪魔をする。あたいの相手をしろと邪魔をする。お腹が減ったと邪魔をする。そしてボクに叱られると、静かに寝ているアルルの鼻先で丸くなり、アルルのため息を誘うのであった。やれやれ。疲れたらサービスエリアで一休み。けれども駐車スペースは長距離トラックの満員御礼。隣で巨大エンジンが轟音を発して安眠は許されない。これまた、やれやれ、である。やっと東京にたどり着けば、途端に地震のニュース。またまた、やれやれ、である。我が家の前にクオリスを停車すれば、トラネコミミコが真っ先に階段を駆け上がり、玄関ドアの前で吠えている。これが本日ラストの、やれやれであったのだ。

▲ 聞きたいな 山の蛙の 大合唱

◇ バーチャル東海道五十三次コース 庄野に到着、通過しました。
次は亀山。あと15,168歩です。現在の歩数、807,232歩。
3周目挑戦中!

0728・木・

 最近、茨城や千葉が揺れているらしい。東日本大震災の余震という説もあるが、東京にいると、どうしてこんなに地震が気になるのだろう。スタジオクラスター北軽井沢分室は浅間山の麓にあって、浅間山は元気な活火山。もっと地震が気になるはずなのだが、ボクはちっとも気にならない、気にしない。いくら地面が揺れても、山鳴りがしたり、山頂から爆発音が聞こえてきたり、天から噴石が落ちてきたり、溶岩が流れてこない限り、ボクは落ち着いていられるのである。当たり前だけど。

 涼しい北軽井沢より戻った身の上にとって、東京の真夏日に届かないこの天候は夏らしくなくてあまり愉快とはいえない。梅雨明けはまだ期待できそうもないのである。梅雨明けにもならず、真夏日にも届かない今朝の東京でも蝉たちが鳴いてくれている。パッとしないとはいえ、必死な蝉たちの鳴き声である。子孫繁栄のための切実な蝉の悲鳴である。鳴いて鳴いて東京の温度を上昇させ、せめて夏日から真夏日へと昇進せよと喉を枯らして、いや、全身を振るわせて鳴いているのである。その一生懸命に鳴いている蝉たちを思うと愛しさが込み上げてきた。そして愛しさが込み上げてきた途端、突如として気象庁の梅雨明け宣言。あれれ、今日は真夏日にならないはずだったんじゃないの。思っているうちにどんどこ気温が上がってきた。なんだなんだ、馬鹿野郎。暑いじゃないか、馬鹿野郎。人間は勝手な生き物なんだぞ、馬鹿野郎。

 盲導犬アリーナと歩いていたときの出来事である。目の前からやってきた数人の男たちの会話が耳に飛び込んできた。
「おい、見ろよ。賢い犬じゃないか」
「よせよ。あんなの、ただの条件反射だよ」
 人間の場合は学習するとされるのに、犬が何かを学んで行動するとき、人はそれを条件反射とする。これは単なる偏見によるものではなかろうか。もしくはそれを傲慢と考えてもよい。つまり驕り高ぶりであり、人間以外の生き物に対する無礼であり、高慢で不遜な態度であり、自らに対する慢心であるといえる。もしも仕事を終えて電車を降りて駅前に出たサラリーマンが駅前の焼き鳥の匂いに誘われ、思わず暖簾をくぐるのを条件反射といわれたらどうだろう。土用の丑の日にデパチカをうろついているオバサンが鰻の匂いに誘惑され、思わず財布の紐を緩めるのを条件反射と決めつけられたら愉快に思うだろうか。若き独身男性がビールを飲んで、ワインを飲んで、それでも足りずウィスキーをがぶ飲みしているうちに目の前のポテトサラダクラスの女性が和牛特大サーロインステーキに匹敵する、これ以上はないという絶世の美女に思えてくるのを条件反射と定義されたら嬉しいだろうか。地面をいく蟻の動きでも、野原を空中移動する蜂の飛行でも、すべての行動パターンは生命の誕生以来、天然自然とのやりとりによって獲得した生き物の知恵なのである。その知恵を人間だけが独占していいはずがない。人間、誰でも加齢すればわかる日がくる。若き日の尊大さは無知によるものであったことを。つまり、労働する盲導犬を見て、その行動が条件反射に見える人間は無知蒙昧、ということなのである。

 今夜は缶ビール500ミリリットル片手に吉野家の牛丼特盛をペロリ、ということになった。もちろんこれはテイクアウト。特盛とは肉の大盛りよりも肉が大量に白米を覆い尽くしている、ということで、その大量の肉たちをナマタマゴにつけて「すきやきごっこ」をしながら、ビールぐびぐび、ということになった。とてもさっきまで透析を受けていた人間の所作とは思えないのである。北軽井沢では和牛ステーキ200グラムを一気に平らげ、群馬特産赤城豚の生姜焼き150グラムを千切りキャベツにからませ、胃袋に送り込んだばかりで、どうやら最近のボクはライオンに生まれ変わってしまったらしい。どういう訳か、やたらに肉が旨くて仕方ないのである。幼い頃からボクは肉が大好きで、肉屋の店頭で生肉を眺めてヨダレを垂らしていたところから、
「お前はライオンの生まれ変わりか」
と親からあきれられていたのだが、その習性が高齢者になって突如として蘇ったらしいのだ。困ったもんなのだ。

▲ あとちょっと 角を曲がれば 梅雨明けだ

0729・金・

 東京都民が、
「わあいわい、梅雨明けだ、梅雨明けだ」
とはしゃいでいるのが聞こえてしまったのだろうか。朝から蝉たちが元気よく歌い出した。一気に夏の雰囲気である。よおし。しっかり汗をかいてやろうじゃないか。来週はもう8月。そして今年の8月は猛烈に暑いという。よし。今から発汗訓練だ。と、艦上戦闘機みたいなことをいってたら、そりゃ航空母艦のことでしょうと頭の中で声がする。ならば発艦訓練だ。だとしたら発艦より着艦(ちゃっかん)の方が難しいんだぞ。下手すりゃ海にドボンだぞ。そうなりゃ発汗よりは冷却効果がありそうだ。と馬鹿なエム ナマエがもっと馬鹿なエム ナマエと馬鹿な言い争いをしています。

 聞けば「ポケモンゴー」は運動不足や出不精の解消に役立つというが、それって屁理屈としか思えない。世間のやつらはポケモンがいなければ歩くこともできないのかよ。だったらポケモンでなくてバカモンだ、と誰かの声が聞こえてくる。この仮想現実ゲーム、経済効果のためのオペレーション最優先で、フライ檻ティーにおいて弱者が取り残されている。弱者が被害者になる可能性を100パーセント排除できないまでも、その可能性対する配慮が少しでもあるべきで、そこが考えられていない点が甚だ疑問である。新商品を企む側も誘われる側も常に便利さや快適さ、面白さが先取りされていて、その結果、人間本来の想像力や感性がどんどん劣化しているように思えてならない。それと同時に屁理屈を考える能力は逆に進化しているみたいだけどね。

 東京の上空が羽田着国際線の通り道になるという。300メートルの低空をピーク時には1時間に44本通過するという。そのピークは午後3時から7時まで。これすべて2020年東京オリンピックが口実となっている。予算も然り、騒音も然り、これから先、ボクらはどれだけオリンピックの犠牲になればよいのだろう。誰だか知らないけど、あんまりいい気になるなよな、馬鹿野郎。
 こうなりゃ航空機の話題ついでのトピックだ。ジャンボが生産中止となる噂が耳に飛び込んできた。1970年就航のこのジャンボ、正式にはジャンボジェット機、ボーイング747という。この機体にボクが最初に乗ったのは1972年、コペンハーゲンから羽だまでの路線だった。大学生協がチャーターした特別機で、ファーストクラスや展望室に出入り自由で、ボクはアンカレッジから羽田までの時間、ファーストクラス最前列の座席を陣取って機首に最も近い窓を独占していた。そこから見える光景は、ボクをまるでパイロットの気分にさせてくれた。地球の自転に逆行し、細い三日月を頂く夜に、沈む夕日を追いかけて、空は次第に紅に染まり、明るさを増していく。やがて機体は羽だの午後に着陸するのである。こうしてボクの初めての海外渡航は完成した。その経験以来、ボクはこの巨大な飛行機に絶大なる信頼をおくようになっていた。今でもボクは搭乗した機体がジャンボであることを知ると無条件で安心してしまう。もしもジャンボにサヨナラしなければならないとしたら、とても切ないのだ。泣いちゃうのだ。

 透析中、北野武監督作品「HANA-BI」を観る。音声映画だから、という影響もあるだろうが、どこにも魅力を見つけられなかった。国際的に評価されたということで大いなる期待をもって鑑賞したのであるが、大いなる期待外れであった。必然性のない暴力場面にも違和感があるし、キャラクターの台詞回しにもリアリティーを感じない。そもそも役者さんたちの演技から熱さや一生懸命さが伝わってこなくて、誰も彼もが嫌々映画に出ているのではないかという印象さえ与えていて、その原因が脚本のまずさにあるのではないかという懸念さえ生じさせている。昨年観た北野武監督作品「竜三と七人の子分たち」もつまらなかったが、この作品はそれ以上に得るところがなかった。どうもボクは北野武監督のツボにははまりにくい体質のようだ。ようするに彼の個性が好きになれないのである。

▲ 梅雨明けと 聞こえたのかい 蝉たちよ

0730・土・土用の丑・

 週刊朝日と週刊文春による永六輔追悼記事に思わず胸が熱くなる。泣きそうになる。思春期の頃はずっと永さんのテレビを見てきた。「夢で会いましょう」、「若い季節」。そして大人になってからはずっとラジオを聴いてきた。「誰かとどこかで」、「永六輔、その新世界」。パーキンソンのキーパーソンと晩年、永さんは自分を称していたという。最後までユーモアの人だった。46年間続いた「誰かとどこかで」も「土曜ワイドラジオ東京」もその大半をボクは聴いてきたと思う。学ばせてもらってきたと思う。笑わせてもらってきたと思う。これから思い切り寂しくなると思う。

 ふと思った。安倍政権の一億総活躍社会と相模原19人刺殺事件とは井戸の底でつながってはいないだろうかと。トランプの主張と歴史の中のヒトラーとデジタル信号でつながってはいないだろうかと。社会に弱者は必要ない。税金の無駄遣い。経済効率最優先。プライオリティーは生産性。その空気が歪んだ人格と犯罪を作り出してはいないだろうかと。ふと、そんな気がしたのである。

 本日、吉川英治の「宮本武蔵」を読み始める。読み始めた途端、面白くてやめられなくなる。少年時代、中邨錦之助や三船敏郎の主演でさんざん見せられてきたドラマである。武蔵も小次郎も昔からの知己みたいな気さえしてくる。全7巻と大変な長編であるが、どうも一気に読破してしまいそうな予感がする。それに朗読がいいのだ。声も美しいのだ。女性や子どもの登場人物など、まるでドラマを聴いているみたいなのだ。調布市立図書館のヨーコさん、ありがとう。感謝してます。

 土用の丑の日に鰻とは生まれて初めてのことだと思う。とうとうこのボクが絶滅危惧種の絶滅を手伝うような振る舞いをしてしまったのである。売れ残りの鰻弁当をリクエストしてしまったのである。でも、土用の丑の日というセールスチャンスのために命を奪われ、平賀源内を恨むことなくその肉体を切り裂かれ、骨を抜かれ、炭火で焼かれ、たれをつけて香り高く焼き上げられてしまった絶滅危惧種たちの魂を救うためには、その肉体が腐敗の段階に至る前に、このボクが犠牲的精神を発揮して後ろめたさややましさや後ろ暗さと闘いながら半額セールを待って購入しなければならず、コボちゃんがそのミッションパッシブルの実行に及んだのであった。そして電子レンジでチンをして、山椒の粉を散布して、おいしくおいしくおいしくご馳走になったのである。ボクの胃袋の鰻さん、迷わず成仏してください。アーメン。

▲ 丑の日に どうか成仏 してイール

◇ バーチャル東海道五十三次コース 亀山に到着、通過しました。
次は関。あと11,074歩です。現在の歩数、823,126歩。
3周目挑戦中!

0731・日・

 都知事選挙の開票速報、投票締め切り直後に選挙結果を知る必要はないと思う。出口調査なんかやめてくれよ、NHK。せっかくの選挙気分がしぼんでしまうじゃないか。もしかして、自分が応援している候補者が当選するかもしれないというはかない期待が、ますますはかなくなってしまうじゃないか。結果を早く知ることが大切なのでなく、どんなプロセスを経てその結果に至るかが肝心なのだ。そこまでにたどり着くまでの山や谷のジェットコースターがスリリングなのだ。喜びや悲しみがドラマティックなのだ。なのに、何ですか、NHK。何ですか、このつまらん結果。要するに国民も都民も自民党の手練手管にはちょろいということじゃないですか。この国の善男善女はいつまでも反自民勢力を抑え込む悪巧みを見破れない、ということじゃないですか。と、心を暗くしていたら、もっと心に衝撃を与える知らせが飛び込んできた。あの偉大なる横綱、千代の富士の九重親方が61歳でご逝去されていたのだ。さすがのウルフも膵臓癌には勝てなかったのだ。初代若乃花と千代の富士ほど魅力的な相撲取りはいなかった。その姿を心に浮かべながら、心からご冥福をお祈りするのである。合掌。

▲ やすやすと 小池にはまる みやこびと



2016年7月18日~24日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0718・月・海の日・

 当初は7月20日だった海の日を無理矢理月曜日にコンバートして、この週明けも不愉快な連休となっている。休日といって、誰にとっても嬉しい訳ではない。休んでいるよりは働いている方が気楽という精神状態と生活状況だって考えられるのである。厳しい話ではあるけれど。いずれにせよ喜んでいるのは公務員とか一流会社の社員など、生活が保証されている身の上ばかりで、この制度も、そうした既得権益者たちが考え出した仕組みかもしれない。
 カレンダーの上でどれだけ連休を増やしても、銀河の回転や地球の自転が休みになることはない。同じように怪我や病気が休みになるということもない。もちろん人工透析にも休みはない。透析スタッフも患者たちにも休みはない。けれども国が決めた休みだから病院経営者のお医者は堂々と休みを取っている。出勤しているのはアルバイトの臨時ドクターばかりである。また透析患者は病院側の経営戦術で決められた休日透析という枠組みのため 、本来ならば夕方から受けられるはずの透析を午後の早い時間から受けなければならない。おかげで透析患者は連休の月曜日を中途半端にしか活用できない運命となっている。おまけに週明けの月曜日は採血検査がルーティーンで、その月曜日が連休で潰されればそれだけ病院側は検査義務を免れるわけだ。この連休制度が始まってからどれだけ病院側は必要経費を免れたことだろう。調べたら興味ある数字が現出されるかもしれない。この連休制度、もしかしたら医師会と政治家たち、世襲同士が密室会議で取り決めたのかもしれないね。知らないけど。
 想い出してみれば、小学生の頃は休みが嬉しくてたまらなかったが、中学生になると少しずつ休みがつまらなくなってきたように思う。女の子に会えなくなるからかもしれない。いずれにせよ、色気づいてきたことだけは間違いない。でも高校になったら再び休みが楽しみになってきた。男子校だったからだ。要するに人は世間に合わせて物事を考えず、自分に会わせて世間を評価するのである。なんせ、世界でいちばん大切な存在は自分であるからだ。
 中学や高校になると休みに親と付き合わされるのも退屈だし、迷惑この上ない。遊びに付き合うならまだしも、休みだからとごろ寝して、見るに耐えない馬鹿面で朝寝を決め込んでいる、その親たちの寝姿を見せられるのもたまらない。そんな無様な格好で寝ていられるのは東京電力のおかげじゃないか。と、今だったらその理由に思いつくが、そんな理屈を捏ねている自分は死ぬまで自由業で余裕がなく、ゆっくりと休日を楽しむことなんかできっこない。それもそのはず、寄らば大樹の陰の親の姿を反面教師として生きてきたからである。

▲ 七月を 梅雨明けの蝉 盛り上げろ

0719・火・土用の入り・

 夏は枕の横で電子蚊取りがコロコロコロ。冬は猫がボクの枕で喉を鳴らしてゴロゴロゴロ。ボクの枕元はいつも賑やかでなかなか熟睡できないでいる。ところが今日はお昼前から、夏でも真っ黒な毛皮のコートを着ているアルルのためにクーラーを入れていたおかげで、ボクも久しぶり、ぐっすりと昼寝ができてゴキゲン。アルル、ありがとう。と思っていたらその当人、いや、当犬のアルルがいきなりジタバタと慌て出した。ベッドが揺れているのだ。いや、部屋そのものが揺れているのだ。いや、建物が揺れているのだ。いや、建物を乗せている地面そのものが揺れているのである。0時57分、地震あり。千葉県で震度4、東京は震度3。震源は千葉沖、マグニチュードは5.2、ということだった。アルルは熱さに弱くて地震に弱くて、そして花火と雷に弱い。そして夏はこれから。花火も雷も本番はこれからなのである。

 経堂駅前ケーキ店、アルルカンに向かって歩いていたら、道路際の住宅から大きな音で大相撲のテレビ中継が聞こえてきた。グッドタイミング。今場所注目の稀勢の里の取り組みが始まったところである。しめしめ、と喜んでいたら稀勢の里、あっという間に敗けちゃった。敗けるはずのない相手に負けちゃった。窓の中では失望のため息と悲鳴。そして道路上のボクも失望のため息。今場所こそ大丈夫と思っていたのに、相変わらずプレッシャーに弱いのね。やっぱり期待しちゃいけないのかもしれない。皆さん、これからは稀勢の里には知らんぷりして応援しよう。みんな内緒で応援しよう。
 アルルカンで月刊ラジオ深夜便の連載イラストレーションの原画渡しも無事終了。S記者と並んで、編集部にカムバックしたI記者も座っていて、喜びの再会。思わず抱き合いそうになってしまうが、そこは誤解されたら大変、全身全霊の自制心をもって喜びの衝動を抑制する。当たり前である。もう大人なのだ。前期高齢者なのだ。という訳で楽しいおしゃべりだけで満足に至る。
 先月、ここで撮影させていただいた巻頭カラーページの月刊ラジオ深夜便8月号も既にスーパーや書店に並んでいる。S記者もI記者もお帰りになって、最後のお客さんもお帰りになって、店にはボクひとり。そういうタイミングだったので、アルルカンのマスターも頼み易かったのだろう、お客さんから依頼されたとかで、厚紙にボールペンで一枚、絵をかくことになる。久々のボールペンによる絵である。意外にシャープな手ごたえだったが、あとでコボちゃんに見てもらうと、やっぱりインクがかすれていて、汚れた絵になってしまっているという。残念。長年愛用していたモンブランのインクもダメになってしまったし、どこかに高性能なボールペンはないものだろうか。
 帰り道も元気に歩く。つい先月、アルルカンから撮影現場の遊歩道まで、エスコートのS記者にご迷惑をおかけしながら、青息吐息で歩いたことが嘘のようである。あのときは栄養と体重のアンバランスで、酸素と蛋白質が圧倒的に不足していたのだ。やっぱりポイントは体重調節と蛋白質摂取。ついこの間もNHKの素人喉自慢で100歳近いご老人が元気な歌声を披露していたが、そのご老人は230グラムのステーキをペロリと平らげてしまうという。そう。皆さん、どんどん肉を食べましょう。そんなことをおしゃべりしながら、自販機でゲットしたペプシコーラをコボちゃんとシェアする。たまに飲むペプシコーラは旨いのだ。でも、強炭酸とかシュガーレスのペプシコーラのテイスティングはまだなのだ。

▲ ご贔屓が 負けた中継 夏の窓

0720・水・満月・

 いつもの朝のようにTBSラジオ「スタンバイ」を流していたら、グラグラグラ。今度は茨城県南部が震源である。つい先日、地震のあったあたりである。深さ50キロ、マグニチュードは5.0。同じような規模である。このあたり、鮟鱇鍋(あんこうなべ)が名物だが、最近は鯰が暴れているらしい。鮟鱇は深海で鯰は沼や池。鮟鱇鍋は身体が暖まるが、最近の鯰は鰻の代役もさせられる。とはいえ鯰、あんまり暴れてくれなさるな。

 まだ蝉時雨とはいえないまでも遊歩道では蝉がそれなりに鳴いている。夏休みが始まったのか、子どもたちのまばらな声が窓の下を往復する。人も蝉も梅雨明け前の中途半端。誰も皆、エンジンをふかすだけの試運転中なのである。

「ミジカびのキャプリキとればスギチョビレ、すぐ書きスラのハッパふみふみ」
 永さんが旅立ってすぐ、今度は大橋巨泉さんの訃報が届く。永さんは83歳の最期まで現役。巨泉さんも82歳の最期まで現役。見事である。悲しいけれど拍手喝采で見送りたい。そして巨泉さんの本が読みたくなってサピエ図書館から数冊をダウンロード。本の中では今も大橋巨泉は生き続けているはずなのだ。

 NASAによれば今年前半は過去の歴史の中で最も気温が高かったという。19世紀後半から平均気温で1.3度上昇しているという。さぁ、この地球温暖化、本当に本当なのだろうか。ここは議論のあるところ。いずれにせよ、地球温暖化説は確実に経済効果を将来している。いつだって頭のいい人たちが不安を餌に鯛を釣る。これだけは本当の本当のことである。

▲ 耳鳴りで いつも鳴いてる 耳の蝉

0721・木・

 永さんが亡くなって巨泉さんも亡くなって、ますます昭和がその後ろ姿を遠くする一方という印象だが、永さんの訃報が伝わったのと同じ日に、ザピーナッツの妹、伊藤ユミさんがお亡くなりになっていたことも判明した。享年75歳、5月18日のことだったという。数々のヒット曲で知られる彼女たちだが、ボクにとってのざ・ピーナッツといえばそのデビュー曲の「可愛い花」に尽きる。その歌声を思い出す度に浮かび上がるのが小学5年生のときに暮らしていた内幸町の鉄筋コンクリート、東電社宅ビルの階段である。帝国ホテルの隣、ジャパンタイムスにくっつきそうに建てられていた変電所の2階から4階までが社宅となっていて、ボクは当時ヒットしていたその「可愛い花」を美しいハーモニーで歌い上げる一卵性双生児姉妹の可憐な姿を頭のブラウン管に映し出し、小さな声で口遊み(くちずさみ)ながら階段を上がっていくのだった。そしてその声がまるでエコーをかけたみたいにコンクリートの壁に反響して、その残響メロディーが「可愛い花」の思い出としてボクの脳味噌の地下深く、56年前の記憶階層に強く刻み込まれていて、時折ラジオや喫茶店のナツメロ演奏などで刺激されるとたちまち、灼熱のマグマのようにその分厚い地層を突き破って出現するのである。
 そして忘れもしないのがその翌々年の夏である。中学1年生になったボクが勉強部屋から見上げると、有楽町の彼方、日劇の上空に何やら浮かんでいるのが見えた。真夏の青空と白い雲を従えて飛翔するのは巨大な蛾、モスラ。丸い東部に大きな複眼。空想上の生物が実体化し、その4枚の強大な羽根で力強くはばたいているのかと思いきや、よくよく見てみると、何とそれはアドバルーン。東宝株式会社が映画「モスラ」のために打ち上げた宣伝用係留気球なのであった。
 ザ・ピーナッツといえば怪獣モスラの小美人。その夏、おちんちんに毛のはえたばかりの中学1年生のボクは日劇夏の踊りの踊り子たちの悩ましいラインダンスに心を奪われ、そして巨大昆虫モスラに守られるミクロの一卵性双生児、ザ・ピーナッツの可憐な色気にノックダウンされたのであった。モスラでもシャボン玉ホリデーでもザヒットパレードでも、ザ・ピーナッツ、本当に本当に好きでした。ご冥福を心よりお祈りいたします。

▲ アドバルーン 入道雲に モスラ飛ぶ

0722・金・大暑・

 暦では大暑なのに梅雨明けにはならず。関東地方はまだまだ夏の雰囲気には遠い。で、そういう訳ではないが、我が家は本日から北軽井沢。人間も犬も猫も北軽井沢。そして我が一族はほんの少しだけ安堵の息をついている。というのは、そろそろあのゲームが日本でも解禁されるからである。おお、想像しただけで恐ろしい。身の毛がよだつ、というのはこういうことなのだろう。
 そうなのだ。そろそろ日本国内でも「ポケモンゴー」が解禁される頃なのだ。配信されるはずなのだ。心配なことである。オッチョコチョイに付和雷同。だだでさえブームに弱い日本人である。老いも若きも目を輝かせ、スマフォ片手に街中を24時間、ポケットモンスターを求めて老若男女が徘徊する。そうなれば都会はジャングル、弱肉強食。障害者は生きた心地もしないのである。
 バカモンどもにポケモンだからといってイチャモンはつけないものの、日本政府はどう対処するのだろう。そう思っていたらラインとかツイッターとかのSNSで警告だけは発したらしい。官房長官のスガちゃんなんか、日本のコンテンツが注目されるのはよいことだ、みたいなことをいっちゃって、公共の電波を使って政権与党の柔らかな脳味噌ぶりをアピールしているけど、本当にいいのかなぁ、それで。ただでさえ世間は歩きスマフォで危険なのに、弱者はますます安心して街を歩けなくなる。これまでも白杖が目に入らず、視覚障碍者は肝を冷やしつつ街を移動し交通機関を利用している。なのにこれからポケモン狩りで子どもや若者が街をうろうろ。もしかしたら駅や公共の建物にまでポケモンが出現するかもしれないのだ。そうなったら視覚障碍者たちはまともには歩けない。右傾化の進捗するこの世の中で、弱い存在はますますその弱さに脅えなくてはならないのだ。

▲ ポケモンで 街にバカモン あふれ出る

◇ バーチャル東海道五十三次コース   石薬師に到着、通過しました。
次は庄野。あと5,568歩です。現在の歩数、801,032歩。
3周目挑戦中!

0723・土・

 山間(やまあい)の曲がりくねったドライブウェイをいくと、道路に貼り着いたような家と家の間に狭い通路があって、それがまたまた山間(やまあい)の駅に通じている。何という路線なのだろう。山間(やまあい)の暮らしを支えている鉄道線路である。その車窓からどんな景色を見せてくれるのだろう。山や谷、渓流と滝。美しい緑、鳥の声。そう。人はこの列島の、あらゆる場所でそれぞれの暮らしと大切な命を燃やし続けているのである。そんな山間(やまあい)の透析室で明日からの命をもらったボクは今夜もスタジオクラスター北軽井沢分室でコボちゃんと夕食を楽しんでいる。いつもは第三のビールしか飲ませてもらえないボクも、今夜はサントリーモルツ。本物のビールなのである。そして取れ立て茹で立ての枝豆。冷凍ではない、本物の枝豆、高原の枝豆なのである。そしてメインディッシュは200グラムのステーキ。輸入牛ではない。本物の和牛ステーキなのである。そうなのだ。明日からは来年度のカレンダー制作に集中する。そのための栄養補給なのである。豪華絢爛、栄養補給なのである。
「このステーキ、おいしいね」
「おいしいでしょ。ランプステーキなんだから」
「そりゃすごい。今にも肉が光り出す」
「んなわけ、ないでしょ。牛のお尻の肉なんだから」
「牛のお尻が光ったらウシボタル。隣のハゲオヤジはギャクボタル」
「何が嬉しくてそんな下らない冗談ばかりいってるのか、あたしにはちっともわかんない。それよりもねぇねぇ、夕べの夜中、咳払いしなかった?」
「しない」
「おかしいわね。夜中にね、確かに誰かの咳払いが聞こえてきたのよ。それに足音も。それも外から」
「だったらボクじゃない。ボクは夢遊病者じゃないし、どんなに全盲イラストレーターが器用でもベッドで寝ながら外は歩けない」
「そうよね、そうよね」
「わかった。それって咳払いじゃなくって、狐がコンコンと鳴いたのかもしれない」
「ウソ!狐はケンケンよ」
「じゃイノシシ。芸能人も遊びにやってくる軽井沢だもん、コロッケみたいなイノシシがいて、狐の物真似をしてるんだ。コロッケだからイモイノシシ。テレビに出て白いギターをもらうつもりなんだ。いや、それよりもお笑いスタ誕にエントリーかもしれない」
「でも、イノシシだったらブーブー鳴くだけよ。だってブタだもん」
「じゃ、熊。芸達者な熊。軽井沢芸能協会の会長でテディーベア友好クラブの専務理事」
「んなわけ、ないでしょ」
「とにかく生き物だったら何でもいい。人間でなければ何でもいい。夜中に人間がうろつくのだけはあって欲しくない」
 という訳で今年の北軽井沢は生き物で賑やかであるらしい。さぁ、今年は何が起きるのだろう。

▲ やまあいの そのひぐらしの せみのこえ

0724・日・

 お昼は日曜日のお楽しみ、NHK「素人喉自慢」をしっかりと楽しんでから月刊ラジオ深夜便8月号を見たといってくれたカッちゃんの店に出かける。今日も天ざる。カッちゃんはスタジオクラスター北軽井沢分室のオーナー、青木岳志カメラマンの奥様、ヒロコママの旧友。月刊ラジオ深夜便は彼女がたまたまスーパーで見かけて買ってくださったという。巻頭カラーページによく知っている夫婦の顔があって、どんなに驚いたことだろう。カッちゃんの茹でる蕎麦は歯ごたえがあって旨い。カッちゃんの揚げる天麩羅はさらっと揚がってとても軽快。そしてカッちゃんもからりとしてとても気持ちのいい人なのである。さすが、ヒロコママの旧友なのである。で、気持ちよくなって満腹になって帰宅して、その天麩羅パワーと蕎麦エネルギーでカレンダーのイラストレーション制作は順調に進行。けれども稀勢の里の名古屋場所の優勝はならず、期待外れの心残りを引きずってたちまちに一日が暮れていく。そして日暮れになればヒグラシが鳴く。ヒグラシの声は少し涼しくて少し侘しい。なれば、さっきまで走り回っていたトラネコミミコがトリモチみたいにくっついてくる。ちっとも離れてくれやしない。そう。高原の夜は肌寒いのである。人恋しいのである。

▲ 夏は蕎麦 冷えた喉越し 心地よし



★ 毎度お騒がせ、エム ナマエです。
 実は7月16日発売の月刊ラジオ深夜便8月号の巻頭カラーページに4ページにわたり、愛妻コボちゃんと愛犬アルルと登場しております。 
月刊ラジオ深夜便はリスナー200万人の人気プログラム、NHK、ラジオ深夜便の月刊誌です。
どうか書店で立ち読みしてください。 
まだ間に合うと思います。 
そしてついでに、毎月担当させていただいている「しじまのことば」のイラストレーションものぞいてください。

そして、もし気に入ったらご購入ください。
 編集長にそういえといわれていますので、よろしくお願いいたします。
 
 エム ナマエ 拝 ☆



2016年7月11日~17日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0711・月・

 猛烈に暑い。こんなに暑い北軽井沢は初めてかもしれない。熊除けのカウベルを高らかに鳴らしながらコボちゃんとアルルが朝の散歩から帰ってきた。ボクは鳥の声をBGMに朝からの執筆が楽しかった。透析に出かける前のシャワーも楽しい。全盲のボクがスタジオクラスター北軽井沢分室の環境にすっかり慣れたのだと思う。トラネコミミコもリラックス。山の環境に慣れたのだと思う。頭の先から尻尾まで、全身を伸ばせるだけ伸ばしてコボちゃんにブラッシングをさせている。どんどん毛が抜けていく。小さくなっていく。身体が軽くなったのか、気分が軽くなったのか、トラネコミミコは分室から外に出て山を探検している。迷子にならないとよいのだが。それより心配なのは野生動物との未知との遭遇。ミミコにはまだ、熊やイノシシとの喧嘩のやり方を教えていないのだ。

 先日、永六輔さんのラジオ番組が終わったことについて書いたばかりだったが、その永六輔さん永眠の知らせが届いてしまった。7月7日の七夕の宵に83歳でこの世を旅立たれたという。思わず手を合わせ、ありがとうございましたと念じる。悲しい。猛烈に悲しい。永さんを最後に中年御三家が全員あの世に引っ越していった。永六輔、野坂昭如、小沢昭一。そして応援団長だった愛川欣也さんもあの世で正式メンバーに加えてもらっているかもしれない。皆さんのご冥福を真心からお祈りする。

 安倍晋三さん、嘘つきといって悪ければ騙し上手といわせていただこう。それにしても日本人、あまりに騙され上手です。もうちっとリテラシーを鍛える必要があるかもしれないね。少なくとも、安倍晋三にコントロールされているテレビを消すくらいの知恵と勇気は養っていただきたい。

 山間(やまあい)の透析より戻って、命をもらって、リラックスの夜、豚肉の生姜焼きをつまみながらバランタイン17年をちびりちびりとやりながら、「ジュラシックワールド」の音訳をコボちゃんと聴く。ハイブリッド恐竜が人間を襲い、食べている。ボクらは豚を食べている。大昔からみんな、食べたり食べられたりしながら進化してきたんだよね。よくぞ人類、ここまで生き残ってこられました。

▲ あの星を 見上げてごらん いつまでも

0712・火・上弦・

 高原の朝である。今朝も鳥の声で目覚める。あの鳥、何を歌っているのだろう。何を伝えたいのだろう。鳥たちの言葉がわかったら愉快だろうな。バウリンガルという機械があったけど、トリリンガルを誰か作ってくれないだろうか。

 コボちゃんが夜中に地響きを聞いたという。外で何かが移動していったというのだ。そして朝の散歩のとき、柔らかい土の上に発見してしまった熊のものらしき足跡。日本全国、やたらに熊が出没しているが、ここ北軽井沢も例外ではないと近所の人もいっている。おまけにイノシシも出没して、土をほじくり返してミミズをあさっているともいう。コボちゃんとアルルが散歩に出る度に、無事に戻ってくるまで、ボクは生きた心地もしないのだ。けれどもアルルはプリンスランドのソフトクリームの味を覚えてしまって、朝も昼も夕方も散歩にいこうとコボちゃんを促している。アルル、ちゃんとコボちゃんを熊から守ってくれよな。

 困ったさんの中国、ハーグの国際仲裁裁判所の法廷が結論を出しても一切聞く耳を持たない。宗教を否定する独裁政権は神との契約という概念がないから、国際社会との約束事なんか平気で無視できるのだ。自分たちが法律だと思っている人たちと、どう付き合っていったらよいのだろう。国際社会、これから苦労しまっせ。とはいえ、アメリカだって大きなことはいえない。いざとなればモンロー主義を振り回し、だグルスタンダードで約束を無視する。調べてみればアメリカが加入を否定している国際協定がいくらでもあるはずだ。要するに国がでかくなると始末に負えない。つまりそういうことなのだ。

▲ 贅沢な 鳥の目覚まし 軽井沢

0713・水・

 メールの着信かと思って目覚めたら本物のカッコーが歌っていた。ボクのケータイはメールに限って着信音をカッコーの歌声に設定してあるのだ。カッコーだけではない、名前も知らない鳥たちも歌っている。けれどもいつもは、あれほど騒がしいアマガエルの声が聞えてこない。今年の北軽井沢、いつもより乾いているのかもしれない。そんなことを考えていたら、いきなりの雨音。なんだやっぱり。天気予報通りじゃないか。それでも鳥たちは歌っている。アマガエルたちも負けずに、これからパーティーでも始めるのかな。と思っていると、雨はどんどん激しくなって、まるで滝みたいに落ちてくる。このままだとアマガエル、パーティーどころではない。流されないように、南アフリカに勝利したときのラグビー日本代表チームみたいにスクラムを組まなくっちゃね。

 荷物をまとめ、軽井沢高原に別れを告げる。見送ってくれるのか、ヒグラシが鳴いている。ボクにとって今年初めて耳にする蝉の鳴き声である。そうなのだ。今年は世田谷の空中を移動する蝉がもらした切ないため息しか、まだ聞いてなかったのだ。
 雨が上がって霧が発生した。そしてどんどん深くなっていく。霧の中のドライブは誰でも緊張する。道を知らなかったら尚更だ。けれども毎年訪れているコボちゃんは軽井沢の路をそれなりに知っている。それでそこそこのスピードで走っていられるわけだ。するとぴったりとついてくるクルマがある。きっと路をよく知らないドライバーなのだろう。軽井沢といえば、スキーバスの事故があったばかりである。先がよく見えなければ怖くてたまらないだろう。けれどもオカマを掘られないよう、コボちゃんはのんびりとは走っていられない。くねくね曲がる山道を追いかけられて走ったおかげでボクは車酔い。赤ん坊のときからクルマに乗せられていたボクなのに、こんなことは初めてで、最初は目まいが発生する頭の病気かと思って緊張してしまった。ああ、損した。結局この霧、東京までついてくるような粘着質な霧で、これっきりとはいかず、コボちゃんはえらく消耗してしまったのである。

▲ 迷惑な 霧の見送り 軽井沢

0714・木・

 ものすごい夕立の中をコボちゃんが迎えにきてくれた。千葉県市原では時間100ミリの雨であったという。透析の終わるタイミングでそんな雨を降らさなくてもいいのにと思うがお天道様のなさることだから仕方がない。
 日本国のお天道様というと天皇陛下のお姿を心に浮かべる人がおられるかもしれないが、正解とはいえないまでもそれほど的外れではないだろう。いわば日本人の道標、魂のランドマークとして仰ぎ見られている訳で、天皇陛下はこの国で最も尊敬を集めておられる存在であることは間違いない。そしてその天皇陛下が生前退位の意思表明をされておられるということで、昨夜以来大騒ぎとなっている。
 ポツダム宣言の受諾に沿って制定した原稿憲法で、まさか天皇陛下に戦時中の仕返しをしようと企んだわけではないだろうが、現行憲法は天皇陛下に一切の人権も自由も認めてはいない。天皇陛下は国民から仰ぎ見られながらも、職業選択の自由も行動の自由も住所移転の自由もなく、ただひたすら国民の奴隷のごとく勤労奉仕をされておられるのだ。その状態は命の果てるまで続く。どれだけ年齢を加えても、どれだけ疲労困憊しても、リタイアは許されないのだ。
 今上天皇は戦後日本に貢献する昭和天皇のお姿を目の当たりにされてお育ちになられたのだと思う。公務や行事だけでもハードワークなのに、戦地を訪問し、被災地を見舞う天皇皇后両陛下のお姿は国民ひとりひとりの心に焼き付けられているはずだ。お疲れ様でした。国民なら誰にでもそうお伝えする心の準備はできている。そして若い皇太子殿下にその役目を代わっていただいていいのだと思う。日本人の誰よりも日本人のために勤労奉仕しているのが皇室の皆様方なのである。心から感謝を捧げたい。

▲ 音たてる 粒が重たい ゲリラ雨

0715・金・

 パリ祭のこの日、地中海の避暑地、ニースでテロが発生した。凶暴なトラックが2キロに渡り、花火見物に集った群衆をなぎ倒していったのである。死者の数は現時点で80名を超えている。無慈悲で悲惨極まる行為である。どのような憎しみにより、このような凶行が可能なのだろうか。宗教的な立場の相違だけで人は本当にこのような殺戮行為を決意できるものなのだろうか。果たして怨念なのか狂気なのか。
 1972年の夏、ボクはバッグパッカーとしてヨーロッパ放浪の旅を続けていた。北イタリアから夜汽車でニースの駅にたどり着く。貧乏旅行である。山の手には縁がなく、向かうのは下町ばかり。だからボクにとってのニースは高級避暑地というイメージではなく、商店の並ぶ浅草のような感じである。そして扉を叩くのはいつでもどこでも安い食べ物屋ばかり。注文するのは、東京でいえば立ち食いそばとかラーメンとか日替わり定食とか、そのようなものばかり。それでもここニースで食べたトマト味のフライドライスが旨かったのをやけによく覚えている。
 海岸は砂地ではなかった。丸くなった石がゴロゴロしていて湘南海岸とはえらい違いである。それでも金髪のおねえちゃんたちが半裸で日光浴をしていて、さすがはニースである。ボクも真似して上半身だけ裸になって岩の上に寝そべった。
「エスキモー!エスキモー!」
 若い女の売り声が近づいてくる。見るとアイスクリーム売りであるらしい。フランス語でアイスクリームをエスキモーというのかと思っていたが、もしかしたら商品名だったのかもしれない。だとしたら差別的と抗議する一言居士がおられるかもしれないが、昔の話である。エスキモーもピグミーもインディアンも一般的に呼称として通用していた時代の話である。今であればイヌイットと改名しなければならないところだが、イヌイットでアイスクリームが売れるとも思えない。
「マドモワゼル?」
 アイスクリーム売りの彼女からいきなり声をかけられた。肩までの黒髪で女性と思われたのかもしれないが、日本にいるときからボクはよく女の子と間違えられていた。だから男色の多いフランスではやけに男から声をかけられたが、女の子からマドモワゼルと呼びかけられたのは初めてだった。それとも、よっぽどアイスクリームが欲しそうな顔をしていたのかもしれない。
 宿泊はユースホステル。金髪、赤毛、碧い眼、エメラルドの眼。世界中の若者が集っていた。けれども日本人はボクひとり。日本語で話せる相手がいない。さすがは夏のニース。あまりの盛況で建物で眠れるのは運のいい連中だけ。あぶれたボクは庭のテントをあてがわれた。食事をするのも庭園レストランといえば聞こえがいいが、要するに外である。細長いテーブルに皿が並び、若者たちが食器まで食ってやるぞとばかり、目を輝かせて周囲で待機している。みんな順番を待っていた連中である。ボクもその仲間に加わる。さぁ、湯気をたてて大皿が運ばれてきた。メニューはトマトスパゲッティー。大皿から銘々勝手に自分の皿に盛る。昼間、トマト味のフライドライスで満腹になったはずなのに、このトマトスパゲッティーをいくらでも食べられてしまう自分にあきれてしまう。それから何となく酒を酌み交わす。アルコール禁止だったかもしれないが、庭の暗がりで飲んでいれば誰からも文句は出ない。イスラエルの若者とは核武装談義。彼はリアリストだった。アメリカの女の子とは恋愛談義。美しい人で、今でもその表情をよく覚えている。今から振り返れば、あの下手糞な英語でよくぞ一晩を過ごせたものだとあきれるが、日本語の通じない世界では下手糞でも何でも通じればありがたいのだ。この夜、ボクはテントで眠った記憶がないのだが、一体ボクはどこで眠ったのだろう。
 貧乏な記憶しかないとはいえ、ボクのニースは平和だった。世界中から集った若さの匂いでむんむんとしていた。2016年、そのニースがテロルの対象とされてしまった。ボクは宗教、それとも歴史について学ぶべきなのか、それとも人間を見直すべきなのか。どうにも犯人の気持ちを想像できないのである。

▲ パリ祭の テロルの花火 血も凍る

0716・土・

 お医者と薬を信頼することは大切である。ニューヨークでの思い出話など、すっかり回復されたご長男とのおしゃべりは嬉しかった。これすべて、T氏の献身の結果である。病院を背中にしてT氏の運転するミニクーパーは一路銀座を目指して走り出す。
 T氏との圓朝祭はこれで何度目だろう。今年もT氏の籤運の強さでチケットをゲットできたのである。曇天で夏日そこそこの暑さである。入り口で圓朝祭名物の団扇をもらったまではよかったが、会場は古い建物でエレベーターがない。途方に暮れていたら親切な会場係りが出演者専用エレベーターまで案内してくれ、やっと座席までたどり着くことができたのである。
 春風亭一之輔は「ろくろ首」。週刊朝日の連載で既読ではあったが、やはり本人が語る枕は抱腹絶倒。この人、今いちばん勢いがあるのではなかろうか。将来が楽しみだな。なんてことを感じながら一之輔の高座に集中していたら、隣の座席に落ち着きのないおばさんが座った。そして座った途端、圓朝祭名物の団扇を、わさわさわさ。よっぽど暑かったのだろう。わさわさわさ。落ち着きのないことこの上ない。と思ったら今度は音高くジッパーを引きあけ、バッグの中身を、がさごそがさ。一生懸命、がさごそがさ。まさか圓朝祭の会場で糠味噌を掻き回すんじゃないよね。心配していたら、びりびりびり。セロファンを引きちぎり、飴をしゃぶってる。やっと静かになって一之輔の高座に気持ちが戻ったときには、かなり物語は先へいってしまっていたのである。あああ、一之輔をもっと心静かに楽しませてもらいたかったな。
 三遊亭兼好の「天災」も若さが感じられてよかった。どうしても名人の春風亭柳橋や立川談志の「天災」と比較しちゃうから気の毒なんだけど、ポイントでは会場を笑いの渦に巻き込んでいた。林家太平の「お神酒徳利」はまあまあだったかな。圓朝祭というと、演者の皆さん、やっぱり頑張るよね。五街道雲助師匠が名人ぶりを発揮していたら、たりらりらーん。いきなり携帯電話の着信メロディー。またまた隣のおばさんである。ちゃりちゃりららーん。もたもたとバッグの中を引っ掻き回す。けれども、たりたりららーん。携帯電話がなかなか出てこない。本当に迷惑なおばさんである。この人、圓朝祭がどんな落語会なのか、本当に理解しているのだろうか。
 中入りの後は柳家権太楼師匠の「猫の災難」。寄席の高座や有線放送で何度も拝聴した根多(ねた)である。それでも笑ってしまうのは芸の力と放しの良さと人間の味。権太楼師匠、やはり好かれているのです。楽太郎の三遊亭圓楽は「死神」。この人、どこまでいっても楽太郎。その器から逸脱できないでいる。もしかして「うまい」と思っているのは本人だけではないのかと疑りたくなってしまう。これまでも圓朝祭で聴いたことあるけれど、頑張りが空回りして、楽太郎、取りとしてはいかがなものかと落胆してしまう。楽太郎だけに落胆してしまう。
 空腹を抱えて中目黒の居酒屋に転がり込む。T氏の三男坊が元気に注文を取りにくる。この取りなら納得である。ボクは生ビールで、T氏はノンアルコールで乾杯。T氏、いつもいつもですけれど、本日もありがとうございました。

▲ 携帯で 圓朝祭の うちわもめ

0717・日・

 久しぶり、朝から晩まで世田谷の仕事場の椅子に座っていられた。落ち着いてラジオに耳を傾けてもいられた。朝の志の輔(しのすけ)ラジオ「落語でデート」の今朝のお相手は若く美しく、魅力的な声の女優さんで、志の輔師匠の御機嫌も必然的かつ合理的に麗しくなる。午前中は軽井沢朗読館館長青木裕子さんの朗読CDをパソコンに取り込み、プレクストークに移動。谷崎潤一郎の「春琴抄」が3枚。泉鏡花の「高野聖」が3枚と時間がかかったが、これは先の楽しみのための投資である。お昼からは日曜日のお楽しみ、NHK「素人喉自慢」。可憐な歌声と絶妙のテクニックで感動させてくれた女の子が見事チャンピオンとなり、納得の結果となる。今週も脳天気な若者たちが次々とステージに登場してきて、この若い人たちがいつまでも幸せでいられる国でありますようにと、思わず真心から祈ってしまった。

 小松左京のハードSFを読んでいたら部屋が微妙な振動を開始した。おいおい、小松先生の非日常は虚構世界だけにとどめておいてくれよな。思った途端、ぐらぐらぐら。時空間に歪みが発生したのではない。ただの地震である。13時24分、茨城県南部を震源にやや強い地震発生。震源の深さは40キロ、マグニチュードは5.0で東京の震度は3と、しっかり揺れてくれて、小松ワールドに耽溺していたボクの肝をそれなりに冷やしてくれた。テロルが発生したりクーデターがあったりと最近の世界はやたらややこしくて緊張を強いられるが、日本では有史以前から地面の揺れで日常的に緊張を強いられている。

 日暮れを過ぎて一羽のカラスが窓のすぐ外にやってきて、よく通る声で高らかに歌い始めた。よく聞いていると、遠くのカラスと声の交換をしていることがわかってくる。つまり、コミュニケーションをしているのである。鳴き声の高さとか回数とかに何らかの意味を加えているように感じられるのはボクが人間だからかもしれないが、小鳥たちがひたすら自分だけの歌を繰り返していることを考えると、どうしてもカラスたちが意見交換をしているように思えてくる。人間にとってただかまびすしいだけの存在かもしれないが、悪役イメージなどの先入観を払拭して観察すれば、その頭の良さに舌を巻いてしまう。都会のコンクリートジャングルで自分たちの社会を構成しているカラスたち、退屈なルーティーンワークに陥り易い人間の暮らしにとってちょっとしたスパイスの役割をしてくれている。つい最近、蝙蝠の本を読んだばかりであるが、カラスにせよ蝙蝠にせよ、人間側の一方的な忌避感を排除できれば、実に魅力的な生き物たちである。この都会環境を広い心で彼らとシェアしていきたいものである。

▲ 薄闇に 群れる蝙蝠 夕涼み

◇ バーチャル東海道五十三次コース  四日市に到着、通過しました。
次は石薬師。あと20,954歩です。現在の歩数、779,846歩。
3周目挑戦中!



2016年7月4日~10日
☆人工透析を導入したとき、東大のドクターはボクの余命を5年と宣告したけれど、ボクはそれから30年も生きています。お医者は神様ではありませんので、もしも余命を宣告されたら、どうかご自分の生きようとするエネルギーを、もっと信頼してあげてください。さて、この日誌は透析患者が病人ではなく、機械に腎臓の代わりをしてもらっているだけで、普段は一般の人と何ら変わらなく暮らしていることを知っていただくためのものでもあります。また、この日誌には本当のことも書かれていますが、ごくまれには嘘や冗談も書かれています。ただし、嘘は嘘らしく書かれてありますので、その判断のできないお子様たちは、どうか常識のある大人と一緒にご覧ください。また、難易度に関係なく、熟語や固有名詞などの漢字に振り仮名をしていることもありますが、これは視覚障碍者のための音声ガイドをサポートするためのもので、決して皆様がこの漢字を読めないと思っているわけではございませんので、その点はなにとぞご容赦ください。

0704・月・新月・

 朝から猛烈に暑くてエアコンを入れている。その足元に雷鳴でアルルが避難している。地上が暑くなり、上空との温度差ができれば積乱雲が湧いて出る。いよいよ本格的な夏の到来である。近所のベランダでは子ガラスたちの飛行訓練が開始された。巣離れの季節がやってきたのだ。そして台風1号の発生。遅れに遅れた最初の台風だが、大きくなる可能性がある、とのこと。初顔のくせに迷惑なやつだが、これで梅雨が明けてくれれば万々歳、なのである。

▲ 雷鳴に 今年もいぬの 目に泪

0705・火・

 朝から差し入れのカツ丼を食べている。マイセンのヒレカツ丼を食べている。豪華な気分で、妙に満腹で、頭が働かない。満腹だからというわけではなく、いつも働いていないのだ。

 明らかに蝉の声を聞いた。ジジジといいながら窓の外、右から左へ飛んでった。間違いなく、しょんべんちびりながら飛んでった。今日は昨日と違い、猛暑日でも真夏日でもなく、やっとこさで夏日ではあったのだが、2016年の蝉記念日にはなったのである。

▲ 元気かね 俺も元気と 蝉が鳴く

0706・水・

 バングラディッシュのテロ事件では日本人が選択的に殺害されていたという。いつから日本人はイスラムテロのターゲットにされてしまったのか。このことは安倍晋三首相が海外で勇ましい発言をしたことと無関係とは思えない。欧米と並んで対テロる、対イスラム国の、まるで日本が十字軍の一翼を担っているが如くの、あの勇ましい、というか、勇み足の言動に原因があるような気がしてならない。あのときの心配が形になってしまったのだ。そして、もっと気がかりなのは、テロルの炎が日本国内に及ぶのではないか、ということである。そのときは安倍晋三さんに、真っ先に矢面に立っていただきましょう。その責任は充分にあると思います。

 自民党、小池にはまって、さぁ大変。小池の姉御が崖からパラシュートなしで落っこちるという都知事選。日本の行方を決めるかもしれない参院選を前にして、何をふざけてんだ、と思ってしまう。都知事の椅子、そんなに魅力、あるのかね。ま、あるでしょう。なんせ小国の国家予算よりもお金が動くテクノポリス・トキオのトップだかんね。総理大臣の次に目立つポストだかんね。日本最初の女性首相を目指したこともある小池さんだから、ここで腹を決めたのかもしれないけれど、ちょっと皆さん、騒ぎ過ぎだと思います。ボクはこれまで投票をサボったこと、ないんだけれど、今回の都知事選だけは棄権したい気分かもしれない。東京都庁、優秀なお役人さんたちがうようよいるはず。顔がどれだけ変わっても、腹は決まったまんま。人気投票ならやらない方がいいだろうし、選挙にかかるお金も勿体ない。この際、当きょうとちぢにせんだみつおさんなんかいかがだろう。スピーチの度に笑わせてくれて、東京がなごむと思うけどな。

▲ 勇ましい 君が矢面 立ちなさい

0707・木・小暑・七夕・

 都内では37度に迫る猛暑日となる。よりによってそんな日の夕方、期日前投票のため、区役所の出張所まで出かけていく破目となる。仕方がない。先日、徒歩で出かけていったのに、お役所の順序というか、ボクらの下調べの不足というか、とにかく両者の立場の相違から、それら手間が骨折り損のくたびれ儲けとなってしまったため、今夕の出直しになってしまったのだ。そういえば、あの日は夏日。そして今日は猛暑日。いずれも暑さ真っ最中で、どうしてもっと気候のいい頃に選挙をやらないのだろう。これも政権与党の企みなんだろうな、きっと。投票率が低ければ低いほど政権には有利、と昔から決まっているのだ。だから政権をひっくり返すのは難しいのだ。
 のこのこ歩いて、骨折り損のくたびれ儲けをやったばかりなので、今日はコボちゃんの転がす愛車クオリスでいく。以前の出張所には駐車スペースがあったのだが、今は福祉関係の施設のため、そのスペースは消滅してしまった。そこで近所のセブンイレブンで買い物をして、そこから出張所まで出張することにする。セブンイレブンでの買い物は出張費にあたるわけだ。
 若い女性職員の代筆で期日前投票を完了。古くからのお付き合いでもある、心から信頼すべき候補者にボクの1票を捧げる。
 結局、投票できたのは締切寸前の時刻だった。なのに若い人が出張所に目だっている。天賦人権を積極的に行使している。とはいえ、それを得るまで、人々はどれだけの犠牲を払わなければならなかったのか。歴史を知らなければその価値もわからない。若さが馬鹿さだということがしみじみわかるのは、年寄りになってから。なんだけど、その年寄りの言葉を若者はなかなか聞いてはくれない。けれども日本の若者、年寄りが思っているよりはるかに賢いのかもしれない。18歳に引き下げられた選挙権。今度の選挙で、政権与党のこの博打、丁と出るか、半と出るか。

 中華丼についての東海林さだおさんのエッセイを読んだばかりだった。おいしい中華丼が食べたくてたまらないタイミングで食べた中華丼だった。なのに、何たる悲運。何たる悲劇。これがボクでなく、東海林さだおさんだったら、大喝一斉、怒髪昇天、悲憤慷慨、遺憾千万と表現なさるところだろう。けれども気の小さなボクは生姜やニンニクの微塵切りをラードで熱して下味をこしらえるという中華料理的工夫もなく、中華丼といえば条件反射として加えるべき木耳や椎茸も見当たらず、花嫁修業もなく結婚したばかりのにわか主婦が作るよりもまずい野菜炒めに、やたら片栗粉を振り入れてとろみをつけたようなあんかけをぶっかけられ、御飯粒たちがゲリラ豪雨で溺れているような前代未聞の中華丼を黙って食べていたのです。
「おいしいの?」
「食べてみる?」
 味見したコボちゃんは沈黙。実はさっきからコボちゃんは炒飯をひたすら沈黙して食べ続けていたのだ。なんせ炒飯に玉葱の微塵切りなんだから、そりゃ沈黙でしょう。チキンライスじゃないんだから、炒飯に玉葱は悲し過ぎます。どう考えたって炒飯にはネギですよ。ネギ油が炒飯の味の大黒柱でしょうよ。それにさっきから大盛りレバニラ炒めをシェアしていたボクとコボちゃんは、どうにも減ってくれないレバニラ炒めをもてあましてもいた。なんせこのニラれば炒め、生姜の微塵切りやニンニクのような臭み対策が施されてないから、レバーが生臭くてたまらない。そりゃ、いつまで経ってもこの山盛りのレバニラ炒め、減ってはくれません。おい、料理人。お前、味見したことあんのかよ。昔はこの店、おいしかったんだけど、店の名前は同じでも、作る人が変わると料理も変わります。選挙も博打だけど、うまいラーメン屋に巡り会うのも博打だよね。でも、こんなにまずくなくてもいいと思うんだけどなぁ。

▲ 猛暑日や たどり着けない 投票所

0708・金・

 早朝6時、東京都内を離脱して関越道を一路、軽井沢を目指している。天気もいい。道路もすいている。すべて順調である。トラネコミミコもゴキゲンで、ずっとボクの膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしている。
 9時ジャスト、到着した軽井沢は夏模様。鳥たちが機嫌よく鳴いている。浅間山の頂上は雲ひとつなく、快晴。さあ、来週の木曜日まではインターネットともお別れで、気分も快晴となれるだろうか。情報はあればあるほど便利だけれども、なければなしでやってける。必要があれば電話という武器もある。ということで、スタジオクラスターの北軽井沢分室さん、今年もよろしくお願いいたします。

▲ 夏の空 雲打ち払い 浅間山

0709・土・

 雨がざんざか降っている。山の中をコボちゃんがクオリスを運転する。周囲は雑木林。スタジオクラスターの北軽井沢分室は山の中にあるのだ。足元はぬかるんでいてコボちゃんは緊張する。これからボクをN町のS医院透析室まで連れていかなければならないのだ。
 山間(やまあい)の路を水しぶきを上げて突っ走る。崖の上から勢いよく滝が流れ落ちていく。崖の下には家が並んでいる。人はどんな所でも暮らしを営んでいる。健康なひともいれば、そうでない人もいる。そして山間の透析室には、そんな山間の家々から透析患者が集うのだ。そして申し訳ない。そんな限られたベッドを、ボクが臨時透析で使わせていただくのだ。
 すごいことである。お願いすれば日本全国いつでもどこでも、同じ水準の人工透析を受けることができるのだ。日本ばかりではない。その気になれば、世界中どこでも受けることができるのだ。ボクはニューヨークでも透析を受けたことがあるし、今日はここ、群馬県のN町で透析を受ける。ひとりの人間を生かすため、世界中がネットワークを組んでいる。考えなくとも、これはすごいことである。
 透析が終わったら、空はからりと晴れていた。後部座席ではインチキ盲導犬のアルルが前方を見つめている。もっと早く晴れてくれれば、美しい群馬の自然をお散歩できたのにと恨めしく思っているのだ。けれどももうすぐ日没、日が暮れる。ボクはお腹がすいている。そして今夜は150グラムの和牛ステーキを焼いてもらうことになっている。コボちゃんは、しっかりハンドルを握っている。ぬかるみの路、乾いているといいけどな。

▲ 暴れ梅雨 雨を集めて 滝となる

0710・日・

 北軽井沢の朝は鶯の声で目覚める。昼間はカッコー鳥が鳴いている。期日前投票も済ませてきたし、大相撲名古屋場所が始まって稀勢の里(きせのさと)も順調に白星でスタートして、月刊ラジオ深夜便の9月号の下絵も予定通りに仕上がって、すべて順調と思っていたら投票締め切りの午後8時の段階で与党圧勝の結果をNHKが余計なお世話で知らせてくれた。この選挙速報にあきれて不貞寝の早寝を決めたけど、嫌な夢ばかり。最悪なコンディションで早起きをして最低な気分で朝のニュースを聴く。日本人、この選挙結果の責任を、どうとらされるのだろうか。ボクはもう知りません。

▲ のほほんと 罠にはまった 日本人

◇ バーチャル東海道五十三次コース    桑名に到着、通過しました。
次は四日市。あと24,238歩です。現在の歩数、754,962歩。
3周目挑戦中!





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